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囚われのブルーファンタジー  作者: 麻天無
囚われのブルーファンタジー1巻
1/7

囚われのブルーファンタジー1 CROSS BLUE 1

CROSS BLUE 1-1 必然の出会い inevitable


「ディート!!」

 小さな町唯一の酒場は今日も外まで声が漏れるほど大盛況だった。

 店内で乱闘が出来るほど広いフロアは、まさしく何かが始まりそうで、椅子もテーブルも隅に追いやり、グラス片手に客たちが余興を喝采しながら見ていた。

「ディート!ディート!いっけぇ!!」

 その中に場違いな甲高い少女の元気な声が響く。

 酔っ払いの観衆の円の中で、少女にディートと呼ばれた青年は、敵対する泥酔のおっさんをその蒼い双眸で睨んだ。

「10人目ぇえ!やっつけるのよー!」

 観衆の中に埋もれず臆さず、小さな少女は拳をぶんぶん振り回しながら強気で言う。

「負けたらどうなるかわかってんでしょうね!!」

 鮮やかな金から赤のグラデーションの髪を二つに結んで、髪と同じように軽快に飛び跳ねながら、相棒を応援する。

「酔拳使いだろうが何だろうが、やっちゃいなさーい!おじさまだろうと容赦はしないわー!」

「へいへい。」

 ディートは落ち着いた様子で答え、頭をポリポリとかいた。まあまず負けるわけはないのだ。こんな勝負。

 金茶色のこざっぱりとした短髪に、すらりと細い手足。どこにでもあるような旅装束を身にまとっている。味気ないよれよれのマントに、護身用の剣はどこにでも売ってるだろう大量生産型だ。だが、嫌でも注目してしまうのは左の手首に付けた小手だった。魔よけの宝石と言われる大きなガーネットが付いた豪奢な金色の小手は、なんともラフな旅装束とあまりにもかけ離れていた。

 その左腕を掲げ、グラスに入った水に手のひらを向けている。

「うぃーっく。ニイちゃん。若いんだからむりすんじゃねーぞ。」

 相対する酔っ払いのおじさんも同じようにグラスに入った水を睨んでいる。

「若いからってなめないでください。あなたを倒すと、10人制覇で飲み代タダなんでね」

 ディートの蒼い瞳がきらめいた。飲み代タダはなんとしても逃せない!

「では、【魔法で、顔に水っかけ大会!】よぉーい・・・」

 審判役の酒場のマスターが二人の間で腕を下げた。その腕が上がればスタートだ。

 そう、この戦いは拳と拳の熱きぶつかり合い!・・・なんかではなく、グラスの中の水を操って相手の顔にかけるという単純だがちょっと屈辱的な戦いなのだ。

「ニイちゃん。わしわのぉ・・・」

 おじさんが切なげな声で語り始める。

「嫁にも逃げられ、娘とは会えず、日がな酒を飲むことしか知らぬじじいじゃ。今日も職場で若いモンにはいびられ、出世も出来ず、小銭しか稼げんだめな男じゃ。ああ、楽しいことはないかの。今日飲み代タダになれば、少しは酒の量もへるかの、もう酒に逃げることも減るじゃろうか・・・」

「ぐっ・・・」

 ディートはうなり、冷や汗を垂らした。その時!

「スタート!」

 マスターの腕は上げられ、瞬く間にグラスの水は生き物のようにうねり、「かーーーーーっっ!!」というおじさんのかけ声と手の動きに合わせ水が宙に浮きディートの顔面をばしゃり!とぬらした。

「勝者!酔っ払い!!」

「あああ!くっそーひきょーだぁ!」

「ちょーっと何負けてんのよ!!」

 人垣の中から少女が飛び出して、頭三つも背の高いディートの胸ぐらをつかんだ。

「誰が魔法教えてると思ってんのよ!こんのすばらしいわたしが伝授してんのよ!魔法で負けるな!このヘタレ!!」

「いや、ベル、ちょ、・・・」

 ベルと呼ばれた少女は、勝ち気な深紅の瞳をつり上がらせて、ディートに顔を拭く隙も与えないほど捲し立てた。

「しかも栄誉ある10人勝ち抜きなのに!男として悔しくないのぉ!?勝ってなんぼでしょ!飲み代タダだったのに!生活苦しいのよ私たちっ!!!」

 忌々しげにディートの襟首を突き飛ばしながら離し、腕を組んで悪態をついた。背丈も小さく12歳くらいの少女なのに、なんとも勇ましくしっかりしている。その、金から赤のグラデーションの髪に紅い瞳でも十分目立つのに、服装も光沢のある赤いワンピースを着ていた。炎のような刺繍が施され旅人だとは思えない格好だ。

「ふふふ。つれのじょうちゃん」

 勝ったおじさんはベルに向かって、

「ここのちがいじゃ、こ、こ、の。」

 と、頭を指さしてにんまり笑った。

「くぅうう。明日から魔法だけじゃなくて勉強も追加よ!とくに心理と話術!狡賢くないともうかりませんからね!昨今の“何でも屋”は!!」

「お前ら何でも屋だったのか!旅芸人かと思ったよはっはっは!!」

 人垣の中の一人がディートたちを指さして笑うと、みんなが笑った。

「いや、この町依頼ないんですもん。何も出来なくて明日から旅立つのにちょっとやばいかも。」

 ディートがここ数日ですっかり顔なじみになった町の人々に言う。

「あったりめーよ。俺らがよそ者に仕事渡すかってーの。」

「田舎だしそんな困りごとも頻繁にないなぁ」

「田舎はいいぞー!ぎゃははは!」

 酔った男たちがそれぞれ楽しそうに談笑する。酒場もこの一件のみで、早い時間には子供連れの家族がいるほどだ。マスターも優しく、こんなへんな催し物を毎日やってる成果か、暴力沙汰など滅多にないという。

「ほんとに俺何でも屋で、掃除や洗濯とか何でもするつもりだったのになぁ・・・」

 そう、ディートとベルは“何でも屋”という職業だ。

 何でも屋は名のとおり何でもする。護衛、捜し物、荷物運び。それに加えてディートたちは、掃除、洗濯、ベビーシッターなど、些細なことも行ってきた。

「いやいや、重労働じゃないのかよ!」

「そんな細い腕でにいちゃん荷物持ったりできるのか?猫探しがお似合いだなぁ」

「ちげえねえ。がはははは!」

 ディートのぼやきにすぐさま突っ込まれまた店内に笑い声が響く。冷やかしも悪態にもディートはむっとせずニコニコしていた。此処に集まってる人に邪念や邪心を感じないからだ。

 そうディートは悪意が大嫌いだった。敏感に人の気持ちがわかるほどに。だから何でも屋の依頼は、人を傷付けるような仕事は受けないし、そんなお金ならいらない。これがディート達の信条だった。

 安い賃金で仕事を引き受け旅の資金にし、行く先々でまた依頼を受け次の場所へ旅をする。そんな風にずっと旅をして、明日には旅立とうとしていたところだ。

「う~ん。金が少ない・・・。」

「仕方ないわね。」

 財布を見てしょげるディートに、ベルがぽんと肩をたたいた。

「この旅芸人も顔負けの私の剣舞を披露しましょう!」

 まあ旅芸人というのもあながち間違っていない。本当にお金困ると身軽でセンスのあるベルが剣を片手に踊る。ディートの右脚に巻き付けている大量生産型格安グラディウス剣を勝手に引き抜き、くるくると器用に回した。

「うまいじゃないか!」

 あっという間に拍手喝采をあび、おひねりをもらう

「だが、もっと色気あるねぇちゃんだったらなぁ~」

 ベルの地獄耳が誰かのつぶやきをとらえる

「なぁんですってぇ!」

「このわたしの美しい炎の舞で満足できないってぇの!」

 剣を回しながらもう片方の手から熱さを感じない炎を出し、剣先を炎に絡めながら怒りながら舞う。だが観客は炎の魔法にわっと驚き、小銭をベルに握らせる。

「ふん。わかればいいのよわかれば。」

「いや~じょうちゃんすげぇな!こりゃ五年後が楽しみだ!」

「わたしだって好きでこんな姿じゃないんだから。ほんとはおじさんより何年も生きている炎の・・・」

「ベル。」

 ディートがベルをじろりとにらむ。

「ふん。まあおじさん。私を見られるなんてラッキーなんだからね!」

「いや~かわいいなぁ~ファンになりそうだよ。五年後のっ♪」

「ありがとうおじさまー!!」

 ベルは握手を求めてきた酔っぱらいの手をぎゅーっと嫌みを込めて握った。ディートと違って好戦的で口も手もすぐ出る少女のようだ。

「はいよ~おつかれさん。これはおごってやるから。」

 カウンター越しに乾杯を求めてマスターがグラスを傾けた。

「あ、マスターありがとうございます。数日間だけど楽しかったです。」

「もうこの町を離れるのか?あと一年くらいゆっくりしていけ!はっはっは!」

 勢いよくガチンっとグラスをならす。たくましい筋肉に浅黒い肌、顔の切り傷など警戒してしまいそうな所ばかりなのに、目の奥がとても優しい。時間があるなら彼の身の上話を聞いてとどまりたいくらいだ。

「いやぁ、若い世代では魔法使い少ないってのに、たいしたものだ。ま、今回は大人の知惠が勝ったが、な」

「ははは。悪知恵、ですね。」

「10人勝ち抜きはダメだったが9人にも勝つとはたいしたもんだ」

「魔法を使える男性はこのくらいですか?」

「ああ。こんなもんかな、この町は。まったく、腕相撲大会をしていたのに魔法大会をしようだなんて、一週間前にお前さんが来たときはびっくりしたよ。」

「ちょっと自信があっただけです。腕の力弱いし、俺」

 ディートはにっこり笑った。そう、こんなふざけた水かけ大会になったのは自分が来てからだった。

「踏みいったこと聞くが、魔法使いを探してるのか?こんな所より、都会に出た方がいいだろう」

「あ、いや・・・。そうですね。」

 ディートは悟られたくない目的を不意に当てられたので少し口ごもる。いや、少しなら聞いてもいいだろう。

「マスター。初めてこの店に入ったときに、けっこう大きな魔法の力を感じたんです。俺が探してる魔法使いかもしれなくて・・・」

「はぁ、こんな店に大きな魔法の力、ねぇ。わしはまったく力感じねぇからなぁ~。」

「その日にいたお客さんで、魔法使いいませんでしたか?」

「んん~~。一人すごいのがいたんだがな~。隣町のやつで仕事にちょくちょく来てたんだが。かといってアイツはここ一ヶ月はきてないしなぁ・・・お。」

 マスターは考えながらふと今来店した客に気づく。

「おお!噂をすれば、だ。ニイちゃん。アイツだ。凄腕っぽい魔法使い。」

 酒場のドアが鈴を鳴らしながら開くと、外から細身の青年が入ってきた。

「やー皆さん、お久しぶり!」

 軽やかな口調とは裏腹に、体は疲れ切ってる様子で、よれよれの作業着を着た男が真っ直ぐカウンターへ歩いていく。

その作業着は、ある組織の制服でスーツというものだ。質の良い布が身体に合わせて作られていて窮屈そうだ。

「何してたんだよ!顔見せねぇで~」

「久しぶりだな、くたばったのかと思ってたぜ!」

 常連客が口々に挨拶をする。それに軽く答えながら、カウンターの空いてる席、つまりディートの隣にドカッと腰掛けた。

「・・・?」

 懐かしい感じが知覚をくすぐった。この気・・・どこかで?

 ディートは横目で彼をチラッと見た。

 焦げ茶の短い髪。前髪が長いせいで瞳の色まではよく見えないが、この地域に多い茶色い瞳だろう。

「最近、めっきり顔見せなかったな。」

 マスターがお手拭きを渡しながらその男に言った。どうやら彼も常連の一人らしい。

「いや~。もうほんっと仕事が忙しくて、なかなか抜けられなかったんだよ~。」

 お手拭きで汗を拭いながら言う。その様子と、その様子を観察しているディート等をみて、マスターはなにげなく言った。

「もう少し早く来てたらなあ、こいつ等とも仲良くなれたのになあ。」

 彼は、マスターの視線の指す方をチラリと見る。ディートの蒼い目と、彼のブラウンの目の色が交差する。

 途端、頭の中がぱっと閃いた!

「お前は!!」

 指を()して大声を挙げてしまったことマスターが横で「知り合いか?」と言う疑問、それらに気付かずディートは続けていった。

「お前はダルグ!」

 ブラウンの瞳の彼は、その目を細め、次に丸くして、髪をかき上げながら言った。

「・・・・・ディート、ディートじゃないか!奇遇だねぇ~。」

 驚いているけど、軽薄な口調はそのままに、昔から変わらない雰囲気に呑まれながらも、強い調子でディートは言った。

「あのとき貸した金返せよな!」




「はぁ・・・・はぁ・・・・」

 自分の呼吸音が耳障りだと思ったら、すっかり辺りは暗く、人の気配の少ない路地にいた。

「あっ・・・!」

 か細く声がこぼれた。躓いてしまったからだ。足が重くて引きずっている。

 どれだけ?

