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#15 黒騎士(下)

 ――“最強”と呼ばれた魔女がいた。

 彼女はこの世界で誰よりも美しく、誰よりも気高かった。神にも等しいその力を人々に利用され、それでも尚憎しみに染まらず、穢れを知らないその生き様は多くの人々を魅了した。

 伝説の血を引く、“純血統”の魔女。正真正銘、魔女の中の魔女。その名はウェルシオン。

 ウェルシオンは“翼の魔女”とも呼ばれた。その背中には白と黒、対の翼を持つ。その髪は昼間は黒で、夜は白く染まった。そして魔法を使えば虹色の光に包まれた。

 ウェルシオンは最強の魔女だった。ザックブルムの希望だった。彼女は魔女戦争の末期まで戦い続けた。味方がどれだけ殺されようと、どれだけ絶望的な戦況であろうと、決してあきらめることなく戦い続けた。その生き様はまるで夜空に瞬く流星のようだ。僕はそんな彼女と共に戦場を駆け抜けた。その時間は恐ろしくもあり、しかし懐かしく今でも僕の胸の内で輝きを損なわずにいる。


「この戦争、ザックブルムの負けでしょうね」


 戦争末期、単独行動をとっていた僕達の前で彼女は呟くように言った。浅く雪の積もった森の中、僕らは焚火を囲んでいた。ウェルシオンは鎧を脱ぎ、しもやけた素足を炎に晒していた。

 彼女の言われるまでもなく、この戦争が敗北で終わる事を僕らは知っていた。ウェルシオンが単身あちこち駆けずり回ってようやく何とか持っている状態だ。だがこんな過酷な連戦を繰り返していればウェルシオンはいつか倒れてしまう。そうでなくても彼女を殺す為にクィリアダリアは聖騎士隊を出している。聖騎士の強さには秘密がある。そしてその神をも畏れぬ力は、いつかはウェルシオンにも届く事だろう。


「もしも私が倒れたら、貴方たちは何とか逃げ延びなさい。私と共に殉じようなどとは考えない事です」


「そう言われてもねぇ?」


「ああ。俺たちはウェルシオンの騎士だ。あんたが倒れた時、そこが俺たちの死に場所になる」


 護衛の騎士はたくさんいたけれど、どんどん殺されて入れ替わった。やがていよいよ代わりがこなくなって、今はもう二人だけだった。僕ともう一人の騎士だけ。戦闘力はかなり高い僕らだけど、それでも普通の人間だ。もう聖騎士隊相手に生き残るのは難しいだろう。


「魔女が滅びる……それは必然なのでしょう。我々は本来この世界にあってはならないもの。間違いから生じた異物なのです。彼らの魔女を憎む気持ちは、ある意味この星の自浄作用だと言えるでしょう。尤も、聖都の人間も自分たちが何と戦っているのか無自覚なのでしょうが」


 ウェルシオンは常々語っていた。魔女は滅びるべき存在である、と。最も魔女の真理に近く、最強にして純然たる力を持つ彼女が言うのだから、きっとそれは正しいのだろう。けれど僕には納得できなかった。魔女は確かに異物だが、聖騎士だって同じようなものなわけで。


「ウェルシオンは何の為に戦っていたんだい? 貴女の力があれば、無理に戦争をする必要もなかったはずだ。どこへなりともいつでも逃げおおせられた。なのにどうして?」


「それは私にもわからないのです。ただ、この戦争は間違いなく、魔女と人の関係性を決定的にする事でしょう。これは世界の、歴史の末路が決定されるターニングポイントなのです。ここで人が何を選び、どのような道を歩むのか……その行き先を確かめたかったのかもしれませんね」


 それに……と言葉を中断してから、彼女は僕らを眺めてニコリと微笑んだ。


「なんだかんだで、親しい人たちが死ぬのは悲しい事ですから。例え嫌われ憎まれたとしても、自分が生まれ育った国の事です。見殺しには出来ませんよ」


 そう、ウェルシオンに難しい理屈は必要ない。彼女はただ優しかったのだ。

 友達を、仲間を、見ず知らずの誰かを守る為に、誰かの友達を、仲間を、その大切な人たちを殺した。おそらくこの世界で最も人類を殺戮した生物は彼女だろう。大軍を一人で薙ぎ払い、男も女も子供も老人も分け隔てなくブチ殺していった。その鬼神の如き戦いを目にして優しさを感じられる人はいないだろう。けれど僕達は知っている。彼女はただ、どこまでもただ、純粋で平等だっただけなのだと。

