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#18 真実

 オルヴェンブルム大聖堂には地下が二階まで存在する。

 そのどちらもが過去の貴重な文献や歴史的財産を保護する為の空間であり、一般公開はされていない為、司祭クラスの人間でも地下へ足を踏み入れる事は殆どない。


「ようこそ、トリエラ様」


 夜の闇にまぎれるように黒いローブで全身を覆って、私はエダと共にそこへたどり着いた。この日の為にどれだけの数の罪を犯したかわからない。それほどまでの事をしなければたどり着けない場所がそこにはあった。

 初老のスーツ姿の男性に案内され、地下二階へと向かう。そこはまるで美術館のような部屋で、部屋の四方にありとあらゆる文献と共にヨト教の聖遺物が並んでいた。その更に奥、立ち入りを拒むかのように下げられたカーテンの向こう、本来は存在しない筈のさらなる地下へ向かう階段が私たちの前に姿を現した。


「ここから先は選ばれたお方のみ立ち入りを許された聖域。失礼ですが、念のため紹介状を確認させていただきたいのですが」


 頭までかぶっていたローブを下ろし、紹介状を差し出す。何度も繰り返し夜を共にしてから財産をすべて搾り取って始末してやった油ギッシュなジジイから受けた紹介状だ。一流貴族の司祭の名が記されたそれをランプの明かりで念入りに確認し、男はそれを私に返した。


「結構です。それではお進みください。ただし、ここへ一度足を踏み入れたが最後、最早真っ当な人生を生きる事は叶わぬ夢となります。その覚悟はおありですかな?」


 真っ当な人生は生きられない、ね……。そんなもの、とっくに投げ捨ててるわよ。

 自分が何のために生きているのかなんて私にはもうわからない。ただもうとっくの昔に終わってしまった夢物語を、決して叶わなかったその幸福に背き続ける事で自我を保っているだけだ。

 この汚れた身体も心も、すべてを憎むこの魂も、すべてが邪悪で許されざる罪悪ならば。それをとことんまで突き詰めて、何もかもを支配して壊せるくらいにまで突き詰めて、絶望でこの世界を埋め尽くして……それくらいやらなきゃ、気が済まないってもんでしょう?

 私の横顔に男は笑みを浮かべた。そして開かれた闇へと続く階段をエダと共に下る。そこはなんとも不思議な空間だった。白い、とても真っ白い、つべつべした触感の階段と壁。見覚えのない、これまでに経験したことのないひんやりとした美しい石造りの通路。誰がどうやってこんな継ぎ目もないような階段を作ったのか疑問ではあったが、ここがそういう世界なのだという前知識はある。特に驚く事もなく階段を下り、しかしそこに広がる広大な空間にやはり驚きを隠せない。

 そこは白い、とても白い世界だった。真夜中の地下深くであるはずなのに、張り巡らされた水路からは光り輝く水が流れ続け、それが白い世界を明るく染め上げていた。波打つ光の乱反射する世界を歩く。真っ直ぐに続く通路の先、仮面をつけた男が私を待っていた。


「ようこそトリエラ。君ならば遠からずここへやってくると思っていたよ」


 男の声に覚えはなかったが向こうはこちらをご存じのようだ。男は無言で懐から二枚の仮面を取り出し私に差し出した。これをつけろという事か。


「この扉をくぐった先で見た事は他言無用だ。勿論誰も信じないだろうし、漏れた事がわかったら君はすぐに粛清されるだろう。無論、この警告は念押しに過ぎない。君という人間を我々は十二分に観察した。君は必ずここを受け入れる事だろう」


 他人に分かったような事を言われることほど腹立たしい事もないが、ここは素直に仮面をつける事にした。扉を開くとまたどこかへ続く通路……。一体どれほどの時間と手間をかければこれほどまでに広大な空間を作り上げられるのかと考え呆れてしまう。


「ようこそ、“メイガス”へ」


 両手を広げて歓迎する男の背後で扉が開く。その先もやはり輝く水によって通路は照らされていた。仮面を被り、とうに殺した心を押し殺し、私はその光の中へと踏み込んでいく……。




#18 真実




「君はメイガスについてどれほどの知識を持っているのかね?」


「……夢枕に聞く程度の事ですわ」


 メイガス。それは秘密結社の名。

 このクィリアダリアが建国した当初から存在したと言うそれらは、今現在も継続し国を闇から牛耳るという。その存在をまことしやかに感じ始めたのはごく最近の事だが、この国には確かにそういうものが存在していた。

