囚われのブルーファンタジー1 CROSS BLUE 3
ここへきてまさかのダルグの裏切り!?唯一無二の幼なじみで信頼していたのに、と心中穏やかでいられないディートと、ダルグに連れ去られてしまったティーラ。そして負傷してしまったベル。
絶体絶命にまだ追い打ちをかけるように、刺客がどんどん襲ってくる。
でも心は、前向きになりつつあり、ティーラの氷のようなかたくなな心が溶けていく気がした。
それでも現実は容赦なく更に打ち付けて行く・・・。
CROSS BLUE 1-3 願い entreaty
ねえ、ちょっとつきあってくれないか?
ただの昔話だよ。オレの、人生という名の物語を、
ゆっくりとかみしめるようにきいてくれよ。
長いようで短く、短くも語るには長い、今、この儚い人生を追想する
その島は小さな港が一つあるだけの小さな村。
村以外の場所は森か草原になっており、一日もあれば海岸沿いにその島を二周くらいできるほど小さな島だ。
一つだけの学校、
一つだけの診療所、
『あそこの家の子よ・・・気味がわるいわ・・・』
『やーい。おばけおばけー!!』
『遊んじゃだめよ・・・おふだを張られて、呪われるから』
此処では珍しい符術という異国の力が、偏見の対象になっていた。
奇異な目で見る大人たち、無邪気で残酷な子供たち。
そんな世界で暮らす内に自我が芽生える頃にはすでにはひねくれていた。
父は顔も知らない。だが母は泣きながら優しい人だったと何度も繰り返していた。
母は美しく繊細な人で、親族に味方はいないがオレを生んだことだけは褒められていた。
オレはとてつもない符術の才能がある子。天才、だったからだ。
小さい頃はそう言われて持てはやされていた。それが嫌だった。
『すべての符術を身につけ、東大陸にある本家へ帰るのよ』と、『いつか見返すのよ』と祖父母に強く言われ、そんな言ったことも無い場所の話で期待の向けられるのがたまらなく嫌だった。
母はいつもいつも、自分の好きに生きなさいと言ってくれていた。家に縛られ、自身の力に縛られ。そんな生き方はしなくていいと言ってくれてた。そんな母も先夢の能力で自分の死を予告し、その予告通りに自分が10歳になる前に逝った。
村に居場所なんてなかった。
反抗を覚え、やりたいことを見つけ、家での素行は悪くなった。天才が悪ガキに変わった。10歳を過ぎる頃にはもう、持って生まれた力で祖父母たちを脅していた。
「この悪ガキ!!口で言って解らないなら!!」
口が切れるほど叩かれて。部屋に閉じこめられて。だけどそれを抜け出すために工夫した。いろんな力の使い方を覚えた。
そんな中、君に出会って、君がオレの居場所になっていく。
はぐれものの忌み子同士が出会って遊び始めるのに、時間はかからなかった。
君の家は村から離れた草原に建っている。歩いて行くには少しばかり距離があるので召還鳥に乗っていく。青い屋根が見えるころに鳥を符に戻し、白い壁まで全速力で走る。楽しみでにやけてしまう顔を、きゅっと結んだこそばゆい表情で、丘を登る。
この力は見せてはいけない。彼も自分を拒絶するかもしれない。同級生やその親たちと同じ、あの目で見られるかも知れないから・・・そう思っていたのに。
「さっきの鳥なになに???」
自分を見つめる輝く蒼い双眸を持つ親友ディートと、その母と姉が、散歩に丘を下ってきていた。
「え・・・あ・・・」
見られた・・・何と答えればいいのか、狼狽する。
「あ!でもな!おれもな!もっとすごいことできるんだぜーーー!!」
そう言って小さな手を雑草にかざし、すうっと空をなでると、秋にならないと咲かない花が一輪柔らかく蕾開いてゆく。
「こるるるぁぁあ!ディート!むやみやたらと力使うなっていったでしょ!!」
後ろから少女が走ってきた。不思議な髪の女の子。上の方が金色なのに、毛先は紅い。ディートの姉に当たる人だ。
「まあまあベル。いいじゃない。」
少女の後ろから緩やかなウェーブの髪をなびかせて女性が歩いてきた。
「ディート?力は無意味に使っちゃだめ。大事な人を守るときだけにしておきなさいって、いつもいってるでしょ?」
「大事な人ってトモダチだろぉ~ダルグはトモダチだからいーんだ。」
白い歯を出してニコニコ笑うディート。
「そっか・・友達か・・・。」
金の髪が微笑みながらこちらを向く。瞳は銀色に輝いている。子供でもわかるほど、他とは違う美しさ。
「ねえダルくん?だったら私とも友達ね?」
優しく動く唇。歌っているような聞き惚れる声。
「私の力も見せてあげる。でも、誰にも内緒よ?」
細い手指が温かく頬を包む。金の髪が近づいてきて、おでこに触れる。一瞬温かくなったと思うと、ぱっと痛みが消える。
「はい。おばあさまにたたかれるようなこと。しちゃだめよ?」
優しいディートの母は気づいてくれていた。神経質な祖母達一族の瞳も、それに反抗するような振る舞うオレの所業も、そうなってしまった意味も、きっと見抜かれてた。
ある日いよいよ一番否定されたくないことを祖母に言われる。
「お前は小さな頃からずっと外れの家に行っているようだがな、あの家にはあまり近づくんじゃない。」
なんでだよと睨みをきかすと、すこし怯えながらも祖母や親戚達は続ける。
「あの家は・・・神聖すぎて影がある。なにか災いの、大きな力が出ている。ハッキリとは解らぬ。誰の占いも抽象的で詳しくは解らぬが、危険なモノだと予測している。」
「影が出ているのは本当じゃ。近づくでない」
放っておけばいい。何が危険だよ。オレの事も邪魔なくせに。いっそ殺せばいいんだ。オレの親父を殺したように、目障りなモノは全部。消せばいい!殺せばいい!この家に反するもの総てをよっ!!
オレの葛藤、憧憬、嫉妬・・・依存。それらすべてはある意味ディートに向けられていた。
自由な家、優しい母、厳しい姉、そして健やかなる精神。
悪戯でしかられる日々も、内緒で飼育してたうさぎが死んで泣いたときも、海も、山も・・・成長も、全部一緒だった。だからずっと一緒に夢を見たかった、のに・・・
「オレ。この島を出る。」
家に縛られるのがもう嫌だから。
「もっと広い世界に行って、いろんなものを見たいんだ。」
静かに相づちを打つディート。真剣に。そう、いつも真剣に話を聞いてくれる。
「お前も一緒に行かないか?二人でいろんな所に行こうぜ!」
彼と行きたかった。彼と一緒にいたかった。自分の夢の隣に大好きな彼もいてほしかった。でも。
「俺は・・・母さんがもう・・・身体弱いから・・・離れることは無理だ。」
その言葉は予想していたが、いざ彼の口から聞くとショックだった。我が儘な子供の心が自分の夢にどうしても彼を引きずり込みたくて、無理強いする事じゃなくても駄々をこねそうになる。だけど。その感情は次の瞬間引っ込んだ。
「だから・・・俺が母さんを守ってあげるんだ。」
その決意の瞳を見たとき、自分の頭から爪先に電気が走る想いをした。
憧憬
そう言った彼の横顔の強さを、オレは覚えている。憧れの感情が強く巡る。
そうオレもこんなふうに、守るべき大事なものを見つけたくなった。
だって、オレは誰かのために生きたことがあっただろうか?無い物ねだりと現状を嘆くばかりで、反発し続け自分を押し通していた。
優しくて強い、君みたいになりたかった。だからこそ、ちゃんと一人で・・・!
