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#11 帰るべき場所

 「……気が付いたかい?」


  蒼い髪の少女だったから、その子が普通の子供じゃないって事にはすぐに気が付いたさ。それでも俺はその少女を助けようと思った。

 久しぶりにやってきた嵐の夜だった。強い風が俺の適当な作りを批難するように雨戸を揺らし続けていた。室内を照らすランプ一つ分の小さな光に照らされ、少女はゆっくり目を開いた。


「ここ、は……?」


「俺の家さ。心配はいらないよ。君が魔女だからって追い出したりしないし、教会の人間を呼んだりもしない。……そう驚かないでくれ。俺にとっては、魔女の存在はそこまで珍しくないからね」


 目を丸くした後、上体を起こそうとする少女。その肩に手をかけゆっくりとベッドに倒す。

 この家はある森の中にある。北へ……クィリアダリアからザックブルムへ向かう国境付近に広がる山岳地帯。その裾に尾を引くようにこの森は深く広がっている。

 少女を発見したのは、山越えの道から外れた場所にある崖下だった。つまりこの子はこの嵐の中山越えを断行し、崖の上から落下したと見える。とてもじゃないが子供が生きていられるような高さではなかったが、この子はやはり魔女なのか、命に別状はないという奇跡的な有様だった。

 もちろん体中細かい傷はあったし、見たところ足の骨を折っていた。肋骨も幾つかやられているようだ。どちらにせよ俺はそのすべてに応急処置を施した。聖都の医者程とは言えないが、それでもやらないよりはましな程度の自負はしていた。


「ここの嵐はすぐに通り過ぎる。明日の朝には晴れるだろうさ。それまでゆっくり休むといい」


「ありがとう、ございます……。その……」


「ああ、いいんだ。人様に名乗るような男じゃない。君を助けたのもただの気まぐれだし、あそこを通りかかったのもただの偶然だった。感謝するなら君の強運にすべきだろうな」


 それにしたって、どうにも美しい少女だった。まるで作り物のようだ……というのは、魔女に対しては少々不躾な感想か。少女の横顔を眺めながら笑い、しかし同時に俺は別の何かを感じ取ってもいた。長年旅をしているとありがちな事ではあるが、俺はなぜかこの少女に見覚えがあるような気がしていたのだ。

 それに気づいたのは嵐から逃れるように家に飛び込んで、手当てをしている最中だった。服を脱がすと少女の身体には幾つもの焼印が見て取れた。噂だけならば聞いたことがある、魔女の巡礼者とみて間違いないだろう。しかもこの少女、すでにかなりの数の聖地を巡っているらしい。旅の終わりにもそれなりに近づいているようだ。

 そんな事を考えながら、どれ、どんな顔なのかと改めて見たところ、どうにも覚えがある。はてどこでかと言われると霞がかかってどうにもいけないのだが、旅人にはありがちな事とそれ以上深く考えるのはやめておいた。




#11 帰るべき場所




「傷は痛むかい? 一応手当はしたが、いかんせん対処療法でね」


「痛みは……大丈夫です。このくらいの怪我なら、多分数日で全快しますし……」


「そうか。大人でも悲鳴を上げるくらいの傷ではあるんだがね。君は我慢強いね。そうだ、何か口に出来そうかい? スープがあるんだ。肉も入っているよ。いっちょまえにね」


 暖炉の火にかけてあった鍋の蓋を開けると、ちょうど頃合いだったと見える。なんとも良いにおいで、少女もそれに反応したのかぴくりと動いたのが見えた。どうやら日頃ろくなもんを食っていないらしい。苦笑しながらよそってやると、眠ったままの少女にスプーンを差し出す。


「ふー、ふー……。ほら、ゆっくり食べな」


「あ、ありがとうございます……いただきます」


 照れていたのは一口目までで、本当におなかがすいていたんだろう。差し出せば慌てて咀嚼するものだから、なんだか雛鳥に餌付けでもしているような気分だった。少し食べたらもう満足したのか、安堵するような深い息を吐いて目を瞑った。


