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#4 エトリアの魔女

本当ならこれが第一話。

あとなんか昨日ログインできませんでした・・・なんで?

 バッタリと――。唐突に倒れたレヴィはぴくりとも動かず、降りしきる雨のに打たれながら顔面から泥水に向かってダイブしていた。

 リーベリアを後にして丸一日が過ぎた。目的地に向かう為に超えねばならない山脈の険しい道は俺が思っていた以上にレヴィの体力を奪っていたらしい。

 とにかく、そこが子供の限界だったのだろう。ぱったりと倒れたまま全く動かないレヴィを置いていくわけにも行かず、仕方なく立ち止まる。


「おい」


 返事がない。いつもなら少し声をかけるだけで懸命に追いついてくるのだが、ぴくりとも動かない。

 振り返り、屈む。棺桶に押しつぶされそうになっている小さな体。手を引き、もう一度呼びかけてみる。


「起きろレヴィ。 んなところで寝ていたら流石に死ぬぞ」


「………う……っ」


 ようやく反応する。泥の中から顔を上げようとして、それからもう一度そこに顔を突っ込んだ。もう本当に一歩も動けない状態にあるらしい。手を離すと、小さな手は泥水の中に音を立てて埋もれた。

 悪天候のせいでぬかるんだ大地は……俺にはともかく、レヴィにはつらいものだったらしい。まあ当然の事だ。俺のペースに合わせて来たのだ、倒れない方がおかしい。

 予定ならば既に山小屋に到着し、休んでいるはずだったのだが、悪路に苦しめられ予定より進行が大幅に遅れてしまった。とっぷりと日は暮れ、しかし休める場所などない。雨に打たれながら必死に歩いていたレヴィだったが、だんだんと足取りが重くなり……結局は倒れた。


「起きないのなら置いて行くぞ。お前の旅はここまでだ。俺はクィリアダリアに帰る……それが嫌ならば立て。立って歩け」


「……」


 泥に爪を立て、小さな体を震わせて必死で立ち上がろうとするレヴィ。しかしやがて動かなくなる。大量の荷物も衣類も雨水を吸い込み重量はかなり増しているはず。もう立ち上がる力すら残されていないらしい。

 レヴィが倒れるのはこの旅が始まって三度目の事だ。故に対処方法も熟知しているものの、助けるのには抵抗があった。この旅はレヴィが自らの力で乗り越えねばならないものであり、俺が手を貸す事は本来あってはならない。

 聖騎士としての立場を利用すればこんな悪路を利用せずともそもそも済む話。だがあえてレヴィは自らこの道を選んだのだ。こんな雨の中ほうっておいたら、本当に死んでしまうかもしれない。弱りきった今のままでは尚の事である。


「はぁ……」


 仕方ない――。荷物を担ぎ、片手でレヴィを抱きかかえた。昔はこんな荷物よりも重い装備であちこち駆け回ったのだ。この程度どうということもない。

 旅の所為か、やせ細ったレヴィの小さな体は思っていたよりもずっと軽く、棺桶は思っていたよりもずっと重苦しいものだった。なんにせよ休める場所を探さねばならない。とりあえずは当初の目的通り山小屋を目指す事にする。

 子供一人抱えての行軍……。沈黙は俺に退屈を運んでくる。雨の中、ふと……俺はレヴィに出会った日の事を思い出していた。




#4 エトリアの魔女




 ユーテリア大陸全土を巻き込んだ魔女戦争が終結したのは、聖クィリアダリア王国が武力介入をしてから二年後の事だった――。

 圧倒的戦力、聖騎士団を所有するクィリアダリア王国は各国を見る見る制圧し、ヨト信仰と騎士の剣の下に人々を統治した。小さな領や国々がお互いの土地や資源を求めて戦争を繰り返していたのも、海に囲まれた小さなユーテリア大陸としては当然の結果だったのかもしれない。

 信仰という脅迫的とも言える絶対命令を盾にクィリアダリアの騎士は退く事を知らない。皆勇敢であり正義感にあふれている。実際にその戦に対する武力介入がどのような意味を持っていたのか、末端の俺たちが知る事ではないが、少なくとも戦場で刃を振るった聖騎士たちは皆平和の為に祈りを込めて戦場を駆けた。

