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#9 魔物を殺す者

 “魔物”――それは文字通り人ならざる物。魔獣、そして魔女を意味する言葉だ。

 かつての魔女戦争以前からこの世界に存在し人々を苦しめ続けてきた悪魔……。魔物は魔女戦争時、ザックブルムの手によって量産が謀られた。あの時代、魔物は大量殺戮兵器として非常に優秀だったのだ。

 戦時中人々を苦しめた魔物、それも既に繰り手であるザックブルムが滅びた今では数は激減し目撃情報も殆ど無くなった。それは戦後大聖堂が下した魔女狩りを初めとする徹底した魔獣の抹殺命令の賜物である。

 だがこの世界から魔物という種を根絶出来たというわけではない。戦後暫くが経った現在でも、各地で時折魔物は出現する。

 私が修道騎士となったのは家柄故に当然の事であった。貴族の次男として生まれた私は家の事は兄に任せ、兼ねてより憧れであった騎士となった。

 騎士になる事が出来るのは高貴な家柄の人間か、或いは教会の関係者だけである。魔女戦争中には平民出の武勲を立てた英雄が騎士となる事もあったがそれは稀な例となる。

 家柄の力で騎士になった私ではあったが、魔物によって苦しめられている人々を救い、そして世の平和を守る騎士の仕事は非常に充実した、文句のつけようの無い日々であった。

 そんな幸福な日々が続いたのはあの日、あの事件に遭遇するまでであった。私は修道騎士としてまだ未熟であり、そして余りにも無謀だった。

 報告書にどんな風に記載すれば伝わるのかはわからないが、私はあの事件の事を大聖堂に報告しなければならない。たった数日前の事だ、その気になればすぐに思い出せる。

 元々、商業都市ゲリアの北部では魔物が出るというのはよくある話であった。

 ゲリアの北部は魔女戦争時に激戦が繰り広げられたゲリア高原が広がっている一帯であり、鬱蒼と生い茂った森や険しい山道等人間が普段立ち寄らないエリアも多い。

 そんな北部、元々ザックブルムとの国境付近であった山中で私は魔物使いの噂を確かめに来ていた。修道騎士の役割は世の平定、そして魔物の調査である。単独でそこへやって来たのは私の独断先行であり無謀以外の何者でもなかったのだが、それも止む無い事だった。

 山中から出現するその噂の魔物は人間の町や旅人を何度も襲撃し、死傷者の数は既に二桁。その魔物を人間が飼い慣らしているというのだから、緊急事態である。

 だがその報告が来ても大聖堂は動こうとはしなかった。準備がどうだの信憑性がどうだのとごねるばかりで調査隊すら差し向けない彼らの態度に業を煮やし、私の独断で調査にやって来たのが事の発端だ。