「すごくおいしかったです……すごい……ただの山菜のスープなのに……」


「お気に召したようでよかったよ。しかし、それだけで足りるのかい?」


「はい。もうおなかいっぱいです」


「そういう事じゃなくて。魔女は血液を摂取する必要があるはずだろう? 幸いここには血液のストックがある。勿論人間のではなく動物のものだがね」


 ごくりと、生唾を飲み込む音が聞こえてきそうだった。少女は逡巡したのちその欲求を振り払うように首を横に振った。


「……いえ。私は、マスターの許可なく血液を摂取する事を禁じられています……あっ! あ、あの……私の他に、男の人を見ませんでしたか!? 背が高くて、教会の神父なんですけど……」


「魔女巡礼の付き添いかな? 残念だが君以外は見かけなかったなあ。無事にまだ崖の上にいて、嵐で君を探せないでいると考えるのが自然だろうね。とりあえず一晩様子を見た方がいい」


「そうですか……そうですね。あのマスターが……きっと無事に決まっていますよね」


 自分を納得させるように何度も頷き、少女はようやく人心地ついた様子だった。

 さっきまでずっと眠っていたからか、眠くはなさそうだった。俺は自分の分のスープを食い終わった後、天然の保存庫となっている地下室から酒瓶を持ってきて、干し肉を肴に一人で一杯やり始めた。少女はそんな俺を横になったまま眺めていたので、このままでは退屈だろうと考え、俺は少し彼女と話をすることにした。


「どこへ向かうところだったんだい?」


「国境です。旧ザックブルム領へ行く予定でした」


「それは、巡礼の旅の為に?」


「はい。私たちは……聖都オルヴェンブルムから、南方向にぐるりと旅をしました。そうして商業都市ゲリアから北上して、最終的にはヒースエンドを目指す予定です」


「ヒースエンドか。そりゃまたド田舎だな。俺も一度だけ行ったことがあるが、雪しかない町だよ」


 ヒースエンドは、ザックブルム最北端と言ってもよい場所で、魔女戦争時代にめっきり人が少なくなりゴーストタウン同然になったのだが、“実はヨト教の古い遺跡がある”という付加価値が近年発覚し、熱心な信者による巡礼の最終地点として一時注目を浴びた。しかしやはりザックブルム領の山奥にあるという事、危険な道程を考えると、まともに人が通えるような場所ではなく、その遺跡自体俺はお目にかかったことがなかった。


「ヒースエンド大聖堂か。あれはヒースエンドの街より更に北の山中にあるんだ。かなりでかいと聞いているね。あんな場所に誰がどうやって建造したのか、それを考えると確かに遺跡としか言いようがない。ただ、もうヒースエンドの街自体人がほとんど住んでいないような場所だから、かなり念入りに準備をしないと遭難するだけだぞ」


「随分と詳しいんですね。普通の人は近づく事さえしないと聞きます」


「そりゃあ、俺は冒険者だからね。世の中を巡り巡って、日銭を稼いでまた次の街へ。面白い物を見つけたり、貴重な話を聞いたり……そういう人生なんだ。元々戦争中は兵士をやっていたんだが、戦争が終わったら帰還兵には国が随分金を振る舞ってくれたもんだから、そいつを元手にガキのころの夢をかなえようと飛び出した。色々なもんを置き去りにした気がしたが、あの地獄みたいな戦場から生きて帰ったら、絶対に自分のやりたかったことをして死のうと心に決めてあった」


 旅先では色々な事があったし、色々な人と出会った。その経験あればこそ、魔女を恐れずにも居られる。それにこんな傷だらけの子供だ。いざとなったら俺でも殺せるんじゃないだろうか。


「まあとにかくそんなわけだから。俺は誰にも縛られない立場だから。君も安心していい」


「……ありがとう。それで、その……おじさんは、どうしてここに?」


 そりゃ尤もな疑問だ。なにせこの山小屋は結構年季が入っているし、生活感もひしひしと感じられただろう。

 俺がこの山小屋に住むようになったのは二年ほど前からだが、それ以前からこの山小屋の存在は知っていた。というか俺が年数かけてこつこつ作ったものだ。素人建築なものだからたまにあちこち悪さをするが、今のところ幸運な事に命に別状はない。


「ここに住んでいるんだ。娘と二人でね」


「娘さんと……ですか?」


「一緒に旅をしていたんだが、病気でね。これが少し厄介な病気で……ああ、うつるようなものじゃないから心配はいらない。ただそれが、外見的に問題ありで。薄気味悪いってんで普通の街では暮らせなかったから、追いやられるようにここに落ち着いた」