 無論、俺もその一人だった。武力介入により俺が所属する騎士団も戦場に赴き、俺もこの手で人を斬り殺してきた。その時の俺には、イルムガルドなどという洗礼名ではなく、至極まっとうなフツーの名前があったわけだが、まあそんな日もずいぶんと昔のことだ。

 さて、まずこの戦争がなぜ魔女戦争と呼ばれていたのかを語る必要があるだろう――。

 クィリアダリアが介入する以前、ユーテリア大陸はザックブルム帝国という国が最大規模の戦力を有していた。ザックブルムが近隣諸国に同時に戦争を吹っかけた事をきっかけに魔女戦争と呼ばれる長い戦争が幕を開けたわけである。

 そのザックブルムが戦場で軍事利用し、兵器として諸国に猛威を振るったのが魔女、魔獣の類だった。魔物と呼ばれるそれらは人知を超えた能力を所有し、魔法や呪いを駆使して単騎で軍団をなぎ倒すだけの力を持っていた。

 特に魔女は究極の兵器とされ、魔法を使って戦う魔女には熟練した兵を抱える騎士団でさえ手を焼かされた。とはいえ元々魔女の絶対数は限りなく少なく、それと対峙することはそれほど多くなかった。

 ザックブルムの中でも魔女の立場は元々優遇されておらず、召使以下、家畜同然の扱いをされ、戦場で魔女を見殺しにする事も少なくなかった。故に常に彼女たちは命を賭けて戦い、望む望まずをかかわらず誰からも脅威と呼ばれるようになったのである。

 これが魔女戦争と呼ばれる所以……。歴史上何度も繰り返されてきた魔女という存在が表に立ち、武力を振るう最後の戦争……である。

 クィリアダリアの介入により、ザックブルムの魔女は皆殺しとなった。魔女の脅威を排し、一応の原因を取り除いた事で大陸の戦争は終結を見せる。しかしそれは一応の終結であり、実際にはまだクィリアダリアの事をよく思っていない国も少なくはない。なんにせよ、魔女を倒した聖騎士団を有するクィリアダリアと真正面から喧嘩をしたがるバカはいなくなったというだけのことだった。

 それでも戦争の終了には違いない。二年間の戦場での生活はいつの間にか一般兵だった俺の階級を大きく昇進させ、聖騎士と呼ばれるまでになっていた。

 その理由は一つ……。俺の隊が多くの魔女、魔獣を討伐したからである。そんなのとばかり戦っていたもので入隊当初からの顔なじみはほとんどいなくなってしまったのだが、まあそれも仕方のないことだ。俺も自分自身の手で魔女を二人、魔獣を三匹殺した事がある。おかげで武勲を得て、一気に出世コースうなぎのぼり、という事である。

 何はともあれ聖騎士になった俺は、しかし戦争が一応の終結を見せた事により暇をもてあましていた。何せ元々はただの一平卒ゆえに神官や貴族の類には受けも悪い。各地で魔獣や魔女が出たら討伐に向かう……そんなのが主な仕事なのだが、そんなの頻繁に沸くはずもなく。。

 話を戻そう。俺が聖騎士になるのとほぼ同時期に魔女狩りという出来事があった。これはクィリアダリアの王都であるオルヴェンブルムでの大量の魔女公開処刑の事を指し示す言葉なのだが、その裏には様々な出来事があった。

 クィリアダリアはザックブルムに勝利するや否や、魔女は悪魔、人外であり魔性故にそれらは死の使い、神に仇名す者であると説き、人々に魔女迫害の概念を強く植え付けた。元来そんな事をせずとも魔女は嫌われ者だ。ザックブルムの軍事利用により一躍有名になっていた魔女を嫌っている人間は決して少なくはなく、魔女を見つけたら殺す――そんな新しい常識が生まれようとしていた。

 国王は魔女をオルヴェンブルムに連れてきた人間、あるいは魔女の居場所を教会に告げた人間には報奨金を出すという御触れを出した為、世界中から魔女がオルヴェンブルムに集められる事となった……のだが、問題はその魔女狩りの内容にあった。人をさんざ殺した正真正銘の魔女が処刑されるのはともかく、報奨金を目当てに偽者を連衡してくるという出来事が相次いだのである。