密かに島を出ることを決意した、その数日後。
想像も出来ないような悲しい出来事が村を襲った。
その島だけに、まるで天変地異が来たように思う。海は荒れ、地は揺れ、空から光の槍が降ってきたように、確かに見えた。人は跡形もなく消え、総てが無に消える。
それを予知していた祖母達は、最後にこう言った。
「お前は生きなさい。強くなりなさい。」
そう言われて、死の間際に術で飛ばされた場所は、故郷の島が微かに見える、本土対岸の浜辺だった。
オレは、島が壊れる天変地異の瞬間を、遠くからこの目で見た。
今までの環境が突如壊れ、望んでいた自由になったとき、今まで身近すぎて反抗し続けたモノは、それも愛の形だった事を理解した。
大人という歪な子供たちが葛藤しながら作った、家庭という小さな社会。
顔も覚えてない父、小さい頃に逝った母、オレに期待しすぎて、窮屈な守り方をした祖父母、親族や一族の掟。
無くなってしまえばオレ個人に何の関係もない。ここからが今持っているもので自分の人生を作り上げるんだ。この天性の才を使って何が出来る?そう自分の力を改めて確認すると、自分の中の強大な力が爆発するように弾け、深層意識から何かが訴えた。
白昼夢のようなヴィジョンが、膨大な情報を持って流れたのだ。
憧れて、大好きな友人ディートのこと。これから起こる可能性の未来達。
すべて夢で見えた。自分が産まれる前の自分の過去も知った。そして役目と使命を知った。
運命の渦の最初の鍵としての夢を見た。
この身を偉大な母に捧げ、彼らを導く光となり、彼らを『はじまり』へと導く。
もう一つは終わりへと。この身を高貴な父へ捧げ、総てを終わらせるために彼らを『おわり』へ誘う。
はじまりの『希望』か、おわりの『絶望』か。
どちらの鍵となるか。
オレが神の領域ほどの知識を得たのは、オレがこの世界で居ることが後わずかだからだった。オレはこの能力と引き替えに運命線が短かったんだ。
それを知ったとき、オレは子供のように困惑した。
そして、その日が来てもまだ困惑したまま、再会した。
オレはディートと同じくらい大好きな彼女に、話を持ちかける。
「本部からの・・・指令書?」
切り株に座ったベルの足が高く組まれる。
「っていっても珍しいモノじゃない。オレの力を買ってる上層部は、西の大陸で最前線に、ある任務に立って欲しかったんだろう。」
デスター本部の上層部は、世界各地に散らばる支店の有能な士官に、秘密裏にある任務を命令した。そしてそれは彼の元へも、送られてきた。
「その任務が、」
「・・・内密、単独でのある少女の捜索と捕縛。細身で、青い髪をした少女・・・。」
ダルグは淡々と、もう暗記してしまった指令書に書かれていた事を述べる。
「だがこの情報が、一部の賞金稼ぎに流れたようで・・・まったく。今上層部が後片付けをしてるようだが・・・。」
ベルは沈黙して彼の話を聞いている。
「最高機密で他言無用なんだよね~まあいいけど。」
「で?」
ベルが冷たく言う。ダルグを睨め付けて赤い瞳で射る。
「で?って?」
「あなたはどうするの?」
真剣な顔で切り株から立ち上がる。ピンとした姿勢で立っているだけだが、構えているようにも見える。
一方ダルグはへらへらした様子で身近な木の幹に寄りかかっている。
「ど~しよっかな~?それを迷ってるんだよ。ある夢を見てねぇ~」
「夢?」
「そう・・・。」
あれはいつ頃からだっただろうか。何年も前から断片的に見るイメージが、最近になるにつれ繋がり、意味を成した。指令書が来る少し前、久しぶりに家に帰り家族で食事をとってゆっくりと就寝した日。
緩やかに落ちていった深い深い闇の底。真っ白であり真っ黒な場所で、そこに現れたふたつのイメージ体。自分には彼らがこう見えた。
真っ白な翼に溢れんばかり光を讃えた母が。
それ以上の潔白の白さで射るような光線を放つ父が。
自分の親の顔ではなく、母、父、と言うイメージが浮かんだ。
偉大な母が言った
あなたを捧げてと
偉大な父が言った
生贄をささげよと
二人が言った。
これは運命の分岐点。汝はその鍵。
希望か、絶望か。
母が言った。
安らかな眠りを約束すると
父が言った。
長きの生を保証すると
「こんな血が流れる所為で、いろんな事があったけど、今回はマジ迷っちゃってさぁ~」
「血・・・東大陸符術使いの一族。その分家に生まれ、家庭の事情で幼少時代はあまり幸福な時間だとは言えなかったらしいけど・・・。」
「複雑な一族の都合でね。正統な血統ではないはずなんだが、どうも力を強く引き継いだらしい。忌々しいよねぇ。」
ダルグの話を聞きながらベルは、彼の前まで歩く。一番重要で一番答えを聞きたい事をもう一度間近で問う。
「で?あなたはどうするの?」
「オレはオレの好きなようにするよ?誰だって死にたくないし。」
他人の癇に障るように見下して自意識過剰なほどの瞳をむける。
「それが辺境司令官の答えってわけ?」
背の高いダルグをのぞき込み、下から睨み付けるベル。
「デスターはただ食べるために始めた仕事さ。なにせ故郷の島は、謎の天変地異で家なんか跡形もないからね。トレジャーハンターも近づけないほど濃い霧に包まれてるって話じゃないか。あの村の生き残りはオレと、君と、ディートだけだしね。」
昔住んでいた小さな島の、小さな村。今は跡形もない。生き残った三人はそこですべてを無くし、そして新たなスタートを切った。
「なんでオレっちが鍵かなぁ~。うあ~死にたくないし~。やっぱこの溢れんばかりの才能と美しさは罪かな~?力有る者は可哀想だねぇ~。美人薄命ってゆうし、美男子も短命なのかしらん??」
「はいはい。お気の毒に・・・でも。」
ギラリと紅い炎の瞳を殺意を込めて睨む。
「あなたが彼女を生贄に捧げるというのなら、私が今此処であなたを殺す!」
「これは運命という程のシナリオだよ?それをねじ曲げるつもりかい?」
涼しげなブラウンの瞳が彼女の殺意を受け止める。
「ええ。今あなたを殺せば因果も変わるわ。鍵は発動しない。」
「そうだね。『夢』もはずれるかもしれないし、結局どうなるかわかんないよね~。でも・・・。」
ダルグは嘲笑する。
「君にオレが殺せるのかい?」
ベルは構える。ダルグは仁王立ちしてベルを見下ろす。紅い闘気と嘲りの気がぶつかり空気が凍えた。だがそれは一瞬だけだった。
「・・・ムカっっっっっっっツクゥゥーーー!キーーーー!!!!!!」
頭をかきむしり超音波を出すベル。
「アタシ負けず嫌いなのよ!そゆこと言わないでくれる?冗談でもさぁ?あなたマジで人おちょくるの好きね!私も好きだけどさぁ!!」
早口で文句を言った後冷静に息を鎮めて。
「でも・・・むかつくけど・・・あなたには勝てないんだろうな。むかつくけど。今の私じゃ無理ね。あなたを止めることはできないもん。むかつくけど。やっぱ天才ね。むかつくけど!」
「うしし。どうもありがと~。オレッち強いからやめといた方がイイよ。うん。」
にっこりと嫌味たっぷり微笑む。ベルは相手にしてられない、というような仕草をしながら切り株にどっさりと座り直す。
「はぁ~あ・・・。じゃあ、あなたが生贄を出すことになったら私はディートと二人で絶望でも味わって噛みしめて食うわ。こうなったら塩こしょうで味付けして腹一杯まで食ってやる。絶望カモ~~ン。」
やけくそに意味不明な言動をしてみる。
「あはは。意外とあきらめ早いね。食うの?」
「食っちゃうわよもう。どんと来いよ。はぁ~あ」
深い溜め息をつく。冗談を言っていてもこの過酷な現状に失望する。最善策など無い。犠牲でしかうまく進まない運命。
「いいのかい?ディートとティーラちゃんを傷付けることになっても。」
「・・・」
ベルは苦い顔をして考えて。そしてダルグを見つめた。
「信じてるわ」
冗談を言っていた声色とは違う。真剣で切なそうなベルの声色に、ダルグの胸中がざわめくのを感じながら、冷静さをあくまでも装った。
「私はあなたを信じてるわ。どんな結末になっても。」
だって、彼はディートの一番の友達。
「そして、願ってるわ。だれも死なない、何も失わない方法がどこかにあると。」
その言葉は強く、重々しかった。
「それに私は・・・。」
悲しい瞳でダルグを見つめる。ダルグも彼女を見つめ返して、言葉を待った。
「・・・私は・・・あなたにも生きてほしいの。」
叶わないけど。きっと大きな渦に流されてしまう私たちだけど。
「アタシは・・・あなたにも生きていてほしいのよ。ダルくん・・・。」
願う言葉。過酷な現実。そんな色あせた世界の中の、美しい紅い華。
ほらね。
ダルグはニヤリと笑った。
こんな荒野の中にあって、だけど強く折れない華も、足元を見ればちゃんとある。
近すぎて・・・遠くを見すぎて気づかない事もあるけど。
あるんだ。
いつだってあったんだよ。
オレはそれが解らないほど、もう子供じゃない。
「ベル姉ちゃん、小さくなった、ね。でも迷いのない強い瞳はそのまま、だね」
ふっくらした頬をそっと両手で包む。潤んだ紅い瞳。ベルも同じように優しくダルグの頬を包んだ。
「ダルくんは、おっきくなった。いい男になったね。いい出会いがあったのね。小さい頃から賢いまま。だから、あなたが幸せになる道を、どうか選んで・・・」
潤んでいたのは二人の瞳。
「アタシも、ディートも、恨んだりはしないから。あなたが生きる道を、どうか選んで・・・。」
嬉しい。ありがとうベルちゃん。大好きだよ。君の強さはオレにとっての救いと希望。
そして。
そして二人はしばらく他愛もないことを会話した後、ダルグは彼女に口づけをねだったのだ。
「・・・っ・・ん・・??」
柔らかい布の感触と明るさを感じた。
「ティーラちゃん?」
足跡と声が近づいてくる。心配そうにのぞき込む人影は、前髪の長い茶色い髪・・・
「・・・ぁ・・・だるぐ・・さん」
頭がぼうっとする。重い体を何とか起こすと、自分が若草色のふっくらとしたベットに寝かされていることを知った。
「おはよ。疲れて丸一日ねてたんだよ?起きれる??」
ダルグが側に寄りベットに腰掛ける。白い壁、白い天井に明るく発行する石が埋め込まれている。田舎町では見かけない高級品ランプだ。
「ここは?どこ?」
「ここはデスター辺境本部のオレッちの仕事部屋サ。」
「あたし・・・つかまったの?これからどうなるの・・?」
俯いて呟く。いつの間にか、白いネグリジェに着替えている。愚問が頭をよぎった。誰が着替えさせた??