 どれだけ・・・・・

 そう思ってポケットから小さな紙を取り出す。小さな手書きの地図だ。大雑把に町の名前と道が記されていて、目的地らしい場所に大きな星マークが書かれてある。その豪快に書かれたお星様を細い指でなぞった。

「ラフ・・・」

 これをくれた者の名を呟いたら涙が流れた。その紙にぽたりとシミを作る。

 何度目だろう、これ以上涙をこぼすと破れてしまいそうだ。

 そのふやけた紙をそおっとポケットにしまい、深く息を吐いて指先の小さな震えを落ちつかせようとした。小さな街灯の下、壁に背中を預ける。

 どれほど歩いただろう、何日たったのだろう、こんなに歩いたのは初めてだった。靴はすり切れて汚れてしまった。足も、知覚すると痛い。否、足だけじゃなく身体がとても疲れている。

 でもいい。痛みなんか、どうでも。はやくいかなきゃ!

 顔を上げるとフードの中で髪がほどけた。結んでいたリボンが胸元に落ちてきた。

 リボンは自分の髪と対称にピンク色だ。珊瑚で染めた美しいコーラルピンクをしていた。 それに引き替え自分のこの髪色はなんだろう。無性にイライラする。悲しくなる。

「休みたい・・・。」

 小さな唇で呟いた。自分の声が自分の耳に入ったとき、違う、と思った。

 自嘲した。休みたいんじゃない・・・あたしは

「・・・・・たい」

 彼女は深くため息を付いた。

小さな町の通りの店は全て扉が閉められている。遠くの坂の上に見える住宅街には、小さな灯りが見える。

 何処にも居場所なんか無い。自分のための灯りもない。休む場所さえもない。

 でもそれでいい。

「ただ楽になりたいだけなの・・・」

 だけど、自分の力じゃ絶対に楽にはなれないから。誰かの力を借りなければそれは出来ないから。

 だからやっぱり、もう少し旅をするしかないんだ。彼が示してくれた場所へ行くしかないんだ。

 そうすれば終われる。やっと、終われる。

 彼女はピンク色のリボンを見て、もう一度自分を奮い立たせる様に髪の毛を束ねフードを被った。もうすぐ達成されると思えば、疲れなんて些細なことだった。

 彼女は上を向いて歩き出すと、そっと路地から出てきた男が行く手を阻んだ。

「おっと!危ないよ?ひとり?」

「!!」

 男が声をかけてきた。

 どうして・・・!

 関わりたくなくて無視をしようと反対側に向くと、

「ちょっと待ちなよ。どこ行くの?」

 違う男が反対側に立っていた。まったく気配に気づけなかった。いつの間に自分に近寄られてたなんて。どうして?

「・・・・・・どいて・・・」

 彼女は乾いた声で呟いたが、二人の男はそれを冷やかす。

「女の子一人でこんなトコに居るべきじゃなかったね?顔隠してないで見せてよ。」

「ってか幼くない?」

 もう一人仲間の男が寄ってきた。三人に囲まれ彼女は壁に張り付くしかなかった。

「いいだろ、どんなんでも調達したら金になるし。」

「可愛かったら連れ込もうぜ!」

「って事で、」

 ふざけている。馬鹿馬鹿しい。男達が考える事など、汚らしく、低俗で寒気がする。

「ねぇ?ちょっとこっち向いてよ。顔隠してないでさー」

 男は無造作に彼女の腕を掴む。

「いやっ!!」

 もう一人の男が、彼女のコートを脱がそうと、フードに手を掛ける。

「やめてっ!!」

「あばれんなよ!おい!口押さえてろ」

「んんっ・・!」

 口を塞がれ、あっさりとコートは脱がされ彼女の容姿が明らかになる。

 闇夜に輝く白い肌。長く透き通った髪は珍しい色素。整った顔立ちは幼さがのこっていて、今は恐怖で怯えている。コートの下は仕立てのいい長袖のワンピースを着ていた。暖を集める柔らかい白い生地。金糸で細かい刺繍の入った、いかにも高価そうな物だ。

「・・・・・・・・・」

 男達は言葉を失い唖然とする。

「ど・・・どこのお姫サンだよこりゃあ・・・。」

「うわぁ~スンゲぇ~。亜人種か?やめとかない?魔法使ったりしないのか?」

「・・・・・」

 絶句している男に、もう一人がこう言った。

「物好きに高値で買ってもらぉうぜ」

 言葉を失っていた男はそれに応えず、ただしばらく血走った瞳で少女を見ていた。震え立つほど美しい少女の造形に、砂漠でやっとオアシスを見つけた様に喉がゴクリと鳴る。

「売らない。」

「は?」

「俺の女にする。」

 その男の頭の中で、彼女を犯すイメージが爆発的に膨らんだ。その衝動で彼女の腕をつかみ壁に押さえつける。

「いやぁ!はなしてっ!」

 幼い声だが透き通る音色のような声。その言葉は意味と全く正反対に、男たちに甘美で誘惑的な衝撃を抱かせた。

「お、オレも!」

「いやぁああ!!」

 我先に、と目をギラつかせ少女を押さえ込もうと男たちが小さな身体を押しつぶす。正気ではない。いや正気ではいられない。

「おね・・がい・・・!!いやぁあああ!!!」

 長い髪を引っ張り這いつくばらせて、脚をつかまれ、服を破られる。獣の様な正気を失った野生の瞳と息遣いが、身体のあちこちにかかり嫌悪感が波の様に込み上げる。 

 これ、以上は、もう!だめっ!!

 野蛮で掴んだ腕はとても乱暴だった。おもちゃの様に振り回され、引っ張られて身体が痛い。

 思い出す・・・あの感覚・・・

 あの人とは違う、でも、この感覚は、感触は、どの男でも同じ。

 あたしの身体に覆い被さる

 銀の髪

 そして、あの言葉

 聞こえる

 離れていても、まるで側にいるように、耳元で!


   聞きたくはないから、悲鳴と一緒に、声と呼応するように、力は解放される




彼とディートの関係は、『幼なじみ』としか言いようがない。

 同じ島の同じ村で育った。歳はディートの少し年上。村の最果てに住んでたディートと、めずらしい部族の子供だと言うことであまり好まれてない家に生まれたダルグ。歳も近いしはぐれものの二人。よく二人で悪さをしていた。

 強引で、お調子者で、悪戯好きのダルグ。

 純真無垢で、素直で、何にでも一生懸命なディート。

 よくダルグに連れられ、悪戯の罪をなすり付けられ、村人に一人叱られ泣いて帰ってきた幼少の頃のディートを思い出し、ベルは苦笑した。

「あなただったのね。この辺りの強い魔法使いって。」

「ノーノー!魔法を文字と紙に移して発動する符術士だよ、オレは。」

「そうだったわね。あーなつかしい。もうダルくんなんて呼べないほど大人ね。ダルグさんって呼ぼうかしら~。」

「ベルちゃんに【さん】付けされるなんて、ぞくぞくするなぁ~」

 ベルとダルグは完全身内ネタを、間に座っているディートを無視して繰り広げていく。

「ダルグさんのせいでうちのディートがよく泣いて帰ってきてたな~て思い出すわ」

「そんなこと思い出さないでくれよ・・・それよりあの時のお金だってば。」

「そーそ!オレ思い出したわ!あの時お金借りたわ!あの時オトナの本をディートに見せてたんだった!いやー食い入るように見てたよな~豊満な」

「だから!そんな余計なことは思い出さなくてい・い!」

 ディートはジュースを飲みながら、赤くなった顔で強く抗議した。

「あはは!冗談だって!え~オレが村を出て、何年くらいたったのかな?ベルちゃん【全然変わってない】よね。」

「ダルグさんも、性格のほうはあんまり変わってないですね©背は伸びたのにね~」

「それより、まだディートに【憑いて】いたんだね~。」

「当たり前じゃない」

「オレには憑いてくれないのぉ~?」

「ディートが死んだら考えるわぁ」

 スロウペースの意味不明な会話。第三者の者はさっぱり分からず身内のディートでも、よく再開したばかりなのにノリよく話せるな、と感心する。

「ベルを誘惑するな!ってかそれ!まだ持ってたのか?」

 ディートが指さしたのは、ダルグの耳のピアス。石は琥珀色に輝いている。

「そうだよ、一緒にピアスホール空けたの憶えてる?」

「憶えてるよ。痛かったから・・・」

「そうよダルグさん!ディートったら、まだ子供なのに急にピアス空けて!その日枕が血だらけだったのよ!」

 ベルが割り込んでダルグを責める。

「そう?オレはあんまり血とか出なかったけど・・・かわいーねディートは☆」

「かわいくねーよ!」

 お互い左耳に針で突いてピアスを空けた。そして、行商人から買った琥珀の小さなピアスを、二人で分けて付けていたのだ。

「もしかして、ディートも付けっぱなし??おそろい?未だにおそろい??」

 ディートの右側にいるダルグは、わざわざ左耳をのぞき込む。真っ赤になって左耳を押さえるディート。

「みるな!くるな!ンなモンもうあるわけないだろ!」

「じゃあなに?その反応。無いんだったら手ぇのけろよ~」

「うるせー!ほっといてくれ!マスターおかわり!」

 何故か、照れて怒り出すディートは話題を変えるためマスターを呼ぶ。

 カウンターの奥からマスターの「はいよ」と言う声がした。そしてすぐにジンジャエールーを持ってきて空のグラスと変えながらダルグに問う。

「そう言えばダルグよぅ、ここしばらく顔ださねぇで何やってたんだよ。」

「うへ?出張してたんだよ、迷い猫捜しのために。」

「迷い猫!?何の仕事してるんだ?」

 ディートの単純な問いにダルグは誇らしげに笑って、

「そおんなに知りたいの~?なんと!優秀なディオス兵です!」

「ディオス?って確か・・・えっと、その制服の、会社だよな?」

 社会情勢に疎いディートが悩んでいると

「バカ。デスターの中で依頼を実際にこなす人でしょ!」

 と、ベルが拳骨とともに言った。

 デスターとは、

 何でも屋が組織化した会社のこと。それは世界各地に広がり、何でも屋業を営んでいる。

 彼らはどんな依頼でもこなしてくれる。それはもう言葉の通り何でも。

 お金を積めばどんな最高機密を盗む事だろうと、証拠を一切残さない殺人だろうと、なんなりとやってくれるのだ。

 それだけのことをやるからには、それほどの腕の人材が居る。デスターの中で実際に身体を使い依頼をこなす人らを、デスター・オペレーショナル・ソルジャー(DEATHTER operational soldier)略して、D-osディオスという。

「そうそう。オレッチ此処の支部のリーダーディオスなの。」

 全世界から、強者、強腕の人を見つけては、スカウトしてディオスにしたり、過酷な面接をクリアした強者が出来る職業で、ディオスになったというだけで自慢の対象になる。また、ディオスの中ではランクがあり、評価が高いほど地位も力も上だという。

「へぇ~。んで、そのディオスの仕事が迷い猫捜し?デスターほどの組織の仕事でもそんなかわいいモンなんだなぁ?」

 ディートが興味津々に聞いた。

「その報酬が、またすんごいのなんのって・・・。」

「どのくらいなんだ?依頼料って?」

「聞きたいか?」

 気を引かすようなダルグの口振り。

「聞きたい。」

 二人とも、組織ぐるみか単独かと言うことを除けば同業者と言うことになるから、もちろんディートには興味があった。

「え~~。ど~しようかな~」

 などとじらしてみるが、ディートの爛々と光る蒼い瞳に気圧される。ダルグはしかたなく指をちょいちょいと動かす。耳を貸せと言っているのだ。それに素直に従い、耳を傾ける。

 ベルは、男同士の内緒話は気持ち悪いわ、とか思いながら自分も聞き耳を立てる。

 そして、ごにょごにょとあり得ない金額を呟かれる。

「なっ!!!それって1年は遊んで暮らせるほど!」

 ディートが、大声を張り上げる

「そうだよ。」

 ワナワナと体を震わせるディートに対して、ダルグはケロッとして、自分のコップに酒を注ぐ。

「俺にも手伝わせろよダルグ!その十分の一の報酬でいいからさ!」

「うぅ~ん。ベルちゃんをオレにくれたらいいよ。」

「うっ・・・・。」

 ディートがうなったのは、一瞬本当にベルを売り飛ばしそうになったからだ。

「んじゃ、もっと詳しいこと、教えろよ。どんな色の猫なんだ?」

「う~ん。企業秘密だからなぁ~」

 ダルグはまた考える。そして、ニッコリ笑ってこういった。

「ベルちゃんが俺のモノになってくれるんならいいよ♪」

 ディートとベルは呆れて、この話はもうしなかった。



 宵はふけ


 風花が、連れてくるのは 幸か、不幸か

 動き出したら 流れにまかせて

 辿り 着くは 夢か 現か


 そんな歌を口ずさみながら、上機嫌で部屋に帰ると、いきなりな神経質な声が鼻歌を止めた

「司令官殿。こんな遅くまでいったいどこに?明日には辺境本部に帰るって言うのに!」

 浅黒い肌にこざっぱりした金髪。まだ若い青年が彼を出迎えた。

 帰ってくるなり部下に話しかけられ、顔をしかめる。

「はぁ~。なんで秘書が男かねぇ、若くてピチピチの女の子って決まってない?普通。そういや一人可愛いコ目ぇつけてるんだけどさ~。本部の受付嬢リナちゃんって言うんだけどね~。」

 酔った調子で茶化すと、秘書らしい青年は彼を睨んだが、それには目もくれずに彼は言った。

「あ~?そう言えばお前が目ぇつけてるコだっけ?女見る目だけはあるよな☆」

「僕は上司を見る目はなかったようです!」

「ああ?そう。んじゃ、取りあえず辺境本部には単独で行く。これ命令な。追ってくんな~。」

 言いながらスタスタと自室に戻り、ガチャン、と鍵をしめる。

「また単独行動ですかぁ~。勘弁してください!もうこの人の秘書なんて嫌です!誰か代わって下さいぃ!!」

 癇癪を起こしながら、周りのデスクに座っている夜勤の人たちに視線を向けると、皆が激しく首を左右(よこ)に振った。



 あ、夢だ。

 上も下もない、ムラのある暗い色の空間で浮遊している。

 最近よく見る夢だ。そうここ数日毎日。

 もう少しで何かをつかみかけるのに、つかめなくて。

 それが辛くて悲しくて。でも何かわからない。何を掴みたかった?