 しかし、魔女として疑わしき所あらば即処罰、という狂った考えに取り付かれたクィリアダリアは連行されてきた女性を全く確かめもせず次々に火刑の処した。これがこの事件が疎まれている理由でり、この事件のせいで家族を亡くした人々も少なくはない。

 何はともあれその徹底的な処刑行為は大きなデモンストレーションとなり、魔女はこの世に存在してはいけないもの、という常識は定着しようとしていた。俺に新たな指示が下ったのはそんな時のことだった。聖騎士に昇進した俺はオルヴェンブルムのはずれにある深い森……エトリアの森に足を向ける事になる。

 内容は無論、魔女の探索だ。エトリアの森には大きな屋敷があり、物好きな貴族が珍しいものを集めて飾り立てているという噂があり、その中に希少種である魔獣や魔女の類も紛れ込んでいるのではないか、という疑いがかけられたわけである。ちなみにこの貴族、召使も一人もいない上に一人身だったため全く根も葉もない噂だったわけだが、新米聖騎士の仕事としては妥当だったのかもしれない。

 数名の騎士を連れ屋敷に押し入る。中に住んでいたのは情報通り枯れた年寄り一人だけであり、俺たちはそのコレクションを調査することになった。屋敷中の部屋にわけのわからないへんてこなものが集められたその屋敷はまるで幽霊屋敷……。気持ちの悪い銅像やらがほとんどで、宝石のような高価なものはごくわずかだった。もっとも、気持ちの悪い銅像もおそらくは高価なのだろうが。


「イルムガルド様!」


「あん?」


 振り返ると銀色の甲冑に身を纏った騎士が一人立っていた。名前はよく覚えていないが、騎士団から借りてきた修道騎士だろう。


「地下に続く扉を発見しました。ほかの部屋は大体見て回ったので、おそらくそこで最後かと」


「あっそう。まーどうせ魔獣なんかいやしねえんだ。さっさとそこだけ見て帰ろう」


「恐縮ですが、なぜ魔獣が居ないと思われるのですか? 地下牢でしたら魔獣を隠しておくだけの広さが……」


「そうか……。お前、新入りだろ」


騎士の肩を叩く。 面をを食らったのか、騎士は目を丸くしてうなずいた。


「じゃあしょうがねえ。ま、行くぞ」


 魔獣なんかがこんな屋敷にいるはずがない――。魔獣の類がいたならば、たった一人の老人に管理出来るはずがないのだ。それどころか近隣の住民は今頃皆殺しになっているはずだ。そうじゃないのだから、まずありえない。魔獣はそういうものだ。見た事がないなら判らなくても仕方がないが。

 地下への扉は南京錠で閉ざされているだけだった。やはり魔獣を入れておくには心許ないにもほどがある。剣を突き立て、さび付いた鎖を断ち切って戸を開く。

 長い階段を下りていくと続いていたのは新入りの言うとおり地下牢だった。広いそこにはおそらく稀少なのであろう動物の類が大切に飼われているようだった。これを一人で育てているのだとしたらあの爺さんはすげえ頑張り家だな――なんて事を考えながら一番奥の牢屋を見て、俺は眉をひそめた。

 そこには蒼い髪の少女が座っていたのである。両手足には枷、その先端に巨大な鉄球をつけ、一歩も身動きは出来ないようだった。うなだれるような格好で固定されている少女の伸びきった蒼い髪……。淡く光沢し、闇の中でもはっきりと見て取れる瞳。それらの特徴は紛れもなく魔女のもので、さらに決定的だったのが少女の背中に小さな翼がある事だった。

 魔女とは魔獣と人間の混血を意味する。魔獣が人間を襲う時、ごくまれに人間の女を孕ませる事がある。そうなると魔獣の特性を受け継いだ人間……つまり魔女が生まれるわけだ。その際、魔女は魔獣の身体的特徴を有している事がある。少女もまたその例外ではなく、背中に黒い鳥の翼を有していた。