「って・・・あの・・・聞くけど・・・これ・・・」
ティーラが何を言おうとしてるのか察したダルグは、こう言ってやる。
「ああ・・・見ちゃった・・・ポッ☆」
「!!!!!!」
「だいじょぶよ~オレっちもっと、ふっくらぽっちゃりぼんきゅっぼんがスキだから。君みたいな骨皮サン。ディートぐらいしかタイプじゃないって。」
「なにいってるかわからないけど、ダルグさんがいうことは、人のことをバカにしてる気がする」
「ティーラちゃんも言うようになったね。」
感心して深く頷くダルグ。だがその後、切ない瞳になってこういった。
「一応、傷、治してみたんだ。でも、治らないんだね、やっぱり。」
銃の傷のことじゃない。そんなのどこだったか覚えていないほど痕さえなかった。
血は、止まる。細胞も瞬時に再生する。だけど其の特殊な傷跡だけはなかなか綺麗にならない。
消えることの許されない傷跡。まるで鎖を捲かれている様に這い進む。己の立場をわきまえろと、醜い肌が、視覚に訴えかけてくる。
「オレの力でも・・・まったく治癒できなかった」
「どうせ、腕を切っても、首を切ってもあたしは・・・。たかが傷跡くらい・・・」
ティーラは袖をまくって、自分の細い腕を見た。消えかかった薄い傷と、真新しい傷がある。新しい傷は少ない。それはウィルワームとディートのおかげだった。ワームのかけた、『満月の呪い』の痛みを軽くする魔法のおかげと、見当違いかもしれないが、ディートのおかげかもしれないと思う。彼の力は異常なほど落ち着く。
だからそんなに多くの傷は残ってはいない、といっても普通の身体ではない自分の身体。出来れば誰にも見せたくない。
でも何故わかるのだろう?なぜ知っている?普通の人間には知り得ない情報を彼は知っているのかもしれない。今まで彼が問うてきた言葉は、確信めいているものばかりだった。
「あなたは誰?どうしてあたしのことを・・・この傷のことを?」
「オレはちょー天才符術士のダルグ。物知りなのは『隠された知識』を引き出せるから」
『コンスィール ノーレッジ ネットワーク』
頭の中で声がした。
「?」
「隠された知識・・・CNネットワークっていうのは、自分の中に潜在的に眠ってる知識の事も言うけど、それ以外にも、世界の歴史や神の領域ほどの情報を、力を使って深層領域から引き出すこと。ティーラちゃんの頭の中なんて、きっとすごい情報いっぱいだぞ~~。」
時々聞こえる声や、自分以外のもう一人の自分、それがそうなのだろうか?
「じゃあ、知ってるはずなのに、わからなくなるなんて、ことは?」
「君にはとても厳重で強力なプロテクトがかかってるんだよ。頭が痛くなったりする?」
「うん・・・痛い。考えるほどに苦しくなる」
「そっか・・・。大丈夫ゆっくり、ゆっくり治るよ。だから君の口からちゃんと教えて欲しい。ゆっくり鍵が解けるように、ちゃんと、ね?」
ダルグは子供をあやすような口ぶりで、見透かすような瞳でで見つめる。
「貴女の事、教えて?」
ティーラはゴクリと唾を飲み込んでしまった。ブラウンの目が強すぎて。
「あ・・・あたしの・・こと?」
「貴女の口から聞きたい。何故此処にいるんだい?何故岬の神殿を目指しているんだい?」
「それ・・は・・・・」
言わなくちゃいけない気にさせた瞳。言ってもいいと思った。ティーラはポツリポツリと語り始めた。何故此処にいるのかを。何故神殿に行きたいのかを。
「おはようございます。ベルアース。」
光の檻から解き放たれた自分を、淡い微笑をたたえた新緑の瞳が出迎える。白い裸身を隠しもせず、目の前のウィルワームにさらけ出す。
「体の調子はどうですか?」
ワームの問いかけに答えず、落ちている尖った石を徐に掴み、右手に持った石を、左手の甲に突き刺した。
痛みが電撃のように走り、痛さに顔をしかめる。手の甲は少し凹み、切れたところから蜂蜜色の血が流れた。痛くて息が上がる。
痛みを生きてる証拠に。
「何やってるんですかもう。」
ウィルワームが怪我した手をすぐさま治す。癒しを司る風の精霊なら一瞬で治癒できる。
「自分で自分を痛めつけるなんて・・・ティアみたいですよ?」
「一緒にしないで!確かめただけよ。」
苦笑しながらからかうウィルワームに過剰に腹を立てるベル。
「あのコみたいに・・・アタシは歪んでいないわ。」
どこか確認するように、言い聞かせるように呟く。
「そうでしょうかね。私もあなたも・・・相当歪んでいると思いますよ。そして・・・あの符術使いも。」
「ダルグさんのこと?」
「そう。ティアを任せても大丈夫か否か・・・。心配で心配で。」
「大丈夫よ。彼は“人間”だもの。アタシたちみたいに時間が止まった二重の存在じゃないわ。」
言いながら、手渡された着物を羽織る。ベルの着替える様子を見つめながら沈黙するウィルワーム。
「どしたの?」
「いいえ。でも、それじゃあ死人ですよ?」
「は?」
「着物です。あなたは着付けもロクに出来ないんですか?左襟が上ですよ?」
何をいってるのかやっと解った。着物の身ごろの着方が反対だった。
「ごめんあそばせ!無作法で!」
すぐに着付け直し、簡易な帯を結ぶ。赤い布地にピンクの桜が描かれた着物。と言っても丈は膝頭が隠れるくらいで、動きやすく作られている。
「こんな服、よくこっちに具現できるわね。」
「貴女のその姿によく似合うと思いまして。」
にっこりと笑いながらウィルワームはベルにピアスを手渡した。
「忘れ物ですよ?大事にしてくれてうれしいです。」
「うるさい!気に入ってるだけよ!大事な術をかけてあるし!換えがないだけよ!アンタにもらったとかそんなんどうでもいいわ!そんなん!」
青筋を浮かべて力説するベルに、微笑むながらそうですかと頷くウィルワーム。その余裕な態度も腹が立ってピアスを乱暴に奪い、左耳に付ける。
そして、赤い髪飾りを付けた金から赤への、グラデーションの髪を掻き上げた。
「よし!偉大な炎の精霊ベルアース様の復活よ!」
キュピーンと決めポーズをする。誰も見てないけど。
「腹立つからアンタをコキ使ってやるわ!ってコトですぐにいくわよ!」
「えーっと、どこへですか?」
長い女の身支度の間に、茶をすすっていたワームが問う。
「まさしく渦中よ!ディートのトコロ!まだ回復したばかりで移動魔法が使えないの。アンタの魔法で連れて行きなさい!」
「こちらもかなり消耗してるんですが、ご自分の身体の構造解ってます?まだ許容範囲の怪我でよかったですけど・・・そうそう怪我などしないでください」
「だったら敵送り込んでくるなってアンタのボスに伝えろよ!」
まるで素行が悪い男の子のような舌を巻いた口調で殴りかかろうとするベルを、ウィルワームはやんわり抑制した。
「まあまあ。我が君主とこの件には一切関係はありませんよ」
「どゆことよ」
ベルはきょとんとして訪ねる。
「ティアを狙っているのはあの方ではないということです。では何故ティアは外界にこうしているのですか?」
「そんなの、知らないし・・・」
「他にもいるということです。私利私欲のために彼女を狙ってる者が、沢山」
「う。こうしちゃいられないわ!なおさら早く行かなきゃ!オラ!はやく出せ!魔方陣を!」
ワームはため息をつきながら仕方なく法陣を作り出す。
「あなたは昔から歪みまくりですよ。我が儘でじゃじゃ馬で。でもまぁそもそも、歪んでいない人っているんでしょうかねぇ?」
「・・・そういえば、マトモな奴は見たことがないわね。」
隣で魔法陣を書いている奴を筆頭に皆歪んでいると、ベルは痛感した。
そして二人の身体は風に包まれ、秒速で移動を始めた。
渦中 へと
「あたし・・・」
頭が痛み始める。
「・・・ぁ・・逃げてきた・・の」
どこから?だった?
「あの・・・人・・が・・っ」
あの人・・??
「あのひとが・・・めざめて・・・・そして」
何!?
「・・・ぁ・・・あたし・・・を・・・」
やめてっ!!
