娯楽処有楽亭の日々
こういうヒロインはどうやろか、って思って書いた。
後悔はしていないし反省もしていない。つまりいつも通りということだ。
朝。
階下から聞こえてくるカランカランという鐘の音と少女の声で目覚めるのが僕の日課である。
彼女は毎朝この時間に目覚ましの鐘を鳴らす。それは正確で今まで一度も遅れたことはない。
そして元気いっぱいにこう言うのだ。
「はいはーい! 奴隷ども、さっさと起きてくださーい! 今日も一日ゲロ吐くほどひたすら労働にいそしんでくださいねー!」
聞こえてくる声はともかく言葉の内容は清々しい朝に全くもって合わない。いつ聞いてもいろいろと酷い内容の朝の挨拶が言い放たれると同時にドアを蹴破る音も聞こえてくる。
(また壊さないといいけど)
少し前に蹴破られた際にドアが壊れたことを思い出しながら僕はベッドから起き上がりカーテンを勢いよく開ける。
朝陽が窓から入り込み部屋を明るく照らした。目を細めながらクローゼットから着替えを取り出した頃階下が騒がしくなる。
この店の従業員たちが起きて活動を始めたのだ。その騒がしさにいつも通りの朝だと頬をゆるめると寝間着を脱いだ。
娯楽処有楽亭。
それがこの店―――僕の店の名前だ。
この店は三階建ての建物で名前のとおり娯楽施設である。カジノや酒場といった王道的な娯楽場に加え食事処と遊技場も揃え大人から子供まで楽しめる店になっている。
最初こそなかなか客が来ないで大変な思いをしたがこの国ではこういう娯楽施設がほとんどなかったので一度軌道に乗ればあとは楽なものだった。
しかし食事処に酒場、カジノに遊技場とくればたくさんの人手が必要なのは簡単に予想できるだろう。実際普通に人を雇ったのではその給料だけでかつかつになるのは容易に予想できた。軌道に乗らず儲けの少ない間は特にだ。
しかしこの国ならではの方法で極限まで人件費を切り詰めることができたから一番苦しい時期を乗りきれた。
ではその労働力は何か?
答えは奴隷である。
奴隷というのは一般的に権利を何一つ持たず他者に支配されている者たちのことをいう。彼らは一度買ってしまえばそれ以上金を払う必要はない。賃金は必要なくかかるのはせいぜい食費ぐらいで済むのだ。
この国では奴隷産業が盛んだ。小金持ちなら必ず一人は奴隷を持っていると言われるほど奴隷の存在が生活に密着している。町を歩けば奴隷を連れている人と十数回はすれ違うだろう。
奴隷は主に単純な労働力として買われるがその用途は様々で値段が安い奴隷ほど使い捨てられる傾向にある。なぜなら安い奴隷ほど使い道が少なく代わりがいるからだ。
生殺与奪の権利までを雇い主に握られている彼らの命はとても軽いのだ。ひどい使い道だと戦争の際の盾としてなんてものもある。
これだけの説明では奴隷の価値についていまいちピンとこないかもしれないので具体的な例を挙げてみよう。
例えば自分の連れていた奴隷が誰かに殺されたとする。殺された原因は偶然でも意図的であってもどっちでもいい。
わかりやすく奴隷を殺された方を被害者、殺した方を加害者としよう。
殺したのが偶然であった場合、加害者が被害者に殺した奴隷と同価値以上の新しい奴隷を弁償すれば和解は成立だ。
意図的であっても加害者にその奴隷を殺す理由があり、なおかつ被害者にちゃんと同価値以上の奴隷を弁償すれば良い。それで話は終わりだ。被害者側が殺された奴隷を気に入っていたなんてことがない限り話が拗れることはない。
さすがにこの話を聞けば理解できただろう。
この国において奴隷は家畜、いやそれ以下。あえて言うなら物なのである。その程度の価値しかない。
だから壊れても(・・・・)新しい物を用意すればいい。