「こ……っ!? これはっ!? イルムガルド様! これは魔女では!?」


「魔女だなあ……。何でこんなところに居るんだろうな……。ああ、面倒くせえことになった」


 ぼりぼり頭をかいていると、新入りは剣を抜いて牢の扉に手をかけた。その手を止めて後ろに下がるように制する。


「イルムガルド様?」


「今日だけの借り物とは言えお前は俺の部下なんだ。勝手に動くな。魔女が恐ろしいものだと知らないわけじゃないんだろう?」


「は、はい……。不用意に近づくな、という事ですね……」


 俺の背後に下がり、新入りは額に脂汗を浮かべている。仕方のないことだ。魔女の類はこの距離で、両手足を封じられていたとしても平然と人を殺せる。だがそうしないことはわかりきっていた。この魔女は、小さな少女は、自らを閉じ込めている老人を殺しもせず、牢を壊しもせず、大人しく捕まっているのだから。

 まあそれが功を奏したというべきだろう。暴れていたのならば先の魔女狩りでの発見は免れられず、今頃灰になっていただろうから。鍵を壊して扉を開ける。とたんに驚いて背後に下がる新入り。殺されるはずはないと確信はあるが、それは老人だけであり自らに敵対する騎士に対して命を保障はないかもしれない。何はともあれここで見詰め合っているわけにもいかないし、中に入る必要があるだろう。

 少女は何も言わずにおびえた目で俺を見つめていた。剣の柄に手を置き、静かに目を伏せる。それから朱と蒼で彩られた輝く瞳を見つめていた。それは淡く輝きながら、ぐるぐると、光を渦巻かせて静かに俺を映している。


「おい、新入り……」


「はっ、はい!」


「ちょっとお前、席はずせ」


「――は?」


 何を言っているのかわからない、という様子の騎士。思わず舌打ちしてしまう。


「気の効かない奴だな……。この魔女とんでもない上玉だぞ。持ち帰ったらどうせ殺されちまうんだし、楽しんでおくのは普通だろ?」


「えっ?」


 驚いたのは騎士だけではない。少女もまた目を丸くし俺を見つめている。別に戦場じゃおかしなことではない。女子供なんて蹂躙されて当然だ……なんて、聖騎士が言うのは少々意外だったのかもしれない。

 新入りは戸惑った様子で俺と少女とを見比べている。まあそれも仕方ない。少女というのもおこがましいくらいに小さい女の子だからな……。幼女……?


「あ、あの……それはいかがなものかと……」


「お前も混ざりたいなら別にかまわんぞ」


 二人が再び同時に驚く。少女にいたっては泣き出しそうな顔をしている。


「い、いえ! では先に上に戻って時間を潰しております!! し、失礼しますっ!!」


 敬礼してあわてて階段を上っていく騎士。爺さんを見張っている残りの連中と合流して上で待っていてくれるとありがたい。


「さてと……おい小娘」


「ひ……っ!?」


 とまあ、悲鳴を上げるのも仕方のないことだ。ゆっくりと近づくとその長い髪に触れ、それからじっとその顔を見つめた。


「人払いは済んだ。理由を聞かせて貰おうか」


「……?」


「何故こんな所に大人しく捕まっている? 外に出ようとしない? 爺さんなんぞ魔女なら殺せるはずだ……。何故だ?」


 少女は答えない。ただ悲しそうにうつむいたまま、俺の顔も見ようとはしなかった。格子に背を預け、腕を組む。少女はちらほらと俺の様子を伺いながら、おびえながら声に耳を傾けていた。


「俺は戦場で魔女って奴に何度も会ったことがある。連中はみんな平然と俺の仲間を殺す化け物ばかりだった。いい奴も大体は死んじまったし、正直な心境を言わせてもらえば魔女なんぞ皆殺しにしてやりたいところだ……だが」


「……?」


「中には戦いたくないのに戦わされてるようなのも居た。そういうのは決まって“ごめんなさい”って顔して魔法を使うんだ。お前はそいつらと同じ顔してる。死ぬの時まで“ごめんんさい”って顔だ。気に入らねぇな」


 俺が何を言いたいのかわからない……それが少女の正直な感想だったのだろう。俺も自分で何を言いたいのかよくわからないままだった。魔女に対する想いは一口では語りきれない。俺にだって、それなりの過去がある。