「い・・いたい・・痛いの!頭が!!」
「落ち着いて。すぐ出てくる言葉だけ並べてみな?」
側でダルグが支える。これがきっと記憶のプロテクト。熱を帯びた小さな体が頭を抱えてうずくまる。呼吸が落ち着いてから、ティーラは涙目で話し出す。
「雪・・がふってて・・・さむくて・・・こわくて・・・みつかって・・・あたし捕まえられそうになったの。」
「それで?どうなったの?」
「助けてくれた人がいて・・・・あ・・」
何かピンときたようで、少しハッキリと話し出す。
「白い髪・・・水晶の・・ひとみ・・・ラファール。」
「ラファール??それが君を助けてくれた人?」
「ぅん・・・」
ティーラは回想する。そう名乗った彼は、自分を雪の街から逃がそうとしてくれた。
「願いを叶えてやるって、いってくれた。一緒に岬の神殿へ帰ろうっていってくれたの」
暗く沈むティーラ。
「でも・・・追っ手から・・・あたしを逃がすために・・・・」
唇を噛む。あの光景が脳裏をよぎる。沢山の追っ手を誘導し、逃げるように見せかけて一カ所に敵を集めた。
「彼が無理やり船に乗せてくれなかったら、ここにこられなかった・・・でも船に乗ったとき・・・・!」
彼がいるだろう場所で爆発が起こり、それが炎の高位魔法だと悟る。辺り一帯を吹き飛ばすが術者も炎に巻き込まれる。この魔法の生存率は低いのをティーラは知っていた。
「あたし、船から下りることも、なにもできなかった。あたしの所為なの。彼を犠牲にして。それなのに生きてるの!ねえどうして?」
自分を生かす為に他人が傷ついた。
ダルグにつかみかかる。涙に濡れた双眸。晴れ渡るスカイブルーの瞳は、死んでいる。生きながら死んでいる少女。
「今まで何度もこんな光景を見たの!あたしに関わったから。」
自分の存在の所為で。
「いろんな人が消えたわ!」
いつ、だれが、どうやって消えたのかはわからない。でも見たことがある。死体の山。血の海。頭痛とノイズの嵐の中。夢というビジョンの中で、自分の血に染まる赤い手を見た。空色の髪が、紅に濡れる様を。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もなんどもなんどもなんど・・・。
罪に罰を。
驚異に沈黙を。
無駄な生に意味ある死を。
「痛みを受け入れたら・・・いつかは、其れが終わると・・おもってた。」
痛切な顔。ダルグの体が、心が、悲鳴をあげていた。自分の痛みじゃないのに、受け止めてあげようとした心が、痛みが・・・
「でも・・・終わらない。だから、自分で・・・・ってきめたの。」
・・・許容範囲を超える。
「もしも、もうすこしで終われるとしても、あたしはいますぐ消えたい。だって・・・」
もう限界。痛くて痛くて。壊れてく。溢れてく。
「もうなにも見たくない!なにも感じたくない・・・。」
焦がれて焦がれて。やっと見つけたモノは『無』。
逃避でもいい。罵られたって、間違いだって。これ以上罪を重ねることになったって。何とでもいえばいい。だって、欲しいモノは手に入らないから。壊されてしまう、壊してしまう。だから・・・
「あたしの願いは・・・自分を殺してもらうこと。」
少女の瞳が強く光る。ダルグの目から、痛みが溢れる。受け止められないほどの悲しみ。癒せない痛み。向けられる狂気と内に眠る希望と・・・絶望の波。
何故この少女が、こんな小さな身体で、全ての痛みを受けなくてはならないのですか?
ダルグは神を憎み、運命を憎む。知ってるから。
ほんのすこしくらい癒すことは出来ると思った。少しでも、ほんの少しでも。でも何も出来ないのか?自分は小さな助けにすらなれないのか?
いや・・・まだ・・・導くことは出来る!出来るはず。
だからダルグは涙を拭い、俯いて嗚咽を漏らす彼女に優しく言った。
「まだ希望はあるよ。」
「そんなのイラナイ。」
「うわっひねくれてんな~・・・」
内心呆れる。意外と頑固だし、まあこういうことは口で言ってもわからないだろう。肌で感じて、幸せや希望を願うようにならなければならない。
「でもさぁ。ティーラちゃん。ディートに会いたくない?」
なぜディートがでてくるのかわからないが、ディートには・・・
「あいたくない」
「なんで?あいつはおもしろいぞーたまにズレてるこというけど。お人好しで、いつも一生懸命で空回っても気づかないし、からかったら拗ねるし。」
「・・・人なんてどうでもいい。もうあの人は、関係ないもの。」
ティーラは冷たくいい放つが、ダルグは怒ったような声色で言い返す。
「それは嘘だね。君が他人を遠ざけるのは、嫌いだからって理由じゃあない。」
「嫌いよ!みんな!」
ムキになって叫ぶ。
「違うね。ティーラちゃん。君は人を憎んだことがないはずだ。恨んだ瞳をしてないもん」
「そんなことない!みんな大嫌いよ!」
「貴女は・・・世界を救うほど優しいから。自分を犠牲にしても他人を守る。君の棘は、自分を守るための殻でもある。でもその前に、他人を守ってるはず。ティーラちゃんはよっぽどディート君が好きなんだね。」
「ち・・・」
ストレートな表現にティーラは俯いて赤くなる。
「ちがうもん・・・ちがうのに・・・。もう・・・ダルグさんは大嫌い。」
「『だるぐさんは』ってなに『は』って・・・・オレっちは問答無用で嫌いなんかいっ!」
ダルグは深いため息をついた。
「でもね、君が一言『たすけて』って言えば、彼は君を救ってくれる、」
「やめてっ!」
ティーラは言葉を遮る。
「あたしは助けなんていらない!ただ消えたいだけなの!」
強い瞳で訴えても、そう自分に言い聞かせることで心を麻痺させてみても、ダルグにはティーラの本心が痛いほどわかった。本当は自分を救って欲しいこと。だけど、助けられずに犠牲が増えていくばかりで。それを止めるためには救いを求めなければいいと知った。
求める気持ちを心の奥底にしまって、この苦しい生からも、彼女を救えない世界からも、すべて逃げることを選んだ。それが一番良い方法だと。それが一番幸せなんだと。
じゃあ、彼女自身の幸せは・・・?
彼女を想う者の想いは?
「とりあえず、少しは自分のこと好きになって、死ぬ事ばかり考えないの!」
ティーラの中にも正気はある。間違ってるってきっと解ってる。
でも、大きな大きな狂気の前では、それらは影を潜める。
育った光は、何度でも踏みにじられる。定期的に、決まっている儀式のように。
「・・・だって・・・もう・・・きめたから・・・。」
拗ねた子供のように小さく呟くティーラに、今日はこれ以上の説得は無理だと判断する。だけど手応えはある。もう少し時間掛ければきっと理解出来るはず。どんな傷もきっと癒える。
今日はこの位にしようと、ダルグはベットから立ち上がる。
「ふぅ、わかった。また帰ってきてからゆっくり話す。」
「話さないもん。・・・どこに、いくの?」
「ど~したの?一人が寂しいのぉ~?誰に会うか気になるう~??」
「気にならない!!」
からかって茶化すダルグにティーラはいよいよ怒る。
「素直じゃないなぁ。まあ、ゆっくり寝るのもいいし。考えるのもいいし。すぐ帰ってくるから。ここは中から結界張ってるから安全だよ。ただし、絶対外に出ないこと。危ないおにーさんいっぱいいるからね。」
ダルグさんが一番危ないおにーさんなのでは?とも思ったが、自分を危険な目に遭わすつもりはないようだ。ダルグが優しいのは十分すぎるほどティーラにも解っている。ただ素直になれないだけで。
取りあえずダルグも、デスター本部に彼女を渡すコトは考えてない。
「それともうひとつ。約束して欲しいことがあるんだけど・・・」
「いや。ダルグさんと約束なんかしない。」
「まあまあそう言わずに。あのね、オレッチがいなくなったら・・・泣いてもいいけど悲しまないでね。」
「え?」
突拍子もないことを言われて咄嗟に聞き返す。
「まあそれだけ。じゃあ行って来るね~」
「え?ちょっと・・まって・・・」
ダルグは曖昧な言葉を残して部屋から出る。部屋に鍵を掛ける音が聞こえたかと思うと、足早に足音が遠ざかる。ティーラに疑問と不安が残る。
そんなこといわないで
また何かを犠牲にしそうで・・・恐い。
恐いよ・・・・。
岬の神殿を目前にしたあの岩の森から、ベルの炎の馬で走って着いた街は、西大陸ネスの街道の中央に位置する『ルタシティ』
ネスを旅する人は誰でも一度足を向けることになる出入りの激しい賑やかな街だ。
この街から街道を外れると小さな砂漠が広がっていて、砂漠に隠された遺跡がたくさんある。そのため、遺跡探索者やトレジャーハンターなどが多いし、砂漠地帯での遭難者も多く、良くも悪くも喧噪が絶えない。
事件や依頼が多いため、この街にデスター辺境本部が造られたのかもしれない。
それ以外は商業が盛んで、露店や芳しいにおいを放つ喫茶、レストランなどが客を寄せ付けるための張り紙や勧誘でにぎわっている。
ディートは到着して早々デスターに乗り込んでやろうと考えた。
だが、デスターは何でも屋の会社で、ロビー受付は一般人や依頼人で賑わっている。中には用もなく団らんしにきている人や、受付嬢を口説いている人までいる。なんとも平凡な日常を見て、マイルのような悪と此処が同じものとは思えなかった。デスターというもの総てを悪とは断定できない。もしかすると、依頼主は他にいて、デスターは動かされているだけなのかもしれないし。
とてもじゃないけど受付嬢に「ダルグさんいらっしゃいますか?」なんて言える気分でもなく。ディートはデスター一階ロビーを後にした。
街の中央通り。デスターの豪華な建物を背に商店街を人混みに紛れて歩く。土産物の人形のにやついた顔に訳もなく苛立ちながら、次の角をなにも考えずにふと曲がる。少し歩くと屋外カフェがあった。昼頃で客が多い。それでも、紺碧の制服はやけに目に入ってきた。
ガンっ!!!
