レベッカ・オトゥールは呟く。
今回はレベッカの話です。
私の名前はレベッカ・オトゥール。正式名はレベッカ・クリシュ・ナ・オトゥールだ。
その名は曽祖父がつけた。これは曽祖母の名だったらしい。
そして、曽祖父が亡くなってから生まれた弟の名が、ルカス・アルジュ・ナ・オトゥールだ。弟は曽祖父の名を継いだ。
その名の意味がわかったのは、弟が4歳になった時だった。
弟は赤ん坊の時は天使のように可愛らしかったのに、3歳になったある日を境におかしくなった。
可愛げがなくなり、おかしなことを言うようになったのだ。
僅か3歳で、弟は変人になった。
変人の弟が言うには、私と弟の名になっているのは、異国の神の名だということだった。
神───異国のとはいえ、なんと畏れ多いと思った私は、以後、レベッカ・オトゥールで通すことにした。
あの頃はまだ、私は素直だったのだ。変人の弟の言ったことを信じるくらいには。
レガール国の侯爵である父について、隣国のシャリエフ王国に行ったのは私が5歳の時。
他国を見ることは将来のためにも良い勉強になると言われたのだが、私より弟のルカスを連れて行った方がいいのではないかと思った。
そう言ったら、弟はまだ幼いから無理だと両親は言った。
両親は騙されている。弟のルカスは変人だ。
少なくとも、ルカスは見かけ通りの四歳児では絶対にない。
レガール国は海が近く他国との貿易が盛んな港があるが、シャリエフ王国は海がなく山と広大な農地が広がる農業国だった。
麦の収穫時期は、それこそ海のない王国に黄金の海が出現したような美しい光景になるという。
父と滞在するのはひと月の予定なので、その光景をこの目で見ることができないのは残念だ。この国に留学すれば見られるよ、と父に言われたが、それはちょっと考える時間が欲しい。
レガールを出るとき、私は弟からシャリエフ王国にいる間に一人でもいいから友達を作れと言われた。はっきり言おう。弟よ、おまえは何様だ!
確かに私には友達がいない。
だって、母親に連れられてお茶会に参加しても、同年代の子供は皆私を遠巻きにして話しかけてこないのだから。近づけば逃げられる。これでは友達などできるわけはない。
なんでだあ!?レガールの白薔薇と呼ばれるほどの美女である母親にそっくりだと言われているこの私が、何故避けられる!
違いといえば、母は銀髪で、私は祖父に似た黒髪なだけで、顔の作りも、瞳の色も母似の私だというのに。
あと、母はやや垂れ目だが、私はどっちかというとツリ目だという、そんな些細な違いしかない。
腹の立つ事に、弟は銀髪で母に似た垂れ目だ。
「お嬢様。どうかくれぐれも笑顔を忘れずに」
「わかってるわよ」
私はしつこく注意してくる執事見習いの少年を睨んだ。
シャリエフ王国に来て四日。私は王宮で行われるパーティに行くことになった。
この国では5歳になった貴族の子供は皆王宮に招待されるのだという。
私も5歳になっていたので王宮のパーティによばれた。
父と私付きの執事見習いのイリヤと一緒に王宮へやってきた私は、父に手を繋がれて王宮へ入っていった。
イリヤは使用人なので馬車でお留守番だ。
口うるさいイリヤがいないだけホッとする。
いつのまに、あんなうるさい人間になったのだろうか。
イリヤは、長い間祖父の執事として勤めていた男が連れてきた子供だった。
町で働いていた彼の一人娘が、他国の貴族だという男の子供を生んで亡くなったという知らせを受けた彼が、葬式の後引き取ったのがイリヤだった。
たとえ、父親が誰だかわからなくても、イリヤは彼にとっては孫。
しかも、イリヤは母親にそっくりなので、彼はとても可愛がった。
頭のいい子なので、いずれはどこかの家で働けるようにと教育していたら私が生まれたのだ。
父は、年も近いし娘の世話をして欲しいと、イリヤを私付きの使用人にするよう祖父である彼に言った。
8歳になった今、イリヤは執事見習いとして働いている。
パーティが行われているホールの入り口で父と別れ、私は中に入った。
きらびやかなホールでは、私と同じくらいの子供たちが楽しそうに話をしたり、テーブルの上に並べられた料理やお菓子を摘んでいた。
へえ、立食パーティなんだ。
まあ、5歳の子供だけなら、それが一番無難だろう。
子供達の間で、王宮のメイドたちが忙しく彼らの世話をしていた。
さすが、貴族の令息令嬢、着ているものは上等で、特に令嬢たちのドレスは気合を入れたものだった。
子供がというより、大人の見栄か。
ま、私もちょっと気合を入れて 真っ赤なドレスにしたのだが。
それが悪かったのか、声をかけるどころか、近づくだけで彼女たちは逃げてしまう。
おい、なんでだ?
