#13 その全てが罪ならば
「……やっと見つけた」
ゲヒトゥムの北東にある雪原に、かつて戦争で大きな衝突が起こった場所がある。魔女や魔獣が投入されたその戦場は不浄の力に汚染されてか、草木も生えない荒野となっていた。
凍てついた大地の上に今は雪が積もっていた。そいつはまるで私たちの尾行を待っていたと言わんばかりに風の中に佇んでいた。
漆黒の鎧と、ばかでかい剣を担いだ騎士……。その様相そのものがすでに異形であり、人ならざる者の気配を強く感じられた。これはばけもの……あたしと同類。特にあたしだからこそ、こいつの気配を強く感じることが出来る。
魔女や魔獣はお互いの存在をなんとなく感じることが出来るという。実際今の私は、感覚を鋭敏にしているせいか、すぐ近くにまでレヴィとシャルが近づいている事が感じられた。だからこそこれはラストチャンス……。あたしとレムリス、二人だけでケリを付ける好機。
『……やはりお前か。この身体に流れる血が騒ぎ出すわけだ』
「各地で魔女を殺して回っているそうね。……どうして? どうしてあなたがそんな事を……」
『この世界は既に魔女の生きられる世ではないのだ。死による救済、それこそ魔女にとって必要な安らぎなのだよ。この世界に命をむさぼる魔の存在は不要……誰かが刈り取らねばならん』
「勝手な言い分を! 魔女だって人間になれる! だからあたしは教会の使徒になった!」
『ふん。まさか本当に、教会が魔女を受け入れるとでも思うのか? 貴様らは利用されているだけにすぎん。魔女の存在を飼い慣らした時、教会はかつての魔女戦争の時代よりもはるかに強力な力を得るだろう。それが何をもたらすか、貴様は何もわかっていない』
「そんなの……そんなの、わかんないわよ! あたしたちはただ生きていたいだけなの! 誰も殺したくない、傷つけたくない……それだけなのに! どうして人間はあたしたちをほっといてくれないのよ……!」
そうだ。ただ生まれて、ただ死にたかっただけなんだ。
それ以上の事なんてたいして望んでないよ。ただ普通に、人並みの幸福がほしかっただけ。それなのにどうして……どうしてこんな事になっちゃうんだろう。
「姫様、そいつに何を言っても無駄だよ。気づいてるんだろう? あいつももう人間じゃないって」
隣でレムリスが言った。レムリスは剣と盾を構え、戦う姿勢を見せる。
そうだ、最初からわかっていた。覚悟は決めてきた。だから一人で来たんだ。だけどもしかしたら……もしかしたら、言葉でわかりあえて、解決できるかもしれない……そんな淡い期待を抱いていなかったわけじゃない。
「……黒騎士。教会はあんたを危険視してる。あたしはあんたを止めにきたのよ」
『俺を殺すか……炎の魔女。教会の兵器として』
「違う。あたしはあたし個人として……魔女、ステイルガルドとして……あんたを倒す!」
ローブを脱ぎ去り、全身に魔力を行き渡らせる。髪の一本一本にまで光を通す。全身が赤い光を帯び、髪と瞳はまるで炎のように輝きだした。あたしの両腕を拘束している枷をレムリスが外す。背負っていた棺を正面に立たせ、あたしはそれに手を伸ばした。
『封印を解放するつもりか……?』
「責任は僕がとる。お前はこうまでしなきゃ殺せる存在じゃないからね」
この棺はただの棺じゃない。あたし達にとって最も重要なもの――魔力の源だ。
魔力とは魔女が魔法を使う為、そして怪物としての身体能力を解き放つ為に必要なもの。教会は真っ先にそれを切り離し、この棺の中に封印する。けれどあたし達魔女はそれがないと生きていけないから、間接的に持ち歩く為にこの封印棺――パンドラというシステムを使うのだ。
「レムリス……お願いがあるの。あいつはあたし一人でやらせて」
その言葉を予想していたのか、レムリスは少しだけ肩を落とした。ちょっとだけ申し訳ない気分になる。別にレムリスを信用していないわけじゃない。むしろ信じているからこそ、こんな反逆めいた甘えを通す事が出来る。