 メイガス。それは神秘の力を持つ。ヨト教という宗教を作り出した者達。“魔術”と呼ばれる奇跡を起こせる超人達。その一員に加われば、この国を支配する側の人間に、この世界を支配する側の人間に、真の意味でその席の一つを与えられるという事だ。


「色々と期待をしてここに来たのだろうが、メイガスにかつてほどの力はない。古の時代、メイガスは魔を操る術師の集合体であった。しかし今や神秘は途絶え、力を扱える者は一人もいなくなってしまったのだよ」


 ……まあ、そりゃそうだろうと思っていたけど。そんなバカげた力があるなら、魔女戦争だってもっと楽に勝てただろうし。そんなに便利なものがあるなら、世界に広まらない筈がないわけで。


「君はヨト教の始まりを知っているかね?」


「司祭ですから、当然ですが」


「それは表面上の話だろう? ヨト教の教義としてではなく、この世界の始まりの神話の事だ。ヨトが天より遣わされた神だという事は知っているね?」


 司祭でなくてもそんなことは知っている。その辺の子供を捕まえて聞いたって模範解答がもらえるだろう。

 ヨトは人を愛した神。神でありながら人という種だけど贔屓して、神々に追放された天の使い。彼女は地に落ちた後も人々を導き続け、魔を封じると同時にこの世界から姿を消したという。


「君は、“人”とはなんだと思う?」


 あまりにも抽象的すぎる質問に言葉に詰まる。男は笑いながら首を振り。


「いや。ヨトが愛した人という種は、はたして本当に我々のような生き物だったのかな」


「……仰る意味がよくわかりませんが……?」


「この世界に言語を操り、多種多様な文明を築き上げたのはたった一種類、人間だけだ。同じように横に広がっていた生物の種の中で、人間だけがずば抜けて進化を遂げた。何故だと思う?」


「……ヨト神に愛されたから、ではないのですか?」


「そうだ。ヨトは人を愛し人を進化させた。だからこそ、“進化させた後”である我々は、真の意味でヨトが愛した“人”とは違う物ではないか。そうは考えないかね?」


 二つ目の扉を抜けると、少々風景が様変わりした。通路は相変わらず奥へ続いているが、左右に流れる水路の向こうにある壁には何かの絵が描かれている。つまり壁画だ。相当に古いのか、絵なのか模様なのかすらもわからない。思わず足を止めて眺めていると、男は笑みを浮かべる。


「これが何を意味しているのかわかるかね?」


 目を凝らし絵を確認する。そこには黒い毛虫のようなものが沢山並んでいた。毛虫は脚が六本あり、目が三つあった。獣のような耳と尻尾があるのも見える。それで一応、どっちが前でどっちが後ろなのかくらいは判別できた。その黒い生き物の集まる先、空から翼を生やした人間らしきものが落ちてくる場面だ。


「これは、ヨトが堕天した場面を描いた壁画だよ」


「――は? では、あの黒いものは……?」


「人間だよ」


 驚きはなかった。驚きというか、まるで意味が分からなかった。理解の範疇を超えた言葉を聞いたとき、私はただ首を傾げて疑問を浮かべていた。

 あれが……人間? いや、人間というのなら空から落ちてきているあれこそがそうだろう。その周りを取り囲んでいる虫なのか獣なのかもわからない生き物が人間であるはずがない。いくら遥か昔の事だからといって、これはあまりにも今と姿形がかけ離れすぎている。


「天から堕ちたヨトはこの大地で人と出会った。そしてヨトは知性を持たなかった人を支配し、自らの王国を作ろうとした。強制的に人という存在を進化させながらね」


 意味はさっぱりだったが、何故か腹の底のあたりから気持ち悪さが昇ってくる。悍ましい外見の、まるで魔獣のようなあれらが人だなんて、私にはどうしても信じられなかったのだ。