そんな考えがこの国の常識なのだ。
着替えを済ませ一階に降りると朝食の良い匂いが漂ってきた。
キッチンでは若い少女が鼻唄を歌いながら朝食を作っていた。熱したフライパンがじゅーじゅーと音を立てる。少女は僕の足音に気がつくとこちらを向いた。
「おはようございます、オーナー。 今日は良い天気ですよ」
彼女はいつものように嗜虐的な笑みを顔に浮かべて朝の挨拶をした。それに僕もおはよう、と返す。
彼女の名前はシアトリス・セティアーネ。愛称はシアだ。
一応だがこの店の共同経営者ということになっている少女だ。主に経理と奴隷の管理をしている彼女だがこうして朝食を作ってくれることも多い。
そんなわけで僕はシアのことを気が利き優秀だと思っているのだが世間一般の彼女に対する評価はがんばり屋でも働き者でもなくこの一言に尽きる。
外道。
それもドの付く外道だ。
曰く、常に相手を馬鹿にし、人を人とも思わない。
曰く、口から口汚い言葉以外が飛び出すのを聞いたことがない。
曰く、ありとあらゆる手で金を稼ぐ金の亡者。
さすがに言いすぎな部分はあるが他人の彼女に対する評価は概ねこんな感じだ。
ついでに言えば加虐精神が旺盛であることも彼女の評価を決定付けた。彼女のそれは奴隷以外にも及ぶこともあるからだ。というか基本彼女の他人に対する対応はそれがデフォルトだと言っていい
比較的親しい友人とギリギリ呼べる相手に対してもさらりと毒を吐くのは日常茶飯事だ。
一応共同生活を送っているといえる自分の立場から言えばこういう面ばかりではないと言いたいのだが彼女の嗜好は割とオープンであるし本人も自覚しているため彼女の対する評価になにも反論ができない。……もっとも僕に対してはそういうことはないのでこうしてやっていけているのだが。
僕たちにとって朝食の場は貴重な話し合いの場である。今日は卵を絡めて焼いたパンに砂糖をかけて食べながらシアの話を聞く。
彼女の話すことはただの雑談から始まり、最近あった事件のこと、奴隷の値段の変動、商業組合の動向など多岐に渡る。
それを聞きながらパンをかじり、今日明日の方針を決めるのが毎日の日課だ。
「明日はたしか奴隷市がやる日ですよ」
「そっか。 ならそろそろ奴隷を増やす?」
「予算的には問題ありませんよ。 でもこれ以上増えるとなると管理のための人員が欲しいですね」
「じゃあ探すのはそういう技能を持った奴に……いやその前に今いる奴らから探してみようか 」
その辺の選別はシアに任せることにする。彼女の人を見る目は確かだ。人の弱みを探るうちに培われたらしいその観察眼でしっかり選別してくれるだろう。
そんな風に今日の予定を確認している内に朝食を食べ終わった。
お仕事開始である。
まず店を開ける前に必要なのは準備だ。
注文を受けてからすぐに料理を作れるように仕込みをしなければならないしお酒の在庫も確認しておかなくてはならない。その他にも遊具やカジノの備品の点検、修理、清掃もする。
特に清掃は大事だ。客商売をする以上清潔でなければならないというのが僕の持論だ。
その辺がいい加減な店だと掃除は最低限で済ませてしまうところが多いがそういう店は遅かれ早かれ客か従業員が腹を壊すか病気になる。そして噂はたちまち広がり客は来なくなる。そうなれば商売は終わりだ。だからこそうちの店の朝は掃除で始まるのだ。
そしてこれらのすべてが終わってからようやく開店できる。
開店してすぐには客は来ない。流石に朝から遊び呆けるような奴はこの国でも少ないのである。まあいないわけではないのだが。
なのでこの時間に僕は書類仕事をすることが多い。
