#12 あの忘れえぬ日々を
「――久しぶりね、イル。元気そうでなによりだわ」
城壁都市ゲヒトゥム。ゲリアから北へ旧ザックブルム領に入って直ぐに旅人を出迎えるこの戦争の為に作られた都市で、私は戦友との再会を果たした。
石畳の上にはうっすらと雪が積もっていて、今も頭上から小さな粉雪が降り注いでいた。季節はもう冬になる。ザックブルムの中では南寄りだが、この町は十分大陸北部。ここから先は険しい山々と豪雪が支配する世界だ。
旧友はこの寒空の下、随分と薄着で活動しているようだった。いつも通りのカソックで、連れの少女も寒そうなローブ姿。フードの合間から蒼い瞳が覗き、私の姿を捉えた。
「アイネさん……? 確か、南に行ったはずじゃ……?」
「ハメやがったな、この野郎……。何が南で待つだ。最初から俺が反対に向かうと……」
「あんたのやりそうな事なんて全部御見通しよ。それにしたって友達甲斐のない奴ねぇ。普通意図的に真逆に向かうやつがある? ほんと、ひねくれ者なんだから」
ため息と共に笑みがこぼれた。歩み寄るとこの不愛想な意地悪男は頭の上に雪を積もらせたまま、眼帯で片方が覆われた瞳で私を見る。相も変わらず不機嫌そうで、愛想という言葉をどこかに置き去りにしてしまったようなその面構えに思わずまた笑みが零れた。
「変わらないわねぇ、ほんと」
「そういうお前もな。旅は順調か?」
「ちょっと、私たちの話を立ち話で済ませるつもり? 今日はトコトン飲むわよ~! 宿はもうとってあるから、レヴィもいらっしゃい。もう、こんなにほっぺた冷えちゃって……かわいそうに。イル、あんたもうちょっと防寒着くらい買ってあげなさいよ。ここから先耐えられないわよ」
「それをこれから揃えようとだな……」
「さーおいでおいで。温かい飲み物でも買いましょうね~」
レヴィの赤く染まったほっぺたはぷにっぷにだった。それを両手で挟んでもてあそんでいると、イルが横で小さく舌打ちしたのが聞こえた。
城壁都市ゲヒトゥムは、かつてはザックブルムが国境防衛の為に作った要塞だった。だが魔女戦争末期には戦線はザックブルムの国土に大きく追い返され、このゲヒトゥムはオルヴェンブルムの占領下に置かれた。その後は聖騎士団の拠点として重宝され、私たちも一時期この町に滞在した事があった。今やもともとのザックブルムの住人はほとんどがいなくなり、この町はどちらかというとオルヴェンブルム側の関係者によって構成される、教会の影響力の強い街となっていた。
「それにしたってあんた、レヴィの服ぼろぼろすぎない? いくらなんでもかわいそうよ」
「色々とわけありでな……。俺の服もいい加減新調しないともたんかもしれん」
「そういえばあんた服ボロッボロね。どんな旅の仕方してるのよ」
「この間、峠越えの途中で魔女に遭遇してな……。まあ、その話はあとでするが……。その時結構いい魔法を食らっちまった」
この寒さの中でもイルムガルドがけろりとしているのは、私と同じ理由。私たち聖騎士と呼ばれる人間の身体能力はずば抜けている。当然、寒さにも強い耐性がある。あらゆる極限状態の中でも生き抜くことが出来る強靭な生命力……それが聖騎士の強さの源だった。
「この町を歩いてると、昔の事を思い出すわね」
雪の降り注ぐ街。行きかう人々の中、私はゆっくりと過去に想いを馳せる。イルはそんなものはもう忘れたと言わんばかりにだんまりを決め込んでいたが、私にはわかる。彼もまた、懐かしいあの日々の事を思い出しているのだと。
振り返り、三人の姿を見る。仏頂面のイルと、穏やかな笑みを浮かべるレヴィと……私の御姫様、シャルルヴィアーノ。魔女と、魔女を殺す為の人間がこうして四人で並んで歩いている。それが私にはとてもうれしく……そして同時に切なく思えてならなかった。
こんな日がいつか来ることをずっと夢見ていた。けれどその夢を見続けるにはあの世界は寒すぎて。身も心も、想い出さえも、何もかもが凍てついて少しずつ風化していく。