 象徴的な・・・青い・・・なにか・・・

「もーディート!いい加減起きてよ!」

 甲高いベルの怒鳴り声で、バッと身を起こす。

「あ・・・あれ?」

 見回すと客一人居ないガランとした酒場。あんなに賑やかだったのに後片付けという足跡と寂しさだけを残して、みんな帰ってしまった。静まった空間が、時間の経過を表す。

「俺酒飲んでないのに何で寝ちゃったんだ?」

「何言ってるの。昔の恥ずかしい話で盛り上がってたら私のグラスとって一気飲みしたじゃない。」

「まじか・・・。」

「まったく。ガキねぇ。あれくらいの酒で酔うなんて」

「おばちゃん」

 ベルは素早い手つきでディートの頬をつねりあげる

「どの口が言ったのかしらねこのベルお姉様に向かって無礼なことをいやだわーもう!」

「ひゅいまへんいたいいいたいれす~!」

「私だって実年齢は人間に換算するとピチピチの二十歳くらいですぅううう!」

 ディートは心の中で絶対サバ読んだと思った。怖くてそれ以上はこれ以上の制裁が来るので言えないが。頬がしっかり腫れるまでつねられたディートはダルグがいないことに気づく。

「あれ?ダルグは?」

「帰ったわよ?少し前に。」

 ディートは、変な体制で寝てたせいで堅くなった筋肉をほぐしながらふぅ~ん、と相づちをうつ。そのときカウンターの上に置かれた大量の空瓶が目に入る。まさかっ!

「まさか、これ・・・二人で飲んだのか?」

「そうよ。安心して、お勘定はダルグさんがしてくれたわ。」

 安堵のため息を吐く。わずかばかりの旅の資金が泡となるとこだった。

「これで、過去借りたお金はチャラにしてくれだって。」

 ベルは微笑みながら言った。

 ちなみにその貸した金と言うのは・・・二人が幼かったある日、自分たちの村の田舎さにとうとう嫌気がさした。そして、ダルグはいきなりこう言った。

『オレ、都会言ってビッグになってくるわ!と、言うわけで、金、貸してくれない?有名人になったらサイン付きで返してやる。』

「俺の貸したお金なんて、このお酒一本分くらいなのに。いいよなーディオスって。儲かる依頼が沢山きそうだし。猫捜しであの値段はないよ。どんな重要な猫だろ。」

「お金なんて、最低限だけあればいいのよ。ディオスなんてならなくていいの。汚い仕事したくないでしょう!」

 自分のぼやきに対してのベルの返答は、まさしく正論だった。それに自分たちは自由の身で居なければ、動きにくくなる。

「そうだな・・・てか、やっぱりダルグは生きてたんだな。アレに巻き込まれてはなかったんだな・・・・」

 ディートは左耳のピアスを触る。

「そうよ。私は、彼は多分生きてるって言ったのに、信じなかったのはディートでしょ?嬉しい?」

 『多分』と言われて信じろと言うのもどうかと思いながら、ディートは目を伏せた。

 幼少の頃を思い出す。ダルグは故郷で一緒に育った兄弟のような存在だ。生きてまた会えるとは思えなかった。すべてを失ったあの日から、数年は楽観的な思考にはなれなかったから。

「そうだな、生きて、幸せでいてくれればな・・・。んじゃ帰るか。」

 ディートは腰を浮かす。店の半分はすっかり片付けられてテーブルの上にひっくり返した椅子が乗せてあった。長い間意識を飛ばしていた様で申し訳ないと思っていると、店の奥からモップを持ったマスターが現れた。

「情けにも弱いが酒にも弱いみたいだな。」

「はい。お酒も腕も。得意なのは魔法だけだったのになぁ。」

「がはは!よくゆうわい。」

 マスターは大きく笑いながらディートの背中をバシっと叩いた。

「ワシは毎年闘技大会はみとるんじゃ。前回優勝した細っこいニイチャンに似ている気がするんだが、人違いだったようだのぉ」

「あはははははは。人違いですね確実にー。」

 鋭く笑いかけるマスターにディートも白々しく笑って見せた。

「それにしても、お前さんとダルグが知り合いだとはなぁ、世の中は狭いねえ。」 

 顎の無精ひげをいじりながら、巨漢に似合わず彼はポツリと話し始めた。

「あいつの仕事場がこの近くでよく来てくれる可愛いヤツなんだが、態度はアレだけどよ、最近はなんか考え込んでてな。それが今日、お前等にあって少し元気になったように見えたよ。」

 少しはにかんだのは照れているからかもしれない。大事な客は、家族のように思いやる。そんな彼の信条が見えた気がした。

「それに、ワシもお前さんに会えて楽しかった。またこいな。」

「ありがとうございます。また、ぜひ。」

 だけど、別れは来る。留まるわけにはいかないから。

「もし、また来たら、お酒ついでくださいね!」

「はっはっは!弱いくせによくゆう!あと、裏通りは気をつけな。都会から来た変な集団が多いぞ」

「負けないように気をつけます!」

「わたしがいるから大丈夫ですよぉマスター!」

 謙遜するディートにベルが茶化して付け加える。

「はっはっは!お嬢ちゃんも強そうだがな、お前さん結構腕っ節も強いだろう。見ててわかるわい。」

「い、いやいや。ま、まだまだです、俺なんて、旅始めたばかりだし。」

 ディートは遠慮ではなく本気で照れてしまった。見抜かれたのと、見てくれていたのがうれしかったのだ。マスターはディートの足の運びや所作から、相当に鍛えて鍛錬していることに気づいていた。若い旅人などたまにはいるが、少女と二人で軽装は珍しい。よほど腕に覚えがあるか、武装も備えもあまり必要ない魔法使いしかいない。しかも魔法が使える子供が生まれる確率は減ってきている。そんな珍しい旅人の彼らの行く末をマスターは気遣った。

「気をつけろよ。」

 力があるからこそ、起こる出来事があるのをマスターは長年の経験で知っている。

「若いんだから、無茶すんなよ。」

「・・・ありがとうございます。」

 親身な言葉にディートも真剣に答える。

「達者でな!」

「はい!」

「お世話になりました、マスターもお元気で。」

 二人はお辞儀をし、明るい気持ちで外に出た。

半分欠けた月の光の中・・・。

 夏も半ば過ぎているのが夜にはもう涼しさを感じられる。

「いいとこだったわね。マスターいい人だったし。」

「ああ。」

 一瞬の出会いでも、過ぎ去り埋もれていく思い出だとしても、それはささやかで確かな明日への気力になる。

「なあ、俺父親いないから、いたらあの人がいいなって思ったよ。」

「ふふふ。そうね。優しくておっきい人が理想よね。やっぱ田舎は暖かくていいわ~」

 ベルは上機嫌に言った後、ディートの顔を伺いながらさりげなく付け加えた。

「でもこんだけ派手に立ち回ったけど情報は得られなかったわね。」

「ああ。銀の髪の魔法使い。絶対見つけて・・・」

 ディートは言いかけてやめた。思わず力を入れた拳を、やんわり広げる。

「・・・今日はやめよう。楽しかったし、それに」

「ダルグさんに出会えたわ。嬉しい?」

 ベルは頷いて、ディートの言葉に続けた。

「・・・ああ。うれしかった。」

 ディートは噛みしめて頷いた。

「でも、もう関わらせたくないんだ。【俺らの事情】に。だからこのまま去る。」

 その応えにベルは寂しそうに微笑みながら、ディートの先を歩いた。

「そうね。それが一番、だわ。」

「ああ。」

 そう言って歩いていると、夜風がふわり漂う中、異質な氷の棘のようなものが肌に刺さった気がした。

「ん??」

『何か』が、見えない空気としてディートに触れた。

「?」

それを感じてディートは足を止めた。

 何だろう。感覚器官をくすぶるざわつき感。この落ち着かなくなる感じは、最近感じた何かに似てる。喪失感で目が覚める。ああ、連日の【夢】だ。

「どうしたの?」

 先に歩いていたベルも足を止めて振り向く。 

「??」

 言い表せない感覚にしどろもどろしてると不思議そうにベルは言う。 

「どうしたのよ。早く帰りましょう?」

「あ・・・あぁ。そうだな。」

 気のせいだと決めつけて宿の道へ足を運ぶ。

 だが・・・。

「!!」

 今度ははっきりと聞こえた。


 声にならない『タスケテ』が!


 助けなければ!

 咄嗟(とっさ)に思う。強く。何故か。

 誰が悲鳴をあげているのか頭のどこかで解っているような・・・。

 そんな自分を不思議にも思わず、側にある裏路地に続く道を、感情が示すままに駆ける。

「ちょっと!ディート!!」

 ベルを一人置き去りに駆けていったディートの後ろ姿を彼女はみつめる。

「そう、か。わかったのね。存在を。・・・とうとうこの日が来たのね・・・」

 『何故?』なんて感じない。自分は理解していたから。『そろそろ』だと。

 赤い髪を夜空にまき散らして。なにか、人ではない雰囲気を漂わせた女は言った。


  ねえ?コレが必然だったらどうする?私達や、彼も、彼女も、役者だったなら。

 少女の姿をした精霊は、心の中で呟いた。

  舞台が崩壊すると知っていても、演じ続けなければならないの?

      この【感情】という衝動が ある限り


 ディートが角を曲がる前に罵倒が聞こえた

「てめぇ!なにしやがったんだ!!」

 荒々しい男の声とすぐさま女の子の悲鳴。

「いやぁあっ!」

 ディートの目に入ってきたのは想像通り、自分の最も許せない行為が、そこで行われていた。

 男が半裸の少女を蹴り上げ吹っ飛ばした。

「なにやってるんだ!!」

 ディートは怒りで頭に血が上ったまま吼えた。男を殴り倒してやりたかったが、こちらに気づいてすぐ一目散に行き止まりの壁を駆け上がり逃げてしまった。剣を抜いて追いかけなかっただけ自分でもマシだと思った。他にも二人、横たわって動かない男が居たが、喧嘩したのかなんだかしったこっちゃない。そいつらを無視して、壁に打ち付けられうずくまっている少女に駆け寄った。 

「大丈夫か?」

 服が乱れていて、事前か事後かわからないが、早く駆けつけたつもりだ。事前だと思いたい。

「・・・ぅ・・・っ!」

「しっかり!!いま治癒を・・・!」

 血は出ていないが、あんなに打ち付けられたのだ。骨折していてもおかしくない。

「痛いなら動かなくていい!なんとかするから、」

「・・・・ぁ・・・っ」

 少女の白い手が起き上がろうと必死に、虚空に向かって何かを掴もうとしたので手を握ってやる。

 パチッ!

「!!」

 少女に触れた瞬間、頭の中のどこかが焦げ焼けた様な痛みを感じた。

「な・・・なんだ?」

 心臓が跳ね上がる。急に走ったからか?久しぶりに頭が沸騰しそうなほど怒ったからか?