彼が優雅にコーヒーカップをソーサーにおいたその瞬間に、ディートはコーヒーが踊るほど机を叩いてしまった。
瞳に冷たい蒼い炎をたぎらせ、真っ直ぐ睨む。幼なじみのブラウンの瞳を。
「やぁディート君。奇遇だねぇ~。」
ダルグは気迫に圧されることなく平然と言う。
「殺されたいか?」
凄まじい怒りの気。周りの客は何かを感じ取り迷惑顔で身を潜めた。ボーイも近寄ってこない。座って軽い笑みを浮かべてディートを見上げるダルグと、殺意を含んだ瞳でダルグを見下ろすディート。
「ん~。物騒な物言いだねぇ~。とりあえず、場所かえよう。そ~んな怖いカオしてたら営業妨害になるからね~。まったく。怒ると人が変わったように怖いんだからぁ~」
ポン、とディートの肩を叩いてジャラ銭をテーブルに置き、サクサク歩き出す。
何も言わずディートは後をついて行く。通りを二つほど跨いで角を曲がると裏路地に入った。地下に潜る階段があり、いかにも酒場風なドアを開ける。
「よう。ダルグ。内緒話かい?」
「そーだよー。借りるね。」
明るい外とは違って暗いランプのみが照らされた店内。ダルグはカウンターの女店主に挨拶してからもう一つ奥の部屋に入る。そこは、小さなベットが一つあるだけの部屋だった。ダルグが手早くランプをつけた。
「よーこそ秘密基地へ。」
「ティーラは何処だ」
「第一声がそれぇ?ちゃぁんと本部で保護してるよ」
その返答を最後までは聞かず、すぐにディートは踵を返した。
「ちょっ!待てって!」
ダルグは慌ててディートの腕を引っ張る。
「はなせ!ティーラがあぶないだろ!!」
「何でそこまでするのさ!ほっときゃいいだろあんなコ!!」
ダルグのその言葉は、強かった。
ディートはダルグの腕を迷惑そうに振り払い向き直って主張した。
「ほっとけないだろ!依頼人だぞ!だったら誰があのコを岬の神殿へ連れて行くんだっ」
「オレが行く。」
ダルグは真っ直ぐ真面目に言い切った。
「オレが彼女を連れて行く。それでいいだろう?オレは強いし、君みたいに怪我もしないしさせない。誰が連れて行っても同だろ?これで君は用がない。普通の生活に戻ればいい。報酬が欲しいならオレから払ってあげる。わかってるだろうけどあのコはお金もってないよ?」
「・・・っ・・・」
ディートは言葉に詰まる。そりゃそうだ。わかっている。ド正論すぎる。
「彼女から何が欲しいの?あの身体?」
「んなわけねーだろ!ふざけんな!」
「じゃあいいよね?」
「よくねーよ!俺が依頼をうけたんだ!!」
「ティーラちゃんは別に誰でもよかったってサ。だからディートを置いて神殿へ行ったんだよ。」
「・・っ!それでもベルが!あの子をっ」
「このことはベルちゃんも了承済みなんだよ。」
「・・・・っ!」
なんの論破も出来ない。なんでダルグはこんな事を言うんだ。わざわざベルとなにかを企んで。
「くそっ・・・・・・。」
ディートはそこにあった椅子に力無く座り俯き考える。『仕事』じゃ理由にならない。ダルグに総て潰される言い訳。
気づけば自分も納得できなかった。そう。本当の理由がすでに『仕事』では無いことは、薄々気づいていた。自分は、自分に無意識に嘘をついている。それが窮屈で迷いを生む。本当はどう思っている?
目を閉じ、彼女を思い描く。一挙一動。少ない言葉。儚い表情。
もし偶然助けた人が違う人で、その人もお人好しで岬の神殿まで連れて行けたと仮定する・・・そしたら?
「・・・・・・ティーラは・・・・」
なにを言い出すんだろうとダルグは待つ。そう、二人を引き裂いたのはベルと計画してやっていること。自覚させること。これからどうするかを。
そして絆を思い出してもらうため。
過去から続く、未消化の事象の一片でも
だって、彼女を救えるのは彼だけだから。だからまず素直な彼の心を目覚めさせる。
さあどうするの?どう理由を付けるの?ダルグは心の中で微笑む。
「・・・ティーラを・・・とめなくちゃ・・・。」
「とめる?」
「そうだ・・・・あのコは・・・。」
ディートは苦しそうな顔で言う。
「死にたがっているだろう?」
彼女は言った。初めて会ったあの夜。倒れてきた時。
『・・・お願い・・・助けて・・・・あたしを・・・・」
「『殺して』」
ディートは頭を抱える。
「そう言ったんだ・・・。」
知っていた。自分を憎んで、何かに怯えて。だけど、
「求めてくれた・・・俺のこと・・・」
必死で縋りついてきた冷たい身体。優しさで肩の傷を治してくれた。大切にしてるから、遠ざけることしかできない。守りたいから身を引くことしか知らない。優しくしたくても拒絶することしか知らない。
そんな彼女だからただ今は、側にいてあげなきゃ、止めてあげなきゃ。彼女の願いを。
そうそれは自分にしかできない。求められた自分にしか。彼女が他の人に縋るとは思えない。
「でないと、また一人でいってしまう。」
表情が辛く歪んだ。女々しいけど涙が溢れそうだった。
絶対嫌だ。嫌だ嫌だ!手放したくない。一人にさせたくないし、自分も一人になりたくない。恐い。想いが溢れる。
「なぜこんな、強い気持ちがわき上がってくるのかわからないんだ・・・本当に自分の想いなのか?自分でもほんとのところよくわからない。」
「それはディートの感情さ。間違いない。」
ダルグが確定付ける。
「『なぜ』って事は今から確かめに行け。過去は今から片付けに行くんだ。過去を清算して、未来を作る。」
ダルグの言葉にハッとした。そうか、これがベルが抽象的に言っていた問題かもしれない。
「ちゃんとティーラと話がしたい。ティーラから話を聞きたい。ダルグ、会わせてくれ!」
だがそれを追求すると言うことは、もっと問題が増え、困難な道を歩き、いろいろな物を犠牲にすると言うことだ。
「・・・いいのか?日常に戻れなくなるぞ?」
ダルグが重々しく言うので考えてみる。
日常。そもそも、この日常はいつから始まった?
すべてを無くして、絶望した。
家族を亡くして、故郷を無くして、只流されて。
たどり着いた場所はゴミのような場所。
荒れた生活と活気の無い毎日。
それに転機が訪れた。再びベルは現れ、自分をこう説得した。
『こんなトコで腐ってないで、行くわよ!』
そう。動機は復讐。これは復讐の旅。だがベルにとっては捜し物があるらしかった。
ベルは失われた自分の身体を探していたし、実際敵討ちも目的だろう。その他にもなにか。
退屈じゃなかったわけじゃない。ベルと居るのは楽しかったし、いろんな事を教えてもらって、少しずつ大きくなりながら旅した。剣の腕も強くなった。復讐なんて気持ち持ちたくないとも思い始めた。優しく、強くなれたのは、旅の中でいろんな人に触れあって成長できたから。
だけど、ふと思うと、満たされない自分が居る。何かが足りないと感じ、無意識に何かを探していた。
その渇きを消す存在が、あの子のような気がしている。
ティーラと自分は何かあると、それは感覚ですぐにわかっていた。頭で理解できるまでにこんなに時間を要してしまったけれど。
もう今までの日常に戻れない。出逢ってしまったから。
そして彼女が傍らにいることが、新しく日常になるだろう。
「ティーラの側に、俺は居たい。」
「命を落とすかも知れないんだぞ?」
まだダルグは言う。死ぬかも知れない、と。
「あのコは自分の所為で誰かが傷つくを嫌がるだろ?」
その問いにダルグは頷く。自分の存在の所為で他人が傷つくことを、彼女は過剰なまでに恐れるはずだ。
「だったら俺は死なない。あのコが嫌がることはしない!」
強く宣言するディート。やっとたどり着いた、自分の無意識の感覚への答えだ。
「さっ!いこう!ティーラを止めに。」
「ああ。そこまで君の心が決まってるなら、もう言うことはないんだ。いこう!」
ディートの感情を目覚めさせることは出来た。元々素直で真っ直ぐな性格だ。明るく物事も考えれよう。
「ダルグ!」
「なに?ディート。」
「俺、ティーラを目の前でさらわれたとき・・・」
困惑した。それは隠しようがない。でもそれだけじゃあない。
「・・・裏切られて悲しかった。」
再会したばかりだが、昔のまま、彼も大切なモノの一つだから。
「ダルグはいつも俺のことを想ってくれてたんだよな。だから時に苦しいことを突きつけてくれたんだよな。ありがとう。憎まずにすんだ。」
その言葉は嬉しかった。ダルグの心に華が咲く。
自分の選択は正しかった
あの夢。鍵の夢。いまダルグは、自分の命よりも大事なモノを守るための選択をしようと思う。もし生贄を捧げたとしたら、その犠牲で自分が生きていくことになる。そんなのきっと耐えられないし。自分はそこまで悪人になれない。
残りの命を後悔しながら、彼に恨まれながらは生きたくはない。
自分は、正しいのだ。自分だけが選べる選択肢。
「ふっ」
ダルグは笑った。
「マジで、あん時ディート怒らせるのひやひやしたよ~。脚ががくがくしたさ。」
「絶対嘘だ!楽しんでただろ!!」
「あはは~バレたか~。」
ディートとダルグはデスター辺境本部まで肩を並べて走った。隠した宝箱を秘密基地に取りに行く、少年時代のように。
きっとオレの魂は、こんな愛おしい傷達を忘れないだろう。
ダルグに連れてこられた部屋のベットの上で、浅い眠りを繰り返していたティーラは、彼に言われた言葉を反芻していた。
何と言われても自分の心は決まっている。
岬の神殿の場所を教えてくれたラファールは、自分のせいで消えてしまった。たどり着くまでに何度か声をかけた男達も、傷付けてしまった。早く消えればこれ以上の犠牲を積み重ねる事もない。
それに、時間さえ残されていない。
早くしないと・・・あたし・・・。
もうこの次は二度と外へなんて出られない。
あの人のことを考える。身体に震えが走った。連れ戻されれば、きっともう正気でなんていられない。
あの恐ろしい・・・『罰』が下る。
身体が震え出す。力が入らない。
「・・・ぁ・・・」
どうしてだろう。恐いことを考えたからだろうか。でもなにか嫌な予感がする。ベットの上で自分の身体をきつく抱きしめる。一人は自分の闇を増殖させる。
「早く帰ってきて・・・ダルグさん・・・」
そう呟いてからまた枕に倒れ込むと、暫くしてドアノブを回す音がした。
「!ダルグさん!?」
ゆっくりベットからおりて扉に近づくが、誰も入ってこない。
がちゃっがちゃがちゃっ!