死と隣り合わせの化け物との戦いの中、私は剣を手に叫びをあげて駆け抜けた。その数年間の記憶は、今でもはっきりと脳裏に焼き付いている。それは私の夢が始まった記憶であり……そして、このイルムガルドという男と共に歩んだ、彼と“仲間”であった、わずかな時間の記憶である。
#12 あの忘れえぬ日々を
「……ったくよォ。騎士団の連中はどいつもこいつも腑抜けばかりなのかねぇ? 魔獣一匹ろくに足止めも出来ねぇようで、一体どうやってこの戦争に勝つつもりなのかねぇ……?」
「魔女の制御下から外れてリミッターが外れてるんだ。支配による呪いのせいで我を忘れて暴れまわってる。僕らにとっては厄介な相手じゃないけど、普通の騎士じゃ相手にならないよ」
「……はいはい。で、どうするの? イル」
三人同時に振り返ると、背後でイルは剣を抜いて何かを思案していた。尤も考えたところで結論は動かない。どちらにせよ、この四人――聖騎士であの怪物をどうにかするしかないのだから。
「これ以上前線を荒らさせるわけにはいかない。ナッシュ、俺と組んで奴を仕留めるぞ。アイネとレムリスは援護を。一撃で首を落として終わらせる」
「いいねぇ、いつまでもあんな奴相手にしてクソ寒ィところにいたかねぇわな。さっさと終わらせて女でも抱きてぇよ。ああ、マジで寒ィんだ」
「いくらでも好きにしろ、だが後でな。やれるな、ナッシュ?」
ナッシュは前髪を後ろにかき上げながらニタニタと下種な笑みを浮かべた。悔しいが聖騎士の中でもイルムガルドとナッシュジールの戦闘力は頭一つ抜きんでている。ここは私とレムリスで援護に回るのが適切だ。レムリスに目くばせすると、ナッシュのお膳立てをする事にはうんざりした様子だったが、イルの指示だからとしぶしぶ従う様子を見せた――。
魔女戦争後半。私たち四人は数少ない聖騎士の生き残りとして聖騎士部隊の一つを任されていた。あらゆる実力に長けたイルムガルドを隊長とし、性格に難はあれど戦闘力で最強と呼ばれたナッシュジール、防衛戦をやらせたら鉄壁と言われ友軍から絶大な信頼を受けたレムリス、そしてこの私、単純なパワーだけなら誰にも負けないアイネンルース様で第三聖騎士隊。それが当時、私たちに与えらえた居場所の名前だった。
あの時分に最も恐れられたのは魔女や魔獣を使った奇襲、ゲリラ戦法だ。すでに大勢は決したように見えたが、ザックブルム側の守りは厚く、決着まではまだ時間が必要だった。オルヴェンブルムの騎士団は次々にザックブルム領土の雪原に進軍を開始したが、この土地が騎士たちにとっては随分と厄介で、極低温環境下での戦闘に慣れない南の出身の兵士たちは思うように実力を発揮できず、また延々と続く雪原や山岳地帯での戦闘では罠が幾つも仕掛けられており、それらの反撃が友軍の足を随分と引いていた。
この駐屯地に突如出現した魔獣はようやく気を抜いていた兵士たちを容赦なく殴殺した。肉食獣のような二本脚に、上半身は猛禽類のようで、尾は長く、鋭く、無数の刃が連鎖したような形状をした魔獣だった。口からは火炎を放出し、その炎弾の一撃は大砲のようで、焚火に当たっていた兵士たちをまとめて五人は肉片に変えた。
すさまじい迫力で咆哮する怪物に兵士はたじたじで、もうどうにもならない状態だった。私たち四人がその駐屯地で暖をとっていたのは全くの偶然で、本来ならばこの戦い参加する義理もなかったのだが、このままでは全滅もあり得るという判断で仕方なく戦いに参加する事になった。
駆け寄る私たち四人の姿を見つけ、怪物が吼える。最前を進むのはバカでかい盾を装備したレムリスで、放たれた火炎弾に対し、大地に盾を突き刺すようにして防いだ。盾はその表面が赤熱しはじけ飛び、レムリス自身も大地の上を大きく滑らされたが、無傷であった。
すかさず私は遠距離から逆手に構えた剣を投擲する。それは射線上にある雪を吹っ飛ばしながら突き進み、怪物の足に突き刺さった。悲鳴が上がる。同時に私を追い抜き、イルとナッシュが左右から襲い掛かった。