 ディートは自分を落ち着かすため頭を左右に振った。今は何より少女の安否を確認しなければ。

「っ!!」

 少女の姿を改めて見た瞬間ディートは息を飲み込んだ。少女の容姿があまりにも異色を放っていたからだ。

「・・・青い、髪?」

 乱れた長い髪はなんと晴天の色。月明かりで銀色に煌めいているがまさしく【晴れた日の青空】そのものだった。

「・・・・やめ・・・て・・・」

 震えるその声を聴くまで、ディートは我を忘れて魅入られていた。

「だ・・・大丈夫だ!俺は助けに来た!わかるか?」

「ん・・・・っ」

 少女が小さく唸り壊れるほどに震えだした。顔を覗き込むと目は固く閉じられ真っ青で、苦痛に歪み呼吸も荒く錯乱している。

「・・・・・くるしっ・・・」

 かすかな声で彼女は言う。ディートの服を何かをこらえるようにぎゅっと握る。

「だいじょうぶ!何もされてない!大丈夫だから!」

 ディートは焦った頭で、男に危害を加えられそうになった後に男の自分が抱きしめて良いものかと迷いながら、震えるその身体を落ち着かせてあげたくて温もりを与える様に必死で包み込む。

「大丈夫だ。もう平気だから。大丈夫。何ともない。な?」

 小さな身体の震えを、止めてあげたいという衝動に駆られた。背中を温める様にさする。心なしか震えが収まってきたように思えて、ディートは安堵する。

 だがすぐに青ざめた。彼女が発した残酷な言葉故に。

「っ・・・・お願い・・・助けて・・・・あたしを・・・・××××・・・。」

 それは耳元からか細く発せられ、ディートの脳裏に焼け付いた。

「いま、なんて・・・?」

 背筋が凍った。見知らぬ少女のうわごとの言葉なのに。

「あ、おい!しっかり!!」

 ディートの腕の中で少女は意識を失った。半裸のその姿を間近で見ると白い肌に幾つもの傷や痣があった。

骨に、動脈にまでは達していない。死なない程度に、全身を弄ぶように斬りつけられた傷が、それぞれ血を流している。

「いったい、何を・・・?」

 意識を失った少女が答えられるはずもなかったが、よほど悪趣味な連中だったのか?少し冷静になり、辺りに転がってる男を確認した。

「こ、これは・・・・!」

 狼狽していると、ベルの足音が近づいて来た。

「ディート!大丈夫なの?って、アンタがチンピラ風情にやられるわけないっか。」

「いや、ベル・・・。そいつらやったの俺じゃないんだ。」

「!そうなの!?」

 ベルは驚きながら、足下に転がった男を確認する。外傷はない。

「なにかありそうね。でも放置しときましょう。とりあえずその子を保護しましょう。」

 事件の匂いもするが、こんな状態の少女を放っておけない。意識を失ったまま誰かに預けるわけにもいかないだろう。

「病院か、警察機関か・・・。まあこの子に話を聞いてからでも良いでしょう?さ、早く行くわよ!」

 ベルが手早く判断をし、ディートは少女をマントでくるんで背負い、何日か前からお世話になっている宿に直行した。





眠れない


 宿屋の唯一のベットを名も知らぬ少女が占拠している。

 悪夢にうなされているようで、何度か彼女は苦しそうだった。名前を呼んで悪夢から目を覚まして欲しいと思ったが、自分は彼女の名前も知らない。

 叫びだしそうなほど苦しんでいたので手を握ってしまった。そうすると落ち着いた気がしたのでずっと手を握っている。

 日が昇り始めたころ呼吸も穏やかになり、今はすっかり寝息を立てている。

「朝、か。」

 ディートは小さくつぶやきため息をついた。

 彼女が倒れる間際に言った言葉が心にひっかかるのだ。

『お願い・・・助けて・・・・あたしを・・・××××・・・・。』

 あの倒れた男達、まあおそらく実行犯と、最後に逃げたヤツは見張りかなにかだろうか?仲間割れという感じではなさそうだった。逃げた男は明らかに少女を責めていた。

 息があったかどうかは確認していない。ベルは曖昧に「わかんない。気ィ失ってただけじゃないの?」といって、少女が何かをした証拠は無いと言い切った。

 どうでもいいことだ。彼女が起きてくれたらどこか家まで送るか、警衛にでも預けるか。まあ、さよならして終わりだ。

 でも気になる。危険そうだから、だけではない。なにか、別の。

 少しだけ開けていた窓から、風がふわりと流れ込んできて、空と同じ透き通る髪が白いシーツに流れて揺れた。異色な髪色は染め物ではなさそうに見えるほどきらきら光って自然に美しい。

 そして、その髪に相応(ふさわ)しい整った顔立ち。

 ベルの外見年齢と同じくらい幼いと思っていたが、自分と同い年くれいかもしれない。冷たい指先は、自分の手にすっぽり包まれてしまっているが子供ような幼い手ではなかった。夜に見てしまった白い身体も・・・。

「だめだ。忘れ、ないと。」

 その身体や白い頬に触れてみたいと言う感情は当たり前のことなのだろうか?

 なぜかこの至極当然の感情が、ひどく邪魔な気がして仕方がない。目の前の少女が神聖すぎるものに思えて、欲望を感じてしまう自分が愚かしい。

 そしてやはり、なにか心に引っかかる。

 もしかするとどこかで、会ったことがある?と思い、思考を巡らせる。

 いつかの仕事の依頼人だろうか?否、こんな青い髪なら忘れるはずは無い。ちょっと荒れていたときの悪友か?こんなに綺麗だったら自分の自分の彼女にしたい。

 なんて、勝手に考えてしまった。思考とは罪なモノだなと自嘲した。

「あのサ・・・さっきからうるさいんだけど・・・。」

 突然に背後に現れたベルが、ディートの頭に肘を置く。

「・・・っ!!!ベル~!!!俺の思考を読みやがったな!」

 ディートが振り返るとベルが嫌味いっぱいにニヤニヤしながら言った。

「青春ですねー!青少年!!うふふ!こっちにくるときアンタの思考を目印にしたら、たまたま聞こえたのよ!失礼しましたわ。うふふ」

「失礼極まりないぞ。」

 ディートは顔を真っ赤にする。家族に変なとこを見られたくらい恥ずかしい。まあ、ベルに思考を知られるのなど日常茶飯事なのだが。

 ディートとベルは、その想いや思考が強ければ強いほど、お互いの感情を読み、会話ますることまで出来る。

「だいたいいきなり出てくるなっていつもいってるだろ!」

「だって寝てると思ったんだもん」

 ベルは人間ではないので、空間と別の空間を移動する事が出来る。急に出てきたのもそのためだ。この世界で瞬間移動が出来るわけでは無く、別の世界に定期的に帰って、また現れる、という能力らしい。

「そんなことより、少しだけ旅の支度をしてきたわ。もうこの町を出るんでじょ?」

「ああ・・・だが」

 ディートは言葉を止め彼女を見る。青い髪の名も知らぬ少女を・・・。

「この()をどうするかが問題だ。」

「そうねぇ~」

 べルは腕を組み、彼女のベットのに腰掛けて、

「もう起こしてみよっか?」

 と、明るく言った。ディートは止めようともしたけれども、このまま眠って居られるのもどうかと思い、ベルの行動には口出ししないとした。

「いひひひひひひひ・・・♪」

 妖しい笑みを浮かべ妖しい手つきをする。

 待てよ・・・この起こし方は!

「こちょこちょこちょこちょこちょ・・・©」

「その起こし方はやばいって!」

 すぐさまベルの体を引き剥がしたが、ジタバタ暴れ、

「放してよ~!私の楽しみを取らないで~!!」

「そんなんで楽しむな!取りあえずどっかいけ!」

 なによ!その言い方は!ベルはその言葉を喉の奥に引っ込めた。

「う・・・ん・・・・?」

 彼女が声を発したからだ。

 ディートとベルは顔をのぞき込んだ。少女の目蓋がゆっくり開かれる。引きずるようにゆっくりと上体を起こし、ベルとディートを見た。驚くことにその瞳の色も晴れた空の色だった。

「っ!!」

 また、だ、とディートは思った。

 少女と初めて触れたときのように鼓動がはねた。

「・・・だ・・・れ・・・?」

 澄んだ声は儚くて弱々しい。

「・・・・・・・・。」

 彼女の問いなどディートの耳には入ってなかった。ベルがそんな様子のディートに対し、嫌味の咳払いをしてから言った。

「初めまして。私ベル。こっちはディート。二人で“何でも屋”をしながら旅をしていますヨロシクぅ~」

「・・・なんでも?・・・?あ、あたし・・・・えと・・・・」

 彼女は情報を反芻するようにうつむいて考える。ふと自分の姿に気付いたようで、目をぱっちりと開き辺りを見回した。

「大丈夫よ、此処は私たちの借りた宿だから。」

 ベルが気遣うが、彼女の顔はみるみる蒼白になり、自分の身体をぎゅっと抱いた。昨夜のことを思い出したのだろう。取り乱してもおかしくない。

「・・・あ・・・あたし・・・」

 ゆったりとした就寝用のローブ。きちんと胸元までボタンは止められている。だが袖口は広がりすぐにめくれるため、腕を動かすと肘まで顕わになる。

 ディートは、彼女がしっかりと袖口を手で握りしめる行動を見てしまって辛くなった。見られたくないだろう、こんな見ず知らずの人間に。

 あんな、傷痕。

 ベルが彼女の身体を診た見解では、昨夜汚されたりはしていないらしい。

「大丈夫よ。私少し治療の魔法が使えるの。後でもう少し傷なおしてあげるわ。あとね、身体きれいにして着替えさせたのも私だから。安心して。」

 ベルは優しい声色で、少女の警戒心を解こうとベッドに腰掛けた。笑顔のベルを、青い瞳はまじまじと見つめ、おそるおそるこう言った。

「きのうの人・・・いきてる・・・の?」

 まさか彼女からその質問が出るとは思ってなくディートは焦った。ベルは顔色変えず茶化しながら言った。

「ディートがボコって追い払ったっけ?ねえ?ディート?」

「ぼこってねーよっ!近づいたら逃げただけだ」

 一人だけはな、と心の中で付け加えた。

「あたし・・・いかなきゃ」

 彼女は急に、目の色を変えて呟き、ベットからスラリと細い脚をおろし立ち上がる。

「めいわくが、かからないうちに、去ります・・・。」

 突然言い放ち、靴もはかず歩き出そうとする。

 行っちゃだめ!!

「だ・・・だめよ!」

 ベルは反射的に彼女の腕を掴んだ。ディートはベルの行動に目を丸くする。強すぎるベルの心の声。彼女を引き留める理由なんてベルにはないはずだ。このままそんな格好で部屋から出すのは人として問題があるが、どう考えても、この子は何か危ない。

「あ・・・えっと。まだ寝てた方が、いいわよ?」

 彼女は、先ほどからは想像できないような鋭い瞳できっぱり言った。

「いいんです!離してっ!」

「・・・・・っ」

 その瞳に気圧され、ベルは言葉を失ってしまう。凍った冷たい瞳に射抜かれて、さすがのベルも後ずさった。だが、道はあけるものか。

 此処で手放すわけにはいかない。やっと出会えたんだから・・・!

「まあまあ。そう急がなくても良いんじゃない?」

 ディートが彼女に言う。自分にベルの意思の断片が聞こえたから。それに、何故か・・・やっぱり気になる。危険だと頭のどこかが言っている。だから手元に置いておく方が良い!

 ディートは混乱している頭を何とか落ち着かせ、言葉を考えて彼女の気を引いてみる。

「まだ疲れがとれてないみたいだし、迷惑じゃないからここにいれば?」

 愛想良く営業スマイルを浮かべて言うディートを、彼女はじっと見つめた。

「・・・ね?まだ休んでなよ、ね?」

 彼女の青い瞳に見つめられ、また鼓動が早くなるのをディートは無理矢理押さえた。

「・・・・・」

 彼女はディートを射貫いてしまいそうな視線を下げ、ふらりとよろめいた。

「ほら、まだ立ってるのしんどいだろ?」

 ディートが支えようとしたが、腕を押しのけベッドにふらふらと腰掛ける。

「・・・・っく・・・」

 息が上がってるのを必死で隠そうとしてるのが痛々しい。

「だいじょうぶ?」

 ベルが横に寄り添う。少女は何も言わずに歯を食いしばっていたが、浅く息を吐いて、ためらいながらディートを見た。

「・・・なんでも、してくれる・・・の?」

 すがるような目にまたドキッとした。

「あ、ああ。物騒なこと以外なら、なんでも」

「・・・どうしても、いかなきゃ・・・行きたい場所が、あるの。」

 何でも屋の仕事は命に関わる仕事もそう少なくない。どんな仕事かを見極めることが、何でも屋として成功する、一つのコツなのだ。だから本来、曖昧な状態で仕事を受けることはしない。

「・・・おね、がい・・・」

 言葉は儚く消え入りそうだった。断れるわけないだろう、こんな風に言われたら。

「いいよ。」

 ベルがさっき引き止めた理由も気になる。

「ベルいいよな?」

「ん~」

 ベルは考える素振りをしたが、心の中は決まってる。

「いいわよ?」

 さっきの不可解な行動など無かったかのように、ニヤニヤしながらディートの耳元で言った。

「彼女の事が気になるんでしょう?受けたらいいじゃな~い。可愛い子、だしね。アンタタイプじゃなかったっけ?髪が長くて細身の」

「うるさい!」

 甘く妖艶な口調よりも、いろいろ図星されたためディートは少し顔を赤らめて咳払いをした。

「わかった、受ける。ただし、話はその顔色が良くなって聞くから、ちょっと休むこと!でないとこっちが気になる。わかった?」

 ディートは彼女の反応を伺った。受けたことに対して目を丸くするほど驚いているようだ。安心して欲しくてとりあえずにっこり笑ってみせた。

「あ・・・うん。」

 ディートの笑みににつられて、彼女も初めて物まねでもするようにわずかに口角を上げた。ちゃんと笑えばとても可愛いんじゃないかと思ったが、次の瞬間、彼女はまた疲れて険しい表情に戻っていた。それを見て寂しくなったディートは、自分が作り笑いで会話していた事を少し後悔した。