「病気、ですか? それ……少しだけ詳しく聞かせてもらっても……?」


「ああ。まあ、こいつを話すと少し長くなるんだがね……飽きたら眠ってしまって構わないよ」


 そう前置きしてから俺は語り始めた。俺と彼女の半生の冒険を……。




 娘の名前は、ピリカと言った。正式にはもっと長い名前があったが、とりあえずピリカでいい。覚えやすいし、彼女自身がそう呼ばれることを喜ぶからね。

 ピリカは十歳そこそこくらい……君と同い年か、一つか二つくらい上だろうか。娘の年齢をはっきり覚えていない親なんてろくなもんじゃないが、まあ覚えていないんだ。すまないね。

 ピリカは病気だった。どんな病気かというと、まあ体が病弱っていうのもあった。ただ何より、外見がちょっとおかしかったんだ。あの子は髪の毛が緑色だった。それもつやつやと光り輝く、まるで波を閉じ込めたみたいな髪でね。最悪なことに、目の色も緑だった。加減によっては、少し青っぽく見えたり、黄色っぽく見えたりもしてね。それから彼女の身体には、何故か草花が生えた。

 ピリカの身体からは何種類かの花が咲くんだ。それの頻度とか加減に月の満ち欠けが関係してると気が付いたのは割と最近の事でね。すごい時は一晩眠って朝様子を見に行くと、ベッドがお花畑になっている事もある。まあそれで、元々の村に住んでいられなくなって旅に出たというのも大きいだろうね。

 俺たちは旅をした。旅をしながら彼女の病気を癒せる人を探したが、そんなもんはいなかった。多分これからもいないだろう。同じ奇病を患っている人は一人も見なかったしね。

 だから俺たちはもう誰かに頼るのではなく、その人生を受け入れようと決めた。だから森の中に家を作って、とりあえず食べていくのに困らない程度の恵みを森からもらって、あとはひっそり暮らすことにした。一応、それなりに文化的な暮らしはしたかったから、山菜や獲物を持って俺が一人で街に行ったりもする。最初は訝しく思われて相手にされなかったが、最近は取引もしてもらえるようになったからこうして酒も手に入る。あ、まあこれは自家製のやつなんだけどね。

 ただまあ、生活は出来てもピリカは寂しかったろうね。俺は毎日彼女に冒険の話を聞かせたんだけど、毎日同じ話をしているから飽きてしまう。だから街に言って絵本を買ったりしたね。

 じっくり腰を据えて生活するようになってから、ピリカから生えている花がなんて名前なのかを調べようって発想になった。いや、もっと早く気づくべきだったかもしれないね。ただいくら調べても彼女から生えてくる花がどんなものなのか俺にはわからなかった。未知の植物だったんだ。

 ただ、とても甘い香りがした。毒は……なかったと思う。ここまで来たらものは試しだと思って食ってみたら、これがいける。君がさっき食べたスープにも少し入ってたよ。気を悪くしたかい? でもおいしかったろ? なんかこう、コクがでるんだよなあ。何故なのかはわからない。

 何かこう、体にいい成分でも入っているのか、それをたまに食うようになってから無病息災でね。見ての通り健康さ。だけどあの子に食べさせても病気は治らなかった。俺はなんだがピリカの元気を奪ってしまっているように思えて気が引けたけど、あの子はそれで俺が元気になるならいいと言って、自分の胸から花を手折って俺に差し出してくれた。

 これがうまい上に体にもよさそうなんで、売る事にしてね。これが大ヒット。もちろん生産量は少ないのでいつもとはいかないが、たまに譲ってあげたりすると喜ばれたし、高値を出しても買いたいという人が現れて、豪遊ってほどではないが、少しは備蓄もできた。それで珍しい物を買ってみたり、楽器を新調したり……ああ、君は音楽は出来るかい? 旅人はできたほうがいいよ。

 故郷には色々な物を放り出してきたけど、これでも今は幸せでね。満ち足りた人生だと思っているよ。ピリカを皆に見せてあげる事は出来ないけれど、ここにいる限りピリカは僕の愛娘でしかない。近くの街の人たちも憐れんでくれて、お古のおもちゃをくれたりしてね。年頃の子供と手紙の交換をしたこともあるね。ピリカは部屋にいる時間が長いから、勉強はできたから。村の学校にいっている子にも負けないくらい、うんと頭がよかった。