怪物は両腕を広げ、ぐるりと回転するようにして風の魔法を放った。衝撃波で吹き飛ぶ二人、その追撃対象に怪物が選んだのはナッシュだ。しなる尾を槍のようにぴんと伸ばして繰り出すが、ナッシュは空中でその一撃を受け、空中でくるりと回転しながらしなやかに着地を果たした。
「おォ、あぶねぇなクソが」
「レムリス!」
遅れてやってきたレムリスが私を追い抜いて魔獣に近づく。薙ぎ払う腕の一撃を盾を振るい、叩き付けて打ち返すと、その隙に私は駆け寄り、魔獣の足に突き刺さった剣を引き抜くようにして横なぎに振り払った。怪物の足が片方拉げ、そのまま私レムリスと共にもう片方の足を切り付ける。
「イル、合わせろよォ!」
雪の上を獣のようなしなやかな動きで疾駆するナッシュ。高速の尾による迎撃をすべてかいくぐり跳躍。頭上から怪物の頭に飛び乗るようにして二つの担当を突き刺した。狙いは目だ。両目に剣を刺された怪物が悲鳴を上げると同時、ナッシュは背後にとんだ。代わりに飛び込んできたイルムガルドが跳躍し、体をひねり回転しながら両腕で長刀による一撃を繰り出した。
文字通り、必殺の一撃だった。首を刎ね飛ばされた怪物は噴水のように血潮を噴き出しながらもまだ生きながらえており、失われた頭部を求めるように暴れまわった。しかしああなればしばらくすれば動かなくなることを私たちは知っていたので、四人で後退し刃を収めた。
「ケッ、なんだぁ? ザコじゃねえか。不甲斐ないねぇ、騎士の皆さんはよォ」
「普通の人間を僕たちと同じに考えるのは愚かだよ、ナッシュ。聖騎士と普通の騎士とでは、その成り立ちからしてあまりにも違いすぎるのだから……」
真面目にナッシュに対応するレムリス。私はその隣でため息を吐きながらイルの横顔を見ていた。
イルと行動を共にするようになるまでは、色々な事があった。そう、色々な事が……。
私が彼、イルムガルドと出会ったのは、まだお互いが洗礼名ではなく人間の名前を持っていた頃だった。
ある時、教会は各地の孤児を一か所に集め、その中から選ばれた子供だけに神の祝福を施すと言った。祝福を受けられた子供は教会によって救われ、いつ飢えて死ぬかもわからないような最悪の状況から脱せる……そのはずだった。
私も例外なく、どこにでもいるただの孤児だった。馬車に揺られて送られたのはオルヴェンブルムの近くにある練兵場で、その入り口には多くの子供たちが集められていた。
私たちはそこで一人ずつ、僅かながらの水と食料を与えられ、次々に練兵場へと押し込まれた。その施設は地下にあった洞窟を転用して作られたもので、出入口は一つしかない。その出入口を兵士たちは厳重に封鎖し、私たちを薄暗い地下に閉じ込めた。
光はほとんどなかった。ほとんどというのは、洞窟の中には淡く光を放つ苔が生えていて、それで本当に僅か、月明かりよりもはるかに頼りなくも足元を照らしていた。それも全てではない。あちこちに点々と光が見えている程度で、やはり闇には違いがなかった。
洞窟の壁には松明が設置してあり、そこに火をつけていけば一応しばらくは持つという事だったが、どこまで続くのか、何が潜むのかわからない暗闇の中へ進みだすには勇気が必要だった。松明を持たされた数名がそれぞれどうしたらいいのかわからないという様子で歩き出す。そんな中、私はしばらく入り口から動かずに立ち止まっていた。
「なあ。お前、もしかして女か?」
背後からの声に振り返ると、そこには少年が立っていた。顔は薄暗くてよくわからなかったが、闇に広がる静けさに気を遣うかのように小さな声だった。私が頷くと、少年は困ったような声で言った。
「まさか女の子がいるなんてな。多分、女はお前だけだぞ」
「そうみたいね。難民の中でもそれなりに体が丈夫そうなのが集められたみたいだけど」
「確かにお前、肉付きはいいな。それなりに食べてたのか?」
「ん~、まあね。といっても、教会のお情けでだけど……」
