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#6 魔法の絵の具と魔女の旅

書き方を変えてみるテスト。

旅をしていると、様々な物に出会う事がある。それは時に自らの命を脅かすほどの危険や、我が目を疑うほどの感動を伴い、なんの唐突も無く……そう。目前に現れ、はいこんにちはと。容赦無く世界の中に現れる。

 人生はストーリーだと、僕は考えている。一つ所に留まっていては風は吹かない。新しい物語の頁を捲る風が。扉を開け放ち、外の世界に足を踏み出した時……世界は少しだけ色を変える。

 自分が信じていた物や願っていた夢など、とても些細なものなのだと旅は教えてくれる。有限と無限の狭間、価値と無価値の真ん中をふらつく停滞しない世界の流れは、時に残酷なまでに僕の胸を打つ。

 飢餓や貧困。戦争や差別。抵抗と革命。平和と嘘。信仰と裏切り……。世界は人間の沢山のストーリーで溢れかえっている。それを混沌と呼ぶ事を僕はなんら躊躇わない。

 僕はストーリーが好きだ。本人にとってはどうにも意味の無いように思える行いも、誰かにとっては是となるし、その逆も在り得る。人々の擦れ違う思いの様や流浪する願いの行き着く先……そうしたものを想像しただけで胸がわくわくしてくるのは、きっと僕だけではないはずだ。

 だから旅が好きだ。人々の物語に少しずつ干渉する事の出来る人生はどれだけ楽しいだろう。誰かの記憶の片隅に残り、そして僕の知らない場所でまたそれが新しい物語の息吹となるのなら、それほど幸福な事は無い。

 さて、では僕は物書きなのかというと、実はそうではない。僕は何を隠そう、絵描きなのだ。

 背負う物は常にカンバスと筆、それから必要最低限の旅の道具だけと決めている。それでも旅をする為には荷物が重くなる。勿論それは道理だよね。

 だからこうして時々僕は道端に行き倒れる。これは勿論、ここ数日間飲まず食わずで街道を歩き続けた所為なのだろうけれど。

 それにしたって、予定ならもう三日前にはこの商業都市ゲリアに到着しているはずだった。ではなぜ今頃入り口に到着し、死に掛けているのか。

 理由は単純。ここに来るまでに何度も道に迷ったのだ。近道しようとして鬱蒼と生い茂った森に足を踏み入れたのが運の尽きだった。道すがら何だか魔物みたいなのにも追いかけられるし、いつもながら本当についていない。

 神様にも何度かお祈りをしてみたものの、都合よくこんな時ばかり祈る僕のそれがヨト神に届くはずもなし。そもそも僕はヨト信者じゃないし。


「は、腹へったぁ……」


 死にたくない……。リアルにそんな事を思う。

 脳裏に浮かぶ様々な景色。この旅を始めて何度目か判らない走馬灯に、思わずげんなりしながら目を閉じる。

 ああ、誰も振り返ってもくれないし、足を止めてもくれないし、声をかけてもくれない……。ま、そりゃそうか。こんな得体の知れない旅の絵描きを助けてくれるようなお人よしなんかいるわけもない。

 だがもしも、もしもこんな怪しい男を拾ってくれるとしたらそれはきっと……そう、神様か天使様か。まあそのあたりになるんだろうなぁ。


「……あの、大丈夫ですか?」


 ぼんやりとくだらないことを考える頭が揺さぶられる。最後の力を振り絞り何とか重い瞼を開くと、そこには美しい蒼の瞳が。


「……君は……?」


「……あの、旅の者です。あの、どうかしたのですか……?」


 少女の問い掛けに答えるよりも早くお腹が思い切り悲鳴を上げた。恥ずかしくて思わず苦笑する僕の目の前にパンを差し出し、少女は困ったような顔で首を傾げる。


「これで……良ければどうぞ」


 迷わなかった。即座に起き上がり、パンを貪る。恐らく相当情けない姿だったろうけど、もうこれは生きるか死ぬかの瀬戸際。女の子に引かれても食うのをやめるわけにはいかんのだ。