「君が剣の特訓をせがんできたころにはもう予想してたけどね……。仕方がないな。やると言い出したらやるんだろう、君は」
差し出された剣を握りしめる。この聖騎士の剣でなければあたしの炎と力には耐えられない。棺は光を帯びてガタガタと振動している。あたしと一つになりたがっている。でもだめだ。あたしはまだ化け物になりたいわけじゃない。だからこいつの力を借りて――全力の半分か。そのくらいの力で、あいつを焼き尽くさねばならない。
「レムリス、あのね……」
「わかってる。必ず勝てよ」
「……うん!」
あたしの身体には大きすぎる剣を片手で振るう。熱を帯びた風が雪を吹き飛ばしていく。あいつは背負っていた剣を腰溜めに構えてあたしを待っている余裕しゃくしゃくか。
「見せてやるわ……これが……人を殺す為に鍛えた魔女の力よッ!」
立てた人差し指の先端に火種を起こす。それを手のひらで握りしめ、炎と成す。荒れ狂う光を振るい、一気に解き放つ。それは炎の濁流となって黒騎士へと向かっていく。
大爆発が起こった。あたしの炎の魔法は最強クラスの攻撃力を持つ。魔女戦争で最も恐れられた魔法の一つだ。すかさず大地を蹴り前進、一気に距離を詰めて爆炎が晴れる間もなく黒騎士に襲い掛かった。
剣に炎の力を纏わせた斬撃。ナマクラだったら一刀両断だったけど、黒騎士の大剣はしっかりそれに耐えていた。それどころかあの爆撃で無傷ときている。片腕で大剣を使ってあたしをはじくと、男はすかさず次の斬撃を繰り出してくる。大柄な体と大剣から繰り出される一撃は旋風を伴い、あたしの軽い体を簡単に空中に吹き飛ばした。
空中を飛ばされながら火炎弾を連射する。そのことごとくを黒騎士は剣で薙ぎ払った。あんなにバカでかい剣が重くないはずがないのに、まるで小枝を振るみたいな手軽さで炎をはじく。雪の上を滑りながら着地すると、自分の身体が小刻みに震えているのがわかった。
『どうした? 炎の魔法の神髄はそんなものではないだろう? 人を殺したことがない魔女では、その力は持て余すと見える』
「うるさい……うるさい! あたしは誰も殺さない……この世界でたった一人、あんた以外はね!」
もう一度全身に力を行き渡らせる。指先の一つ一つまで炎を巡らせる。体中が熱い。もっとだ……もっと力を引き出さなければあいつには勝てない。
「うああああああ――ッ!!」
あたしの中にある炎を絞り出す。熱で周囲の雪が吹き飛んだ。もっと力を……もっともっと力を。魔獣になるのは嫌だ。本能を押し殺しながら、人としての理性だけで力を使いこなす。それが出来るようにこれまで訓練してきたんだ。
『炎の剣……なるほど、大した高等技術だ』
炎を纏った剣を振るい、火炎の斬撃を放出する。衝撃波を避けずに防ぐ事はわかっていたから、その炎の波に隠れるようにして背後に回り込み剣を繰り出した。片手で大剣を使って黒騎士は防ぐが。あたしは強引に力を込めてそのガードを吹き飛ばし、がら空きになった奴の脇腹に瞳の力を収束させる。
周囲にくすぶっていた炎が一瞬で集約し、次の瞬間爆発を起こした。“瞳”を起点に起こす炎は体力の消耗が大きいけど、威力も速度も爆発的だ。黒騎士の鎧が壊れて、中からどろりと腐った肉と血のなまぐさい匂いが溢れてくる。
「あんた……やっぱりもう……」
『そうだ。俺の身体は既に朽ちている。呪われたこの身がいつまでも持つはずもない。それもこれも、力の代償と思えば安いものだがな』
「どうして……どうしてそんな……」
『それを貴様が訊くのか? 炎の魔女よ』
目を使った代償として頭がずきりと痛んだ。疲労を隠しながら距離を保ち、あたしは思い出す。
あたしが大聖堂に保護された理由。そしてこの男を殺さねばならない理由。
それがあたしの罪。この世界に生まれてしまったという――あたしの罪の全てだから……。
#13 その全てが罪ならば
自分がどこで生まれて、どうやって生きてきたのか、あたしはよく知らない。
気がづいたら一人で、とある海沿いの村で暮らしていた。村は魔女戦争の影響で無人になっていて、誰もいなくなった村にあった教会であたしは生活していた。
