しばらくして
冷たいコンクリートの上を一人、男が這っていた。
男の右腕は切り落とされ、血が滔々と流れ出ている。
しかしその動きは止まらない。もはや痛みはないのだろう。
彼の動きを支配するのはただ、恐怖であった。
「ハァッハァッ……。な、なんだってンだあの化けモンは……!」
ここまで逃げてこられたのはまったくの奇跡であった。
――――逃げ切れたわけではないが。
「ヒィッ……!」
突如として悲鳴を上げる男。
凄腕とは言い難いが、それなりに場数を踏んできている。
故に、ふと背後に感じた寒気に反応せずにはいられなかった。
「あ、ああ……」
音はない。
痛みもない。
しかし感じる。
冷たく尖った切っ先が、己の足首から滑り込んでいくのを。
――――コツン、
切っ先がコンクリートに当たった音だろうか、既に体は動かない。
「お前は、違うな」
冷徹な声。
届く相手は、いなくなっていた。
男は懐に手を伸ばし、灰色の端末を取り出し起動した。
「ああ、サトウか、外れだ」
「えー、また外れなのかよー? もう三か月だよー?」
場所に似合わない、明るく頓狂な声。
「やっぱり金持ちが懸賞かけるほどとなれば、難しい話が多いな」
端末を肩と頭で挟みながら、刀に付いた血をふきとる。
「ふぅ、このままじゃ先を抜かされちゃいそうだ。まったく、職務怠慢じゃないかね?ん?」
「バカ言うな。こっちはお前に言われた通りの場所で仕事してるんだ。見つけられないのはお前のせいだろう」
通信相手のサトウが、めぼしい相手を絞り出し、その指示を受けて俺が狩る。それでこの三か月をやってきたが、いまだに『ムサシ』は持ち主共々手がかりすらつかめていない。
「あぁーもー。このままじゃぁミリュー様に嫌われる~」
「またご主人様とやらの心配か。いい加減鬱陶しくなってきたぞ」
この仕事を受けて以来の、サトウからの通信にはつきものの話題であった。
金髪ツリ目の美女、という話だが、会ったことも見たこともない。
「いやいやいや、一目見たら君だって彼女の虜さ! あの冷たい瞳、シャープで毒を吐くためにあるような口元、何より下から見上げた時のおっぱ……!」
「うるさいぞ」
黙らせた。
こちらは日ごろ野宿で、標的以外のしゃべれる人間とは久しく出会っていないのだ。
そんな中で女の話をされてもイライラが増すだけだ。
「……それで。次の仕事場は?」
「ほんとに君はよっくこの仕事を引き受けてくれたねぇ……」
何の話だ。
「君、最初は断ったじゃないか。それが、いまじゃ僕より率先して仕事をこなしてる。どういう心境の変化だい?」
今更、とも言える話。
「つまらないもの探しでなけりゃ、それなりに楽しみはある。行く先々で首級を挙げてるんだ、日銭稼ぎにもいい。いつもなら懸賞首探しもなかなか面倒だからな」
事実、金には大分余裕ができ始めてる。
普段は懸賞金を手に入れても、次を探してる間に使い切り、結果カツカツの生活を強いられる。
しかし今は、それなりの情報網のあるオペレーターのおかげでかなりの効率になっている。
濡れ手に泡、とまではいかないが。
「ふーん。そんなに稼いでるんだぁ。目的を忘れて」
「覚えてはいるさ。ただ、行ったところにたまたま懸賞首がいるだけだ」
『ムサシ』の持ち主の殺し方は特徴的だ。
壁に叩きつけて、胴を横一文字に切り裂く。
出血量の少なさが話題になることも多く、そこは『ムサシ』の性能、性質によるところと推測されている。
そういった殺され方をした輩が出た付近で、サトウが選別をして俺が向かう。
そしてたまたま別の奴が見つかる――――
「なんでこんなに懸賞首がいるんだ?」
「なにをいまさら。みんな食い物とか生活に困ってるからだよ。だから追剥とか――――」
「そうじゃない。『ムサシ』の持ち主は、なんでこんなに懸賞首のいる所でばかりコロシをするんだ?」
覚えている限りではほぼ毎回。
三日連続で狩るハメになったこともある。あの時は近くの酒場でステーキをソース付きで頼んだ。
「ふむ、狙っているところがある、と言いたいのかな。だとしたら、何を?」
「それを考えるのは、サトウ、お前の役目だろう」
「はー、しょうがないか。どうもそれ以外には手詰まりのようだし、調べとくよ。しばらく待機してて。勝手にどっか行かないこと」
「……近くに良い狩場はないか?」
『しばらく』の期間にもよるが、どうも手持ちの金ではいささか心配だ。
「五キロ東に、ゲルトンって村があるね。ギルド支部もあるからそこで仕事をもらえばいいさ」
「ちなみに何ギルド?」
「えーと、商人ギルド『ミートマート』」
その名の通り、肉の流通専門の組織で、数あるギルドの中でも屈指の規模を誇るのではあるが。
「荷物運びしかさせてもらえないんだよなぁ……」
えぇと、いきなり三か月も時をすっ飛ばして申し訳ありません。
すべて俺の指がしたことです。俺は何も知りません。