それがイルムガルドとの出会いだった。尤もその時彼はまだ普通の名前を持っていて、私もそうだった。けれどここではなぜかお互いの名前を知ろうと言う気にはならなかった。暗がりの中に見える相手の姿は今にも消えてしまいそうだったし、きっとろくなことにはならないという事だけは、何もわからない子供なりに理解していたからだ。
兵士たちはここに私たちを閉じ込め、二週間後に扉を開くと言った。それまできちんと生きていれば、神の祝福の儀式を受けられるという。何故この洞窟なのか、そして食料がわずかしかなく、とても二週間は持ちそうにないのはなぜなのか。私たちはその理由をすぐに気づかされることになる。
突然、暗闇の奥から獣の咆哮が聞こえたのだ。いや、獣だなんて生易しいものではなかった。雄叫びだ。人間とも獣ともとれないような絶叫……それに続き、誰だかわからない子供の悲鳴が一瞬聞こえ、すぐに静かになった。
ごくりと生唾を飲み込み、私も彼も固まっていた。何かが起きたのだ。この一寸先も見通せぬ闇の奥で、何かが。それもどうしようもなく最悪な――何かが。
「……様子を見てくる」
「ちょ、ちょっと……正気?」
「ああ。ここで何が起きているのか、情報がなければ生き残れない。多少のリスクは承知の上だ。俺は行くけど、君はどうする?」
嫌な予感がした。嫌な予感なんてものじゃない。確信……そう、確かな悪寒があった。私は彼についていく事に決めた。そしてそれが私たちの運命を分けたと言っても過言ではない。
洞窟の中はまるで蟻の巣のように入り組んでいた。私たちは息を殺し、足音を消し、闇の中から何かが飛び出してくるかもしれないという恐怖の中少しずつ前に進んだ。やがてすぐに五感が事態を把握し始める。
「においだ」
目は良く見えなかったから、音や生ぬるい風が肌を撫でる感触、そしてにおいに敏感になっていた。音も聞こえる。ぴちゃん、ぴちゃんと、何か液体が零れる音だ。そしてこの匂いには嫌というほど記憶があった。
「……血の匂いよ」
ゆっくりと近づいていく。そこには二人の少年が倒れていた。
いや、厳密には倒れていたのは一人だけだ。そちらは腰から上がありえない回転を受けたかのようにねじれており、まるで不細工な人形のように佇んでいた。そしてもう片方は……壁に貼り付けのような状態で倒れていた。おそらく燭台があったであろうところに衣服か何かが引っかかっているのだろう。手足があらぬ方向を向いたそれは、地面に引きずられるようにして壁にもたれていた。
思わず息をのんだ。間違いなく二人とも死んでいる。死については身近なものだったし。ストリートチルドレンの中には隣で寝ていた子が朝には死んでいたなんてこともざらだったから、ここでいちいち取り乱す事はなかった。それでもこの壮絶な死に様は圧倒的に私たちに死を連想させた。自らに降り注ぐ暴力と死……それが闇の中からこちらを窺っているようだった――。
「あんたとこうやって飲み交わすの、随分と久しぶりよね」
日が暮れて、ゲヒトゥムの宿屋で私はイルムガルドと肩を並べていた。一階が酒場で、二階が宿屋という作りの店で、値段は手ごろな小さなバーだった。二人してカウンターに腰かけ、強めの酒を呷る。魔女二人は今頃ベッドでおしゃべりに興じている頃だろうか。尤も、シャルは自分の魔法特性もあってかとても無口だ。人の話を聞くのが好きだから、今頃レヴィの土産話に耳を傾けているだろうか。ほほえましい二人の姿を想像し頬を緩ませると、空いたグラスにイルが琥珀色の液体を注いでくれた。
「そういえば、少し前にレムリスに会ったぞ」
「あら、そうだったの? どうだった、様子は?」
「別に変らなかったよ。あいつは昔からクソ真面目だったからな。それでいよいよ心を壊したらしいが、魔女に依存してなんとかやってるようだ」
「それはあんたも同じじゃないの? いやまあ、全員がそうだろうけどね。今でも昔と変わらずピンピンしてるのはナッシュくらいのものでしょ」
「ナッシュか。噂では魔女狩り部隊にいたと聞いたが」
「今は私たちと同じように巡礼の旅に出ているはずよ。あいつの担当している魔女が哀れでならないわね。絶対ロクな扱いを受けてないわ」