 頭を掻きながら身体を起こす。改めて少女を上から下まで眺めて、訊いた。


「人を殺めた事はあるか?」


「……」


 首を横に振る。


「殺したいと思った事は?」


「……」


 今度はかなり強く首を横に振った。そんな恐ろしい事考えたくもないといった様子だ。


「質問を変える。人間を食った事はあるか?」


「……」


 ぷるぷる震えながら泣きそうな顔をしていた。


「そうか……。だったらそれを正直に答えるんだ」


 剣を抜き、少女を拘束していた錆びた鎖を叩き切る。少女は小首をかしげ、俺を見上げていた。


「これからお前をオルヴェンブルム大聖堂に連行する。そこでお前は魔女裁判にかけられる事になる」


 魔女裁判、というのは本来魔女の罪を問う裁判だが、まあそんなのは形式上だけで言わば死の宣告のようなものだ。元々、誰も魔女の話などまともに聞くつもりはないのだから。

 だが、先日の魔女狩りでの魔女誤認での一般人殺害はちょっとした反感を生み、魔女であるかどうかを一度くらい確かめろという声が強まった。故に魔女裁判などというものが生まれ、まず魔女と疑わしきものはその成否を審議されることになったのである。が、この少女は外見的特長からして魔獣の血を引いている事は明らかであり、魔女裁判では人に害のある魔女であるかどうかという部分が最大の論点になる。

 人を殺した経験や食った経験があれば容赦なく火刑か打ち首になるわけだが……最近は温情で即死刑以外にも一つの手段が生まれた。それが果たして希望となるのかどうかは、そいつ次第なのだが……。


「お前は裁判で死刑にされるのと、もう一つだけ選択肢が与えられる」


「……?」


「担当する聖騎士と共に大陸中の主な教会を巡り、身体に許しの刻印をもらう旅だ。そうしてすべての教会を巡れば、お前は迫害を受けず人間になる事が出来る」


 ――というのは教会のキャッチコピーであり、実際今までにそれが成功したという事例は一つもない。この制度が始まってまだ二年程度である事、そして旅をすべて終えるのに三年はかかることを考えると成功例が一つもなくてもおかしくはないのだが。

 教会としてみれば温情などというのは本当にあってないようなものだ。体よく言えば勝手に野たれ死ぬようにと考えられた旅なのだろう。しかもこの贖罪の旅は十五歳未満の少女にしか与えられない選択肢だ。それ以上の魔女は強い力を持つとして危険視され、即殺される。

 見たところこの少女はかなり小さい。体格からして歳は十五も行っていないだろう。その十五にも満たない少女に大陸をめぐれというのだから無茶な要求である。

 まあ教会は生きて戻ってくることなど望んでいない。遠まわしな死刑である事に違いはないのだが、少女は俺の話を聞いて目を輝かせた。まるで星を入れたような瞳で俺を見上げ、暖かく微笑んで問うのだ。


「……そうしたら……わたしも…………人間に、なれるんですか?」


「……ああ、そうだ」


「羽があっても……人間に、なれますか?」


 首を傾げ、嬉しそうにそんな事を言う。だから俺はその無垢な瞳を見つめているのが辛くなり、視線を逸らした。


「ヨト神にお前の祈りが通じたのならばな」


 これも教会の受け売りだ。そんな神様いやしねえのはもう判りきっている。そう、誰より俺たち戦争の経験者が……一番。だが人は心にそうした希望を抱いていなければ努力できない弱い生き物だ。故に俺も少女に偽りの希望を持たせる事にする。

 本当に神の奇跡でも起きない限り、翼の生えた魔女が人間扱いなどされるはずがない。旅が終わったとしても、人として扱われるなんて俺には信じられなかった。人の意識は簡単には変わらない。翼があれば魔女だと一目でわかるように、一目で迫害を受けて当然だろう。そんなこともわからないのか、はたまた本気で神様を信じているのか知らないが、少女は目を輝かせ、嬉しそうに言う。


「……あなたは、天使様ですか?」


 正直、返す言葉もなかった。散々人を斬ってきた俺が天使様とは……。神様に大きな声で言えないような事を山ほどしてきたのに、まさかそんな風に言われるとは。


「いんや、騎士だ。ただの騎士だよ、小娘」


「でも、私をこの暗い牢獄から救い出して、人間にしてくれるんですよね?」


「……まあ、概ね合ってるが」


「ありがとうございます……。 嬉しい……です」


 にっこりを微笑む少女。俺は困ったように少女の手を引き、地下牢を後にする。それが、俺とレヴィアンクロウの出会いだった――。




 レヴィアンクロウという名前は彼女の本当の名前ではない。教会に隷属し、命を握られ、そして呪われた存在である事を受け入れた証として、呪いの名前をつけられ本来の名前を奪われる――それが旅する魔女の宿命だ。