書類の内容は商業組合からの通達だったり、現場で働く奴隷たちの意見をまとめたものだったり。客の感想なんかもある。そういうのに一枚一枚目を通すのも仕事のうちだ。
今日は最初にそのうちの一枚、商業組合の通達に目を通した。
「なになに? ふーん、元犯罪者の奴隷が増えてるから取り扱い注意、ね」
奴隷を増やそうとした矢先にこれか。思わず舌打ちをしたくなる。
奴隷になる条件はいくつもあるがひとつは罪を犯した場合である。
盗み、傷害、一定基準以上の器物破損、放火、殺人、その他いろいろ。この国ではこのいずれの場合も奴隷落ちの罰が下される。犯した罪が軽かろうが重かろうが罪人は問答無用で人権を奪われ奴隷に落とされるのだ。
厳しいと思えるかもしれないがこの法のおかげでこの国の治安はかなりいい方である。ちなみに元犯罪者の奴隷が自分の意思で犯罪を犯した場合は問答無用で死刑である。そのため再犯率はとても低い。
ふたつめは戦争などで捕虜になった場合である。
この場合問答無用で奴隷、ということはない。プロセスは主に戦争などの争い事が起こる→戦いなどで捕虜をとったりとられたり→捕虜交換で使われないまま戦争終結→戦争で疲弊した国が捕虜にした者を奴隷として売り飛ばし金を得る、という感じだ。
みっつめは貧しい者が家族を奴隷として売り飛ばす場合。
このタイプの奴隷が一番従順で良い。なにせ売り飛ばされる側は覚悟を決めているのだ。自分が逆らえば家族になにかあるかもしれない。そう考えれば嫌でも従順にならざる得ない。
まあ極稀に半ば無理矢理売られた奴隷の家族――この場合兄弟とか――や親しかった人間が取り戻しに来る場合があるがそれは無視すればいい。納得できるだけの金を持ってくるなら良し。強行手段に訴えようものならめでたくそいつも奴隷の仲間入りだ。
最後はシンプル。
産まれた時から奴隷である場合だ。親が奴隷である場合子供も自動的に奴隷となるのだ。
だがこれはあまり例はない。
なぜなら奴隷が妊娠すれば使えなくなるからだ。子供が産まれたとしてもすぐに労働力になるわけでもない。なので好んで奴隷子供を産ませる者はおらず適応される場合の多くは娼館の仕事中に孕んだりした時ぐらいである。
さて、長々と説明してしまったが重要なことは元犯罪者の奴隷は有能なのがほぼいないということだ。故に掘り出し物に期待するしかないだろう。
次の書類に目を通す。これは奴隷たちの意見を纏めたものだ。
「ふむ、現場からは特に不満はなし。 しいて言えばコレットが今の配属先には向いてなさそうなぐらいかな。思いきって接客にまわしてみるかな?」
奴隷は使い捨て。奴隷の説明をしたときにそう称したがうちは違う。なるべく奴隷を大切に扱い使い潰さない。それがモットーだ。
やはり仕事において役に立つのは経験を積んだ者である。だというのに使い潰すのは馬鹿のすることだと思っている。
それに奴隷も人間なのだ。ちゃんと扱ってやればそれだけちゃんと働く。一種の信頼関係すら築ける。そうなった奴隷はけっして裏切らない。
奴隷に酷い扱いをし続けた主人が耐えきれなくなった奴隷に刺されたなんていう話はけっして珍しいものではないのだ。気を付けねばならない。特にうちにはシアがいるのだから。
「ほかには……は? 奴隷を抱かせろ? 阿呆か。 娼館行けよ」
うちの店は健全です。いや見えないところでグロいことが起こったりするけど商売には絡めないつもりだ。
そんなことをすれば他のそういう店のナワバリを荒らすことになるしノウハウもない。なので下手に手を出せば失敗する可能性が激高い上に良き隣人を失いかねない。つまりデメリットしかないのだ。
