#2 魔女は棺を牽いて行く
おれの父さんは言っていた――。世の中には想像もつかないような、とんでもない不思議で溢れているんだって。
たまにしか家に帰ってこない冒険家の父さんは、家に戻ると一晩中おれに冒険の話を聞かせてくれた。
おれたちの暮らしている大陸がユーテリアと呼ばれている事。親父が旅した村の外の事……。
鬱蒼とした森を抜け、険しい山を越えた先にはとんでもなく広い都があって、そこには村の何十倍もの人が暮らしているってこと。
不思議な機械の話や、不思議な生き物の話。そのどれもがおれにとっては不思議で、わくわくして、最高のお土産だった。
特におれが好きだったのは――――魔女の話だ。
この世の中には、魔法が使える人間がいるらしい。そういうのは皆魔女とか魔人と呼ばれていて、そいつらは人間を生で食べてしまうんだとか。
他にも火を吹いて町を焼いたり、討伐しようとした人間の兵士をばったばったと皆殺しにして笑っているとか、とんでもない話だった。
その話をするときの父さんはいつもどこか寂しげで、魔女をさんざおっかなく言うと、おれの肩を叩いて眠るように促すのだ。
そうして父さんの背中におやすみを告げて、翌朝目覚めると父さんはもういない。それがおれの父さんのあたりまえだった。
毎年おれの誕生日には必ず帰って来てくれた父さんが帰らなくなって二年が過ぎた。
おれはまだ、父さんの言う魔女の話を信じている…………。
#2 魔女は棺を引いて行く
「小僧……じゃなくてくそガキ……でもなくて、少年……少年、ああ、この辺りが妥当か。おい少年、親御さんは居ないのか?」
生憎その日は雨が振っていて、外で遊べないのでおれは家の中で父さんが残した旅の記録に目を通していた。
父さんが戻ってくるたびに増えていったその羊皮紙の束はおれにとってはこの上ない宝物で、見ているだけで胸がわくわくする代物だった。だから雨が降ったりして外で遊べない時や、近所の悪がきと喧嘩したりしたときはきまってこの記録を眺める。そうしていればなんだかおれもいつかはそんな冒険の世界に旅立てるんじゃないか。そんな風に思えてくるから。
けれど、そんな胸躍らせる雨の日に我が家の扉を叩いたのは、ずぶ濡れになった神父だった。鋭い目つき……左目には黒い眼帯をはめていて、余計に人相が悪く見える。銀色の髪からぽたぽたと水滴を零しながら、やたらと図体のでかい神父はおれを見下ろしていた。
「何あんた……? 怪しすぎるにも程があるんだけど……」
「ああ……。まあ、あれだ。俺は優しくて心が広いからな。クソガキに生意気を言われても喚いたりはしない。だからさっさと家に入れろクソガキ、ぶっ飛ばすぞ」
言っている事がめちゃくちゃだこいつ……。なんだか良く分からないけれど、家に入れたら大変なことになる気がする。とにかくこの半分開いている扉を閉めなくては。
しかし扉を閉めようとした途端、神父は腰に携えていた剣を抜き、おれの首筋に当てて悪人面で笑う。ぎらりと刃が光を弾き、思わず背筋がぞくりとする。
「さっさと入れろ」
神父どころか強盗だった――。仕方なく家に上げる。濡れた黒いロングコートを脱いで神父は剣を収めた。
「おい、お前もいつまでもそんな雨の中に立ってないでご厚意に甘えろ」
何がご厚意だ、明らかに強制だったくせに……。そんな事を考えながら扉の向こうを見て、おれは思わず息を呑んだ。
小柄な影が一つ、雨に打たれていた。ローブのフードを脱いで顔を上げるその子の蒼色の髪は濡れていて、見入ってしまう程きれいだった。
……なんて、勿論絶対に口には出せない。おれは慌てて頭を振り、変な考えを振り払う。家に上がってきたのは強盗神父と、かわいい女の子だった。
村で一番かわいい女の子よりも断然かわいいその子は黒いドレスの上にローブを羽織り、何故か巨大な棺桶を背負っていた。その棺桶は大人が入る程の大きさではなかったけれど、きっと女の子くらいならすっぽり入ってしまうのだろうと思うと、まるでそれは女の子が自分のために牽いて歩いている棺桶のように思えた。
