プロローグ_救い
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「おい、残っているのはお前だけだぞ。どうする、もう止めておくか?」
「へへ、これでも、俺は、ここいらじゃあ、ちったあ名の知れたプロボクサーなんだぜ」
準備運動にもならなかったぞと言いたげに、リーダー格の男に問いかける慶次。
呆れ混じりに言われたにも関わらず、その意味を理解できずに、聞かれてもいない事をペラペラ語りだすリーダー格の男。
「御託はいいから、さっさとかかって来い」
「なめやがってェ、このやろう」
ファイティングポーズをとるリーダー格の男。
他の者と比較すれば、頭二つほど抜けていると言っていいだろう。
しかし、相手が悪かった。
ジャブを放つも拳は慶次の顔の寸前で戻される。
予想を裏切る結果に業を煮やすと、今度はフックを浴びせようと、ステップを踏み行動したのだ。
自分のイメージした動きと、弧を描くフックの軌道予測から勝利を確信したリーダー格の男だったが……しかし、リーダー格の男の予想を裏切って、慶次の目の前を通り過ぎるフック。
慶次は弧を描くフックを眺めながら、その腕を手の平で押し流すと、逆手をリーダー格の男の顎へと解き放った。
「ぐぇ、クソッ、てめえなんか怖くねぇ、ブッ殺してやる!」
そういうと、リーダー格の男は隠し持っていたナイフを取り出し、慶次に挑みかかった。
慶次の予想に反し、顎という急所に打撃を受けてもしぶとく挑みかかってくるのには感心した。
「俺の掌底を顎に受けていながら、倒れずに挑みかかってこれるとはな。お前、一遍、血反吐吐くくらい努力してみろ。いいところまで行けるかも知らないぞ?」
「ぺっ、うるせえぞ。人一人殺したところで、少年法が守ってくれるって知ってるか?」
本音を言った慶次の問いに対して、噛み合わない内容で返すリーダー格の男。
肩で息をするように体を上下に揺らし、血走った目で慶次を睨みつける。
「法律がある限り俺は無敵なんだぜ!」
そう叫ぶと、右手でナイフを強く握り締め、左手でナイフの柄尻を抑え、腰を深く落として構えて慶次との間合いをジリジリ詰める。
一瞬視線を外した慶次。
隙が生まれたと判断したリーダー格の男が、ボクシングで培われた足捌きを駆使して、慶次の懐に潜り込もうとする。
しかし、リーダー格の男の行動は慶次によって誘導された動きだった。
視線誘導という言葉を聞いたことがあるだろうか。
視線誘導というのは、身近な暮らしの中にあるものでは、漫画などに使われている技法だ。
漫画を読みなれた人は、まず吹き出しの台詞に目がいくのではないだろうか。
次は、吹き出しの台詞を言っている登場人物の順番で見てしまうだろう。
目がいった順番を鉛筆などで擦れば、書き手によって視線が誘導されていることに気付くだろう。
人間の脳は視覚情報を最も優先する。
目に映る全てを正確に認識せず、状況に応じて認識に差異が生じるのだ。
探し物をしていると、実は目の前に有ったというのは良くある話しである。
こうした意識の盲点をつく視線誘導は、武術でも重視される技法だ。
このように、視線誘導が使われる分野こそ異なるが、慶次が相手の攻撃を誘った技法もまた、視線誘導の内の一つと言えよう。
慶次は、リーダー格の男から視線を逸らすことで、慶次の注意が視線の先に向いていると見せかけた。
そうすることにより、視線の先に慶次の意識が分散していると相手に思わせて、仕掛ける機会を与えたのだ。
こうした誘導技法は玄人であればあるほど、特殊な訓練をしていない限り条件的に反応してしまう。
数十センチの位置から競い合うプロボクサーにとって、僅かな隙に反応してしまうことは無理もない。
懐に潜り込もうとするリーダー格の男に対して、左体さばきで難なく交わす慶次。
流れるようにして左掌底を相手の右肘に叩き込むと、ほぼ同時に右喉輪で突き放す。
慶次の動きは止まらない。
一連の打撃から、滑らかな動きで左肘打ちを相手のテンプルに叩き込むと、右貫手で脇腹を突く。
ほぼ、同時に連打を浴びせられたリーダー格の男はナイフを落とし、咽喉を手で押さえ動けずにいる。
「加減はしてやったが、まだやるか?」
「ぐぅ……ひぐっ」
「これ以上続けるなら刃物を人に向けるとどうなるか、教えてやろう」
慶次の放つプレッシャーに耐え切れなくなったリーダー格の男の股間からは、小便が滴り落ちる。
そして、緊張感から解放されたリーダー格の男は、膝から崩れ落ちるように倒れこんだ。
緊急車両のサイレンの音が遠くから徐々に届いてくる。
チッと一つ舌打ちすると、落ちたナイフを拾い上げて海に向かい投げ込んだ。
そこかしこに横たわる、暴走族風の若者らを無視するようにして、女子高校生とその弟妹に近よる……途中に横たわる若者らを踏みつけながら。
「あ、あの、ありがとうございます」
「「お兄ちゃん、ありがと!」」
「礼はいい。巻き込まれたから対処したまでだ」
「そ、そんな……」
「あ、兄貴ぃ、か、勘弁し、て下さい」
巻き込まれて災難だ、と悪態をつきながら近くに横たわる暴走族風の若者を足で小突く。
事情を知らない第三者から見れば、反社会的勢力の親分にヤキを入れられているようだ。
さらに、兄貴と呼ばれて不機嫌になった慶次の足は止まらない。
「それより、ガキは大丈夫か?」
「は、はい。少し鼻血が出た程度ですが、念のため病院に連れて行こうかと」
「そうか……まぁなんだ。この金を使え」
「え、で、でも。こんなに!?」
「気にするな。じゃ、元気でな」
「ありがとうございます!」
「「お兄ちゃん、ありがと!」」
慶次が女子高校生とその妹弟に近づいたのは、弟がリーダー格の男に暴行されたため、無事を確かめたかった。
確かめ終えると、ズボンのポケットから財布を取り出して、紙幣を数枚抜き取って女子高校生に手渡した。
そして、もう用は無いというように、背を向けてひらひらと手を振る。
通りがかりに、横たわる暴走族風の若者らを足蹴にしながら。
コンビニの駐車場出口に差し掛かると、警察の機動隊バスが到着し、特徴的な装備した隊員達がぞろぞろと降りてきた。
チッと一つ舌打ちする慶次を見つけて、隊員の一人が駆け寄った。