01-02 満点の夜空
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シスター達の後ろに着いて食堂に入ると、皆が世話しなく皿やコップを机の上に置き、パンが入ったバスケットを置いたり、湯気の出ているスープを注いだりしていた。
各々が分担して食事の用意を自分なりに手伝っている中、ひとり呆けたように立っていた慶次。
「はーい、みんな。席について昼食を食べましょう」
パンパンと軽く手を叩くとそう言って、まだ自分で椅子に座れない児童を持ち上げて手伝うシスターマリア。
それを合図に、慶次が手を焼いていた児童達が一斉に大人しく椅子に腰を下ろしていく。
あれほど騒がしかった児童達も、食事の前では大人しくせざる得ないのだろう。
「早くこいよケージー」
「こっちよケージー」
「ゲジゲジー」
一人の女の子が慶次に近づいての手をとると、誰も座っていない椅子まで導く。
慶次は椅子に腰を下ろすと、バスケットに入ったパンを取り、手で千切ると口に持っていく。
机の前に並んだ全員の視線が、その光景をただ見つめていた。
「ん」
一人暮らしが長かったせいもあって、集団行動に鈍くなっていた慶次。
シスターと児童達が全員手を繋いで、自分を見つめていることに気が付いて、口に入れようとしたパンをさらに戻すと、痴態を誤魔化す様に一つ咳をして、両側にいる児童の手を軽く繋ぐ。
慶次が両手を繋ぐのを見たシスターマリアは、にこりと微笑むと正面を向いて目を綴じ、うつむき加減で神に信仰の祈りを言葉にする。
「父よ、あなたの慈しみに感謝して、アーメン」
「「「アーメン」」」
シスターに続き、真似をするように児童達も神に信仰の祈りを言葉にすると、皆が一斉に食事を取り出した。
食事が済んだあとも神に感謝の祈りもあるのだが、食事前に起きたことと似たような光景が見られたのは言うまでもない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
―――その日の夜
慶次は修道院の外にある椅子に腰掛けて、満点の夜空を眺めていた。
空気がとても澄んでいるのか、星々の一つ一つがはっきりと見えていた。
澄んだ空気の夜空に流れる星。呼応するようにして綺麗な音色を奏でる虫達。
「寝られないのですか」
「すまない。起こしたか」
修道院から出てきたシスターアリスが慶次を見やると心配そうに問う。
「ここに運び込まれた時に酷いうなされ様でしたから」
「……」
病人や怪我人の看病に馴れたシスターという職業柄、人の機微に敏感なのだろう。
気遣いの言葉をかけたシスターアリスに、何も答えないでいる。
「神は全ての人を愛しておられます。「事実」はたった一つしかありませんが、「真実」は人それぞれにあるのです」
「……」
シスターアリスの言葉を目を閉じて聞き入る。
「そうそう。満点の夜空は如何ですか?」
「俺の暮らしていた街でも、ここまで澄んだ夜空は見られない」
何も答えない慶次に、悲しそうな表情を取り去ると一変、笑顔で問いかける。
シスターアリスのさり気ない気遣いに苦笑でもって答えると、おもむろに夜空に向けて手をかざす。
「こう、手を伸ばすと星々がすくえそうだ」
「うふふ、子供みたいなことを言うんですね」
慶次の行動によって先程までの重くなっていた空気は晴れ、短くはあるが何気ない会話を絶えず交わしていたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
―――数日経過
当然金銭などの類は持ち合わせていない。
修道院に滞在している間、返礼として労働力を対価としていた。
ここでは成人男性の労働力は貴重だったらしく重労働は基より、屋根の修繕に至るまで幅広く助力を乞われた。
そして、労働の空いた時間、つまり休息時に今まで放置していた問題について、情報を収集していた。
慶次が置かれている状況を理解すれば、問題が浮き彫りとなってくるだろう。
それは、現状では分からないを今は保留する……つまり、何故森の近くで倒れていたかという理由は、誰に聞いても分からないことから保留することにして、この土地が何所なのかということに尽きる。
数日前に、夜空に浮かぶ星々を観察していた時に、この土地が、今まで暮らしてきた世界で見たことが無い星の配置をしていたからだった。