「知っていたかね? この世界は、球体なのだよ」


 またわけのわからない事を言われた。球体って……そんなわけがあるか。

 世界が球体だったら転がっているはずだ。どう見たって世界は地続きで、横に広がっているものだろう。世界が球体だなんてそんな突拍子もない話これまで聞いたこともない。


「“星”という言葉を知っているかね?」


「ええ。空に浮かんでいるあれでしょう?」


「そうだ。我々が住むこの世界も、星のひとつなのだよ」


 思わず吹き出しそうになった。星は小さいものだ。この世界のように巨大なものではない。そんな事は子供だって知っているというのに。


「ヨトは、この星の外側から来た。ヨトは、ヨト達は銀色の翼を持ち、星から星へと渡る術を持っていた。そして多くの神々が見捨てたこの星に、ヨト一人だけが降り立つ事を決めたのだ」


 不気味だ。果てしなく不気味な話だった。非常識極まりない。だが何故だろうか、これがただの眉唾物の妄想話とも思えないのは。

 男は次の通路へと案内する。扉をくぐった三番目の通路、そこで私は思わず絶句する。

 壁画があった場所に、今度は様々な物が展示されていたのだ。だが一目見てわかった。それはニンゲンと呼ばれたものの骨だ。化石。化石がずらりと並んでいた。虫とも獣ともつかぬ魔獣のようなそれらは、壁際にびっしりと骨となって並んでいた。

 むき出しになった六本の足は全てが人間の手に似ている。そして鋭利な顎……頭蓋骨は三つの目が収まるように穴が三つあり、体から突き出るようにして無数の骨が乱立している。あれが肋骨のようなものなのだろうか? とにかく異常で、とにかく不気味だ。


「ヨトは進化させた。やはり自分と同じ姿の生き物がよかったのだろうね。ニンゲンを進化させ、今の人と同じ形にした。それがどれほどいびつで傲慢な奇跡だったのか、これを見ればわかるだろう? これこそがヨトの、神の作りし原罪なのだよ」


 吐き気を抑えるように口元に手をやりながら歩く。もう壁際を見るのは苦痛だった。水に照らされたその生き物たちの怨嗟の声が、幻聴となって耳に入ってくるような気がしたのだ。


「進化の過程で様々な事があった。その実験の結果生み出されたのが突然変異種である魔獣だ。魔獣は元々はニンゲンだったのだよ。だからこそ、進化した人間とも交配が可能だった。ヨトは魔獣を浄化したのではない。突然変異した魔獣は当然ヨトを憎んだだろう。ヨトはヒトに復讐されたのだよ。そして翼をもがれ、その力を奪われた」


 また扉をくぐり、四つ目の部屋にたどり着いた。そこが終点だった。広い、とても広い祭壇だ。まるで湖のように輝く水が湧き出るその中心にそれは磔にされていた。

 ツバサをもがれた天使。大きく開けた口から伸びた舌に杭を打たれ、左右の腕にも大量の杭を打たれ、目元を布で覆われた人間の少女。私達が知っているニンゲンの形をしている。下半身は切断され、その切断面からはこんこんと光り輝く液体が流れ続けている。美しく、しかし悍ましいその聖骸から流れ続ける“血”こそ、この地下空間に張り巡らされ、闇を照らし続けているあの青白い液体の正体だった。


「まさか……まさか、これが……」


「そう。これがヨトだ。死んでもいない。まだこの子は生きているのだよ」



 ――それは、人を進化させた神。天より舞い降りた、星を渡る者。

 一人ぼっちの神様は孤独を癒す為に罪を犯した。本来あるべきではなかった進化を世界に振りました。その結果怪物が生まれ、神様と同じ外見を持つヒトが生まれた。

 その神様に最も近づいた存在こそが魔法を扱える魔女であり。魔女達の力は最盛期から徐々に衰え、今存在しているヒトは最早神秘を持たなくなった。それでもまだその神の血を色濃く残しているのが現代の魔女であり、彼女らは全てが等しく神から分け与えられた力を遺伝する。

 魔獣と人間が交わって起こる“先祖返り”。それこそが魔女発生の原因だったのだ。


「我々は既に神の偉大な力を長い年月で失ってしまった。魔術も途絶えて久しい。そんな我々がどのようにして世界を裏から牛耳ってきたと思う?」


 青ざめる私の目の前で男は湖の前に立つ。腰を落とし、片手を水の中に入れた。救い上げられた水はきらきらと輝いていて、とても血のようには思えない。


「この血にはまだ神秘が残されている。これを体に取り入れる事で、我々は己の中の神聖を取り戻す事が出来るのだよ」


「それは……どういう……?」


「単刀直入に言おう。この血を飲んだ人間は、不老長寿となる」


 まるで魔法のような言葉だ。だがそれこそが、“時間”こそが世界を支配する力だった。

 血を飲んだ人間はメイガスの一員となる。メイガスとなった人間は神の血を定期的に摂取しなければ肉体を維持できなくなるが、血を飲み続ける限りはその身体は若さを保ち続ける事が出来るのだという。それこそが今際に残されたメイガスの力なのだ。


