#3 蒼い宝石箱の中で
「美しくない! こんなの全然、わたくしに相応しくないわっ!!」
――そう、美しくないのだ。退屈なのだ。
毎日毎日同じような事が繰り返される日々……お屋敷の小さな窓から見下ろす世界。ああ、なんと退屈なことでしょう。これも全てはわたくしが美しすぎるから。自分より美しいものが見つからないから、ちっとも満たされないのだ。
執事の困った表情から視線を逸らす。何が献上品の宝石だ。こんなのちっともきれいなんかじゃない。わたくしに相応しくない。
「だってそもそも……その宝石、蒼くないじゃないの!」
「は……っ。ですが、献上品の中で最も高価なもので、旦那様もお嬢様の為を思って……」
「もういいわ! お父様に言って換えてきてもらって頂戴! 蒼くない宝石なんて、醜いだけだわっ!!」
頭を下げて慌てて部屋から出て行く執事。そう、わたくしに似合う色は“蒼色”だけ。だから部屋も真っ青 屋敷も真っ青。街も何もかもま〜〜〜〜〜〜っさおになればいい。
だって蒼が一番好きだから。蒼が一番綺麗だから。蒼以外の色なんてなければいいのに。溜息ばかりが出てしまう。
今日のわたくしのドレスも蒼一色。これ以上に綺麗なドレスなんかないから、クローゼットの中には同じ衣装がずらりと並んでいる。
だってこれ以外のドレスなんて全然綺麗じゃない。お父様はそれがわかってないから、赤とか白とか、そんな色のドレスばかりわたくしに買い与える。でもそれってわたくしのことわかっていらっしゃらない証拠。お父様なんて、どうせわたくしのことなんかなぁんにも考えていないんだわ。
そう思うとなんだかイライラする。蒼いウサギの縫いぐるみを壁に投げつけ、蒼い縁の窓を開け放つ。空しか見ない。だって空は蒼いから。下を見たところで、蒼いものなんてなぁんにもありはしないもの。
「はあ……。どうしてわたくし、海辺に産まれなかったのかしら」
わたくしほど蒼の似合う女性なら、やっぱりとんでもなく真っ青なものの近くにいるべきだと思うのに――。
溜息を着きながら窓辺に手を触れる。気分はいつも通り憂鬱―――そう、気まぐれで下を見てしまうまでは。
そこには旅人の姿があった。片方は神父。顔は確かにちょっとは整っているけれど、真っ黒の装束でちっとも美しくなんかない。わたくしが感動したのはその傍らを歩く蒼い髪の少女だ。風に煌く蒼い髪―――あんな髪色、見た事がない。
「あれよ……。あれこそわたくしに相応しいわ……!」
何て美しい少女なのだろう。気づけばわたくしは部屋を飛び出していた。
スカートを捲し上げて廊下を走る。蒼いカーペットの上を。そうして吹き抜けの螺旋階段の上から、玄関を掃除している執事に叫んだ。
「セバスチャンッ!! 蒼よ! 蒼い女の子よっ!!」
「は……? お嬢様、今度は何を……?」
「だから、蒼なのよ! 真っ青の女の子! とっても素敵! あれ欲しい! 欲しいのっ!!」
ああもう、じれったい! どうして判ってくれないのかしら。そんな間の抜けた顔しなくたっていいじゃない。
階段を駆け下りながら叫び続ける。自分でも興奮しているのがよくわかった。でも仕方ない。だってあんなの――素敵すぎる。
「すごく欲しいの! あれ、わたくしのものにしたい! セバスチャン、つれてきて! 早くしないと彼方に消えてしまうからっ!!」
「は……?」
「いいから早く! 今すぐ扉を開け放って! 全力で駆けなさい!!」
「かっ、畏まりました……! 不肖このセバスチャン、老体に出来うる限り全力で……!」
「も〜〜! いいから早くしなさいよ愚図っ!! 天使が消えてしまったら、貴方の責任問題ですからねっ!!」
「は、はいっ!」
扉が放たれる。興奮と素敵な予感に背筋がぞくぞくした。あれこそ、わたくしが長年求めてきた究極の美しいものなのだと、確信しているから――。
#3 蒼い宝石箱の中で
「で――? 何で俺たちは呼び止められたんだ?」