「!!」
ドアノブを乱暴に回す音がした。違う。ダルグではない。
身体がぞわりと震え、硬直し、冷たい汗が流れる。扉から後ずさるとフっと、部屋を包んでいたダルグの気が消えた。
その意味は絶望と危機感で知らされる。おそらく厳重に張っていた結界を壊されたんだろう。
ガチャリと扉が開き、綺麗なデスクルームに四人の男があがりこむ。ダルグと色が違う黒と白ラインの制服。帽子と真っ白な手袋をはめた男達がティーラを確認する。
「!!!」
部屋の奥に逃げ込む。ベッドの側の壁には窓があった。そこから出られるはず!
どこから開けるのか解らず、窓にへばり付くようにいるティーラを、男は余裕を持ったスピードで追いつめ土足のままベッドを踏んだ。
「あ・・・っ!」
そしてそのままベッドに押し倒し両腕両足を押さえられた。
「いやぁ!」
男の体重でギシリとベッドが音を立てる。
「ティアルトーラ様。我が師お呼びです。ご同行願えますか?」
無機質な声で男が言った。
「・・・ぁ・・・いやっ!はなしてっ!!」
冷たい目がティーラを見下して見ていた。
「拒否する場合は強行手段があります。」
丁寧な口調とは裏腹に卑下し、汚れ物でも見下ろすような目だった。
「嫌っ!あたしはいかない!!さわらないでっ!!!」
バチッ!!
ティーラが叫ぶと青い光が身体から溢れた。
腕を持っていた一番近い男が、ティーラが発した閃光をまともに浴びた。
「グッ!!」
男はくぐもった悲鳴を出し白目をむいてティーラの身体の上に落ちてきた。
「ぅっッ!!」
ティーラの身体に男性一人分の体重は重く、身動きがとれないままうなり声を上げた。その間にもう一人の男が、仲間を心配する様子は微塵もなくこう言い放った。
「一人損傷。抵抗するなら強行を実行するだけです。」
「いやっ!やぁぁ!!」
青い光が放たれる一瞬前に、ティーラを押さえつけ細い首に何かを取り付けた。
「ああッ!!」
青い光は、光だけ放たれたが男達を傷つけることはなかった。代わりにティーラの胴に線を引いたように切り傷が着いた。白い服に赤い血がにじむ。
「対神用拘束具を貴女用に改良した物です。貴女の“青の力”を感知し、吸収して逆流する事が出来ます。」
艶やかに輝く銀色の輪が細い首にかけられた。そして鎖。
「やだっ!これ・・っ!くっ!!」
「案ずることはありません。貴女がその強大な力を使わなければ何も危害はないのですから。」
冷たく男達が笑ったように見えた。
終わった。只、そう思った。
もうなにもかも、微かな残酷な夢さえも、儚い一瞬の思い出も・・・。
もう何もかも色あせて過去になり、そしてやがて自分の中から消えてゆく。
涙が溢れた。
男が鎖を促すように引く。
「お嫌いでしょうが、すぐ到着しますよ。貴女の居るべき場所に。」
その声には感情は含まれていなかったが、ティーラにとっては最悪の嘲りだった。
もう終わり?もう、おしまい?
この脚で、たくさん歩いたこと、逃げたこと、この力で人を傷付けたこと?
ちがう、終わらせたかったのは苦痛と痛み。
此処で終わるのは、
優しい心配、柔らかな庇護、交わす言葉、伝わる体温、希望の芽生え、蒼い瞳、
あたしを呼ぶ・・・聲
『もう平気だから。大丈夫。』
『こわくないよ。』
『何かあったら俺の名前呼んで?』
口に出してもいい?叶わないと解っていても。
「・・・・て・・。」
呟くと涙が流れて落ちた。どんどん出てくる本当の、
「・・・たすけて・・・。」
聲。
男達はまた冷淡に言った。何を無駄なことを、と。
だけどもう止まらなかった。
「・・たすけてっ!たすけてぇぇ!!!」
叫ぶと涙が飛び散った。自分の中の力が溢れて、逆流して身体に痛みが走った。
だけど切に願い、叫び、呼んだ。
「 ディート!! 」
デスターの辺境本部の正面玄関に入り広いホールを見渡したとき、異変を感じた。
人がいないとまず思った。そのあと人が立ちあがってないだけだと気づいた。転がっているのだ!何人もの人が!
「血の、臭いッ!!」
ディートは反射で剣の柄に手を掛ける。突如ダルグは階段の方へ走り出した。ディートもそれに続く。大きな踊り場に倒れてる女性がいた。ダルグは駆け寄って抱き起こす。
「!!」
生暖かいモノがべっとりと手に付いた。大きな刃物で切られた傷があり、そこからドクドクと血が流れ出す。
「・・ぁ・・だ・・るく・・さ・・・・。」
綺麗であっただろう髪も、デスターの女性用の制服もボロボロになって赤く染まっている。これは、もう・・・
「ただいま、リナ。留守中変わったことはなかったかい?」
ダルグはいつも彼女に接しているように話しかけた。デスターの正面ホールでいつも明るく受付をする女の子。疲れて帰ってきて、その顔を見るのが好きだった。
「・・え・え・・・な・・にも・・・・・しょ・・るいが・・たくさ・・ん・・が・・」
小さくなる呼吸音と共にかき消えそうな声。ダルグの治癒魔法なら傷口を塞ぐことは出来るだろう。血も止まる。だが足せないのだ。これだけ失い流れたモノを埋めるほどエネルギーは与えられない。
もうどんなにあがいても彼女は・・・だったら安らかに送ってあげたかった。だからダルグはいつも通り話しかけた。
「ため込んでる書類には目を通しとくね。この間言ってた用事も済ませておくよ。そしたらさ、今度の日曜ご飯食べに行かない?」
「・・・ふふっ・・・また・・・なんぱ・・・です・・か・・・・・いいかげん・・・に・・・して・・・くだ・・さ・・・・・だる・・・ぐさ・・・」
彼女はくすぐったそうに微笑みながら・・・止まった。それ以上綺麗な唇が動くことはなかった。あの日のように、お帰りなさい、と受付で微笑むことはないのだ。もう二度と。
ダルグはゆっくりとその場に身体を降ろしてやる。今は弔えない。
「くそっ!!」
苛立った声で立ち上がる。全身の血が沸騰しそうだ。今すぐにすべての力を放出したくなる。そうしたらどれだけのモノが壊れるだろう。そんなドロドロの感情を必死に理性で押さえる。
気付けば死体は彼女だけではなかった。階段の上。吹き抜けから見えるホールにも。仕事部屋、接客部屋。デスターの制服を着た者や依頼人など、すべてが死の際か死体だった。「なんて事だ・・・さっきまで・・・・・・ッ!!」
手に力が入る。グッと握った拳から血が滴り落ちた。怒りで狂いそうだ。それは傍らにいるディートも同じだった。さっきまで普遍的に賑わっていた場所なのに。こんなに無惨に、ひとたまりもなくほとんど一瞬で、これだけの人を殺されてたまるもんか!
「ダルグ・・・」
ディートはこんなに顔をゆがませたダルグを見て何も言えなかった。だがダルグはディートに向き苦い顔で言った。
「すまない・・・・オレが!安全だと思っていたのが間違いだ!!すまない!こんな強行突破するくらいなら、もっと早くに行うだろうとっ・・・・!!!」
「ダルグ・・・」
ディートはまた言葉に詰まった。本当に何も言えなかったからだ。そんな二人の間に、微かだが確かに、悲鳴が聞こえた。
彼女が放った悲痛な叫びが、ディートとダルグを突き動かした。
「いくぞっ!」
二人は階段を駆け上がった。
男の一人が、脱力しているティーラを抱き上げた。瞳は開いているのに何も映していない。動いているのは涙と、再生途中の傷ついた身体から流れる血液だけだ。
感覚は閉じていく。きっと心臓を刺されても声一つあげないだろう。それを判断する男達は彼女を可哀想と思いを馳せることはない。わずかに感情はあるが、死ぬまで任務に忠実に。それだけで生きている男達だ。
「任務推進良好。最終行程に移る。」
その冷たい言葉の音を最後に、彼女はゆっくりと目を閉じようとした。視力も聴覚も、すべての感覚を閉ざすために。だけど・・・
ドクンッ
心臓が高鳴り閉じかけた目を開く。
何故かドクンドクンと鼓動が脈打ち、身体が熱くなる。真っ暗な視界がゆっくりと灰色になり白くなり、辺りを映し始める。髪の毛一本一本の感覚を徐々に理解しだす。頭の先から爪先までのすべての感覚が戻っていく。
なぜ?もう何も感じたくないのに。
心と体の矛盾に狼狽したとき、そうなった理由が耳に聞こえた。
「ティーラ!!」
その声に呼応するように叫んだ自分が居た。
「ディート!」
男の拘束は緩かったため、腕から離れディートへ駆け寄る。だが、
「っあ!」
首を引っ張られる。鎖が男の手の中にあるままだ。
「逃げられるわけがない。」
「・・・そんな鎖は、」
ダルグがつぶやいた。
「必要ないんだよっ!!」
符紙を取り出し鎖に貼り、手のひらを当て力を込めた。バチリッと焼き切れる音がして鎖は中途で砕かれた。
「逃げろ!」
ダルグは促して自分の自室から離れた。ディートは戸惑いながら、そしてティーラの追っ手をチラリと見てダルグについて行く。
階段を下り、外に出ようとするダルグだが、
「!!」
ホールの中央に真っ赤な魔法陣が現れ、そこからぞくぞくと機械人形が出てくる。
「なんだ!!」
ディートが指さし、驚愕の声を上げる。
「・・・こっちだ!」
舌打ちして他の道を探すが、階段を上に昇るしかない。ホールから伸びる絨毯の敷かれた階段を三人は昇る。ディートは少し乱暴だがティーラの腕をしっかり持って、半ば引きずるように走らせる。
「ってかなんでさっきから逃げてんだよっ!」
ディートが叫ぶ。
「さっきの奴らがティーラをこんなにして、皆を殺したんだろ!あいつ等ぶっ倒そう!」
「それが出来れば苦労はしない!」
ダルグは振り返って怒鳴る。
「あいつ等、白い服を着た奴は『デディケイター』。一人くらいなら袋だたきに出来たかも知れないが三人もは無理だ!」
「相手は人間だろ!」
「強化人間だ!デスター総帥の直属の部下で、どんな力を秘めているかわからん!それに機械人形が出てきた方陣!あれは転送魔法だ!最近理論が確立したばかりのな!」
歯がゆそうに言った。いつもヘラヘラしているダルグでさえ、かなり苛立っていた。
「そんな高度な技術持ってるんだぞ!二人で刃向かえるわけない!」
「・・・・クっ」
ディートは歯噛みした。もちろんダルグも同じ気持ちだ。
「悔しいがディート!ここは精一杯逃げろ!」
抗えなくて、ただ逃げるだけなんて!本当は今すぐぶっ飛ばしたい。何も考えずあいつらを殺してやりたい!たとえ死んだって!でもそれは一人の自己満足だ。
だが今は守らなければならないモノが居る。まだ死ねない。死に場所はここじゃあない!