 聖騎士程とは言わずとも修道騎士にもある程度の独断と単独行動が許されている。私は人々を苦しめている魔物の証拠を掴み、大聖堂に持ち帰るつもりだったのだが――。


「……情けない話だ。あっさりと捕まってしまうとは」


 山中にある古い館の地下、私が捉えられた牢獄があった。結論から言うと山中に潜んでいたのま魔獣ではなくただの人間の盗賊団だったのである。

 勿論それだけではなかったのだが、私は彼らをその場で捉えようと押しかけてしまった。剣の腕には自信もあったし、人々を苦しめる彼らを許せなかったからだ。

 盗賊連中を相手に大立ち回りした所までは覚えているのだが、背後から急に凄まじい未経験の衝撃が迸り気絶。気付けばここにいたわけだ……。

 そうして彼らに捕まり、殆ど放置されたまま恐らく数日が経過した頃だ。その二人組はまるで当たり前のように、あっさりと私の前に姿を現した。

 一人は女――。片腕を覆うように鋼の鎧を纏い、腰からは聖騎士の証でもある聖剣を携えていた。顔に傷のある、しかし美しい女だった。

 一人は少女――。口元を覆うように黒い布を巻いた、碧の瞳と碧の髪を持つ少女だ。それが魔女であり、女の方はその護衛の聖騎士である事は明らかである。


「こんな所に居たわね……。あなたがそう? 大聖堂から連れ戻せって命令があった騎士さんは」


「貴女は……?」


「わたしは聖騎士のアイネンルース。こっちは魔女のシャルルヴィアーノ。あなたを助けに来たわ」


「聖騎士アイネンルース……? まさか……」


 聖騎士と一口に言っても様々である。現存する聖騎士の数は限られており、そしてその名前は私にも聞き覚えがあった。

 あの魔女戦争を生き抜いた英雄の一人。四人しか存在しない魔獣討伐のプロフェッショナル……。四人とも魔女を連れて旅をしているとは聞いていたが、まさか本物に会う事になろうとは思いもしなかった。

 こうして私は魔物を連れた彼女に出会い、そして魔物と呼ばれた存在のその言葉の意味を知る事となるのである――。




#9 魔物を狩る者




「これで良しと……。さあ、脱出するわよ」


 彼女はそう言って牢屋から私を出そうと手を差し伸べてくる。だが待て、今何をした――?

 鍵を使って扉を開けたのではない。鉄格子に彼女は片手を添え、まるでゴムか何かをゆがめるくらいの様子で鉄格子を曲げて見せたのだ。

 唖然とする私の前、彼女は鋼の片腕を軽く振って微笑む。強引に私を引っ張り出すと、背中を軽く叩いてきた。それでも十分すぎる衝撃だったのだが。


「あなた、聖騎士と会うのは初めて? まあ仕方ないわね……今じゃ四人になっちゃったんだもの」


「アイネンルース様……その、何故わざわざ聖騎士がこんな所に……?」


「何故って、そりゃあなたを助けに来たからに決まってるでしょう?」


 当たり前の事を訊くなとでも言わんばかりの彼女の態度に私は納得が行かなかった。

 私を迎えに来たのは何故だ? 人々が蹂躙され助けを求めていたのに大聖堂は動かなかった。それが僅か数日で私に迎えを寄越す……それも最強の一角である聖騎士様とは……。

 騎士は片手を腰に当て静かに息を吐いた。それから壁に背を預け、腕を組みながら言う。


「随分と無茶をしたわね。たった一人で盗賊の根城に踏み込むなんて。殺されなかったのが不思議なくらいよ」


「金目の物は鎧も武器も奪われましたがね」


「命があれば次があるわ。あなたはまだ子供なんだから」


 その言葉に思わずむっとするが、だがそれが事実だ。私はまだ未熟――彼女を前にすると嫌でもそう思い知らされる。

 この敵地の真っ只中でこの余裕、そして一挙一動に不思議な威圧を感じる。堂々としているのだ。今この瞬間も危険を危惧している私とは大違いに。


「それで、いたの? いなかったの?」


「は?」


「魔物よ。居るなら殺して来いっていうのが命令でね。全く、お陰でシャルと一緒に久しぶりにゲリアでゆっくり出来ると思いきや……とんだとばっちりだわ」


「私が見た所、魔獣らしい気配はありませんでしたが」


「魔獣はね。当たり前でしょ、魔獣なんかこんな小さいアジトで飼えるわけないじゃない」


 失笑と共に彼女はそう告げ、私はまたちょっとむっとする。私の態度など気にも留めず彼女は話を続けた。

 そもそも魔獣は本能的に人間を殺戮し食い荒らす存在だ。それが人間と共存出来ない事は古より決まった明白な事実なのだ。

 私もそれは理解している。だが人間が魔物を使役していると言う話なのだから、居るのならば居るのだろう。勿論それを怪しんで大聖堂が兵を出さなかったのも頷けるのだが……。


「そもそも魔獣は自分より強い存在の言う事しか聞かないのよ。つまり魔獣を使役出来るのは、魔女だけ」


「魔女……ですか」


 思わず小さな少女を眺めてしまう。異国の装束を纏った碧の少女は相変わらず一言も喋らず、何処を見るでもなくただ突っ立っている。その様子からするとただの人形か何かのようだ。