客間の椅子に腰掛けた柄の悪い神父はそう言って腕を組んだまま首をかしげた。
セバスチャンがつれてきた二人をお父様には内緒で客間に案内し、お父様にはばれないように外にセバスチャンを待機させた。広い広い客間の中では多少の声なんて外には聴こえないし、ここでなら思いっきり、しかもゆっくりと話が出来る。
問題はこの神父だ……。やたら長身でよく見れば細いくせにがっちりした体型をしている。腰には剣を携えていることから、恐らくはヨト信仰……つまりはクィリアダリアの“修道騎士”。
クィリアダリアと言えば大陸最強最大の宗教国家。しかも肩に携えている金の装飾と装束の襟章からして、恐らくはそれなりに地位のある騎士だ。下手な事をすれば計画が看破されるどころか、我がハートウェイト家に不利益な影響を齎されるかもしれない。
セバスチャンとわたくしの二人だけではどう考えても取り押さえる事なんて出来そうもないし、衛兵を使おうにも目立ちすぎる。そもそもこの騎士、先ほどから一瞬たりとも剣から手を離していない……。つまり最初から警戒されているということ。
「旅の修道騎士様とお見受け致しますが……いかが?」
ここは適当な言い訳で丸め込み、とにかくこの屋敷に滞在させるように差し向けなければ。時間さえ稼げれば、その間に手段はどうにでもなるだろう。
「わたくしはリーベリア領主、ロイド・ハートウェイトが長女……アミュレット・ハートウェイトと申しますわ。どうぞ、以後お見知りおきを」
「そいつはご丁寧にどうも……。俺は聖クィリアダリア王国第二法位聖修道騎士イルムガルドだ。で、こっちはレヴィアンクロウ」
くああっ!! 小さく頷く女の子……レヴィアンクロウと言うのね! とってもらぶりーでちゃーみんぐで……し、死にそうだわっ!
でも問題はこの男がクィリアダリアの“聖騎士”というところにある。聖騎士と言えばただの修道騎士などではない、神官相当の権限を持つ退魔討伐のエキスパートではないか。 これは予想外だ……。何より絶対数が限りなく少ない聖騎士がこんな場所で、こんな格好で、こんな態度で現れるなんて予想出来るはずもない。けれどその驚きは胸の中で。表面上は穏やかに……。それくらい出来なくて次期リーベリア当主は名乗れない。
神官相当の権限など、クィリアダリア王国内部では口を利くことさえ恐れ多い立場だと聞くけれど、この町じゃ知った事ではない。何せこの町は独立自治をクィリアダリアに許されたリーベリア領なのだから。そしてわたくしはリーベリア領主の娘――。となれば、彼と対等に口を利くくらいの権利は持ち合わせている。少なくともこの町の中だけならば。
それにしても気に入らないこの目つき……。まるで全てを見透かしているような、見下しているような目。これだからクィリアダリアの騎士は嫌なのだ。戦争勝利国だかなんだか知らないが、何がヨト信仰なんだか。そんな事をしている暇があったら民の為に施政して欲しいところである。
まあいい……。他国の宗教など興味はない。どうせまだリーベリアにはヨト信仰なんて広まっていないのだ。完全にこちらのホーム。臆する事無く堂々と胸を張っていれば良いのだ。
「イルムガルド様、どのような目的で旅をされているのかは推し測りかねますが、何か大義のご様子。こちらで一晩、旅の疲れをゆるりと癒して行かれてはどうでしょうか?」
「何だ、泊めてくれるのか? よかったなレヴィ、今日は野宿しなくて済みそうだぞ〜」
「マスター……いいのですか?」
何て綺麗な声! なんだかわたくしドキドキしてきてしまったわ……。
「あ? 別にいいんじゃねえか? あー……アミュレットお嬢様? 泊めてもらう間はこの小娘を好きに使ってくれていいぞ」
「好きに使っていい、ですって!?」
思わず机を両手で叩いて身を乗り出した。はしたないけれどそんなことはどうでもいい。今この男は何て言った?