蒼色の髪を強盗神父が布で拭き、朱と蒼、両目でそれぞれ違う輝きを放つ瞳を閉じて女の子はじっとしていた。水滴が零れる上着を壁にかけて二人は勝手に部屋の椅子に腰掛ける。殆ど丸太小屋当然のこの家に来客……しかも怪しい神父と女の子という組み合わせだ。その様子が余りにもへんてこすぎて、おれは言葉を失った。
神父はテーブルの上にあったクッキーを無断でつまみながら女の子の髪に触れ、それから少女が背負っていた棺桶を床に下ろす。よくみれば女の子の両手は手錠でつながれていて、自分ひとりでは棺桶を下ろすだけでも大変そうだった。
しかしなんでそんなことになっているのかよくわからない。まるで囚人……いや、そんな生易しいものじゃない。テーブル越しに二人と向かい合いながら、おれはじっと神父を見つめた。
「どうした小僧……もしや俺に惚れたのか?」
「そんなわけがあるかっ!? なんなんだよおまえ! 勝手に家に入ってくるし!!」
「何だ、礼が欲しいのか? なら、これを……くれてやる」
神父が荷物の中から取り出したのは難しい言葉が書かれた白い紙だった。その紙切れが一体どんな意味を持つのか、おれにはさっぱりわからない。というか、こんなのでお礼になると思っているこいつがどうかしてる。
「なんだよこれ。こんなの見たことないぞ」
「ありゃ、どうやらガキには価値がわからないらしいな」
「そんな事を言ってだますつもりなんだろ! そうはいかないぞ!」
テーブルを叩いて神父を睨み付ける。背の高い神父は濡れた前髪の間から余裕の笑みを浮かべていて、それがまた気に入らない。明らかにガキだからって見下している顔だ。だまそうったってそうはいかないぞ。そうやって大人たちは汚い手段で人をだますってことをおれは知ってるんだ。
「さっさと出て行けよ! お前らみたいなのは、雨に打たれて死んでしまえばいいんだ!」
「ほう。では一つ訊くが、小僧……このいたいけな少女まで風邪を引いてのたれ死んでもいいと言うのか?」
「うっ!?」
そう言われると言い返せない。何しろ女の子はさっきから困ったような顔でおれを見つめているのだ。
なんだか照れくさくて文句も小さな声になってしまう。ぶつぶつとはっきりしないトーンで出て行けだの胡散臭いだの口にしていると、少女が立ち上がって神父の手を引いた。
「この人、困っています……。マスター……」
きれいな声だった。けれど、とても申し訳なさそうな声……。だから何故か自分が悪い事をしているような気分になり、いても立ってもいられなくなる。
「あぁもう、仕方がないなあ〜……。いたいけな少女を雨の中に放り出すクソ生意気な畜生小僧のせいで俺たちはのたれ死にか〜……あ〜あ〜」
これ見よがしに叫んで男は小屋を出て行こうとする。さもおれが悪者で、二人を追い出したみたいな言い方で……。
「……くそう! もう勝手にしろよ!」
「じゃあ勝手にしよ〜っと」
男は早々と元の位置に戻ってけたけた笑っている。女の子は申し訳なさそうに微笑んでいた。
冷静に考えてみれば、この温かい春先。雨に打たれたくらいで死ぬはずなんか無い。その事実に気づいたおれは頭を抱えた。
夜の雨は確かに冷たい。でも死ぬほどじゃない。結局完全に体よく居座られただけじゃないか……。
しばらくそうして頭を抱えていると、じいちゃんが家に帰ってきた。そして、椅子に座って偉そうにふんぞり返っている神父を見て、震える声で言ったのだ。
「しゅ、修道騎士様……!? 何故このような辺境に……!?」
「おっ? じいさんの方は少しは話が通じるみたいだな」
「……修道騎士?」
かねてからこのユーテリア大陸は小国と様々な土地の領主との間で争いの耐えない場所だった――。
そんな長い争いの歴史に終止符を打った勝利者である、聖クィリアダリア王国。その国教であるヨト信仰を司る教会の騎士――それが修道騎士らしい。