「魔女は魔獣を操る力を持っているわ。まあ個体差はあるけど……ザックブルムはそうしていたわ。まともな人間が魔獣を使役しようとしたら、手馴れた兵士が五十人くらい必要なんじゃない?」


「では、やはりここに魔物は居ない……という事ですか?」


「そうとは限らないわ。居るのが魔獣ではなく、魔女かもしれないでしょ」


 魔獣と魔女の大きな差は理性の有無だ――彼女はそう教えてくれた。

 魔獣は本能の赴くまま、ただ肉を食らい殺戮を犯す。だが魔女はそうではないのだ。人間らしい感情を、人間らしい心を持っているという。

 貴族の息子として生きてきた私にとってその言葉は受け入れがたい物だった。魔女はバケモノ、それが当たり前の世界だ。碧の少女も今は大人しいが、どのような本性を持っているかなどわかりはしない。


「魔女はしかも女だから、恥ずかしがりもするし痛がりもするわ。そういう人としての弱さに付け込んで、支配するしかないのよ」


 そう語る聖騎士の横顔はどこか寂しげだった。魔女戦争を実際に体験した彼女にはそれなりに思う事もあるのだろうか。


「仮にここに魔女が囚われているのだとしたら全ての辻褄が合うわ。操っているのがザックブルムの騎士か、盗賊かって違いしかない」


「では……やはりこの館に魔物が……?」


「それを調べるのがわたしたちの仕事よ。その前にあなたを外に連れ出さないとね」


「待って下さい! 仮に魔物が人々を苦しめているのだとしたら、それを正すのが騎士の務め! 私も同行します!」


「剣も鎧も無いのに? それにあなたを無事にオルヴェンブルムに帰すのがあたしの任務なんだけど」


「しかし……!」


 聖騎士は私の言葉を遮るように唇に指を当ててきた。何事かと沈黙すると通路をこちらに向かって近づいてくる幾つかの足音が聞こえた。


「少しはしゃぎ過ぎね、少年」


「……すみません」


「まあいいわ。少し下がってなさい」


 剣を抜きながら彼女が笑う。まさか一人で戦うつもりなのか――そう口にしようとした時、背後からカソックの裾を引かれ振り返った。碧の瞳が私を見上げ、下がっていた方が良いと通告する。

 魔女に触られているという事実に一瞬恐怖が過ぎるが……何と言うか、この子は普通の女の子にしか見えない。魔女と言えばバケモノ、もっと恐ろしいものを想像していたのだが……。

 両手を手錠で拘束されているし、特に害はないのだろうか。いや、手足を縛った状態でも人を殺せるのが魔女だと噂を聞いたことがある……なんて考えながら振り返り私は唖然とした。

 そこには綺麗に寸断された盗賊の死体が二つ転がっていたのである。見たところ、この牢獄の扉を開けて直後殺されたと言った様子だ。聖騎士は既に剣を鞘に納めており、返り血の一つも浴びず美しいままである。


「脱出するわよ。長居してもいい事はないわ」


 私の手を引き彼女は走り出した。魔女の少女も後ろをついてくる。

 牢獄の中に居た方がまだ安全だった気がしてくる。殆ど音もなく二人の人間を殺せる騎士と、魔物の類……その間に囲まれて走る日が来ようとは……。

 彼女は既にこの館の内部構造を理解していたのか、私達は特に迷う事も無く真っ直ぐに館から出る事に成功した。夜の闇の中、木々に合間に隠れて腰を落とすと呼吸を整える。が、息が乱れているのはどうやら私だけらしい。