 最近じゃ難しい本も読めるようになってね。お父さん読んでなんて言っていたころが懐かしくて少しさびしいけど、俺に面白い本の話を聞かせてくれるようになったりしてね。こりゃあ立場が逆転だなんて思ったけど、それがまた面白い。やはり父親の教育の賜物かね。あの子は話が上手だ。ちょっとだけ内容を変えたり盛ったりしちゃうのも、父親譲りなのかね……。


「……っと。もうこんな時間か。そりゃあ、眠くもなる……?」


 見れば青髪の少女は眠りながら一筋、涙を頬に流していた。それが何を意味するのかはさっぱりわからなかったが、俺は毛布を一枚彼女の上に足してあげて、自分も暖炉の火を消してから毛布に包まることにした。




 翌朝、乱暴なノックの音で目を覚ました。少女がまだ眠っているのを横目に起き上がり戸を開くと、そこにはずぶぬれになった神父が経っていた。

 嵐はすっかり去っていたが、彼はついさっきバケツをひっくり返されましたと言わんばかりだ。なるほど、確かにいい男なので水も滴るか……そんな事を考えていると、男は俺に言った。


「朝早くに失礼する。単刀直入に訪ねるが、あんた、魔女を匿っていないか?」


「ああ、匿っているよ。あの子から話は聞いてる。さ、上がってくれ。それにしてもひどい有様だなあ。暖炉で少し温まっていった方がいいぞ?」


 なぜか男は怪訝な表情を浮かべたが、素直についてきた。そうして眠っている青髪の少女のそばに誘導してやる。俺は暖炉に火をつけて、昨日のスープの残りを暖め始めた。男は少女の頬を結構強めに叩いて起こしていて、少しかわいそうだった。


「おい、レヴィ。何をのんきに寝こけているんだ、このバカ」


「あぅっ、あぅう……マスター……? マスター! よくご無事で!」


「お前の方がよく無事だったな。こんな所で一晩過ごしたのか。気づいてるんだろう?」


 二人は何かを話していた。それから少女はベッドに腰掛けたままで、男はこちらに近づいてくる。暖を取りに来たのだと思いきや、いきなり俺の首に刃を突きつけてきたので驚いた。


「なんだなんだ? 俺はその子に何もしていないぞ?」


「こいつの手当てには感謝している。だがいつまでそうしているつもりだ?」


「いつまで? あんたこそいつまでそんなずぶ濡れの格好でいるつもりなんだ?」


「とぼけるな。俺は言ったはずだ。お前は魔女を匿っているな、と」


「ああ。匿っているって。だから……」


「こいつの事じゃない。お前が匿っている――もう一人の魔女の事だ」


「……はあ? 一体何を言って……っつぅ!?」


 突然、こめかみに強烈な痛みが走った。それから耳がきぃんと音を立ててしびれている。これは高山病の症状に似ているな、なんてことを冷静に考えながら頭を押さえてうずくまると、男が何かを叫んでいるのだがそれが聞こえなくなった。青い髪の少女が何か言いながら近づいてくる。片足が折れているので、まだ動ける状態にはないはずだ。それを庇いながらでも歩けるのだからさすがは魔女――――魔女だって?


「ぐあっ!?」


 なんだ。またこの激しい痛みが……。少女が屈んで俺の目をまっすぐに見つめてくる。青い光が瞳の中に渦巻いている。それを見ていたら少しずつ気分がよくなってきて、痛みも薄れていった。


「……大丈夫ですか?」


「あ、ああ……。君が助けてくれたのか……?」


「……はい。でも……その……。マスター、この人やっぱり……」


「はずせそうか?」


「いえ、かなり強力な呪いです。無理に外したら多分、この人の心が持ちません……」


「……なら本体を叩く。行くぞレヴィ」


「ちょ、ちょっと待ってくれ。君たちは一体何の話をしているんだ?」


 そう疑問を口にした直後、また激しい痛みが全身を襲った。だが今度は正体不明の痛みではない。体が吹き飛ばされ、壁に激突した物理的な痛みだった。

 何が起きたのかわからないまま、最初はあの神父にやられたのだと考えたが現実は違ったようだ。なぜなら神父は私と同じように倒れていて、小屋の壁は吹っ飛び半壊。そしてそこには何故か眠っていたはずのピリカが立っていたからだ。あのレヴィと呼ばれた少女も傷を負って倒れている。なぜかピリカだけが無事なので、まるでピリカがこの状況を作った犯人のように――。