ちなみに、現在ユーテリア大陸のどの国もこのクィリアダリアの支配下にあるため、大陸の人間全員がヨト信仰に入信しなければならない状況にある。そうでなくてもじいちゃんはヨト信仰の信者なので、そのじいちゃんが言うには胡散臭い神父は『様』をつけて呼ばねばならないようなえらい人だったらしい。
とまあ、そんなことはおれにとってはどうでもいいのだ……。結局えらい神父だろうがなんだろうが、こんな横暴ばかりを通す嫌なやつが良い人なわけがない。
どうせこういう一部の権力者が幸せに生きるためにおれたちみたいな下っ端の生活が苦しくなる仕組みになっているんだ。そうでなければじいちゃんが毎日毎日畑仕事をしてがんばってるのにぜんぜん生活が楽にならないなんておかしいじゃないか。。
それに、ヨト信仰だかなんだか知らないけれど、そんな神様がいるのならどうしておれの両親が居なくなるのを止めてくれなかったのか。全てを見通す万物の神様だっていうのなら、いなくなってしまったのはそいつのせいじゃないか。
じいちゃんが長々と語るその話を最後まで聞かずにおれは部屋を飛び出した。どうせ部屋は三つしかないので、飛び出した先は隣の部屋だったわけだけれど。
そこは一応おれの部屋で、壁にはとうさんが持ち帰ってきた書物が棚にきちんと整理整頓されている。おれが一番落ち着く、おれのためだけの部屋だ。
「ちぇ……。なんだよじいちゃん……」
修道騎士だかなんだか知らないけど、あいつ絶対性格悪いのに。家に入れるどころか、今晩は泊めて食事まで用意するなんて。そんなことしている余裕なんかうちにはないはずなのに。
ベッドの上に腰掛けて読みかけの物語を覗く。とうさんが家に帰ってこなくなった理由はなんなのだろう。旅先でとんでもない大発見をして、今はそこで幸せに暮らしているのだろうか。
そうして幸せになりすぎて、おれの誕生日の事も忘れてしまったのだろうか。だからかあさんは何も答えてくれなくて、かあさんまで居なくなってしまったのだろうか。
そんな事を考え始めると胸の奥がもやもやしてきて、何故だか涙が溢れそうになる。それを拭って心を強く持つ。そうしていなくちゃきっととうさんは帰ってきてくれないから。
冒険者のとうさんの口癖は、心を強く持て――というものだった。それは今でもおれの中で大事な言葉で、多分これからも変わらない。けれども、どうしてもくじけてしまいそうな時はどうすればいいのだろう。とうさんは、どうしていたのだろう……。
訊いてみたい。冒険の真相を。魔女は本当にいるんだって言って欲しい。悲しくなった時、それを乗り越える方法を……。とうさんならきっと知っていると信じているから。
そんな事を考えていると、急に扉が開いた。その音に慌てて書物を背中に隠すと、入り口には女の子が立っていた。灯りもつけない部屋の中を見渡し、おれに向かってゆっくりと歩いてくる。
「なっ……! なんだよ?」
「……ごめんなさい。急に、押しかけてしまったから」
「あぁ……? いや、別にいいけどさぁ」
全然なにが別にいいのかはわからなかったけれど、とりあえずそう言うしかなかった。
「……何か、わたし達の事が気に入らない理由があるのですか?」
「気に入らないっていうか……明らかに胡散臭いし」
そう真正面から真っ直ぐに見られると返答に困ってしまう。確かにとうさんは、困った人は出来る限り助けるように……何てことも言っていたけれど。
じゃらりと音を立てた女の子の両手をつないでいる鎖。視線を向けると、少女は恥ずかしそうにローブの中に両手を隠した。
「なあ? おまえ、なんで両手鎖でつながれてんの?」
「……わるいことを、したからです」
「え? わ、悪い事って?」
「……」
女の子は答えない。何か拙い事を訊いてしまったのだろうか。答えづらそうに視線を逸らしていた。