「成程ね。人の立ち寄らない山中にある館……ザックブルムの詰め所か何かだったんじゃない?」


 腰に手を当て彼女は館を見上げる。レンガ造りのところどころ崩れた、しかし未だに光を灯したその館は確かに妙だ。戦争の遺物だとすれば確かに辻褄が合う。

 夜の闇に風が吹き木々の葉を揺らしていく。同時に聖騎士と魔女の髪も靡き、二人は私を残して前に出た。


「さて、ここからは聖騎士の仕事よ。あなたは夜明けを待って山を降りなさい」


「ま、待って下さい! 仮に魔女がいるとして、それを貴女一人で相手に出来るのですか!? ここは増援を要請して、万全の体勢で……!」


「別に魔女を殺しに行くんじゃないわよ。ただ確かめに行くだけ……。それにわたしは魔女を殺す気はないわ」


 それは一種の職務放棄である。魔物を殺すエキスパートである彼女が、魔女を殺す気は無い……それは決して口にしてはならない言葉だ。何故なら平民出の彼女達は、魔物を殺すからこそ英雄足りえるのだから。


「魔女を殺さず……それで、どうするつもりですか?」


「勿論、話し合うのよ。説得して、魔女にまだ生きる道があるのならば……大聖堂へ連れ帰る」


「既に魔女は人を殺しています! 死傷者が出ている以上、まともな話し合いが出来る状況では……!」


「だからそれはやってみないとわからないわ。それに人を殺したとしても、それは人間がやらせた事かもしれない。そうであればまだ救いの道はあるかもしれないわ」


 それは綺麗事だと、叶うはずの無い理想だと彼女も理解しているはずだ。

 魔女は一人でも人を殺していれば。一人でも人間を口にしていれば。それだけで極刑――その場で殺されて当たり前なのだ。

 旅に出られる魔女は不殺の少女のみ、それ以外は全て魔獣として処断される……。連れ帰った所でもう既に可能性などありはしないというのに。


「理解出来ないって顔ね。大聖堂に連れ帰っても無駄かもしれない。でもわたしはもう魔女を殺さないと決めたの。そう、決めたのよ」


「馬鹿な……。人間と魔物の共存は不可能……それは貴女も理解しているはず」


「不可能だと口にするのは簡単よ。あれは違う、あれは殺さなければならない――そう思うのも簡単。容易い方向へ転べば、人は何処までも堕落してしまう」


 目を瞑り彼女は静かに言った。それは聖騎士に有るまじき発言である。

 聖騎士は司祭に匹敵する権力を持つヨト信仰の象徴だ。その聖騎士が魔女や魔物を肯定するという事は、教義に対する重大な反故になる。

 彼女にそれを言おうとした時、館の中が騒がしくなったのが分った。恐らく私達の脱走、そして仲間が殺されているのが奴らにも分ったのだろう。


「さあ、隠れてなさい。武器も持たないあなたに出来る事は何もないわ」


「しかし、いくら聖騎士と言えども一人では……」


「大丈夫よ。この世界でわたしを殺せるのは……そうね。多分、イルムガルド……あいつくらいだもの」


 彼女はそう言って鋼鉄の鎧を纏った腕で聖剣を握り締めた。ヨト信仰の中にある魔を弾く“聖なる言葉”を刻まれた刃は魔物に対しても有効な武器だと聞く。

 碧の少女の頭を軽く撫で、聖騎士アイネンルースは歩き出した。当たり前だが館からは次々と武装した盗賊が姿を見せる。その中の数名が矢を放った事で戦いが始まった。

 私は咄嗟に碧の少女の手を引き物陰に引き込んでいた。教義でバケモノと教わっている彼女に何故そうしたのかは分らないが、彼女に対してどうというよりはむしろ今戦っている聖騎士の為だったのかもしれない。

 彼女は恐らく、この碧の魔女を傷つけたくないと願っている……。この僅かな間、数回しか言葉を交わしていない私にもそれはわかった。だから彼女は今、一人で戦おうとしているのだ。

 いくら聖騎士、戦争の英雄と言えども人間の女――。盗賊達を相手にどう戦うのか……等という事を心配していたのだが、それは私の杞憂だった。

 飛来した矢を彼女は刃で薙ぎ払う。そこから違和感が始まり、それはどんどん強くなって行く。

 次々と襲い掛かる敵を彼女は呼吸も乱さずに斬り殺していく。長い栗色の髪が風に揺れ、返り血の一滴も浴びず彼女は刃を振るい続ける。

 私の知っている戦いというのはもっと血生臭い、凄惨な物であるはずだった。だが彼女はそれを踊るようにこなして行く。自分の腕が未熟であると痛感させられると共にはっきりと認識した。これが、魔物を狩る剣の動きなのだ――と。


