#7 紅き雫と追われる者
僕は、魔女を憎む――。何故魔女などというものが生まれてきたのだろうかと、そんな答えの無い疑問に囚われる事も多々ある。
聖クィリアダリアという国に生まれ、オルヴェンブルムの鐘の下で育った僕は、生まれた時から神の存在を疑う事も無く、当たり前のように信じていた。世界はヨト神の名の下にいつか一つになり、平和が訪れる……。そんな夢物語を、ずっと信じていた。だから騎士になろうと思った。神の国を、理想を現実にする為には力が必要だったから。
でも、段々と大人に成るにつれ僕は知って行った。この世界には神なんていないって事も、僕の行いが正しく無いという事も。戦争が始まって、戦場で血の匂いを嗅ぎ慣れるにつれて真実の足音は近くなった。敵も味方もない……。皆等しく傷ついて、死に絶えて、涙を流していた。
だから僕は魔女が嫌いだ。沢山の命を奪い、想いを無残に踏みにじる。魔女の存在さえなければ、あの戦争はきっともっと早く終っていただろうから……。
「レムリス……? レムリスったら!」
思わず考え込んでいた思考の渦の中から意識を引っ張り出し、視線を落とす。そこには僕が最も忌み嫌う存在が僕を見上げていた。
「……どうかしたの?」
「どうかしたの? じゃないでしょ! さっきから道端でずうっと立ち尽くしちゃってさ。あたしの声だって聞こえてないみたいじゃない。どういうつもりよ、レムリスったら」
「いやぁ、ごめんごめん……。ちょっと考え事をしていたんだ」
「……いっつもそうやってぼうっとしてるからすぐ怪我とかするのよ。しっかりしてよね、もう」
曖昧に笑顔を返すと彼女は腕を組んで溜息を漏らす。その仕草は一々可愛らしく、僕はなんともいえない気分に陥る。
魔女――。そう、魔女。彼女は僕が守らねばならない紅き魔女……。紅の髪と瞳を持つ、十五歳にも満たない少女だ。その美しく可憐な姿を見る度、僕はやりきれない気持ちになる。彼女はきっとそれに気づいていない。曖昧な笑顔で濁す僕を見て、明るく無邪気に笑いかける。
戦場で見た憎しみに囚われた悪魔のような姿とは大いに異なるその姿に、僕は戸惑いを隠せない。彼女と旅を始めてもう一年はとうに過ぎたのに、僕は彼女を受け入れられないで居た。
商業都市ゲリア……。この大きな流通の街ならば、彼女の目的の手がかりもあるかもしれないかと考えたが、状況は難航している。既に一週間近くこの街に滞在している所為で路銀も底を尽きそうな勢いである。そろそろ目的を後回しにしてでもお金を得る方法を考えなければならない。
両手を鎖で繋がれ、背中には自らがすっぽり入れるような巨大な棺桶を背負っているというのに彼女は元気よく街を走っていた。あまり目立つといい事がないと言うのを彼女は良く理解しているはずなのに、どうしてああも元気でいられるのだろうか。
背負った巨大な剣。僕の荷物といえば、そんなところ。彼女よりもずっと軽い……しかし重くて仕方が無い大剣。それを静かに担ぎ直すと、正面に見覚えの有る姿が迫っていた。聖騎士に与えられる礼式装備を携えた騎士の姿……。旅の為か僕と同じく軽装。一見すれば神父にしか見えないその男はポケットに突っ込んでいた手を挙げ、軽く僕に挨拶する。その影から飛び出してきた蒼い髪の少女がうちの姫様と抱き合い、なにやらはしゃいでいるのが見える。僕は小さく溜息を漏らし、旧友の名前を口にした。
「……やあ、イル。元気だったかい?」
友は苦笑し、それから肩を竦めた。それだけでお互い苦労を重ねてきた事は、何となく分かってしまった――。
#7 紅き雫と追われる者
