断罪された王子さま。(前)
すみません、今回の話は長くなりそうなので分割します。
「奥様。サリオン・トワイライト様がお嬢様にお会いしたいとおいでになっておられますが、どういたしましょうか」
「あら、そう。思ったより早かったわね」
部屋で幼い息子に絵本を読んでいたマリーウェザーが、顔を上げた。
来るだろうとは思っていたが、予測より早い訪問に彼女は少し驚き、そして見直した。
愛されてるわね、アリスちゃん。
「そうね。中庭へご案内して。お茶とお菓子を用意してちょうだいね」
「かしこまりました」
メイドが頭を下げて出て行くとマリーウェザーは、再び膝の上の息子に絵本を読み聞かせ始めた。
息子を侍女に預け、身支度を整えたマリーウェザーは、サリオンを待たせている中庭へと向かった。
サリオンが石像のように硬くなって座っているのを見て、彼女は微笑ましい気持ちになった。
彼がここへ来た理由はわかっている。
もし、アリステアが学園からこの邸に一旦戻っていれば会えたかもしれない。
だが、戻ったのは事情を伝えにきたミリアだけで、彼女はまとめてあった荷物を受け取ると、すぐに邸を出て行っている。
アリステアには、もし断罪イベントが起きたら、エヴァンス邸には戻らないよう前もって言っておいた。それは、遅くなると国を出にくくなるからだ。
「お待たせしてごめんなさい」
声をかけると、サリオンは席を立ってマリーウェザーに向け綺麗に頭を下げて挨拶をした。
最後に会ったのが1年前だったが、さすが男の子の成長は早い。
まだ顔に幼さは残るものの、背が伸びて体つきもしっかりしてきていた。
「突然お伺いして申し訳ありません。どうしても、アリステアと話さなくてはならないことができましたので」
「ええ。事情は知っていますわ」
マリーウェザーが答えると、サリオンの顔はサアーッと青くなった。
「誤解です!私はアリステアを裏切ってなどいません!」
あらあ、とマリーウェザーはコロコロと笑った。
「大丈夫よ。私もアリスちゃんもあなたのこと疑ってないから」
「え?」
目を丸くするサリオンに、座るよう促したマリーウェザーは、彼と向き合うように自分も椅子に腰かけた。
メイドがカップを用意し紅茶を入れ、彼女の前に置く。
「あの‥‥アリステアは」
「ごめんなさいね。アリスちゃんは出かけていないの」
「出かけた?何処へですか?」
「それは言えないわ。私にはアリスちゃんを守らなきゃならない責任があるから」
「で‥殿下が言ったことはデタラメです!マーシュ伯爵令嬢とは、母に頼まれたこと以外何もありませんから!」
だいたい、とサリオンは顔をしかめ唇を噛み締めた。
「だいたい、アリステアがエレーネを階段から突き落とすなんて絶対ありえない!なんで、そんな思い込みで彼女を責めるなど───」
何故、あの時おかしいと思わなかったのか、とサリオンは自分を責める。
今朝、エイリックから今日は授業に出なくていいから、怪我をして部屋で休んでいるエレーネの見舞いに行って欲しいと言われた。
エレーネが足を捻挫したことは聞いて知っていたが、まさかエイリックが怪我をさせたのがアリステアだと思っていたなんて知らなかった。
授業を終えてエレーネの見舞いに顔を出したレオナードから、アリステアのことを聞いた瞬間、頭の中が真っ白になったような気がした。
何を言っているのかと思った。
レオナードがエレーネに向けて、もう二人を邪魔する、あの悪女はいなくなったから安心して、と言った時、サリオンは怒りのあまりレオナードを殴りつけてしまった。
友人を殴るなど、一度だってしたことはなかったのに。
いや、もう友人とは思わない!