苛立ちも一緒に飲み干すように酒を口にする。こんなにアルコールそのものみたいな酒、昔は飲めなかった。だけどこの身体になってからというもの、ぬるい酒ではいくら飲んでもまともに酔えない。戦場での緊張が今でも染みついているというのもあるが、アルコールという毒素を体が拒絶し、治癒してしまうのが原因だった。
だからよっぽど酒を飲んで痛めつけないとこの身体は酔ってもくれない。だからどんどんボトルを空にするのだけれど、私たちが酔う気配がないので店主も困った様子だった。
「それで? あとどれくらいで旅を終えられそうなの?」
「こっちはそうだな……あと四か所くらいだ。それでヒースエンドに向かい、旅を終えるつもりだ」
「あら、早いわね。こっちはまだあと七か所は行かないと……。結構教会から仕事が回ってくるから、そっちにかまけて旅が進まない時間が多いのよねぇ」
「俺もそうだが、お前のように手こずっていないからな。実力だろ、実力」
「……そうかもね。あんたは昔からそうだった。いつも冷静で、生き残る術に長けていて……。仲間を引っ張って、最小限の被害で状況を切り開いて行った。あんたについていく事が生き残る一番の近道だったから、私はいつも置いていかれないように必死だった……」
まさかそんな事を言うとは思わなかったのだろう。少し驚いた様子で、しかしイルはそれを茶化すでもなく酒を進めた。お互いに少し酔っている……そう思わなければこんな話は出来なかった。
「……ねぇ。練兵場でのこと、覚えてる?」
「忘れたな」
「記憶喪失……の、フリしてるんだってね。どうして?」
「本当に覚えていないんだ。色々な事がありすぎたからな」
「嘘よ。だってあんた、いつも自分には帰る場所があるって言ってたじゃない。それが地獄を生き残る唯一の希望なんだって……そういってたじゃない」
あの練兵場で起きたのは、ただひたすらの殺戮だった。
教会の連中はあろうことかあの練兵場に拿捕した魔獣を放っていたのだ。私たちは二週間の間、魔獣がうろつく暗闇の中を眠る事も休むこともままならず、死体から食料を奪って飢えをしのいでなんとか生き延びようとした。
そこでは何人か同じような境遇の子供と仲間になったけれど、練兵場から無事に出られたのはただの二人だけだった。イルは死んだ仲間たちの遺品をちょっとずつ受け取って、血まみれの手で握りしめたそれを初めて日の光の下で見つめ、静かに泣いていた。私は……なんとか生きてまた外に出られたことがただうれしくて、悲しくて、わんわん泣いていたっけ。
それは生き残る適性を見るテストだったように思う。意味があったのかなかったのかは私には今でもわからないが、それを生き延びた子だけが聖騎士の候補生になることができた。同じような試験が何度か繰り返され、その結果数十人の子供が生き残って候補生になった。その中から生きて聖騎士になれたのはたった十三人で、その十三人が選ばれるまでにはその十倍以上の数の子供たちが犠牲になったであろう事は考えるまでもなかった。
私たち聖騎士候補生は、最初はそれぞれ離れ離れに部隊に配属された。実験だったのだ。私たちがどれだけの力を発揮できるか、生き残ることが出来るかどうか……。その後呼び戻され正式に洗礼名と共に聖騎士の称号を授かって、私はイルムガルドと再会……いや、邂逅を果たした。
貴族の生まれの、おぼっちゃんのレムリス。聖騎士に夢見てた、熱心なヨト信者。
スラムで強盗殺人罪でとっ捕まるも、その生命力の高さから聖騎士になったナッシュジール。
そして教会で匿ってもらっていた子供たちの代表として試験に参加した私と。
同じように生き残る為に必要だからと、妹を置いて騎士になったイルムガルド……。
私たち四人はそれぞれ立場も微妙に違っていて、考え方も違っていて、それでもどうしようもなく仲間だった。生き残るためにお互いに預けた言葉はただ信頼の一言に尽きる。それがなければ生きてはいけなかったし、人間の心を保つことも出来なかっただろう。