「じゃあ、昼までまだ時間があるから少し眠るといいわ。昨日は遅かったし。」

「・・・眠り、たくない・・・・」

 彼女が眠るのを恐れるようにためらったので、ベルはほんの少し言葉に『力』を込めて言った。

「『危険はないわ。眠っても、大丈夫。』」

 すると彼女は吐息をはきながら気を失い、そのままベットの上で倒れてしまった。横向きで、小さな少女のように眠る姿は、無防備なようでいて何かを恐れてるようでもあった。ベルはそのままシーツをかぶせてやる。

「お前・・・今『言霊』つかったろ?」

「だって、眠りそうになかったしぃ?」

 ベルは言いながら小さく続けた。

「・・・言霊が効くとは思わなかったケド」

「ん?」

 ディートが不審な目を向けると、そっぽを向きながらめんどくさそうにベルは答えた。

「いんや~。彼女酷い寝不足だったみたいよ?何日も寝てない・・・眠れないみたい。」

「なんでわかるんだよ。」

「さっき触ったときに、気の巡りを調べたの。頭部に集中して巡りが悪いし、手足の先は体温が低い。」

「へぇ~。抜かりねぇな。そもそもベルがこの子を引き留めるからこうなったんだ。何を考えている?」

 ディートはベルを睨んだがベルはその瞳をそらしはぐらかした。

「私も混乱してるの。でも大事な事なのよ。彼女を【見張って】いてね。」

 ベルは、昼に起こしに来ると言葉を残し部屋を出て行った。

 残されたディートは相棒の考えていることの予測が少しも立たず、深いため息をついた。

 あんなに、【ボロ】を出す相棒を初めて見た。砕けた言葉もまじめな言葉も、もちろん態度も、絵に描いたように【ベル】という少女を演じ、自分を助けてくれる存在なのに、

「さっきのあんな顔・・・。この子を見張れ、なんて」

 ディートも混乱した。だからこそ冷静につぶやいた。

「確かに女の子ひとりこのまま放ってはおけない。仕事じゃなくったって少しなら面倒見れるさ。だが、俺たちこんな事してる場合じゃないだろう。」

 そうディートはベルに対して言えなかったことを呟いた。

 だが、心の奥底で、まだこの子と離れなくてすむと思って安心している自分には気づけなかった。

 もちろんその理由にも。


 ベルは部屋を出て、緋色の瞳を閉じ反芻した。

 辛さや戸惑いに負けそうになると必ず、呪文のように繰り返した。

 大好きな師の最後の言葉。


『 ベル、どうか、わたしの愛する子供たち・・・・』

 守ります。

 あなたの意思を継いで・・・私は・・・・きっと・・・・今度こそ!

もう、誰も悲しい思いをしないように・・・



 正午過ぎた頃、食事と少女の依頼内容を聞くため宿を後にし町中へ出た。

外は冴えた青空で気温は高く、少し歩いているだけで汗がにじみ出る。本当に夏の高い空の色と全く同じ髪色だな、とディートは後ろについてくる少女を見た。

 ベルが身体の傷も見て着替えも与えた。服も旅に必要なものもベルに頼りっぱなしなのでディートの服もすべてベルのセンスなのだが、何とも綺麗な薄紅色のワンピースを着せている。もちろん今から旅に出るので、旅用のブーツと長袖を着用させているが、ひらひら舞う短いスカートについつい目が行ってしまう。

『何でそんなかわいい服着せるんだよっ!』と、ディートは心の中で叫ぶと、ベルは少女と並んで歩きながらディートの目を見て得意そうに鼻を鳴らした。嫌味か。

 そうベルと並んでいると、彼女はベルより背が高い。 青い髪を左で高くまとめていて、落ち着いた表情を見せている。

「んねっ?喉が渇いたしおなかぺこぺこよね?ティーラはなに食べる?」

 ベルが彼女に向かって話しかけた。

「ティーラ?それって名前?」

 聞き慣れない名前。ディートは彼女に聞いたが、ぱっと目をそらしなにも言わず、代わりにベルが答える。

「そう。愛称で、ティーラちゃん!」

 本名かどうかわからないな、とディートは内心思う。まさかベルが名付けたのではないだろうな。

「それよりディートぉ~私オムライスが食べたいぃ~。早くレストランは入りましょう」

 甘えた声を出してディートの腕に巻き付くベル。

「はいはい。もう着くから。」

「オレっちも~☆ステーキが食べたい~©」

 ディートの反対の腕に、誰かが巻き付く。

 ん?この声は!

「ダルグ!はなせ!気色の悪い!」

 いつの間にか側にいたダルグが、恋人がするようにディートにもたれかかる。

「ディート君☆昨日ぶりッ!奇遇で運命だねぇ~」

「だねぇ~じゃねえ!神出鬼没だな!」

「それはオレッチのスタンスなのさっ」

 さらりと冗談めいた言葉で癇に障る言い方をしてくる。悪い奴ではないのだが言動はとても軽い。

「と、いうわけで、ご飯一緒してもいいかな~?」

「ええ。ダルグさんなら大歓迎よ!」

「おいっ!」

 ディートはベルを睨んだ。変に会うと別れ辛くなるだろうが、と目で問いかけたが、ベルは、幼なじみなんだし食事断るのも変でしょうが、と返してきた。確かに。

 そんな二人のにらみ合いにダルグは気づかず、一人の少女、ティーラを凝視していた。

「あ・・・あの・・・」

 じっと見てくるダルグに不快を感じ上目で睨むティーラ。ダルグはディートに言った。

「なんでこんなかわい~こがいるのわけ?ナンパぁ?」

「なんでダルグはそんなふうにしか考えられないんだよ。彼女は仕事の依頼人だって。」

「そうなんだ。じゃあオレッチお邪魔かなー」

 ダルグが言うように第三者がいるのは依頼者にとってはよくないかもしれない。

「ああ、邪魔だな。まあ帰れよ、またな。」

 それを言い訳にしてダルグを追い返したが、

「えー!ディート昔より冷たくなってるぅ~。オレとあんな事もこんな事もハジメテのこと全部一緒にシタ仲なのにぃ~」

「なんでおねえ言葉なんだ世気色悪いっ」

 追い返せるとは思ってなかったが思いも寄らぬ反撃を受けてディートはドン引きした。なおかつダルグはワルノリに輪をかけ、ディートに抱きつきべたべた甘えてきた。

「ちょっ・・・!さわるなっ!!」

「あらら~」

 ベルがクスクス笑いながらティーラに言う。

「この二人大事な幼なじみで再会したばっかりなの。依頼に支障はないんなら、ご飯一緒していい?」

「・・・・うん・・・」

 ティーラは怒りも呆れもせず、興味ないというように呟いた。それを聞いてダルグは目をきらきらさせてティーラに言った。

「やった~、ティーラちゃんありがとー!お礼のハグ」

「絶対!さ!わ!る!な!」

 ディートがダルグの首根っこをつかむ。目を離すと何するかわからないな、このお調子者は。

「じゃ、席に着きましょうか、」

 ベルは店内に入っていく。昼時で人が多いし人間離れした少女が二人も入ってきたので少し視線を集める。店のすぐ外でわーわー騒いでいたせいもあるだろう。少し周りが鬱陶しかったが、それぞれ注文をすまして話を進めることにした。

「んで?ティーラって呼ぶぞ?どこに連れてけばいいんだ?」

 ディートの問いに少しうつむくティーラ。青い髪が肩にこぼれた。

「・・・西の、ほう。」

「西だけじゃあわかんないなぁ・・・。」

「いっかい、場所を教えて、傭兵さんに連れて行ってもらおうとしたら・・・あの・・・へんなトコに連れて行かれて・・・」

 ティーラの瞳がくぐもる。その先はディートは想像するのをやめた。今考えると自分の機嫌が悪くなりそうだったからだ。

「・・・あと、あの。・・・そんなトコには、行けないってゆわれたことも、ある」

「そんなことしちゃあいかんわね~」

 と、黙り込んだティーラにダルグは頷きながら言った。

「そりゃこんだけ可愛いコだ。どこかに連れて行っちゃいたい気持ちはわかるが、オレがデスターディオスの名にかけて、君の依頼を受けよっか?」

「ダルグは黙っとけよ!ちゃかすな!」

 ディートがダルグを黙らせる。こっわ~い。と変な声で呟きすねた。

「でも、一人で行こうとしてたんだろ?いったいどうやって?」

「・・・・地図・・・・が、あるから・・・。でも、場所、は・・・」

 まだ警戒しながら話しているティーラに、ベルは優しく応えた。

「場所がわかれば、しっかり準備して安全にいけるじゃない?私ね、たくさん魔法が使えるから、普通の人が行けない場所もいけるのよ?みんなで考えて、ちゃんとたどり着く用意しましょう?」

 ゆったりしゃべる姿はまるで母がわがままな子供を諭すようだ。

 外見年齢はベルの方が下なのに、その大人っぽさに違和感を感じないのは、ここだけの話、ベルは可愛い少女の姿をしているが、実は精霊で人間の一生を遙かに超えた年齢だからだ。だが精霊の中ではまだ若者だと言う。ディートはもちろん、ダルグも幼いときそのことを教えてもらっている。

 そして、ディートと魂を強い絆で結んでいて、力を貸す代わりに精霊の加護を貰っている。取り憑いているみたいな感じでもある。

 人の気持ちを溶いたり掌握したり、こういったことに関してベルは良くやってくれる。

「じゃあ・・・場所を・・・。」

 ティーラが静かに告げ、ベルの持たせた小さな腰の鞄からそっと紙切れを出した。

 ディートもベルも、もちろんダルグもそのちいさな紙に注目する。

「わ~なにそれ~。子供の落書き?」

 ダルグのデリカシーのない一言にティーラは明らかむっとする。

「わーごめん怒らないでティーラちゃん!」

「この地図、あ、これこの大陸の北海岸の町の名前よね。ああ、なるほどね。大雑把だけど位置関係はあってるわ。」

 ベルが自分の地図と照らし合わせながら言った。

「そうね、ティーラの言うとおり、今の町からちょうど西ね。もう一つ先の町を越えたその先、海の方ね。」

「あ、待って。行けない場所って言われたってことはそれ、『岬の神殿』じゃない?『幻の森』の先にあるヤツ」

 ダルグがティーラに向かって聞くが、ティーラはそっぽを向いた。怒っているらしい。

「ティーラ。そうなのか?」

 ディートがティーラに優しく問う。

「・・・うん・・・。」

 ティーラは小さく不安げにうなずいた。ディートはそれに一言付け加える。

「ってゆ~か・・・悪いけど、どこだ?」

「んふふふふふ~ディート?」

 ベルの纏う空気が変わった。

「有名なんやから、それくらい覚えとけぃ!!この間抜けー!!」

「いってぇー!ベルみたいに歳喰ってないからわかんないんだよ!」

「なんや?ディート。よう聞こえんかったけど・・・悪いけどもう一回ゆうてくれるかなぁ?歳がなんやって?」

 妙ななまりで話すベルは、奇妙に殺気立っている。

「いやいやいや・・・すいません。」

と、ディートはすぐに折れる。だって。ベルはすぐ怒る。怒ると怖い。というか痛い。俺、いつか殺される。

「あのォ、おまたせしました。」

 ベルのオーラに怯えながらウェイトレスが料理を運ぶ。

「わかればいいのヨ?わかれば・・・ネ。ウフフ©」

 明るい声がやけに怖いのはなぜだろう・・・。

「ベルちゃんの二重人格相変わらずだな~」

 感心するダルグの前に、ハンバーグが置かれる。ディートの前にもピラフが置かれ、スプーンを持ってからベルに訪ねる。

「それよりその岬の神殿に行くには何日くらいかかる?」

「そうね。岬の神殿に一番近い町は『エットビバ』ってトコだから、とりあえずそこまでいって・・・・」

 ベルが地図を広げ解説しながらオムライスの卵をつつく。

「遠い、の?」

「こっからだと丸二日、かかるかかからないかくらい?」

 ティーラの問いに、ダルグが答える。

「すぐに、いきたい・・・」

 ディートは考える。今日はとても晴れていて穏やかな微風がふき、この一件が無くても今日この町を出ようと思っていた。

「んじゃあ、食べたらって事で。」

「え?即決?」

 ダルグがうろたえる。

「んじゃ、いつ行くんだよ?」

「もうちょっとゆっくりしたら?今日の夜も飲みにいこォぜ?」

「今日は晴れで、明日は曇りで、明後日からは雨降るらしいよ。」

 ベルが、机に頬杖をついて言う。ディートは考えてみるけど、それならやっぱり、

「今からだな。」

「今からでもいいけどご飯は食べさせろよな~」

「ダルグは関係ないだろ?なんでも食べてろよ。」

「いやぁ~面白そうだからオレっちも付いていこうかな~って」

 ディートは沈黙し、目の前のピラフを大急ぎでかき込み、ダルグのことは無視して伝票をもって立ち上がった。

「ベル!ティーラ!さっさとダルグほっといて行くぞ!」


 車輪のあとがかすかに残る堅い土の上。森の街道を4人がそれぞれの歩幅で歩く。

 此処は、西大陸ネス地方と呼ばれる場所だ。国という概念は他の大陸ほどはっきりとは分かれていないのは、近年まで開拓が進んでいない未踏の地であったからだそうだ。とは言ってもそれは一昔前の話で、今や立派に南北を横断する大街道が出来ている。