スッと目の前に小皿にのった数枚のクッキーが差し出された。
ハッとして顔を上げると、マリーウェザーがサリオンに向けて優しく微笑んでいた。
「アリスちゃんお勧めのクッキーよ。ドライフルーツが入っていて、甘さ控えめ」
マリーウェザーに勧められるまま、サリオンはクッキーを一枚手にとって口に入れた。
お菓子はあまり食べることはないが、サクッとした口当たりと、ほんのりした甘さは好みだった。
「アリスちゃんのことは心配しないで。そうね、他国へ留学したと思えばいいわ」
マリーウェザーの予想外な言葉にサリオンは驚いた。
「他国って‥‥!アリステアは国外へ出たってことですか!?」
だって、とマリーウェザーは笑う。
「‥‥‥‥!」
ゾクッとサリオンは背中に怖気を感じた。
この人は、見かけはおっとりした印象だが、実は怒らせては駄目な人なのでは、とサリオンは彼女の認識を変えた。
「だって、アリスちゃんを断罪したのは、王族でしょう?」
「‥‥ええ」
「さっきも言ったと思うけど、私にはアリスちゃんを守る責任があるの」
その後に声にならない言葉が続き、サリオンは息を飲んで、そっと紅茶の入ったカップに手を伸ばした。
さあ、どうしてくれようかしら。
ふふっ、とマリーウェザーは口元を押さえ楽しげに笑った。
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王の執務室に入ると、父親である国王レトニスは、大きく重厚な机の上に積み上がった書類を見ていた。
王宮では、それぞれに役目を持った者は数多くいるものの、国王自身がやらねばならない仕事も多い。
最近は問題も増えていると聞くが、まだ学園に入学して間もない、第二王子であるエイリックがそれを知ることはなかった。
父レトニスと顔を合わせるのは久しぶりだった。
学園に入学する数日前に、挨拶のため母と共に会って以来だ。
実年齢より上に見られがちの父であったが、なんだか久しぶりに見た父は老けたような気がした。
皺が増え、顔色もなんだか悪いように見える。
仕事が忙しすぎるのだろうか。留学している兄が早く帰国すれば、少しは父も楽になるのに、とエイリックは思った。
自分にも何か手伝えたらとも思うのだが、まだ学生の身分では何もできない。
父レトニス国王が書類を置き顔を上げた。
「学園の生活はどうだ、エイリック」
「はい、順調です」
「順調‥‥か。まあ、成績に問題はないな。では、聞くが、エヴァンス伯爵家の令嬢を退学にしたおまえの判断は間違っていないと、この私に言い切ることができるか」
ハッとしたようにエイリックの目が瞬く。
「ご存知でしたか」
それは2日前のことであったが、何故かスッキリせず、わけのわからないシコリのようなモヤモヤ感が残っていた。
間違ってはいない筈だ。自分は、大切な友のためにやったのだから。
「マリアーナ・レクトン侯爵令嬢を婚約者候補から外したそうだな。それも間違っていないと言い切れるか」
「侯爵家なら何か言ってきたのでしょうか。抗議、とか」
「いや。令嬢の祖父であるあの男は、嬉々として手続きを求めてきた。もともと、孫娘をお前と婚約させるのは反対だったようだからな。関係がなくなってせいせいした顔をしていた。お前に感謝までしていたぞ」
「は?」
「意外か?」
「え、いえ‥‥レクトン侯爵が反対していたなど、初耳でしたので」
「貴族なら誰もが王族と繋がりを持ちたいと望んでいるとは、思わないことだ」
「はい‥‥」
「では、もう一度聞こう。おまえは、何も間違っていないと思っているか」
「勿論です、父上。私は、私が信じる大切な友人のために判断したのです」
「それは、ちゃんと証拠があるのだな」
「はい。証拠もなしに、人を断罪したりはしません」
それは胸を張って言えると、エイリックは父レトニスに向けて断言した。
そうか、とレトニスはふっと辛そうに目を伏せ、そして再び息子であるエイリックを見つめた。