“好きに使って良い”、ですって? 何て幸運! ああ、ハレルヤ! ヨト信仰万歳! 聖騎士万歳!!! 大慌てでテーブルの向こう側まで回りこみ、少女の小さな手を両手で握り締めた。
「それじゃあレヴィアンクロウ! 今日は一日わたくしと一緒に働いてもらいますからねっ!!」
「え……? え……あ……? は、はい……?」
驚いたレヴィアンクロウの表情。ああ、可愛らしい……そう思って見蕩れていたら、わたくしは重大すぎる事実に気づいた。この女の子――なんとオッドアイなのだ。左が蒼で、右目は……ああ、なんてことでしょう? 赤い色……。
わたくしはすぐさま少女の右目を手でふさぎ、自らの蒼いドレスの裾を引き裂いてレヴィアンクロウの右目に巻く。これで蒼一色。ああ、美しい。これでこそわたくしの天使……。
「これでよし……。それではイルムガルド様はお部屋で休んでいてくださいませ。執事に部屋まで案内させますわ」
「あいよ。おいレヴィ子、しっかり働けよ」
「はい、マスター」
「それでは失礼致しますわっ! うふふふ〜!」
少女の手を引き部屋を飛び出し、螺旋階段を駆け抜けて自分の部屋にまっしぐら。部屋に飛び込むと鍵をかける。その音に驚いた少女が目を丸くしているが、そんなのは関係ない。
クローゼットを開いて蒼いドレスを用意する。蒼いリボンも必要だろう。後は蒼いぬいぐるみ。大丈夫、蒼いものならこの部屋に足りないものなんて空と海くらいのものだ。
「さっ!! まずは着替えましょうか!?」
「え……? あっ、ひゃあっ!?」
「もう、抵抗しても無駄よ……? さあ、さっさとお脱ぎなさいっ!!」
「マスターっ!! マスタ〜〜っ!!」
そんなわけで数分後。しっかりと蒼い衣装に着替えたレヴィアンクロウは、とっても、とっても、とおーーっても、美しかった。
素敵過ぎて溜息が出てしまう。胸に手を当てながらその周りをグルグル回ってあらゆる角度から堪能する。ああ、なんて美しい。
「素敵だわレヴィ……! 貴女まるで奇跡のようね!」
「え、えぇと……?」
「まあ、ベッドに掛けて? うん、とっても素敵! 似合ってるわ……。貴女、どこからいらしたの?」
「……クィリアダリアの王都から」
「あら、オルヴェンブルム? “魔女狩りの町”ね……。随分と遠くから」
「はい……」
気のせいだろうか? 魔女狩りの町、という言葉を耳にした瞬間、レヴィの表情が曇ってしまったような気がする。聖王都オルヴェンブルム――。異端を狩るヨト信仰の最も盛んな王都では、頻繁に魔女狩りが行われていたと聞く。
見聞を広める意味で魔女狩りの記事を調べた事があるけれど、誤認で沢山の女性が殺められたらしいその事件は、やはりオルヴェンブルムの民にとっては余り好き好んで聞きたいような言葉ではなかったのかもしれない。
「ごめんなさいね。少し、気が利かなかったかしら」
「あ、いえ……大丈夫です。ありがとうございます」
「そう? ふふふ……っ! ねえ、そう畏まらなくてもいいのよ? どうせわたくしたち、歳は似たようなものでしょう? わたくし今年で十六になるのだけれど、貴女は?」
「今年で十三になります」
「まあ、可愛らしい! ねえ、ちょっと抱きしめてもいいかしら?」
「えっ? えっ? え……ど、どうぞ」
「んぅ〜〜〜〜っ! 素敵だわ! とっても綺麗な髪っ! 蒼くて綺麗! 素敵、綺麗、素敵っ!!」
「ううっ」
思わず抱き寄せて頬擦りしてしまう。それくらいに愛らしいのだ。最早これは人を殺せる領域に違いない。ああ、らぶりー。
恥ずかしいのか視線を逸らして頬を赤らめているのがまた堪らない。リボンで髪を結わいながら背後から少女に尋ねた。
「あなた、どうしてこんな髪の色をしているの? まるで青空を切り取ったみたいに真っ青なんて」
この世の人間にこんな髪色が存在するのだろうか? わたくしがいくら望んでも、髪と瞳だけは蒼にできなかったというのに。
どんな財力を以ってしても叶えられない理想。ならばそれを実現している人間に手段を問いたくなるのは仕方のない事だろう。しかし少女は自らの髪を指先で摘みながら、悲しそうに首を横に振った。
「こんなの……全然、綺麗なんかじゃありません」
「あらどうして? とても素敵じゃないの」
リーベリアの民がそんな事を言ったのなら打ち首にでもしてやりたい気分だけれど、彼女が言うと何故だか許せる気がする。優しく問い掛けると、少女は小さく溜息を着いて蒼い瞳でわたくしを見つめた。
「アミュレット様は……」