 正直量は全然足りなかったけれど、見れば少女は旅の者。僕と同じく路銀には困っているはず。他人に分け与えるどころか自分のパンさえ怪しいところなのだろう。


「助かったよ……本当にありがとう。君はまるで天使様だね」


 ようやく人心地ついた。文字通り生き返ったという状況か。深く息を吐き出し、現世に留まる事が出来た事を心から喜ぶ。

 少女は目を丸くしていた。僕の言葉が何かおかしかっただろうか。それとも僕の見た目が怪しいのだろうか。まあ多分両方だろう。

 立ち上がり、荷物を背負い直す。全身の埃を叩いて落とし、僕は小さな救世主の顔を覗き込んだ。

 揺れるような蒼い瞳。髪は淡く光沢し、光を吸い込んで放さない。夜の闇の中でも月明かりさえあればきっと彼女を見つけるのはとても容易だろう。

 そして僕はその美しい外見に見覚えがあった。少女の髪を指先でつまみ、僕は出来るだけ小さな声で呟いた。


「――――君は、魔女だね?」


 優しく微笑んだつもりだったが、彼女は死刑宣告を受けた罪人のように身体を震わせていた。

 付き添いの騎士の手が剣の柄に触れるのを視界の端で捕らえ、僕は両手を上げる。


「そう怖い顔をしないでよ。僕はただの絵描き……君たちをどうこうするつもりはない。むしろ命の恩人だ。何か恩返しをさせてほしいんだけどな?」


 少女は迷いを秘めた瞳で僕を見上げ、それから付き添いの騎士を見やる。騎士は何も言わずに剣から手を放し、肩を竦めた。それが何かの合図だったのだろうか。少女は小さく頷き、それから消え入りそうな声で言葉を紡いだ。


「……あなたのお名前は?」


「僕かい? 僕はしがない旅人のルクスン・ホークという者だよ。職業は――そうだな。魔法の絵描き、とでも言っておこうかな」


 僕の言葉に彼女は再び目を丸くする。そんな小さな魔女様の頭を撫で、僕はもう一度彼女に微笑みかけた。



#6 魔法の絵の具と魔女の旅



 商業都市ゲリア――。この街が商業の流通の為物凄く栄えているのは言うまでもなく、南東に自治領リーベリア、北には城壁都市ゲヒトゥム、西には聖都オルヴェンブルムと様々な大都市との仲介地点として旅人にとっても非常にありがたい街の一つだ。

 旅人を始めてもう十年近くなるが、この街の世話になったことは数え切れない。どこに行くにもここを仲介するのが一番安全であり、旅人にとっては重要な稼ぎ場でもある事がその理由である。

 ゲリアはオルヴェンブルムに負けないほどの巨大な都市だ。特に中央に一本通った十字の大通りには商人や旅人の露店が立ち並び、売るにしても買うにしてもとても賑わっている。

 物流の街だけあり、そのラインナップは相当な幅広さを持つ。各国から持ち寄られた珍しい品物が当たり前のように日替わりで軒先に並ぶのは壮観で、思わず不必要なものまで買ってしまわずには居られないような、そんな強い活気を感じる。

 商人と旅人の呼び声が飛び交い、買い物客でごった返すその道の中、少女はそのあまりの人通りに目を白黒させながら僕の後についてきていた。


「こういう街に立ち寄るのは初めてかい?」


 問いに少女は小さく頷いて答える。人に流されそうになる度僕は彼女の手を取り、そっと人気の無いほうへと誘導する。

 やがて辿り着いたのは中央に巨大な噴水を構える広場だった。度の芸人などが当たり前のように芸を繰り返すその真っ只中、僕らは空いていたベンチに腰を下ろした。


「えーと、そっちの大きいお兄さんは? この子の保護者でいいのかな?」


「いいような、悪いような……。護衛ではあるが、基本的にそいつの行動には不干渉だ。一目見て魔女だと見抜いたんだ、魔女の旅については知っているんだろう?」


 僕は曖昧に苦笑を浮かべる。護衛の騎士――魔女の騎士、といった所か。昔から魔女には騎士が付き物だった。彼もその魔女を守る役目を持つ騎士なのだろう。あまりうかつな事を言うとこっちの寿命がいくらか縮まりそうだ。

