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囚われのブルーファンタジー  作者: 麻天無
囚われのブルーファンタジー1巻
4/7

囚われのブルーファンタジー1 CROSS BLUE 4-エンディング

どんなことがあっても自分の願いを達成したい、と告げるティーラ。

心が揺れている訳では無いことはわかるが、一行はひとまず神殿へもう一度行くことになる。

これ以上の犠牲も、悲劇も見たくないと、誰もが思う中、素知らぬ顔でさらに運命の歯車はもう止まることは無く加速する。

そして2人は・・・

     CROSS BLUE 1-4  何が犠牲でなにが自然か sacrifice  


 窓のない小さな部屋の小さなベッドで、おとぎ話のお姫様のように死んだように眠るティーラを、ディートは充血した瞳でずっと見つめていた。

 小さい頃に本で見たおとぎ話では、口づけをすると目覚めたり、呪いが解けたりして、万事解決、ハッピーエンドになるという陳腐で素敵な話だった。

 違う、な。

 ディートは心の中で自分を嘲った。

 自分がやったことは、【黙らせた】だけだ。問題を持ち越して逃げただけだ。もっと話を聞いてやるべきだったのかもしれない。話にならないとしてもずっと、ずっと、彼女の本音を逃げずに聞くべきだったんじゃないか?

 だが、他の者は違った。特にウィルワームは、よく収めてくれたと言った。誰もが逃げ出したくなる風景の中で、自制心のなくなったティーラは邪魔だったのだ。そして、その言葉道理に一瞬で出来た廃墟から、逃げたのだ。

 あれから二日経っていた。此処は、裏路地の小さな酒場の奥の部屋、一度ダルグと話をしに入った場所だ。

 眠れず悩まされるディートの脇目で、ベルとワームは回復のための軽い休息を取っていた。ダルグは一日ほど出かけて今は帰ってきている。腕の呪いもどうにかして治したようだ。

街は混乱状態だった。

 建物が一瞬のうちで残骸になったと言うことで【怪奇現象?】やら、【デスターの実験中事故?】とやら、あることないこと予測と噂が駆け巡っている。

 事故で死人は数十人におよんだ。この数はデディケイターを含まない。今朝から立ち入り禁止が溶け、遺体の発掘が始まったという。

 前の戦闘でマイルと名乗る奴が、「ティーラに関わったもの全てを抹殺する」と言っていた。ディートたちもおそらく、デスターのダルグだって今は命をねらわれているに違いない。あれだけに躊躇いもなく無関係なモノも巻き込んで人を殺せるんだ、刃向かうものも邪魔な者も容赦しないだろう。

 機械人形、マイル、デディケイターなどのデスター上層部が、ティーラを狙っている。おそらくその理由は、ティーラには恐ろしいほど膨大なエネルギーが備わっているからかもしれない。皮肉にも今それが解った。

 確かに利用価値はあるだろう。あんなに驚異だったデディケイター達を沈黙させた力。 それを手に入れれば、使い方次第で世界が手にはいるかもしれない。

 ディートはその瞬間を思い出し背筋を凍らせた。彼女の力になんかじゃない。彼女の心の苦しみに、だ。あの血の涙と、壊れたように繰り返すあの呟きを止めたくて、それを思い出す方が、あの驚異的な力なんかよりも何倍も戦慄した。

 簡素なベットの上で死んだように眠る少女を、ディートはずっと眺めている。

 あまりにも動かないのでディートは不安になり、何度も呼吸を確認する。本当に小さな小さな呼吸。脈も小さすぎてわかりにくく、本当に生命活動をしているのか疑いたくなる。

 もう何度目だろう、彼女の頬を撫でるのは。

 初めて会った日も、名前も呼べない眠った彼女の顔を見ていた。触ってはなるものかと思っていたこの間の気持ちがすでに懐かしい。

 触れていて伝わる僅かな暖かさがディートをほっとさせる。

  ティーラ。

 心の中で呼びかける。

 傷も血も洗い流し、ウィルワームが治癒魔法もかけた。だけど、身体にはいくつも包帯が巻かれて、時が止まったような癒えない傷跡がたくさんあった。

 その傷は普通の治癒魔法では消せなかった。ダルグは、特殊な力で付けられた傷は治癒魔法では治せない様になっている、といった。

 ウィルワームは治せる力を持つ者もいる・・・と、ディートの顔を見ていった。

 ダルグもあの時、『君の中の力は、元々どんな力より勝る素質の力だ。その力を使いこの枷を壊すんだ。』そう言った。

 それが、何故自分なのか、本当に出来るのか、その時は咄嗟で考えられなかったけど、今は冷静に見つめられるだろう。

 俺の中の力・・・母さんから受け継いだ・・・この力・・・・。

 それは誇りに思う、けど。だったらなぜ何の役にも立っていない!?

 助けると、止めてあげると決心したのに、何も出来なかった。デディケイターを倒すことも、枷の輪を壊すことも、そして今、彼女の傷を癒すことさえ出来ないでいる。唯一出来たことは、眠らすことでの逃避、嘘、誤魔化し。

 なんて自分は愚かなんだろう。なんて無力なんだろう。それを思い知らされた。一般の傭兵や稼ぎ屋から見れば自分は、精霊を携え、特殊な剣を持ち、腕もそこそこ有り、まず負けはしないと思っていた節があった。

 そうかもしれないが、そこらの奴と戦ってる訳じゃない。自分の敵はそんな奴じゃなかった。ダルグと話し、新たな目的を持ってティーラに会いに来たはずなのに、圧倒的な力の前に破れた。


 これから、どうしたらいいんだろう。他の皆は何を考えている?


 ウィルワームは側で自分と同じようにティーラを見つめている。ベルは壁に待たれて座り込んで俯いている。ダルグは不作法にも机の上に座って腕を組んでいる。

 誰も何も喋らない。みんな何かを考えている。口に出さず、静かに心の深くで。

 強い気持ちと、無力な自分の狭間で、答えが出たようで次の瞬間には揺らぐ。そんなことを彼女を見ながら何時間も考えている。きっと目覚めるまでディートの思考は止まらない。

「・・・・。」

 それぞれがそれぞれの思考にふけっている頃、ティーラがゆっくりと目を開けた。ウィルワームがすぐさま近づく。

 彼女はぎこちなく上半身をおこし、部屋の隅々をぼうっと見渡した。自分のベットによってきたベル、ダルグ、ウィルワーム。そして目の前のディートで視線を止めた。

「ディート・・・。」

 儚く名前を呼ぶ。自分の中で特別な響きを持つ名前。何故だろう。何故こんなにこの人に執着する自分が居るのだろう。それを知りたい気持ちもある。ティーラの中にも様々な感情が溢れている。目の前の彼を見つめていると止まった時間が動き出し、閉ざしていた感情があふれ出すようだ。

 晴天の空の瞳は熱っぽく揺れていた。ディートの海の色と交わる。熱がこみ上げてきて、急に触れたくなって、変わりに自分の肩をぎゅっと抱いた。

 求めてる。溢れてる。もう此処まで声が出そうなの!

 だけど、だめっ!

 ティーラは顔を背け目を伏せて、微かに震える声で言った。

「ディート・・・最後の、おねがい。岬の神殿へ連れてってくれる?」

 決めたの。消えるって。もうこれ以上罪を重ねないうちに。

 もう一度ディートを見つめた時は凍ったアイスブルーの目をしてた。

 ティーラの決心の声が、ディートに聞こえた気がする。

「願いを叶えに行くのか?」

「うん。」

「自分を殺すために・・・?」

「・・・・。」

 知られたくなかった。だって・・・こんな願い。ほんとは・・・きっと・・・。

「それで、ぜんぶ、助かるの。」

「助かるもんか!」

 その叫びはダルグのものだった。椅子をガタンッ!と蹴り倒してもう一度怒鳴った。

「人一人殺すことの何が願いだ!!それで何を生み出すんだよ!」

「ダルグさん!」

 ベルが慌ててダルグを止める。だけどそれを押し切ってティーラのベットに詰め寄る。怒った形相のダルグに少し怖がりながらも、ティーラの中の反抗心が勝った。

「あたしがいなければ誰も死ぬことはなかった!ダルグさんの大事な場所を壊すことはなかったのよっ!」

 カッとなった。胸ぐらを掴んだ。

「たしかにそうだよ!君がいなきゃ良かったんだ!」

 はっきりと言われ、頭が真っ白になる。ディートもダルグの発言に驚く。そんなこと口にすることじゃない!ディートが怒ろうと口を開く直後、ダルグはさらにティーラに掴みかかった。

「だけど君はいるじゃないか!存在してるんだ!それは消すことが出来ないだろ!」

「だから消えるの!これ以上何もないように!これ以上人を傷つける前に!」

「君が殺したんじゃないだろ!君が傷つけたくて傷つけたんじゃないじゃないか!」

「でもあたしがいなかったら、あんな事は起こらなかったでしょ!!」

 売り言葉に買い言葉で、息が上がり、感情の高まりで涙が流れる。

 息が切れるほど訴えても、彼女は自分が罪を被る。ダルグは酷く悲しくなる。涙が溢れる。何故伝わらないのか!?

「オレに君を恨ませてどうするんだ!?全部君の・・・貴女の所為にしてオレに貴女を殺させるつもりなのかっ!!??」

 力無くティーラから手を離し、頭を押さえ。それでも尚、訴える。

「昔からそんな選択ばかりして!!それで何を得られた!?」

「??むか、し??」

 昔、とはなんだ?

「ダルグさんが話してることは、きっと、あなたたちが、忘れてしまっている事よ」

 ベルの言葉にディートは首を傾げる。ダルグに責められるような思い出など、記憶のどこを探ったって無い。だけど、完全に自分の出来事ではない!とは断言できない。引っかかっているんだ、ずっと。彼女と出会って、なにか、頭の隅が、頭痛と共に、心の奥深くに訴えてくる。

 これはディートの予想だけれど・・・

「もう、やめてくれ。オレはそんな物語を見たいんじゃないんだ。そんなのだれも幸せにならない!」

 ダルグは願うように言う。訴える事しかできない。教え、導くことも、ずっと側にいることも出来ないから。

 その前に、『希望』の道の入り口くらいには立って欲しいんだ。『絶望』が進行する前に。おとぎ話に取り憑かれ、おとぎ話の中から出られない大好きな君たちを、助けたい!

 ティーラは黙したままだ。頭の芯がズキズキ傷む。解らないのに何故責められているのか、痛みの先は理解しているような。この痛みが邪魔でしかたがない。この痛みの向こうに、大切なものがあるの?

 たった今、解ることは、自分が悪い事。愚かだって事。

 でもいまさらどうやって曲げることが出来るって言うの? 

「ダルグ・・・ベル。2人が何を言ってるのかは俺、今はわからない。」

 ディートが静かに話し出した。

「だけど、それを一つずつ解決して行かなきゃならないんだろ?」

 ベルは小さく頷く。

「厳しいよな。なんも教えてくんねー。でもわかることはあるよ。ティーラ、あのさ。」

 ディートはティーラを正面から見据える。

「こうして、叱って、怒って、一緒にいてくれる人がいる。それって・・・うれしいことじゃないか?このまま、みんなとがんばっていけるかもって、そう思わないか?ティーラ。」

 消えたいなんて気持ち、見直してほしい。そうじゃないだろう?本当の願いはきっと。

 楽しくて嬉しいことは沢山ある。こんな風に心配してくれる人がいること。誰でもない自分のために、笑って、涙してくれる人。

 理解できないわけじゃないよな?この温かい気持ちのカタチ。

「一緒にいた数日間、心が全く動かなかったワケじゃ、ないだろう?」

 動かなかったとは言わせない。だって表情の中にフっと笑みが零れたこともあった。色んな表情を見せたその時の感情は、楽しさや充実ではなかったのか?