「この血を飲めば最後、最早この地から離れる事も叶わなくなるだろう。それこそが引き返せぬ道の真意。トリエラ、君にはこの神の滴を口にする権利がある」


「ではまさか……聖騎士とは……」


「聖騎士はこの神の血を浴びた人間だよ。“洗礼”を受け、そして神の肉を食らった者だ。そして心臓に直接神の血を輸血し、拒絶反応を乗り越えられたごく一握りの人間だけが、若さと共に超人的な力を得る事が出来る」


「何故メイガスは聖騎士にならないのですか?」


「リスクがあるからだ。聖騎士はその存在そのものがあやふやだ。心も躰も神に侵され続けている。その存在がいついかなる瞬間にとだえるのか、どのようにして果てるのかも想像が出来ない」


 ただ長寿を得るだけならば血を飲むだけで十分。聖騎士はそれ以上の事をして強引に、人為的に先祖帰りを起こされている。だからこそ、その生存確率は果てしなく低い。


「魔女を弾圧するのは……」


「これ以上の種の進化を抑える為だ。人間と魔女が交配する事で、新たな先祖返り……或いは突然変異が発生する可能性がある。新たな神が生まれてしまう事さえな。それに奇跡を扱える存在はメイガスだけであったほうがよい。そうでなければこの世界の歴史は守れないからね」


 身体が震えている。それが、そんなくだらない事がこの世界の真実だというのか。

 あれだけの悲惨な戦争も、そこへ連なる悲劇の連鎖も、種を巻き込んだ壮大な滅びの物語でさえも、ただメイガスの繁栄、人の進化の制御という事だけの為にすべて無為になるというのか。

 なんという理不尽。なんという不条理。これが世界の真実なら、世界は全てが悲しみで出来ている――。


「君の兄、聖騎士イルムガルドが魔女の旅を完結させようとしている。それはあってはならない事だ。魔女の旅は全てが予定調和の中に未完でなければならない。それにイルムガルドが連れている蒼の魔女は、人前に出せるようなものではないからね」


「特別な力を持っていると聞きました」


「あれは特別なんてものではないよ。先祖返りを最も色濃くしてしまった個体だ。一つの時代に一人は存在する。魔女はあれらを星の魔女と呼んでいたがね。神に限りなく近く生まれてしまった……即ち純血。あれは、この世界に存在する事を許されていない」


「神が二つ存在する事になるから、ですか」


「古の神からはこれだけの奇跡や神秘を引き出せるのだ。それと同じものがその辺をほっつき歩いていて、誰かにその正体を知られ利用でもされたら……困るだろう?」


 うつむく私に歩み寄り、男は肩を優しく叩く。その感触を私は嫌悪した。


「一晩、考える時間を上げよう。明日の夜またここに来なさい。尤も、君は我々の同胞となる道を選ぶだろうがね……」




 ――兄さんは、とても若々しい肉体のままだった。

 あの戦争の後に再会した時、彼は私と同い年くらいに見えた。今では私の方が年上になってしまったのではないかとさえ思える。

 この世界の真実は、思っていたよりもくだらなかった。もっともっとひどい、凄惨なものならよかった。けれどそれは私の予想を裏切り、人という種全体の問題から来るものだった。

 屋敷に戻り、自室のベッドの上に横にある。ひどい気分だった。しこたま酒を飲んで酔っ払った時みたいな感覚だ。体中が冷え切っているのに胸の奥が熱くて、何故か無性に泣けてくる。


「……トリエラ様」


 そんな私の様子を窺うようにエダが近づいてくる。思わずその手を取り、両手で握りしめていた。縋り付くような私に少し困惑し、それからエダはベッドの上に腰を下ろす。私の頭を膝の上に乗せ、エダは優しく髪を撫でてくれた。