「あ……ぐああああっ!?」


「おじさん、あまり考えないで! 今考えたらおじさんの心が壊れてしまう!」


「レヴィ……ちゃん。俺は、いったい……なにを……」


「できるだけぼんやりしてください。目の前の現実を俯瞰するんです……っ」


 抗いがたい命に係わる痛みから逃れたくて、俺は藁にも縋る想いで彼女の言うとおりにする。

 ぼんやりと、何も考えないように。俺は目の前の状況をゆっくり理解する事に決めた。

 壁が吹き飛ばされている。家具も吹き飛ばされている。そうだ、風だ。まるで部屋の中で嵐が起こったようだった。見れば先ほどまで晴天だったというのに空は曇り始めている。雨が降る……ういや、これは――嵐なのか。


「やっぱりここに隠れてやがったか……! レヴィ、下がってろ!」


 男は剣を抜く。そしてあろうことかピリカへと襲い掛かった。ぼんやりした頭でそれを目で追うと、男の身体の周りに風が集まり、爆発するのが見えた。吹っ飛んだ男の身体へ風が鋭く追撃を放ち、まるで剣で切り付けられたかのように男の身体から血が噴き出した。


「マスターッ!!」


「いいから下がってろ! そっちの男を連れて出来るだけ離れるんだ!」


 何が起こっているのかわからない。ピリカが何をしたというのか。何故教会の騎士に襲われなければならないのか。いや、答えは出かかっている。だけど考えようとすると頭が割れるように痛む。これは間違いなく死に直結する痛みだ。だから俺は自愛しなくてはならない。


「テメェは好き勝手にやり過ぎた……いい加減、年貢の納め時ってやつだ」


「マスター、その子は……!」


「見ればわかるだろレヴィ。こいつはもう助からん。だったら――処分するのが俺の役目だ」


 男の纏っている雰囲気が変わった気がした。男は剣を片手に引きずるように走り出した。その速力は人間離れしていて、一瞬でピリカとの間合いを詰めていく。風はピリカを守るようにはぜたが、男は大地に剣を突き刺してそれに耐え、降り注ぐ目には見えない風の剣を、目以外の五感で感じ取ってかわしていた。そうして一気に低い姿勢から飛び込み、横にピリカを剣で薙ぎ払った。

 悲鳴が轟いた。少女の悲鳴が轟くという表現はおかしいがそうとしか言いようがなかった。しかも切っ先はピリカを捉えていなかった。小さな少女の頭上を通り抜けただけのはずなのに、返り血が噴き出して騎士を濡らしている。ピリカは助けを求めるように悶え、私に手を伸ばした。


「……ピリカッ!!」


 男は鬼気迫る勢いでピリカを切り刻んでいる。ピリカの身体にその切っ先は届いていないのに、まるで断末魔のような悲鳴が轟いている。私は痛む体を引きずってピリカに駆け寄り、男に背後から掴みかかった。


「やめろ! 俺の娘に何をするんだ! 死んでしまうじゃないか!」


「……バカ野郎! こいつはお前の娘なんかじゃねぇ! ましてや女でも子供でもねぇ! “魔女”ですらな! こいつはただ……“魔獣”だ!!」


 次の瞬間風が爆ぜて、私は男もろとも吹き飛ばされた。その衝撃は尋常ではない。爆弾だ。大砲の一撃だ。こんなものを浴びて何故男が無事だったのかさっぱりわからない。俺の身体は内側からめちゃくちゃになった。吹っ飛んで大地の上を何度も跳ねると、じんわりと体中が温かくなり、それからすぐに恐ろしく寒くなった。穴という穴から血が流れ出し、自分がもう避けられない死の中に運命を置いている事を悟った。