 魔女の旅……。それがクィリアダリアの正式な儀式であるというのに、その知名度が低いのには訳がある。まず基本的に魔女の絶対数が少ないという事。そしてクィリアダリアがその旅が行われているという事を公表していないこと。最後に魔女そのものを見て認識できる人間が少ないという事がある。

 戦争が終ってまだたったの二年程度。魔女という存在は人々の中に恐怖の象徴として刻み込まれはしても、実物の存在を知る人はいない。故に時に魔女は虚言の存在とまで呼ばれ、教会もそれを否定はしない。

 できれば忘れてしまいたいという気持ちは理解できる。そして魔女も自らの存在を人に知られたくはないのだろう。正面から人間と出会う事は、迫害してくれと言って周る様な物。

 そもそも戦争中、魔女という存在と相対して生き残ることが出来た人間は圧倒的に少ないのだ。魔女の存在が一般的にあまり認知されていないのも仕方の無い事。

 故にこんな街中で平然と立っているこの小さな少女が魔女であるなどと誰も思わないのだろう。特に人の流れが激しいこの街で、たかが一人の少女を頭の片隅にとどめておく事は難しい。


「旅の魔女が立ち寄るにはここはピッタリのような、都合が悪いような……。とりあえず、フードは被って髪を隠した方がいいよ。目も左右で色が違うとちょっと不自然かな。布でも巻いておくといい」


「え……っと?」


「ああ、理由? この町は商業の街だ。商業と一口に言っても色々ある。珍しい物を売り買いするヤツも居れば、人身売買するやつとかもね。そういうのは珍しい存在である魔女の事を知っている可能性とかもあるし、見るやつから見れば君は明らかに魔女だからね。僕が一目で君の正体を見破れたように、同じような境遇の人間が居るかもしれない。旅人は見識が広いからね」


「……わかりました。ありがとうございます……ルクスンさん」


「ルクスンでいいよ。それよりちょっと待ってて。君はマーケットに顔を出さない方がいい。何か食べ物を買ってくるよ。実は行き倒れてただけで、お金はそこそこあるからね」


 二人を残し僕はマーケットに引き返した。そこでとりあえず今すぐ食べられるようにと肉の串焼きを購入する。店先で一本無我夢中で貪り、そのあと自分の分を含め三本購入する。