そのよどんでしまった空気を吹き飛ばしたくて明るい話題を探すのだけれど、結局女の子を喜ばせてあげられそうな話は一つも思いつかなかった。気まずい雰囲気が流れたままで、おれは少しだけ考えこんだ。
「あ、そうだ。 おれ、イーサっていうんだけど……おまえは?」
結局そんな事しか言えなくて、なんだか情けない気分になる。でも女の子は目を丸くして、それからおれの名前を繰り返してくれた。
「イーサ?」
「そう、イーサ」
「わたしは……レヴィアンクロウ」
「れび……? な、なんだって?」
「……長いので、レヴィでいいです」
「あ、そう……レヴィ、ね。 あっちの神父は?」
「イルムガルド様です」
「イルムガルド……? なんか揃ってややこしい名前してるんだな」
「……そうですね」
小さく笑う女の子。なんだか気まずくなるくらいその子は可愛くて、胸がドキドキしてしまった。
何歳くらいなのだろうか? おれと同じか少し上くらいだろうか? 何故神父と旅なんかしているのだろうとか、なんでこの町に来たのだろうとか、なんでおれの家を選んだのだろうとか、様々な疑問が頭の中に浮かぶのだけれど、いまいち声をかける事が出来ない。
そう、なんというか……。声をかけてはいけないような、そんな不思議な雰囲気をその子が持っていたからなんだと思う。あの神父はどうだか知らないけれど、この子はきっと悪い子なんかじゃない。おれはその時なんとなくそんなことを思ったのだった。
さて、実際のところ女の子……レヴィは良い子だった。うちの仕事を何から何まで手伝い、文句一つ言わずに働く。
そんなことはしなくてもいいんだとおれもじいちゃんも言ったのだけれど、まるで聞きやしなかった。レヴィはひたむきに黙々と働き、息を切らして汗を拭っていた。
レヴィが部屋の掃除をしているのを眺めながら、一方神父はあろうことかあくびをして眠そうに本を読んでいた。何やってんだと訊いたところ――、
「俺は偉い神父でレヴィは俺の従者だからな。ま、働くのはそいつの仕事だ。せいぜいこきつかってやれ」
――と、当たり前のようにほざいた。まったく、ああいう大人がいるから世の中がよくならないのだと思う。
町外れにあるじいちゃんの畑にじいちゃんとおれ以外の姿があるのは新鮮で、不思議で、でも少しだけ楽しかった。農作業の経験でもあるのか、レヴィは黙々と、しかし確かな段取りで収穫を手伝う。作業中くらい着替えればいいのに、真っ黒のドレスのまま。それがまたちょっとおかしくて、おれは笑ってしまう。笑っているおれを見ると、レヴィは恥ずかしそうに俯いた。
休憩時間、差し込む太陽の光から逃れるように木陰に据わったレヴィにおれは質問してみることにした。どうしても気になっている事が、いくつかあったから。
「なあレヴィ? なんでおまえ、棺なんか背負って歩いてるんだ?」
「……そういう旅なのです」
「変わってるなあ。あとさ、仕事中くらいその鎖外したらどうなんだ?」
「いえ、そういう決まりなんです……」
つくづく変わっている。変わりすぎている。
一見しただけではどこかの貴族のお嬢様のようにしか見えないのに、やっていることはなんだか妙だ。
質問しなければろくに口を聞く事も無い物静かな女の子は、しかし黙っていても農作業を手伝う活発な一面も持ち合わせていた。故に彼女の性格をうまく掴みきれず、対処に困る事もあった。けれど結局日が暮れるまで過ごすと、自然と彼女たちはもう一泊していくことになった。
むしろレヴィが手伝ってくれるお陰で仕事は捗ったし、部屋はきれいになった。神父は結局ひがな一日寝て過ごしていたようだが、この分ならずっといてくれたって助かるくらいで。
夕飯の後片付けも手伝うレヴィ。彼女はふと訪れたおれの部屋で、机の上に放り出されていた羊皮紙を手にとってそれを眺めていた。
「あっ!? お、おい……! 勝手に見るなよ!」
「あ……! ご、ごめんなさい」
「いや、別に怒ってないけどさ……」