「ディート!いるの!?どこにいるの??」
突如女性の声に、ディートはいち早く応えた。
「ベル!!ここだ!」
階段の上からベルが降りてきた。後ろに一度会ったウィルワームもいる。蒼白な顔でベルが捲し立てる。
「どうなってるの!?屋上に降りたら結界の中に入ってしまったことに気付いたの!でも出られないしアンタの気を感じたから降りてきたんだけど!」
「ってかにげられないんだ!」
ディートが現状を説明すると、ウィルワームが冷静に言った。
「階下に強力な法陣を感じます。機械人形の召還。なるほど。そこまで最新の技術を使うとは。本気、ですね。」
「此処を私たちの墓場にして、ティーラを何としても奪うつもりね!」
ベルは唇をかみしめる。機械人形かデディケイター、どちらか一方も突破できない。機械人形は数が多すぎる。デディケイターは単純に強い。
「しかたない。屋上から飛んで逃げましょう!」
「そんなこと出来るのか!?」
「わかんないけど結界破って逃げるしかないわ!あとはこいつに任せましょ!」
そういって誇らしくウィルワームを指さした。
「いや。私はもう力が10分の1くらいしか残っておりません。死ぬ気で飛びましょう。あとは風が何とかしれくれるかもしれませんね。」
「ほら!なんとかなるって!」
ベルは屋上に走り出しながら言う。
「じゃあオレが結界に穴を開けるよ!」
ダルグが言う。心強いベルも揃い、何とか危機を脱せそうだと一瞬でもディートは安堵した。がすぐ後悔することになる。
屋上の扉を蹴破り、ダルグが結界を破ろうと天高く手を伸ばし力を込めようとしたその時、苦痛に悲鳴を上げる。
「くっ!ああ!!」
ダルグは右腕を押さえる。火傷のようなまだらな、文字のようなものが腕に広がっている。
「それはっ!」
ティーラが叫んだ。顔を背ける様に目を覆いながらも、はっきりとその傷を見て戦慄した。その術の痛みは十分身にしみている。それをまさか自分以外の誰かが受けることになるとは思わなかった。
「あの鎖にかかっていた術・・・か。ははは、オレにかかったみたい。」
「ダルグさん!!」
ティーラが駆け寄るより早く、ダルグは深い呼吸をハッと吐いた。
「・・・押さえ込んだよ・・・・。大丈夫これ以上は感染は広がらない。でも暫く力は使えそうにない。自己治癒力でなんとか押さえてるけど・・・気を抜いたら全身に広がり喰われそうだ・・・ハハ。なんて、強力な・・・・くっ・・・!!」
玉の汗をたらしたままティーラに微笑んでみせる。
「・・ご・・ごめんなさい・・・ダルグさん・・・ごめんなさ・・・・」
「大丈夫。だから泣かないで。ね?」
優しく左手で肩をぽんと叩くダルグに、ティーラは疑問を抱く。自分の所為で苦しい思いをしているのに、そんなときまで優しい言葉をどうしてかけられるの?
「・・・・ごめんなさい、あたし、あたしにできること、ないかな?」
ティーラは涙を拭いてダルグに言った。なにか、しなくちゃ!なにか、
あたしも!
「驚いた・・・。」
ダルグはそのつぶやきの通り、目が出そうなほど目を大きく開いていた。
「え?」
「今、初めてティーラちゃんの前向きな言葉を聞けた気がするよ、オレ。」
ティーラはちょっとムっとした。
「あはは、すぐ怒るんだから。でも、ねえ?一人じゃないっていいだろう?心が勝手にうごくんだよ?自分だけじゃない。みんなのための、自分になれるんだ。大切にしたくなるだろう?側にいるヒトを・・・。」
ダルグが周りを見渡した。二人の会話を聞いてる心配顔のディートと、顔色を変えていないウィルワーム。そしてベルはにんまり笑っていった。
「だったら私が!結界を破るわ!早くこんな所脱出しましょうよ!」
ベルは結界を打ち破るように炎の塊を一点に集中して虚空を攻撃する。
「なんて厚い・・・」
ベルは舌打ちをした。空の虚空、半透明な結界の内壁に炎はぶつかって離散した。だが手を止めず、分厚い結界を焼き切ろうともっと力を込める。
「手伝いますよ。早く帰って、風の気持ちよい木陰で昼寝がしたいので。」
ウィルワームはそっとベルの後ろから力を注ぐ。
「俺は屋上のドアを塞ぐ。結界は頼んだぞ!」
ディートは、結界破りの作業の支障が出ないよう、ドアを見張る。
ダルグはこんな中、静かに笑ってる。
「ね、ティーラちゃん。じゃあ、帰ったらおいしいモノたべる?どっか遊びに行く?楽しみだね。ちゃんと決めといてよ?微弱ながら、結界破りの手伝いしよっか?早く出よう?ね?」
ティーラは、胸の中から何かがこみ上げてくるのがわかった。なんだろう。むずがゆい。熱い、身体が動きたくてうずうずする。顔がなんだか、こそばがゆくて、変なの。唇の両端が変に上がってくる。でも目の奥が熱くなってくる。
「うん!あたしも、」
あたしも手伝う。そう言いたかった。
言いかけたのに言えなかった。
ドクンっ
「・・・・・・!!」
「ティーラ、ちゃん・・・?」
微笑んでたダルグが、真顔になっている。心配そうな顔が近づいてくる。
ドクンドクンっ!ドクンッ!!!!
景色が歪む。曲がって、暗くなって、
「・・・ぁ・・・・っ・・・・・あ・・・・あ・・・!!」
近づいてくる、人影が、誰か、が、人影が手を伸ばしてくる。見えない。息が出来なくない。
あたしを、捕らえようと真っ直ぐ手が伸びてくる!!あの人の、腕が!
