プロローグ_誤解
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「チッ……態とかよ」
嵌められた、と断言できるほどのタイミングだった。
慶次が文句を言うのも無理はない。
これほど騒がしくしていて、気が付いた人物が一人だけというのもおかしな話だと。
間が悪かったとしか言いようがなかった。
「おいおい、俺はこいつらを伸した――って聞けよ」
「こ、こいつは通報のあった組長!」
「お、俺に逮捕させろ!」
「こ、この野郎! 俺が逮捕し……お、応援を呼んで来い!」
両手にしっかりとジェラルミン製の盾を握り締めてじりじりと歩み寄る。
その間、次々に呼ばれた応援がやってくる。
暴れたり凶器を持った犯罪者を取り押さえるアルミ製の刺股をぐいぐいと突き出す。
「ま、まぁ、とりあえず聞け、な?」
「な、なんだ貴様! 抵抗するか!」
「も、もっと応援呼んで来い!」
「こいつを挙げれば功労章、いや勲功章もありうる……くわっ!」
「逃げちゃ駄目だ逃げちゃ――」
手を前に突き出して、とりあえず落ち着いて話し合おうと問いかけるも、自分が日本刀を手に持っていることを忘却している慶次。
その行動に一部の隊員が腰を引く。
「逃げれる、か? いや……」
「この日の為に、毎日鍛えてきた上腕二頭筋が火を噴くぜ」
「では、俺は大胸筋で三三七拍子といこうか」
「くっ、脳筋共め! 見せてやる、俺の刺又の威力を!」
この状況を、どうやって切り抜けようかと思案して……逃げるのは無理だと諦めた。
如何に慶次でも、日々の弛まざる訓練で培われた、屈強な肉体を持った隊員達の前には為す術もない……訳でもなかった。
(いや、一つあるじゃないか)
考えを行動に移すべく、気付かれないように距離を取ろうとする。
しかし、簡単に逃がしてくれるほど彼らは甘くはない。
それを見越して、ジェラルミン製の盾を両手に構えながら、各自展開していく。
刺又を持った隊員達も、二対一の割合で同じようにして隙を窺う。
「……チッ、むさ苦しい奴らだ」
「な、ななななんだとぉ!」
「貴様、筋肉を馬鹿にするか!」
「たまに事故るんだよねぇ……フフフ」
慶次の何気ない一言に隊員達が色めき立つ。
隊員との距離は五メートル。まさに絶体絶命。
前方には屈強な隊員達が行く先を塞ぎ、
後方ではミニバンが逃げ道を塞いでいる。
残された道は何所にも無い。
前門の虎、後門の巨人、否、狼である。
「ふぅ……はぁあああああああああ」
慶次は深く息を吐くと、何を思ったのか大声を出しながら走り出す。
「か、確保ぉおおおおお」
「かぁちゃん見てろよぉおおおおお」
「いやぁああああん」
「薙ぎ払えぇえええええ」
慶次が走り出すと同時に隊員達も負けじと早足で駆け寄る。
ジェラルミン製の盾と盾がガチガチとぶつかり合う。
負けじと刺又と刺又がガチャガチャと頭上で交差する。
次の瞬間、ジェラルミン製の盾を構えた大柄な隊員目掛けて大きな跳躍した。
勢いと体重の乗った足は、ジェラルミン製の盾に直撃。
衝撃を受けた隊員は大きく姿勢を崩すと思えたが、後ろからの援護によって隊員全員が奥へ奥へと押し込むように雪崩れ込んで……。
その時、
押し込んでくる隊員達の力を利用して、逆にジェラルミン製の盾を蹴り上げて跳躍したのだ。
刺股を構えた部隊が押さえ込もうとするも空を切る。
跳躍した慶次は、約二メートルある車高のミニバンを飛び越えていく。
勢い余った隊員達はよろめいて倒れたり、仲間同士でぶつかり合って目を回したり、盾や刺又が引っかかったりとほとんどの者が動けず、ただ呆然としていた。
「よっ……と、まぁあほ面浮かべるのも当然か」
「かぁちゃぁああああん」
「ふぁ!? 奴は何所に消えた!」
「ま、まぁあてぇえええええ」
ミニバンを飛び越えていく慶次を見やる隊員達は、奇跡でも見たかのようにして例外なく、皆が目を大きく見開き、口を開けて呆然と眺めていた。
「チッ、どこだよ」