天体(太陽もしくは北極星)を観察すれば緯度と経度を計測するまでもなく、自宅とこの地がつながりの無い場所ということくらいは分かる。
そしてそれを裏付ける根拠として、昼夜問わず月に似た天体が2つあったのだ。
この2つの天体をこの世界の人間は「ツヴァイ」と呼んで崇めており、太陽と「ツヴァイ」の位置を観測することで時刻を割り出している。
少し大きな町になると、時刻を観測するための日時計があり、時刻を鐘で知らせるようになっている。
シスターいわく、森の入り口から繋がる街道を進めば、ボンベイタウンという都市がある。
この修道院のある宿場町は、街道のほぼ真ん中に位置する場所にあるという。
慶次を助けてくれた者達は、ボンベイタウンから来た冒険者ということが分かった。
ボンベイタウンから修道院のある宿場町の街道は、昼日中だと冒険者の往来が頻繁にあるらしく、治安は比較的良好だという話しだ。
ボンベイタウンには商工業者間で結成された、各種の職業別組合がある。
職業別組合は都市の定住に伴って形成された、相互扶助のための組合・団体であり、営業権を守ることや遠隔地で取引する際の安全などの確立、結束を強めて様々な取り組みや維持を目的として組織されている。
職業別組合を分類すると、宗教ギルド、冒険者ギルド、商人ギルド、職人ギルド、保護ギルドに大別される。
情報から、自分が置かれている状況や、この先どうしていくかなど問題は山積みあった。
少なくとも、ここで得られる情報よりも、拠点を移した方がより得られるものがあるだろう。
冒険者に助け出された森に行って調べたいが、何も知らないし、自分の力が通じるかも分からないではそんな危険は冒せない。
そして児童達を養っている修道院に、国籍不明の無職男が無償で長く住み着くのも、問題が出る恐れがある。
小さな不注意や、油断から生じる自分の秘密で、修道院の人達を巻き込むわけにはいかないという気持ちが慶次の行動を逸らせた。
何れにしても、金を得ないことには話しが始まらないと判断した慶次は、シスターに相談することにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「記憶喪失ですか……ボンベイタウンに行けば思い出すかも知れないと」
「はい。それに、ずっと御世話になり続けるのもどうかと思いまして」
「ですが……冒険者という職業は危険に満ちていますよ?」
「そうですよ。いつ死ぬかも分かんないんです。シスターマリア、もっと言って下さい!」
自分がどうしたいのかをありのままシスター達に伝えると、予想した通り止められる。
「ええ、でも決めるのはケージさんです。私達に止める権利はありません」
「すみません……」
「「……」」
しかし、シスターマリアは慶次がしたいようにと止めはしなかった。
ここで過ごした時間は短かったが、全員に受け入れられていた慶次。
慶次としても、既に安らぐ場所になっていたため、修道院を離れることが名残惜しい。
「それでしたらこうしましょう。暫くは……」
シスターマリアは当面必要となりそうな金銭の入った小袋を机の上に置く。
ボンベイタウンにはシスターアリスが同行することを認め、その際に都市を案内してもらうことを提案する。
そして修道院を去るにあたり、以下の4つを守るよう慶次に約束させた。
1.無理したり焦らないこと。
2.たまにはここに姿を見せにくること。
3.その時は児童達の遊び相手になること。
4.困ったときは遠慮せずいつでも相談にくること。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
―――別れの朝
「御世話になりました」
「次は勝つからな!」
「ケージー、行かないで~」
「えーん」
「ほらみんな泣かないの。ケージお兄ちゃんは又来て遊んでくれるわよ」
「マリアだって泣「えーん」」
慶次は足に縋り付く児童達の頭を一人づつ雑に撫でると、シスターアリスが引き剥がしていく。
全員と別れの挨拶が済んだところで、幼児を抱えたシスターマリアが出発を促す。
次に会えるのは何時の日になるのだろうかと、その時、自分はどんな人間になっているのだろうかと、ふと、そんなことを考えながら二人旅路につくのだった。