その頃のあたしは世の中の事なんて全然知らない子供だった。まだ十歳くらいだったから当然だけど。でもそのころにはそれなりに人間に憎まれたりして、自分が魔女って呼ばれている事とか、自分が人間の中に生きていちゃいけないって事は、殺されかかったりしてなんとなく把握していた。
魔女は人間の子供とは違う時間の中で生きているから、生育の度合いも全然違ったりする。基本的に魔女は早熟で、実年齢よりも精神的に大人に近い事が多いらしい。そういう事を知るのはだいぶ後の話だけど、その時のあたしにとって時間をつぶす手段は思考だけだったから、自分がなんなのか、どうやって生きていくのか、そればかり考えていた気がする。
魔女は、狩りが得意だ。魚を取るにせよ、獣を狩るにせよ、あたしにとっては容易かった。そしてなにより炎の魔法をつかえたから、これが生活する上ですごく便利だった。
海沿いの街は時には雪が降るような寒いところだったから、ユーテリア大陸の北の方だったような気がする。だけどあたりは炎の魔女だから薄着でも生活出来た。魚や獣をよく焼いて食べないとおなかを壊すけど、まあちょっとした体調不良なら平気だった。魔女だし。
そんな生活を続けていたある日の事だ。いつものように狩りをしようと森に出たところで、あたしは見かけない物を見つけた。騎士の剣だ。そんなもの昨日までは落ちていなかったから、この森に今誰かがいるって事はわかった。血に染まっている剣は誰かを切ったわけではなさそうで、むしろ握りが血染めだったのでこの騎士は怪我をしているのだと思った。
血の匂いをたどっていると、すぐに人影を見つけた。男はザックブルムの騎士のようだった。背中に幾つも矢を受けていて、それ以外にもあちこち怪我をしているようだった。顔をたたいても意識がなかったので、あたしはそいつを引きずってとりあえず家に持ち帰る事にした。何か食料を持っているかもしれなかったし、なにより毎日生きるだけの生活は退屈だったし。
「……俺は……生きている……のか……?」
何日かして男は目を覚ました。あたしはとりあえず矢をひっこぬいて血をとめてやって、薬草なんかで手当てもしてやった。野生生活が長いとなんかそれくらいのことは出来た。多分こいつは助からないなと思ったけど、かなり鍛えていたのか、何かよほど死にたくない理由でもあったのか、なんと息を吹き返したのだ。それでも命はいつ消えてもおかしくない状態で、意識が戻って苦しみが続くだけですぐに死ぬだろう事は明らかだった。
「誰か、そこにいるのか……?」
男は目を怪我していた。どうやら完全に光を失ったらしかった。それが倒れている時にはもうわかったからこそ連れてきたのだが。
自分の尻から生えている尻尾を見やり、これを見たら間違いなくこいつは卒倒するだろうなーと考え、でも見えない限りは問題ないだろうと事故解決した。
「いるよ。あたしが助けてやったんだよ」
「子供、か……? まさか、こんな所に子供が住んでいるとは……一人、か?」
「一人だよ。みんな出てっちゃったから」
「そうか……くっ。これは……動けそうにもないな……」
「多分死ぬよ」
「だろうな。それも俺の罪……当然の報いだ……」
なぜか満足げに笑っているのを横目に薪に息を吹きかける。すると炎が渦巻いて火が点った。この能力があれば、暖を取るにはまるで困らない。一度火の始末を忘れて家が焼けたことがあったけど、あたしは自分の炎では焼かれないので問題なかった。あ、こいつは死ぬか。
「なんか食べる? 腹減ってない?」
「不要だ。俺はこのままここで朽ちる事にする。それが俺の償いなのだ」
「人の家で勝手に死なれても困るんだけどなぁ」
肉をがつがつ齧りながらつぶやく。確か熊かなんかの肉だった気がする。それをずいっと男に差し出したが、目は見えないし身体も動かない様子だったから、ちょっとだけかみちぎって口にねじ込んでやった。
「お、おい……やめろ」
「だって食べないと死ぬよ」