申し訳なさそうに羊皮紙をおれに手渡すレヴィ。しかしその顔色はどこか浮かなかった。
「もしかして、読んだ……?」
「……少しだけ」
やっぱり……。町のみんなと同じく、彼女も思ったのだろう。
手にした羊皮紙にはとうさんの冒険で一番おれが好きな魔女の話が記されていた。
魔女を冒険者であるとうさんがやっつけたというエピソードだ。そこには口から火を吹き人間を喰らう魔女の姿が鮮明に描かれていた。
けれどこれを見た誰もがとうさんを馬鹿にした。おれの事をうそつきだと言った。確かに不思議だしありえないようなことだけれど、でも世界には不思議な事が沢山あふれているんだ。とうさんの冒険をうそだのなんだの馬鹿にされるのは、正直許せなかった。
だからこそじいちゃんと一緒にこの外れの畑に暮らしているのはそれほど悪い生活ではない。町の子供たちはおれをみるとうそつきと馬鹿にするから。
レヴィも同じようにおれの事をうそつきだと言うのだろうか……? そう考えると無性に悲しくなり、何も言葉に出来なくなった。
「……魔女、いると思いますか?」
「えっ? あっ、いや……その」
いると思うに決まってる。けど、そういってしまったら決定的に彼女と何かが食い違ってしまうのではないか…そんな恐怖が脳裏を過ぎる。しかし少女はおれの手を取って、確かな口調で語った。
「魔女は、います」
「えっ?」
「魔女は、います。口から、火を吹いたりはしませんが……」
「あ、会った事あるのか!?」
思わずレヴィの手を握り返してしまった。少女は驚きながらも、上目遣いに小さく頷いた。
「イーサは……魔女、嫌いですか?」
「とんでもない! いるなら是非会ってみたいよっ!! なあなあ、その魔女とどこで会ったんだ!? 教えてくれよ!!」
「え……っと……? あの……聖都オルヴェンブルムのはずれにある……森で」
「オルヴェンブルムの森かあ〜〜〜〜っ!! すげえ〜〜〜〜っ! 随分と遠くから来たんだな、おまえら!」
「は、はい」
「それで!?」
「は……はいっ?」
「魔女ってどんなやつだったんだ!? 火を吹かないなら何を吹くんだ!? 片手で鎧を纏った騎士をひねり潰すんだろ!? 人間に呪いをかけて苦しめたり、頭から人間を丸呑みしたり、矢で射抜かれても死ななかったりするんだろっ!?」
「え、ええ? そ、そんなことは……ないと思います……たぶん」
「え……? そうなのか……?」
「あっ!? い、いえ! で、でも……地震を起こしたりは出来ます」
「おおおおっ!? それで都を滅ぼしたりするんだなっ!?」
「わたし、そんな怖いことはしません……」
「そりゃレヴィはしないだろうけどさ…? なあ、もっと聞かせてくれよ! 魔女の話っ!!」
目を丸くして驚き、けれど小さく頷いたレヴィは最高にかわいかった。
それからずっとレヴィは魔女の話を聞かせてくれた。その話は確実にあった事があるんだって思えるくらい現実味を帯びていて、まるで本物の魔女に話を聞いているようだった。
時間を忘れて語り合い、下らないことで笑いあい、気づけば真夜中になっていて。その感じがまるでとうさんが帰ってきてくれた夜みたいで、なんだか懐かしくなってしまって。小さく溜息を着いて窓の向こうを眺めていると、レヴィは眠たげな目を擦りながら言った。
「イーサの両親は……?」
「あぁ……。とうさんはさっき話したけど冒険家で、家に帰ってこないんだ。かあさんはとうさんが帰ってこないもんで自殺した」
「えっ?」
「ん? ああ、もう結構前だよ? でも本当何やってんだろうな、とうさんは。母さんの葬式にも帰ってこないんだもんな」
苦笑して誤魔化す。本当はこんな事誰にも話したくないはずなのに、不思議と話してしまうのだ。それはきっとこの女の子がとても優しくて、おれの話を何でも素直に聞いてくれるからなのだと思う。
「おれさ、町の子供たちにうそつき呼ばわりされてるんだ。魔女なんているわけないとか、非現実的だとかでさ」