僕らは無難に宿を取る事にした。既に僕らが世話になっている宿の隣の部屋だ。理由は単純明快、聖騎士と魔女の組み合わせはただでさえ目立つのだ。それが二組もそろって道端で話していたら騒ぎになりかねない。
イルの担当する魔女はどうやら従順らしく、きちんと髪と目を隠していたようだけれど、僕の方はそうはいかない。うちの姫様は自己主張の激しい女の子で、髪も目も一切隠そうとしてくれないのだ。自分が損をするだけだというのに、全くどうしてなんだか。
「ゲリアにはいつ着いたの?」
「昨日だ。怪しい男に絡まれて一日無駄にしちまった」
「怪しい男?」
「魔法の絵描きとかいうやつだ。魔女の血と髪で絵の具を作って歩いている」
「ああ、彼か。彼、魔獣が出る森を一人でウロウロしててね。偶然助けた時、怪我をしてた姫様の傷口から血を採取してたな。何だ、絵の具を作ってたんだね」
「……そのリアクションはどうなんだ? というかあいつ、魔女には見せてるって言ってたが」
なら、姫様は見たのかも知れない。僕はそれを知らなくても……まあ、知らないことがあってはいけないのだろうけど、特におかしくはない。僕は基本的に姫様を守らないし、ただついていくだけ。聖騎士は同伴が目的であって、旅の内容に関しては特に込み入った決まりはない。
旅における魔女と騎士とのルールは、それぞれがお互いに作り、お互いに課すものであって強制ではない。故に僕は特に彼女との間にルールは作っていなかった。かなりの放任状態が長い間続いているので、彼女の知らない一面は日に日に増えていく。僕はそんな彼女との距離感を感じる度、どこかほっとした気持ちになる。
近づきすぎれば火傷をするのが魔女の旅……というのは僕の持論である。なんにせよこうして旧友と出会えたのだ。語りたい事は尽きない。
「旅は順調? イルの事だから、厳しく接しすぎて彼女泣いてるんじゃない?」
「今のところあいつが泣いたのは二回だけだ」
「……泣いてるんじゃないか。もっと優しくしてあげればいいのに。妹さんには、すごく優しかっただろ?」
「……その話は止せ。そっちは相変わらず尻に敷かれているのか」
「その言い方はどうかと思うけどね。まあ、振り回されっぱなしなのは変わらないよ」
僕の姫様――ステイルガルドはとても元気が良くて気が強い。魔法もバンバン使うようなとんでもない魔女で、特に僕に対しては容赦というものがない。
一応、大分年上だと思うのだけれど、彼女は僕を呼び捨てにするし何かとあれば厄介事を僕に押し付けるのだから中々苦労の耐えない旅である。そこを言うとイルの連れている――エトリアの魔女は、とても大人しくてかわいらしい雰囲気の女の子だ。一緒に旅をするのもさぞ楽なのだろうなあ。
「ん~~っ! レヴィ、元気してた? 人間になんかされなかった? 痛いとこはない?」
「へ、平気だよ……。ステイは元気そうだね。また会えて嬉しい」
「あたしもよ、レヴィ。そういえばあんたの騎士……名前は忘れたけど、あいつに変な事されなかった? 聖騎士って変なヤツ多いから心配で心配で」
イルは眉を潜めて片目を閉じていた。流石に突然斬りかかったりするような出来ていない大人ではないらしい。だからといって何でもかんでも寛容出来るほど大人でもなさそうだけど。
「……そういうお前は、もう少し厳しくしたらどうだ? 甘やかしすぎるのも、どうかと思うぞ」
「あははは……。でもまあ、僕は彼女が好きに出来る旅がいいと思ってるんだ。どうせ僕にしてあげられる事は……なんにもないからね」
ベッドの上に転がっては足をぶらぶらさせ、礼儀正しく腰掛ける蒼き魔女に一方的に話し続ける姫様。その表情はここ最近ずっと見ることが出来なかったような快晴の笑顔で、明るくはしゃぐその声を聞くのも随分と久しぶりだった。