「ま、ざっとこんなものかしらね」


 血振りをしながら溜息混じりに彼女が呟くまでものの数十秒――。十人以上居た盗賊は全員が切り刻まれ大地に倒れていた。私はただその情景を呆然と眺めるしかない。

 全てが終わった――余りにも早すぎる決着だ。彼女に声をかけようと物陰から身を出そうとしたその時、今度は碧の魔女が私の体を引いた。

 直後、何かが轟いた。青白い光が視界の全てを支配し、耳を劈くような音と共に大地が焦げ付く匂いが漂ってくる。薄っすらと目を開いて正面を見ると――。


「アイネンルース様――!?」


 つい先ほどまで驚異的戦闘能力で盗賊を蹂躙していた彼女は、今は焦げ付いた大地の上に倒れていた。何が起きたのか理解が追いつかない私の隣、魔女が囁く。


「……雷撃魔法」


 その言葉の真偽を確かめるより早く、館からは一人の少女が姿を現していた。それは魔物――だが聖騎士の推測は正しく、それは黄金の髪の少女であった。

 俗に言われる金髪とそれは余りにも違いすぎる。正に金色に輝くその髪と瞳は何らかの力を帯び、淡く輝いているかのようだ。ドレス姿の少女は倒れた聖騎士に歩み寄り、その焼け付いた身体を見下ろして言った。


「――馬鹿な女。私を殺しに来るからそうなるのよ……。ここに現れなければ、死ぬ事も無かったのに……」


 ゆっくりと私も状況を理解しつつあった。そう、この館にやって来た私を背後から攻撃したのは彼女だったのだ。

 視覚的に認識、反応不可能な魔法攻撃――。雷撃が彼女の力なのだとすれば、文字通り反則だ。いくら卓越した剣の腕があったとしても、“光”に対しては無力である。だが――。


「……いきなり躊躇い無く人間に魔法を使うって事は……強要されて人を殺していたわけでも無さそうね」


 立ち上がったのだ。雷撃を受けたはずの聖騎士は立ち上がり、黄金の魔女を見下ろしているではないか。私も驚いたが、魔女の驚きは尋常ではなかっただろう。

 咄嗟に後退し魔女は片手を翳す。頭上より光が迸り騎士を穿つ――この間に一秒たりとも間は存在しなかった。私もそれをしっかり見たわけではないが、少なくともこういえるだろう。


「私の雷を――剣で払った……!?」


「わたしはオルヴェンブルム大聖堂所属、聖騎士アイネンルース。あなたの話を聞きに来たの。わたしは敵じゃないわ」


「大聖堂の……聖、騎士……? やだ……いやだっ! 来ないでぇええええっ!!」


 魔女は絶叫と共に発光――直後無数の雷撃が降り注いだ。館も、木々も、私達が隠れている岩も吹き飛ばそうと衝撃が何度も何度も炸裂する。その人知を超えた猛攻の中――聖騎士はやはり立っていた。


「な、なんで!? どうして!?」


「落ち着きなさい。あなたの話が聞きたいだけなの」


「そんな事を言って、私を殺すつもりなんでしょ!? 大聖堂の言う事なんて信じられない……! 近づかないでっ!!」


 今にも泣き出しそうな表情で恐慌状態にある魔女に聖騎士の言葉は届かない様子だった。当たり前だ、届くはずがない。だが――聖騎士はあっさりと交渉の為、その身を危険の中に曝け出した。

 手にしていた聖剣を放り投げ、両手を広げて見せたのだ。自殺行為以外の何者でもないその行いに私は絶句した。聖騎士アイネンルースは腕を広げたまま、ゆっくりと魔女に迫っていく。


