王立学園に入学しました。
祝 令和
王立学園は王宮を間近に見られる小高い丘の上に建っていた。
眼下には王都の街並みが、視線を上げれば白壁の荘厳な作りの神殿と並び建つ王宮が見える。
私が王宮に入ったのは5歳の時が初めてで、それ以降社交界デビューした後も王宮とは縁がない。
もっとも、セレスティーネの記憶が戻った私にとって、王宮は鬼門のようなものだ。
それは、ここ王立学園も同様だが。
なにしろ、ここはセレスティーネだった時の思い出があり過ぎるから。
「お嬢様?大丈夫ですか?」
学園内にある女子寮の部屋に入って、持ち込んだ荷物を整理していたミリアが、心配そうに私を見た。
どうやらカバンから荷物を出しながら、ぼう〜っとしていたようだ。
「大丈夫よ。またオスカーのことを思い出しちゃって。あの子、泣いてないかしら」
ミリアは、ああ、と苦笑を浮かべた。
オスカーというのは、母マリーウェザーが生んだ私が初めて得た弟だ。
芹那の時は一人っ子だったし、セレスティーネの時は兄弟は兄一人だった。
アリステアとなって、初めて私に弟ができたのだ。
たとえ、血が繋がっていなくても、現在私の母親であるマリーウェザーの子だから、私にとって間違いなく弟だった。
オスカーは髪色は母親に似た柔らかな薄茶色だが、瞳の色は灰色で、顔立ちは父親似だということだった。
マリーウェザーの前の夫は、女性的な顔立ちだったそうで、父親に似たオスカーは男の子だが女の子のように可愛らしい赤ん坊だった。
将来女性にモテまくるのは決定だと私は思った。
例に漏れず、私もオスカーにはメロメロになった。
特に、どんなに泣いていても、私が抱っこすると泣き止んで天使の笑顔を見せてくれるのだから、メロメロにならないわけがない。
オスカーは可愛い!この世界で一番可愛い私の天使だ!
そんなわけで、私もオスカーも、別れの日は辛かった。
私が出て行くのがわかったのだろう、マリーウェザーに抱かれたオスカーが私の方に小さな手を伸ばし、あーたん、あーたんと泣くのを見せられてはたまらなくなる。
心臓鷲掴み、後ろ髪を引かれるとはこのことだ。
ちなみに、1歳になって言葉を少し喋るようになったオスカーは、母が私のことをアリスちゃんと呼ぶのを覚えて、あーたんと呼ぶようになった。
舌ったらずの可愛い声で呼ばれては、どんな冷酷な人間でも勝てるわけはない。
父であるエヴァンス伯も、オスカーを可愛がっていた。
だが、赤ん坊を見ても無表情なので、いつもオスカーに泣かれている。
今更気づいたが、父の表情筋は鋼鉄製のようだ。
オスカーに泣かれて困惑してるだろうに、その顔はピクリとも動いていないのを見て、私はさらに父親の見方を変えた。
そうか、こういう人だったのか、と。
母マリーウェザーが、父を締めると言った通り長い話し合いをしたようで、その後、短い時間だが、父と言葉を交わすことが増えた。
相変わらず、かたい表情で私を見るが、なんとなくこういう性格なんだとわかって気にならなくなった。
朝早くに寮に入ったが、まさに引っ越し荷物というくらい色々持たされたので、荷物の整理には相当時間がかかりそうだった。
気づけばもう昼近くなっていた。
「もう、こんな時間。お腹空いたわね。ミリア、お昼をもらってきてくれない?」
「はい、お嬢様」
新入生は入学式を終えるまでは食堂が使えないので、食堂から食事を運び部屋で食べることになる。
入学式は明日の午後からなので、夕食は食堂で食べることができる。
まあ、まだ学園に慣れない者のために、しばらくは部屋で食べることもできるが。
「ミリアも一緒に食べましょう。ちゃんと自分の分も持ってきてね」
学生が面倒をみさせるために自宅から連れてきた使用人には、使用人用の食堂があってそこで食べることになっている。
しかし、それも、学生が慣れるまではという条件で共に食事をとっても良いことになっていた。
とはいえ、大抵は使用人が主人の食事の世話を終えてから、使用人用の食堂で食事を取るというのが普通らしかったが。