「あーあ。嫌な思い出ばっかり。楽しかった事なんて数えるほどしかない。ずーっと血で血を洗うようなどうしようもない戦いばっかりだった」
「それを生き延びたんだ。俺たちは」
「……たくさんの誰かの犠牲の上に立っているのよね」
深く息をつくき、琥珀色の酒がグラスの中で踊る様子を見つめる。
「……ねぇ、イル。あんた……ウェルシオンの事が好きだったんでしょ?」
予想もしていなかったのだろう。イルはひどく驚いた様子だった。それからすぐにばつの悪そうな表情に変わって、酒を口につけ、ゆっくりと息を吐いた。
「だとしても、俺には関係のない事だった」
「まるで他人事ね」
「俺は聖騎士だった。人殺しで、化け物殺しだ。誰かを愛する資格はないし、誰からか愛される資格もない。俺はただ、人々の忌まわしい記憶の象徴として……誰かの悪夢の続きとして、この世界にあり続けるだけだ。意味も、理由もない。正しくも間違いでもない。俺はただの屑だ」
私がしおらしく話しかけるのも珍しかったし、イルがこんな風に苦悩を語るのも珍しかった。こいつはいつでも一人で苦しみを抱え込んで、誰にもそれを悟らせなかった。いつも仏頂面で、怒っているのか泣いているのか……笑っているのかさえわからなかった。戦場では自ずと表情が消えていくものだが、イルのそれは私たちとは違い、意図しているもののように思えた。
「私ね。魔女の全てが邪悪だなんて思えないの。確かに、人間と魔女は分かり合えるんだもの」
「誰もがそう感じられるのなら、最初からあんな戦争は起きていない」
「今は無理だったとしても……明日には。明後日には……来週には、一月後には、一年後には……十年後には、何かが変わるかもしれない。だって時の流れはとても残酷だから。どんな人の想いも……いつかは風化して、どこかに消えてしまうものだから」
あの戦争の中で、たくさんの物を得て、失って……また拾っては失って。
時の流れと共に、私たちはこの激動の時代を生きてきた。世界は変わり始めている。少しずつ、少しずつ……。この旅が終わり、魔女が人間として生きられることが証明されたなら、それは新たな時代の幕開けを告げるだろう。私たちはこの暗澹とした時代の夜明けを運ぶ為に旅を続けている。ならばきっとこれは……絶対に、無駄な事なんかじゃないから。
「……ちょっと湿っぽくなりすぎたかしらね。歳は取りたくないものだわ」
「俺たちに歳は関係ないだろ」
苦笑を浮かべながらうなずく。そうだ、私たちに歳は関係ない。聖騎士という怪物になってしまった私たちにとって……時間の流れなんて、なんと些細な事だろうか……。
「あのレヴィアンクロウって魔女……ウェルシオンによく似ているわね」
私の言葉に彼は何も言葉を返さなかった。だから休まずに続ける。
「守ってあげなさいね。今度こそは……必ず」
雪山の中、仲間とはぐれた私はイルと二人でビバークしていた。そろそろ戦争も終わろうかという時の話だ。
雪の中に穴を掘って、小さな出入口を残して二人で寄り添って暖を取っていた。ごうごうと吹雪の音が聞こえる中、私たちは携帯食料を食べながら時の流れを待っていた。
「ねぇイル、あんたこの戦争が終わったらどうするの?」
「さあな。元の生活には戻れないからな……適当に騎士でも続けるさ」
「どうしてよ。妹さんが待ってるんでしょう?」
「あれから何年経ってると思ってる。もうとっくに野垂れ死にしたか……そうでなければ俺の知らないところで幸せになっているさ」
「探せばいいじゃない。きっと生きてるわよ。聖騎士になった人間の家族は教会が保護しているはずよ。私の故郷の弟たちもそのはずだから」
「だったらお前は故郷に戻って弟たちと一緒に静かに暮らすのか?」
「それは……」
その時にはもう、故郷に帰ろうという気はしなくなっていた。帰ったところでやっぱりどうにもならないし、今の私は変わりすぎたから。化け物を殺して生きる私たちはやはり化け物で、私という化け物と対等に語り合ってくれるのは……同じ化け物であるイル達しかいないと思っていたから。