 世界にあふれた幸福の量は常に一定で、誰かが幸せになる為には誰かが涙をのまねばならない。そんな当たり前の、有限であるが故に囚われた人の原罪を、彼女は誰よりもただ真っ直ぐに見つめていた。生きるために、ただ生きて死ぬために、自分にとって必要な何かを守るために、それ以外の命の価値を踏みにじった。その冷酷さを一体誰が責められるというのだろうか。

 彼女は正義だ。そして同時に純粋悪でもある。人が、その作った世が彼女という怪物を生み出してしまった。だが彼女は誰もが望んだ存在でもある。望まれて、世界に沿って生まれた暗闇である。その漆黒の中に、一縷の光すら持たないその闇の中に、恐ろしいほどの静けさの中に、僕はただ美しさを見出していた。何よりもずっと美しい。彼女は世界の始まりに近い存在だった。


「もう一度言います。私が死んだら、どこへなりとも逃げなさい。決して仇討ちなど考えてはいけませんよ。命はただ命であり、復讐は何の価値もない。貴方たちはせめてこの因果の中から抜け出して、あるべき人の運命の中で生き、そして死んでください」


 ぶっちゃけた話、彼女は僕の神だった。彼女以上の存在なんかないし、これからもその代わりは永遠に表れないだろう。戦争には飽き飽きしていたし、僕は彼女の命令通りに行動した。

 ウェルシオンは死んだ。だから僕は命からがら逃げ延びて、しばらく死んだみたいな時間を過ごし、それから立ち上がって歩き始めた。自分なりに魔女と折り合いをつけ、世界を折り合いをつけ、もうすべてを終わったことにするために。だというのに、まだあの戦争を終わりに出来ていないバカがいた。

 ――僕の仕事は、魔法の絵描きだ。それは魔女を想い出にし、僕だけのものにするための狂気。だがそいつはもっと違った形で狂気を抱いてしまった。


『……誰かと思えば……貴様か、ルクスン』


 シクラダール古戦場。ここにあいつが潜伏しているという情報を掴めたのは、僕が完全にアウトロー側の人間になったからだ。もう貴族の騎士だった時代には戻れないが、代わりに金を出せばなんでも買える世界に身を置いている。雪の降りしきる砦の跡地に彼はいた。屋根の吹っ飛んだ砦の隅、瓦礫の上に腰を下ろしている。

 

「やあ。しばらく見ない間に随分とイメチェンしたみたいだね。今は黒騎士、なんだっけ?」


 ここに来るのも随分久しい。昔はウェルシオンと一緒に駆け回った懐かしい場所だ。だけどもうすべては過去の事。戻ってきてしまったのは、きっとまだ彼があの思い出の中にいるからだ。逃げきれず、縋るようにして戻ってしまった。だから彼はあんなにも孤独で、まるで行き場を失った迷子の様にうなだれている。


『何をしにきた』


「旧友がまだ一人で戦争やってるって聞いてね。様子を見に来たのさ。魔女を殺して回っているそうじゃないか……いったい何が望みなんだい?」


『貴様に語る義理はない。ウェルシオンの死から逃げ出した貴様にはな』


 これにはさすがにムっとした。というか、こいつは何を言っているのかという感じだ。


「ウェルシオンは死んだんだよ。その事実から逃げ出しているのは君の方だろ? 魔女を殺して、ウェルシオンの望みをかなえたつもりか? だったらお門違いも良いところだ。どんなに魔女を殺したって彼女はもう戻らないんだ。死者は何も願わない。人殺しの理由に他人を使ってんじゃねぇよ」


『……お前らしい言い草だな。だが何もわかっていない。ウェルシオンはまだ死んでいない。俺のこの躰の中に彼女の血が流れ続ける限り……その血がすべての清算を……救いを望む限りな』


「魔女と人間は共生出来る可能性を持っているんだ。シオンがすべての過ちの清算を望んだとしても、最後には和解の希望握りしめて死んだ事に間違いはない。僕は人と魔女の新しい可能性に賭ける。その未来の片鱗を、すでに僕は確かめた」


『魔女巡礼の旅か? 愚かだな、ルクスン。あれは全て教会側が仕組んだ実験だ。それに四組の魔女のうち、一組は既に始末した。残るは三組……それもすぐに終わる。魔女が未来永劫にわたって束縛されるというのなら、俺がその未来を破壊するだけだ』