「呼び捨てでいいわよ」
言葉を遮る。言葉を飲み込んでレヴィは目を丸くした。
「んと……アミュレット様……」
「呼び捨てにしなさい」
「……むりです」
「良いから早くしなさい」
「……」
何度も口を開き、助けを求めるような視線を向けてくる。 それが堪らなく可愛くて、また意地悪をしたくなる。しばらくにやにやしながら眺めていると、少女は目を伏せて小さな声で呟いた。
「……アミュレット……さん」
「ま……そのへんで妥協しておくわ。 それで、何かしら?」
「アミュレットさんは……蒼い色が好きなんですか?」
「そうよ? 見たでしょこのリーベリアを」
そう、リーベリアの町にある建造物は何もかも真っ青なのだ。 外装を全て蒼のペンキで塗りつぶし、定期的に舗装も行っている。領主であるこのハートウェイト家の屋敷だって蒼一色。ここに至るまで全てが蒼一色で、わたくしの部屋にも蒼以外のものなんて存在しない。
「だって蒼より綺麗なものなんてありはしないもの。蒼色以外なんて、必要ないわ」
「そうでしょうか……? わたしは、この髪――嫌いです」
「えっ?」
理解出来ない……。レヴィは俯き、鏡の中に映りこむきらきら光る蒼い髪を見つめ、目を細めていた。何故そんな顔をするのだろう。こんなにも綺麗な、素敵な、最高な姿で、何故。
「それに、アミュレットさんは十分綺麗ではないですか」
「そんなの当たり前じゃない。だってわたくしなのよ? 綺麗でないはずがないわ。それより蒼い貴女の方が素敵だってことよ」
「……あの、どうしてそんなに蒼にこだわるのですか?」
「どうして、ですって?」
小さく頷く顔。わたくしは腕を組み、天井を見上げて考える。そういわれてみると何故蒼が最高で何故蒼が究極で何故蒼が素敵なのか、良く分からなくなる。
確かに理屈もなく素晴らしいものってあると思う。分けが判らなくても伝わるものってあると思う。例えば異国の言葉で綴られた音楽とか、どういう成り立ちで構成されているのかさっぱりわからない絵画とか。
でも素晴らしいものは確かに素晴らしく、見た瞬間心に、魂に、訴えかけてくる何かがあるものなのだ。それはわたくしにとっての蒼となんら変わらない。
「理由なんて必要ないわ。美しいものは美しいもの」
「あの……。では、他の色はどうして美しくないのでしょうか?」
「どうして、ですって?」
全く同じ言葉を繰り返す。他の色はどうして美しくないのか。これまた理由を丁寧に考えてみると良く分からなくなってくる。けれどその時わたくしはその理由を深く考える事はしなかった。その理由が何であれ、蒼が最高の色で最高に綺麗だという事実は何ら揺るがないのだから。
日が暮れるまでレヴィを弄繰り回し、一緒にお風呂に浸かり、夜になるとベッドに一緒に入り、彼女を抱いて眠った。そうして一日が過ぎると既にレヴィを手放したくなくなっている自分がいて、わたくしは迷わずに計画を実行に移した。
翌日の早朝……。まだ眠ったままの神父を縄で縛り、地下牢に閉じ込めた。しばらくそのまま眠っていた神父だったが、流石におかしい状況に気づいたのか目を覚まし、両手足が縛られている事に気づくとあくびをしながら言った。
「あー……? なんだこりゃ?」
「うふふふっ! 貴方には申し訳ないけれど、貴方達の旅はここで終わりを告げるの。イルムガルド様の旅は終了、レヴィアンクロウはこれからわたくしが責任を持って面倒見ますから、安心してそこで朽ち果ててくださいな」
「おいおい、冗談だろ? つーか俺の剣はどうした」
「剣は騎士の魂……最高の得物ではないですか。それをむざむざ騎士と一緒にするなんて事しませんわ。この剣はわたくしが責任を持って管理します」
「……そんなに責任持ってくれなくてもいいんだけどな」
「セバスチャン、あとは任せるわ。あとこの牢の扉は厳重に鍵を掛けて誰も近づかないように管理すること」
「しかしお嬢様……これは流石にやりすぎでは……」
「お黙りなさい! そろそろレヴィが起きてしまうわ。わたくしも部屋に戻らなくては……。それでは失礼、聖騎士様」
背後でなにやらぶつぶつ言っている聖騎士を置き去りに地下牢を後にする。ああ、すっきり! これでレヴィアンクロウはわたくしだけのものになる。これほど幸せな事ってないわ。今となっては蒼い町も、館も、部屋も、まるで意味をなくしてしまったよう。
最高に幸せなものが目の前にあるとそれまであったちっぽけな幸せなんて色あせてしまうものなのだと、わたくしはその時初めて気づいた。ステップでも刻みたい気分で部屋に戻ると、起きたばかりなのか眠たげに目を擦っているレヴィアンクロウの姿があった。