「だから、俺は死にたいんだ……もがががっ! おいっ、飢え以前に、呼吸困難で死ぬっ」
そんな感じで、あたしとこの男の共同生活が始まった。
といってもこいつはただ寝ているだけで、あたしはいつも通りの生活をしていた。獲物を少しだけ多めにとって、こいつにも食わせる。薬草で傷を手当てしてやるけど、でもそれだけじゃこいつは動けるようにはならないみたいだった。
「なんでこの森にきたの?」
「……敵の追撃から逃れる為だが、目をやられてな。手探りで転がり込んだ。そういうお前は何故ここにいる? 家族はどうした?」
「わかんない。多分死んだ。全然その辺の記憶ないから」
「……そうか。すまない……」
「なんで?」
「こんなところで子供が一人という時点でわかることだった。嫌な思いをさせたか?」
「ぜんぜん。だって覚えてないし。他人とまともにしゃべるの、あんたが初めてだし」
男はぽつりぽつりと、自分の事を話してくれた。それは少しの驚きを伴った。
自分がザックブルムの魔女部隊にいた魔女の騎士だった事。戦いの中で守るべき魔女を失い、敗走した事。もう何もかも生きる気力を失い、あとはただ死ぬのを待つだけである事……。
「あんた、魔女怖くないの?」
「怖いさ。怖いが……それ以上に俺は、あの人が哀れでならなかった」
「哀れ?」
「美しい女だった。そして気高く強い。最強の魔女だった。彼女は敵からは恐れられ、味方からも畏れられた。孤独だった。どこまでも孤独だったのだ。俺は結局彼女に何もしてやれぬままだ」
そこでもし、自分が魔女であることを打ち明けていたなら、未来は少し違ったはずだ。
けれどあたしにはその勇気がなかったから、膝を抱えたままその話に耳を傾けていた。
「魔女は悲劇だ。この世界にあってはならない。この世界に生まれた事が彼女らを不幸にする。誰かが救わねばならない。誰かが……」
「救ってくれるの? あんたが」
「俺にはその力も資格もない。だからここで、死ぬだけなんだ」
あんまり寂しげにいうものだから、隣に寝そべって寄り添った。男の身体は筋肉だらけでがちがちで、くっついても気持ちよくはなかったけれど、とても暖かかった。
少しずつ言葉を交わして、あたしたちは交わらない存在同士で、死を待つだけの同志で、そんな時間を少しずつ積み重ねて、少しずつ少しずつ、あいつの事を理解し始めた時だ。
そんな生活が奇跡的に一月も続いたころ。あいつの容体が急に悪化した。感染症か何かだったのかもしれない。高熱がでて、意識もなくなって、これはもうだめだと思った。そしたら急に怖くなった。話し相手がいなくなるのが嫌だった。また一人ぼっちでただ死ぬのを待つのが怖かった。
「ねぇ……起きて。起きてよ……」
いくら揺さぶっても男はもう答えるだけの力を持っていなかった。湿った空気を吐き出すだけのその口が最後に少しだけ動いた。
「……ありが、とう……」
その言葉を聞いた途端、ずっと凍り付いていた顔が動いて、両目からぼろぼろ涙が溢れた。嫌だ、嫌だ、嫌だ……一人ぼっちはいやだ。おいていかれたくない。こいつの死体を片づけるのなんかまっぴらごめんだ。だからあたしは――禁忌を犯した。
いつだったか、こいつが話してくれた過去の中にこんなエピソードがあった。
魔女はその血と肉に神秘の力を宿している。それを魔力と言う。だから魔女の血は特別なもので、その血を使えば傷を癒し、病を癒し、肉を食らえば不老長寿の力を得られたという。
眉唾物の噂話と信じていた男だったが、一度だけ魔女から血を施され傷を癒したことがあると言っていた。あたしはそれを真似しようと思った。自分の手首にナイフを振り下ろし、どくどくと溢れる血を見つめる。それを息の途絶えようとしている男の口に運んだ。
「飲んで……あたしの血を……飲んで!」
蘇れ――そう願いをかけたんだ。
死の理を破壊し、命をもう一度……。それが古今東西あらゆる神の怒りに触れる禁忌であるだなんて、無邪気なあたしが知る筈もなかった。