 魔女裁判でその名前を告げられても、少女は臆することなく強く瞳を輝かせていた。少女は死ではなく旅を選択し、俺はその担当になることが決まった。もとより態度が悪く神官には不評だった俺だ。発見に携わった騎士として同行を言い渡されるのはそれほど不思議な事ではなく、十分予想していたことだった。

 旅の支度を終えると俺たちは共にオルヴェンブルムの城壁を離れ、旅に出ることになる。少女……レヴィアンクロウはまだ見ぬ広い大地を前に、清清しい笑顔で俺に微笑みかけた。


「笑っているとは余裕だな」


「いいえ……。でも、イルムガルド様が一緒だから」


 随分と懐かれてしまったようだったが、あくまでも俺は聖騎士。魔女の事が好きなわけではない。むしろ、俺とて魔女を呪う側の人間なのだ。

 どんなに彼女が微笑みかけてくれても、それに応える事は出来ない。それにこの旅は、レヴィアンクロウが自らの生き方を探す旅でもある。実を言うと、俺はこの制度はそれほど悪くはないと思っている。教会側の意図はともかく、レヴィは広い世界を知って生きていく大変さを体験する必要があるだろう。

 そうして一人で何でも出来るほどに強くなれたならば、人里はなれた場所でひっそりと暮らしていく……そんな事も可能になるかもしれない。尤も、そうやって逃げられないようにこの俺が存在するわけなのだが。


「いいか、レヴィ。最初にこれだけは言っておく」


 蒼い髪の上に手を載せ、ぐりぐり撫でる。


「お前がどんなに苦しくても俺はお前に手を貸さないし、旅に必要なものは基本的にお前の力で働いて手に入れろ。これがルールだ」


「……はい」


「俺の力を借りずにゴールまで辿り着いて見せろ。もちろん相談には乗ってやるし、いろいろと教えてはやる。だが全部やるのはお前だ。だから俺の事は頼るな。お前が野たれ死にそうになったなら、容赦なく見殺しにするから覚悟しておけ」


「はい」


 あっけなくうなずいた少女は俺よりも早く歩き出す。俺よりも前を、自分の意思で歩き出したのだ。その一歩はとても小さく、しかし偉大な一歩である。


「…………」


 もう少し悲しそうな顔でもすれば少しはこっちも盛り上がるというものなのだが、まるで当たり前のような顔をして歩いていく。だから俺はその半歩後ろに続きながら遅すぎるレヴィの歩幅にあわせてついていく。

 レヴィが取っ手をつけて引っ張っている棺桶は、魔女が夜眠るのに使用するいわゆる寝床であり、教会から支給される唯一の装備だ。魔女は人間を食らう。故に見張りである騎士が眠る間、魔女はこの中に閉じ込めておかなくてはならないのだ。そして棺桶の中は魔女がこの世界で存在する事を許される唯一の場所であり、その鍵は俺しか持っていない。更には彼女たちが死んだ時、その寝床となるのもこの棺……。故に棺は安らぎの場所であり、終わりの場所でもある。

 それをわざわざ自分で牽いて魔女は旅をしなければならない。それがこの旅のルールだから。常に死が隣にあり、死を意識して生きていく。非力な少女に大きすぎる棺桶は重く、汗をかきながら賢明に棺桶を引っ張る少女をしばらく俺は眺めていた。

 そんな旅の始まり。レヴィは文句一つ言わず、黙々と棺を牽いて進む。時々俺の方を見ては、はにかんだ笑顔を浮かべて――。




「気がついたか?」


 屋根を打つ雨の音の中、暖炉の前で本を読んでいるとベッドからレヴィが身体を起こした。山小屋に辿り着くとすぐさまレヴィをベッドに寝かせた。幸運なことに設備はしっかりとしている山小屋で、ほかに人の姿はなく静かだった。


「マスター……え?」


 レヴィは自分の姿を見て顔を真っ赤にしてシーツの中に潜る。ずぶ濡れになっていたドレスはさっさと脱がせてしまったので、今は裸なのである。暖炉の前にかかっている自分の服と俺とを交互に眺め、もじもじしながらひょっこり顔をのぞかせる。