そんなに私は怖いのか?私は魔女でも化け物でもないぞ。
イリヤは笑顔が大事だと言ったが、絶対に嘘だ。
私がニッコリ笑うとみんな引きつったように顔を背けるじゃないか。
チッ、と小さく舌打ちした私は、ホールの中で一番賑やかな方を見た。
色とりどりの華やかなドレスを着た少女(幼女?)たちが、一人の男の子のまわりを取り囲んできゃあきゃあ騒いでいる。
へえ、モテモテだね、あの子。
いったい誰なのか近くにいたメイドに尋ねると、この国の第二王子だと教えてくれた。
第二王子──
まあまあ可愛い顔してるし、王族なら女の子に囲まれるのも当然か。
それにしても───なんだ、あの得意そうな顔は!さも、令嬢方に騒がれるのは当然みたいな。ハーレムの王さま気取りか。
いっぺんに関心を失った私は、またお菓子でも摘もうかと顔を向けた先に赤い色を見つけた。
よく見ると、それは私と同じくらいの女の子の髪の色だった。
淡いピンクのドレスを着た女の子は、入り口に近い壁際で一人ポツンと立っていた。
赤い髪を編み込んでアップにした可愛らしい女の子は、さっきまで見なかったから遅れて来たのだろう。
にしても、赤い髪。
私は彼女の赤い髪に引かれるように歩み寄り、声をかけた。
「あなた、赤い髪なのね」
え?と青い瞳を向けてきた赤髪の女の子は、子供の自分が見ても綺麗な顔立ちをしていた。
幼いのでまだ可愛らしい感じだが、将来は目を引く美女になるに違いない。
うわ、ほんとに可愛いわあ。
実際、パーティに参加している令嬢たちの中で一番可愛いんじゃないだろうか。
「私はレベッカ・オトゥール。レガールから来たの。お父様は侯爵よ」
「レガールって、隣国の?」
「そうよ。お父様についてこの国に来たの」
「私はアリステア・エヴァンス。父は伯爵なの」
やったわ!
馬車に戻った私は勝利の美酒に酔いしれた。
勿論、お酒は飲んでいない。国を出る時、くそ生意気な弟に友達を作れと言われた私は、絶対に友達を作って自慢してやるんだと心に決めていた。
だが、いざパーティに出てみたら、レガールの時と同じで、みんな私を避ける。
ほんと何でだ?私は何もしてないのに。
父は私は将来傾国の美女になると言ってくれた。
自分でも美人だと思う。だから、声のトーンを落とし、ニッコリ微笑んで話しかけたというのに、何故駄目なんだ?