祈りは呪いを帯びた。赤い血潮は光り輝きながら男の体内に流れ込んでいく。それを飲み干させて、あたしは男の顔に触れ、そしてその唇に願いを――呪いをかけた。
「死なないで。ずっと……あたしの傍にいて……」
男は動かなかった。その様子を見てやはりだめだったと諦めかけた時だ。男が突然落雷でも受けたかのように仰け反った。そして男の胸の上にまたがっていたあたしの顔に、大量の血を吐きかけたのだ。それがあたしの流し込んだ血と男の血が混ざりあったもので……そして、“それ以外の誰か”の血が混ざったものだということにあたしは気づかなかった。
「ぐ……ああああああっ! がああああっ!?」
「え……えっ?」
激しく体を痙攣させ、血を吐きながらのたうち回る。苦痛にさいなまれ血の涙を流し泡を吹くその壮絶な有様にあたしは思わず飛び退いた。途端になにか、あたしはとてつもなくしてはいけない事をやってしまったのではないかという、後悔が擡げを上げてくる。
「か、体が熱い……俺に……俺に何を……何をしたんだ……!?」
「あ、あたしは……あたし……あ、ああ……っ」
「苦しい……苦しい……! う、あ、あああああっ!」
情けない事にあたしはただ部屋の隅でガタガタ震えるだけだった。つぶれていたはずの男の眼球が煙を上げながら再生し、出来立ての目玉がぎょろりとあたしを捉えた。
「き、さま……魔女……だったのか……! 俺に……なにを……した……!」
「な、なにもしてない! なにもしてない! ただ助けようと……!」
「血を使ったな……。だから、俺の中にあるウェルシオンの血が……。呪いが……二つ反発して……ぐ、あああああっ!!」
絶叫は一晩中止むことはなかった。あたしは己の愚かしさを悔いた。
夜明けとともに男は立ち上がった。その体中の傷は癒えていないのに、まだ傷はふさがっていないのに、血は止まっていた。死んでいるのに生きている……そんな矛盾した状態で、男はゆっくりとこちらを見た。瞳からはまだ血の涙が流れていて、あたしは自分が絶対にしてはいけない間違いを犯してしまったのだと知る。
「何故、俺を蘇らせた……? 何故、何故、何故! 俺はあのまま死ねばよかった。あのまま死ねればそれでよかったのだ……! どうしてくれる!? 俺は“死ねなくなってしまった”ぞ!!」
男は怒りに満ち満ちた瞳で、しかし笑いながら言った。何が起きているのかわからないという顔だったのだろう。男はあたしに言った。
「魔女の契約だよ……。魔女は自分の血を使い、他の生き物に呪いをかける。“スレイヴ”の呪だ。それが二つも重なって、俺もいよいよ化け物に成り果てたわけか。はは……はははは!」」
「ごめ……ごめんなさ……ごめんなさい……」
「そうか。そうなんだな、ウェルシオン……。俺にはまだ死ぬなってか。許しちゃくれないってか! はははは! はははははは! いいよ、だったらお望み通り生きてやる! いつまでもな!」
もうあたしなんて眼中にないという様子で男は去っていく。取り残されたあたしはただひたすらに己の力と罪の重さに押しつぶされていた。
「ごめん……ごめんなさい……。そんなつもりじゃ……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「あんたがそう成ってしまったのはあたしの罪だ。だからあんたは……あたしが殺すッ!!」
こいつはもう、あの時のあいつじゃない。どんどん色々な呪いをため込んで、人間じゃなくなってしまった。そのきっかけを作った魔女の事は知らない。だけどあたしがその背中を押してしまったんだ。
こいつは魔女を救うと称して殺して回った。それを止めようとしたクィリアダリアにも反旗を翻してお尋ね者になった。いつかはこいつはレヴィ達の前にも表れて、あの子たちに害をなす。あたしの友達を、あたしの罪が殺しにくる。それだけは絶対にあってはならない。
『無駄だ。今の俺は魔女よりもはるかに強い。貴様に俺は殺せない』
「倒す……何を犠牲にしても……どんな手段を使ってもッ!!」
『獣に成り果てるぞ』
「それでもあたしは――友達を……守るんだああああああっ!」
