#20 神の名の下に
雪山を下り、雪原を駆け抜ける。目指す聖騎士団の駐屯地はまだ何キロも先にあるが、私にとってその距離は目と鼻の先にあるのと同じ事だった。
一度の跳躍で風を踏み、回転しながら一息に距離を稼ぐ。何度かの跳躍で大きな岩山を超え、私は駐屯地の側面に着地した。夜の闇の中、駐屯地に無数に灯された炎の明かりがぼんやりと施設の全体像を照らし出す。その周囲を警戒する見張りの兵士を目端に捉え、私は鞘から剣を解き放った。
「ん……なんだ? にんげ……ぎゃっ!?」
雪の上を滑るようにして駆け寄り、すれ違い様に両断する。切り上げられた上半身が血しぶきを巻き上げながら空を舞い、その様子を横目に私は駐屯地へと駆け出した。
「な、なんだ……まさか……あれが噂の……!?」
「て、敵襲! 敵襲ーッ! 魔女だ! 滅びの魔女が来たぞ!!」
と、叫んでいる二人を聖剣で薙ぎ払う。ぞろぞろと集まってきた兵士たちを前に片手を振るうと、風が雪を巻き上げて視界の全てを包み込んだ。だが風は私に優しく囁きかける。敵がどこにいるのかを教えてくれる。
周囲の雪を熱で溶かし、舞い上がった水を氷の刃に変えて打ち出した。氷に突き殺された兵士たちがバタバタと転がる頭上を飛び越え、私は駐屯地の中央を目指す。
『ふむ……相変わらず見事な手並みじゃないか。流石は星の魔女と言った所か』
頭の中に響く声を無視して駆け抜ける。殺すべき相手とそうでない者は一目で見抜く事が出来る。いや……目ではない。匂いでわかるのだ。人か、そうでないかの違いは。
『でも、まだ覚醒していない相手を一方的に殺すなんてね。君は容赦ないな』
「……人の頭の中で勝手に喋らないで。今忙しいの」
『そう不機嫌になるな。これでも君の事を案じているんだよ。君は人を殺す時過剰なストレスを受ける。それを少しでも和らげてあげようと言う心遣いじゃないか』
……そう。別に、人殺しをしたいわけじゃない。ただ、殺してあげなきゃいけないだけ。
彼の遺した聖剣なら、“使徒”を殺す事が出来る。星の力で鍛え上げられたこの剣は、きっとこのためにこの世界に残されたのだ。
駐屯地の中央にまでたどり着くと、そこには仮面をつけた白装束の者達がいた。彼らは兵士たちに青白く輝く聖水を飲ませるとそそくさと逃げていく。聖水を飲まされた兵士たちはうめき声をあげ、白目を剥き、涎を垂らしながらその身体を変異させていく。
真っ白な肌。顔は皮膚を突き破って飛び出してきた骨の一部が仮面を作り、背中からは骨組だけの翼が広がる。脇と肩から腕を新たに増やし、異業と成り果てた――“使徒”が雄叫びを上げた。
『覚醒した使徒が五体か……ま、君なら造作もないだろうが』
「静かにして。気が散るから」
2メートルを超える新たな腕は使徒に二足歩行を要求しない。彼らは本来自分たちが行っていた本四脚での移動を再現する。甲高い寄生を上げながら近づく哀れな怪物を前に、私は聖剣を腰溜めに構え直した――。
……あれから、何年かの月日が流れた。
マスターが死んで、私たちの旅は終わりを告げた。わかっていた事だった。最初から何の救いもなくて、私は決して人間にはなれない。諦めていた事だ。笑ってしまう程に。
それでも私は彼を救いたかった。せめて彼を……マスターを、その傷を癒してあげたかった。けれど私には何もできなかった。最愛の人を……失ってしまった。
だから私の人生はそこで終わりだ。レヴィアンクロウという名の魔女はそこで世界からはじき出された。今生きているのは……そう。彼女の思い描いた夢の残骸に過ぎない。
クィリアダリアは、ついに大陸の完全支配を成し遂げようとしていた。最早この大陸に、大聖堂に逆らえる人間など存在しない。彼らはこの大陸に暮らす全ての人たちを一つにまとめたのだ。
最も、それは纏める等という平和的な言葉では言い表せないような、残虐な方法だったが。