「だったら私たち、一緒に暮らさない? 国からもらったお金で、どこかでひっそり」
「本気か……? まあ、お前とだったら退屈しないかもな」
「レムリスも呼んでもいいわよ。まああいつは戦争が終わったら家に呼び戻されるだろうけど。なんだかんだいって英雄だからね。ナッシュはいやよ。あいつ女癖が悪すぎる。金使いの荒さも異常だしね。なんなのかしら、あの野蛮人」
冗談めかして話していると、最初は笑っていたイルだったけどすぐに悲しげな笑みに変わってしまった。それからイルは押し黙って、その沈黙を破りゆっくりと語り始めた。うつむきがちに、視線の先に組んだ自らの手を置いたその姿は、まるで懺悔しているかのようだった。
「アイネ。俺は……俺は、あの時……」
「あの時?」
「あの時……な。俺は……あの魔女と話をしたんだ。あの……ウェルシオンという魔女と」
そこで初めて私は彼女の名前がウェルシオンということを知り。
自分の愛情が、決して彼には届かないのだということを知った――。
間もなく、最後の戦いが起こって、それから戦争は終わった。
私たちはそれぞれやりきれない思いを抱えたまま戦地を離れたが、それで一番心を壊してしまったのがイルだった。
私にイルを癒すことは出来なかった。終戦直後のイルは、彼の望まなかった最後の任務の為、自分の想いの全てを投げ出してしまったばかりだったから、どんな言葉も届かなかったし、彼の中にはもう、希望の光は一つも残されていないようだった。
私に出来る事はなにもなかった。そこでもう、私と彼の人生が交わらない事は決まってしまったのかもしれない。けれども運命は悪戯を起こして、こうして再び魔女を中心とした運命の輪の中で私は彼と出会うことになった。
旅立ちの日、魔女とその騎士が集った。毒の魔女、炎の魔女、石の魔女、そして……。
蒼い髪の魔女、レヴィアンクロウ。その力を私たちは詳しくは知らない。彼女が何の魔女なのか、それはわからなかった。そう、まるで――あのウェルシオンのように。
ウェルシオンと同じ青い髪。そしてウェルシオンと同じ、黒き翼を持つ魔女。少女は翼を切り落とし、人になることを選んで旅に出た。その同行者としてイルムガルドが選ばれたということに、私はどうしても運命を感じずにはいられなかった――。
「…………昔話はこのくらいにしておきましょうか」
久しぶりに、本当に久しぶりに酒に酔っていた。少しだけうとうとする。隣を見るとイルはまだけろりとした様子で、少しだけ負けたような気がしてかちんときた。
「私がここであんたを待っていたのには理由があるわ。昔話をする以外の理由がね」
イルがゆっくりとこちらに顔を向ける。だから私は本来の私に戻って……懐かしくて甘い感情を胸の奥底にしまい込み、言葉を紡いだ。
「教会からの緊急命令よ。イルムガルド、アイネンルース、レムリス、ナッシュジールの四名は、魔女を伴い――指定の危険人物を誅殺せよ、と」
「……魔女四名と聖騎士四名を動員した暗殺? 相手は一体どんな化け物だ」
「詳しくは伝令を読みなさい」
封書を取り出して差し出すと私は席を立った。もうこれ以上ここで酒を飲んでいても、お互いにとって良くないことにしかならないだろうから。
「ちなみにそれ、あんたの妹さんからよ」
そう付け加えてやると、案の定あいつは何とも言えない表情を浮かべた。それで一矢報いたような気になって、私は少しだけすっきりした気持ちで階段を上がった。
そう、この階段をあがったら気持ちを切り替える。もう叶わない思いも、届かなかった沢山の願いも割り切って、魔女を救う騎士に戻る。
「だから……おやすみなさい、イルムガルド」
あの穴倉の中で、泣きながら語ってくれた彼の本音に、私はただ胸を打たれていた。
うつむいた彼を抱きしめて、彼女の代用品になることを受け入れた時、私は決定的に自分があの魔女には叶わないのだと知り……。
それでもかまわないのだと……それでも彼の傍にいて、彼の運命を見届ける一人になるのだと……そう決めたのだった――。