 それから帰りがてら見つけた雑貨屋で小さな小瓶を購入した。まさかこう急に必要になるとは思わなかったから、瓶の持ち合わせが無かったのだ。

 さて、さっそく広場に戻るとすでに少女は全身をすっぽりと布で多い尽くしていた。影から覗く瞳も片方だけで、それでも蒼い瞳はきらきらと輝いてどうにも具合が悪い。


「まあ、しょうがないね。はいこれ串焼き。護衛のお兄さんもどうぞ」


「……お前、もうすでに一本食ってるだろ?」


「え!? ど、どうして……?」


「口の周りにタレがついてるぞ」


「あははは。まあ、そんな事もあるって事で」


 二人に串焼きを渡し、自分の分も一気に平らげる。ああ、これでようやく本当に生き返ったという感じだ。

 少女の隣に腰掛け、おいしそうに肉を頬張るその横顔を眺めていた。彼女もそれに気づいたのか、ちょっと顔を赤らめて視線を反らす。


「さて、本題に入ろうか。何かお礼をしたいんだけど、困っている事とかないかな? 僕も旅人だし、何か手伝えるかも知れない」


「え、っと……。特には、無いんですけど……」


 それは困ったな。お礼もできないまま、というのは良くない。


「じゃあ、何かあげるよ。女の子が好きそうなものはそんなにないけど……」


 鞄を引っくり返す。出て来たのは雨具とナイフ、それから筆とオカリナ。丸めてある絵がいくつか……。

 ポケットに手を突っ込む。小銭が少々。腰から下げたベルトポシェット。絵の具の入った瓶と画材と……またナイフ。


「……参ったな。ろくなもんがない」


 途方に暮れていると、少女は筆とオカリナを手にしていた。これは何? とでも訊きたいような瞳に僕は頷く。


「それはオカリナっていう楽器だよ。そっちは筆。僕は絵描きだからね」


「絵描き?」


「うん。あ、そうだ。良かったら似顔絵でも書こうか? そういえば売ろうと思っていた絵がいくつかあるんだ。見るかい?」


「はい」


 少女は嬉しそうに微笑んだ。何だかこっちまで幸せな気分になってくる。

 さて、まずは地面に布を敷く。そこに販売用の絵を広げ、値段をつける。まあどうせ早々売れるもんでもないので放っておいて、少女の前にカンバスを構えた。


「とりあえずは下書きだね」


「えっと、私はどうすれば……?」


「あー。じっと座っててくれればそれでいいよ。よーし、じゃあ書くよー」


「は、はい!」


 スケッチが始まった。

 いきなりカンバスは無視してがりがりと紙に少女を描いていく。まぁそれには色々と理由があるのだが、割合するとして。

 騎士は欠伸をしながらベンチの上で目を閉じていた。寝ていたのかもしれないし、寝ているフリをして僕を警戒していたのかもしれない。まあどちらにせよ僕は集中して作業に没頭する事が出来た。

 一方少女の方は肩に余計な力が篭っている。緊張しているのか、表情も硬い。冷や汗が頬を伝い、どうにも自然な状態のあの柔らかい笑顔は引き出せそうにもなかった。

 しかし僕が黙っているせいか彼女も一言も口を利かなかった。それはそれで随分と我慢強いのかも知れない。小さな女の子に動くなと言ってそれが罷り通る方が少々不思議な物だろうし。


「うん。じゃ〜ん、こんなかんじ」


 さくっと書いた絵を見せると少女はぱあっと目を輝かせた。それが本当に嬉しそうで僕もまた嬉しい気持ちになった。

 正直な話、僕の絵がそれほど上手くはない。この世界を旅して思ったけれど、それは客観的な事実だ。僕の絵は世界の中では大した価値を持たない。

 だからこそ今僕はカンバスを使わなかった。少女は微笑みながら僕の顔を覗き込む。


「うん。あげるよ。プレゼント」


「……ありがとうございます!」


「……えっと、そんなに嬉しい? 下手じゃない?」


「ううん、とっても上手です。何ていうか……凄いんですね、ルクスンさん」


「あはは、そうでもないよ。でも君にそういってもらえるとちょっと自信が出て来たかな」


 勿論嘘だ。しかしまんざらでもない気分なのは事実。少女の頭を撫でると、笑顔はもっと明るく花開いた。

 しかし少女の視線が捕らえたのは全く売れる気配のない僕の絵。たまに人が通っても見向きもしないし、手にとったとしても購入にまで漕ぎ着けるのは難しい。

 不安そうな少女の瞳。僕は苦笑して絵の前に膝を着いた。


「もう十年近くこうして絵を書きながら旅をしているけど、まあいつもこんなもんだよ。収入源とするには、ちと心許無いかな」


「……」


「そんな顔しなくても大丈夫! あ、そういえば君たち路銀はどうしてるの?」


「……たまに大きな街に長く滞在して、働いたりしています。自分のお金は自分で稼ぐのが、魔女の旅ですから」


「そうなの? じゃあ、ちょっと待ってて。えーっと……」


 手にしたのはオカリナだった。最近吹いていなかったのでちょっと汚れている。上着でごしごし乱暴に擦り、小さく息を吸い込んだ。

 奏でたのは旅先で知ったメロディ。オカリナの音が鳴り始めると同時に少女は目を丸くした。片目を閉じ、僕は旋律に身を委ねる。優しく穏やかなその音色は北の地方に伝わる子守唄だった。