「ッ!」

 ティーラは言いかけて息を呑む。苦痛をかみ殺すように顔を歪ませて負けじとこういった。

「・・・でも・・・!・・・いまさらっ・・・・」

「ティーラ。少しでも、希望の言葉を聞かせて。違う道もあると思わないか?」

 ディートとベル、そしてダルグの瞳が祈るようにティーラに注目した。

「・・・・・。」

 ディートはティーラの言葉をじっと待つ。ティーラの青い目をじっと見つめる。冷たい氷のような瞳だ。時間が止まったかのような・・・そしてその唇から紡がれるのは・・・

「思わない。」

 絞り出したか細い声だ。だが確かに冷たく言い放った。

「あたしは消えるの。それ以外の事などもう・・・考えられ、ない。」

 なんて根深い呪いだろうか。

 ディートは落胆する。

 何を言っても・・・無駄なのか・・・?

 なにが彼女を・・・こうさせるのか?あの力?誰かの影?どれをなくせばいい!?

 此を全部俺がっ!

「ティーラ。貴女がその気なら、もうこれ以上のコミニケーションは必要ないわね。」

「ベルっ!!」

 ディートの思考を遮るようにベルが冷ややかな言葉で言った。

「どうせ消える人間に優しくしても、後でむなしいだけだから。」

 ベルが立ち上がり、吐き捨た。

 いい加減に呆れてくる。苛立ってもくる。ティーラの顔なんか見たくない。そんな死んだ顔なんか。

 此処に悲しい力があり、終わられない時間がある。

 長い時間絶望を味わい、果てに彼女は自分を、消して、と嘆く。

 わかってる。わかってるよ。自分が彼女の立場だったら、『死』を選ぶかも知れない。 そうかもしれない。だけど、だけど!

 今から助けようとしてるのに、自分たちがいるのに。

「どうして解ってくれないの!」

 ベルはティーラには背を向けて噛み締めて呟いた。涙が頬を伝った。

 彼女の本当の哀しみも絶望も計り知れないけれど、

 死を願う気持ちだけは、アタシの感情が許さない!

 此れが、叶う叶わないじゃ無いの!思わないで欲しいの!!

「大丈夫ですよ。」

 涼しいウィルワームの声が、強ばったベルの肩を叩き、にっこり微笑む。

「ティア。行ってみれば解ります。私たちが言ってることが正しいか、貴女の我が儘が通るか。岬の神殿へいけば、明らかになりますよ。」

「いわれなくても。行くわ。」

 ティーラは素っ気なく言って顔を背けた。

 優しく微笑んだウィルワームはティーラの心をお見通しだった。この中で一番長く一緒にいたのだ。沢山の会話をした。彼女は自分が間違っているのは解っている。正気ならちゃんと自分の愚かさを理解している。だから強い彼らの瞳を真っ直ぐ見つめられないのだ。

 でも、大きな狂気が許さない。押し寄せる恐怖の波がまともな判断をさせてはくれない。

 一人では其れと戦うすべを持たず、そんな願いを持ってしまった。否、持たせてしまったと言うべきだ。そして彼女の願いは叶わないことをウィルワームは痛いほど解っている。

「じゃあ行きましょう・・・。」

 ベルは涙を隠すように俯き、そして勢い良く髪をかき上げていつものベルの顔で言った。

「ここまで来たら見届けるわよ!今さら一人で行くなんていわないでよね!」

「オレッチも最後の最後まで口うるさく否定してあげる~」

「そんな・・・」

 ティーラは困惑した。どうして?

「いや・・・。いやよ・・・。ひとりで・・・」

「ティーラ。」

 ディートがティーラの言葉を遮った。

「俺、一緒に行くからな。」

「・・・・・」

 ティーラはうつむき、なにも言えなかった。

「では、私はこの辺で、」

 席を立とうとするウィルワームの襟首を、ベルはグワシっと掴む。

「おくりなさい」

「は?」

「どうせなら送りなさい!アンタの風で!」

「またですかっ!」

 ベルの提案に目を丸くするウィルワーム。

「もう歩きたくないもの!こき使うっていったでしょ!従いなさい!!」

「私だってこんな大勢はかなり力をつかうんですよ。・・・もう。どうしてこんなに我が儘に育ってしまったんでしょうね・・・。あなたも。ティアも。」

「うるさい!さっさといくわよ!!」

 荒々しいベルの罵声を片手間に流しながら、美しい魔法陣をウィルワームは描いていく。ん


 真っ白になった視界が、ゆっくりと明確になっていくと周りの景色をぼんやり映し始めた。

 ここは岬の神殿へ行くために通る森の入り口だった。

「迷いの結界と風移送魔法が干渉したりするとややこしいのでこんな所になりましたけど。」

 ウィルワームが森について解説した。神殿へ人を寄せ付けないために、この森に踏み込むと迷ってしまうように出来ている。だが、ディート達が迷わず森をぬけられたのは、迷いの結界の威力が一般的な人間にしか作用しないためだ。潜在能力が高いディート達には効果がなかったらしい。

「もう疲れてしまったのでお暇しますね。」

 ウィルワームがティーラに目を向けて、その右手をそっと取った。

「ティア。」

「む。」

 ティーラは少し警戒するが何よりディートが嫌な顔をした。それに構わず、ウィルワームはそっと手の甲に口づけをした。

「なにかあったら喚んでくださいね。微力ながら貴女の助けになりますよ」

「必要ない」

 素っ気なく言い放つティーラの顔を、ウィルワームはまじまじと見つめ、そのあとにっこりと笑って言った。

「大丈夫そうですね。わかりました。では御前を失礼いたします」

 モス・グリーンの着物の広い袖を翻し後ろを向いた。

「頼みます。」

 ディートは自分に言われたんだろうか?と思ったとたん、強い風が吹いたと思ったら彼は忽然と消えた。

「なんなのよアイツ!」

 ベルが明らかに怒って悪態をついた。

「敵じゃあないん、だよな?」

「知らない!」

 ディートの問いにベルはあまりにも無責任だったが、きっと敵ではないのだろう。二人は顔見知りのようだったし、ティーラも普通に接している。それに何より、必死で戦ってくれた。あの本気さは偽りようがない。

「あんな奴、気まぐれだから放っておいていいわ。さあ行くわよ。」

 ベルがディートを促した。ティーラもこくりと頷く。

「またお礼言わなきゃ、だな。」

 風が去った方に背を向けて、一行は歩き出した。もう目前にある目的地へ。


 果てしない欲望

 だけど何を欲しているのかわからない

 只ほしくて ほしくて

 たりなくて たりなくて

 頭も身体も悲鳴をあげる

 それを鎮めたい どうやったら満たされる?

「どうやら来たみたいだな。」

 隣で声がした

 意味が解らない 異国の言葉を聞き流しているようだ

 数時間前はまだ言葉を理解できていた

 そんな気がしたが

 時間?いつから?時間とはなにか?

「お前の“獲物”だ・・・」

 また声がしたがわからない。理解できるはずなのに・・・いやできなかったか?どっちだったか?いまなにをかんがえているんだ?かんがえるとはなんだ?あたまがいたい?いたい??

もうわからない

   だけど“獲物”という響きに突き動かされた気がした。


 森をぬけてまばらな木々の間から岸壁が見える。その向こうは果てしない海だ。

 昔、竜が降り立ったという伝説がある神殿。願いが叶うかも知れないと言うのは、人の創りし幻想かもしれない。実際そんな事例は聞いたことがない。

 だが、人あらざる彼女は一つの願いを持ちそこを訪れようとしている。


 犠牲と共に。


「辺境司令官ダルグ・・・いや・・・今は反逆者か・・・。」

 呼び止める声は後ろから聞こえた。最後尾を歩いていたダルグは、予想通りとばかりに振り向いた。

「機械人工生命体マイルか。」

 ダルグが声の方へ首を向けると、人影が現れた。

「!!」

 ベルやディートも警戒しティーラを守るように間に入った。ダルグは茶化すようにそいつに言った。

「今度はどんな任務かな?」

 真っ黒いフードの下に、機械と生身のつぎはぎの身体をちらつかせ、醜い顔を狂ったように微笑ませながら、ダルグに語りかける。

「ティアルトーラを捕獲しているにもかかわらず、本部には渡さずその上、辺境本部を破壊。職員等約100人の命を殺害。すべて辺境司令官である貴様の責任になった。反逆の罪でお前を殺す。良い任務だろう?」

「そう来ると思ったよ。」

 ダルグは呆れ苦笑する。

「ちがう!あれはあたしがっ・・・」

「どっちでもいいのさ。」

 ティーラの抗議をダルグが止め、そのままマイルに問いかける。

「そうだろう?殺人機さん?」

「ティアルトーラ以外はすべて殺してもいいと許可が下りたからな。思う存分お前等を斬り殺せる。」

 にやりと笑い懐から剣を出すマイルに、ダルグは眉根を動かし睨んだ。

 平らな鞭のような剣の名は、ナノブレイカーという。小さな菱形状の刃が剣の形に並んでいて密度を高めると、しなやかな鞭から硬質な長剣になる性質をもつ。この剣を扱うためには膨大な訓練が必要になるが、マイルはマニュアルを記憶にインプットしただけでどんな難しいことも出来るようになる。機械生命のそんな性質を知っているダルグは腹立たしくなる。人を殺すための兵器。これほどの高度な技術が、何故、人を救うために使われないのか。

「偉大な我が王は、寛大にもこうおっしゃった。ティアルトーラを大人しく渡し、再度忠誠を誓えば命を見逃してやってもいいと。」

 高らかに宣言するマイルの言葉に、皆は更に腹立った。

「その生贄を手放してしまえ。ダルグよ。」

 ダルグはティーラの腕をギュッと掴む。

「この子は・・・。」

 ダルグはティーラの細い手を掴んだが、もう怯えた瞳はではなかった。心配そうに見上げた彼女の瞳の奥に愛する人の面影が重なった。

 ディートを見た。同じく心配顔でダルグを見返している。蒼い大洋の瞳の中に自分自身が映って見えた。

「この子はもう二度と闇の中へかえしはしないさ!!」

 ダルグは不適に笑いながらマイルにそう言ってやった。

「だったらお前を消すまでだ!ダルグ!」

「別に消えたっていいさ・・・彼女を守るのはオレじゃないからな!」

 そういってティーラをディートへ荒々しく突き飛ばす。

「ディート。守れよ。もう何も失うな!あの瞳を見せてくれ!」

「ダルグっ!ちょ!」

 ちゃんとティーラを抱きとめたディートを見てから、ダルグはマイルの方に駆けだした。

「ダルグさん!」

 ベルが悲鳴のような声でダルグを追うと、ディートはティーラを抱いて後ろに跳びずさった。木の上のマイルから何かが投げられたからだ。

「待てって!ダルグ!!」

 ダルグの微笑んだ瞳が、言葉以上に何かを訴えかけていた。それを聞きたくてしょうがないのに、ダルグとベルを追いかけられないくらいに、間に黒炎が大きく燃える。

 きっと激しい戦いになる。符術の腕が立つダルグでも、ベルがついていても、心の不安はぬぐえない。

 だが心配していられない、何故なら、

「・・・なに・・・これっ・・・」

自分たちの身の方が危険かも知れないからだ。

 ティーラが炎の中を指さした。

「なんだっ!?」

 人間が膨張して爬虫類と合体したような、化け物と呼ぶに相応しいモノが現れた。炎が揺らめきながら消えて、その全貌が明らかになると二人は青ざめ息を飲んだ。

「これ・・・・は?」

 ディートが固唾を呑み、その形相に圧倒される中、ティーラはあることに気付く。

 化け物の皮膚にへばり付いた布。その模様。

「ディート・・・この人・・・」

 何故『人』と呼んだのだろう?その疑問は次に驚愕に変わる。気付いたのだ。

「このあいだの・・・賞金稼ぎ(ハンター)?」

 口に出して青ざめる。これが人だと?エットビバでティーラを捕らえようとしたあの賞金稼ぎだというのか?この姿が!?