「昔、私もそう信じていた───」
「え?」
レトニスは、眉間に皺を寄せ、小さく息を吐き出した。
「やはり、クローディアが言っていたように、私はお前にも話しておくべきだったかもしれん」
「父上?」
「昔──私は学園の卒業パーティーの時に、一人の公爵令嬢を断罪したことがある。彼女は、私の婚約者だった。愛していた。結婚するのは当然のことだと思っていた。だが、私は学園に入学してから別の女性に心を惹かれたのだ」
エイリックは驚いた。
父親から昔の話を聞くのは初めてのことだった。
「彼女に会って、私はこれまで婚約者のセレスティーネ・バルドー に抱いていた愛情は違うのではないかと思った。本当に自分が愛する者は、セレスティーネではなく彼女なのではないか、と信じ込んでしまったのだ」
そして、私はあってはならない間違いを犯した。
「私が真に愛する者と思った子爵令嬢を常に側に置こうとしたために、セレスティーネが嫉妬のあまり危害を加えたと思ったのだ。それまでにも、子爵令嬢に対する嫌がらせは続いていたし、気にかけてはいたのだが、ついに彼女が階段から突き落とされたと知り、私は激怒した」
「階段から‥‥突き落とされた‥?」
エイリックは、己の水色の瞳を大きく見開いて、父である王の顔を見た。
どういうことだ。父の話はまるっきり自分のまわりで起きたことと同じではないか。
これは偶然と言えるのか──そこには誰かの思惑‥‥シナリオが存在しているようではないか。
「セレスティーネが嫌がらせをするのは、全て私が悪いのだと思っていた。婚約者であるセレスティーネを放置し続けたせいで、その怒りが子爵令嬢に向かったのだと。実際、嫌がらせはセレスティーネがやったことだという証言も得ていた。だが、さすがに階段から突き落とすという行為は許せなかった。それだけではなく、彼女に毒を飲まそうとしたという噂まで出てきた。それで、私は放っておけなくて、卒業パーティーの夜、セレスティーネを断罪したのだ」
エイリックは父の話を、息を飲んだ表情で聞いていた。
あまりにも同じだ。自分が、エヴァンス伯爵令嬢にしたことと。
「父上──間違いというのは」
「セレスティーネは無実だった。セレスティーネは何もしていなかった。子爵令嬢に対する嫌がらせも、階段から突き落としたのも別の者がやったことだったのだ」
「‥‥‥!!」
「私は最後までセレスティーネを信じなかった。何かを訴えようとするのさえ偽りとし、はねつけたのだ」
父の、最後まで、という言葉にエイリックは何故か、あの時アリステアの言ったことが頭に浮かんだ。
どうして?と思うが、あまりにも状況が似ていたからかもしれない。
そうだ、断罪されたアリステア・エヴァンスは、エイリックにこう聞いたのだ。
殺さないのか?と。レトニス様ならそうした、と。
「父上は──断罪した婚約者を殺したのですか?」
エイリックが問うと、父レトニスの顔色が変わった。
「‥‥‥誰に聞いた?」
本当なのか!本当に父上は罪のない令嬢を殺したのか!
蒼ざめて声を発することもできないでいる息子の顔を、国王レトニスは寂しげに見、ゆっくりと頭を振った。
「まあいい。確かに私は間違いを犯した。言い訳など到底できない過ちだ。お前もよく考えろ。間違っていないとお前は言うが、本当にそうなのかどうか。調べることに時間はかからない。いや、時間がかかってもやるべきだな。お前は、私と違いまだ間に合う」
いつ王の執務室を出たのか、気づいたらエイリックは学園に向かって歩いていた。
父から聞いた話はエイリックには衝撃的だった。
婚約者でない女性を愛し、冤罪で婚約者を殺した。
どんな状況だったのかわからないが、あってはならないことだ。
そんなこと、私は知らない。聞いたこともない。
知ってる者はいる筈だ。レクトン侯爵は王族と関係を持つのを嫌がっていた。
レクトン侯爵は多分知っているのだ。いったいどれだけの人間が知っている?