逃げてきた場を心配しつつも辺りを見回しながら走る。
現実に引き戻されたのか、後ろからガチャガチャ、コツコツと聞こえてくるが全部無視してひた走る。
観客がいれば大歓声が沸きそうなほど引き連れていた。
「あ、あれだな」
そう、慶次の切り札というのは工藤だった。
まだ隊員が待機しているなら部隊長もいるはずだと。
「えーと、なんだ、工藤、いないか?」
「ひぃ! こ、殺されるぅううう」
「も、もうしませんから、い、命だけは、命だけは!」
「なんだなんだ!? き、貴様、そ、それはなんだ!」
「ほ、本官を殺しに来たんだな!? そうなんだな!?」
チッまたかと悪態をつくが、自分の後ろには数珠のように連ねて追いかけてくる隊員達をトレインしていることを考えて、ここで暴れても始末に終えないと考えを廻らせる。
暴走族風の男は聴取が済み、休んでいるところに来た慶次にびびる。
地元警察も駆けつけてきたため、大人数では署内に入りきらないということで、現場で聴取を取っていた……が、慶次の姿を見ると一斉に青ざめた。
もうこれは駄目だろうと諦めた……とその時、救世主が機動隊バスから降りてきた。
「あはは、工藤さんって面白い方なんですねぇ。初めてあった時はもっと怖い方だと思ってました。こ~んな、フグみたいな顔してたからぁ♪」
「あれは仕事で仕方なく、ですね! こんな私も実は私生活では、こ~んな、紳士なんですよぉ? ん、なんか騒がし……あれ? 慶次さん、帰ったんじゃないんですか?」
「「わぁ~い、もっと上げてぇもっと上げてぇ」」
「……」
工藤の後ろに連れてバスを降りてきたのは、さっきまで絡まれていた女子高校生と弟妹達だった。
その際、楽しそうに会話しながら、如何にも是非今度休日に逢瀬を楽しみましょう的な雰囲気を醸しだしていた。
幼い弟妹達は弟妹達で、工藤の両腕にぶら下がって勝手に楽しんでいる。
その光景を目の当たりにした慶次はというと……。
ドン引きである。
目の前で繰り広げられているメルヘンに、一同、口を開けながら呆然としていた。
職務中は駄目だろう、と。
――カシャン――慶次の腕から零れ落ちるようにして、地面に落ちた日本刀が虚しく音を立てる。
「あぁ、と……これ、なんとかしてくれ」
慶次は、後ろを振り返らずに、サムズアップした手を後ろに向けて指差す。
指を差された隊員達は、今だ呆然としていたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
この場から去っていく慶次の後姿に敬礼を続ける工藤。
見えなくなると敬礼を解いて部下に激を飛ばした。
帰宅の路につきながら、警察学校時代に指導した工藤のことを考えていた。
工藤という男は猪突猛進で、一度これと決めたら意思を曲げない変わった奴だった。
合宿訓練の折りに、盗難騒ぎがあったことを思い出す。
留守の間に、部屋に侵入して財布の中身を盗み出すというよくある話だ。
犯人は工藤の親友と同室で泊まっていた者達だ。
犯人達は口裏を合わせていたため、犯人として祭り上げられたのは工藤の親友だった。
状況証拠から、工藤の親友が犯人であると言い逃れできない立場に立たされていた。
そんな時に、慶次の元を訪ねてきた工藤は、徹底した調査を嘆願してきたのだ。
普通は、犯人と特定されると覆すのは難しい。
ましてや、警察学校で発生した不祥事なんかは、簡易的な調査で済まして無かったことになる。
だがしかし、犯人と特定された者は、警察官になれるはずもなく、学校を辞めるしかないのである。
慶次の部屋の隅で直立不動に佇む工藤は、一晩中動かずにいた。
この工藤の根性と熱意に根負けした慶次が、上層部に話しをつけて、晴れて無実を証明したのだ。
この時の、工藤とのやり取りを思い出したのか、慶次は顔を歪ませて苦笑した。
馬鹿な子ほど可愛い、とはよく言ったもので、どうしても世話をしてしまう。
思い出を掘り起こしてほっこりとなった慶次は、防波堤に寝転び流れる雲をしばらく眺めていた。