「人とは儚いモノだ。移ろいやすく、壊れやすく。なのに欲望は果てしない。」

 マイルは黒いフードをはためかせて木の上から地面へ着地した。

「王はいつもそう嘆いている。この世界は不協和音の集まりだと。醜い音の集まる場所だと。」

 マイルと対峙するようにダルグが立つ。

「無駄な存在が集まる世界。無駄な世界。何故こんな世界があるのか。」

 嘲笑するマイルに怒るダルグ。

「無駄なモノなんて一つもない。あえて言うなら、お前のような破壊のための存在こそ無意味さ。」

「そうか。ならそんな無意味な私にお前は殺されるんだ!」

 マイルが嘲笑しながら術を発動すると、ダルグの周りに黒煙が取り巻き方陣を描く。それに視界を取られ、まるで真っ暗闇に襲われた気分になるが

「こんな子供騙しは、オレには効かないさ。」

 ダルグが符術を発動すると、ダルグの周りに水流が逆巻き、煤のような闇を洗い落とす。

水滴はキラキラと煌めきダルグを輝かせた。

「最初に精神攻撃なんて、セコい真似してくれるね?正々堂々勝負しないか?マイル」

「フン!駒が欲しいだけだ。軟弱な人間も恐怖と欲望で手なずければ兵になるだろう?貴様には効かなかったようだが、な。」

「そうそう。オレっち強いから。ココロも。やめといたほうがいいよ~」

「そうよ!」

 ダルグの軽口に同意する声が高らかに上がった。

「ダルグさんがあんたに負けるはずがないわ!」

 ダルグの後ろから後を追ってきたベルが、息を切らしながら近づく。

「ベルちゃん!!なんできたの?」

「だって・・・」

「ディートとティーラちゃんが心配だろう?二人に着いていた方がいい。オレは大丈夫だからサ。」

 ベルは我が儘を言う少女のように首を左右に振る。ディート達はもちろん心配だがダルグのことも気になるのだ。どうにかして止めたいのだ。誰も犠牲にならないように。

 彼が犠牲になろうとしてることは一緒にいて解った。そんな予測された未来なんかねじ曲げてやる!そうも思っていたのに、不安で仕方がない自分の心は、まるでそうなることを知っているようで、でも何とかしたくて此処にいる。

 そんなベルの瞳を、ダルグは見て微笑み、優しくうなずいた。

「・・・わかった。じゃあ、祈っててよ。オレが勝つようにサ。『想い』の力は何よりも強いってね。」

「『想い』だと?ひゃっーっっひゃひゃ!」

 マイルは狂ったように笑い出す。

「そんなモノが力になるはずがない!一部の神族がそんな戯れ言を言っているが、そんな力ありはしない、幻想だ!」

「その力にお前は負けるんだ。いや・・・お前達かな?」

「我が王を冒涜する気か!」

「ああ。冒涜しちゃいますよ?そんな奴恐くないね。だってオレは強いもん。今までオレを生かして、育ててくれた人の想いがある。信じて待っていてくれる人がいる。それがオレをもっともっと強くする。不可能を可能に変えてゆく。」

 ダルグは微笑む。その瞳は光りが溢れている。

 ベルは突如震え立った。その強く美しい魂に、憧憬を抱く。

「だから死んでも、お前らにゃ~負けないね。」

 ダルグは強力な術を唱え、マイルはナノブレイカーを懐から出し構える。

 それは二本目のナノブレイカーだった。

「ダルグ・・・お前はデスターディオスの中でも上位に入るほど強いからな、完全に殺すために私も本気で殺らせてもらう。」

「二刀流でナノブレイカーか・・・オレッチもやっと本気で戦えるってもんさ。人間をなめんなよ。機械野郎!」

 戦闘が幕を開ける!


 皮膚や骨がギシギシと音を立て膨らみ、むき出しの牙から唾液が滴り落ちる。

 その怪物は、人間で言うとぼーっと虚空を眺めているという感じで、いまだこちらに攻撃を仕掛けては来ない。

「・・・・っ・・・」

 ティーラが耳を押さえる。

「どした?ティーラ」

「・・・耳鳴りが・・・する。」

 ディートは耳を澄ませてみる。

「・・っ・・・ぁ・・・痛い!」

 強く耳と頭を抑えるティーラ。頭が割れそうなほど甲高い音が鳴っている。初めは微かだった音が徐々に強くなり、ティーラの頭を苛む。

「ぅ・・・いたい・・・やめてっ!」

「!!」

 その時、ディートにも耳鳴りが聞こえた。ティーラが痛みに耐えきれなくなり崩れおちるのを支える。頭が痛いほどではないが、集中力が奪われるほど大きな音が頭の中で反響している。

 この痛みがこの怪物から来るのなら倒す。彼女を守るために。

 だが元は人間という事実が、ディートを悩ませる。元に戻る方法があるならそうしたい。だがそんな方法あるのか?こんな異形な怪物が人の姿に戻るのか?いや、本当にあの賞金稼ぎだったのか、それも疑わしくなる。

「いたい・・・たす・・けて・・・」

 自分で助けを求めないようにしているティーラが、痛みで理性を失いディートにしがみつく。

 ディートはパーソビュリティの透明な束を握り、油断なく構えた。

 彼女の苦しみがこの怪物から来るのなら、倒すしかないのだ。ティーラを守りたい。もうあんな苦しむ姿は見たくない!

 クリスタルの刀身が輝き出す。まるでディートの心に答えるように。真っ白い、純白の光り。

 その光りに気づき、怪物はこちらを向いた。

ホシイ

 幾重にも重なった音のような声が耳鳴りを強めて流れ込んできた。

ホシイ・・・

 怪物の腕が大きく二人に振り上げられた。

「うわっ!」

 ディートは咄嗟にティーラの手を取り、襲いかかる腕を避ける。

 急に手を引かれバランスを崩したティーラは倒れそうになり、それをディートがかろうじて支える。

 その対応で、

怪物の再度振り上げられた腕に気づくのが遅れる。

 その爪が二人を切り裂こうとして

「くるなっ!」

 反射でティーラをきつく抱きしめた。怪物の鋭い爪は二人の身体には立たず、目前でピタリと止まった。

 爪は立てられていた。守るように現れた薄い金色の壁に。

「この・・・光は?」

「グアェアアァ!」

 怪物が顔をしかめるように唸ると、結界のような光りを壊そうと、さらに爪を立てる。

「ぅっ!!!」

 内臓が握られるような妙な圧迫感がディートを襲う。この結界が自分の力だと悟った。その守りの力に対抗するように、怪物が力を込める。

ジャマダ・・・

 声がした。

ホシイ・・・チカラガ・・・モット・・・ツヨク

「うあっ!」

「いやぁっ!」

 より一層強い頭痛と耳鳴りの中で渦が流れた。混濁したイメージ。ノイズの混じった映像と聲。誰の記憶?誰の感情?

 それは一瞬で、とても長く感じた。

 もっと強くなり、欲しいモノを手に入れたかった。

物質、金、名声、力、愛。

 手に入れたと思ったら物足りなくなる。新しいモノはすぐに古くなり、飽きてしまう。 真実は偽りになり。手に入れては捨て。また欲しくなり、飽き、捨て。

 本当はないが欲しいんだろう・・・

果てしない人間の欲。尽きることの無い願望。些細な幸せに気づきもしなかった。いや、心のどこかで解っていたが、認めることが出来なかった。そんな、生。

 これは賞金稼ぎの記憶?

 もう自分が死んだことも、魂の自我さえも流れ出して消えてしまった。

 只、目の前のそれが欲しいだけ・・・

ホシイ!

「く・・・うあぁ・・」

 握りつぶされそうなディートの気の結界。それに伴う内臓を握りつぶすような圧迫感が二人を襲う。

ホシイ 総ての幸せが、欲が 欲しかったモノがそこにある。すべてがそこに在ると言うように!ホシイ!!

「・・・どうして・・・どうしてあたしなの?」

 怯え、ディートの身体にしがみつくティーラが歯を食いしばり呟く。

「・・・あたしは・・・なにも持ってない・・・あたしはなにも・・知らない・・・。」

 震え、涙を流し拒絶する。こんな空っぽの身体に!こんなあたしに何を望むの!?

 強くなる。結界を壊す爪と、求める耳鳴り(こえ)。

「いや!・・・あたしを・・・みないで!!!」

 この怪物が、ティーラにとって脅威なら、元が人間でも・・・

「ティーラに近づくなっ!!!」

 怪物が弾き倒される。ディートが自分から溢れた結界の光を刃にして爆発させた。

 怪物が怯んだ隙に、構えた剣で切り下ろす。

 だが、堅い鱗に覆われた身体は、わずかな傷を付けただけだった。

「っくっ」

 続けて剣で攻撃するが、肉にはとうてい及ばず、総ての打撃は鱗で弾かれる。

「くそっ!どうすれば!」

 間合いを取り構える。戦術を考えながら怪物を睨むディートと、ディートの後ろに座り崩れている少女を見つめる怪物。

「グワアアェアー!」

 総てがそこに在るのに。この苦しみから解放されるのに。

 ちょろちょろ動き回るこの人間が邪魔でしかたがないとでもいうように、吠えた怪物が横に腕を凪いでディートを攻撃する。ディートは瞬時に飛び上がり回避した。その所をもう片方の手が掴みかかった。

「ぅ・・ぐ・・あぁあ!」

 ディートの細い胴をギリギリと、怪物の手が締め付けていく。

「ディート!」

 絞め殺そうとする力で、手足の感覚が麻痺し、パーソビュリティを落としてしまう。

「ぐっ・・・!」

「ディートぉ!」

 ティーラは目を見開く。大きな手に捕らえられたたディートの身体を見て、クラクラ失神しそうな感覚と同時に熱く煮えたぎる感情が交ざり、彼女を走らせた。

「くっ・・・くるな!ティーラ!・・・あぐっ!」

 自分の骨のきしむ音を感じながら制止の声を上げる。ティーラは無我夢中で、ディートが落としたパーソビュリティを走り様に拾い、構え、

  許さない!あたしの神域に手を出すな!!