「……」
「でも、おまえは信じてくれた。レヴィだけだよ、おれの話を笑わないで聞いてくれたの」
ありがとうと言って手を差し出すと、レヴィは握手に応えてくれた。そうして彼女は真剣な眼差しでおれに告げたのだ……。
「あの……」
翌日――。畑仕事をさぼっておれは町に下りてきていた。
辿り付いたのは町の子供たちが集まる噴水の広場。そこにはやっぱり子供たちが集まっていて、おれの姿を見るなり遊びを中断して集まってきた。
「おいみんな、嘘つきイーサが来たぞー!」
「何しにきたんだよ、嘘つきイーサ!」
「言ってろ! 今日はな……おれが嘘つきじゃなかったって証明をしにきたんだよ!」
おれの背後にはローブを纏ったレヴィがついてきていた。そう、レヴィは昨日の晩、ここにつれてくるようにとおれに言ったのだ。
作戦はこうだ。レヴィが町の子供たちにあの臨場感たっぷりの話をする。これでみんな魔女の話を信じてくれるはずだ。そう思っていたのに、レヴィの姿を見ても町の連中は首をかしげて笑うだけだった。
「なんだそいつ? 全然見たことない顔だぞ」
「こいつはレヴィだ。旅をしてる子で、魔女に会った事だってあるんだぞ」
「そんなわけないだろ……! 魔女なんかいるわけないんだ! お前また嘘をつくためにそんなやつ連れてきたのかよ!」
「お前は畑仕事でもしてろっての、嘘つきイーサ!」
子供達は口々にそんなことを良いながらおれにむかって小石を投げつけてくる。
せめてレヴィだけはそんな目にあわせちゃいけないと思って前に出ると、あろうことかレヴィは自ら小石の雨の中に身を乗り出した。
大粒の石がレヴィの額にぶつかり、血が滲む。流石にやりすぎたと思ったのか、一瞬だけ子供たちの手が怯んだ。
「――イーサは、嘘つきなんかではありません」
鋭い目つきで、朱と蒼の瞳で、子供たちを睨んでレヴィは手を空に翳す。
「その証拠を、今お見せします」
レヴィが天に翳した手を振り下ろした瞬間、大地が揺れた――!
敷き詰められたレンガがぐらぐらと揺れ始め、子供たちだけならず周囲を通りかかる大人たちも慌て始める。
地震……。滅多に起こるはずのない事態の到来に町中が浮き足立っているというのに、ただ一人その少女だけ落ち着いた様子で蒼い髪をなびかせている。
なびかせている――? その髪は風もないのに不思議と煽られ、強く靡いていた。まるでその女の子を中心に風が巻き起こっているかのような、不思議な情景。それに気がついた子供たちが腰を抜かしたようにその場から逃れられないまま、震えた視線でレヴィを見ていた。
「わ、わたしは悪い魔女です……! とっても悪いです……! 鎧の騎士を片手でひねり潰したり、火とか吹きます……!」
「な、なんだってっ!?」
風は強くなり続け、レヴィの近くにいたおれは吹き飛ばされてしまった。町の子供たちを庇うように前に出ると、レヴィに叫んだ。
「う、嘘だろ!? レヴィが魔女なわけがない! だ、だって魔女ってのはもっとおっかなくて……!」
「では、その証拠をお見せする……のだぞう……!」
なんだか中途半端に怖い口調になったレヴィは噴水を指差す。すると噴水から流れていた水が宙を舞い、子供たちの頭上から降り注いだ。
「ひゃあああああっ!?」
それだけでもう大パニックだった。ずぶ濡れになった子供たちは右往左往……。おれは口をぽかんとあけたままレヴィを見ていた。
間違いない。こんなことが出来るのは魔女だけだ。どうすればいいのだろう。レヴィをここにつれてきてしまったのはおれだ。このままじゃおれのせいで大変な事になってしまうのではないか――そんな予感がした。
慌てて拾い上げたのは剣ではなくて木の枝だった。でもきっととうさんだったらこうしたはずだ。どんなにむかつくやつらでも、人々を守る。とうさんがそうしたように、おれもそれを嘘にしてしまわないように。
「やめろレヴィ! これ以上やるようなら、大変なことになるぞ!」