「別に裸見るのは今に始まった事じゃないだろう。それに、発展途上過ぎて襲う気にならん」


「……うう」


本を閉じてベッドに歩み寄る。額に手を当てると、熱はまだ引いていなかった。椅子を持ってきて近くに腰掛けると、レヴィは何かを探すように周囲を見渡し、それから不安そうな顔で、


「あの、マスター……」


「何だ」


「あの……その……」


「探し物はこれか?」


 手渡したのは蒼い蝶の髪飾りだった。泥の中にぶっ倒れたせいで細かいところに泥がついてしまっていたが、壊れては居ない。

 レヴィは旅の途中でもらったものを非常に大切にする。特にこの髪飾りは気に入ったらしく、にやにやしながら何度も手に取り眺めていたのでなくしてしまったのではないかと不安だったのだろう。シーツの布で髪飾りに詰まった泥を懸命に磨きながら、きっとこの持ち主だった少女のことを思い浮かべてなのだろう――。目尻に涙を浮かべながら微笑んでいた。


「安心したか?」


「はい……。あと、あの……。ご迷惑を、おかけしました」


 倒れても見捨てるというのが最初の約束だった。しかし実際に見捨てるわけにもいかないので結局は助けてしまった。何故見捨てるわけにはいかないのか……。それには色々と理由もあるが、とりあえず今はこの旅をそれなりに気に入っているからなのかもしれない。

 申し訳なさそうに頭を下げるレヴィに頷いて応える。レヴィは懸命に髪飾りの泥を落とし、静かな時間が続いた。暖炉の中で薪が音を立てて割れる。俺はふと視線をレヴィに移した。


「そんなに気に入ったのか? それ」


「はい。わたしの髪の事……気持ち悪いっていわないで、きれいだっていってくれたから…」


 常識的に考えて、蒼い髪なんてあるわけもない。そんな髪色の人間が居るはずもない。人外である証拠――。見る人が見れば魔女だと指差されて当然の証。生きている限り逃れられない自分の一部をレヴィは嫌っていた。

 しかし先日のリーベリア領主の娘との出会いのおかげで少しだけ自分を好きになれたようである。嬉しそうな顔で髪飾りを眺めるレヴィの背中に生えているはずの二対の翼は、今はもうない。その代償として大きすぎる傷跡が残され、白い肌にくっきりと現れている。

 翼は、旅の途中で失った。理由は様々だが、レヴィは自ら望んでそうしたのである。それほどまでに自分自身のことが大嫌いだったレヴィにとって、髪をほめられたのは余程の嬉しさだったのだろう。


「最近の旅は順風満帆でいい具合だな」


「はい。最近は、一度もばけものって言われてませんから」


 しかしそれもここまでだろう。次に向かうのは巡礼する教会のある町、ホールズである。大きな教会があるということは、根強い魔女迫害の概念が存在していることも同時に意味している。そんな場所を巡礼しろというのだからその過酷さは並大抵ではない。旅の始まりから一年近くが経過し少しは旅慣れてきた今のレヴィでも倒れてしまうほどに。

 嬉しそうな様子をずっと眺めていると、俺の視線に気づいたのか照れくさそうに、申し訳なさそうに笑う少女。俺は腰に挿しているナイフを抜き、それで指先を少し深めに斬り付けた。

 床にぱたぱたと音を立てて鮮血が零れ落ちる。それをレヴィの前に差し出すと、少女の目の色が変わった。傷を心配する気持ちと、血を見る寒気と――それを食べたいという三つの感情が同時に沸き起こり、複雑な表情で俺の顔を窺うのだ。


「最近飲んでないから弱ってきてるんだろ。さっさと飲め」


「でも……」


「いいから早くしてくれ。でないと痛い」


「は……はうっ! はい……あの……いただきます」


 食事を前にするようにレヴィは両手を合わせて頭を下げる。事実、レヴィにとって血肉は食事のようなものなのでそれは当然なのかもしれないが。一応それ俺の手な。

 おずおずと口をあけ、小さなその中に指をくわえ込む。暖かい舌の感覚が傷口をなぞり、少しだけ痛みが走る。それを気にしてか、レヴィは優しく、丁寧に傷を舐め続けた。しかし一度血を飲み出すと本能的に止まらないのか、両手で俺の手をしっかりつかむとむさぼるように血を吸い続けた。