 迫り来る獲物を、怪物は空いてる手で同じように掴もうと振り下ろす。それとティーラの滅茶苦茶な剣の軌跡とが重なり!

 ティーラは確かに手応えを感じたが相手の質量の方が大きく、生じた光の力に投げ飛ばされ、ディートの身体も激しく放り投げられる。

「グアァァアアアア!!」

 地面に叩き付けられながら怪物の悲鳴を聞く。ディートはよろめきながらすぐさまティーラに駆け寄り支える。

「やったのか?どうやって?」

「わ・・・からない・・・」

 馴れない戦闘と動きに、筋肉が緊張し小刻みに震え息も上がっている。

 怪物は左腕と左半身の大半を吹き飛ばされ、どす紅い肉の破片をあたりに散らし、倒れていた。

「しんだ・・・のか?」

 ディートが剣を拾い上げるとといつもの無色透明ではなく、少し青みがかっている感じがした。

「ど・・どうして?」

 考えるまもなく、

 ヒュッ!

「きゃっ!」

 何か小さいモノが高速で通り過ぎ、ティーラの頬に紅い筋を引いた。

「なんだ?・・・うっ」

 すさまじい異臭がした。怪物の身体から不思議な紫色の煙が出ていた。今までに嗅いだことのない匂い。吐き気と再び疼き出した頭の痛みを必死で我慢する。

 ぐちゃぐちゃと煮えてるような音と共に、肉片が一点に集中して怪物が変化した。高速で集まった肉片がティーラをかすめたのだ。

「再生して・・・る?」

 再生してると言っても紫色に染まりながら集まる肉片は、もう鱗などは見あたらない。

柔らかい粘土のような塊は、目も牙も、手の形も浸食していく。

 気持ち悪さを憶えながらも警戒して凝視するが、突如目もくらむ早さで肉塊が動いた。

「うぁッ!」

 大きな布のように広がり二人に巻き付く肉塊。

「やっ!」

 二人の身体の総てを包み込もうと動く粘膜。密着した部分から自分の肌を浸食されている不快感。

「うわあああ!」

「いやあっ!!」

 身動きが取れない閉所の中、ティーラだけは守ろうと必死で胸の中に抱く。だが、ティーラの身体も侵されてるようで、ティーラの肌は肉塊の色に染まりつつある。

 意識が薄れていく。そんな中二人は互いの名を強く呼ぶ。

 ティーラ!!

 ディート・・・・

 もう自分の目も口もどこか解らない。だけど彼女を思い続ける。そのアイデンティティは侵された自我の中でも忘れたくはない。もう意識が途切れそうでも!

 ディートとティーラは肉塊の中に融けた。



 二本のナノブレイカーがダルグを襲う。

「ダルグ元辺境司令官よ。貴様がやっかいに強い事は計算済みだ。光栄に思え!貴様のためにリミッターを二個解除したことを!!」

 それでもダルグは手強いようで、術だけではなく接近攻撃も鋭く、マイルに打撃を与えていた。

「ふ~ん。フルパワーできてもオレは構わないけど~?」

「過大評価しすぎだろう?人間よ!」

「余裕だね。」

 軽口を叩いているダルグだが、その身体に傷は多かった。致命傷はまだないが、うねる二つの剣の軌道を正確には読めないでいた。

 やはり剣を壊すしかない。だが、あの剣は再構築されるのだ。ベルもそれで危機に落ちた。

「ひとつだったらよけられるんだけどなー」

 つぶやきながら間合いをとり、術を発動する。得意な水属性の術で片腕を狙い凍らせたが、直ぐにマイルはその部分を発熱させ氷を溶かす。その対応の間に符紙が変化した火の玉を投げつけるが、もう一本のナノブレイカーに弾かれ、弾いたまま軌道を変えずうねりながらダルグを襲う。それを避けるため間合いを開けまた別の術を練る。その間にナノブレイカーは二本ともダルグを斬りかかりにくる。

「クッ!」

 ダルグの左目近くにナノブレイカーの剣先がかすった。血が流れ視界が狭まった瞬間、もう一本が胴体を容赦なく狙う。

「ダルグさんっ!!」

 ダルグは少し無様に転がるように剣を回避した。それでも怯むことなく取り出した符紙から溢れた光線をマイルに浴びせる。

「な!なんだこれは!またこの力、か!!」

 マイルはその間停止し、光線の届かない場所へ避ける。この光は術を練るのがとてつもなく難しく、素質がないと使えない特殊な光。もしもの為にと符紙に記していたモノだが、これを符紙なく発動するには何時間もの術構成と、すさまじいパワーがいる。だが出来たとしてもマイルを倒すまでの力量が、出力が単純に足りない。

 というより、素質はないに等しいのだ。あの符紙はディートの怪我したときの血で作った特殊なモノ。もしもの為と、懐に入れていたのだ。

 使ってしまったな、と後悔しながらダルグはマイルが止まった隙に自分の傷を治癒する。

 治癒、戦術、術構成、回避・・・それらを一瞬で判断し、何時間も持続させるのは人間では無理だ。ここまでほぼ互角に戦えたのはダルグの力量といえよう。だが疲弊はどうにもならない。

 このまま戦い続ければ生身のこっちが劣勢だ。そろそろ確実に手を打たないと、勝機は無くなる。

「ダルグさん無茶しないで!」

 ベルが少し離れたところから叫ぶ。

「だいじょう~ぶ!ベルちゃんこそ。そこを動いちゃだめだよ!」

 ベルは何か手助けしたくてしょうがなかったが、きっとたいして戦力にはならないし、足手まといになるだろう。

 長期戦になるほどこっちは不利で、疲労を知らない機械仕掛けの人形に腹が立ってくる。

「あの光は厄介だが、仕掛けてこないと言うことは、もう終わりか?」

 マイルが体制を立て直し再び二本の剣を構えた。

「奥の手はまだまだあるのさ!さあこい!鉄くずにしてやる!」

「貴様こそ!最後だ!!」

 マイルがナノブレイカーを唸らせ、ダルグを裂く。無軌道な剣線を必死で避けるが、足や腕に切り傷が増えて行く。肉体的な防御に必死で、大きな術を唱えられない。そして、疲労。このままじゃ勝機がなくなる一方だ。

「しゃーない・・・大技いくか!」

「何をしようともベルアース諸共、あの方の人形にしてくれるわ!」

 ナノブレイカーの一本がダルグを離れ、ベルに襲う。

「傍観してるのは退屈だろうベルアース!」

「っ!!」

「ベルちゃんに手を出すな!『水龍激霊』!」

 ダルグから解き放たれた、龍の形の凄まじい水圧が、ナノブレイカーを折る。

 菱形の鋭利な鱗はバラバラになり、四方八方へ散りばめられる。

「馬鹿め!こいつは再構築されるのだ!」

「それでも、それだけバラバラになれば時間がかかるはず!!」

 剣が元の形を成すまで、すべてを壊す!

「そんな隙を与えるものかっ!」

 マイルの肩から伸びたコードが、ダルグの身体を中空で拘束し、その間に形の戻ったナノブレイカーがダルグを真っ直ぐ捕らえ突き刺す。

「きゃぁあああぁぁ!!ダルグさんッッッ!!!!」

「ぐっ!!!」

 ダルグの腹に深く突き刺さった剣が誇らしげに向きを変える。

 グジュルッと自分の内臓が音を立てたのを感じながらダルグはニヤリと笑った。

「やっと捕らえた!塵と成れ!『時風・離流裂散(disconnect)』!」

 ダルグの唱えた口から血しぶきが流れた。その血をも力に変えて、剣もマイルの身体も、ダルグの血に染まって行く。

「なんだ!これは・・・う・・・あ!!・・・Bi-------------------・・・・PUTuっ」

 ダルグの血に染まったマイルは、圧縮され、伸びて、縮んで、粉々になった。

残ったモノは砂や小石で、あの脅威の機械人形は、小さな鉄粉と少しの塊になってしまった。粉砕しても尚ベルを襲ったようには、ナノブレイカーは動かなかった。持ち主が居ないせいか、破片のままバラバラに散ったままだ。

「ダルグさんっ!!だるぐさんんっ!」

 ベルはすぐさまダルグに駆け寄った。腹部から大量の血を流しているのに、立ち上がろうと動いている。

「ダルグさん動いちゃダメ!!今、治すからじっとしてて!!」

 ダルグを優しく支えるが、ダルグはその手を払いのける。

「いい。・・・オレは・・・・もう・・・。」

「そんなことない!!そんなこといわないで!!」

 涙と焦りで、震えるベルを、かすむ目でダルグは見る。

自分の思考回路が遅いし、身体が他人みたいに重い。大きな深呼吸のように息をしているのに、酸素が取れている感じがしない。

 神が使うほど高位な魔法を使って、自分が生き残るとは思っていない。どんなに傷を塞いでも、使った魔力と血は再生できない。ましてベルの治癒力では、気休めにもならない。

 もう遅々として死を迎えるだけの身体なのだ。ベルにも解ってるはず。それでもまだ意識を保てるのは、ダルグの術士としての技量ゆえだ。

「・・・ベルちゃん・・・・ちょっとこっち向いて・・・」

「ダルグさん??」

「キスして・・・とびきり甘いやつ。」

「・・・・・・・・」

 一瞬迷ったが、ベルはダルグの唇に自分を近づける。何故こんなときに?と聞く間も惜しいほど、治癒が優先だ。力は、より密着するほど純粋なまま入りやすく、浸透率、吸収率も高い。肌と肌より、唇。唇より身体を重ねる方がより深く、長く、術は浸透する。

 ベルは、唇から治癒をするために、キスをねだられたのかと思い、疑いもなく口づける。血液の味を感じながらも、治癒の力を流そうとしようとした瞬間。

「熱くても、逃げちゃ・・だめだよ。」

 ダルグは呟き、血まみれの手でベルの頭を押さえ込み強く唇を塞ぐ。

「んっ!!」

 身体がびくりと跳ね上がる。ベルの治癒の力を押し切って、何かが唇から強く流れ込んでくる。

「・・・・・ぁ・・・・・っ!」

 咄嗟に唇を放しそうになるのを、ダルグが強く引き寄せた。

「・・・っ・・・は・・・ぁ・・・」

 息が出来なくてクラクラするのと、唇から身体の先まで熱くなる感覚に耐えきれず身を捩る。

 ちがう!早くダルグさんの身体を治癒しなきゃ!!

そう思うほど、頭は霞掛かり、身体が火照ってくる。

 もうダメ!耐えられない!意識がぁっ!