数年前、あの終わりの後の事だ。クィリアダリアは全ての中立都市に対し、武力行使による支配を実行した。彼らがその際戦場に投入したのは、使徒と呼ばれる新たな聖騎士だった。
聖騎士という実験を経て洗礼されたそれらは、より深く神の支配を受けていた。完全に人間ではなくなってしまうというリスクを有するものの、聖騎士ほどの高い敷居を持たず、事実上、すべての兵を聖騎士と同等の戦闘力を持つ怪物へ変貌させる手段を大聖堂は確立したのだ。
術を施した神の肉片の一部を兵士の体内に取り込ませ、特殊な聖水を飲ませる事で覚醒させる。そうでなくても取り込まれた肉片は宿主の自我を食らい、肉と血を食らい増殖し、やがて内側で育ち切ると同時にバケモノとして表に姿を現す。その激痛と精神を飲み込まれる苦しみで、或いは物理的に、すべての兵士が間違いなく死に至る。
魔女の存在も、魔女の旅も、すべてはもう歴史の上に存在しない事になっていた。大聖堂が魔女を執拗に狩りたてたのも、この使徒による支配を完全なものにする為だったのかもしれない。
ザックブルムがそうであったように、クィリアダリアは常に魔女の力を継承する者達にその野望を阻まれてきた。だが魔女とより密接に結びついていたザックブルムを完全に取り込んだ時、クィリアダリアの神に対する知識はより深淵へと至ってしまったのだ。
そして今、クィリアダリアはこの大陸の外の世界へと支配の手を伸ばそうとしていた。聖都オルヴェンブルムの近くに巨大な湾岸要塞を作り、そこに使徒の元となる地方の難民を呼び寄せ、大型の船舶を建造している真っ最中であった――。
『ひょっとして君は、世界を救おうなんて考えているのか?』
焚火の炎をぼんやりと眺める頭の中に、またサマリエルの声が聞こえてくる。
魔女として成長し力が強まるにつれて、私はこの世界に存在するありとあらゆる神秘を使いこなせるようになっていく。サマリエルの記憶の魔法もその一つだった。
『これまで見てきた星の魔女は全て流れに身を任せて散っていった。だが君は興味深いな。何故そうまでして孤独に戦い続けるんだい?』
「……見てわからない? 今疲れているの……静かにしていて」
『疲れているからこそだ。君の心は今にも砕け散りそうなほどに疲弊している。人殺しを重ねる度、君は自分自身の理想から乖離していく自分を拒絶する。そこまで自分を嫌悪しながらも戦い続ける理由とは何だ?』
そうだ。私は人殺しの化け物だ。たった一人で、一人ぼっちで戦う怪物。
もう私の隣のあの人はいない。あのぶっきらぼうで優しい声を聴くことも、温かい手を握る事もない。それを思い返す度、深い深い絶望が胸の内側にじんわりと広がっていく。
この戦いを初めて三か月。私はもう何人殺したかわからない。自分達が使徒にされているのだと知らない兵の方がほとんどで、彼らは自分が何になってしまうのか理解する前に死んでしまう。それはある意味幸福な事だけれど、死という結末に上等も下等もない。
私のしている事は大聖堂と同じだ。理不尽な死を突きつけ、自分勝手な理由でそれを繰り返しているだけ。こんなバカな女が人間になれるはずがない。それこそ、神様の笑い話だ。
『……そう自分を嘲るな。君は良くやっていると思うよ』
「良くやっている……ふ、ふふふ。面白い事言うのね、サマリエル。私の何がよくやってるって?」
マスターは人殺しの為に魔法を使う私をどう思うだろうか? 考えるまでもない。
私は今、自分のしてきたことを、自分たちが重ねてきた時間を否定する為に生きている。あのつらく厳しく、それでも涙をこらえて歩いた少女時代が、この私自身の手で粉々に打ち砕かれて行く。
「夢も、希望も……約束も……! 壊していく! 何もかも……何もかもっ!」
『レヴィ……やめろ』
「マスターはこんな私を愛してくれない……こんなんじゃ、天国に行っても……ううん。天国にはいけないね……マスターのいる天国に、悪魔の居場所なんてない……」