「わたしは敵じゃない。怖くない。あなたをいじめたりしない。大丈夫だから――こっちに来て」


 黄金の魔女は涙を拭い、ゆっくりと顔を上げた。それからあどけない瞳で聖騎士の微笑を見つめ――自らも笑い、そして言った。


「――ばぁあああ~~かっ!!」


 雷撃の矢が放たれた。これまで以上の最大級の威力で。

 無防備な聖騎士の身体を貫くだけでは飽き足らず、雷撃は周囲全てを焼き尽くしていく。夜の闇を森を焼く炎が照らし、空に魔女の笑い声が響いた。

 アイネンルースは黒焦げになって倒れていた。今度はもう起き上がる気配もない。死んだ――間違いなく死んだ。一度目の奇襲も剣で防いだのかもしれない。そもそも剣で雷を斬るというのが理解の範疇を超えているが、それでも防げたのかもしれない。だが今度は違う。今度は武器を自ら投げ捨て無防備だった。防ぐ手段が――生き残れる可能性が、ない。


「あはははは! 死んだ? ねえ、死んだ!? 大聖堂の! 聖騎士……っ! 私が強要されて魔法を使った……? ええ、違うわ。私はここの人間を力で支配していたのよ。全部私の物! 盗んだ物も、奪った物も!!」


 焼死体となった聖騎士を相手に魔女は叫んでいた。許せない――そう思った。武器も持たないただの修道騎士があの魔女に立ち向かう……普通なら考えられる事ではない。あれだけ恐ろしい力を目の当たりにして逃げ出すのが当然だろう。だが私は彼女を放置出来そうにもなかった。

 魔女を信じようとした騎士がいたのだ。魔物と理解し合えるかもしれないと、希望を捨てなかった騎士が居たのだ。それが目の前で殺されて黙っていられるほど、私は大人ではなかった。岩陰から飛び出そうとしたその時、しかし私より早く闇に声が木霊する。


「……本当にきみは、そうしたかったの?」


 姿を現したのは碧の魔女であった。口元を覆っていた布を指先で下ろし、静かな口調と眼差しを黄金の魔女へと向けている。

 二人の魔女が見つめあう奇妙な状況下、私はまた言葉を失っていた。いや、何と無く理解していたのかもしれない。これは――私が口出しできる事ではないのだと。


「あなたも魔女……? どうして聖騎士と一緒に居るの……?」


「……償う為……生きていく為。人である為」


「人……? 私達が人間だって言うの? 馬鹿言わないでよ、人間であるわけないでしょ……ううん、人間になるなんて御免だわっ! あなたも魔女なら知ってるでしょう? 人間がどれだけ恐ろしく、冷酷な存在なのか……!」


 人間は魔女を弾圧する。それは理解の及ばないバケモノだからである。

 教会がそうしろと、世界がそうしろと言っているから。そして教義であるという事実を盾に、人間は己の罪を自覚せず人の形をした物を傷つけることが出来る。

 魔女に石を投げようが、魔女の首を刎ねようが、魔女を焼き殺そうが、全ては教義……神の為、ひいてはこの世界全体の為なのだと。


「わたしは人間の見世物になって生きていくのなんてイヤ! 人間にいたぶられて死んでいくのなんてイヤ!」


「だから……奪ってもいいと言うの? 殺しても……いいと」


「いっぱいいっぱい痛い思いをして、怖い思いをしてっ! やられたからやり返しているだけ、それの一体何が悪いの!? 人間だって私達を殺すわ! 私のパパとママでさえ、私を殺そうとしたのよ!?」