むしろ紹介状渡してそっちの店に行ってもらった方がこちらとしても相手側としてもメリットがある。つまりwin-winだ。相手は客を紹介してもらえるし、こちらはその礼としていろいろ融通してもらえる。そっちのほうがずっといい。
「こんなもんか」
一通りの書類に目を通し終えると固まった身体をほぐすために椅子に座ったまま背を反らした。
今日は特に問題なし。問題があればそれをなんとかするために駆け回ることもあるので幸先の良いスタートと言えよう。
ちなみにこの時間帯にシアはなにをしているかというと僕と同じように書類の確認をしたり奴隷たちの様子を見たり……まあ他にもいろいろ(・・・・)している。
そしてそれが一通り終わる頃には昼になる。
昼、午前中遊技場で遊んだ家族連れが食事処で食事を取っていくことが多いので昼はかなりの賑わいを見せる。そのため昼時は僕も食事処にいることが多い。この時ばかりは奴隷だとか店主だとかはなにも関係なくとにかく働く。
「だれか倉庫から酒取ってきて。 急いでね」
「わかりました!」
「あと鳥肉がそろそろ無くなるから仕込んどいて。 こっちは急がなくてもいいけど丁寧にして」
「はい!」
この日も厨房で奴隷たちの指揮をとっていたのだがそこに顔を真っ青にした奴隷が駆けこんできた。何事だろうか。
料理長の立ち位置の奴隷にこの場を任せると連絡しに来た奴隷を連れ裏に行く。
焦る奴隷を落ち着かせ話を聞くとなんでもシアが反抗的な奴隷の指導をしていたらしいのだが少々熱が入りすぎてしまっているらしくなかなかにグロいことになっているそうだ。
それなりにあることなので何を今更と思ったがそういえばこの奴隷はここに来て日が浅い。慣れていないのだろう。
しかし興が乗りすぎで奴隷を壊されても大変だ。なのでシアを落ち着かせに行くことにした。
……やっぱり奴隷のまとめ役になれるような奴がほしいな。一人そういう奴がいれば問題が起こったときにわざわざ僕に聞きにくる手間が省けるだろうし仕事に専念できる。そうでなくても現場の指揮を任せられればぐっと楽になる。
あー、でもそこまで信頼できてしかもいろいろ任せられることができるような奴隷はなぁ……大枚はたいてでも買うべきだろうか。
店は軌道に乗っているが問題はまだまだ多い。そのことにため息を吐きながら未だ顔が青いままの奴隷を連れ、シアの元に向かうのだった。
シアの仕事場のひとつに指導部屋というものがある。いくつかあるその部屋では奴隷たちに基本的な知識を叩き込む。教育を一切受けていない奴隷には一般常識を、ある程度教養がある奴隷には奴隷としての心得を、といった具合にだ。
だがその一角には少々、いやかなり異様な光景が広がっている部屋がある。
拘束具や鞭の類いはまあいい。まだ常識の範囲だ。でもノコギリとか万力みたいなのとか座るところにトゲしかない椅子とかはどうかと思う。
ここの主によれば「相手を怖がらせるため」らしいのだがいくつかの器具に使った痕跡があるのはどうしてだろうか。中古品なのこれ?というかそれ以前にどっからこんなの集めたの?
そんな感じのいわく付きの代物で埋め尽くされた部屋にシアの姿はあった。
「あ、オーナー」
ニコリというよりニヤリという感じの笑みを浮かべたシアの足元には男が倒れていた。その隣では女が涙を流しながらガタガタと震えている。
あれはたしか最近奴隷落ちした奴らだったか。たぶん。少し自信がないのはその顔が見るかげもないほど腫れあがっているからだ。
そんな奴隷の前にいるシアの手には槌と釘が握られていた。釘はまだ使っていないようだったが槌には真新しい血が付着している。釘はこれから使うつもりだったのだろう。それ以上いけない!