両手で顔を抑え、苦しみを堪える。なんて生き地獄。とっとと死んでいればこんな気持ちになる事もなかったのに。
だけどね、マスターも悪いんだよ? 私を置いて逝っちゃうから……。ねえ、叱ってよ。そんな力使うなって、いつもみたいに眉間に皺を寄せて……叱ってよ。俺が守るからって……俺が一緒にいるからって……また夢みたいに甘い言葉で私を慰めてよ。
「マスター……マスター……ッ」
呼べば呼ぶほど恋しくなる彼の存在を、私はもう取り戻す事が出来ない。
だから呼べば呼ぶほど苦しくなる。諦めと同時に絶望が全身を支配する。
生きているだけでこんなにも苦しい。ただ生きている事を望んだ私が。今はもう、その願いと真逆の事を祈り続けている。
『……今日はもう休んだ方がいい。それが君の為だ。何も考えず、ただ眠るんだ。少しの間だけでも……自分を責めずに済むように』
「…………もう眠るわ。明日にはオルヴェンブルムに向かうつもりだから」
『やはり、“元を絶つ”つもりか』
「もうこの世界に神様なんていらない。魔女も必要ない。聖騎士も、使徒も……もう、そんなものに縛られて命が失われるのは見たくないの」
『そして最後に生き残った神の力を持つ君は……どのような結末を望むのかね?』
応えず毛布に包まり、炎を消した。
こんな雪の中なのに、寒くもない。私の身体はどうかしている。
だけど化け物だから一人でも戦える。一人でもすべてを敵に出来る。
まどろみの中、穏やかさを求めて瞼の裏の闇を見つめ続ける。少しでも昔の思い出を、色あせないままにそこに見つめていたかったから。
#20 神の名の下に
『リーベリア……確か中立都市の一つだったか。使徒の力による武力支配を真っ先に受けた都市のひとつだったな。オルヴェンブルムに近かったのは、運が悪かった』
ここも、かつて旅の途中で立ち寄った場所だ。町の全てが青色に染まっていたあの頃と景観は随分と違う。いや、色だけではない。ほとんどの男衆を兵士として駆り出され、残されたのは女子供……いや、女子供も使われるのだ。人気がない。単純に人の気配がないのが、この異様にさびれた町の理由だろうか。
気が向き、少しだけ寄り道をしたのがまずかった。この町を支配していた領主の屋敷、そこに以前一度だけ世話になった事がある。閉ざされた門の前に立ち、想い出に浸りながら屋敷を眺めていると、横から声がかかった。
「……レヴィ? まさか貴女……レヴィなの?」
「アミュレット……さん」
そこに立っていたのは質素な格好をした元領主の娘であった。一見して明らかにやつれているのがわかった。この町を襲った悲劇を思えば当然の事だが、あの元気いっぱいで活力に満ち溢れていたひとが、こんなにもボロボロになっているのを見るのは堪えた。
「生きて……いたのね……。よかった……本当に、よかった……」
「アミュレットさんも、よくご無事で」
「大きく……成長したのね。あれからもう……五年も経つものね。そう……無事だったの。よかった……本当に……」
何度もそう繰り返しながら涙ぐむアミュレットさんに歩み寄ると、彼女は以前のように私を抱きしめた。その華奢な体を抱きしめ返し、私は思わず目を逸らした。
大人になったアミュレットさん。あの頃はあんなに綺麗で自信に満ち溢れていたのに。今はこんなに弱弱しい。時の流れと共に世界は壊れていく。こんなにも簡単に……。
人目を避け、私は領主の屋敷に呼ばれた。豪華な調度品などは全て取り払われ、屋敷はもぬけの殻と呼んで差支えなかった。二人で暖炉の前に腰掛け、差し出されたカップを手に取る。
「執事さんは……?」
「……死んだわ。一年前の使徒との戦いで。お父様もお母様も、最後まで抵抗したから……見せしめにね。でも私の命と引き換えに降伏して……今はこの有様」