そう思った瞬間唇は放された。

「はぁ・・・・ッ・・・ダルグさん・・・なに、を?」

「その力・・・あげる。だから、ディート達を助けてやって。・・・オレはまだ神殿で・・・やることがあるから。先に行くね。」

 ダルグの瞳は誇らしげに輝いていた。口調は、ちょっとその辺を散歩してくる、とでも言う様にいつもの調子で、そして、口元は何かをたくらんだ様な微笑みで。

「だめ!いっちゃだめっ・・・!」

 ダルグは身体を薄緑色の光に変える。

「おねがい!もう術を使わないで!自分の身体を治癒(なお)して!」

 叫び狂い懇願するベルに、淡く光るダルグは、微笑みながら首を横に振った。

 辺りの血痕も、ダルグの(カラダ)全ては淡く光り、

「ダルグさん!おねがい生きてーーーーーーー!!」

その光は粒子となって風のように流れて行った。神殿の方へ。

「ダルっくん・・・っ!」

 身体が熱い。これ以上ないほどに熱くて、火照って、ダルグを追いかけなきゃいけないのに、脚が絡まって倒れた。体の芯がざわめいて震えている。熱くて、叫ばなければ、精神が持たない。この身体の中にはもう、この巨大な熱を押さえきれは、しない。

「あっ・・・・・・・・やぁあぁぁぁああっーーーーーーーーーー!!!」



 真っ暗だった。

 上もなく、下もなく。

 只何処までも果てしない、闇。

 夜だった。

 上にも下にも星が瞬き、時には流れた。

 自分が何かを抱きしめているのに気づき、そっと腕をゆるめると、真っ青な光が瞬き、人の形になった。

 ティーラ

 彼女が側にいることに安堵したが、彼女が笑っていないことに気づく。

 悲しい目で自分を見上げた後、名残惜しそうに身体を擦りよせ、姿を脳裏に焼き付けるように見つめた後、自分の身体を押し離した。

 暗い闇の虚空を、彼女の身体だけ離れていく。

 ティーラ!

 自分は何故か、前に進むことも出来ないまま、身体をばたつかせていた。

 彼女の身体は夜に吸い込まれて消えていく。こちらを向いたまま、まだ名残惜しそうに。 でも諦めたように、自分の顔を見つめている。

 ふっと彼女の後方に強い光が瞬いた。それはどんどん大きくなり、銀色の光を放って、彼女を迎えるように包み込む。

 ティーラ!!

 叫んでいるのに、音にならない。ただ、手をばたつかせ、彼女を追い求めた。

 銀の光はどんどん彼女を飲み込んでいく。奪うように、閉じこめるように、絶対に返してはくれないというように、断固として強く、確かに飲み込む。

 遠い彼女が、顔を歪ませて何かを叫んだ。

 その瞬間、光は彼女を飲み込み消えた。

 自分の残像には、聞こえない彼女の叫びと、只最後に、真っ直ぐに自分の方へ手を伸ばした白い腕が脳裏に焼き付いた。

 銀色の光はまるで誰かを表現していたのに、思い出せずに後味の悪さだけが残った。


 火に油を注いだような、激しい炎が視界を埋めているのに気づく。

「っ!はっ!はあ・・・はあ・・・!!」

 ディートは、今まで呼吸をしてなかったことに気づき、慌てて酸素を吸い込んだ。霞掛かった頭も、視界も、だんだんと明白になる。

 自分の手がぼんやり映し出された。少し痺れる感覚が残っているが、大丈夫。まだ動ける。荒い息のまま、周りに視線をやる。

 空中で燃えている炎があり、化け物の姿は無くなっている。草や木は全く燃えてなく、森が続いている。

「・・・ど・・・どうなって・・るんだ?・・・っ!ティーラ!ティーラは!!」

 見回しても人一人いない!ティーラは、夢のように、どこかへ消えてしまったのだろうか?

 立ち上がろうと脚に力を込めると、何かに躓き、体勢を崩した。

「下に、いる・・・・・でしょ?」

 遠くから聞こえる見知った声の通り、すぐ下を見ると、片膝ついた自分のすぐ側に、うずくまったティーラが倒れていた。

「ティーラ!ごめん!今蹴飛ばした!!痛くないか??」

 ほっぺたを軽く叩くと、ゆっくりと青い目を開く。

「でぃ・・・と・・・・だい・・じょ・・・ぶ」

 力の抜けた身体を起こしてやる。どうやら大きな怪我はないようだ。

「よかった。」

 ディートが嬉しそうに、微笑んでくれてるのを見ながら、ティーラはゆっくりと起きあがった。すると、霞んだ視界に赤い人影を見つける。

「ベ・・・ル?ベルなの?」

 そう、ベルは、普段の可愛らしい少女姿ではなかった。

 背も、手足もスラッと長く、ウィルワームのように耳が尖っている。

 金から赤のグラデーションの髪は、地に着くほど長くあり、真っ赤なぼんぼりの髪飾りはなく、赤く燃える羽根が髪についている。

「ベル・・・どうして?」

 ディートはその姿を知っている。

 精霊としての力が奪われている今、簡単には元の姿には成れないけれど、この姿こそが、炎の統治大精霊、ベルアースの真の姿だった。

 ベルは裾の長いドレスを揺らして、ふらりとよろけた。

「ベル!」

 ティーラをそっと離し、ベルに駆け寄ると、彼女は火照ったように息をあげていた。

「大丈夫か?」

「ええ。平気よ・・・・あなた達こそ、火傷してない?わたし・・・炎の加減がうまくできなくて・・・。」

 怪物を消し炭にして、跡形もなく消滅させたのは、ベルの力だった。だが、大きな力を使ったというのに、ベルの様子は、消耗していると言うより、有り余る力を押さえきれないように、熱を帯びている。

「ベル・・・なんで?その姿に?」

 ディートがささやくと、ベルは意識が混濁しているようで、言葉を理解するのに時間が掛かった。

「・・・ちが・・・はやく・・・・助けて・・・・。」

 荒い息を整え、汗をぬぐいながら、ベルは訴えた。

「助けて!ダルグさんを!・・・はやく・・・」

 巨大な炎を出し力を消費したため、ゆっくりとだが、ようやく自分の中になだれ込んだ力を把握した。ぼーっとした頭を振り払い、ベルは確かに叫んだ。

「・・・・飛び立て!彼の鳥よ。踊れ!炎をまとい!今!『鳳凰』!!!」

 叫んだ瞬間、ベルから赤いオーラが凄まじく放たれ、それが燃え盛る大きな鳥を象った。

陽炎のようにゆらめいて実体化する。そして勇ましく鳴き声を上げた。

「これは・・・?」

「いいから乗って!ダルグさんが死にそうなの!」

「なんだって!?」

「!!」

 ディートとティーラは、燃えさかる深紅の鳥の背に乗った。熱くない炎が、身体を守る様に包んだ。

「ダルグさんの所へ!行って!」

 ベルが叫ぶと、召還鳥は羽ばたいた。一度の羽ばたきだけで、森の木々より高く飛ぶ。凄まじい重力の所為でディートは顔をしかめた。

 ベルはこんな力持ってはいない。本来、エネルギー消費を押さえるために、いつも少女で弱めの姿で居る。なのに、本来の姿になっているのはおかしい。それに、いったいダルグに何が?嫌な予感でディートの心臓は鈍く拍っている。

 考える間も一瞬で、強い風が耳の横で唸ったと思うと、岩肌に急降下していた。



 仮死状態のままで何日が過ぎただろう。

 大きな魔法を使った所為で血液よりも大事なエネルギーが戻ってない。死なずにすんだのは、親父が咄嗟に此処へ連れ戻したためだ。

 死んではいないが動くことは出来ない。はっきりと考えることは出来るため、動けないことに腹立っていた。死んでいないのであれば、今すぐにでも、残してきた彼女の元へいきたい。雪の大陸からちゃんと離れたのか、新たな追っ手に捕まっていないか。心配でしかたないのに、生きているともいえないこの身体が腹立たしい。

 そんな身体に、ゆっくりと力が流れ込んでくる。どこからか、暗闇から、やさしく確実に、力が戻ってくる。

 それを与えられながら、彼はこうも思った。

 そうか、これを失くそうとしているやつが近くにいるんだな・・・・。

 何のために・・・見ず知らずのオレに?

 視覚が戻りつつあるぼやけた光の中で、優しく力強い、風や水の匂いのする『気』に出会った。

 オレに力をくれるというのか?これからの運命を、次はオレが担えと・・・?

 『気』は応えなかった。いや、応えることが出来なかったのか?あまりにも小さな想いは、声になるほど強くはなかった。

 だが、自分の身体は、確かに生き返ってゆく。



 火の鳥が着地するのが待てなくて、ベルはまだ高度があるのを臆さずに背中から飛び降りた。岩肌と塩の匂いがする風の吹く丘に、白い建物があった。白い石の階段と鉄の扉に、大量の血痕がついている。

「ダルくん!!」

 悲鳴を上げてベルが走り寄る、扉の脇に、ぐったりと座ったダルグが居た。

「ダルグ!!」

「ダルくん!ダルくんっ!」

 眉間にしわを寄せているダルグが、ベルに揺さぶられ、ゆっくりと目を開ける

「べるちゃ・・・精霊さんは綺麗だね・・・オレッチがあげた・・・・相性合うみたいだね・・・」

「いや!いやぁあ!」

 ベルは、力の入ってないダルグの身体をきつく抱きしめた。

 ダルグが幼少の頃より従えていた召還鳥。それは、術士の消滅と同時に同じように消えてしまうため、受け継げるものならその方がいい。ダルグが口づけを介してあたえたものは、召還鳥という姿を象った、大きな力の塊だった。急に、許容範囲以上の力をあたえられて、ベルは成体の姿をとった、が、それでも押さえられなかった力は、身体の中で混ざり進化した召還鳥、鳳凰により消費された。

 ダルグが扱っていた頃と変わり、ベルと同じ炎の属性をまとっている。まさに“鳳凰”と呼ぶに相応しい。

 鳳凰はつぶらな深緑の瞳で、消えそうな元主と、新しい主、ベルを見つめているようだ。

 ベルの様子でだいたいを悟ったディートは、崩れそうな脚と、廻る視界の中、ダルグに近寄った。ショックで足下が抜けそうだ。

「・・・ダルグ・・・・・。」

 紺の制服が血を吸って重く黒くなって、ダルグの流れた血は、淡く光り、生きているように魔法陣を描いていた。血自身が意志を持って方陣を緻密に書き進む。

「な・・に・・・してんだよ!何の術だよ!それよりも自分の身体なおせよ!できるだろっ!」

 ぐったりとした身体をベルに抱かれながら、今なお眉根を寄せ集中して何かをしようとしているダルグに、ディートが詰め寄る。

「術をやめろ!もうやめてくれ!!」

 ディートの叫びに、ダルグは重たげな瞼を開き、ディートを見つめた。

「やめても・・・オレッチはもう死ぬよ?」

「そんなこと言うな!!生きてくれよ!俺うれしかったんだ!生きて再会できて!なあまた遊ぼう!飲みに行こう!なぁ!?!」

 ディートの叫びを、捲し立てを、遠くの優しい音楽でも聴くように流しながら、ダルグは淡く微笑んだ。

「さぁ・・・完成だよ。」

 呟くと、赤い血の魔法陣は明滅した。

 突然地面が揺れる。立っていられないほどに小刻みに揺れ、岬の神殿が白く発光する。

 ディートは揺れでバランスを崩すティーラを支えながら、揺れの中心を仰ぎ見た。

 高くはなく広くはない小さな神殿は、光の中でゆらりと歪み、蜃気楼のように透き通り消えた。石畳の道だけが消えずに、崖の先端まで続いている。

「どうなってるんだ?」

 小刻みな揺れに足を取られながらディートは何もなくなった崖を見入る。

 ゴゴゴ・・・・

 何かが来る!と直感が告げて、ティーラを押し倒すように倒れた。ベルもダルグを抱きしめ、身を強ばらせた。突如!