「気持ち悪い事言ってんじゃねえよ。先の事を決めつける権利なんて僕にもお前にもないんだよ。僕達は失敗した。だからってこれからの全てを失敗と決めつけて足を引っ張ってんじゃねえ」


 ゆっくりと黒騎士が顔を上げた。これは怒らせたかなと内心びびっていると、どうやら別の気配に反応したようだった。僕には魔女の存在を感じ取る力はないが、黒騎士にはあるはずだ。なにせこいつの身体の中には、最強の魔女の呪いが残留しているはずなのだから。


『来たか……。向こうからお出ましとはな』


「聖騎士か。相手は何人なんだ?」


『魔女が三、騎士が三』


「残存戦力で最強が全集合だな。悪い事は言わない……逃げた方がいい」


『甘く見るな。俺は何人もの魔女を殺し、その血肉を食らった。今の俺はウェルシオンよりも上だ』


 そういって立ち上がった黒騎士は、一息に跳躍し光の中に消えていった。どう見ても人間の身体能力じゃない。ここに近づいた瞬間に感じた肉の腐ったようなにおい、そしてむせ返るような血の香り……魔獣の体臭で気づいていた。あいつはもう、とっくに言葉をしゃべる怪物に成り果てていたのだと。




#15 黒騎士(下)




 物陰から外の様子を見ると、聖騎士三人とそのお供の魔女の姿が見えた。そこで僕は理解してしまった。あのバカが食った魔女というのが、僕が絵に描いたあの赤い魔女だったという事を。

 そこにはあの聖騎士とレヴィの姿もあった。残りの二人は……アイネンルースとナッシュジールか。そして毒の魔女シャルルヴィアーノと……石の魔女ペルスダート。どれも鍛え抜かれた力を持つ魔女だと聞いている。特にナッシュジールとペルスダートのコンビは、対魔獣戦闘で絶大な戦果を挙げている始末屋だ。あの布陣を相手に黒騎士がどこまでやれるものか、興味はあるが……。


「万が一にでもレヴィを殺されたら困るな。なにせ、あの子は……」


 蒼い髪に、そしておそらく背中にあったはずの“もの”。俺の予想が正しければ、彼女はウェルシオンと同じ“魔法”の使い手のはず。だとすれば、あの子はまだ失われてはならない。


「こいつが噂の黒騎士か。へェ……すげえ殺気じゃねえか。化け物の匂いがプンプンしやがるぜ」


『俺の前に立ちふさがるのは、やはり貴様らか……。変わらないな……あの戦争の時代から』


「あら、もしかしてご同業だったのかしら? どこかで会った覚えはないけれど」


『この姿になったのはごく最近だからな……だが……会いたかったぞ、イルムガルド。ウェルシオンを殺した貴様ともう一度刃を交えたかった。積年の恨み、ここで晴らさせてもらう』


 イルムガルド達はこいつが何者なのか気づいていない様子だ。そりゃそうだ、昔はこんな化け物じゃなかったからな。だが黒騎士は忘れてはいないだろう。一騎打ちをして敗北した相手……そして、守るべき魔女を殺した、あのイルムガルドという男を。

 口元に手をやると、自分が笑っているのがわかった。なるほど、面白い組み合わせだ。運命的と言ってもいい。あの時の登場人物が、ある意味そろい踏みってわけだ。

 今の発言で黒騎士が“関係者”だと悟ったのだろう。聖騎士たちの雰囲気が変わった。魔女たちもその変化に驚いているようだ。ウェルシオンという名前が出ただけで、彼らは殺戮者に様変わりした。ただ冷静に、まるでゴミでも見るような目線を黒騎士に向けている。


「そう、あの時の奴らの生き残りってわけね」


「ククク……ハッハハハハハ! いいねぇ、そいつはいい! もう殺すしかねェなあ! イル、俺にやらせろ! 俺とペルがメインで攻める! お前らは援護しな! どうせ毒の魔女は戦闘に参加できねぇし、蒼の魔女に殺しは無理だろうしなァ!!」


 “毒”の力は広域無差別殺戮の魔法だったはずだ。明らかに集団戦には向いていない。となれば理にかなった布陣だろう。三人の騎士が剣を抜いた。毒の魔女はレヴィを庇うようにして背後に構えて、戦闘開始の様相に黒騎士も巨大な剣を正面に構えた。