誰もいない、ただ大きな空白だらけになってしまった屋敷の中。アミュレットさんは何の力も持たず、ただ生きていた。何のために生きているのかわからないまま。
「だけど、レヴィに会えるなんて……生きていて良かった。貴女はもう、とっくに殺されてしまったと思っていたから……。それで、あの聖騎士様は……?」
「……死にました」
「…………そう」
それ以上会話は続かなかった。代わりに彼女は私の頭をすっぽり覆い隠していたローブを払い、露わになった髪に手を伸ばした。とても懐かしそうに、愛おしそうに……壊れ物に触れるような優しい指先で、私を確かめる。
「その髪飾り……まだしていてくれたのね」
「……欠けてしまいましたけど」
「ずっと一人で……旅を?」
「三か月前までは、ずっと引きこもっていました。そのまま死ぬつもりでした。けれど、大聖堂が外の世界に侵略を進めると聞いて……」
「貴女、噂になってるわよ。滅びの魔女……この世界を終わらせる為に現れたって」
「似たようなものです。私に出来るのは、壊す事だけですから」
「全てを極めた魔女は死者さえもよみがえらせると聞いたけれど」
「それは……しないって決めたんです。どんなに人を殺しても、どんなに大切な物を奪われても……それをひっくり返す事だけは、しないって。そう、決めたんです。だから私、マスターを生き返らせませんでした。見殺しにしました。その気になれば生き返らせられたんです。だけど見殺しにしました。彼が段々冷たくなって動かなくなって、死んでいく……終わっていくのを私、ただ見てました。それで、それから魔法を使って、人を殺して……」
「レヴィ……貴女……」
「…………ごめんなさい。こんな話するつもりじゃ……ごめんなさい……ごめんなさ……」
強く抱きしめられると同時に手からカップが落ちた。熱いお茶がアミュレットさんにかかってしまう。ドレスが汚れてしまう。やけどをしてしまう。だから慌てるのに、アミュレットさんはもっと強く私を抱きしめて、まったく離れようとしなかった。
「もういいの……もう、いいんだからね……! もう……誰も貴女を責めたりしないから……!」
「アミュレット……さん……」
「貴女が優しい子だってみんな知ってる! 私が知っているわ! だから、そんなに……もう、やめて。少しでいいから、自分にやさしくして。このままじゃ貴女、壊れてしまう……!」
「大丈夫です。私、慣れましたから」
微笑みを返すと同時、彼女は私の顔に平手をかました。まさか殴られると思っていなかったのでポカンとしてしまったけれど、見ればアミュレットさんはボロボロと涙を流していた。
「――笑わないで! 何を考えてるのッ!?」
「あ……? え……?」
「泣きなさい! いいから泣きなさい!」
もう一回殴られて、わけがわからず唖然としてしまう。まだ笑っている私を何度も殴り、嗚咽を上げながら殴り続けるアミュレットさんを見ていたら……痛みと苦しみと、何故だかわからないけれど胸が切なくなって、笑顔を作れなくなる。
「泣きなさい! 泣きなさい……泣きなさい! 泣きなさい、泣きなさい、泣きなさい!」
「アミュレットさ……」
「いいから泣いて! 泣いて、泣いて……ここにはもう、貴女を苦しめる人も、貴女を責める人も、貴女を傷つける人もいないの! だから泣きなさい……泣いて、レヴィ!!」
「……あ」
気づけば笑ったまま泣いていた。自分の頬に触れて、本当に久しぶりに涙を見た。
なんでこんなにばかすか殴られているのかわからない。なんでこんなにアミュレットさんが号泣しているのかわからない。全然わからないけれど、泣けてきて。涙が止められなくて、全身から力が抜けて、寒くもないのに震えが止まらなくなって……。
「う……ああ……っ! あああああぁぁぁぁ……っ!」
何故かうめき声を上げて泣いていた。どうして? 何が悲しいの?