こわい・・・・いや・・・・いやだ・・・・・いやだいやだ!お願い!!正気でいさせて!せっかく・・・・
「う・・・・いやぁ!!!」
ティーラはいきなりその場で嫌々をして後ずさり、尻餅をついた。
「ティーラ?」
「ティア!!」
ウィルワームがディートよりも早くティーラの側に行き様子をうかがう。目の焦点が合わず、顔も蒼白になり呼吸も荒い。身体が小刻みに痙攣している。
「ティア!しっかり!」
「こないでぇ!!」
暴れるようにウィルワームを突き飛ばし、訳もわからず何かから逃げるように這い蹲った。ディートはその腕を掴み身体を起こして暴れるのを止めようとする。
「ティーラ!ティーラ!しっかり!」
「ぁ・・・や・・来ちゃ・・・・いや!・・・くるし・・っ!・・・こな、いで!」
「これは・・・この枷の力か!?」
首にかけられている枷を指す。それは淡く青く発光していた。鎖にも術が掛かっていてダルグを苛んでいるのに、こっちはその何倍もの術がかけられているようだ。
「この枷から強い力が溢れてる。」
ダルグが言う。
「壊さなければ!ティアが自分の力で自分を傷つけてしまう!それに居場所を知らせる機能ぐらいついているでしょうから!」
そうウィルワームは言うが、ティーラに近づこうとはしない。出来るならすぐにでも壊してやっている。枷に触っただけで精霊の力を総て吸い取られ消滅しそうだと恐ろしくて背筋が凍った。だから触れないでいる。
「・・・ぅ・・ああっ・・・」
ティーラが自分の傷つき始めた身体を抱き震える。それをディートがギュッと抱きしめる。
「ティーラ!!」
体中のあちこちの傷からでた血がディートの服に染み付く。それでも構わず強く抱く。
せっかく、きれいな肌にもどっていたのに
「ティーラ!!しっかり!」
「ベルアース!結界を早く!!これはまずい!!」
ウィルワームが険しく叫びながら、屋上のドアに走る。とうとう屋上に機械人形をつれたデディケイターが昇って来たようだ。
「無駄な悪あがきをしているようですね」
「なんなのよ!最悪の事態ってやつなの!?アタシとアンタで、絶対にティーラを守るのよ!」
「死なない程度に頑張ってみましょう。」
ウィルワームの表情は強ばっていた。それがかなり絶望的な事だと表していても、やるしかない。護るしかないから、二人はティーラ、ダルグ、ディートより前に出て構えた。
「これ以上は進ませないわ!」
「でしたら、あなた方を殺して、ティアルトーラ様をお迎えすることにしましょう。」
デディケイターの一人が剣をスラリと抜く。
ベルとウィルワームが応戦する中、ダルグはディートとティーラに近づき、そっと囁いた。
「君なら、この枷を壊すことが出来る。」
「・・え・・?」
ディートは目を丸くした。絶体絶命のピンチなのに、何故か彼の声は穏やかで優しかった。
「君の中の力は、元々どんな力より勝る素質の力だ。君のお母さんから受け継いだ、柔らかい金色の力は、どんな苦しみも打ち消す。その力を使いこの枷を壊すんだ。」
「ど・・どうやって・・・??」
「念じて、イメージして・・・焦っちゃダメだよ。」
ディートは言われたとおりにしてみる。その青く光る枷の輪をそっと握る。手に嫌な気を感じた。おぞましく吐き気がするほどの嫌悪感が手から伝わって震える。
「怖がっちゃダメだ。憎んでもいけない。ティーラちゃんを救いたいだろ?慈しむ心で祈るんだ。」
そう。救いたい。こんな苦しむ姿・・・俺は見たくない・・・。
「っ・・・くっ」
「ウィルっ!!」
ベルが、後ろに投げ飛ばされ剣で斬り込まれたウィルワームに叫ぶ。
「・・だ・・・だいじょう・・ぶですよ・・この・・くらい。」
微笑んでみせるが勝ち目はない。裂かれた服からは血がにじみ出ている。対して奴らはかすり傷もついていない。
攻めることは出来ない。力と数が違いすぎる。
そう悟り、ベルは苦肉の策で防御に入る。
「結!」
ベルが手で印を組むと、大きな結界に似た壁が出来た。デディケイター達と自分たちを隔てる透き通る赤い壁。
「粗い防御壁ですね。つつけば壊れそうだ」
「防御壁を保ちながら結界を壊すつもりですか?いい案ですね。出来るのなら。必死のようですし、力つきるのを待ってからでもいいですよ。殺すのは。」
デディケイター達がそれぞれ言う。確かに一分も持ちそうにない。
どうすればっ?どうすればいい!?
どうすれば・・・できないっ!
「焦っちゃダメだっていっただろ。ゆっくり、集中するんだ。」
ダルグが囁く。おちつけ・・・と自分の心に言い聞かす。だが、そう落ち着けるものじゃない。耳からは、ワームやベルの叫び声が聞こえ、腕の中でティーラは喘ぐ。
「っく・・・」
玉の汗を浮かべ、唇をかみしめる。
出来るはずなんだ。この輪を壊せるんだ。早く・・早く!・・いや・・・おちつけ。ゆっくり・・・壊せ・・・壊さなきゃ・・・早く!!
「ああっ!」
ベルが叫ぶ。防御壁がバチバチッと音を立て薄れる。デディケイターがベルめがけて剣を構える。
「そろそろ死んで下さい。」
「ベルちゃん!!」
ダルグがベルを助けに行く。デディケイターの一人はウィルワームに。もう一人はディートへ猛威を振るう。
「くそぉっ!」
ディートはこれ以上は無理だと思いティーラを庇ってパーソビュリティを抜く。
やめて。
かろうじて攻撃を打ち流すが、再度繰り返される素早い攻撃に対応できない。剣を交えて理解した。ダルグが逃げる程の相手。人間離れした剣術と体術。そして魔法まで!
「うぁあっ!」
回避したと思ったが、相手のスピードが早く肩から血が飛沫のように吹きあがる。
やめて。
「きゃぁっ!」
「く・・・・うっ・・・」
皆がそれぞれ悲鳴をあげる。それが耳に届く。
もうやめて。やめて!!
デディケイターの一人がティーラを捕らえようとした。それを体当たりで何とか飛ばすディート。だが、すぐに体制を戻して、剣を構えてディートに突っ込んでくる。
「ティーラはわたさねぇぇ!!!!」
ディートが吼える。
輪を壊す暇なんか無い!戦わなければ殺される!奪われる!
だからって勝てない。強い。早い。
やめて!
あたしを守るためなんかに・・・。
「もう・・・やめてぇぇぇえええええっっ!!!!!」
青い光が放たれた!
強く。痛いほど強い光。まるで空の彼方に飛ばされたように。
すべてのものがそこで思考を中断させられた。
「ふふふっ・・・」
泣き声に似た、吐息のような笑い声がした・・・
「・・・う・・・」
もうろうとした意識がゆっくりと覚醒していく。体中が痛い。関節が動かすたびに悲鳴をあげているようだ。
「ベル・・ちゃん」
少し離れた所でダルグがベルを起こしていた。ウィルワームも意識を取り戻したようで、立ち上がろうとしてきた。目が慣れない。やけに真っ白で。そのうえ静かすぎて耳鳴りがする。さっきの喧噪が嘘のように。
ディートが目を疑いながらも見えた景色は、
瓦礫の山だった。
少し前まで形を成していたものがすべて崩れていた。そして太陽が明々と光を放っていた。今はもう無い屋根から。
床もない。残った柱の骨組みが高くのびている。上の階でいたはずなのに、下に落ちている。地面がえぐれている。全部が吹き飛んだ後、バラバラになった機械人形の破片も、デディケイターの破片も、そして、デスター達人間の破片も千切れてバラバラになって落ちて積もっている。
太陽だけが明々と生きていた。それが邪魔だ。眩しすぎて。どうせなら夜で、彼女を隠して欲しかった。眩しく光を浴びる少女を。
呆然と立てっている彼女の身体に、血がキラキラと光る。青い髪にこびり付いた自分と他人の血。首についた枷の輪は、強大な力を途中から制御しきれなくなったのだろう。壊れて吹き飛んでいた。だが、途中まではその役割を果たしていたようで、彼女の身体は傷だらけで、服も無惨に破れている。
見たくない。見たくないこんな光景。皆がそう思った。
だが、光は彼女を明々と照らす。
ウィルワームが彼女にそっと近づく。
「・・・・・・・・ティア・・・。」
顔をのぞき込む。俯いて、髪に隠れて顔が見えない。
「ふふふっ・・・。」
小さな肩を震わせて、彼女は笑った。
「・・・あたしが・・・・壊した・・・。」
「ティア・・・」
「・・・また・・・・あたしが殺した・・・。」
うっすらと微笑んだ顔にべったりと血の付いた髪の毛が被さっていた。片目はそれに隠れている。
涙が流れている。血が混ざった涙。微笑んだ顔は次第に無表情になる。
「・・そうだ・・・・はやく・・・はやくしなくっちゃ。」
生気のぬけた声で言う。その続きの言葉をワームは知っていた。何度も耳にしたことがあるから。その度に思った。二度と聞きたくない!二度と言わせたくはない!
そう思いながら、何度聞けばいい?
「はやく・・・あたしを・・・あたしを・・・。」
「ティア!やめろっ!」
ウィルワームはティーラの肩を揺さぶった。それでも形の良い唇から、残酷な言葉は吐き出される。
「はやく・・・あたしを・・・・あたしを殺さなくっちゃ・・・。」
「ティア!私を見ろっ!」
なおも揺さぶり、頬を掴んで自分の姿が目にはいるように顔を向ける。
「ころさなくっちゃ・・・・あたし・・・を・・・・はやく・・」
「ティア!!」
ウィルワームが彼女を腕に抱き寄せる。それでも彼女は呟き続けた。何も見ていない瞳で。何も聞こえない耳で。ただただ、自分の死を願った。壊れた人形のように繰り返し。
ディートは、破片の山を歩きティーラの側に行く。ウィルワームは名残惜しそうにだが、ティーラの身体を預けてくれた。腕からそっと受け取り、彼女の顔を見つめる。前髪をわけてやる。涙に濡れた青い双眸は光を通していない。ディートを映していない。ただただ血の涙がぼたぼたと溢れて止まない。
「ティーラ。」
これまで何度こんな事があった?これから何度、こんな悲しい思いをするのだろう。
そっと頬を大きな手で包む。涙に濡れて冷たい肌。
自分は、彼女を救うことも、願いを叶えて(殺して)あげることも出来ない。
こんな状況なのに、困惑を通り越して冷静になった。
今更、
本当に今更ながら、自分の身体の中から金色の熱量が混み上がるのを感じた。
絶え間なく絶望の呪文を繰り返す彼女の唇。それをそっと塞いだ。自分の唇で。
ゆっくりと、温かい力を流す。唇から伝わり、彼女の指先まで浸透するように。
そして抱きしめる。壊れないように壊れないように優しく。
「・・・・・」」
ティーラは吐息を吐いた。目に僅かに光が差す。
ディートの優しい顔と力がすぐ側にある。
さっきまでの痛みは、夢、だよね。
身体の痛みがつかのは遠のき、意識もゆっくり薄れていく。
唇がゆっくり離れると同時にティーラの瞼は閉じていき、身体はゆっくりと崩れて行った。それを抱き留め耳元でディートは囁いた。
「おやすみ・・・・ティーラ。」
その声はとても優しかった。