ミリアと私は、子供の頃からずっと一緒にいた仲なので、共に食事をするということに違和感などなかった。
ミリアがワゴンに2人分の食事をのせて戻ってくると、私とミリアはテーブルに向かい合わせになって昼食をとった。
寮での基本料理は主人用と使用人用の区別はない。
それぞれの食堂でとるようになると、メニューが変わってくるが。
当然、貴族令息令嬢用の料理は種類も多く豪華になる。
「懐かしいわ、この味。料理人は変わっているだろうに、味は同じなのね」
「そういえば、お嬢様は前世でもこの学園に通われていたんですね。だったら、迷うことはないので安心ですね」
「そうね。でも、前は公爵家だったから棟が違ったのだけれど。まあ、間取りは似たようなものかしら。違うのは個人に与えられる部屋数ね」
「部屋数ですか?」
「公爵家の子息令嬢は、使用人を多く連れてくる者も多いので、たとえば個人で雇う護衛とかね。公爵家は狙われやすいから。なので、使用人の部屋も入れて5部屋は用意されているの。本人も二間続きの部屋になってるわ。今の私は伯爵家だから私の部屋とミリアの部屋の二部屋ね」
「そういうことになってるんですね。勉強になります。あ、では留学されてくるレベッカ様はどちらになるんですか?」
「レヴィは侯爵家だから、公爵家と同じ棟になるんじゃないかしら」
「そうなんですね。ご一緒かと思っていたのに残念ですね」
「でも授業や食事の時は一緒よ。9年振りだからレヴィとお喋りするのが楽しみだわ」
「レベッカ様はもう寮に入られているんでしょうか」
「まだじゃないかしら。手紙で、国を出るのが遅くなるから着くのは明日の明け方になるとあったから」
「ええーっ。じゃあ、着いてすぐに入学式に出られるんですか?大変ですね。お疲れでしょうに」
そうね、と私はミリアに答えたが、なんとなく彼女なら平気なんじゃないかと思った。
レヴィとは、5歳の時にたったの二回しか会ってないから、ただの主観であるが。
◇ ◇ ◇
入学式は学園のホールで行われた。
この年の新入生は60人ほどらしい。
下は男爵、上は今年は第二王子が入学したので王族が一番高い身分だろう。
貴族の令嬢がキョロキョロするのはみっともないのでやらなかったが、パッと見、レベッカの黒髪は見当たらなかった。
新入生の中に黒髪の令嬢はそれほど多くはないが少なくもない。
だが、レベッカの黒髪は特別だ。
純粋な漆黒というのだろうか、艶があってまっすぐで、とにかく美しいのだ。
一目でわかるほどに。
婚約者のサリオンの姿はすぐにわかった。
跳ねたようなブラウンの癖毛は後ろから見るとよくわかる。
私の斜め前に座っているので私には気づいていないようだ。
サリオンとは、半年ほど前にトワイライト侯爵家で行われたパーティーに招待されて以来だ。
騎士になることを目指しているサリオンは、一年前から騎士団の訓練場に入り浸っているらしい。剣の腕も上がっているようだ。
最近とみに身長が伸び、身体つきも細いなりに筋肉がしっかり付いてきて、ちょっと見直した。もう来年には弟のような、とは言えなくなるかもしれない。
とはいえ、まだ、異性として好きという気持ちにはなっていないが。
将来どうなるかはわからない。
だが、無事に学園生活を終えれば、私はサリオンと結婚し、トワイライト家の人間となる。
それはきっと、私にとってこの上なく幸せなことに違いない。
しかし、この三年の間に何か問題が起きれば、私はトワイライト家の一員になることはない。願うことなら、前世と同じ最後にだけはなりたくなかった。
───大丈夫。今生は、そうならないために私だけではなく、お母様もミリアもキリアも動いてくれる。
もし、私が悪役令嬢として断罪されることがあっても、最悪、国外追放ですんでくれれば、私は新たな幸せを見つけることができるかもしれないのだ。
式が終わり、私はサリオンに挨拶をしようと席を立ったが、いつのまにか彼の姿はホールから消えていた。
あれ?いつ出て行ったのだろう?
私が席を立って行こうとするまでにホールから出て行ったのか?