「おはよう、レヴィ。気持ちの良い朝ね」
「はい……。あの…おはようございます」
蒼い髪についた寝癖を丁寧に宝石で装飾された高価な櫛で梳く。その滑らかな指通りはまるで流水の中に手を入れたような心地よさだった。
ああ、なんという幸運! この子がいかなる理由で旅をしていたのかは知らないけれど、この館の中より幸せなことなんてないはず。旅なんて続けていても辛い事ばかりだし、この館に居れば生活に苦しむこともない。何より蒼に囲まれていて、彼女が嫌いだというその髪も目立たなくなることだろう。
そんな事を考えながら着替えを済ませ、二人で朝食を摂りに向かう。どうせ今日もお父様もお母様も顔を出さないだろうから、一緒に行ったところでなんら問題もない。二人で螺旋階段を降りて食堂へ……。セバスチャンに予め用意させておいた料理は二人分。隣り合った席につき、わたくしたちは朝食を開始した。
しばらくは寝ぼけていたのか、うとうとしながらパンを齧っていたレヴィだったが、やがて異変に気づく。そう、つい昨日までずっと連れ去っていた旅の同士が居なくなっていたのだ。無論、聖騎士様は地下牢に繋がれているので食卓に顔を出すはずも無いのだが。
口元にブルーベリーのジャムをくっつけたまま不安そうにレヴィはわたくしのドレスの裾を引き、首をかしげた。
「あのう……? マスターは……?」
「そういえば、聖騎士様の姿が見えないわね。彼、朝早くにどこかに出かけたみたいだったけれど、まだ戻らないのかしら?」
「え――っ」
かたん――。
レヴィの手からバターナイフが転がり落ちて軽い音が食卓に響いた。驚いたのはわたくしの方だった。レヴィはすぐさま立ち上がると慌てた様子で食卓を飛び出していく。
「ま、待って! レヴィ!」
慌ててその後を追う。少女は玄関を飛び出し、太陽の下、蒼いドレスの裾を掴んで懸命に走っていく。きょろきょろと、周囲を見渡して……。どこにいるかも知れない、旅の同士を探す。いや、その眼差しはまるで迷子になってしまった幼い少女のようで、とても切羽詰っていて、とても寂しそうで。
「マスタ――――っ!!」
大きな声で叫ぶ。とは言え、実際はそれほど大きな音量ではなかったのかもしれない。けれどもわたくしには判る……。その小さな声は、彼女に出せる最大限の大きな声なのだ。
何度も何度もその名前を叫び、当ても無く走り回る。その速度はわたくしのハイヒールでも追いつける程で、とてもゆっくりだったけれど。懸命に……。
「マスター! マスターっ!! マスター、マスターっ!!」
あんまりにも何度も何度もその名前を呼び、挙句の果て泣きながらその場に座り込んでしまうものだから。胸がずきずき痛んで、今までどんなに横暴な事をしたって全然胸なんか痛まなかったのに、急に苦しくなって。
少しだけ離れた場所で少女を眺め続ける。蒼い髪の少女は太陽の下、惜しげもなく涙を零しながら空に叫んでいた。何故、あんなにも悲しそうなのだろう……。
「そ、そのうち戻ってくるわよきっと。それまでわたくしの部屋で休みましょう? ねっ?」
レヴィの涙は止まらなかった。まるで世界が終わってしまったかのような悲しみ方をする。両手で涙をずっと拭い続け、綺麗な蒼い瞳が涙で輝いて余計に綺麗に見える。けれど何故か嬉しくない……。部屋に戻ってもレヴィは泣き続け、ベッドの上で枕を抱いてずっと嗚咽を殺し続けていた。
「ねぇ……」
少女の隣に腰掛ける。その背中を擦り、肩を抱き寄せながら尋ねた。
「そんなに……あの騎士様が大事なの?」
いまいちそれは理解出来ない感情だった。だって、人間なんて変わりはいくらでもいるじゃない。
死のうが増えようが、そこそこバランスが取れるように出来てる。余程の飢饉や疫病でも蔓延しない限り、人はそこそこ増えて、そこそこ死ぬ。別に一人や二人いなくなったところでいちいち悲しむ必要なんてないのに。
レヴィは泣きはらした瞳でわたくしを見つめる。それから甘えるように胸に飛び込み、弱弱しい力でドレスを掴んだ。
「わたしには……イル様しか……いないんです…」
「どうして? 貴女ほど可愛い女の子なら、他にも男なんていくらでも作れるじゃない」
「……」
「それにあいつ、どう考えても態度も悪いし平民出身に決まってるわ。自分の身が可愛くなって、旅が面倒になったものだから、貴方をおいて逃げ出した可能性だって……わあああああっ!? 大丈夫! きっと戻ってくるわっ!! 一緒に信じて待ちましょうっ!?」