「ああうぅ……ぅううううっ! うああああああああああっ!!」
やめろ。泣くな。悲しむ資格なんかない。苦しむ資格なんかない。
私は加害者だ。私は加害者だ。私は加害者だ。私は加害者だ。
私は加害者だ。人殺しの化け物だ。人間じゃないのに、人間のフリして泣くなんて。
「どう、して……ああ……どうして……どうして……どうし……てぇ……っ」
こんなにも心が安らぐなんて。誰かに抱きしめられる事がこんなにも嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて……嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて……。
「いやだぁ……! ひとりぼっちは、いや……いやだよぉお……っ! うあああっ!」
感情を制御できない。あんなに凍り付いていたはずなのに。爪を立ててアミュレットさんに温もりを求めた。魔女の力で皮膚を引き裂かれ、血が滲んでも彼女は優しく私を抱きしめてくれた。嬉しくて嬉しくて、本当にうれしくて……。何時間も何時間も、日が暮れても私はずっと、彼女に抱かれたまま泣き叫び続けた――。
「私たちの旅に……意味なんてあったのかな?」
『それはわからない。君が決める事だ』
「彼のいない世界に……生きている価値はあるのかな?」
『わからないな。それも君が決める事だ』
「こんな憎しみと悲しみに満ち溢れた世界を……続ける事で、誰が幸せになるのかな?」
『わからないよ。でも、君はきっと答えを知っているはずだ』
色々な人と出会った。色々な物語が、人生があった。
いい出会いばかりじゃなかった。悲しい事もあった。傷つけあう事もあった。
やっと出来た友達。同じ試練を課された人たち。マスターの友達。私の仲間。
大切な人たち。私を友達と言ってくれたイーサ。私をかわいがってくれたアミュレットさん。
優しくしてくれたマドレーヌ様。育ててくれたおじいさん。
出会って、死んでいった魔女達。歎きと苦しみを世界に吼えた者達。
全部全部、大切な思い出だから。それが間違いだったなんて、どうしても思いたくないから。
だから私は、終わってしまった旅を……。
もうとっくに、終わってしまった物語を……。
それでも終わらせる為に、帰ってきた。全てが始まった、あの町へ――。
オルヴェンブルムは今や死都そのもの。神に支配された、哀れな終焉の街だ。
私は正面堂々そこへ向かっていく。もう誰も傷つけさせない為に。この物語を終わらせる為に。
『オルヴェンブルム大聖堂の地下、そこに入り口がある。ヨトの聖骸……それを破壊すれば、少なくともこれ以上の使徒の増殖を防ぐ事が出来るはずだ』
「メイガスもそこにいるのね」
『やるなら早い方がいい。使徒どもが群がれば君でも手こずるだろう。寄り道はせず真っ直ぐに、地下の聖域へ向かえ!』
言われるまでもない。余計な人殺しをするのは御免だ。
素早く市街地を駆け抜け、大聖堂へ向かう。当然警備はあるが、片っ端から魔法で吹き飛ばし強行突破する。相手が使徒でないなら殺す意味はない。その辺りで寝ていてもらうだけだ。
重苦しい扉を蹴破り大聖堂へ。中で待ち構えていた兵士たちを風で薙ぎ払い、滑り込むように地下への階段へ飛び込む。風の魔法を使った移動術に真っ当な人間がついてこられるはずもなく、そのまま地下二階へ。
聖遺物が並んだ通路を突き抜け、カーテンを切り裂くとそこには覚醒体になった使徒が待ち構えていた。不意打ちを剣ではじき、空中で回転し聖剣を叩き込む。着地と同時に周囲に力を解き放ち、取り囲んでいた使徒を吹き飛ばした。
『斥力の魔法か……と、そこに隠し扉がある。突っ切れ!』
隠された地下空間へと飛び込んだ。階段を一気に駆け下り、聖骸のある最奥の聖域を目指す。
奇襲と呼べるようなものではなかったが、進攻速度のお蔭で迎撃の準備はまだ整っていない。整いきる前に覚醒前の兵士を薙ぎ払い、その返り血を浴びながら先を急いだ。
「貴様、レヴィアンクロウ……なぜここに……ぐあッ!?」