「あぁ……っ! どうして……どうしてっ!!」


 声が聞こえる。青い髪の女の子が近づいてくる。俺は朦朧とする意識の中、ゆっくりと彼女から視線を動かし、自分がピリカだと思っていたものを見た。そこにいたのは青白い肌を持つ、体長2メートルを超える人型の怪物だった。

 裸の身体からは植物が生い茂り、頭は既になく、大きな赤い花が代わりに口を広げていた。男が切り付けていたのはピリカではなかった。あの怪物……魔物だったのだ。そして同時に俺は理解した。あの魔物は、俺がピリカだと思い込んでいたものなのだと。


「俺は……何を……していたんだ?」


「喋らないでください……今……傷を癒します!」


 少女が身体に触れると同時に、まばゆい光が走った。少女がふれたところからまるで吸い出されるように痛みが消えて、血色の悪い肌が生命を取り戻すのがわかった。


「これは……魔法……?」


「やめろレヴィ! そいつはもう死ぬ!」


「でも、まだ……助けられます!」


「それ以上魔法を使うならお前を殺す! 命令だレヴィ……魔法を止めろ!」


「でも……だって……だけどっ! 命なんですよ!? まだ生きているんですよっ!?」


「“だから”だろうが! 約束を忘れるな、レヴィ!」


 男の叫びに少女は唇をかみしめる。血が流れる程に。そうして悔しそうに、本当に悔しそうに目を瞑り、あふれる涙をそのままに眉を顰めて俯いた。


「あぁああ……ごめんなさい……ごめんなさい……」


「なぜ……謝るんだい……?」


「ごめんなさい……助けてあげられなくて……あなたを……あなたたちを……」


 なぜ謝るのだろう。何故昨日であったばかりの人間に頭を下げて、心から懺悔して……。そんなのはおかしい。この子は何も悪くない。何にもしちゃいないじゃないか。

 少女に手を伸ばすと、血まみれの手を彼女は両手でしっかり握りしめてくれた。涙にぬれた瞳は美しかった。不謹慎かもしれないが、俺はそこで思い出した。自分が彼女をどこで見たのかを。


「絵……だ」


「え……?」


「天使……」


 ゆっくりと首を動かし、倒れた魔物を見つめる。そうするとまるで閉ざされていた記憶が堰を切ったように頭の中に流れ始めた――。


「……父ちゃん、また行っちゃうの?」


 誰だ、この少年は。いや覚えている。この子は本当の俺の息子だ。


「俺、待ってるからね。母さんと一緒に、ここで畑守って待ってるから。だから……」


 なぜか涙が溢れてきた。どうしてだろう。どうしてこんな大事な事を忘れていたのだろう。

 そうだ。俺はあのピリカという少女と暮らしていた、それは事実だ。だけどピリカは……娘なんかじゃなかった。あの子は、あの娘は、人間じゃなかったんだ。

 ザックブルムの田舎町で……ヒースエンド。そうだ、その近くだった。そこであの子を見つけた。一人で死にそうになっていたから哀れに思って助けたんだ。魔女なんて薄気味悪い物を、戦争で散々見たあの化け物を助けたのは、それが売れば金になりそうだったからだ。

 実際物好きな金持ちに売りつけたら高値がついた。一生遊んで暮らせる金だ。それで俺は故郷に帰って息子と妻と一緒に暮らそうと……。ああ……思い出した。思い出して……しまった。


「――私を置いていかないで」


 確かに売りとばしたはずの少女が血まみれの姿で現れた時、俺の中にあったのはただ恐怖だった。こいつは間違いなく魔法を使ってあの屈強な大人たちを殺して逃げ出してきたのだ。優しい顔をして連れまわしておいて目的は金だったということに彼女も気づいたはずだ。腰を抜かしてがたがたと震える俺に、しかし少女は泣きながら縋りついた。


「一緒に連れて行って……お父さん……」


 むせ返るような濃い、とても濃い血のにおいがして、頭がくらくらしたんだ。


「お願いだから私を……怖がらないで――」


 恐怖で発狂しそうな俺はそこでおそらく一度心を壊してしまったのだろう。そして作り変えられた……彼女にとって都合のいい父親に。


「お父さん」「お父さん!」「お父さん……」「お父さん?」「お父さんっ」


 頭の中に次々に記憶がよみがえる。記憶を失った俺は、だんだんと彼女との生活になじんでいった。だけど彼女は魔女で……そうだ。魔女は個体差はあれど、成長するにつれて化け物になっていく。いつかは怪物に成り果てる。そんな噂を聞いたことがある。