僕の思い違いでなければ、彼女も最近の不毛な旅に疲れを覚えていたはず。日に日に少なくなる口数は疲労を……しかし態度には出さないその強さが余計に彼女を苦しめる。他人の心を解きほぐし、穏やかに癒してくれる……そんな笑顔を浮かべる蒼き魔女。彼女との再会は、姫様にとってきっととても大きな活力になるだろう。
「ねえ、レムリス! 今夜はレヴィと一緒に寝てもいいでしょ? 一晩中話したって足りないくらい、いっぱいいっぱい言いたい事があるの。レヴィもそうでしょ?」
「……あ、あんまり無理は言わない方がいいんじゃないかな……」
「何言ってんのよ!? 他の人間たちには無理どころか水一滴だって恵んでもらえないあたしたちなんだから、騎士くらいは利用するもんなの! それくらいの権利ってもんをあたしたちは持ってるの!」
「そうかなあ……」
「そ! う! な! の! とにかく、今日は一緒に寝るからね、レヴィ~♪」
レヴィアンクロウ、とか言っただろうか。蒼き魔女を抱きかかえ、髪をくしゃくしゃに撫で回す姫様。確か姫様はレヴィアンクロウより二つ年上だったはず。恐らくは同じ目的のために旅をする仲間であり、妹のような存在でもあるのだろう。
安いベッドの上をコロコロと転がる二人を眺めていると、イルは静かに背を向ける。部屋の出入り口まで歩いていくと、彼は僕を手招きした。一緒に部屋の外に出ると、イルは廊下の壁に背を預け、腕を組む。それから小さく溜息を漏らし、首を横に振った。
「お前のとこの魔女のお陰で今晩はルールを犯す事になりそうだぞ」
「……そうだね。まいったな」
魔女の旅に小難しいルールは無いが、だからと言って全くないわけではない。最低限のルールは勿論必要なのだから。
人を食うべからず。殺めるべからず。旅を止めるべからず。人に逆らうべからず。聖騎士と離れるべからず……。この辺りは当然の事だろう。手錠と棺もこのルールの中に含まれる。
魔法を使うべからず、というルールはない。生きるために必要最低限の魔法の使用は許されている。しかしそれを人間に向けたり危害を加えた場合、即刻聖騎士は魔女の首を刎ねる義務を持つ。魔女の旅の残りの多くの部分は聖騎士の判断に任されるアバウトな部分が大きい。聖騎士は元々強い権力……司祭にも匹敵する発言力を持つ。多少の無理は簡単に通す事が出来る。
故に僕らのように、全ての教会を巡らず、他の目的のために遠回りする事も可能である。定期的に教会に顔を出す必要はあるものの、それさえパスすれば殺される事も無い。そもそも旅をする目的は苦難を乗り越え、清い心と信仰心を高め、神に許された純粋なる存在へと昇華する事にあり……。その最終目的さえ果たせればそれで良いのだ。
ただしかし、どうしても破ってはならない重い罰則というものも幾つか存在する。それは暗黙のルールでもあり、同時に魔女の心を試す法でもある。その中の一つを今、僕らは破ろうとしている。
「――他の魔女と旅を共にするべからず。会って話すくらい問題ないだろうが、一晩同じ屋根の下っていうのはどうだろうな」
それは人間が魔女を恐れているという証拠でもある。魔女が二人以上同時に行動すれば、その脅威は何倍にも膨れ上がる。聖騎士二人ではどうにも阻止できないような、そんな脅威が人の身に降り注ぐ可能性も十分考えられる。
教会にしてみれば、魔女という存在はもう忘れたいもの……。しかし脅威である以上放置も出来ない。だから僕たちが監視をするのだ。
「……噂になると面倒だね。仕方ない、少し街から離れた場所に野宿するってのはどう? 人気のないところなら、二人もリラックスして会えるだろうし」
「まあ、それが無難か。幸いこっちはまだ部屋を取る前だし、レヴィはお前の部屋だ。さくっと連れ出して出て行くとするか」