「だから……理解し合えないと。手を広げて近づく人間でさえも……?」


「理解しようとした! したよ! 仲良くなろうとした! でも駄目……駄目だったじゃないっ!!」


 絶叫と共に雷が放たれる。碧の魔女は丸腰――いや、武器があればという問題でもないのだが、光は確かに瞬いたのだ。それこそ私が助けに入る余地もない。

 だが次の瞬間、髪をなびかせながら碧の魔女は前進していた。その身体は無傷――黄金の刃は彼女を傷つけず、ただ大地を抉っただけであった。


「う、そ……? ちゃんと狙ったのに……」


「人間は確かに……とても恐ろしい。でも、何かを受け入れる気持ちを持ってる……。ぼくたちも、持ってる……」


「こっちに……こっちに来ないでっ!!」


「人である為に……。人の心を忘れない為に……。ぼくたちは、それを捨てちゃいけない」


 次々に雷の刃が放たれた。だがその悉くが彼女には命中しなかった。

 光の雨の中を悠々と歩くその姿は脅威を超えてむしろ幻想的ですらある。私はただ、轟音の中静けさに染まっていく視界でその様子を眺めていた。

 美しい……ただそう思った。そして同時にとても悲しくも見えた。どれだけ避けんでも、どれだけ涙を流しても、金色の魔女の声は誰にも届かないのだ。

 やがて碧の魔女は金色の魔女へと辿り着いた。その手で泣きじゃくる魔女の身体を抱き、そっと頬を寄せる。密着してしまえば雷は放てず……そして、言葉を伝えるにはそうするしかなかったのかもしれない。


「――――」


 碧の魔女はもう一人の魔女に何かを囁いた。そこから先の事は遠巻きに眺めていただけの私には理解出来ない事だった。

 一言二言、二人は小さく何かをやりとりしたようだ。そして碧の魔女は涙を流しながら目を瞑る金の魔女へ、自らの唇を重ねた。

 二人の魔女は暫くの間そうして口付けを交わしていた。やがて金の魔女は力なく倒れこみ――碧の魔女はその体をそっと横たわらせる。


「終わった……のか?」


 慌てて飛び出して駆け寄ると、金の魔女は涙を流しながら眠っている様子だった。だがその体に手を伸ばそうとすると碧の魔女が首を横に振る。


「放って置いてあげて……」


「え……? いや、しかし……」


「死んでるから、もう」


 口元を布で覆い、彼女はもうそれっきり何も言おうとはしなかった。恐る恐る金の魔女の脈を計ってみると――確かに彼女は死んでいた。眠っているようにしか見えない。苦しむ素振りなど一つもなく、安らかに息を引き取っていた。


「シャルの魔法は“毒”……。シャルの口付けは特定の相手を苦しめずに殺す為の最良の方法なのよ」


 と、当たり前のように背後から声が聞こえ慌てて振り返ると、何故か死んだはずの聖騎士が起き上がってピンピンしていた。

 わけが分らず立ち尽くす私の目の前、聖騎士は剣を拾って鞘に納める。そうして碧の魔女の髪を撫で、小さく笑った。


「剣で殺されたら痛いでしょう? だからわたしの代わりにやってくれたんだよ……ね、シャル」


「毒の、魔女……? では……」


「雷を避けたのは毒でこの子の神経系を駄目にしてたからよ。あとは運……あなたも近くに居たから、ちゃんと飲んでおいた方がいいわよ? 解毒薬」


 聖騎士はそうして私に小さな小瓶を投げ渡してきた。彼女自身は既に魔女との旅が長く、抗体を魔法で作られているから影響がないんだとか。

 成程、普段口元を隠しているのはそれが“必殺”だから、と言う事らしい。言葉を紡いで唾液が飛ぶだけで相手を殺す……そんな魔女なのか。


「まさか、貴女もわざと……」


「わたしもあのまま攻撃され続けたらちょっと危なかったしね。死んだフリしておくのが一番よ」


 けろりと笑う聖騎士アイネンルースの一言で事件は幕を閉じた。二人はそのまま私の前から立ち去り、私は傷一つなく山を降りる事に成功した。

 後の調査で分った事だが、事件を起こした魔女はゲリアで見世物として商売の道具にされ、丁度売り買いされる所を脱走した物らしい。

 魔女を隠れて育てているだけで裁かれる世の中だ。その闇商人はこれから私が責任を持って追求していくべきだろう。そうでなければ意味がない。

 黄金の魔女は当然、悲惨な人生を送ってきたのだろう。碧の魔女は彼女に傷一つつける事は無かったが、彼女の遺体は“傷だらけ”であった。

 動物以下の扱いをされ、折の中で一部の金持ちの道楽につき合わされてきた彼女がどんな気持ちで人間に力を向けたのか……それは察するに余りある。

 あそこで彼女を連れ帰った所で、魔女裁判により火刑に処されていたのは間違いないだろう。人を殺しすぎた以上、救いの道はどちらにせよなかった。そう考えると……あの碧の魔女のした事は酷く甘く、優しい事だったのかもしれない。