 演奏の最中、少女はずっと僕を見て嬉しそうな顔をしていた。音色に誘われるようにちらほらと人が集まり始める。僕は演奏を中断し、オカリナを少女に差し出した。


「吹いてみるかい?」


「い、いいんですか?」


「どうぞどうぞ。ここをこう持ってね。ここに口をつけて、息を吹き込む。音色を奏でる事を意識してね。ただ闇雲に吹き込めばいいってもんじゃないから」


「は、はい!」


 がちがちに緊張した様子の少女は案の定思い切りオカリナを吹き、掠れた音が広場に響き渡る。

 顔を真っ赤にしてうろたえる彼女を見て、ああ、多分楽器の才能はないんだろうなあ……なんて事を僕は冷静に考えていた。


「楽器や芸には疎いのかい?」


「は、はい……」


「あー、そうなんだ。旅をするなら芸の一つや二つは出来た方がいいよ。ちょっと待ってね」


 カンバスと共に鞄に括りつけていた箱を開き、そこから古びたギターを取り出した。もうろくに手入れもしていない古びた品物で、捨ててあったものを拾っただけというとんでもない由来の品だが、音が若干外れている事さえ気にしなければまだまだ現役である。

 同時に取り出したのは幾つかの紙の切れ端。紙はこの辺りではまだまだ高価なものの、東の方に行けばわりと普通に売ってたりするのでまとめ買いしておいたのだ。

 その紙に描かれているのは手書きの楽譜である。旅先で知った楽曲をそのまま書きなぐったもので、どうにも手書き感溢れる本来ならば人に見せるようなものではない代物だ。


「楽器は直ぐには無理だろうから、歌ってみるかい?」


「え、えぇ!? わ、私がですか……?」


「難しい事じゃないよ。歌は直感的なものだからね。僕の後に続いて歌ってみて。じゃあ行くよ」


 戸惑う少女を置き去りに弦を弾く。

 穏やかで切ないメロディが流れ始め、僕はゆっくりと歌い始めた。こういうのは耳慣れた物から始めるのがいいと思うのだが、彼女がどんな歌を知っているのかわからないので選曲は適当である。

 実は僕は絵よりも歌や楽器の才能の方がある人だったりする。ゆっくりとしたリズムに最初は戸惑っていた少女も次第に声を上げていく。

 やがて少女が歌詞を覚えたと思う頃、僕は歌うのをやめて演奏に集中する。少女の物覚えはとてもよかった。魔女だからなのか、それとも彼女の集中力が凄いのか。どちらにせよそれは凄い事だと思う。

 あっという間に歌を覚えた彼女は途端に凄まじい速度で上達し、あっという間に周囲には人だかりが生まれていた。こういった広場では芸人が多く、中々通る人々も耳が肥えているものだが、少女の歌声にはそれでも人をひきつける魅力があった。

 恐らくそれは魔女故に。魔女の外見は魔性の美しさを持ち、その行い、一挙一動が全て美しく人の限界を軽く踏破している。まるで作り物や夢の如く、奇跡を体現して止まない彼女たちの存在は多くの人間をひきつけるのだ。

 少女は楽しそうに歌っていた。それは純粋に楽しくて歌っていたのだと思う。人を集めようなど考えてもいなかったであろう。しかし人々は鞄に次々に小銭を投げ込み、彼女に拍手を浴びせた。