「迷っておられるのですか?」


「……迷ってなんかいないわ。私はメイガスになる。それが私の悪夢の終わりなのだから」


「イルムガルド様は、大聖堂に始末される事でしょう。トリエラ様はそれでよろしいのですか」


「……いいわけないでしょ。でも……だけど……だってもう、兄さんは……」


 私の所には帰って来てくれない。兄さんは約束を破って、遠くへ行ってしまった。

 私も、兄さんも、結局誰も幸せになれなかった。思い描いていた夢はあっけなくぶっ壊れてしまった。世界の真実はまた私達を引き裂こうとする。それが当たり前の運命であるかのように。


「ううん……多分、それが……それこそが、正しかったのよ」


 兄さんはまだ魔女戦争を終わりに出来ていない。彼はまだ戦場をさまよい続けている。今の彼は大聖堂に体よくつかわれるだけの、英雄とは名ばかりの雑用係だ。

 だったらもう。残された時間が僅かしかないと言うのなら、もう。解放されるべきなのではないか。

 彼を、もう人間ではなくなってしまった彼を。兄と呼んでいた人によく似たあの人を解放出来るのは、それこそ今となっては自分しかいないのではないか。大聖堂という鎖から彼を解き放ち、自由に……本当の意味で、自由に……。聖騎士イルムガルドではない。彼が本来持っていた彼そのものになる為に。その縁を断ち切れるのは、今の自分だけなのではないか。


「私……兄さんの事、大好きだったわ」


「存じております」


「だからもう、自由にしてあげなきゃね。大聖堂から切り離される為に……私、彼を殺すわ」


 言葉にすると同時、ずしりと重たい物が胸にのしかかる。思わず泣き出しそうになる私の頬に手をやり、エダは静かに私の唇を奪った。湧き上がるのは安堵感、そして激しい嫌悪。こんな薄汚い人間に愛されて、ごまかされている自分がどうしようもなく気持ち悪かった。


「私がメイガスになったら、もっとひどい事が沢山あるわ」


「それでも、どこまでも……お供いたします」


「地獄よ。ずっとずっと地獄が続くのよ。それでもいいの?」


 ゆっくりと笑顔でうなずき返すエダ。全く、どこまでドMなんだか。この変態は……。

 私の孤独を癒せるのは兄さんだけだと思っていた。だけどそうではないのかもしれない。

 今なら自分と同じカタチをしたものを望んだヨトの気持ちが少しだけわかる。その孤独をいやす為に、自分と同じものがほしかったのだ。だから選んで、ゆがめてしまった。

 私は呪われている。私自身に、そして私が踏みつけにしてきたすべての人に。その呪いを全身に浴びながら、それでも笑っていよう。これは新たなステップの一つに過ぎない。神さえも食らい、魔術師たちの中に入り込み、それをすべて食い尽くす魔女の戦い。その狂気の始まりの一幕に過ぎないのだ。


「私と貴方は違う。だから……さようなら、兄さん」




 旅立ちの日、私は彼と最後の言葉を交わした。

「もう……こうして会う事もなくなるでしょうね」


 オルヴェンブルムを臨む草原。そこで私達は肩を並べて風に吹かれていた。遠くには棺桶を片手に、街を見つめているレヴィアンクロウの姿があった。


「……ねぇ。もし……もしも。可能性の話として。私と……あなたが。兄さんが……何事もなく……ただ当たり前に幸せな人生を生きられたとしたら……。こんな風に、何もかもが間違えてしまう事もなければ……。あなたは……私を愛してくれたかな?」


 聖騎士は風に髪を靡かせながら空を見ていた。そうしてぽつりとつぶやく。


「そんな可能性は、なかったんだよ」


 わかっていたことだ。当たり前の返答に思わず笑みが零れる。しかし彼はゆっくりと言葉をつづけた。


「そんな可能性はなかったけど。でももしも……何かの奇跡で……。絶対にありえない事だが、もしもまた、二人が元に戻れるのだとしたら……その時は……」


 ――絶対に、離れ離れにはならないと。

 決してその手を離す事はしないと。ただ抱きしめて、迷わずに共にあろうと。

 そう言って彼は少しだけ寂しげに笑って、昔と同じように私の頭を撫でた。

 それが私と彼の最後の言葉。

 もう決して交わる事がないと知った。決別の言葉だった――。

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