 耳が痛くなるような爆音と波の音が響いたかと思えば、下から吹き上げた海水で視界がいっぱいになる。それを確認したあと、その波は、痛いほど大量にディート達を叩く。

 腕の中にいる人が濡れないようにきつく抱きしめる。海水がばたばたと地面を打った後、しみる目でそれを確認した。

 それは、崖の下から突き出した真っ白な灯台だった。

 玄関といえる鉄の扉は、消えた灯台と変わらないし、真っ白な壁もそのままだが、建物の大きさが半端ではない。丸い円柱の巨大な神殿は、海の水を滴らせ白く瞬いた。

「これが岬の・・・、否、誓いの神殿。」

「『誓いの神殿』?」

 ダルグの声にティーラが呟く。

 荒れ果て、安定しない海流を鎮めるため、そこに住む海の龍と、火竜王がある誓いを立てた。契りを交わし子をなした。すると海は穏やかになったという。

 その子供が・・・

「ラファール・・・」

 ティーラはその子供の名前を呟いた。

「あけて、あげたよ・・・約束・・・」

 ダルグが重いまぶたでしっかりティーラを見て微笑んだ。ティーラは首を横に振りいやいやをして、ダルグの側に膝をつく。ディートはそっと、ベルからはみ出したダルグの手を握りしめる。驚くほど冷たい。その上透き通って見える。空っぽになりつつあるのだ。ベルは抱きしめたままで表情が見えない。静かに震えている。

「なか・・・ないで・・・・約束しただろ?」

「ダルグさん・・・・あたしの・・・せいで・・・」

「これで・・・いい・・・・後悔は・・・ない・・・・ただ・・・ディート」

「ダルグ・・・」

 自分でも驚くほど声が震えていた。ダルグの手をきつく握りしめる。体温を与えるように。

「・・・・ティ・・ちゃ・・・悲しみを・・・君にしか・・・終わらせない・・・オレが言ったこと・・・を」

「忘れないよ!ダルグが叱ってくれたこと!ちゃんとわかってる!」

 叫ぶように訴えると、ダルグは優しく笑った。ディートの必死で真っ直ぐで、一生懸命な顔を確かめてから、ゆっくりと目を閉じた。

 流れるように巡り行く記憶達。

 その大切な記憶のほとんどに彼はいた。蒼い海の瞳は、眩しいほど純粋で、強い。大事なものを知っている憧れの君。

 でも本当は、

「嫉妬・・してた・・・かもしれない。」

 自分には与えられなかった、明るい家庭や、優しい家族と無垢な性格。友情は綺麗な感情ばかりではない。劣等感や嫉妬心、そんなものも愛情と一緒に育たれてゆく。だけど、それを上回る向上心と、なにより相手を思いやる気持ちで、とまどいながら此処まで来た。

「オレ・・・ここまできたよ。役に立てた・・・か?」

「ダルグ!」

 役に立てたとかそんなんじゃない!只大切だった!好きなんだ!だから当たり前のように一緒に過ごしたし、また再会できた。自分の方こそどれだけ与えられ、救われたか!?

 そう伝えたいのに、胸がいっぱいで、喉が震えて、言葉にならなかった。

 それに、ダルグにはもう聴覚がほとんど残っていなかった。ベルは飛んでいく魂をつなぎ止めるようにきつく抱いた。無駄な行為だとしても、誰にも止められない律だとしても、せずには居られなかった。

「・・・・・しあわせ・・・・だった・・・ディ・・・おかげ・・・・大切な・・・」

 一言も聞き逃したくなくて、ベルに重なるようにダルグの顔に耳を近づけた。

「・・・みつけること・・・できた・・・ありが・・とう。」

「なにを・・!」

 クラクラする。地面がずっと揺れているようにみえる。身体が震えている。目の奥が痛い。ありがとうなんて!最後みたいに!?

「まもって・・・・大事な人・・・それがディー・・・の力・・・・」

 なんでそんなに穏やかな顔してる?なんで?なんで消える?ダルグが??

「サ・・・・・・・・ラ・・・・・・・・・・・・・・・・みん・・な・・・・・・・・・・・・・あい・・・し・・・・る・・・・・             。」


「ダルグーーーーーーーーーーーー!!」


 ディートは混乱した頭のままで叫び、頭を抱えた。

 ベルの身体が跳ね上がって、身体の震えが大きくなった。

 ティーラは一瞬放心したが、荒い呼吸と流れる涙のまま突然立ち上がり、駆けだした!

「ティーラ!」

 呼び止めるが、ティーラは鉄の扉へ走り行く。ディートは追いかけたいのと、ダルグの側から離れたくないのとで、その場でたじろいた。

「行きなさい。」

 静かに言ったのはベルだった。

「ベル・・・でも・・・」

「行きなさい!これからあなたが背負うものは何なの?ダルグさんが願った未来は誰が叶えるの!?」

 ベルはダルグの亡骸を抱きしめたまま叫ぶ。その言葉に鞭打たれ、ティーラを追いかけ走る。そうだ。迷ってはいられない。悲しみで立ち止まってはダメだ。俺たちは生きている。見失うな!頭の中の自分がダルグの声で叱咤する。

 悲しみの中で、目も耳も綴じたままでいるティーラを救わなければ!


 重い扉は、あっけないほど軽く内側に開かれた。

 外観と違って真っ黒な壁、真っ暗闇の中、ティーラは臆さずに叫んだ。

「おねがい!願いを叶えて!ダルグさんをもとにもどして!!そして・・・」

「ティーラ!」

 ディートが後から走ってきて、ティーラの肩を掴む。

「言うな!そんなこと願うな!!」

「あたしの命なんていらない!ダルグさんを戻して!!あたしを!早く殺してーーーーーーーーーー!!」

 ディートをはねのける声に、真っ黒い壁が光り出し、塔は静かに揺れた。

『我は火竜の長。死は生と同等の力を持つ。符術士の想いと、その力によって、我が息子をこの地に再召喚す!』

 反響する低い声がしたかと思うと、真っ黒い曲線の壁が光り出す。

 塔の左側の壁が群青色の文字を光らせ

塔の右半分は深紅の文字を光らせ、

 弱い光でボンヤリ見えた、真ん中にそびえる透明な水晶の塔に注がれ、文字は消えた。

 一瞬の暗闇の後、水晶は白く輝き出す。

 真っ白な光の中で、海と炎の力が混ざり合い、反発して、白く染められて行く。この気をティーラは知っている。

「おねがい!ラファール!願いを叶えてぇえ!」

 パァン!!

 叫びと共に水晶は砕けた。破片が落ちてくると想定してティーラを庇おうとしたが、破片に傷付くことはなかった。砕け散った玻璃は、すぅっと光の粉になって消えていったからだ。

 その光の中心に青年がいた。この灯台の外観のように、純白の長い髪を揺らし、白地に金の刺繍の入ったローブを羽織って、はためかせながら、ゆっくり光と共に地面に足をつけた。

「ティアルトーラ」

 青年はふわりとティーラの前に降り立った。ディートが向ける警戒の視線をものともせず、ティーラをじっと見つめる。その瞳に向かってティーラは叫び散らした。

「教えてくれたよね?願いを叶えてくれるって!此処はそういう場所なんでしょ?」

 青年、ラファールは叶えられない願いに、瞳を暗くさせる。その仕草に、ティーラは目を見開く。

「どうしてよ!どうしてなの!?」

 涙をこぼし半狂乱になってラファールの身体を叩く。

「言ったじゃない!願いが叶うって!そういったじゃない!なんでよぉおお!!」

 叩かれる痛みに耐えながら、泣きじゃくるティーラを支える。

『美しき崇高な星魂が型取りし、神よ』

 地響きのような声が頭に流れた。この塔自身が生きて喋ってるように響き渡る。

『我は竜の長。此処は願いを叶える場所』

「だったらあたしの願いを─」

『それは出来ませぬ・・・私には叶えてさしあげたくとも、』

「どうしてぇ!」

 反抗し、声を張り上げるティーラ。

『死んだものを蘇らせることはどんな力を持ってしてもしてはいけない事だ。そして、そなたを消すことも同等、安易ではない。律に触れ、律を壊さなければならぬ。そんな力が、たかが竜族の我らには在りはしない・・・。あるとすれば、』

「親父い!!!余計なことゆんじゃねえ!」

ラファールが話しに怒鳴り込み、竜の長の地響きを止める。

 今の会話も聞こえていない。ただ、無理だったことに泣きじゃくり、力無く崩れてしまうティーラ。

「・・・・ぃ・・・や・・・・そんなの・・・・・や・・・・そんなの・・・・・」

ラファールはティーラの肩を慰めるように抱く。そして、何も言えず話を聞いていたディートにそっけなく言った。

「会いたい人がいる。つれていってくれ。」


  ベルが、自分の身体を抱いてる。小さく丸まってずっと泣いている。

 ラファールに促された場所はベルと、そしてダルグがいた場所だった。

「きえちゃったの・・・・なにも・・・残ってないの・・・・・・」

 そう言ってまた嗚咽を漏らすベル。ラファールは、彼がいたであろう場所にそっとお辞儀をした。

「ダルくん・・・血も・・・骨もぜんぶ・・・・・・ぜんぶ・・・最後まで術を使って・・・・わたしたち・・に・・・・ぃ・・っく」

 こんなに取り乱したベルは初めてで、ディートはどうしていいか解らず、肩を優しく撫でた。ベルは腫れた瞳でディートを見て、すがりついた。

「ベル・・・・」

 抱き支えるディート自身も、混乱と悲しみで、地面が廻るように眩暈がしていた。只、男だから、取り乱せないだけで・・・。

「ごめん・・・なさい・・・。」

 ティーラが呟いた。

「ティーラ・・・謝ることなんか無いわ・・・だから・・・死にたい、なんて言わないで・・・」

 ベルが腫れた目で訴える。

「生きて・・・ダルグさんの心を無駄にしないで。」

「ごめんなさい・・・・・恨んで・・・恨んであたしの所為だって・・責めて。」

 ティーラは力無く首を振る。

「な・・・んで・・・?」

「あたしの・・・せいで・・・ダルグさんは・・・・あたしがころしたの・・・」

ベルは、身体がカッと熱くなった。

バチン!!!と加減無い乾いた頬を叩いた音が鳴った。

「うぬぼれないで!あんたなんかに!!っくっ!」

 突然叩かれ、口の端から血が流れる。渾身の平手打ち。手加減なんてしてはいない。出来るわけがない。ベルは目の前のティーラがどうしようもなく腹立って、なおも手を振り上げる。

「やめろ!!」

 ディートがベルを羽交い締めにする!

「あんたなんかに!そんなあんたのために犠牲になったんじゃない!!!」

「ベルやめろ!やめろって!おちつけ!」

 掴みかかろうとして暴れるベルを、ディートは必死で止める。

「はなして!放しなさいディート!そうやってまた!アタシやディートに恨ませるの!!