剣を交えながら本能に呼びかける。もっとだ。もっともっと力を引き出せ。
怪物としての本能。殺戮本能を引き出さなければ、こいつには勝てない。
倒せ。殺せ。敵を食いちぎれ。こいつは敵だ。殺さなければならない敵――。
人の物ではない雄叫びが口から飛び出した。両手両足の爪が伸び、髪の合間から第二第三の耳が伸びる。炎の光が毛皮を作り手足を多い、鋭くとがった牙を噛みしめ魔法を繰り出す。これまでの比ではない大爆発。炎の嵐であいつを焼き尽くす。
『炎の獣……狼の魔獣か……!』
「よせステイ! それ以上は戻れなくなる!!」
だとしても殺す。こいつだけは殺す。
あたしがこの罪を作ってしまった。だから償わねばならない。己の血を以て――。
とびかかり剣を叩き付ける。体格差は歴然だが今となっては膂力もこちらが上。間近で吼えるだけで衝撃が黒騎士を吹き飛ばし、吹っ飛ぶその腕を掴んで捉え、強引に投げ飛ばす。それと同時に奴の腕は肩から不自然な形でねじれ、引きちぎられた。
いける。こっちの方が上だ。雄叫びを上げながら瞳に力を込め、火炎を連発する。ダウンしている黒騎士に火炎弾が次々に命中し、爆発を起こす。炎に焼き尽くされる荒野……そこであたしは肩で息をしながら敵の最期を睨んだ。
「これ、で……」
「――ステイッ!」
真横から急にレムリスが飛び出してきて突き飛ばされた。次の瞬間眼前に巨大な剣が迫っていた事を知り、それを身を挺して助けた事を知った。剣が突き刺さったレムリスは吹っ飛んで荒野の上に倒れている。どくどくと血が流れ赤く染まっていく。
「あ……ああ……レムリス……レムリス……あぐっ!?」
レムリスに駆け寄りたいのに、体がいうことを聞かない。体が勝手に動こうとしている。主導権を理性から本能が奪い取ろうとしている。力を使いすぎたんだ。早く封印してもらわないと、本当に化け物になってしまう。いや、何を考えているんだ。そんなことよりレムリス……レムリスが。
「レムリス……レムリス、起きて! 返事して!」
『無駄だ。そいつはもう死んでいる』
炎の中から、めちゃくちゃに引き裂かれた姿の黒騎士が現れた。なぜあの状態で生きているのかわからない。まさか本当に不死だとでもいうのか……。
肉は裂け、しかし血は流れない。骨があちこちから突き出しているのに、それもすぐに元に戻っていく、あの鎧は何で出来ているのか不思議だったが、なんて事はない。おそらくはあれは鎧ではなく、変形した外皮……ああいう形状の魔獣だったのだ。
『生き返らせたらどうだ? お前の血の力で』
――どくんと、鼓動が高鳴った。本能の抗いがたい欲求が背筋をぞくぞくと駆け上がる。
そうだ。生き返らせればいいじゃん。そしたらまたレムリスはあたしと一緒にいられる。前回は失敗してこのありさまだけど、でも今度はうまくやれる。だって訓練したし。
「レム……リス……」
彼は本当に死んでいた。胸にバカでかい剣が刺さったのだから当然だ。どうして飛び出したりしたんだ。どうしてあたしなんか助けたんだ。バカかこいつ。ほんとうにバカなんじゃないの。
「レムリス……」
跪き、祈るようにその顔を見つめる。きれいな顔をしてる。こいつ、貴族の次男坊だからイケメンなんだ。優男で、頼りなくて、きれいごとばっかり言ってる変なやつ。魔女を助けたいなんて真顔で言う、変なやつ……。
「レムリスぅ……っ」
いやだ。死んだらいやだ。あいたい。また一緒に旅がしたい。
楽しかったんだ。レムリスと一緒に旅をして、幸せだったんだ。黒騎士を追いかけて殺す為だけの人生だったのに。こいつが一緒だったせいで死ぬほど楽しかったんだ。
こんなに力が高まっている今なら助けられるかもしれない。いやきっと助けられる。一度できたんだからまた出来るはず。黒騎士は後ろで待っている。事の成り行きを見守るつもりでいるんだ。大丈夫ゆっくりできる。こいつをあたしの奴隷にして蘇らせれば――。
「………………よみがえらせれ、ば……」
蘇らせて……それで……どうする?
