断罪イベントは、やっぱり茶番。
キャアッ!と甲高い悲鳴が学内に響き、何事だと集まってきた数人の男女は階段の下に倒れこんでいる赤髪の少女を見つけた。
「どうしたんだ!落ちたのか!」
「大丈夫か!?」
彼らはすぐに赤髪の少女の側へと駆け寄った。
少女は足を痛めたのか、顔を苦痛に歪めながら右足首を手で押さえていた。
彼らは、赤髪を見た時から彼女が誰であるかわかっていた。
第二王子や高位貴族の子息たちがいつもそばにいるので、今や彼女は学園内の超有名人だ。
そして、最近彼女のまわりでよく目についていたのは───
「もしかして、誰かに突き落とされたのか?」
落ちたのかではなく、落とされたのかという発想になるのは、最近噂になっている、彼女に対する嫌がらせのせいだ。
彼女、エレーネ・マーシュ伯爵令嬢の悪評も多いが、彼女に対して嫌がらせをする令嬢方の振る舞いには眉をひそめる者も多かった。
確かに婚約者のいる子息とも親しくする彼女には責められるべきところもある。
だが、それは注意すればいいことであって、虐めや嫌がらせをしていいことではない。
エレーネが黙っているのを見て彼らは確信した。
彼女は誰かに突き落とされたのだと。
そういえば、と彼らの一人が口を開いた。
ここに来る途中ですれ違った人物がいる、と。
その人物は、エレーネに嫌がらせをしている令嬢方のトップにいる方と親しくされている令嬢であったと。
ーーーーーーーーーーーーー・・・・
三ヶ月に一度、学園では学生主体の小規模な夜会が行われる。
その時ばかりは、婚約者や意中の異性とダンスを踊ることができるので、皆この日を楽しみにしていた。
この夜も華やかに飾られたホールで賑やかに夜会が開催されていた。
それが、とんでもない騒ぎになったのは、第二王子がホールに入ってきてからだった。
あら、と彼らに気づいたレベッカがそちらへ顔を向けた。
私もレベッカも今回は決まったダンスの相手がいなかったので、二人で踊っていた。
夜会は学生たちのレクリエーションのようなものなので、相手がいない場合は同性同士で踊ってもいいことになっているのだ。
黒髪のレベッカと金髪の私が踊ると目立つのか、あちこちから歓声が上がり少々恥ずかしかったが、レベッカと踊るのはとても楽しかった。
本当なら、私の相手は婚約者であるサリオンとなる筈だが、彼はエイリック殿下の護衛の任を与えられている。
エイリック殿下は夜会に参加されることはないので、残念ながらサリオンも不参加だ。
その参加しない筈の第二王子のエイリック殿下が、友人であるモーリス、レオナードそしてサリオンの三人を連れて入ってきたので、ホール内にいた学生たちは動きを止め彼らの方に注目した。
エイリック殿下は勿論、側近の友人とされる彼らは、将来、この国を背負う地位につくことが決まっている。
モーリス・グレマンは宰相に、レオナード・モンゴメリはいずれは文官トップになると言われている。そして、サリオン・トワイライトは、騎士団の団長候補だ。
エイリックはホール内を見回し、そしてある令嬢の姿を認めるとゆっくり彼女の方へ歩み寄った。
「マリアーナ・レクトン侯爵令嬢」
「はい」
突然、第二王子であるエイリックが自分の前に来て名前を呼んだので、彼女は驚いた顔になったがすぐに微笑みを浮かべた。
第二王子の婚約者候補となって7年になるマリアーナ様は、社交界デビューの時に一度踊っただけで、殿下からあまり親しくされたことはなかったと聞く。
それでも、他の候補者の中では一番爵位の高い侯爵家の出自ということもあり、第一候補とされてきた。
卒業後は新しく爵位を受け、王太子である兄を助け、国を守っていくことになる第二王子のエイリックの結婚は多くの貴族たちの関心ごとだ。
最近は伯爵家の令嬢であるエレーネ・マーシュにご執心のようだったが、やはり結婚相手となるのは侯爵令嬢であるマリアーナ以外にはないだろうと彼らは思っていた。
だからこそ、この時エイリックがマリアーナの名を呼んだ時、彼らもこれで決まりだと考えたのは当然だった。
それがまさか、あんな騒ぎになるとは私も想像しなかった。
「君には失望したよ、マリアーナ嬢」
「は?」
「たとえ、どんな理由があろうとも、虐めや嫌がらせは人として最低な行為だ」