今にも泣き出しそうなうるんだ瞳で見つめられるともうそれ以上何も言えなくなってしまった。けれどイルムガルドは戻らない。何せ地下牢に入っているのだ。わたくしが開放しない限りあの男はあそこから一歩も出てくることはないし、誰かに見つけられて救助される可能性もない。
つまり、今泣きじゃくっている女の子を救えるのはわたくしだけ。皮肉にも彼女を泣かせているのも、その涙を止める事が出来るのも、わたくしだけだったのだ――。
さて、ここで少し昔話をしようと思う――。
リーベリアという町は、山岳地帯にある小さな町で、しかし各方面を山を経由して繋ぐ町として交易に栄えた。代々ハートウェイト家の人間が町を管理し、政を執り行い、人々の上に立ってきた。
それはちょっとした由緒正しい家柄……いや、ちょっとしたなんてものではない。かなり。由緒正しい家柄だ。故にお父様もお母様も町のことに夢中でわたくしにはお構いなしだった。昔は寂しくてよく泣いていたものだけれど、気づけばお父様はわたくしに様々な送り物をして機嫌をとるようになり、わたくしもそれを要求し続けその贈り物はどんどんエスカレートしていったように思う。
そうなってくると最早気が弱く、ハートウェイト家に嫁入りしたお母様が口を挟める余地は無く。だからわたしは贈り物を求め続けた。もっと綺麗なものを。もっと素敵なものを。もっともっと、楽しいものを――。
寂しさも悲しさも必要ない。時には街の人間にわたくしのための歌を歌わせたり、旅の芸者を一ヶ月屋敷に寝泊りさせて毎日毎日違った芸をさせたりもした。けれどどこか物足りない。何をさせてもなんだか気分が晴れない。だから気づけば、青空のような自由な蒼を好むようになっていた。
その理由は他にもある。それはずっと忘れていたけれど、わたくしがまだレヴィよりも幼かった頃の話だ。一度だけお父様が自分の手でわたくしに贈り物をしてくれた事があった。最近は執事越しに、というのが当たり前になり、顔さえみていないようなお父様だけれど、昔、たった一度だけだけれど、プレゼントを手渡ししてくれた事があったのだ。
その時お父様がわたくしの髪につけてくださったのが、蒼い蝶の髪飾り――今もそれはわたくしの髪に留まったまま、蒼い光を反射している。蒼はお父様がわたくしに送ってくれた美しさの象徴だった。そうしてもっと愛を、もっとプレゼントを……そう願っている内に気づけば蒼だらけになってしまったのかもしれない。
そう――。幸せなんてものは、いざ手に入れてしまうと物足りなくなり……。もっともっと、今よりもっと幸せを。今日より明日に幸せを。明日より明後日に幸せを……そうやってエスカレートしていく欲望のせいで、わたくしの世界は蒼一色になってしまっていたのかもしれない。
だからそうなのだ。レヴィアンクロウを手に入れたと思った瞬間、何か全てが物足りなくなってしまったではないか。蒼い壁紙もカーペットも椅子もテーブルもなんだか空しく見える。いや、元からそこに価値などあったのだろうか。
どれも所詮は思い一つだ。だからその想いを越えるものに出会ってしまった時、感動は色あせてしまう――そう、この壁紙やカーペットや椅子やテーブルのように。
膝の上に乗せたまま、俯いている少女を背後から抱きしめる。この少女は美しい。美しく、可憐で、純粋で――まるで子供が持つ美しさを凝縮した、空が落とした涙のような奇跡。だからこそわたくしは彼女に惹かれた。蒼ければ良いというものではない。自分で選び、自分で決めたのだ。
けれど、わたくしは彼女の幸せを奪ってしまった。大切な人を奪ってしまった。代わりなんているはずがないのだ。だから、そうなんじゃないのか。代わりなんかいないから、ずっと求めていたのではないのか。
わたしがお父様にプレゼントをねだり続けるのは何故? 蒼でなくては許さないなんて、わがままを言い続けていたのは何故? 判らなくなる。自分のしてきた事の意味が……。少女は純粋すぎて、わたくしが思いも寄らないような一面を映し出してしまう。
泣き疲れて眠るレヴィをベッドの上に寝かせて部屋を出ると、廊下ではセバスチャンが待っていた。
「セバスチャン……。どうかしたの?」
「お嬢様! ご無礼を承知で申し上げさせて頂きます……!」
深々と頭を下げるセバスチャン。けれどわたくしはそれを制して顔を上げるように促した。金色の髪を掻きあげ、首を横に振る。毎日毎日わたくしにお説教ばかりするものだから、もう言われなくても判るようになってしまったわ。