意外にも彼は僕の提案をあっさりと聞き入れてくれた。僕が持ちかけたのは曲りなりにも共犯の要請である。しかし、彼はまるで最初からそんな事はどうでもいいと言わんばかりだった。
「……ふふ」
「…………何がおかしい?」
「いや……。やっぱり、イルは優しいんだね」
「掟と名の付く物全てが嫌いなだけだ。それに、あいつらは人の不幸になるような事に魔法を使ったりはしないだろう」
それが彼がこの旅の中で育み、そして判断した事だった。後に彼に話を聞いて発覚する事なのだが、レヴィアンクロウは人間相手に何度か魔法を使用している、との事だった。勿論それはルールに違反する事だ。だが、それはうちの姫様も同じ事だ。
時に、魔女は人を救う為、何かを護る為……人間に向かって魔法を使う。これは重大なルール違反であり、掟を破った魔女の首は僕ら聖騎士が断たねばならない……。だが今の所、僕らはそれを執行するつもりはなかった。
一体それが何を意味しているのか……。教会への、クィリアダリアへの、ヨト神への反逆……。神罰が当たるとかそんな風に言われても仕方のないことだと思う。だが、神はこの世界にはいない。ヨト神なんてもの、この世界にはいないのだ。
イルムガルドも僕も、あの戦争で多くのものを失った。どうしようもなく、失った。それは絶対に取り戻せないし、何かで代用できるものでもない。だから僕らは永遠にこの傷と向き合って生きていく義務がある。
彼は魔女との旅の中でその答えを模索しているのだろう。それは僕も同じ事だから、何も言わなくてもわかるのだ。魔女は魔女なりに。騎士は騎士なりに。揺らぎ、惑い……答えを探している。
「――教会なんぞクソ食らえだ。お前だって本当はそう思ってるんだろ?」
口元を吊り上げるように、彼は笑いながら言った。その言葉はどこか自虐的で……しかし、共感出来る。
「……そうだね。クソ食らえだよ」
教会はもう、本当は魔女の事なんてどうでもいいのかもしれない。先の魔女狩りで魔女らしき者は真偽問わず皆殺しにしたのだ。たかが十五程度の少女に一体何が出来るというのか。
結局の所、この旅は厄介払い……。聖都に魔女を置いておきたくないから、都合の悪い聖騎士を追い出すのと一緒に纏めて行われる……。制度もずさんで、こうして僕らは自由に旅が出来る。そんな教会がテキトーに作った儀式を心から信じ、毎日努力を続ける魔女を見るのは辛い。その先に救いがないことなど、火を見るよりも明らかなのだから……。
あの魔女戦争と呼ばれた戦の中で、どれだけの悲しみが生まれただろう――?
僕が彼、イルムガルドと出会ったのは戦場の中での事だった。十代で戦線に投入され、僕らは騎士としての武勲を立てた。やがて戦の中で驚異的な速さで昇進し、聖騎士になり……。それから僕らは対魔女戦専用部隊として運用される事となった。
戦争末期、敵の頼みの綱といえば正に魔女、魔獣だけであった。実際、魔物の類は戦線に一度投入されれば甚大な被害を与え、文字通り戦況をひっくり返すだけの力を持っていた。そんな化け物専用の戦闘部隊としての僕らの日々は、ひどく過酷なものだった。
最初は十三人の聖騎士がいた。しかし最終的に生き残ったのはたったの四人……。倒した魔物の類の数はゆうに二十を超える。恐らくあの戦線の中で最も活躍し、最も武勲を立てた部隊だったのだろう。だがしかし生き残った僕らはそんな事には微塵も興味がなかった。
魔女との戦いの日々は僕らの心を壊していった。どうしようもない過酷な戦場の中、僕らは己を壊す事でしか生き永らえる事が出来なかった。今でも眠りに付けば夢に出てくる荒れ果てた大地の姿……。かつて森であった場所でさえ、魔女との戦いで夜を明かせばそこには荒野が広がっていた。