仮面をつけたスーツ姿の男を切り殺す。こいつは使徒ではないが体に神の血が流れているのだからメイガスだろう。メイガスは殺す。一人も生かしてはいけない。
扉を突っ切り、更に奥へ。奥へ、奥へ、奥へ……。そしてたどり着いた聖骸の前には複数人のメイガスと、覚醒済みの使徒達が待っていた。
「レヴィアンクロウだと!? 騎士団は何をしておる!?」
「狼狽えるな! 丁度いい、新型の使徒の実験台になってもらうまでよ!」
仮面の男たちが指示を下すと同時、使徒達が襲い掛かる。新型と言われた使徒は頭の上に光の輪を作り、開いた口から閃光を放ってくる。私はそれを聖剣で薙ぎ払いながら敵の姿を見据えた。
「あれが……メイガス達の……」
『ここにいるのが全員ではないだろうがな。ん……あの女は……?』
「大司祭……トリエラ……!」
光を打ち払うと同時、使徒へ駆け出した。掌に作り出した炎を叩き付け、大爆発で一体を焼き尽くす。その炎が生む熱風に乗って空を舞い、次の使徒の頭に刃を振り下ろす。頭蓋を叩き割って更に刃を突き刺すと、側面から放たれた閃光を回避するために背後へ飛んだ。聖水の流れる水路、水の上に立ち、私は使徒を迂回してメイガスへと迫る。
「トリエラ様……下がってください!」
「――エダ!?」
繰り出した刃はトリエラへは届かなかった。トリエラを庇った仮面の女を切り裂き血を流させる。透かさず左右に居た男のメイガスを剣で殺し、背後に近づいていた使徒を雷で焼き払った。
「破滅の魔女、レヴィアンクロウ……これが最も神に近づいた魔女の力……」
「メイガス……お前たちは一人残らず殺す。例えマスターの……妹であっても」
「知っていたのね。私達の事を」
「……知っていて、マスターを殺すように指示したのね?」
切っ先を突きつけられても女は動じなかった。仮面を外して素顔を晒す。その頬は笑顔で引きつっていた。
「ええ、そうよ。私が彼を殺した張本人……そして、今やメイガスを牛耳る支配者」
「どうして……どうして……こんな……」
「どうして? 理由は簡単だわ。不幸を……もっと災いを世界に! 私が、終わってしまった私の人生が、更に終わりを招いていく……“終わらせた事”を世界に後悔させるまでね!」
この人の目は狂気に満ちているのに、だけどわかる。この人は正気だ。正気のままでこんな事を繰り返している。こんな、おかしくなってしまった方が楽な世界を――。
「貴女にならわかるでしょう、レヴィアンクロウ? 終わってしまったのに続いてしまう苦しみが……。自分以外の全てが平然と続いている怒りが……」
「わからない……わかりたくもない。生者を羨んで足を引くなら……それは亡者と同じだわ」
「だから亡者なのよ、私は。全く、唯一残された玩具まで壊してくれたわね。で? これからどうするつもり? 神を壊して、自分が新たな神に成り代わるとでも?」
「この世界に神はいらない。これでもうすべておしまい。後はもう、人の手に……。ただ当たり前に生きて死んでいく人の手に……全てを委ねる」
「無責任ね」
「それでも――私は、人間が大好きだから」
構えた彼の剣で彼の妹を切り捨てる。刃で引き裂かれた女は笑みを浮かべたままよろけ、数歩後退し、それからばたりと倒れ込んだ。その傷口から鮮血が零れ、白い聖域を染め上げていく。
「それでも……世界は狂っているわ。全てが……そう、さだめられているのだから……」
メイガスと言えども致命傷を負えば死ぬ。血を流しながら青ざめた笑みを浮かべるトリエラを横目に私は泉の中へと足を踏み入れた。
磔にされた、この世界を変えた神の身体。そこに突き刺された聖剣と同じ材質の杭を引き抜いていく。一つ一つ、彼女を解き放つように。引き抜く旅に白く輝く水が私にかかる。それと同時に、封じられていた神がゆっくりと生気を取り戻すのがわかった。
『レヴィ……どうするつもりだ? まさかヨトを解き放つつもりか?』
私は答えない。眼帯を外すと、ぎょろりとヨトの目が私を見つめた。片方が蒼で、片方が紅の瞳。私と同じ、いびつな光。
『ヨトはまだ生きている。ただ封じられているだけだ。それが解き放たれれば何が起こるかわからんぞ!?』