北の大陸を結ぶ港町から、ネス最南までを横断する大街道沿いに主要な街が点在していて、その街から出る東西に延びる側道には、様々な遺跡や古墳が隠されている。

 『岬の神殿』と呼ばれる遺跡もそんな一つで、街道を進んだ次の町から伸びる道の先にある。

 晴れた日は町の海岸から半島の先にある神殿の上部が見えるらしいが、神殿に行くまでには森を通らなければならない。その森『幻の森』がやっかいで、どんな強靱なものも頭の良いものも必ず迷ってしまうという。神殿に行き着いたものはごくわずかとも、いないとも言われる。そんな噂のある森だ。

 そんな曰くのある『岬の神殿』に、何故彼女は行きたがるのか。

 それを知っていながら、ディート達は何故依頼を受けたのか。

 ダルグは傍観しながら内心、そのなぞめく事実達におもしろさを感じていた。端から見ればただにやついている上機嫌なダルグに、ディートは呆れて話しかけた。

「ダルグさぁ、マジで俺達についてくるつもり?」

 ディートは隣を歩いているダルグに問う。

「おお。マジでついていくぜ。面白そうだし、ベルちゃんもティーラちゃんも可愛いし。」

「マジでか~。」

 なにを言っても無駄だと思い、もうどうでもよくなる。ついて来ることに不都合はないし、このネスの地理をよく知ってて頼りになる。大事な幼なじみだから一緒にいるのは単純に嬉しい。ベルの正体も知ってて気兼ねすることもない。ただ、離れづらくなるのが恐いのだ。自分は旅人で、目的が・・・。

「いいじゃないの~楽しければ~」

 鼻歌を歌うダルグがディートの記憶の中の幼少のダルグと重なった。何年もブランクのある友人って難しいと感じた自分が少し馬鹿らしくなった。自分も相手も大人になって、変わってないけど変わったところも確かにあって、接するのは難しいんじゃないかって正直構えていた。でも、理解不能な意味深に見せかけた軽い挙動の裏の、信念の通った行動と思慮深さ。そう何も変わっちゃいないのだ。信頼関係さえも。

 ディートはふっと笑ってダルグに話しかけた。

「そーいやダルグ。猫捜しはどうなったんだよ。こんな所でサボってちゃダメだろ。」

「ああ~それね。猫じゃなくて狼だったみたい。ま、いいのいいの。ディート達に付いて行きながらでもできるし。それにオレサボり魔だしね☆」

 なんとも適当なやつだなと、もう突っ込むのをやめた。

「・・・猫に、狼、ね。」

 ベルは二人の姿を後ろからついて行きながら聞こえないように呟いた。二人の小さい頃も思い出しながら思いにふける。

ダルグの着崩したシャツとネクタイには、デスターディオスの紋章が付いている。ベルは、デスターの内部事情に詳しい方ではないが、ディオスの紋章に間違いはないようだ。

 デスターは、名の知れたトレジャーハンター、何でも屋、傭兵、泥棒や、暗殺者まで、使えそうな人間をスカウトし、過酷な試験をクリアさせて兵に仕立て上げるらしい。

 確かにダルグは幼少の頃から特殊な力を持っていた。彼の家柄が符という札と字を介して、魔法を発動する特殊な力の使い方で、符術使いの血筋だったのだ。

 そんな彼との再会と、彼女との出会い。

 必然の出会いがふたつ・・・

「おいっ!!」

 思いに耽っていたベルは、ディートに強く呼ばれびっくりする。だが、その声はベルに向けられたものではなかった。

「大丈夫か??」

 それはうずくまっているティーラに掛けられていた。ディートが駆け寄って彼女を覗き込む。

「・・・ぅ・・・・。」

 側によると、彼女の周りの空気が痙攣して、その痛みが音のように伝わってディートとベルは背筋が凍ったような感覚を感じた。

「どうした?」

「・・・なんでも・・・な・・・・。」

ティーラは蒼白な顔をあげて言った。眉根を寄せて、必死で意識を止めさせているようにも見える。

「立ち眩みかい?今年は、残暑がひどいからねぇ~。」

 ダルグはうずくまっているティーラには近寄らず、遠くから声をかける。

 これは、立ち眩みなどというものじゃない。貧血・・・・そう、まるで、血が足りないような感じの顔だ。昨夜出会った時、ティーラの身体には無数の傷や痣があったが、ベルが治癒魔法をかけた、はずだ。実際に癒しているところを見たわけではないが・・・

 長袖のワンピースに長めのブーツを履いているので確認は出来ない。青白い顔に玉の汗が流れるのを見て、服の下はまだ傷だらけなのかもしれない。そんな直感がした。

 あの傷だらけの身体が、頭から離れない。

「どうしてさっきご飯たべなかったんだ?」

 ディートの気遣いの言葉も強く首を横に振るだけだった。そう先ほど彼女は飲み物だけで食事はいらないと突っぱねたのだ。

どこかで休んだ方がいいのだろうか。このまま歩いても次の街に着くのはまだだし、そろそろ野宿の準備もいいだろう。

「少し早いけど、もう休みましょう。」

 ディートの考えに同調するようにベルが言った。

「ダルグさん?悪いけどぉ~野宿できるような場所見つけてきてぇ~。」

 わかったよ~ベルちゃん~と言う声を残して、ダルグは林の方へ去る。ディートは未だうずくまっているティーラの手を取ろうとする。

「立てるか?」

ぱしっ!と乾いた音とともにディートの手ははたかれた。

「触らないでっ!」

 青い双眸でディートを射る。

「手を借りなくても・・・一人で立てる・・・。」

 気丈な言葉を残して、ダルグが歩いていった方に歩き出す。だがその言葉には焦りが含まれていたし、後ろ姿はふらついている。

 どう見たって大丈夫なはずはない。のに・・・あの態度・・・。

「なんで、そんな・・・」

 ディートははたかれた自分の手をみて、立ちすくんでしまう。

「おにーさん。しっかり。」

 ベルはディートの頭にコツンとゲンコツを当てる。

「ああ。」

 ディートは気を持ち直し、歩き出した。


 ダルグが見つけた野宿場は近くに小さな湖がある木々の中だった。ティーラはその湖岸にしゃがみこみ、夕焼け色に染まった水面を見つめながらため息をついた。

 オレンジの光の中で更に目立つ髪と瞳。だけどどこかくたびれてすがすがしい色のはずなのに悲しさが漂うのは「青」色の特性か。

 夕日が沈めば夜がくる。毎日毎日夜は来る。夜は恐い。闇は恐い。月も憎いモノ。

    夜が来る。

 自分のシルエットが写る歪んだ水面を眺めながら、息をするのも面倒な気分になる。

 このまま石にでもなってしまいたい・・・

「何をそんなに恐がっているんだい?」

    誰がなにを言ったの?

 はじかれた様に振り向くと、顔だけはさわやかに微笑んだダルグがいた。

「えっと、ダルグ・・・さん・・・?」

 確かそんな名だったが、今なんと言った?

「心が恐がっているよ?怯えてる。それが強すぎてオレの所にも聞こえるんだけど。」

 軽薄な声なのに、彼の言葉は何故か重く響いた。

「・・・・・・っ・・・」

 ティーラは追いつめられているような気分になっていた。どうにかしてこの場を離れたいのに、ダルグはしゃがみ込んでいるティーラと目線をあわす様に(ひざまつ)いた。

「何をそんなに恐がってるんだい?」

    何ヲ言ッテイルノ?

 言葉が頭の中をぐわんぐわんと反芻する。必死で目をそらしたつもりだったが、いつの間にかダルグの瞳をそらせないでいた。

 瞳に吸い込まれて動けないのに、身体の奥はザワザワしてる。

 見ラレチャウ!アタシヲ見ラレチャウ!

「いや!」

 ティーラは振り払う様に立ち上がりかすれた声で、叫んだ。

「あたしに誰も近づかないで!!」

 嫌。逃げたい。この人は何か知っている?的確に痛い言葉を吐きかけてくる。

 ダルグの顔を一切見ず駆けていく。恐くなんて無い。恐くない!

 ダルグさんは何を言ってるか解らない。何を言ってるの?あの人は。自分の心の中は知られてはいけない。誰にも触れさせない!

 ベルたちが、夕食の準備をしている。人が居る。いや、いやだ!

 ティーラはディート達がいる場所も、ダルグがいる場所にも行かず、林の奥深くへ足を運ぶ。

 だって誰とも話したくなんかない。

 だれとも触れあってはいけない。

 じゃあなぜ?

 こうなることはわかっていたのに、なぜ頼ってしまったの?

 女の子がいたから?何でも屋っていうから?

 ・・・『大丈夫』のあの声が、離れない。

 あの、蒼い・・・瞳が・・・。


「もう!ダルグさん!早く水汲んできてよぉ~!」

 水汲みに行かせたダルグが帰ってこないので、ベルは湖の方へ叫んだ。すると、「はいよ~~」と言う声が聞こえたので、安心して野菜を切るのに専念した。

 規則正しい包丁の音。それを聞きながらディートは少し離れたところでテントを組み立てていた。いったいどこにこれだけの荷物をしまっていたのか?というくらい、家事道具に野宿用品一式。それらが小さな林の中の広場に展開される。

「水汲んできたよ~ベルちゃん♪」

「ありがとダルグさん。そのへんにおいといて~」

 言いながら次の野菜を切る。トントン・・・・と包丁の音が鳴る。

「なぁ?ダルグ。さっきまでティーラと一緒にいなかった?」

 ディートの問いに、ダルグはキョトンとして、

「いたよ?でも・・・・」

「でも?」

「でも、ここに来てないってコトは。きっと、林の中に入っちゃったってトコかな?」

 トントント・・・・・。

「なんですってぇ~~!!」 

ベルは叫んで、振り向きざまに包丁を投げる。

「どぇぇぇぇぇぇえええ!!」

 気づくのが遅れたディートは無様に避け、ディートを眼前を通過した包丁はダルグへ。

「ほいっ。真剣白刃取りっ」

 スピードに乗った包丁を流れに任せて手を動かし、器用に指二本で挟む。

「拍手喝采!わぁ~~~~。すごいすごいダルグさぁ~ん。惚れたわ~。あなたのモノになったげる~☆なんて言ってくれない?ベルちゃん?」

「言わない言わない!それより、間抜けだったディートがティーラ探してきてね。見つかるまで帰ってこなくてよろしい。」

「はぁ~!?」

 急な出来事と要求に目を丸くするディート。

「ったく、つーかふつうに心配だから行くし。」

 鮮やかなダルグの手並みに少し嫉妬しながらディートはしぶしぶ承諾する。

「どーでもいいけど、そうやって人を試したりおちょくるのヤメロ!」

 悪態を付きながら、一応外していた剣の鞘を持って、固定の位置の右脚に取り付けてから森に入っていく。

「うふふ。ほめ言葉として受け取っておくわ。さっさと行ってらっしゃぁ~~い」

 ニコニコしながら、さっさと行けと、手をぱたぱた振る。

「あ~でも、びっくりしたぁ~ベルちゃんと居ると退屈しないねぇ~。」

 さっき白刃取りした包丁をクルクル回しながらケラケラと笑う。

「ダルグさんこそ、強いのね。さっきのすごかったわ!力一杯投げたのに・・・」

「オレっちに惚れた?」

 唇をとがらすベルに、格好付けながらダルグは言う。

「はいはい。それより私ね、あなたと二人っきりになりたかったのよ。」

「奇遇だねえぇ~オレもだよ~。ゆっくり話すこともあるしねぇ~お互いに☆」

 ダルグは長い前髪をサラリとかき分け、ゆるんだネクタイをさらにゆるめる。

 ベルはクス、と笑い妖艶に微笑む。いつもは仕草一つとっても、色気さえ感じられないのに。

「あなたの知りうるすべての情報を話してくれるなんて、光栄だわ。そうね、まず、何故私たちを尾行していたか、私たちと行動を共にするのか、ティーラをどうしたいのかが、聞きたいわね。」

 にっこり笑って幼少時に呼んでいた呼び方で彼を呼ぶと、彼も答えた。

「ね、ダルくん♪」

「はぁい?ベルねーちゃん?さてどこから話そうかな~・・・・・」


『何をそんなに恐がっているんだい?』

 ダルグの言葉が頭に反芻する。

 こわくなんて・・・・ない。泣いてはいけない。正気でいなければ・・・。

 でないと・・・・・あの場所に連れ戻される・・・・。

 それだけは嫌!!!

 せめて、彼との約束を守るまで・・・。

    そして・・・あたしの願いを叶えるため!