丘の上、全身に様々な武器を突き刺され、串刺しになって風に吹かれる魔女の亡骸はまるで何かのオブジェのようだった。僕はその亡骸の前で崩れた重苦しい甲冑を脱ぎ去り、折れた剣を片手に戦場を見渡していた。
戦争が終わったのだと知った時、僕の中にはその景色だけが残された。ようやくオルヴェンブルムに帰った僕たちは賞賛の声で迎え入れられた。だがそれがとても空しく、上っ面だけの物に過ぎないことは誰よりも僕らが一番良く判っていた……。
聖騎士は戦争の中で魔女をも越える絶対的な力として世界に知れ渡った。それと同じ数だけの憎しみと悲しみを背負い、僕らは生きている。魔女に突き刺した剣の鈍い感触も、魔獣に立ち向かい腕の一振りで圧し折られた身体も、全部忘れる事は出来ない。
それからの日々は、まるで地獄だった……。あの戦争の後にある平和……それが血塗られた物にしか思えなくなっていた。僕は……それから何をするでもなく、教会の言うとおりに働いた。他にする事は何もなかった。
イルムガルドも僕と同じく、平和な世の中をもてあましているかのようだった。戦場の中で死んでいく覚悟を決め、死んで行く仲間たちを見送ってきた。なのに僕らは生き残り、この残酷な世界の中で生きていかねばならない。もてあますのは平和だけではない。この、鍛えに鍛えた力も……。
生き残った四人の聖騎士がそれぞれ別の任務を与えられるまで、それほど時間はかからなかった。そして僕らは何も告げずに判れ……そして全員が魔女の旅の護衛という形で一堂に会する事となったのだ。
僕に与えられた新しい使命、それは魔女の騎士……。僕らが散々殺し、いたぶり、燃やしてきた世界の異端者……。それを今度は護れと言われた時、僕は笑顔を取り繕いながらも腸が煮えくり返る思いだった。
散々殺せと言ったくせに、今更殺さず護れというのか? あの戦争の中で、どれだけ生きるべき者が死に、死すべき者が生き延びただろう。正義などこの世界には存在しない。あるのは神の名には似つかわしくない、権力と欲望の渦巻く都だけだ。
だが、それも悪くないのかもしれない。旅をする事になれば、この呪わしい都に住む必要もなくなるだろう。少年の頃描いていた理想は簡単に燃え落ちて、僕の手の中に残ったのは小さな少女一人だった。
「――――ねえ」
旅が始まる日、彼女は僕を見上げて問いかけた。
「貴方、なんていうの?」
真っ直ぐに、悲しむことなんて知らない強い瞳……。僕はどんな表情を浮かべていただろう。己の名を名乗ることさえ憚られた……。彼女は美しく、そして僕が殺してきた魔女たちもやはり美しかったのだと再認識させられるから。
「……レムリス。レムリスって言うんだ」
「……ふうん。レムリス……かあ」
少女は少しの間思案した後、にっこりと太陽のような笑顔を浮かべて僕を見つめる。そしてそっと、小さな手を差し出した。
「いい名前ね。これからよろしくね、レムリス」
差し出された小さな小さな手。傷だらけの手……。それが小刻みに震えているのは、きっと僕の事が怖かったからなのだろう。当然の事だ。聖騎士は魔女を殺す存在……その代名詞なのだから。だというのに懸命に恐怖を押し殺し、きっと……沢山の気持ちを押し殺し。僕に手を差し出した少女……。
僕は黙ってその手を強く握り締めていた。両手でそっと包み込むように……。何故だかその時、少しだけ救われた気がしたから。この子を護ろうと、そう思った。そこに理由はなかったのかもしれないし、あったのかもしれない。でも僕は漸く自分の役目にめぐり合えたと思った。彼女と共にいる事……そしてその先に、僕の探す答えはあるのだろうか……?