私が入学式に出ることを知っているのだから、ちょっとでも探してくれていたらと思ってしまった。
式が終わって速攻で出て行かなくてはならない用事でもあったのか。
結局、レベッカの姿も見つけることができずに私は寮に戻った。
「あら、終わったのね」
部屋に戻ると、意外な人物が優雅な仕草で紅茶を飲んでいた。
漆黒の髪にダークグリーンの瞳の美しい少女が、私に向けてニッコリと微笑んだ。
「え?まさか、レヴィなの?」
「そうよ、セレーネ」
レベッカは立ち上がって私の方へ歩み寄ると、両手を伸ばして私に抱きついてきた。
「レヴィ!どうしてここに!?」
「式に出る前に酷い目にあってね。せっかくのドレスは汚れちゃうし、気分も悪いから出席しなかったの。それなら、セレーネが戻ってくるまでここで待たせてもらおうと思って来たのよ」
「酷い目って?いったい何が?」
「その話は後でね。会いたかったわ、セレーネ!ほんとに髪が金色になったのね!信じられないくらい綺麗よ!」
レベッカは、ギュッとまた私を抱きしめた。
「レヴィの髪だって凄く綺麗だわ。こんなに綺麗な黒髪なんて私、今まで見たことないわ」
ウフフ、と私たちは、互いの髪を褒め合いながら、9年振りに会う友人と笑い合った。
本当にレベッカは美しくなった。まるで本物の女神さまのようだ。
「お嬢様。お茶をいれましたので、どうぞお座りください」
ミリアがそう言って、私を席に促した。
レベッカも席につくと、初めて見るメイドが彼女のカップに紅茶を注ぎ入れた。
「私についてきてくれたメイドのマイラよ」
「マイラです。お会いできて光栄です」
「アリステア・エヴァンスです。アリステアと呼んで下さい」
「わかりました、アリステア様」
「このお菓子は国から持ってきたの。木苺ジャムを練りこんだクッキーよ」
私は器に入ったクッキーを一つ摘んで口に入れた。
「美味しいわ」
「良かった。他にチョコのスコーンもあるの。たくさん食べてね」
「ありがとう、レヴィ」
私とレベッカはしばらくお菓子を摘み、紅茶を味わいながら、9年間、互いにあったことを話した。
私は特に、弟が生まれ、とても可愛いのだとレベッカに話した。
「いいわね、可愛い弟‥‥私のところは姉が二人と弟がいるわ。姉二人はもう嫁いでいるけどね。前妻の子だから年が離れているの」
「え?前妻って‥‥じゃ、レヴィって」
「私と弟は後妻の子。といっても、母は前妻の妹だから、姉二人とは従姉妹同士でもあるわけ。母の姉は16年前に流行り病で亡くなったそうよ」
「そうだったの。私とは逆なのね」
私は父の前妻の子だ。
しかし、後妻となったマリーウェザーが生んだ弟とは血が繋がっていない。
「ところで、レヴィ。いったい何があったの?」
「ほんと、馬鹿みたいなことよ。庭を 眺めていたらホールのある方向がわからなくなってしまって。一度戻ろうと思った時に赤い髪が目に付いたの」
「赤い髪?」
「5歳の時のセレーネより濃い赤だったわ。そう、あの〝エト〟のような」
「ああ、思い出したわ。レヴィが好きなお話のキャラね」
「そうよ。だから、つい声をかけてしまったの。ホールの場所もわかればとも思ったし。そうしたらその子、私を見た途端怯えちゃって、なんでいるんだみたいなことを言われて、いきなりこの私を突き飛ばしたのよ」
「突き飛ばした!」
「壁に向けてね。だから転倒はしなかったけれど、ドレスが汚れてしまったの。ほんと、酷い目にあったわ。なんなの、あの子」
「どんな子だったの?」
「顔はまあ可愛い方かしら。ふんわりした感じの赤い髪が背の半ばまであって、目の色は青くて、ほっそりしてるわりに胸が大きい子だったわ」
「レヴィって、よく見てるのね」
ほんの通りすがりみたいだったのに、よく記憶しているレベッカに私は感心した。
「こんなことは基本中の基本よ。一度会った人間の顔と名前は忘れないわ。そういう教育も受けたしね」
「そうなの?凄いわレヴィ」
「ふふ。そんなに褒めてもらえるようなことじゃないけど、嬉しいわ。ありがとう」
この日、私とレベッカは食堂には行かず、私の部屋で一緒に夕食を食べた。
話題は尽きることなく、私たちは楽しい夜を過ごした。
翌朝、教室のある棟へ向かうと、廊下の掲示板にクラスの名前が張り出してあった。
新入生は三クラス。やはり婚約者同士同じクラスにはならないのか、サリオンとはクラスが違った。
だが、レベッカとは同じクラスだったのは嬉しい。
「レベッカ?」
一緒に掲示板を見ていたレベッカだが、ふと見ると、視線が右側、廊下の向こうに向いているので、いったい何があるのかと私もそちらに顔を向けた。
まず目に入ったのは赤い髪だった。
燃えるような赤い髪というのか、子供の頃の私の赤毛とは違い鮮やかな赤色だった。
昨日、レベッカを突き飛ばした赤髪の子というのは彼女なのだろうか。
誰かと話をしてるようだ。
茶色い癖毛が見えた時、私はハッとして息を詰めた。
「あれよ。あの赤髪。公然と男と喋ってるなんて、相手は婚約者か何かかしら」
貴族の令嬢が、男性とあんなに接近して喋るのは、身内か婚約者相手くらいしかない。
「婚約者よ」
私の、と言うと、レベッカのダークグリーンの瞳が大きく見開かれ、それがきつく吊り上がっていった。