「貴女の願いは叶えられないよ・・・」

 ティーラの耳に聞き慣れた声が届いた。何度か気配は感じた。近くにいる気配。だけど、道に迷おうと、くだらない連中に襲われそうになろうとも、接触することはなかったのになぜ今になって。

「ワーム・・・。」

 ティーラの綺麗な唇が彼の名を呼び、後ろを振り返る。居ない。視線を上げると、太い木の枝に乗りこちらを見下ろしている見知った顔があった。

「なんの、用?」

 話したくもないし、嫌な気分がいっそう強くなったので彼を睨んだ。

 その彼は何も気にした様子がない。美麗な顔立ちに相応しいエメラルドの瞳は淡く優しい微笑を浮かべている。木の上から風のように浮き上がり地上に降りティーラの前に立った。絹糸のような細い金の髪は一房だけ長く伸ばされていて、それが風に踊る。

「久しぶり、ですね?怒っているのですか?」

「べつに・・・。」

 ティーラは目を合わさずに言う。怒っている、とも言いたくない。

「素っ気ないですね。心配してるのに。」 

 嫌みなど含まれてない、本当に彼女を気遣っている優しく淡い微笑。

「心配なんてしなくていい!もう少しであたしの願いは叶うんだから!邪魔しないで!」

 ティーラは声を張り上げた。

「それは無理だと言っているでしょう。私でも叶えてあげられない願いですよ?」

「そんなの!やってみなくちゃわからないでしょっ!」

 否定されて苛立つティーラの頬を壊れ物に触れるように触れた。

「貴女がそれほど苛立っているのは、自分のどこかで理解しているからではありませんか?本当は無理だと」

「違う!」

 ティーラは彼の言葉を遮り、自分に優しく触れる手をはね除けた。

「違う!無理なんかじゃない!出来ないはずがない!!」

 そう、この願いが叶わないはずがない。総てのモノに平等に訪れる理を、自分から願うだけだ。叶わないはずがないんだ!叶わないなんて!おかしい!

 そう・・・おかしいの。・・・あたしは・・・・

 地面が揺れているように見える。頭に血が登り歯を食いしばる。

 憤り、悲しみ、辛さ。数日前まで感じていた恐怖が一気にわき出るようだ。

「ティア。」

 穏やかなのに力を含んだ声で名前を呼ばれる。彼が自分を呼ぶ愛称。小さな子供を諭す父のように強く彼は言った。

「解っているはずだ。無駄なことはやめなさい。」

 やめる?諦める?

「だったらどうするの!!やめてどうするのよ!!!あたしに・・・あの場所へ帰れっていうの?連れ戻しに来たの!?」

 言葉にすると虚しくなった。声は小さくなり、スカイブルーの瞳からは涙が溢れる。

「どうして・・・・どうして叶わないの?・・・・・・・。」

 彼はそっと抱き寄せ、ティーラの背中を撫でる。泣くといつもそうしてくれる。身体を少しでも癒やそうとしてくれている。それは彼の優しさだ。拒絶は出来ない。だけど身体を預ける気にはなれない。それは自分に対する憐れみと嘲りが彼の内にあるのを知っているから。

「・・・あなたなんて、大嫌い」

「知ってます」

「・・・助けてくれない」

「私では役不足だからです」

「・・・お願い、帰りたくない」

「連れ戻しに来たわけではありません。むしろ、このまま・・・」

「・・・じゃあ、どおして?」

「『その願い』は、持って欲しくないからです」

「・・・じゃあ、あたし・・・どうしたら、いいの・・・」

 ティーラは泣きじゃくってしまった。彼の腕に甘えることなく顔を手で覆い、支えていないと今にもしゃがみ込みそうだ。

 彼は思う。

 自分では、腕の中で泣きじゃくる彼女の力にはなれないことを痛いほど知っている。実際長く一緒にいても何も出来なかった。

 でもこれだけ、唯一出来るこれだけはさせてほしい。

 土をバタバタと踏む足音と人の気配が近づいてきた。彼女は泣いているからか気付いてはいない。

  多分、ベルアースが守護している、例の・・・


 ベルのいつも強い紅の瞳が、ダルグの話を聞いたため少し曇る。

 ダルグと二人で話した内容を整理しようと、切り株に座って足を組んだ。

「でもまあ・・・・人間って・・・いろいろ大変よねぇ。」

 ため息まじりでつぶやくと、それにダルグは苦笑しながら言った。

「君だって大変だろう?人間より遙かに永い刻を生きているんだから。」

「まぁ・・ねぇ。」

 自嘲気味に笑う。長かろうが短かろうが、感情を持つものは愚かで過ちを繰り返す。大変なのは皆同じなのだ。

「ベルちゃん?」

 ダルグは満面の笑みを浮かべて言う。企みのある笑顔だ。

「なによ。」

「デスターの情報を流したんだからサー、オレのものになってよ~」

「えー。まだンな事いってんのぉ?冗談かと思ってた。」

「あはは・・・やっぱだめ?」

「ダメ!私はちゃんと理由と、信念と、目的があって、ディートに憑いてるんです!」

 即答で、強弱をつけた声で拒否するベル。

「まぁ~わかってるけどね~ダメ元できいてみただけサ。」

 だけど会話は楽しくて、二人ともクスクスと笑う。

ふと、ダルグがベルの座っている近くまで歩み寄り、真剣な眼差しで言った。

「キスしていい?」

 その言葉に戸惑い、少し考え、

「うーん。べつに、い、いいけど・・。」

 そう言うと、自分のネクタイを少しゆるめてから、ベルのふっくらした頬に手を当てる。間近にお互いの顔。真紅の瞳がダルグを映す。猫のような大きくて吊り上がった瞳。

「ベルちゃんも可愛いけど、ティーラちゃんはめちゃくちゃ可愛いよねぇ~さすがだよね~キスしたいなぁー。」

「なぁにぃ?ダルグさん、ひょっとしてキス魔ぁ?ティーラにキスなんて出来るかしら?」

「なんかいろいろ後が怖そうだからムリかなァ」

 また二人とも笑う。

「ねえ?ベルちゃんの“本当の姿”がいいなぁ~」

「はぁ?この期に及んでまだ我が儘?ダメよ。」

「ちぇっ~。」

「我慢しなさい。私とキス出来るんだから。」

「精霊様とキスだもんね~、オレっちメチャラッキー☆」

 軽いなぁ~、と思いながら悪態を付く。どこまでが冗談でどこまでが本気なのか、さすがのベルでも解りにくい性格だ。そう思ってるとやはり脈絡の無い事を言うダルグ。

「ディートも可愛いよねぇ~キスしたいなー」

「それは・・・・・。男としてやめときなさい・・・。」

 ベルはあきれながら瞳を閉じた。


 森の少し開けた場所にティーラは居た。

 謎の青年と一緒に。

 ベルに負けないくらいの変な形の服。袖が広くてどう見たって余分な布がありスカートのように長い裾で、帯で腰をしめている不思議なモスグリーンの服装だった。細くしなやかな金の髪は、ディートの光りを映して跳ね返す鮮やかな金ではなく、柔らかく光を吸い込み流れるピュアクリームだ。

 美しく澄んだ存在感に気圧されながらも、ディートはティーラがそいつの腕の中で涙しているのを見つけた。

「ッ!なにやってんだよ!その子に危害を加えるなら・・・!!」

 剣の束を握りしめ怒りの気を発する、が、暖簾に腕押しのような感覚が帰ってくるだけで相手になどされない。

「失礼ですね。危害など加えませんよ。」

 ディートの威嚇など気にも留めていないような微笑みで言うと、ティーラの方へ向き、

「只、私は彼女の治療をしにきただけです。」

 言いながら、ディートの方に向いたティーラの頬を引き寄せ、不意に唇を奪う。

「・・・ンっ!!」

 ティーラが嫌がるのを無視して、強く抱きしめる。

「なっ!」

 ディートは固まる。

「・・・んんっ・・・・ぃや!!」

 思いっきり身体を放すが、その衝撃でティーラは後ろによろけてへたり込む。

「てめぇ・・・・。」

 ディートの左手の小手の赤いガーネットから白い光があふれ出す。それは剣の束だった。

脚に添えたグラディウスの束ではない。白い閃光とともに現れた刀身は、この世のものとは思えない透き通るクリスタルの剣。すべての色彩を吸収し、反射させ白く輝く。真っ直ぐとした細い刃に静謐な文字のような文様。力が宿り、放たれる精霊王が創りし、すべての属性(かのうせい)を秘めた剣。

『パーソビュリティ』

 怒りをはらんだディートに対して、やはり穏やかに言った。

「その剣を見たのは数年ぶりですよ。精霊王が授けた。・・・やはり君が・・・。」

「ティーラに何をした!」

 ディートの罵声を聞きながら、彼は風のように再び木の上に舞い戻る。

「私は“ティーラ”の主治医って所でしょう。」

「主治医?」

「ええ。そういう事です。本当に危害など加えていませんよ。」

 ゆっくりと流麗に応えてニッコリ笑う。だが次の言葉を発する時目は笑っていなかった。

「あなたこそ、彼女の側にいるんなら、森で一人歩きさせるような真似はさせないでいただきたいんですが?」

 口調は穏やかだが、見下すような棘がある言葉。

「っ!」

 ディートは何も言い返せない。確かに彼の言うとおり知らない間とはいえ森の中という危険な場所に晒しているのが現状だ。

「もしティアを危険な目に遭わせるなら・・・」

 微笑んでいたエメラルドの瞳が、冷たく瞬いた。

「・・・あなたを殺します、よ?」

 鎌鼬のような裂くような強い気が流れた。ひらひらと舞うような掴めない質量だった相手の全体像が、今!やっと感じられた。悪意も敵意も含まれていないただの宣言。ゆえに真実味がある。

 強い!ディートは一瞬の風の流れだけで、身体を引き裂かれそうな恐怖を感じた。

「ワーム!消えて!」

 彼に負けないぐらい、瞳に強い光を宿したティーラが彼を戒める。

「この人は何も悪くない!あなたが消えて!」

 それを聞いてまた穏やかに微笑む。

「冗談ですよ。では、貴女のお望みのまま。消えます。では、また。」

 そういうと、言葉通りに風を巻きながら消え、そのあとにはハラハラと木の葉が舞い散るだけになった。気配が完全に無くなった事を確認してから、ディートは剣を小手の中に吸い込ませた。

「怪我・・・ないよな・・・?」

 少し罪悪感。彼女を危険に晒したという気持ちが彼の言葉の所為で表れる。それに、さっきのキスを見た為で気恥ずかしい気分になる。彼との関係は何だろう。恋人?そんな風には見えなかった。彼女の背景を伺いたいけど、嫌がりそうで聞けない。

「ごめん、なさい・・・」

「え?な、なに?」

 何に謝られたのかわからずディートはティーラを凝視する。座り込んだまま自分を見上げる姿はとても可愛らしいが、目が合った途端に彼女は逸らす。

「あの、ワームが非道いことゆって・・・たから・・・」

「あ、ああ。いや、俺の方こそ、知り合いに剣向けたりして、その、ごめん、な?」

 嫌われたくないから不自然なほど言葉を選んでしまう自分はちょっと情けない。

「大丈夫だと思う、ワームは精霊だし、強いから。」

「ああ・・・。強そうだった・・・」

 ティーラの言葉で納得がいった。あのオーラは人がまとえるものではない。

「あのさ、ベルもなんだ。精霊ってやつ?そんなに強くはないけど」

「そう・・・なんだ、ね?」

 ティーラは意外に関心がある相づちを打った。今なら会話が続きそうで、ディートは座り込んでるティーラに手をさしのべた。

「ベルと仲良くしてやってよ、ティーラ」

「・・・・・」

「俺、とも・・・」

 ティーラはチラリとディートの手を見て黙り込む。たかがそんな一瞬の沈黙も耐えられなく、ディートは笑いながら言った。

「一人で、立てれるって、いってたよな~」

 手を引っ込めようとしたら、冷たく細い手が重ねられた。

「!!」

 微かな体温に内心ドキリとした。衣擦れとともに彼女がゆっくり立ち上がる。青い髪が重力に従いさらりと流れ、ディートの目の高さにちょうどに額がくる。

「・・・慣れなくて・・・」

 少し踵の高いブーツを指さしてティーラは言った。

「歩きにくい?ベルに言ったら靴変えてくれるかも」

「いいの、慣れないのは靴じゃなくて・・・。あの・・・。」

 何を言いかけたのか、ティーラはまた口をつむんでしまった。それ以上話してくれそうにないからディートは自分の伝えたいことを言う。

「せっかく一緒にいるんだから、みんなで居よう?痛いとか辛いとか、気軽に言っていいからさ。ベルは優しいねーちゃんだし、ダルグも俺の幼なじみで良い奴だよ?俺は・・・」

 気を引きたくて優しくしゃべると、ティーラはきょとんとした顔でディートの顔を見た。強く鋭そうに見せたり、儚く揺れて泣きそうだったり。青い瞳は、一度も安定して煌めかない。今にも壊れそうな肩。消えそうな声。そんな彼女にこれだけは伝えたくてこう続けた。

「だから、何かあったら俺の名前呼んで?何か、手伝うからさ。」

「・・・・・・・・・・・・」

 彼女は目を丸くした後眉根を寄せてまた目をそらす。その沈黙に耐えきれなくて、ディートは笑いながら言う。

「ってか俺の名前覚えてない、か?」

「・・・おぼえてる。」

 そっけなく言われて呆気にとられる。

「・・・もどる・・・・」

 その小さな訴えは、まだ皆でいてもいい、という意思が含まれていたように感じた。僅かずつだが何かを感じてくれているはずだ。

「あ、ああ。いこう」

 きっと伝わったのだろう。そう信じて野営を組んだ場所まで会話無く戻っていった。


 ベルの紅い髪を緩やかに撫でる風が流れた。

「!」

 その匂いとも感覚ともつかないものに驚き、ダルグから身を剥がす。

「どうしたの?ベルちゃん?」

「この風は!」

 何かを感じ取るベル。

 この、【風の気配】。何故?