「はっはっは〜……わたしは悪い魔女なので……子供たちを食べちゃうぞお〜」
「うわああん! おかーーさーーんっ!!」
「誰か助けて〜〜っ!! パパ〜〜っ!!」
泣き喚く子供たち。大人たちも集まってきてはいるのだけれど、風のせいでレヴィには一歩も近づけない。それに仮に近づけたとしても、魔女という異端の存在に近づこうという勇気を持つ人間はこの場に一人も居なかった。
けれどおれにはやっぱり理解出来ない。レヴィがそんなことをするような女の子には見えない。とうさんが言っていた、火を吹いて、人を丸呑みして、矢で貫かれても死なない……そんな存在にはどうしても見えなかった。
「かかってこないのなら〜……。こっちからいっちゃうぞお〜……」
指先をこちらに向けるレヴィ。気づけばおれは風の中駆け出し、レヴィの頭を棒で叩いていた。けれど……“しまった”――そう思った。レヴィの顔をみていたら、強く叩けるはずなんかなかったのだ。
こんなかわいらしくて、やさしくて、働き者で、おれの話を笑わずに聞いてくれたこの子が、悪い子なんかであるはずがないって、判りきっているから……。当然、棒は情けなく頭の上に乗っただけだった。なのに――。
「うわあ〜、やられた〜……。さすがは冒険者の息子、イーサの剣だ〜……! このままではやられてしまう……。もう二度とこの街には来ないようにするのだ〜……」
「え――?」
拍子抜けする。あんなに強く吹き荒れていた風は止んで、レヴィはおれの目の前で寂しげに微笑んで見せた。
それから振り返り、駆けて行く。だれもその背中を追いかけるやつはいなかったし、最後の笑顔をみたやつもいなかった。
「……す、すごいぞイーサ!! お前、嘘つきどころかすごいやつだったんだな!!」
「え? え?」
大人たちも子供たちもおれを取り囲んで持て囃した。遠く消えていくレヴィの背中……。おれは、何にもしてなんかいないのに。
昨日まで…いや、つい先ほどまでおれを嘘つき呼ばわりしていた連中は口々におれを勇敢だの英雄だのと褒め称えた。けれど、嬉しくない。確かにこれで明日からおれはみんなと仲良くできる。けれど、最後に彼女が言っていた言葉が胸に突き刺さって抜けなかった。
“もう二度とこの街には来ないようにする”――。
そんなこと、おれは言って欲しくなんかなかったのに…………。
「じいちゃんっ!!! レヴィはっ!?」
人の山にもみくちゃにされながら必死でそれを抜け出し、全力で走りぬけて家に戻る。
扉を強く開いて中を見渡すけれど、あの怠け神父の姿も、レヴィの働いている姿も……まるで全て幻だったかのようにそこには存在していなかった。
「おぉ、イーサか。旅の修道騎士様なら先ほどご出立なされたぞ。連れの女の子も一緒じゃった」
「ええっ!? ど、どっちに行ったのか知らない!?」
「ん〜、確か次はリーベリアを目指すとか仰っていたような……。それよりイーサ、畑仕事をさぼりおって……」
「ごめん、それはまた後にして!」
「これ! イーサっ!」
じいちゃんの怒鳴り声を無視して家を飛び出す。太陽が沈みかけている夕暮れの空。赤く染まった空の下を駆け抜けた。
まだ会って三日目じゃないか。もっとゆっくりしていけばいいじゃないか。せっかく仲良く……友達になれたのに。
何で居なくなっちゃうんだよ。もっと話したい事沢山あるのに。もっともっと、案内してやりたい場所も沢山あるのに。
坂道を駆け上る。紅い日差しに照らされて伸びる大小の影。その背中におれは思わず叫んでいた。
「待ってくれ〜〜〜〜っ!!」
立ち止まる。息が切れる。苦しくて胸を押さえた。
クソ神父に背中を押されてレヴィはゆっくりと歩いてくる。レヴィのところに駆け寄って、その手を強く掴んだ。
「もう、行っちゃうのかよ……!?」
「……はい。イーサにはお世話になりました」
「もっとお世話になってもいいんだぞ!? っていうか、むしろこっちが楽なくらいだしっ」