恨ませて殺させるの!?」

 その台詞は、ダルグがあの日、ティーラに向けて言った言葉と同じだった。ベルの血走った目が、あの時、取り乱してまで訴えてくれたダルグの姿と重なった。もう居ないダルグに・・・。

「ダルグさん・・・・ごめんなさい・・・ごめん・・・・なさ・・・っ・・・・」

「泣かないで!!そんな風に泣かないで!ダルくんがかわいそうよ!」

「おちつけベル!」

「そんな風に泣くなぁ!!!」






 CROSS BLUE 1  エンディング



「ベルが・・・ゆってることが・・・正しいの・・・・。」

 ベルが半狂乱になってティーラに罵るのを、ティーラは冷めた瞳で呟いた。どこかすべてに諦めたように暗く影を落として俯いて、泣きもせず、ただただ沈黙した。

 言い争いから時間は流れ、夜は更け、もう東の空が朝日を迎えようとしている頃になっていた。

 しばらく二人を落ち着かせるために別々の部屋へ移動し、一夜を神殿の小部屋で過ごすことに決めた。状況が状況なのでラファールという青年をひとまず信用することにして、ディートはベルをなだめようとした。だがベルは、ひとしきり一人で泣いたあと自分で反省したようで、別の理由で悩み出した。さすがは一番の年長者と言うところだろうか。

「・・・はぁ・・・・私、取り乱しちゃった・・・・ティーラに悪いこと言っちゃったなぁ・・・。」

「・・・・・・」

「叩いちゃったし・・・・・・・」

「・・・・・・」

「もうディート聞いてる?」

 拗ねた顔でディートに訪ねたベルは、身体の方も落ち着いて、すっかり元の少女の姿に戻っていた。

「ああ・・・。」

「ほんとに・・・私が取り乱しちゃダメだよね・・・ゴメンね?」

「ああ・・・。」

 冷静になって頭が冷えてきたベルは、ディートに近づき、頭を抱きしめる。

「やめろよ・・・。」

 口では拒絶するが、ベルをはねのける気はない。

「誰も見てないよ・・・カッコつけないで・・・」

 頭を子供のように撫でられる。誰もいなくてもカッコ悪い。でも振り払わないのは、求めていたからなのかもしれない。

「ゴメンね・・・私・・・ダルグさんの運命を知ってて・・・止められなかったの。ティーラのこと・・・全然責められないの。」

「ベルの所為じゃない・・・・ティーラの所為でもない・・・・。」

「うん・・・・ありがと・・・ディートが一番しっかりしてるね・・・。ごめんね。」

 髪から冷たいものが流れてきた。ベルの涙だ。ティーラもベルも、いったい身体の何処にこんなに水分を溜めてるのだろう。

「明日から泣かないからね。ゴメンね、私たちが泣くから、ディートは泣けないね・・・」

「・・・・・」

 ディートの沈黙は鬱や悲観では無かった。親友がいなくなったことは果てしなく辛い。永遠にさえ泣いていたい気分だ。なのに、ずっと心のどこかが訴えかけている。ダルグの叱咤激励が、ずっと反芻している。


 足を止めるな。立ち止まるな。見失うな。

 悲しむべきは、今じゃない。

 ディートは、左耳のピアスに、そっと手を触れ目を閉じた。

 まだ終わっていないのだ。ダルグを慕って泣いてる場合じゃない。俺がやるべきこと、が。


 小さな窓から朝日が差し込む。ティーラはベットに横たわりながら瞳もとじずにいた。

 ずっと、ずっと身体が小さく震えている。

 心は一つの決意で決まっているのに。

 夜の間に誰にも内緒でこの場所から離れたかった。でもそれも出来ずに、朝が来てしまった。どうして時間は止まってくれないんだろう・・・。

ギィー・・・と、重い鉄の扉が開き二つの足音が入ってきた。誰の足跡かがわかるほど一緒に歩いた。そう、ディートとベルだ。ティーラは身体を起こして警戒した。

「おはようティーラ。天気いいぞー。」

 身体を堅くこわばらせてるティーラに、ディートは笑顔で語りかける。

「お?こっちの部屋はまあまあ生活感あるな~」

「おはよ?よく眠れ・・・た?」

 ベルが心配そうに顔をのぞき込み、ベットに腰掛ける。

「昨日はゴメンね?許してくれる?」

「・・・。」

 ティーラは頑なに目を合わせない。見なくても解る、優しい瞳。でも今はそれが息苦しいとさえ感じる。

「さ、起きよう。一緒に行こう?」

 ディートが、ベットから立つようにと、手をさしのべてくれる。

「・・・・!」

 ディート達と出会ってからはこんな朝が毎日だった。一人では交わすことの出来ない、優しい笑顔と挨拶。そして、大きくて暖かいディートの掌。もう何度さしのべられた?

 ティーラは困惑し、二人をはねのけ部屋を出る。

「・・・ち・・・違う!」

「ティーラ!」

 違う!違う違う!ちがう!

 何がどう違うのか、思いながらもわからない!だけど、望んだことは優しさではなく、孤独。二人とも何もなかったように受け入れてくれるその優しさは、自分が願っている景色では・・・

・・・無いの!違うの!!

 外に通じる扉を押し開き、神殿から飛び出した!するとあまりにも眩しい正面からの朝日に目がくらむ。

「ティア!」

「!」

 日の光に紛れ、白く輝きながら走ってくる人影がいた。突進するように抱き抱えられ、身体をすくませる。

「どーこ行くんだ?ティア!オレ様は、連れて行ってくれるよな?」

 真っ白な髪と水晶の瞳を輝かせ、竜の長の息子ラファールが、ニコニコしながら訪ねる。ティーラは不快感を憶え、ラフの身体を押しのけ距離をとる。

「もう!触らないで!」

「あー冷たい態度だなー。今から一緒に旅するのに。」

「は?」

「言っただろ。お前の願いを叶えてやるって。そのために、何処までもついて行って護るぜ。オレ様は。」

 ティーラは、彼と雪の中を旅した数日間を思い出し、抗議の声を上げる。

「ラフ!忘れたの!?あたしの所為で死んだことを!!」

「わすれたー」

「ふざけないで!」

「ティーラ!!」

 ティーラとラフのかみ合わない話に、ディート達が追いかけてきて割り込む。

「何処行くんだ?ティーラ。そんな格好のままで。」

「・・・・・・・。」

 ディート達は皆、身なりをきちんと整えている。自分は・・・なんてボロボロなんだろう。着せられたままのネグリジェと振り乱した髪。裸足のままで、昨日の涙の跡も消せていない。

 新しい朝を迎えるために、悲しみや憤りから反省したベル。ティーラと共に旅をすると、ゆるぎない決心をしているラファール。親友の死を乗り越えようと、そして、新しい想いをちゃんと見つめているディート。

 みんな強くてその瞳を見つめ返せない。はねつけても拒絶しても、なぜそんな瞳のままで見つめるの?

 とくに、ディートの目には何も言えずにいる。息が上がって鼓動が早くなる。

「ティーラ・・・・ごめんなさい。昨日のこと怒ってるなら・・・」

 まだ申し訳なさそうにベルが謝るから、反射的にティーラは言った。

「怒ってない!・・・・ベル、あたし怒ってないから!」

 気にしないで欲しくてあわてて弁解した。彼女を憎む理由なんてない。まっすぐで強いからこそ出てきた、自分を罵る言葉。それには十分共感できた。自分も自分が一番許せなかったから。だから、ベルには何一つ怒ってはいない。むしろ、こんな自分に叱責してくれて嬉しいくらいだ。

「じゃあ・・・なんで逃げるの?一緒にいましょう?」

 心配そうに伺うベルと同じように、困った顔でディートがティーラを見つめる。

 それなの。その瞳が息を上がらせる。恐い感覚のように、胸が苦しくて震える。

「・・・・・・」

 ティーラはひたすら目をそらす。

「ティーラ・・・苦しいのか?俺のせい・・・なのか・・・?」

「・・・・・・・・」

 その優しい声も!もう喋らないで!身体がちぎれそう!

「ティーラ」

 名前を呼ばないで!

「ほっといて!一人で行かせて!!」

 ティーラはディートから逃げるように走っていく。

「ティーラ!」

 呼び止める叫び声にも、振り向かずに逃げる。後ろに、ディートが追ってくる気配がある。

 もう追ってこないで!

「ティーラ」

 どこまでも優しい声色に、心が真っ先に反応して引き寄せられる。逆らえずに足を止めて、振り向いてしまう。どうして?

「・・・はぁ・・はぁ・・??」

 上がった息を整えながら少し距離があるディートの方を見た。どんな表情なのか不安ながら顔をみたら、輝く朝日の中彼は満面に微笑んでた。そしてこっちに手を振り、おいでと合図をしながら、道の脇へ走っていった。

「・・・ぁ!まって!どうしてっ!?」

 ティーラは慌てて追いかける。岩に足を取られながらも先を行くディートを追いかける。 息が上がり、走りにくい岩の間を、金色の髪と大きな背中だけを見て走る。

 どうして、あなたは、そうなの!?

 急に視界が開けた。

 ザーーーン・・・

 柔らかい突風と塩の匂いが鼻につく。気付けば浜辺に出ていた。勢いが止まらず、岩から砂へ足場が変わったため、転んでしまう。

 何故追いかけたのだろう。自分は逃げていたのに。行動の矛盾にとまどいながら、ディートの姿を探す。ふっと、目に影が落ちたかと思うと、すぐ横にディートは立っていた。

「ティーラ!みろよ!すげーきれいな海!!」

 風がティーラの髪を撫でた。絶え間ない波の音。深くきらめくマリンブルーが一面に広がっている。島一つ無く、緩やかに水平線を描く。そして、雲一つない空が重なるように果てしなく広がる。

 その境目は、くっきりと分かれているようで、解け合ってもいる。

「き、れい・・・」

 吐息が零れるほど美しいと思った。だってこの色は最近気にかかってしょうがない、強く惹かれる色と同じだったからだ。気持ちが溢れそうになったのを、グッとこらえた。

「立てる?」

 ディートが手をさしのべる。

 疑問なく自分の手を重ねようとしたところで、ディートは、サッと手をひっこめた。そのために前にのめりそうになる。

 すべての差し出した手には、ちゃんと意味がある。

「ティーラがこの手を取ったら・・・俺は、離さない。」

 怒ったような真剣な顔でディートが言った。真っ直ぐな蒼い瞳に吸い込まれそうになって、この壮大な景色を見た時よりも、もっと深くからこみ上げて涙がこぼれた。

 そして、美しい背景に彼はとてもよく映えた。

「・・・なんで泣くかなぁ??」

 ディートが困ったように笑う。いつもいつも無理して笑ってくれていること気付いていた。大変なことも何でもないふりをして、『大丈夫だよ』と言い続けてくれた。たった今も。見逃してしまいそうな日常の何気ないことにも気遣ってくれて、それに委ねてしまいそうで、甘えてしまいそうで・・・。