 戸惑い、照れくさそうに。しかしにっこりと微笑んだ少女は本当に幸せそうだった。僕は演奏の手を止め、街行く人々に褒められる彼女を眺めていた。




「彼女との旅はどうですか? お兄さん」


 僕の問いに彼は不機嫌そうに顔を上げる。

 少女は今は楽譜を覚えるのに必死で、僕の売れない絵に囲まれながら布の上に腰掛けている。ベンチの上に座った僕らは彼女を眺めながら静かに言葉を交わした。


「魔女の旅……ということは、あなたは聖騎士なんでしょう?」


「随分と魔女に詳しいな」


「旅をしていれば色々と噂を耳にしますからね」


「お前は魔女が恐ろしくはないのか?」


 男はきっと冗談でそう口にしたのだろう。僕は目を閉じ、首を横に振る。


「魔女は僕にとって恐ろしい物には成り得ませんよ。あなたもあの戦争で、魔女の真実を知ったのでしょう?」


 男は少しだけ驚いているようだった。僕は顔を上げ、少女を眺めながら目を細める。


「僕はザックブルムの騎士の家系でした。生まれた時から騎士として育てられ、あの戦争にも参加しました。尤も、途中で脱走してしまったんですけどね」


「ザックブルムの騎士……か。お前もしかして……」


「はい。僕は魔女の騎士でした」


 僕は十年前。まだ十歳そこそこの頃、家を飛び出し旅人になった。

 その理由はシンプルだった。幼い頃からずっと僕の傍に居た人がいなくなって、その人を追いかけて家を出たのだ。

 子供一人の旅は悲惨なもので、何度も死に掛けたり騙されたりを繰り返した。やがてザックブルムとクィリアダリアの戦争――魔女戦争が始まり、僕はそれに巻き込まれザックブルムの兵士になった。


「家に一度戻されましてね。父親に言われるがままに魔女の騎士になりました。しかし大戦途中で、僕が守っていた魔女は殺され……。後は気ままな旅人生活です」


「……何故それを俺に話した?」


「ええ。まあ、そうなりますよね。単刀直入に申し上げると、あの子を僕に譲ってもらえないかと」


「無理だ」


「ですよね」


 会話は即座に終了してしまった。苦笑を浮かべ騎士を見やると、騎士もまた苦笑を浮かべていた。


「魔女に、ね。会いたかったんです。子供の頃、僕の傍に居てくれたあの人に……。戦場で守る事になったのは別の魔女でしたが、僕の心の中に魔女の姿は色鮮やかに刻み込まれ、今でも焦る事無くその美しさは僕の心を支配して止まない」


 幼き頃、彼女は僕の剣の稽古によく付き合ってくれた。

 ザックブルムでも魔女は好かれたものではなく、彼女はホーク家の使用人だった。僕は生まれた時から彼女の美しさに触れ、その純粋な心に惹かれていた。

 美しい容姿と気高い心。騎士道に通じるものをそこに見出した僕は、本気で騎士になれたらいいと思っていた。そしていつか彼女を……。

 しかし彼女はいつの間にか僕の街からいなくなった。それを追いかけ飛び出して、また出会ったのは魔女。そこは戦地で、彼女は血を浴びながらも毅然とそこに立っていた。

 魔女の持つ危うい美しさは僕の心を完全に支配し、僕は彼女たちの為に何でもしたいと思うようになった。彼女たちが戦争で死に絶えた後も、何とかその美しさを形として残そうと今でも暗中模索を繰り返している。