「‥‥‥‥」
「君は私の婚約者候補となっているが、この時をもって、候補から外れてもらう。君のような人間とはうまくやっていけないし、軽蔑する」
マリアーナ様の顔から表情がなくなった。
頰を染め、笑顔を浮かべられたマリアーナ様は、とても可愛らしく見えたのに、今は血の気が失せて今にも倒れてしまいそうに見えた。
だがマリアーナ様は気丈だった。
毅然とした態度でエイリック殿下に言葉を返したのだ。
「私を殿下の婚約者候補から外されると仰るのですか」
「そうだ」
「それは、私が了承するだけでは無理なことですわ。家に戻り、殿下のご意志を父に話した上、手続きをするということになりますが、それで宜しいでしょうか」
「なんだ、そんなに面倒なことなのか」
「単なる口約束ではございませんので」
「そうか。ではそれで良い」
「ありがとうございます。では、私の方から、失礼ながら殿下にお尋ねしたいことがございます」
「なんだ?言っていいぞ」
「では。虐めや嫌がらせとはいったい何のことでしょうか?私には全く心当たりがございません」
「何を言ってる。おまえがマーシュ伯爵令嬢に対して行った数々の卑劣な行為は明白だ」
マリアーナの眉が僅かに顰められるのが見えた。
「そうですか。殿下がそう仰るのでしたら、確実な証拠がございますのね。でしたら、私がマーシュ伯爵令嬢に行ったという数々の虐めや嫌がらせでしたかしら、それを全て紙に書いて頂けますか。私には全く覚えがないので、それで自分がやったことなのかを確認させて頂きたいと思います」
エイリックは、隣に立つ友人のレオナードに顔を向けた。
それを受けてレオナードは答えた。
「わかりました。メモがありますので詳細をまとめ書類にしてお渡しします」
「よろしくお願いします。では、私はこれから父に報告しに戻らねばなりませんので、書類はレクトンの屋敷に届けてくださいませ」
「わかりました。そのようにしましょう」
「それを見て納得し己が犯した罪を理解したなら、きちんとエレーネに謝罪するのだな」
納得できましたら、とマリアーナが答えると、エイリックは、呆れたように小さく息を吐き、ホールから出て行った。
彼の後を、三人の貴族令息が続く。
去り際に婚約者のサリオンの心配そうな視線が私と合った。
実は、さきほどのエイリック殿下とマリアーナ嬢とのやりとりが前世での記憶を呼び起こし気分が悪くなっていたのだ。
「大丈夫?顔が真っ青よ。椅子に座って休みましょう」
「ありがとう、レヴィ。私は大丈夫。私のことより、マリアーナ様が心配だわ」
レベッカに支えられていた私は、何度か深呼吸を繰り返し気持ちを落ち着けてからマリアーナ様の方へと向かった。
結局、何も出来なかった自分が情けない。
ああ、そうだ。ほんとにあの場面では、誰も何も出来ないのだ。
それだけ、王族が相手だと恐ろしいのだと私は思った。
前世では、王太子であるレトニスに断罪された。もし、あの時、マリアーナ様のように反論できたなら。
いや‥‥そんな余裕はなかったか。
気づけば、私は背後から剣で貫かれていたのだから。
「マリアーナ様」
彼女の側には既に友人のご令嬢方がいて慰めていた。
お茶会で会ったお二人の顔も見える。
「大丈夫ですか」
マリアーナ様は私を見ると、ニコリと笑った。
顔色はやはり悪いが、倒れるようなことはなく、しっかりと立っていた。
本当にお強い。
「ええ、心配ありませんわ。私は殿下に婚約破棄されたわけではなく、候補を外されただけですもの。何も問題ありませんわ」
「マリアーナ様‥‥‥‥」
問題がないわけはない。
第一候補と言われていたマリアーナ様が、学生だけの夜会とはいえ、公の場でエイリック殿下に直接断罪を受けてしまったのだ。
今日のことはすぐさま貴族内に知れ渡ることだろう。
「いくらエイリック殿下でも酷すぎます!マリアーナ様が虐めや嫌がらせをしたなんて、証拠などあるわけありませんわ!マリアーナ様がそのようなことをなさらないことは、私たちがよく知っていますもの!」
「これは、罠?それとも、マリアーナ様に対する嫌がらせでしょうか」
「滅多なことを言うべきではありませんわよ」
マリアーナが友人である令嬢を嗜める。