『――来い。決着を着けてやる』


「ハハハ! 楽に死ねると思うなよなァ、化け物がよォオオオ!!」


 笑いながら駆けだしたナッシュジールは左右の手にそれぞれショートソードを持っている。とにかく素早く、一瞬で距離を詰め、足元の雪を蹴りあげると同時に黒騎士の側面に回り込んだ。一瞬視界から消えてから素早い斬撃を繰り出すが、黒騎士の鎧――あれは表皮か。獣の装甲に傷をつけられない。黒騎士はすぐに大剣をブン回して反撃するが、それもくぐってすぐに二発追撃。更に剣の上に乗り、背後に飛びながら斬撃を残す。ナッシュジールはスピードタイプの聖騎士だ。その挙動は獣じみていて、目にも止まらない。


「うぁう! ぎゃううっ!」


 そこへ挟撃する形でペルシュダートが近づく。繰り出したのは拳だが、ナッシュジールより力があるのか鎧が軋んだ。大剣で反撃を受けて吹っ飛ぶが、魔女は無傷だった。見れば敗れた脇腹は鉱物のように変化しており、斬撃の威力を完全に弾いていた。

 あれが石の魔女の力。自身の肉体の鉱石化、か。ペルシュダートは笑みを浮かべ、目を見開く。すると大地が隆起し、巨大な牙となって黒騎士に食いついた。大地を操る力、それは水上以外のどこでも万全の威力を発揮する。岩に囲まれ身動きの取れなくなったところへ聖騎士たちが駆け寄り、装甲の継ぎ目に剣を突き刺した。さすがはプロ、一瞬で弱点を看破した……と思いきや、次の瞬間黒騎士は全身から炎を噴出させ、爆裂するその衝撃で騎士たちを吹き飛ばした。


「ぐあっ!? 炎の魔法だとォ!?」


「こいつ……やっぱりステイの魔力を奪ったのね……!」


 爆発で岩も木端微塵か。黒騎士は人間のものではない雄叫びを上げ、炎を纏って歩き出す。駆け寄る怪物にアイネンルースが立ち向かった。剣を全力で繰り出すと、なんとその剣圧で雪も炎も丸ごと吹っ飛んでいった。その隙に左右から二人の聖騎士が襲い掛かる。また継ぎ目を正確に貫いたが、黒騎士は怯まない。飛び退く二人に迫る炎、その目前に石の魔女が岩の防壁を張り、また攻防は膠着を見た。


「おい、なんで死なねェんだ、こいつ? 急所だろ、今のはよォ」


『俺は不死身だ。無数の魔女の心臓と眼球を食らった。最早俺を殺しきる事は不可能だよ』


「ったく、悪趣味な……禁忌もいいところよ! ザックブルムだってやらなかったのに!」


 そりゃそうだ。あんなになったらもう破壊と闘争の本能に飲み込まれてしまう。魔女が本来持っている、“別種への殺戮本能”……だが、あの黒騎士はそれをある程度意志で制御している。それがウェルシオンの加護によるものだということは明らかだが、それだけというわけでもなさそうだ。

 どうやらあいつはここに至るまでにたくさんの魔女を殺し、その力を取り込んできたらしい。その体内には無数の魔女の自我と本能と願いが渦巻いている。それらが程よく衝突し、暴れまわり、中和されているのだろう。結果あいつの肉体はもう限界寸前で死んでいるのも同然なのに、なぜかそれでも動き続ける事になる。まさに死んだまま動き回っているようなものだ。


『真実を知って尚、裏切り続ける貴様ら聖騎士に正義はない。ここで魔女ともども滅ぶが良い』


「マスターッ!」


「レヴィはシャルと一緒に下がっていろ! アイネ、ナッシュ! こいつはもう放置していい相手じゃない! 必ずここで仕留めるぞ!」


「ええ……そうね。いくらなんでもこんなの生かしておくわけにはいかないわ」


「つーわけで、ぶっ殺すぜオイ! 調子に乗ってんじゃねぇよ絞りカスがよォオオオオッ!」


 単純な身体能力は黒騎士が図抜けているが、三人の聖騎士は技量で優っている。圧倒敵な戦闘力を持つ化け物を相手に一切怯みなく冷静に急所へ攻撃を繰り返すその様はさすがとしか言いようがない。彼らはこれまで常に格上を相手に戦い生き延びてきた兵だ。火炎の炸裂、大剣による攻撃を次々に受け流し黒騎士の身体に刃を突き立てていく。だが黒騎士は倒れる気配も見せない。