公爵令嬢が殺されたのだ。大事件と言っていい。
なのに、そんな話はどこからも聞こえてはこなかった。口止めしたのか。
父が関わったことだから、公爵令嬢の死は闇に葬られたのだろうか。
「父上は、私にも話すべきだったと言っていた。兄上には、話していたということか」
「エイリック?」
学園の廊下を歩いていたエイリックは、階段をおりてきたモーリス・グレマンに声をかけられた。
「どうした?顔色が真っ青だが、何かあったのか?そういえば、陛下に呼ばれたと聞いたが」
「ああ‥‥断罪のことを聞かれた」
「勝手なことをしたと、叱責でもされたか?まあ、相手は侯爵家と伯爵家だからな」
エイリックは顔をしかめ黙り込んだ。
「おいおい、本当にどうしたんだ、エイリック。そんなにきつく叱られたのか?」
「マリアーナ嬢から何か言ってきたか?」
「え?ああ、言ってなかったか。マリアーナ嬢が、我ら三人とエレーネに話がしたいと言ってきた。レオナードがやっと罪を認めて謝る気になったかと言っていたが」
はたしてどうかな、とモーリスは思う。
大人しそうな見かけに反してクセものだと、あの夜のマリアーナを見て感じた。
油断すれば、こちらが反撃をくらってやられかねない。
「レオナードはどうしてる?」
「まだ少し落ち込んでいるな。まさか、サリオンに殴られるとは思ってなかったろうから。私も聞いて驚いたが、何故、あいつはそんなに怒ったんだ?」
「‥‥‥‥」
レオナードが落ち込んでいるのは、友人であるサリオンに殴られたこともあるが、エレーネの前で情けない姿を見せてしまったことが大きいに違いない。
サリオンは、あの日から姿を見せなかった。
「モーリス。マリアーナ嬢に会うが、そのための舞台を作りたい。手伝ってくれ」
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王宮の侍女に案内された部屋には、黒髪をアップにした女性が彼女を待っていた。
40半ばを過ぎている筈なのに、年を感じさせない美しさを保っている女性。
王妃クローディア───
「お久しぶりですね、クローディア様」
「本当に。20年振りかしら、マリーお姉様」
「ふふっ、懐かしいわ、その呼ばれ方」
ニッコリと笑みを浮かべるマリーウェザーの従姉妹は、王妃としての気品と貫禄を身につけていた。
子供の頃、侯爵家の庭を二人走り回った時の面影はもうどこにもない。
「今回のことは、エイリックがほんとに申し訳なかったわ。まさか、あの子がマリーお姉様の娘であるアリステア嬢に対し、あのような暴挙に出るなんて」
「そうね。30年前の再現かしら。血の繋がりって恐ろしいわ。そう思わない?クローディア様」
ぎくりとクローディアは身体を強張らせた。
滅多に動揺しない、鉄の王妃と呼ばれる彼女にしては珍しいことだった。
「ご存知でしたの?」
マリーウェザーは当時は領地に戻っていて王都にはいなかった筈だが。
「どんなに緘口令を敷いても、全ての口を閉ざすことはできないわよ」
そうですね、とクローディアは苦笑し、マリーウェザーを用意したお茶の席に案内した。
二人が椅子に座ると、侍女が、用意したカップに紅茶を注いだ。
「先ほど、エイリックが王に呼ばれたようなのですけど」
お姉様、何かなさいました?
「あら、たいしたことはしていないわ。陛下に報告するのを迷っていた学園長に助言を与えただけよ」
「助言、ですか」
クローディアは目を伏せ、小さく息を吐いた。
子供の頃から知っているこの年上の従姉妹は、たまに怖いと思う時があった。
最終的に彼女の行動が正しい結果をもたらすことが多かったが。
「それで、お姉様はどうされたいのでしょう?」
クローディアが尋ねると、マリーウェザーは綺麗に口角を上げた。
「何事も経験に勝るものはないわ。そう思わない、クローディア様。あの王子さま次第ではあるけれど、逆の立場というものも経験すれば、きっと得るものがあると思うの」
「相変わらず怖い方ですね、マリーお姉様は」
「そうかしら。最近は年をとったせいかしら、自分でもだいぶ甘くなったと思うわ。先立たれてしまったけど、初恋だった夫との生活は幸せだったし、私と息子を保護してくれたライドネスとの生活も悪くないしね。幸せ太りというものも知ったわよ」
「‥‥‥‥」
「ただね、クローディア様。わかるかしら?私、とってもとっても怒ってるのよ」
前回の話では、たくさん感想を頂きました。
ありがとうございます!