 熱に浮かされるようにただその行為に夢中になり、音を立てて血を啜り続けるレヴィ……。しかし、傷はしばらくすると血を流さなくなる。魔女の体液にはどうも人間の傷を癒す効果があるらしい。魔獣なんかの生き血はそうした意味で非常に高価な値段がついたりするが、レヴィの唾液も同様に傷をふさいでしまうのである。

 故にざっくり指を切ってしまったとしてもしばらく舐めてもらっていればふさがってしまうので特に問題はない。ふさがってしまった傷口を名残惜しそうに手放すと、物足りなかったのか懇願するような目で俺を見つめてくる。普段何も俺に求めないくせにこの時ばかりは我侭を言うのだからなんとも仕方のないやつである。


「もう人差し指はいやだからな……。違う指な……」


「ごめんなさい……」


 結局中指をナイフで切る。レヴィは嬉しそうにそれを舐め、咽を鳴らして血を飲んでいた。そうしてその傷もふさがるころにはレヴィの顔色はすっかり血色よくなり、シーツに隠れながら微笑んで俺を見つめていた。


「ごちそうさまでした」


「飲んだらさっさと寝ろ。明日は今日の遅れを取り戻すぞ。早朝に出発だ」


「はい」


 暖炉の明かりだけが部屋を照らす。心地よい暗闇の中、レヴィは静かに寝息を立て始めた。やはり疲れていたのだろう。目を閉じて数分であっという間に深い眠りに落ちてしまったようだ。

 レヴィの唾液を布でふき取り傷口をなぞる。痕は残っているものの、もう完全に傷はふさがってしまっていた。恐るべきは魔女の力――か。何はともあれ、彼女は人間とは決定的に違う力を持っているのは事実である。


「……ふう」


 何だっていいさ。今は旅を続けるしかない。

 棺の中で眠らなければならない掟も、今日くらいはまあ仕方ないだろう。別に俺は掟とか実際はどうでもいいわけで……。久しぶりにベッドで眠るレヴィの蒼い髪を撫で、俺も眠りにつく事にした。

 明日の朝になったら早くに出立し、何とかホールズにたどり着かねばならない。旅路は辛く果てしない。しかしそれでも行かねばならない。それは仕方のない旅だが、レヴィはそんな風には考えていないのだろう。

 旅先で化け物だと罵られようが石を投げつけられようが関係ないのだ。たまに会える心優しい人々や、その先にある人間としての未来を信じていれば、旅を続けられる。その旅路の果てにどのような結末が待っているのか俺にはわからない。だが――。


「おやすみ、レヴィアンクロウ」


 今だけは考えずともいいだろう。眠っているお前を苦しめるものは、今だけはなくてもいい。

 安らかに眠り、また明日からは元気に旅を続けよう。今の俺はただそれだけを願っている。

 雨音に包まれながら、レヴィの寝顔を眺めながら、椅子に体重を預け、俺も眠る事にした。明日の空が、晴れている事を祈りながら――。


~そし魔女劇場 教えてレヴィ子さん~


レヴィ「……私の世話をしてくれていたおじいさん、今でも元気でしょうか」


イルムガルド「あんな妙な趣味の爺さんをまだ気にしてるのか」


レヴィ「……きっと、寂しかっただけだと思うんです」


イルムガルド「寂しいからって幼女牢獄に閉じ込めてワケのわからん動物と一緒にしておくのはどうなんだ」


レヴィ「……かわいがってくれましたよ?」


イルムガルド「動物としてだろ……。まあ、あの爺さんは魔女をかくまっていたんだからな。当然、打ち首に……」


レヴィ「えええええっ!? う、うぅぅ……っ」


イルムガルド「……。冗談だ。あの爺さんは名のある貴族の一人だからな。今は没落してあんなところで隠居していたわけだが、貴族を裁く力は教会にもないからな」


レヴィ「どうしてですか?」


イルムガルド「教会の活動資金は、貴族がまかなってるからだ。貴族はパトロン……公平な審査なんてあるわけねえだろ」


レヴィ「…………そうですか。よかったです……おじいさんが無事で」


イルムガルド「……そっちかい。まあ、なんでもいいけどな……」

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