息切れしながら必死で語るのに、レヴィは嬉しそうに首を横に振る。そう、嬉しそうだった。とてもその表情は満ち足りていて、だからかけるべき言葉を見失ってしまう。
強く彼女の手を握るおれの指先に触れて、ゆっくりと、その指を解きながらレヴィは言った。
「まだ、旅の途中なので……。またいつか、会いに来ます」
「本当か……? 本当にか!? おれのこと、忘れたりしないよな……!?」
「はい」
「あと、ええと……。お前、本当に魔女――なのか?」
彼女は何も答えない。言葉で答えない代わりに、指先から風を起こした。夕日の景色の中を草原の草達が舞い飛んで、紅い光を乱反射しながら空へ吸い込まれていく。
そんな景色に一瞬目を奪われていると、手を掴んでいたはずの少女は坂道の上……遠い場所で棺を背負って背を向けていた。
「きっとだぞ! また、またいつでも来いよっ!! くそ神父も一緒でいいから、また……っ!!」
レヴィは遠くで小さく頭を下げてゆっくりと手を振った。段々とその背中が見えなくなって、おれは力なくその場に座り込んだ。
夕日が段々と沈んで空が暗闇に飲み込まれる頃……。立ち上がり、おれは自分の家に戻ることにした。
たった三日間だけ――。そんな短い間。まるで夢のようで。だからきっと、とうさんもそうだったのだと思う。
けれどもたしかにおれは嘘つきなんかじゃない。おれは、魔女に会ったんだ――。
その日、おれはレヴィの夢を見た。
きっと本当の魔女っていうのはあんな可愛くて優しい女の子で、人間なんか食べたりしないごく普通の女の子で。
だから、そんな話をしたら今度こそ嘘つき呼ばわりされてしまいそうだけれど。けれどおれはそれでも構わない。
確かに彼女はここにいた。確かに魔法を見せてくれた。それは人を殺したりしてしまうような危険なものではなくて。とても優しい、温かいものだったけれど。
「イーーサーーっ! あーそびーましょーっ!!」
眠気の拭い去れないベッドの中。差し込む朝日と一緒に元気な声が聴こえてくる。
起き上がって窓を開くと、家の前には町の子供たちが手を振っていた。もう嘘つきなんかじゃない。だから、胸を張って遊びにいける。畑仕事はあんまり手伝えなくなるけど、じいちゃんも許してくれるよな。
「お〜〜っ!」
手を振り返す。
今頃あの子はどこにいるのだろう。
まだあの子は棺を引いているのだろうか。
まるで夢のように、蒼い髪を靡かせて。
魔女は、棺を牽いて行く――。
~そし魔女劇場 教えてレヴィ子さん~
イーサ「なあレヴィ?」
レヴィ「なんですか?」
イーサ「こんな街中で魔法使ったら……大聖堂が黙ってないんじゃないか?」
レヴィ「…………」
イルムガルド「全くしょうがねえな。何もわかっていないクソガキの為に俺様が説明してやろう」
レヴィ「イル様!」
イルムガルド「この街では魔女は信じられていない……というのが主な理由だな」
イーサ「まあ、だからおれはうそつき呼ばわりされてたんだしなぁ」
イルムガルド「魔女は教会公認の存在だが、魔女の旅を知っている人間は基本的に居ない。魔女の存在は信じている地域と信じていない地域に分かれていて、特に金に縁がない地区の人間は教会とも縁が薄く、魔女なんているわけねえと思っている」
イーサ「なんでそこで金が関係するんだよ……」
イルムガルド「そりゃ大人の事情ってヤツだ。だからその後豊かなリーベリアにはちゃんと危険を知らせる情報が入ってるだろ? まあ、田舎農民が化け物が出たって話をしたところで教会はいちいち取り合わないんだよ」
イーサ「……い、いちいちムカツク」
レヴィ「つまり、田舎だから魔女が出ても大丈夫って事ですね!」
イーサ「…………レヴィまで……ちくしょうっ!!」
イルムガルド「とはいえちょっとやりすぎだな。教会に通じている人間がいたらヤバかった所だ。基本的に魔法を使うのは控えろよ」
レヴィ「は、はい……。ごめんなさい」