もう諦めかけた時、赤い髪を見つけた。
大好きな絵本の主人公エトと同じ赤い髪。
ちょっと濃さが足りないが、それでも惹かれて話しかけたら、ちゃんと答えてくれた。
「嬉しそうですね、お嬢様」
「当たり前じゃない!友達ができたのよ!」
戻りの馬車には私とイリヤの二人だけだった。父は仕事で今夜は王宮泊まりだ。
早く父に私の友達のことを話したい。
「ほんとに友達になったのですか?」
「なによ!強制したとでも言いたいわけ!」
「いえ、そうは言いませんが、勘違いということも」
「失礼ね!セレーネは話しかけても怖がらなかったし、逃げなかったわよ。一緒にお菓子も食べたしお喋りもしたんだから」
「セレーネ嬢ですか、よほど肝のすわった方だったんですね。良かったですね、お嬢様」
「棘のある言い方ね。少しは喜んでくれてもいいじゃない」
「喜んでますよ、勿論。これまで、どれほどお嬢様がご苦労されたか、身近にいた私はよく知っていますので。きっと旦那様も安心なさいます」
む〜んと口を尖らせた私に、イリヤは微笑んだ。
私と違って、イリヤが微笑むとつい心が和んでしまう。
「で、どんな方なんです?セレーネ嬢は」
私は待ってましたとばかりに、パァーッと顔を輝かせ話し出した。
「セレーネはね、伯爵令嬢で、赤い髪をしてるの。瞳は青くて、とっても綺麗な子なのよ」
それから延々と、仮宿にしている館に着くまで、私は初めての友達であるセレーネのことを話しまくった。普通なら途中でうんざりするだろう私の、ほぼ惚気と化している話をイリヤは最後まできっちり聞いてくれた。
こういう所は気に入っている。
これからひと月、セレーネとどう遊ぼうかとウキウキしていた私だが、父親に突然帰国すると言われ絶望した。
しかも、その理由が私の婚約。
何故だあぁぁぁ!私はまだ5歳なのに!
普通貴族同士の婚約なら、まだ幼いからと時間を縛られることはないが、相手が王族となるとそうはいかない。
そう、私の婚約の相手は王族、それも王太子だった。
帰国し、父に連れられて王宮で会うことになった婚約者は、私と同い年の王太子。
レッドブラウンの髪の可愛らしい男の子だった。
初めての顔合わせは最悪。私が完璧な淑女の挨拶をしたのに、あろうことか王太子は怯えて泣き出したのだ。
なんだ、それは!
貴様ぁぁぁ、将来は国王だろうが!5歳の女の子に怯えて泣きだすなど言語道断!
真っ青になる国王と、あらあら、と笑い出す王妃。
この差は、将来の婚約者と私の姿だというのか。泣くぞ、私は。
帰宅のため馬車に乗っていた私は隣に座る父に向けて言った。
「ねえ、お父様。私、うまくやれる自信ないわ。今からでも婚約解消、できないかしら」
「馬鹿を言うんじゃない。できるわけなかろう」
「じゃあ、これからも、私の婚約者は私の顔を見るたびに泣くの?」
父はため息をついた。
「王太子はまだ幼い。そのうち成長して慣れる」
ひどい言われ方だ。それでも父親か。
向かい合うように座っていたイリヤは口元を押さえて震えていた。
私はムッとして、声を出して大笑いしたいだろうに、我慢しているイリヤの足を思いっきり踏みつけてやった。
それからの私は、僅か5歳だというのに王妃教育のため自由がなくなった。
本当は、7歳になってからでも良かったのだが、十四になったら留学するつもりだったので早めてもらったのだ。
もう私にはセレーネと再会し、同じ学園に通うことだけが唯一の希望だった。
その前に一年だけレガールの貴族学院に通わなくてはならなかったが。
レガールでは、貴族の子として生まれた者は、ほぼ例外なく貴族学院に四年間通わなくてはならない。
それは王族も例外にはならず、13歳になったら学院に入らなければならなかった。
つまり、私の婚約者である王太子グレイソン殿下も通うことになる。
5歳の時の初顔合わせ以降、私と殿下は年に数回会っていた。
社交界デビューの時はちゃんとエスコートもしてくれたし、最初のダンスも踊ってくれた。
まあ、確かに父が言った通り、成長するに従って怯えなくなってきたが、やはりどこかよそよそしかった。
まあ、どうせ政略結婚だ。愛だ恋だなんて私と殿下には関係ない。
あくまで、国を守っていくためのパートナーであればいいのだ。