旅が始まった。その中で僕は彼女の事を知り、彼女に少しずつ惹かれていった。しかしそこには必ず距離があるように心がけ続ける。これからも恐らく僕らの距離はこれ以上縮まる事はないだろう。
僕は彼女の傍に居る資格などない人間だ。人殺しという言葉では表現しきれないほど、僕はあらゆる物を殺し断って来た。いつか彼女の旅が終わる時、それは僕の旅が終わる時でもあるのだろう――。
そんな過去の事を思い出しつつ、僕はイルムガルドと一緒に町から離れた森の中でマグカップを傾けていた。堅苦しい礼式装備を脱ぎ去り、僕らは共に遠巻きに焚き火を眺めながら星空の下で呼吸を共にしていた。
焚き火では二人の魔女が肩を並べて座り込み、お喋りに興じている。この調子なら一緒に寝るなんて必要はなさそうだ。一晩中だって話し続けているだろうその勢いに思わず笑みが零れる。イルムガルドはカップを傾け、それから周囲を見渡した。
「しかしいいのか? この森は魔獣が出るって噂だったんだろ?」
「ああ、それなら心配いらないよ。その魔獣だったら、もう倒してしまったからね」
「お前がやったのか?」
「…………いや、うちの姫様だよ」
僕の言葉に彼は流石に驚いたのか、僅かに眉を潜ませ姫様へと視線を向けた。彼が驚くのも無理はない。魔獣という奴は聖騎士が部隊を組んで漸く討伐出来る代物なのだ。それを魔女が一人で倒したというのならば、驚異的以外の何者でもない。
力をつけ、戦に成れた魔女は文字通り鬼神の強さを誇る。しかし現在の魔女たちは戦争など経験していないただの少女であり、魔法が使えるといってもそれほど大した物ではないのだ。だが、うちの姫様は違う。彼女は夜な夜な魔法の特訓を行っているのだ。勿論、それは脅威とも受け取れる事である。だが僕はあえて見て見ぬフリをしてきた。
結果的に彼女の魔法は先日一人の旅人を魔獣から助けたのである。完全に息の根を止めたとは言わないが、かなりの手傷を負わせる事に成功したのだ。あの傷ならば、魔獣ももう姫様に寄って来たがらないだろう。
仮にまた魔獣に襲われたとしても、姫様一人で事足りるというものだ。それに付け加えその気になればここには魔獣狩りのエキスパートが二名……更には蒼の魔女もいる。魔女部隊二つにも匹敵する戦力なのだ、どこだって堂々と歩いて問題ない。
「魔法の訓練か……。確か、あのガキは炎の魔法を使うんだったな」
「炎の魔法は、とても攻撃的な魔法だからね。戦の時代ならば重宝されたんだろうけど、今の世の中じゃ邪魔以外の何者でもないよ」
「それを鍛えているんだろう?」
「うん。まあ、護身って事もあるんだろうけどね……。彼女の目的の為には必要な事なんだ」
そう、彼女には魔女の旅以外にどうしても果たさねばならない一つの目的がある。その目的への手段として魔法のレベルアップは必要不可欠な事だったのだ。それだけではない。彼女は僕に時々剣を教わっている。魔女だけあり、飲み込みは驚くほど早い。この調子なら彼女は立派な魔女兵になれることだろう。
しかしそれにイルムガルドはいい顔をしなかった。まあ、当然の事だろう。力を持った魔女の末路などいつのご時世も相場は決まっている。だからこそ僕は彼女の旅を見届けねばならないのだ。もしも道を誤った時、彼女の命を奪ってあげられるように。それが僕が彼女に力を与えた責任というものになるのだろう。
「そういえば、レヴィはどんな魔法が使えるんだっけ?」
イルムガルドは暫く考え込み、それから空を見上げおざなりな態度で答える。
「わからん」
「……使った所を見た事があるんでしょ?」
「ああ。だがわからないものはわからない。上手く言葉に出来ないんだ」
「……どういう事?」
「さぁな……。ま、それを確かめるのが俺の目的といえば、あながちハズレでもないな」
紅茶を口にしながらイルムガルドはそう語る。彼の意図する事は僕にはわからなかったけれど、まあ得てしてそういうものだ。魔女の旅とは。騎士の旅とは。秘密と危険、そしてそれぞれの過去に導かれる物なのだから……。
姫様は飽きもせずずっとレヴィアンクロウとのおしゃべりを楽しんでいた。僕らは顔を見合わせ、交代で見張りをしながら眠る事にした。夜の闇の中、しかしここは人の寄らない魔獣の森……。光の下を歩けない彼女たちにとっては心の安らぐ場所だったのだろう。