「あなたにとって魔女とはどんな存在ですか?」



「魔女だ。それ以上でも以下でもなく」



「私にとっては神です。そして世界であり……美しさの極限です。だから僕は魔女が欲しい。魔女の全てをこの手にしたいと、そう願うんですよ」


「あんな小さいのでもいいのか?」


「はい」


「ロリコンだな」


「誇らしい言葉です」


 流石に呆れたのか、騎士は肩を竦めて溜息を着いた。

 立ち上がり、僕が取り出したのはナイフ。振り返ると彼は既に剣に手を伸ばしていた。殺意に近い、しかし緩い警戒心を浴びながら僕は苦笑する。


「大丈夫、彼女には何もしません。ちょっとお願いするだけです」


 少女に近づき、僕は優しく微笑む。それからナイフを少女に渡し、両手を合わせて頭を下げた。


「ちょっとお願いがあるんだけど、聞いてくれないかな?」


「……はい?」


「この小瓶に、君の髪の毛と……それから血を少し分けて欲しいんだ」


 少女は当たり前だが戸惑っていた。しかし理由を今話すわけには行かない。

 無茶苦茶なお願いだ。拒否される事も考えていた。しかし少女は小さく頷くと、長く伸びた後ろ髪を少々切り分け、それから指先をナイフで切り、小瓶に血を注いでくれた。

 それほど大量ではなくてもそれで既に十分意味がある。僕は小瓶に蓋をしてナイフを受け取った。


「ありがとう。今日はこの街に滞在するんだろう?」


「はい」


「それじゃあ明日の同じ時間にここで待ち合わせよう。その時いいものを見せてあげる」


 小指を差し出すと彼女も小指を絡め、約束を交わす事が出来た。

 それから僕は彼らと別れ宿を取り、部屋の中にカンバスを置いて小瓶の蓋を開ける。

 蒼く光沢する髪と血。そこに注ぎ込むのは特殊な油と樹液。蓋をした瓶を念入りにシェイクし、熱湯で瓶ごと暖める。

 それからもう一度かき混ぜ、ランプの傍で冷やす。そうして僕は筆を手に取り、カンバスの前で呼吸を整えた。



 翌日。遅刻ギリギリに広場に駆けつけると、少女と騎士は時間通りに僕を待っていた。


「やあ、お待たせ。寝ずに書いたからちょっと疲れたけど、でもお陰で見せてあげる事が出来る」


 布を被せた絵。少女の前でそれを解き放つと、二人の表情が驚愕へと染まっていく。

 そこに描かれているのは紛れも無く魔女の少女――蒼い髪の君。しかし彼らが驚いているのは描かれている人物ではなく、その絵が放つ凄まじい美しさにだろう。


「これは……まさか」


「うん。魔女の血と髪から作った魔法の絵の具で書いた絵だよ。この世界にあるあらゆる色彩の中で最も美しい蒼だ」


 それから僕は次々と絵を披露していく。そこに描かれているのは全て魔女の姿であり、その全ての絵が未だに輝きを放ち、見る者を魅了する美しさを持っている。

 これら全て、僕は魔女の血と髪から生成した絵の具で描いている。絵の実力は大したことの無い僕でも、この絵の具を使えば見る者全てを感動させるような作品を描く事が出来る――。それほどまでに、魔法の絵の具は凄まじいものなのだ。


「旅の途中で会った魔女や、戦争中に死んでいった魔女から作った絵の具でね。君のお陰で蒼を加えることが出来た。ありがとう」


 ベルトポシェットに詰め込んだ小瓶には様々な色が淡い輝きを放っている。世の中広しともここまで魔法の絵の具をそろえたのは僕くらいのものだろう。


「……魔女を探して、旅をしているんですか?」


「そんなところだね。出会った魔女を絵にする旅、と言い換えた方がいいかな。彼女たちの美しさを……存在したという証を残す旅。そういうのも、悪くはないでしょ?」

 自らが描かれた絵を眺め少女は目を細める。彼女から生成した蒼の絵の具は美しく、光を浴びれば光沢し、不思議なきらめきを見せる。それは彼女の蒼い髪そのものであり、まるで生きているかのような絵を描ける理由となる。


「……美しい蒼、ですか」


「ありゃ、きれいじゃないかな? 他にも沢山の色の魔女を見てきたし、絵にしてきた。君はこれをみても美しいとは感じないのかな?」


「いえ、そういうわけじゃありません。そうじゃ、ないんですけど……」


「……君は美しいよ。誰の目から見ても、ね」


 絵に布を被せると少女は顔を上げた。その不安げな表情に微笑を向ける。

 魔女は自らの姿を描かれるのを嫌う事も多い。死んでいるのならば妨害される事はないが、生きた魔女なら絵を台無しにしようと考えるかも知れない。

 それでもわざわざ本人に見せるのは、それが美しいものである事を教えたいからだ。そして事後承諾という形になるにせよ、題材とさせてもらった礼儀は正さねばならない。


「この絵は捨てたほうがいいかな?」


「……」


「君が望むのなら、この絵はもうこの場で燃やすなり破るなりしよう。でも君が良いというなら、僕はこの絵を持って旅を続ける。またいつかどこかで、君以外の魔女に出会った時……仲間の姿を見せてあげる為にね」