『無駄だ。どれだけ剣を突き刺そうと俺は殺せない』


「“不死者”なんて存在、この世にあるわけがないでしょ……!?」


『俺は“時”の魔女をも食らっている。この身は常に腐り続け、しかし常に停滞した結界に守られている。“炎”もそうだ。再生と死滅の力を持つ。この身は既に肉にあらず』


 近づこうとしたペルスダートを蹴り飛ばし、炎でナッシュジールをもやし、アイネンルースの腕を掴み、時の魔法を使って腐食させる。アイネンルースの右腕は一瞬で黒く濁り始め、恐るべき速度で腐り落ちていく。


「ぐううううっ!?」


「アイネッ!!」


 次の瞬間、ナッシュジールはアイネンルースの右腕を切り落とした。崩れ落ちるアイネンルースを抱えて跳ぶその背中に炎が迫るが、ペルスダートが身を挺して防御した。鋼鉄の鎧に守られたペルスダートは傷一つ負っていない。


「……手間取らせたわね、ナッシュのくせに……いい判断だわ」


「やべぇな。多分接触しただけで即死させられるぞ。時の呪に対抗するには、呪いが全身に回る前に部位を切断して逃げるしかねェからな」


 ……あいつら、時の魔女と戦闘した経験があるのか。道理で対処早すぎだと思ったわ。


「近接即死の“時”と遠距離無敵の“炎”か。やべェぞあいつ。防御は“不死”だしな。強すぎっぜ」


「私の事は気にしないでいいわ……止血は自分で出来る。あいつを仕留めなさい!」


「ナッシュ、ペルと一緒に続け! 弱点がわからないが、倒す方法は必ずあるはずだ!」


「化け物は心臓か首を落とせば死ぬって相場が決まってっからなァ!」


 その首が頑丈で、心臓がどこにあるのかわからないのが問題なんだよな。

 アイネンルースの腕からはドバドバと血が流れていたが、自分の筋肉で血を止めたらしい。駆け寄ってきたレヴィとシャルルヴィアーノが手当てを施している。あんなに出血したら普通の人間なら死ぬか、よくても気絶するはずだけど、アイネンルースはまるでピンピンしている。


「アイネ様、腕が……っ」


「え? ああ、片腕で済んだなら儲けものよ。間違いなくあのままじゃ死んでたしね。それにしても、勝ち目が見えてこないわ。あんな化け物、どうやって殺せばいいのか……」


 今も戦っている三人だが、すでに傷だらけの満身創痍だ。黒騎士はいくら攻撃してもしなない。岩で押しつぶされても、剣を切り裂かれ串刺しにされてもピンピンしている。肉体的にはもう死んでいるのに、呪いで動いているんだ。そりゃそうだろう。

 さて、君はどうする? ただ見ているだけなら恐らく彼らは殺されるだろう。だったらもう君がやるしかない。レヴィアンクロウ――賢い君ならわかっているはずだ。あの化け物の中に渦巻いているものがなんなのか。そして君は知っているはずだ。あれは君にしか滅ぼせない。なぜなら君の力は……その為にあるようなものなのだから。


「このままじゃ、イル様が……」


 殺されちゃうだろうね。だからもう使うしかない。使うんだ、君の魔法を。


「もう、ステイやレムリスさんのような事には……っ」


「……レヴィ? まさか、魔法を使うつもりなの? だけどあなたの魔法って……」


 レヴィが顔を上げる。瞳が、髪が、淡い光を帯びていく。棺が共鳴している。本来の主の身体に戻りたがっているんだ。魔力が大気を震わせる。その異変に誰もが気が付いた。黒騎士はあっけにとられ、そしてイルムガルドは声を荒らげる。


「――よせ、レヴィ! その力を使うな!」


「……ごめんなさい、マスター。それでもやっぱり私……大切な人を、見殺しには出来ないから。マスターや友達の事が大好きだから……」


 目を見開く。これだ。この瞬間を待っていたんだ。

 蒼い髪が黒に、そして白に染まっていく。やがて光は七色に輝き、少女の周囲に光の帯が渦巻く。可視化するほどに濃密な魔力は常人でさえも確認可能だ。そう、僕はあのオーロラを待っていた。あの日見た奇跡を、ウェルシオンと同じ――“星”の魔法が発動する時を。


『バカな……その光は、ウェルシオンと同じ……』


「――神よ」


 まるで謳うように少女は祈りを口ずさむ。それはこの世の言語ではない。神が、天より舞い降りた“あまつかい”がこの世界に残した力。選ばれたごくごく一部の魔女、正当な血統の者だけが使える、“女王”の力。“祝詞”。それは、歌声によく似ていた。


『何故だ……何故貴様のような力の持ち主がいる!? まさか教会は……また同じことを繰り返すつもりなのか!? ウェルシオンという犠牲を……それでも尚、滅びに突き進むつもりか!!』