夜の密会は文字通り夜明けまで続いた。そうして僕らは朝を向かえ、別れの時がやってきた。時間は必ず進み、滞る事はない。二人の魔女は朝焼けの景色の中向かい合い、強くお互いの身体を抱きしめあっていた。その温もりを、においを、存在を忘れてしまわないように。
「また……また会いましょう、レヴィ! 気をつけてね……。元気でね」
「……ステイも、元気でね……。危ない事しちゃだめだよ? レムリス様に、無理も言わないでね」
「もう、そんな余計な心配はしないの! それじゃあ……またね。また会いましょうね。きっと……必ず」
「うん……。必ず。約束だよ」
二人は指と指を絡め、強く誓い合った。辛く苦しい旅はこれからもずっと続いている。その旅の中、二人はお互いを想いあうのだろう。遠く離れていても、魔女はお互いの事を感じ取れるという噂を聞いたことがある。彼女たちもまた、お互いの命の火を感じているのだろうか。
旅立ちの時、僕はイルムガルドと肩を並べていた。彼はこれからもきっと彼女との旅を止めはしないだろう。いつかはきっと、お互いに何らかの答えに辿り着く……。その時まで、暫しの別れだ。何も心配する事はない。僕たちの傍に魔女がいる限り、また彼との再会は約束されているようなものなのだから。
「それじゃ、俺たちはもう行くぞ」
「うん。僕らはもう少しこの町で情報を集めてからにするよ」
「サボりもほどほどにな」
「……ははっ! 君の方こそ、真面目にやるんだよ?」
イルムガルドは僕の肩を叩き、微笑を浮かべながら背中を向けた。黒い装備が風に靡き、蒼い魔女の髪もまた揺れている。魔女は棺を担いで歩いていく。何度も何度も振り返り、姫様に手を振りながら。
二人の背中が遠く消え、小さくなって見えなくなるまで僕らはその場に立ち尽くしていた。やがて邂逅は終了し、僕は姫様へと視線を向けた。彼女は泣き出しそうな顔をしていた。目尻に涙を浮かべ、必死に涙を堪えている。
「……良かったのかい? 奴の事を話さなくて」
「……いいの。これは、あたしの罪……。あたしだけが罰を受ければ済む事だから」
「彼らに協力してもらえば……奴の足取りだって」
「それはだめっ!! レヴィが……あの子が危険な目に合うのだけは、ぜったいにだめ……っ」
少女は胸の前で手を合わせ、強く目を瞑っていた。きっと自分に何度も言い聞かせているのだろう。何を言い聞かせているのか……僕はそれをあえて考えなかった。
旅立ちには良く似合う、空の晴れた日の朝の事だった。姫様は涙を拭い、振り返る。そしてさりげなく僕の手を握り締め、身を寄せた。僕は彼女の手を握り返し……それから空を見上げる。
「…………行こうか。奴を探しに」
「…………ええ」
少女はまた歩き出す。棺を背負い、歩き出す……。僕は鮮明に覚えている。あの日は強く雨が振っていた。道端に行き倒れた一人の騎士……その手を握り締め、彼女は叫んだ。その言葉はきっとずっと忘れる事は出来ないだろう。
その時から僕らの旅には大きな罪と目的が生まれた。全てはどこかへ消えてしまった、あの男を捜す為に……。僕は少女の半歩後ろを付いていく。彼女はこれからどんな選択をし、どんな答えを見つけ出すのだろう。
終わりの時、傍に居られたら嬉しいと思う。それは……イルムガルドも同じだろうか? 僕らは今日も旅を続ける。同じ、この空の下で……。
~そし魔女劇場 教えてレヴィ子さん~
レヴィ「
丸々一年ぶりに次話が投稿されました!」
ステイ「ったく、どんだけサボれば気が済むのかしらね、作者は」
レヴィ「ここまでは書き溜め分なので、次から新作になるんだよね」
ステイ「そういう事……。文章が変わってそうで怖すぎるわ」
レヴィ「全然変わってないかもね」
ステイ「……それはそれで全く成長してないって事じゃない……?」
レヴィ「ステイは、また出てくるんだよね?」
ステイ「そうね。またそのうち顔を出すから、その時まで覚えておきなさい!」
レヴィ「またステイに会えるんだね。嬉しいな」
ステイ「あたしもよ、レヴィ~~っ!! すりすり! すりすり!!」
レムリス「……なんだか、この景色どっかで見たような気がするね。蒼海の――」
イルムガルド「止めろ! それ以上何も言うな!!!!」
レムリス「……だね」