 少女は迷っているようだった。ふと顔をあげ、それから他の絵を眺めて呟く。


「――笑ってる」


「そのほうがいいでしょ? だって人間、笑っている時が一番綺麗だもの。君も例外じゃない。彼女たちもね」


 死して既に笑う事も出来ない笑顔も中には少なくない。だが彼女たちは優しく微笑み、絵の向こうから今にも飛び出してきそうなリアリティを持っている。

 旅を続け、魔女に出会えば僕はまた同じ行いと質問を繰り返すだろう。そうしていく事で魔女の存在と美しさを残し、そしてどこか遠くの魔女にそれを伝えることが出来るのなら、これ以上有意義な旅は僕にとって在り得ない。


「……連れて行って、ください。私の笑顔も、一緒に」


 少女はそういって照れくさそうに微笑んだ。はにかんだ笑顔は可愛らしく、できれば本人を連れ去りたくなる。

 騎士を見やると彼は当たり前のように剣をいつでも抜ける体勢を取っていた。担いで逃げるわけにもいかず、仕方なく下らない欲望は諦める事にする。



「安心して。この絵は売らないし、誰にも見せない。魔女以外には、ね」


「はい……あれ? その絵は?」


 僕が片付ける絵の中、一枚の魔女の絵を指差す少女。僕はその絵を手に取り、首を傾げる。


「彼女がどうかしたのかい?」


「えっと……彼女とどこで?」


「ああ。リーベリアの西の森でね。ショートカットしようと足を踏み入れたら魔獣に襲われて……その時助けてくれたのが彼女と付き添いの騎士だったんだ。なんだ、知り合いなのかい?」


「は、はい! あの、何か言っていませんでしたか? 次はどこに向かうとか……」


「うーん……。いや、話の通りならこの街に着いてると思うけど。ここを経由して北に向かうらしい事だけは聞いたからね」


 少女は騎士を見つめる。二人はそれだけで通じ合ったのか、仕方なさげに溜息を漏らす騎士。少女はぺこりと僕に頭を下げた。


「ありがとうございます。彼女を少し、探してみようと思います」


「そうかい? それじゃあここでお別れだね。僕はもう一泊この町で休んだら、明日の早朝に発つ事にするよ」


「はい。ルクスンさん、お元気で」


 慌てて走っていくその後姿を見送り、鞄を背負う。騎士はゆっくりと彼女の後を追い始め、それから一度だけ振り返った。


「……これからも、魔女を探して旅をするのか?」


「ええ。それが僕の旅ですから」


「そうか。ならまた会う事もあるかもしれないな」


「その時を楽しみにしていますよ」


 騎士は肩を竦め、それから早足で少女を追いかけていった。

 二人の姿が遠く見えなくなる頃。僕もまた歩き出し、広場を後にした。


「また、どこかで」


 呟いた言葉はきっと届かない。何はともあれ、あの紅い髪の魔女と彼女が出会える事を今は祈るとしよう。

 徹夜で描いたせいで、今はとにかく眠い。

 宿に帰ったらさっさと寝よう……。そんな事を考えながら、小瓶の中で揺れる淡く輝く蒼い絵の具を眺め、僕は頬を緩ませた。



~そし魔女劇場 教えてレヴィ子さん~


レヴィ「ルクスンさん、本当に魔女の事が好きなんですね」


ルクスン「僕の初恋、そして青春は魔女そのものだったからね……」


イルムガルド「アホくさ……」


ルクスン「そういう君だって魔女には因縁の一つくらいあるんだろう? あの魔女戦争を生き抜いたんだからね」


イルムガルド「魔女の騎士ってのは皆そんななのか……? これからの世の中、ただ生き辛くなるだけだ」


ルクスン「生き易さ生き辛さは関係ないさ。僕は僕の信じる道を歩む……。ところでレヴィ?」


レヴィ「はい?」


ルクスン「やっぱり、僕と一緒に楽しく旅を……ごふっ!?」


レヴィ「ルクスンさん!? な、なんで斬っちゃったんですか!?」


イルムガルド「いや、なんとなく……。安心しろ、峰打ちだ」


レヴィ「それ、両刃剣ですよイル様!!!!」


ルクスン「がく……」

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