「やりすぎだって言いたいのでしょう、セバスチャン」
「は……。あのような幼い少女が悲しんでいるのを見るのは、セバスチャンには辛いのです……。まるで幼き日のお嬢様を見ているようで…」
「……え? わ、わたくし?」
「左様でございます」
それは、予想しなかった言葉だった。白髪だらけの髭を生やした執事は頷き、遠き日々を思い出すように懐かしそうに目を細めて笑った。
「お嬢様には昔から手を焼かされました。しかし、本当は寂しくて……故にセバスチャンめを困らせていたのでしょう。普段はどんなに笑っていても、どんなに強がっていても、お嬢様は寂しがりのどこにでもいる女の子でしたからな」
「セ、セバスチャン……! 余計な事を言うと許さないわよ!」
「ほっほっほ……。ただ…それでもお嬢様があの少女を手にしたいというのであれば、セバスチャンめも硬く口を閉じてお嬢様についていきましょう。私にとって大切なのは、お嬢様……あなたが笑ってくれていることなのですからね」
「……」
目を丸くする。それから小さく溜息を着いて、眉を潜めて微笑んだ。
「何よ……。まるでわたくしが、全部悪いみたいじゃないの―――」
セバスチャンの手から南京錠の鍵を受け取る。重くて冷たいその鍵は、自分自身を閉じ込めていた扉を開け放つ鍵だったのかもしれない――。
「本当に、ごめんなさい」
太陽の下、深々と頭を下げる。ずっと縄で縛られていた両手が痛いのか、神父はしきりにそこを擦りながら眠たげにあくびをしていた。というか、どうもこの神父地下牢に閉じ込められている間ずっと眠っていたようで……。一体どんな神経の持ち主なのか正気を疑うばかりだけれど、なんにせよ特に怒っても居ない様子だったのでこちらとしては救いなのだけれど。
棺桶を担ぎ、レヴィは困ったような表情で顔を上げる。その格好は蒼いドレスのままで、髪は蒼いリボンで結ばれている。太陽の光を透かし、蒼は美しく光沢していた。
「あの……アミュレットさん……」
「いいのよ、もう……。本当にごめんなさいね。謝って済むようなことではないけれど……」
屈んで小さなお嬢様の頬に触れる。レヴィは首を小さく横に振り、それからわたくしの手を取って微笑んだ。
「なんだか……お姉さんが出来たようで……楽しかったです」
「お姉ちゃんって呼んでくれても良かったのに。わたくしも、貴女みたいな妹がいたら良かったわ」
頭を優しく撫で、それから自分の髪に留まっていた蒼い蝶を羽ばたかせる。思いを乗せた蝶はわたくしの髪から少女の髪へと移り、静かに羽を休めた。
「お詫びにもならないけれど、旅のお供に連れて行ってもらえるかしら?」
「……はいっ」
「またいつか会う時、その髪飾りがあればわたくしはすぐに貴女を見つけられるわ。髪の色が違ってしまっても構わない。けれどねレヴィ、その髪は貴女にとって変えようの無いものだから。変わらない美しさだから。嫌いなんていわないで、もっと好きになってあげて」
少しだけ困ったような表情を浮かべるレヴィだったが、最終的には小さく頷いてくれた。その髪色にどんな曰くがあるのかは判らない。人と違いすぎる事が苦しみになることもあるのかもしれない。けれどそれは贔屓目に見なくたって美しい。
それはまるで異国の言葉で綴られた歌のように。わけのわからない構造の絵のように。当たり前のように心を打つ素敵な問答無用――。
「イルムガルド様。これは少ないですが路銀の足しにしてください」
「おっ、助かるぜ。掴まってよかったくらいだ……なぁ、レヴィ?」
「もう……マスター!」
いくらかの宝石を詰めた蒼い宝石箱。それを手に取り、レヴィは微笑んでいた。棺桶を牽き、少女は歩き出す。その背中が見えなくなるまで見送って、それからわたくしは空を見上げた。
「あ〜あ、行っちゃったかあ」
これでも、結構がんばったのだ。泣かないように、こらえたのだ。
本当に妹になってほしいって、思ってしまったのだ。呼び止めたくて、一緒にいてほしくて、でも我慢したのだ。
「うん……。よし……!」
気分を入れ替えよう。気づけば周囲は草原。木々が風に揺れ、緑が踊っている。ざわめき揺れる木漏れ日の下、深く息をついた。
「――悪くないじゃない、緑とかも」
そんな事を呟きながら振り返ると、セバスチャンが慌てた様子でこちらに向かって走ってきた。歳なんだから無理せず歩けばいいのに、必死で息を切らしながら駆け寄ってきたセバスチャンは無言で一枚の手紙を手渡した。