舌を貫いていた杭を引き抜く。ヨトは無表情に私を見ていた。わかる。なんとなくわかるんだ。私はきっと彼女に一番近い魔女だから……言葉は通じなくても、感じられる。
『やめろ、レヴィ!! 世界が台無しになるぞッ!?』
ヨトは……生気を取り戻したヨトは泣いていた。涙を流し、ゆっくりと……本当にゆっくりと笑みを作った。私はその少女の身体を抱きしめる。抱きしめて抱きしめて……決して償う事は出来ないけれど。彼女を縛り付け、苦痛を与え続けた人間たちの代わりに。こうして抱きしめて……ただ、謝る事しか出来ない。
「ごめんなさい……」
私にはわかる。ヨトは邪悪な存在なんかじゃない。確かに種は違う。違うけれど……決して悪意の固まりなんかじゃない。彼女は悔いていたんだ。自分のせいで変わってしまった世界を。もう終わってしまった世界の中で、それでもまだ生き続け、間違いを生み出し続ける自分を。
「言葉なんかじゃ、伝えられないけれど……」
そっと身体を離し。刃を握りしめて。
「これで――やっと。ずっと……おやすみなさい」
ヨトの胸に聖剣を突き刺す。
おそらくこれだけが。これこそが、唯一この神を殺せる武器。神を縛り続けたこの楔と同じように。遥か古の時代から残されたこの剣だけが、神の心臓を貫く事が出来る。
ゆっくりと、ゆっくりと。脈打つように流れていた神の血が止まっていく。ヨトが死んでいく。その感触を味わいながら俯く私の頬に触れ、ヨトは微笑んだ。
「ア……リ……ガ……ト……」
力が抜け、腕が落ちる。ヨトの瞳から光が消え、僅かに首を擡げたまま。笑みを浮かべたまま、この世界を変貌させた神は息絶えた。私が殺した。彼女に最も近づいた、最も忌むべき悪魔であるこの私が――。
「ごめんなさい……。それから……ありがとう……」
背後が騒がしくなる。騎士達と生き残ったメイガス、使徒達が迫ってくるのがわかる。ここは逃げ道のない一本道。振り返ればそこには私を殺す為だけに集まった人々の姿がある。
『レヴィ……』
「いいの、これで。最初から自分だけ生き残ろうなんて……。これだけ殺しておいて、自分だけ許されようだなんて……そんな自分勝手な事、ないって思ってた」
神を殺した剣なら、私さえも殺せるだろう。だからそれを逆手に構え、両手でしっかり握りしめて構えて。自らの胸に、切っ先を食い込ませる。
「これで、やっと……もう、誰も傷つけないで……すむ……ね……?」
『――レヴィッ!!』
目を瞑ると、すべてが急に静かだった。
光の湖も、迫る敵も、自分勝手な自分も、死んでしまった神様も、なにも見えない。
静寂が私の心を落ち着かせる。こんなにも自由になれる。やっと。やっと。ようやく、死ぬ事が出来る。終わる事が出来る。それで――これで。やっと……待ちかねた。
「マスター……いま……そばに……」
「――お前の本当の名前は……なんていうんだ?」
血まみれで、死にかけなのに、彼はそんな事を言った。
「教えてくれ……きみの……名前を……」
だから私は答えたんだ。私を育ててくれたおじいさんがつけてくれた、私の本当の名前を。
「私の名前は――ヨト、です」
「……神と同じ名前……か。ご大層……だな」
「自分でも、そう思います」
「いい……名前だな……」
おじいさんは、救いを求めていた。救済を願って私にその名を与えた。
それがこんなにも重くのしかかるなんて考えもしなかったけれど。全ては運命だったのかもしれない。
「……俺の……名前……」
血まみれの、傷だらけのあの人の手を握りしめて、風に掻き消えてしまいそうなか細い声に耳を傾けて。
「俺の……名前……は……」
私はその終わりの言葉を胸に刻んで、ずっと走り続けたから。
ねえマスター、こんなに私はがんばったよ。マスターがいない世界で、約束を破って、化け物になって、それでもこんなにがんばったよ。
だから……ねえ、マスター?
私を叱ってください。そして抱きしめてください。せめて夢が叶わないというのなら……この静寂の中で。もう止まってしまった、時間の中で……。
「……あいして……います……」
刃が胸に食い込む感触に、ただ安らかに、永遠の時の中で……安らぎの中で……。
ただ静かに――耳を、傾けた……。