学院に入学しても相変わらず令嬢方には避けられた。
話しかけてくる者もいたが、なんだか無理に付き合おうとしているのがミエミエで、友達にする気には到底なれなかった。
無視していると、自然にそういう連中は離れていった。
相変わらず私は日々忙しかった。
学院での勉強が終われば、王妃教育のために王宮へと向かう。
5歳の時から始めたが、いよいよ終わりだ。
来年から私は隣国シャリエフ王国の学園に通う。
セレーネと三年間一緒だ。
セレーネとは手紙のやり取りはしていたが、5歳の時以来全く会えなかった。
それもこれも、王太子の婚約者になんかなったせいだ。
なんで私だったのだろう。他にも候補はいただろうに。
父に聞いたら、王様に強く望まれ断れなかったらしい。
しかも、王妃も乗り気だったという。特に初顔合わせの日の出来事が大いに気に入ったそうだ。何故だ?気合いを入れた挨拶で王太子を泣かせたというのに。
全く理解できない。
で、弟は言う。
大丈夫。王太子と姉さんは絶対上手くいかないから、と。
どういうことだ。ほんとに、うちの弟はおかしなことを言う。
だが、変人の戯言だと言い切れないのは、これまで弟の言ったことが現実になったこともあるからだ。信じていいのか悪いのか、全くタチが悪い。
その兆しは、入学してまもなく現れた。
共に学院に入ったというのに、婚約者である王太子は全く私には関心がない。
声をかけるどころか、近づきもしない。
そうしてるうちに気がついた。婚約者のグレイソン殿下が、常に一人の少女のそばにいることに。
ピンクブロンドの髪に水色の瞳の愛らしい顔立ちの少女。
クラスが違うので気づかなかったが、同じクラスの令嬢たちが騒ぎ始めて気がついた。
私がグレイソン殿下の婚約者だということは、貴族なら誰でも知っていることだろう。
グレイソン殿下だけのことなら、多分この私が気づくほど騒いだりはしないと思う。
私とグレイソン殿下との婚約が政略的なものだということは誰でも知っていることだ。
が、他にも関わっている者がいれば話は違ったのだろう。
学院に入る頃には、もう貴族の令嬢たちには婚約者が決まっている。
それは令息たちも同様で、私と殿下のように同時期に学院に通っている者も少なくない。
で、その婚約者が別の令嬢に夢中になっているとなれば騒ぎにもなる。
私は、学院のカフェテラスでその噂の令嬢と彼女を囲む令息方が楽しそうにお茶を飲んでいるのを見かけた。
彼らの噂は既に学院中に広まっていた。
まあ、あれだけ堂々とやっていれば当たり前か。
逆ハーレム状態の令嬢は、リリア・マルケス男爵令嬢。
可愛いし、男が構いたいと思うのも仕方ないとは思うが、婚約者がいるのにあの男どもはいったいどういうつもりなんだか。
うわ、あのお子ちゃま殿下がデレデレになってるな。
もしかして、弟のルカスが言っていた、うまくいかないというのはこの事か?
‥‥‥‥‥‥‥
ま、いいか。四年間あんなの見せられてはたまらないが、どうせ私は来年には留学する。
勝手にやっていればいい。
───そう思っていたのだが、どうやらこの状況は悪い方向に向かうらしい。
ルカスが、姉さんは悪役令嬢だからなあ、と言う。
その悪役令嬢とは一体全体、何なのだ?
いい意味でないのはわかる。なんたって〝悪役〟という言葉がつく。
物語で言うところの、悪女、魔女とかそういう類か。
大丈夫、俺に任せて、と弟は自信満々に自分の胸を叩いた。
何年も計画を練ってきたから心配ない、と。
そのために、姉さんにはマイラをつけたんだからとルカスは言った。
は?マイラが何?
マイラというのは、私が社交界デビューした頃に雇われたメイドだ。
ルカスが父に頼んで自分の専属メイドにしたマイラは、見た目は地味だが、とにかく何でもこなせる万能メイドだった。
そのマイラが、もしかしなくても、ルカスの言う計画の一端を担っていると言うのか?
姉さんは気にしないでシャリエフで楽しんできたらいいよ、と変人の弟は言った。
セレーネ嬢が待っているんでしょ、と。
当然だ。どれだけ楽しみにしていたと思う。
初めての友達。私を見ても怯えず、引かず、笑顔を見せてくれた大切な友!
誰にも邪魔はさせない!
ようやくアリステアのいる国の名前が出せました。