「それを使ったら指導じゃなくて拷問になるんじゃないの?」
「なかなか言うことを聞かないもので」
「だからって釘は駄目だよ。 下手したら死んじゃうじゃないか」
こんな国に住んでいる身で今更倫理がどうとか言うつもりはないが過剰に傷つけるのは流石にどうかと思う。怪我が大きければ治るのに時間がかかる。もしかしたら痛みのあまりショック死してしまうかもしれない。そんなのもったいない。
とにかく過剰に傷つけることはデメリットしかない。なによりそんな痛そうなの僕が見たくない。だって痛そうだし。
「仕方ないですね」
どこか残念そうに持っていた槌と釘を近くにいた奴隷に渡すとついでとばかりにその奴隷の服で手についた血を拭った。
恐怖のためか奴隷が泣きそうな顔をしているがシアはそれを無視している。いや、むしろ怖がっているのをわかっててやっているのだろう。
シアはとても有能だ。有能なのだがどうも他人の身も心も過剰に傷つけたがるきらいがある。その辺り惜しいと思うがそこは個人の嗜好なのでなんとも言えない。僕ができるのはやんわりと「もう少しやさしめにして
あげて」と言うことぐらい。
なにせ彼女の有能さの理由がその性格故のものなので直せと言えない。直るとも思えない。
「ところでオーナー、どうしてここに?」
奴隷の服で手をぬぐったあとに改めて用意していた濡れタオルで手を拭き終わったシアが聞いてきた。
隠すことでもないので奴隷に呼ばれたと正直に言うとシアは「へぇ……」と呟き奴隷を見た。後ろにいた奴隷の体がビクリ、と震えるのがわかった。
あの顔はどんな罰を与えてやろうかと考えている顔だ。だがしかし相手が奴隷といえど悪いことしてないのに罰はまずい。駄目だ。
視線でシアを諌めると彼女は「注意で済ませますよ」と肩を竦めた。いやいや、注意もいらないだろおい。
ここに来た目的は達成したがこのまま戻るのはなんかもったいない気がする。なのでシアに朝言っていた他の奴隷に対する管理能力、つまりリーダーシップのある奴隷がいたか聞くことにした。
ついでに忘れないうちに手の空いている奴隷にボロボロの二人を手当てするように言っておく。気絶していた方は知らないがもう一人の方は完全に心が折れていたのでもう逆らうことはないだろう。
痛みで躾けるやり方には気が進まないが一番効果があることはわかっている。それに逆らうような奴に情けなどかけられない。そんなことをしたら奴隷に嘗められてしまう。
それからシアの報告を聞いていたのだがそうしているうちにかなりの時間が経っていたらしく昼のピークは過ぎてしまっていた。失敗した。奴隷たちの負担も大きくなってしまったし気をつけないと。
なお、求める能力を持っている奴隷はいなかった。予想はしていたがそれでも残念である。
夜、町は闇に包まれ家々に明かりが灯り表通りを歩く人影は格段に少なくなる。だが歓楽街などの夜の街はここからが本番。この時間こそが稼ぎ時である。
歓楽街に近い場所にあるこの店もその恩恵を受けている。昼に負けず劣らずの客が来て食べたり飲んだり騒いだり。
この国では数少ないカジノもあるので客の入りは多い。特に最近は満員御礼で休む間もない。昼と違うのは特に賑わうのが食事処ではなく酒場であるということぐらいだ。
この時間の客の財布の紐は非常に緩い。カジノで勝てば酒場で盛大に騒ぎその足で歓楽街に繰り出す客も少なくなく、負けた場合もよっぽどひどく負けていない限り気晴らしに酒場でちょっと飲んでから帰るのが普通だ。
そのためこの店にとっても稼ぎ時であることは間違いないのだが同時にめんどくさい客が来る時間でもある。
そして今日もまたそのめんどくさい客タイプの客が来たらしい。
野太い叫び声とバキンというなにかが折れたような音、そして僅かな悲鳴が酒場に響いた。
確認していた在庫リストから顔をあげて音源に目を向ければ指を押さえ床で悶え苦しむ男とその近くに立つどうみてもその原因であるシア、そして配膳のための運び盆を胸に抱えながら見るからにおろおろしている奴隷の姿。
床でのたうつ男には見覚えがないのでたぶん初めてこの店に来た客だろう。
加害者であろうシアの顔には満面の笑み。いい顔している。