「・・・・っ・・・・こわい・・・・」

 涙と一緒につい本音が零れる。

「俺が、傷つけてるのか?」

「ちが・・・っ・・・やさし・・・優しいよ・・・・でも・・だから・・・ぃ・・」

「・・・うーん・・・?」

 色んな気持ちがない交ぜになって、どんな感情か解らない。でも、只胸が締め付けられて痛い。

「・・・苦しいの・・・。」

「俺・・・側にいない方がいい・・・よな。」

 ティーラは首を縦に振る。ディートは深くため息をつく。と思ったらティーラは首を強く横に振る。

「どっち??」

「・・・・・・・・わから・・ないよぉ・・・。」

 ディートも内心悩む。泣きじゃくるティーラを見るととてもても困惑する。だけど可愛くて、抱きしめたくて仕方がない。だが今日は無理やり抱き寄せはしない。

 従わせることなんて男だから簡単かもしれない。でもそれじゃあだめなんだ。

 曖昧なまま一緒にいたくない。ティーラにも気付いて欲しい。自分がこんなにも鮮明になったこの感情に。ダルグや、ベルが、その身をもって教えてくれた想いに。

「俺は・・・一緒にいたいよ?離れたくない。ティーラは?」

「・・・・」

「一緒にいたくない?」

首を横に振る。

「じゃあ一緒にいる?」

首を横に振る。

「どっち・・・?」

首を横に振って俯くティーラ。ディートは呆れてその場から離れようと歩き出す。

「・・や!」

引き留めるようにディートを見上げる。

「やだ!・・・・いかないで・・・・お願い・・・・。」

 息が上がる。胸が締め付けられる。側にいるよりもっと苦しくてもっと恐い。ディートが遠くに行くことが。

「いかないで・・・・そばに・・・いて・・・。」

 求めることを口に出すのが、こんなにも苦しいなんて知らなかった。拒否されるのが恐くて、今まで誰にも言えなかった。だけど、言わずにはいられなかった。言わずにいられないほどに自分は、この人に側にいて欲しいと願ってしまったのだ。

涙はもう絶え間なく溢れてる。感情が止められない。

 ディートは優しく微笑んで、手をさしのべた。

「ティーラも、遠くにいかないで・・・俺の側にいて・・・くだ・・さ、い・・・」

 照れて、懇願するように微かに歪んだその微笑みが、溜まらなく愛しく思えて、ティーラは咄嗟に手を取った。

 すると優しく儚いディートの表情は豹変して、険しい男の顔になった。

「さっき離さないって言った。」

「・・・っ・・・」

 強く腕に痛いほど引き寄せられて抱きしめられ、急な出来事に息が出来なくて離れようともがいた。

「・・っ・・・い・・・ぁっ・・・」

「いやだ!」

 力強く広い身体。自分を支配できる男の人の身体は今まで恐怖の対象でしかなかった。

 強く抱きすくめられて熱くて痛いのに、甘い。この腕だけに居場所がある気がして、麻薬のように甘美で、依存心が沸き出る。

 それも解っているから遠ざけたのに、離れたのに。もうどうなったって良いような気がして、強い腕に縋り甘える。

 どうしよう、この優しさからも、痛みからも、逃げられない。

 そう、もう、出会った時から引き込まれていた。だから口が滑った。朦朧としながらも言ってしまった。くだらない。『助けて』 なんて。『一緒にいたい』なんて。もう抑えられない所まで出ていた。大きくて深い海の色に、吸い込まれて逃げられるわけがなかった。

 初めて瞳を見つめ合ったときから感じてしまった。

 それはディートも同じだった。

 果てしない空の瞳に囚われていた。離れることは、身を裂くほどの痛みが走る事。考えただけでゾっとしたから腕に力を込めた。

 言い訳と建前で固めながら作った理由じゃない。今はもう、理性と本能の葛藤なんてどこかへ行ってしまってる。壊れそうなほど求めてるという事実だけ。

 そう、抱き合えば、只何処までも真実の想いしかなかった。

 死ぬかもしれない?殺すかもしれない?傷付く、傷つけるかも?側にいるべきではない?

 そんな考えなんて要らない。こんなにも側にいたいだけ。

 離れると壊れるなら離さない。離れなきゃ壊れるなら、壊れてしまっていい。

 只、それでいい。呼び合ったのだ。お互いが。出会わなければならなかった。

 そして今度こそ離れずにいよう。前は離されてしまったから。そしてそこで終わってしまった。

 だが、螺旋のように続く果てしない想いは、離されたままの悲劇で終わらなかったようだ。

 今度こそ断ち切ろう。その機会が巡ってきたのだから。

 今、始まったのだから。

 そう、いま、おわり、が始まりだした。この鎖を終わらせるために。

 すべての歯車は回り始めたばかりなのだから。


 どんな悲劇と、さらなる真実が、これから突きつけられようとも。

ただ、側にいたい

あなたが、ほしいだけ

   あなたに囚われて 囚われたい




 漆黒の闇の中に、光の尾を散らして進む物があった。

 それは黒衣をまとった背の高い男の、長い銀色の美しい髪だった。

 歩く一歩先を、小さな炎の揺らめきが先駆けて足元を照らす。そして通り過ぎると消えていく。その瞬きで、そこが地だと確認できるほど、どちらが天地かわからない闇の空間だった。

 そんな場所でただ一つ確かに、彼は靴音を響かせていた。迷いも無く其処を進むその瞳は、極上の紫水晶。なんの感情も移さない氷の水面のような瞳だった。

 靴音はピタリと止んだ。耳が圧迫される静けさの中、常人なら気が狂ってもおかしくない闇の中で彼は、相手の出方を待っていた。

『籠の中の青い鳥が・・・逃げたよ。』

 相手、とは、声だった。

 闇の中から突如流れた声は、足を止めたその男のものではなかった。

「“ヘディス”か・・・。」

 その声に、初めて男が低い声で応えた。男は声をヘディスと呼んだ。

「よく此処に進入できたな。」

 なんの感慨も見せずに男は言う。

『彼女用の結界もないのにこんなのただの入れ物さ。それに僕は、闇があるところに必ず居る。』

 その声は少し幼さを残していた。青年と呼ぶにはまだ少し足りないくらいの声だ。

 だが、奇妙だ。

 その声の主は何処にもいない。気配さえもない。まるで闇が話しかけてるような、不確かな距離からの話し声。

 けれど、それを奇妙だと指摘する者はここには居ない。会話はそのまま闇の中で続けられていく。

『いいの?』

 実態のない少年の声が、男に問いかけた。

「なにがだ?」

『逃げた彼女を追わなくても。』

 男は、そのことか、と面倒そうに、銀の髪を闇から吹き抜けたわずかな風に揺らした。

「それがどうした?」

『別のモノが彼女を狙っているかもしれないよ?』

「そうだな」

『僕が狙うよ』

「そうか」

 男の言葉は感情を含んでなく冷たいものだった。いや、冷たいという感情も入っていなかった。

 少年はそれを承知して話しているようでもあったが、すこしつまらなそうに言った。

『でも、貴方のことだからちゃんと鎖は繋いでいるんでしょ?』

 男は何も言わない。彼の言葉をどうでもいいように見える。

『貴方の溺愛する人だもんね。』

 少年の、含みのあるその物言いには、少し気に障ったようで、男は微かながらに顔をしかめる。

「何が言いたいんだ?」

 男は、闇の虚空に目をやった。そこに少年が居るとでも言うのか。

『別にぃ。ただ僕も好きだよ。だから僕も彼女が欲しいな。どんなことをしてもね。』

 そういって少年は、声だけで不適に笑った。

「好きにしろ・・・彼女はここに還ってくる。」

 少年はその言葉を聞き、また笑いだす。

『どうしてそんなに冷静でいられるの?貴方が神経質なまでに檻を作り閉じ込めたものなのに。それを破るほどの事象が起きた。よく平気でいられるね?それはただの自信?それとも仮説?』

「事実だ。」

 男は淡々と言う

『へえ。すべては貴方の思い通りって訳だね。でもこれからは貴方の思い通りにはならないよ。だって、今度こそ彼女は僕がもらう。僕の邪魔をするんなら貴方にも手を出させてもらうよ。』

 はっきりとした声が、闇を震わす。

 毅然とした少年の態度に、今度は男が静かに笑う。唇をかすかに歪めただけの簡素な笑み。

「お前に出来るのか?」

 声は強さなど無く、吐息のような音だったが、

『!』

 その問いに少年は声を張り上げる。

『僕を誰だと思ってるの?僕だって何もしないで刻を過ごしてるわけじゃないんだ!貴方をそこから引きずり降ろし、彼女を手に入れるよ!必ずね!』

 少年の声が振動となって空気を揺らす。だが男は変わらぬ冷めた態度で言う。

「・・・そうか。やってみるといい。」

『そのつもりだよ!次に会ったときは貴方を殺す。『父様』、容赦はしない!!』

 殺意のこもった言葉に闇が一瞬、ピリッと強ばり、その言葉を最後に少年の声は途絶えた。

 男はたった今少年と話していたことさえ気にした様子もなく、闇の中をまっすぐ歩んでいく。

静寂に鳴る靴音だけが、男が幻ではないことを物語っていた。

 進んだ先にゆらりと扉が現れた。細密な彫刻がされ宝石をあしらった絢爛な扉。その文様の並びは方陣か術式のように描かれているようにも見える。

 男が扉に近づくと、ドアは音もなく開かれた。

 足音が鈍い音に変わる。柔らかい絨毯の感触。

 綺麗な部屋だ。まず目につくのは部屋の中心に置かれた豪華で広い天蓋の付いた寝台。

 高い半球の天井から、星の光がなんの遮りも無く降り注いでいる。

 奥の窓からも星明かりが差していて、庭園のようなバルコニーが広がっている。

使用感のない机や椅子。カーテンやシャンデリア、装飾品。

 宝石箱のような美しい部屋だ。

 おかしなことに、そのどれもが無惨に傷つき、壊れ、破られていた。

 よく見ると、頑丈な壁にも鋭い傷が幾つも付いている。その大小の鋭い傷は部屋の中央から刃物が放射線状に飛んだような付き方をしている。

 何もかもが傷つけられたそんな部屋に、一つだけ傷ついてない物があった。男は静かに歩み寄り、闇の中で唯一無機質に美しいそれを見つめた。

 それは壁に掛けられた大きな鏡。扉と同じように文字の様なものが彫られている。

 そんな鏡に映る男は、鋭利な存在感を放っていた。

「無惨、だな。」

 人間味のない男が微かに呆れため息をついた。だがあまりにも似合ってなかった。石像のように固まっている方がよほど自然に感じるかもしれない。

「そろそろ頃合い。終わらせるために、動かなければならない。そうだろう?」

 彼はそういって笑った。さっきのような冷笑にも見えたが、かすかに異なる。

「『鍵』に希望も絶望も無い。其の役目はただ一つ。扉を開けることが出来るだけだ。」

 男はその銀色の睫を閉じた。

「何処へ、行く?貴女は。」

静かに・・・

「自由を信じて私から逃げるといい。すぐに気付くだろう。“自由”の真実の意味を。」

低く響くその声は、甘く静かに空間に広がる。

 彼は微笑んだ。

 愛おしく見守るような優しさ。悪戯をするような残酷さ。

「この言葉を、貴女に捧げよう。」

紡がれる言葉は、遠く離れた彼女のもとへ届く。

 何処へ居ても何をしてても。繋がってる。聞こえている。

 だから男は、そっと耳元で呟くように言った。その言葉を。

「『××××××。』」


         悲しみの螺旋。繋がったままの鎖。終わらない夢。


囚われの ブルー ファンタジー

A Prisoner`s BLUE Fantajy

Welcome to the CRAZY BLUE World

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