「大丈夫?ベルちゃん。」

 ダルグに言われ、思考をとめる。

「え・・・・・ええ。・・・・大丈夫よ。」

 空虚な言葉に本当に大丈夫か?とダルグが思って見つめていた矢先。

「ただいまー。」

 ディートとティーラが、森の中から帰ってきた。

「おかえり、怪我とか、えっと、まあ、なにもないわね?」

 ベルは、白々しいほどにっこりとした笑みで、二人を迎える。

「あ・・ああ。なにもないよ。まったくなにもないよ。なあ、ティーラ??」

「うん。」

 ディートは、キスを思い出して気重くなるため、説明が面倒だったし何も言わずにベルと同じ笑みを浮かべた。

「・・・・・」

 ティーラも、あえて何も言わない。

「そっか、そうよね、こんな森に、誰かが居るわけないもんねっ!!じゃあ、二人も帰ってきたことし。ご飯食べましょっか。」

と、ベルは今の風を忘れるように支度をしに行く。いつもの笑顔で食事の準備をする。ダルグはそれをじっと見つめながら、クスクスと一人笑う。

 みんな微妙なポーカーフェイスだなぁ。


 湖に足をつけ、全裸のまま月を見上げているティーラ。

 青い髪から水滴が落ちて湖面に円を描いた。水面に映った月が揺れる。

 そう、そんな風に、輪郭が水に溶けて消えてしまえばいいのに。あたしも。

「・・・・はぁ・・・」

 ティーラは小さなため息をつき、また水の中に浮かんだ。水の中はざわついた精神が少し落ち着く。唯一ほっと出来る場所だ。

「ティーラぁ~。水浴び終わった?長いから倒れてるのかと思ったわよ」

 ベルが湖岸から真っ白な大きなタオルを持ってティーラを呼ぶ。

「きれいにした?」

 ベルの問いにこくりと頷き水から上がろうとする。

「まって、・・・じゃあ、この上に上がりなさい。」

 岸にタオルを広げ敷いてあげる。その上にティーラが足を置いた。

「ほら。ちゃんとふいて。」

 ティーラより背の低いベルが、一生懸命細い身体を拭く。

「次からはちゃんと自分で出来るわね?」

「・・・ぅん。・・・・わっ!」

「髪ちゃんと乾かさないと風邪ひくわよっ」

「わわっ」

 バスタオルで頭をくるまれ、撫でられる。こんなの初めてだ。くすぐったい。触られるのも、人と一緒にいるのも嫌だったはずなのに。

「・・・・・どうして。」

「ん?なにがどうして?」

 ティーラは自分の心をつい口走ってしまって慌てる。

「あ、あのどうして、どうして、このタオルとかどこから出てくるの?」

「こんなタオルとか、さっきの調理道具とか、どっからもってきてどこに消えたの?」

「ああ、旅に必要なものは私の家から次元を通して転送するのよ。」

「う~。」

 って相づちうつけど、さっぱりわかんない。

「あの、精霊だって、きいた。」

「そう私、ちょっとした精霊なの。だからこの世界の外に家があるのよ。」

「家って、どんなのなの?」

「うーん普通のマンションかな~。3LDKだし。」

「まんしょん?さん?ふぅ~・・・ん」

 聞いたことのない言葉で、想像もできない。

「あは、ティーラが微妙に変な顔してる~。今のはわざと困らせたのよ?ふふふ。」

 とベルが笑う。

 どんな顔をしたんだろうとティーラは考えていたら、何もしないうちに着々と服を着さされていた。長い裾の寝間着を頭から被った。着心地と肌触りの良い優しい布だ。聞きたいことはよくわからないことではなくて、ベルはどうしてこんなに優しくしてくれるんだろうかということ。

「はいできた。さ、冷たい飲み物でも飲みに行きましょう。」

 そんな二人がテントの所まで戻ると、ディートが簡易椅子に座っていた。カップをティーラに手渡す。

「おかえり。すっきりした?」

 優しく微笑むディート。もう一個ある椅子に座っても良いのかと躊躇いながら、ディートの向かいに腰をかける。そして、目の前に出された飲み物を一口のむ。

「・・・あ・・・」

 冷たくすぅっとして、優しく淡い甘さが口の中にじんわりひろがった。

 目の奥が熱くなって口をすぼめた。ちょっとだけ視界が揺れてきて、まばたきを我慢した。

「おいしい?」

「・・・・うん・・・」

「よかった。今日も、ゆっくり休みな。テント用意してあるから。」

「・・・うん。」

「おやすみ。」

「・・・・・」

 ディートがその蒼い瞳を彼女に向けて微笑む。

 返事はできなかった。心の中をくすぐるような小さな熱があり、それがウズウズして、涙が出るような、我慢が出来なくて叫びたい気持ちになった。でも、まだはっきりと名前を付けられない感情。

 どうして優しいの?

その問いかけと、自虐する気持ちに阻まれているから、その感情が表に現れることはまだ無い。

 だけど純粋に、夜が怖くなかった。

ティーラは久しぶりに安眠に身をゆだねた。

 あの悪夢を見ることなく。


「ダルグは?」

 ディートが立ち上がりながら言う。

「見張り役を買って出てくれたわ。近くにはいない。」

 ベルも立ち上がり、テントの側から離れ歩いて行く。それについて行きながらディートはうなずいた。

「そうか。」

 ティーラはテントの中で、ディートの外套にくるまって眠っている。ダルグも近くにいないならば。

「本題に入ろうか、ベル」

「・・・・・そうね。」

 やっとベルと二人きりになったずっと疑問に思っていたことをベルに聞いた

「なんで、彼女を引き留めたんだ?」

行っちゃダメ!!

 ベルの叫び。あの声。強い想い。

 初めて彼女に会い行き当たりで助け、宿で休ませたあの時に『ティーラ』という名前さえも知らない彼女を引き留めた理由、は?

 ディートはそれが知りたくてしょうがなかった。それが納得できれば、自分の中でもやもやしているわだかまりも解消できそうだと思った。

 だから聞いた。

「彼女にはね、追っ手がかかっているのよ。」

 それは直接的なディートの問いの答えではなかった。

「なんで追われてる?悪人には見えないぞ?」

「ついでに賞金も掛かってるらしいわ。」

「なんで?犯罪者なのか?追ってるのは誰だ?」

 ベルは首を左右に振り神妙な口調で言った。

「・・・守らなければならないの。あの子を。敵から。全ての闇から。」

「闇ってなんだよ。敵って誰だよ。」

「・・・・・・・・・。」

「俺は旅に人が増えることに問題はない。訳ありならかくまってやるさ!だが、何者か解らないのは問題だろ!知ってるなら教えてくれよ!」

「・・・答えられないわ。」

 はぐらかしてばかりのベルの返答に、いい加減頭にきた。ディートは横にあった木の幹を、拳で殴る。

「知ってるんだろ!本当は!なんで言ってくれないんだよ!」

 葉がハラハラ落ちて、眠っていた鳥たちが驚いて飛び立つ。

 曖昧なベルの物言い。知っているはずなのに。否、知らないはずがない。なのに何故はっきり言わない?

「秘密ばっか作りやがって。取り返しの付かなくなったときに!すべてが終わった後に!何もかも解るんだ!“あの時”もそうだ!!」

 ベルはグッと唇を噛む。

「教えてくれよ!彼女がなんなのかとか、お前の目的とか!」

 ベルはディートから目をそらし、地面をじっと見て沈黙する。その態度にも腹が立ったのでディートはさらに続ける。

「いつもお前は澄まし顔で人を手駒のように操って。俺の事だって、操ってるんだろう!」

「そうよ!!!」

 普通なら否定する事を、ベルは肯定した。

「そのとおりよ。だって!私はやらなきゃいけない事があるもの!優先させるべき命令が残っているもの!ディートはそんな私のこと、考えてくれてるの!?」

「・・・。」

 言葉に詰まる。考えてくれた?と問われるとわからない。自分のことばかりだったかもしれない。

「・・・ベルが、あのコに縁があるなら、別に一緒にいてもいいけど・・・」

 ディートは譲歩するようにベルにいうと、ベルはなお眉をつり上げさせた。

「私!?私じゃないわ!アンタよ!」

「なにがだよ・・・ッ」

「ティーラが気になるんだったら本人に直接聞けばいいでしょう!!」

「聞けるならきいてるよ!」

 ごもっともだがあの様子では聞けないから何か知ってるベルに聞いているんだ。

 お互い非があるのに相手を責めている。これじゃあ話にならない。ディートはベルの意味のわからない怒りと会話に頭が痛くなってきた。

「もーいい。聞かねーよ」

 すねたディートに、ベルは子供に諭す母の様に言った。

「もう甘えないで。」

「っ!」

 その言葉はディートにとって図星で痛いものだった。

「今は、私の主はあなただけど、それだけが私の全てではないわ。確かに隠し事は多いけど、私は答えを簡単に教えるほど甘くはないわ。リアもそうだったでしょ?貴方には強くなって欲しいの。そして見つけて欲しいの。何が問題なのか。そしてその答えを・・・。」

 形勢が逆転したように、なにも言えないでいると、ベルは真剣な顔でゆっくりと言った。

「私は未来の予測が付く。過去も知ってる。行き先も・・・身の振り方も。もちろん彼女の事もね。でも、私にも最後は解らない。行き着くところは知らない。それは、あなたたち自身が見つけるしかないのよ。」

 言葉では言い表せない。頭でも、理解できてない。でも感覚が、肌が。

 自分とあのコになにかあって、これから何かが動き出すと、予感している。

 それを教えて欲しいというのは、わがままだったのだろうか。ベルは自分たちのことを考えてくれているのは今までの付き合いで痛いほどわかっている。

「わかったよ。ごめん。」

「・・・・私こそ。いいすぎたわ。私も、混乱しているの」

「そうか・・・。」

「私にも解らない・・・どうするかは、あなた達が考える事よ。そして、私はあの子と・・・あなたを守る。」

 強気で隙のない彼女の表情は、次第に崩れ、願うようにしかめて言葉を放った。

 でもその言葉達は、抽象的すぎて、大きすぎて、それが何を指しているのか解らない。何が問題なのかも自分で掴めと言ってることは解った。だけどこれから起こること、自分を取り巻く大きなモノ。それに立ち向かう術なんだろうと思ったし、彼女が言ったことは間違ってはないと思った。

「だから、あのコが何者なのかは、アンタが気付いて!」

「なんなんだよ・・・・どうすれば・・・・??」

 今言われた事で悩み事はさらに増えた。ワケのわからない大きな問題を架せられて、肩に重みがのしかかる。

「ごめんね・・・混乱させて・・・教えてあげられなくて。」

 ベルはため息をつく。

「私、ちょっと家に帰るから。その間にゆっくり考えてほしいの。自分の気持ち。この旅の目的を。今は訳が分からないと思うけど・・・・」

 ベルを見つめる蒼い瞳と、ディートを見つめる真紅の瞳が重なる。

「ディート・・・。」

 心配そうに見つめ、言葉を残し、彼女は精霊となって、別世界へ消てゆく。

 頼って、甘えて、彼女の所為にできたのは、彼女が母のように接してくれていて、またそう思っていたから。彼女が精霊という抜き出た存在で、強い者だと思っていたから。

 でもそれは思っていただけで、決して完璧ではない。

 自分が子供だったと確認する。このままでは先に進めないことも。

「どんな強い力も“想い”の上に成り立ってるの。

すべては、“心”なのよ・・・。」

 そう言い残して彼女はこの世界から消える。

 まだ大人になりきれてないこの心じゃ、彼女が言おうとしていることは到底わからなかった。だが、答えも問題も、自分で見つけるしかない。それだけはわかった。

「俺の気持ち。目的・・・問題・・・。」

 一人になって深く溜め息を吐いて呟く。

「心が力なら・・・今の俺はめちゃくちゃよわっちいな・・・。」

 その独白と同じような感慨を、ベルも一人感じた。


 家族ごっこをしながら二人きりで旅をするのはもう終わったの。

 これから始まるであろう物語に、一番ストレスを感じているのは私なのかもしれない。

 だって・・・この物語は


          悲劇だから。


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