『どうした。やればいい。俺にしたように』
違う……違うよ、レムリス。違うよね、レムリス。
『世界の法則を捻じ曲げろ。お前にはその力があるのだろう?』
「……でき……ない……」
胸が張り裂けそうなこの悲しみも。目の前で死んでしまった大切な人も。全ての理不尽が人間だからこそ降り注ぐものならば。気に入らない結末だからって、好きに変えていいわけがない。
「できないよ……レムリス……」
ずっと一緒にいてくれたあんただもんね。きっとあたしの選択をなんでも受け入れてくれる。だけどそうじゃないよね。そうじゃないんだよね。化け物の力に頼って罪を重ねても、それはどこまでいっても化け物の選択。あたしが人間になることを遠ざけ続けるだけだ。
「だってあたし……あんたの事……大好きだもん……」
背後から伸びた腕があたしの首を掴む。苦しくて痛くて、呼吸が出来なくて。持ち上げられて地面は遠くて、目の前には怒りに満ちた怪物の視線があった。
『結局お前は、罪を償えないままだったな』
ごきりと、何かひどく痛々しい音がした。急に目の前がまっくらになって、何故だかわからないけれど急に何もかも聞こえなくなって、とてもとても静かな世界の中にあたしは落ちていった……。
これまで、たくさんの道を一緒に歩いたね。
色々な人に会って、これまでにないたくさんの幸せをレムリスは教えてくれたんだよね。
「ねぇ姫様。姫様は黒騎士を倒したら、そのあとはどうするつもりなんだい?」
ある日、あいつはあたしが薪に火をつける様子を見ながらそんな事を言った。
「別に。何も考えてないわ。あたしはただ罪を償うために生きているだけだから」
「うーん。そんな生き方は誰も得をしないと思うけどな。君は君の人生を生きるべきだよ」
「普通に魔女の旅を続けて……運が良ければ人間に混ざれる日が来ればそれでいい」
「そっか。うん、僕は君を否定しないよ。君のやりたいようにやればいい。だけど覚えていて。いつも君の傍には僕がいる。君は一人じゃないんだって事をね」
どうして、そんな事を思い出すんだろう。
うれしかった時の事。悲しかった時の記憶よりずっと少ないはずなのに……どうして。
どうして、最初から一人で、一人のままで死ねなかったのだろう。誰かと交わって、誰かと触れ合って……そうやって少しずつ痛みが増えていく。命に執着していく。、
死にたくないよ。こんなところで終わりたくないよ。どうしてこんなに怖いの? 一人だった時はただ死ぬのを待っていられたのに。一人だった時は何も怖いことなんかなかったのに。
「やだよぅ、レムリス……一人はさびしいよ。そばにいてよ……いなくいならないでよ……」
こんなにも悲しくて、苦しくて、さびしくて……一人ぼっちで消えていく。
その人生の全てが罪で、これがあたしが積み重ねた罪に対する罰なのだとしたら……。
なんて残酷で……なんて……なんて……。
「レム……リ……ス……」
雪の上に倒れている彼の亡骸に寄り添い、あたしは静かに目を閉じた。
さむいね。地面かたいね。でもいいや。レムリスと一緒ならそれでいいんだ。
辛いとき、悲しいとき、いつもレムリスはあたしの手を握って震えを止めてくれたから。
ここで死ねるのなら、こんなに幸せな事はないから……。
黒騎士が剣を振り上げても、もう恐怖はなかった。これがあたしの罰。だけどね……。
「それで……よかった……よ」
「――僕の名前はレムリス。今日からよろしく、ステイルガルド」
「いい名前ね。これからよろしくね、レムリス」