「もう、夜会どころではありませんわね。私、父に報告しなければなりませんのでこれで失礼しますわ」
「今から戻られるのですか」
夜会は夕方からだったので、まだ夜が更けるまでには時間があるが、それでも外はもう暗くなっているだろうと私は心配した。
「大丈夫ですわ。実家は王都の中心に近いので、それほど時間はかかりませんのよ」
その言葉通り、マリアーナ様は寮の部屋にも戻ることなく、馬車に乗ってレクトン侯爵邸に戻っていった。
マリアーナ様を見送った後、私はレベッカと共に寮の私の部屋に戻った。
予定より早い時間に戻ってきた私たちに、ミリアは何かあったのかと心配した。
私が夜会で起こったことを話すと、ミリアは、なんということを!と拳を作って怒った。
私はミリアのその怒り方を見てクスクスと笑った。
「ミリアったら、お母様に似てきたわね」
「え、そうですか?でも、奥様もきっとこのことを聞かれたらお怒りになりますよ。だいたい、それって公の場で言うことですか」
「断罪というのはそういうものらしいわ。私も弟から聞いた話しか知らないけど、今夜の断罪はまだまだ甘いわね」
「でも、マリアーナ様は顔色を失くしていたわ」
「そりゃあ、いきなり身に覚えのないことで責められたら青くもなるわ。それも、相手は王族なんだから。でも私は負けないわ!見てなさい、公衆の面前で倍返ししてやるんだから!」
待ってろよ、馬鹿共!
「ど、どうしたの、レヴィ?」
いきなり、一人盛り上がり始めたレベッカに私は戸惑った。
「ふふ‥弟のルカスから連絡があったの。そろそろ私の婚約者が断罪イベントを始めようとしてるみたいだって。普通は卒業式にやるものらしいわ。でもルカスが、どうせ婚約破棄するなら早い方がいいって、いろいろ手を回したみたいね。確かに早々に終わらせて、セレーネとの学園生活を楽しみたいわ」
「大丈夫なの、レヴィ?」
「平気よ。私の婚約は向こうがゴリ押ししたものよ。政略結婚なんて、貴族には当たり前にあるものだけど、さすがにずっと無視された上に、別の女が好きになったからお前はいらないなんてやられたら頭にくるでしょ。だいたい、初対面の時、私の顔を見た途端泣き出した奴よ。好きになる要素など皆無だわ」
「ええ〜レベッカ様を見て泣いたんですか?なんて失礼な!」
「でしょう?だから未練なんかないわ。王妃教育はきつかったけど、ま、無駄にはならないし」
え?
私とミリアは、レベッカの口から漏れた、王妃教育という言葉に驚いた。
「王妃教育って‥‥まさか、レヴィの婚約者って」
「言ってなかった?私の婚約者はレガールの王太子よ」
「聞いてなかったわ!てっきり、貴族の令息だとばかり」
レベッカの家は侯爵家。王太子の婚約者となってもおかしくはない。
ないのだが、私は相手が王族だなんて、全く思い浮かばなかったのだ。
それは、レベッカが婚約者を語るとき、全く王太子に対する物言いではなかったからだが。
らしいといえば、らしいのだろうか。
「マリアーナ様のことは心配だけど、あの様子なら問題ないわ。マーシュ伯爵令嬢に対するマリアーナ様の行いは責められるべきことではないことは私たちも知ってることだし」
「そうね。マリアーナ様のご両親も、不確かなことで娘を責めることはしない方々だと思うわ」
少なくとも私の知っているレクトン侯爵は、相手がたとえ王族であろうと、間違いは間違いだとはっきり仰る方だった。
そして、とても身内を大事にされる方でもあった。
「それなら安心ね。ただ、バカがまだ言いがかりをつけてくる可能性があるけど」
「大丈夫よ。マリアーナ様には信用のおけるご友人がいらっしゃるし、私もマリアーナ様のそばにいるわ。だから、心配しないで行ってきて、レヴィ」
「ごめんね、セレーネ。まさか、今日、悪役令嬢の断罪イベントがあるなんて思わなかったから」
「いつレガールに戻るの?」
「明日の朝には馬車でレガールに戻るわ」
「明日の朝‥‥急なのね。気をつけてね、レヴィ」
「ええ。さっさと茶番を終わらせて帰ってくるわね」
レベッカらしい明るい笑顔を向けられ、私も笑顔で頷いた。
まさか、それから一年以上も彼女に会えない状況になるとは、この時私もレベッカも予想すらしていなかった。