 激昂した黒騎士がレヴィへと駆け寄る。しかしその道を聖騎士三人とペルスダートが塞いだ。最早彼らも理解しているのだ。この怪物を完全に葬り去る為には、レヴィの力が必要なのだと。


「……完全開放は許さない! 半分以下の力でこいつを消せるか!?」


「……はい。十五秒ください! 棺の封印を解き放ちます!」


『退けぇええええええええええッ! 貴様らあああああ! あれが何なのかわかっているのか!?』


「俺の守るべき……たった一人の魔女だ!」


 胸の前で手を組み少女が歌う。その小さな体は光に包まれながらゆっくりと浮かび上がっていく。頭上には光のリングが出現し、両腕を広げると同時に祝詞は世界に働きかける。棺にびっしりと古の言葉が浮かび上がり、共鳴し、共鳴し、この世界の全ての命に語り掛ける。

 そう、あれが星の魔法。唯一無二の絶対の力。だけどまだあれは使い慣れてないんだろうな。発動に時間がかかりすぎている。本気で殺しにかかってきた黒騎士は、十五秒も止まらない。だから――僕は弓を取り出し、構え、素早く黒騎士に放った。狙いは左目――もくろみ通り矢は突き刺さる。すぐ再生するのはわかってるけどね。矢が刺さったままなら、再生力が強すぎて肉に残るだろ? 見えない筈だ、もうそっちの目は。


『ぐ……どこから……この正確さ、まさか……レムリス……!?』


「よそ見してんじゃねえよクソがッ!」


『邪魔をするなァアアアアアアッ!!』


 爆炎がすべてを薙ぎ払った。聖騎士三人は全身を焼かれ雪の上で湯気をあげながら倒れている。黒騎士は猛然とレヴィへ駆け寄り、巨大な剣を叩き付けようとした。その瞬間少女が目を見開くと、剣は見えざる力にはじかれて空に飛んでいく。


「“斥力”の魔法かな?」


 続いて突然大地にめり込む黒騎士。やはり目に見えない力で押さえつけられている。


「“重力”」


 そして下から隆起した岩の塊が怪物を弾き飛ばす。空中で身動きが止まり、突如鎧の継ぎ目から血が噴き出した。炎を出そうとしているのに出ないところをみると、真空でも作ったのかな。

 空に浮かんだレヴィが天に片手を伸ばすと、上空の雲に穴を開けながら一縷の光が舞い降りた。雪を降らせる分厚い雲も、ここだけは意味をなさない。世界の全てが彼女の為に動き出したのだ。その光を指先に集め、黒騎士へと差し伸べる。吹き荒れる光の風の中、少女は何かを口ずさんだ。次の瞬間まばゆい光が黒騎士を飲み込む濁流となって襲い掛かる。


「あなたの魂に、安らかな救済を」


『“天使”……貴様ぁああああああああああっ!!』


 光の通過は一瞬だ。空中には中身が溶けて消え去った鎧と剣だけが残された。カランと音を立てて乾いた大地に転がったそれらが、この壮絶な戦いにあっけない幕引きを告げた。


「……レヴィ!」


 力の発動に意識が持たなかったのか、光から解き放たれたレヴィは大地へ落下した。それをイルムガルドが抱き留める。もう棺もレヴィも元通りの状態に戻っていた。だが僕としては満足な結果だ。彼女が天使いであるという事が、これで確定的になったからだ。


「やはり君が捜していた魔女だったか。だとすると、これは……なかなか面白い事になってきた」


 彼女は自分が何者なのかを知らない。そして旅はもう終わりに近づいている。

 見届けよう、ウェルシオンの叶わなかった願いの果てを。その場所に立つのが星の魔女とかつてその名を冠する者を滅ぼしたあの騎士だというのなら、それは僥倖。


「待っているよ、ヒースエンドで」


 彼女が口にした言葉の意味を、少しずつ僕も理解し始めた。

 黒騎士と僕は違う。僕は本当の意味でウェルシオンの遺志を継いでいる。

 この世界が変わる瞬間を、魔女と人がその未来を選ぶ刹那を目撃できさえすればそれでいい。僕はただ、物語の鑑賞者で構わない。

 主役は彼女で、そしてパートナーは彼だ。ならば彼らの旅を見守り、支える事。最後のその瞬間を見せてもらえるまで……。

 それが僕の、ルクスン・ホークに与えられた、役回りなのだから。

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