ざわざわと騒ぐのはおそらくは一見さんで常連たちは少し驚いたのちいつものことかと落ち着きを取り戻し面白そうに騒ぎを眺めている。
「コレット、こっちこい」
とりあえず状況を理解するためにどうすればいいのかわからないでいる奴隷を呼ぶ。呼ばれた奴隷はこちらに気がつくと顔を輝かせて駆け寄ってきた。
「何があった?」
「えと……あのお客さんが私に…その……よ、夜の相手をしろと……」
恥ずかしそうに顔を赤くして奴隷は答えた。ああ、よかった。完全に向こうの自業自得か。
「……そういうのしたいなら歓楽街行けよ」
その言葉に近くにいた客が頷いた。この店ではそういうことはしていないと何度も言っているし店の看板にだって書いてある。客の多くもそれを理解し納得してこの店に通っているのだ。
だというのにたまにこういう馬鹿が来るのはなぜだろうか。馬鹿だからだろうか。
横目で騒ぎの様子を伺えばようやく痛みから立ち直った男がシアになにかを叫んでいる。それに対してシアは彼女にしては珍しいことに無表情のまま男に言い返しているようであった。
しばらく見ていて気づく。ああ、今日はそういう趣向か。
男の反応を見る限り無表情であること以外はいつも通りに男を煽りに煽っているようだった。無表情なのはその方が男の神経を逆撫ですると見てとったからだろう。さすがシアはそういうことを見極めるのが上手い。褒められたものではないけど。
それからも様子を見ていたのだが男の懐でなにかが光ったことに気づいた。巧妙に隠しているが男の懐にナイフがあるようだ。
このままではめんどくさいことになる。直感でそう感じた僕は近くにいた奴隷から杖を受けとると男とシアが言い争っているところに歩いていく。
その時怒りが限界に達したのか男が懐からナイフを抜いた。男はそのナイフをシアに向かって突き付け脅すような言葉を吐いたがシアは馬鹿にするような顔をするだけだ。
その反応に男の顔が怒りで更に真っ赤になりナイフを強く握り締めた―――だがそれよりも先に僕は男のすぐ後ろに立ち杖を振り上げていた。
「て、てめえ……ぶっころ――オボッ」
男の頭に思いっきり杖を降り下ろす。男は奇妙な声をあげて床に沈み、それっきり沈黙した。気絶したようだ。
「店の中で暴れんな」
元お客様に対して吐き捨てると同時に一斉に拍手が沸き上がった。客の多くがこういう出来事に慣れている証拠だ。まあ、つまりこの程度は酒の肴ぐらいにしかならない出来事なのだ。
「営業の邪魔ですね」
気絶している男をつまらなそうに見ていたシアは男を指差すと奴隷に言った。
「誰かこれ、捨ててきてください」
手の空いていた奴隷二人が男の足を掴み店の外に引きずっていく。あの男はたぶん明日の朝辺りにゴミ捨て場で目を覚ますことになるだろう。
その前に引きずられていく男の財布から飲み食いした分の金を迷惑料込みで抜いておくことも忘れない。
男が引きずられていったのを見届けると常連は慣れた様子で、そうでない人たちは動揺しながらも各々の食事に戻っていった。
その際に常連は「災難だったな」とか「御愁傷様」などと言ってくるがほとんどはその際楽しげに笑っている。お前ら絶対そう思ってないだろ。出禁にすんぞ。
それでも予想していためんどくさい事態にならなかったことにほっと胸を撫で下ろしていると不貞腐れたシアが顔をずいと寄せてきた。不満そうなのは楽しみを奪われたからだろう。
「もうちょっとこう、馬鹿やらせた方が迷惑料ふんだくれたりしたんじゃないですか? それにこの国で生きられなくすることだって……」
「そんなことのために馬鹿を店の中で暴れさせないでよ。 店の物が壊れたり誰か怪我したらどうするの。 それにそうなったらなったでいろいろめんどくさい。 また組合から注意されちゃう」
というか半分以上は趣味でやってたろ。この前それで組合に注意されたはかりなんだから少し自重してほしい。
そんな僕の心情を読み取ったのか、彼女は僕から目をそらすとしれっとした態度で言った。
「努力はしますね」
「……望み薄いなぁ」
こうして今日も娯楽処有楽亭の夜は更けていく。
今回は最初なのでヒロインの外道成分控えめ。というか思ったより外道って書きづらい。
あとどうでもいいけど主人公の名前は出さないスタイルでいこうと思う。