 そしてそれはただの噂ではなかった。ピリカはだんだんと怪物になっていった。それでも怖がらないようにと、彼女は俺に幻を見せて……。


「ああ……ああああっ! 俺は……俺は……なんて……ことを……」


 自分が何をしたのかハッキリは思い出せない。ただここに討伐の為に騎士が来たということは……間違いなくその存在が露呈するような事件があったという事だ。

 その為に俺はきっとピリカの手足となって動き、誰かの命を奪うようなことにも加担したかもしれない。そんな悍ましい想像に身震いが止まらなくなった。涙が止まらない。俺は間違ってしまった。金に、欲に目がくらんで、大変な化け物を雪の中から持ち帰ってしまった――。


「俺は……俺は……ああ……あああ……」


「おじさん……」


「妻は……息子は……。ああ……なんてことだ……なんて……」


 ならばこの死の苦痛も俺に与えられた罰なのだろう。ピリカは……怪物の姿からあの美しい少女の姿に戻っていた。そのように見えた。もう長くはないのだろう。騎士も剣を収めていた。私は死に体に鞭を打ち、地べたを這いずってピリカに近づいていく。


「ピリカ……ピリカ……」


「おじさん……?」


「あれは……あの子はピリカなんだ。俺は騙されていたしおそらく許されない罪も犯したのだろう。だがそれでも、そうだったとしても……」


 あの子は記憶の中で笑っていたんだ。人懐こい笑顔で、お父さん、お父さんと。俺に何度も甘い声で囁きながら胸に頬をこすりつけて、幸せだ、幸せだと言ったんだ。


「俺は罪を犯した……。ピリカもそうだ。許されない。絶対……それでも……俺は……っ」


 俺は人間だ。どこまで行ったって人間なんだ。

 欲にまみれ、傲慢で自分本位な人間だ。だからこそ、情だってある。

 あの子は間違えていたが、その間違いを誰も正せなかったのはきっと大人の問題なんだ。俺たちがあの子にただ汚さばかり押し付けてきたから、彼女は誰にも助けを求められなかったんだ。

 俺のせいじゃないか。俺があの子をあんな怪物にしてしまった。だったらその責任くらい、死に際に果たしたっていいじゃないか。


「ピリカ……」


「おとう……さ……」


「ピリカ……俺はね、全部思い出したよ……。それでも君は……俺の……娘……だよ」


 息子にしたように、冒険の話をしてあげたんだ。

 息子としたように一緒に料理をして。笑いあって。寄り添って寒さを凌いだんだ。

 当たり前に生きていたんだ。当たり前に、細やかな幸せを求めて……。


「何も変わらない……何も……。どうか……どうか許してくれ。こんな俺が君のお父さんになってしまった事を……。こんなお父さんにしか、なれなかった事を……」


 小さな手を握りしめると、あの日と同じようにむせ返るような赤い匂いに涙がこみ上げた。もうピリカは何も言わなかった。うつろな瞳に映りこんだ自分の無様な姿に俺は吼えた。

 きっと誰にも許されないだろうからこそ、俺だけは彼女を許そう。それがピリカという魔物を世に解き放ってしまった俺の責任なのだから――。




「――お父さん。今度は私が本を読んであげるね」


 光の中、ベッドに腰掛けてピリカが笑った。

 俺はゆっくりとうなずいて、真実につながる扉を閉ざし、彼女の傍に腰掛ける。


「むかしむかし、あるところに一人の神様がいました。神様は他の神様と違って、人間にやさしい神様でした。神様は他の神様とけんかをして、人間の世界へおりてきました。人々はその神様のことを、天からの使い……あまつかい、と呼びました」


 心地よく聞こえる声に耳を傾けながら目を瞑る。なんだかとても眠たいんだ。


「お父さん? お父さん……?」


 聞いているよ。ちゃんと聞いている。ずっと聞いているよ。時間はまだ、たくさんあるから。


「……おやすみなさい、お父さん……大好き……だよ」


 俺もさ。だって君は、俺のたった一人の家族で……。

 たった一人の……俺の……娘……なのだから………………。

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