「け、今朝……ポストに入っていたものです……! 隣町の……ヨートリアで……ま、魔女が出たそうで……っ!」
「魔女? 魔女ってあの、魔女?」
「はい……! 地面を裂き、津波を起こし、竜巻で家を倒壊させたとかで……! 今、近隣の町に警戒が促されているようです!」
「そりゃ物騒ねぇ……。お父様に伝えて対策を練らないと……」
「い、いや……それがですね。その魔女というのがですね……」
歯切れ悪く語るセバスチャンの手から引ったくり、手紙を見る。魔女の特徴と人相――。幼い少女で、髪色は蒼。宝石のような朱と蒼の瞳が特徴で――。
「……そう。あの子……魔女だったのね」
「いやいや、お嬢様……魔女だったのねとか、そういうことではございませんぞ……!? ああっ!?」
思い切り手紙を細切れにちぎって風に飛ばす。白い紙の断片は風に乗って蒼い町に降り注ぐ。その景色を見送り、風に吹かれて目を細めた。
「お、お嬢様!?」
「だったら気にする事はないわ。彼女たちの旅が成功するように、ここでわたくしも応援します。異論は認めませんよ? それよりセバスチャン、用具室からペンキを持ってきて。しかもありったけの量を」
「は、はあ……。して、何色を?」
腰に手を当て、毅然として。白い歯を見せて、無邪気に笑って見せるのだ。
「うちにある全色、ありったけよ!」
絵の具と言う絵の具でわたくしの世界を塗り替えまくってやる。
わたくしにはセバスチャンがいる。一人なんかではない。お父様がいる。わがままに付き合ってくれる町のみんながいる。
今度は何かみんなに贈り物をしよう。けれどまずはその前に――この町が真っ青なだなんて、言われないように。
ドレスの裾をたくし上げ、縛る。 袖を捲くり、髪を結わう。セバスチャンが持ってきたペンキがたんまり詰まった缶に巨大な刷毛を突っ込んで屋敷の壁に向かって大きく振るう。
力いっぱい、蒼を赤で塗りつぶして――。
「次にレヴィが来る時には、『虹色の街』なんて呼ばれてる……そんな未来、どうかしら?」
困った顔でセバスチャンは笑う。頬についたペンキを拭い、汚れまくったままわたくしたちは一緒に屋敷の壁を塗りつぶした。
使用人の一人が悲鳴を上げる。直にお父様が駆けつけて、思いっきり怒られるだろう。それはそれで構わない。セバスチャンと一緒だから怖くない。それに、一度くらい、思い切り怒られるべきなのだろう、わたくしは。
太陽に手を翳し、全てを過去にする――――。結局幸せはすぐ傍にあって、わたくしはそれを塗りつぶしてしまっていた。
「こらーーーー!! 何をしているんだ、アミュレットォ!!」
「ごめんなさい、お父様〜〜っ!!」
カラフルに、子供っぽく、ふっとばしてやるのだ。
この、蒼い宝石箱を――。
~そし魔女劇場 教えてレヴィ子さん~
レヴィ「あのう、アミュレットさん?」
アミュレット「何かしら、レヴィ」
レヴィ「リーベリアは自治領なんですよね? 自治領ってなんですか?」
アミュレット「現在ユーテリア大陸を支配しているクィリアダリアに、自治を任され、宗教、政治等の面において自由を約束されている場所の事よ」
イルムガルド「通常、クィリアダリア支配下にある大陸ではヨト信仰が強制化され、領土もクィリアダリアの息のかかった者が治める事になるのは知っているな?」
レヴィ「は、はいっ」
アミュレット「でも、それじゃあ上手く行かない場所も少なくないのよ。特にリーベリアは昔からの中立地帯で、魔女戦争末期にクィリアダリアから戦争後の自治化を約束してもらって加担したという取り決めがあり、特例として自治を許されている場所なのよ」
クィリアダリア「リーベリアの領土内であれば、何が起きても全て責任はハートウェイト家にあるわけだが、逆に言えば領土内なら何をやってもいいわけだ」
アミュレット「ええ。そこの聖騎士さんよりよほど力があるのよ」
レヴィ「……アミュレットさんって、とってもすごい人だったんですね」
アミュレット「ふふふ、まあそれほどでもあるけどね」
レヴィ「あの、もう一ついいですか?」
アミュレット「なんでも聞きなさい!」
レヴィ「あの、なんでお肌は蒼くしないんですか?」
二人「「 え? 」」
レヴィ「だって、蒼が一番綺麗なら、お肌も青く塗るべきなんじゃ……」
アミュレット「…………」
イルムガルド「…………。邪魔したなアミュレット。俺たちは行くぞ」
レヴィ「え? え?」
イルムガルド「いいから来い……」
レヴィ「えっ!?」