 聖騎士は言っていた。“シャルはこの世界で一番人を優しく殺せる魔女だ”と。口付けを交わす間に相手に幸福な幻想を見せ……夢に溶け込むように、苦痛も無く眠るように死ねるのだという。本当にそうなのであれば……いや、それもただの感傷だろう。

 碧の魔女も、あの聖騎士も旅を続けると言って去っていった。私は……相変わらず貴族の権力で騎士を続けるだけの未熟者だ。

 魔物と聖騎士の闘争――そして人々が魔女を弾圧する世界の闇の一部を垣間見てしまった私に何が出来るだろうか? そんな事を思う。

 恐らく私に出来る事はそう多くはないのだ。考え方が変わったわけでもなく、魔女を救う力も、殺す力も無いただの人間だ。だが、そんな私にもまだ出来る事がある――。


「随分な有様だな……。何があったんだ、こりゃ」


 山中を歩いてきた一人の男が山火事で荒れ果てた景色を眺めていった。私は彼に歩み寄り、声をかける。


「聖騎士イルムガルド様……で、あっていますか?」


 訊ねるまでもない。腰から下げた刃は聖剣――傍らには蒼い髪の魔女の姿がある。修道騎士の装備を見て、彼もまた私を関係者であると認識したようだ。


「言伝を承っています。聖騎士、アイネンアース様から」


 その名前を聞くや否や、彼はげんなりとした様子で溜息を漏らした。彼女に言われた通りの反応だ。


「アイネか……。あの馬鹿力女が何だって?」


「彼女はこれから南の方に行くそうです。もし追いつくようだったら一緒に食事をしようと」


「……よしレヴィ、北だ。俺達は北に行くぞ……」


「えっ? でも、アイネ様は南にいくって……。シャルちゃんも……」


「うるせえ、北に行くったら北だクソが! あいつの顔なんぞ見たくもねえよ!」


 急に不機嫌になった男はそのまま北へ向かう道を歩き始めた。やや遅れ、礼儀正しくお辞儀をして蒼の少女も去っていく。その背中を見送り私は小さく苦笑した。


「……言われた通りにしましたよ、アイネンアース」


 自分が南に行くと言えば、イルムガルドは必ず北に向かうだろう。だから、北で待っている――彼女はそう言っていた。

 さて、二人の聖騎士は出会う事が出来るのだろうか。そしてこれが彼女に対するわずかばかりの恩返しになるのか……それは私の知るところではないが。

 崩れ去った館の前、小さな墓標が風を受けている。小さな木を切って作られた、小さな墓標。そこにかけられたわずかばかりの願いを、私は見届けてみたいと思う。

 時が過ぎ、いつかは魔女の旅も終わる。大聖堂も、この世界も変わる。そうなっていく切欠を作るのはきっと……私達、一人一人なのだ。

 その途方も無い歴史に一筆書き加える事――それが、魔物の現実を知った私の責務。せめてもの、償いなのだから。

~そし魔女劇場おしえてレヴィ子さん~


レヴィ「一年ぶりの更新なのに出番が……」


イルムガルド「ああ、なかったな」


アイネンルース「まあ今回はふつーにバトっただけの気もするしね」


イルムガルド「この小説にバトルとかいらねえから」


シャルルヴィアーノ「まあ……久しぶりの更新だから」


レヴィ「もう一話くらい近々更新するらしいですよー」


イルムガルド「……信用ならねぇ……」


シャルルヴィアーノ「信じる事を……諦めるの?」


イルムガルド「そういう問題でもねえ」

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