異世界に留学中の娘をお取り寄せしたら途中で落っことしちゃいました。
夜半に降り出した雪は眠るように横たわる一人の女の上へまるで薄衣を掛けたようにうっすらと積もった。
一面の白に反射した光が彼女の黒髪を照らしている。
音すらも包み込む静かな雪の中、一人の男が近づきそのまま彼女の脇に屈み込んだ。それに合わせ装身具が冷たい音をかすかに鳴らす。
男は剣をしまうと目を閉じたままの女の息を確認し、彼女を抱え上げた。青白い頬に血の気はないが、少なくとも生きている。急がなければ――。
力強く雪を踏みしめ、男は足早に来た道を戻っていった。
***
「……もう一分経ったかしら」
カップ入りアイスクリームの食べごろを逃すまいと気にするあまり、それまでの集中を途切れさせた女は途中まで詠唱し、構築していた召喚呪文が失敗したことに気付いた。
彼女は極北の永久凍土に居城を構える氷の魔女ラクトア。この世界の創世神話にも登場する由緒正しい大魔女。
そんな彼女にとって、異世界からの物質召喚は朝飯前だっただけにこれは痛恨の失敗だ。やはり『ながら魔法』は事故のもとと爪を噛む。即座に探索の糸を伸ばし、世界渡りの魔法の軌跡を追う。どうやら例の少女は無事この世界に来ているようだとラクトアは胸を撫でおろした。時空の狭間に落ちると探索は非常に困難。しかしこの世界まで来ているのならばすぐに見つかるだろう。ラクトアは探索の糸をさらに伸ばすが、とある王国の上で魔法の糸の先が視えなくなった。どうやら遠視魔法を阻む壁の中へ落ちてしまったらしい。地道に足で探し回収するしか方法がないようだ。
ラクトアは苛立ちをあらわに使い魔の名を叫んだ。
「ルー、ルー!」
すると一匹の黒い鳥が現れた。ずんぐりむっくりとした体躯、鋭い目つきと爪を持ったそれは、頭上の鮮やかなオレンジ色をした冠羽根を優雅に揺らし、ヨチヨチと歩み寄りながらおもむろに嘴を開いた。
「お呼びでしょうか、氷の魔女ラクトア=イス様」
ルーと呼ばれた鳥は、ぐにょっと身体を前屈させた。どうやら主人に対し礼を尽くしたようだ。
「ええ、あなたに探して来て貰いたい人がいるの。黒目、黒髪の私の愛し子、リサよ」
「えー、ラクトア様、失敗の尻拭いばかりさせないでくださいよ」
「おだまり。使い魔は主人の命令にいちいち文句を言わないものよ。氷塊に閉じ込めて永遠の眠りに就かせるわよ」
「まぁたそんな事おっしゃって。そんな事をなさったら誰がラクトア様のパンツを洗うんですか。掃除に洗濯、食事の用意までボクに世話をさせているというのに」
「この偉大な氷の魔女ラクトア=イスの身の回りのお世話をさせてあげているのよ。感謝なさい」
「はいはい、ありがとうございます。そもそもこの城の規模でボクしか使い魔を雇ってないってところが問題なんじゃないでしょうかね。使い魔の労働環境の改善ってどこに訴えたらいいんでしょう。ところで、アレ? 今回の召喚は珍しくアイスクリームのお取り寄せじゃなかったんですか?」
ルーはテーブルの上にポツンと乗るアイスクリームカップに目を留め、首をかしげた。
「そうよ。異世界の日本ってところに留学に行った娘がなかなか帰って来ないから強制的に召喚してやったわ。一度くらい顔を見せに帰りなさいっていうのよ、全く」
「ふう~ん。ボクはお会いしたことがないようですが、いつごろ世界渡りされたんですか」
「そうねぇ……かれこれ千年前ってとこかしら」
「せ、ん、ね、ん!」
「そんなことあんたにはどうでもいいことよ。さあ、さっさとリサを探しに行ってらっしゃい」
「御意」
ルーはしぶしぶバルコニーに歩み寄ると、窓際で翼を強く上下にはばたかせた。それから何事もなかったように踵を返した。そして部屋を出て、階段を下り、玄関から雪原へと出掛けていった。いつのまにかルーの首には赤いマフラーが巻かれていた。
ルーが行ってしまうと、ラクトアは十分過ぎるくらいに溶けてしまったカップアイスに再び氷結魔法をかけた。そしてスプーンを握りしめ一分待った。
やはりアイスクリームは乳固形分15%以上、乳脂肪分8%以上に限る。舌の温度でとろける滑らかなバニラにラクトアは舌鼓を打った。
***
城の警備兵の詰め所に数人の男が入ってきた。どの男も筋肉質で上背もあり、決して狭くはない詰所が一気に息苦しい空間となる。彼らは夜勤勤務の警備兵との交代で日勤勤務に就く者たちである。革の胸当てを装備しながら仲間と談笑をしていた男が、暖炉の前に置かれたソファの上で眠る女性をまず見付けた。
「その女どうしたんですか、隊長」
その声に他の男たちが集まり、一様に眠る女を取り囲む。
女の頬は青白く、黒髪は湿ってごわついている。毛布が掛けられた胸部は規則的に上下しているが、隊長が夜勤中に女性を連れこんだなどとからかえるような様子ではなさそうだ。
「ああ、四の巡視で俺が見付けた。発見時は氷のように冷たくなって城壁の内側に倒れていたんだ。なあ、昨日雪が降り出したのは何時頃だったかな」
ケヴィンの問いかけに、大きな身体を折りたたみ、窮屈そうに机に向かって報告書を書いていた男たちが顔をあげた。
「一の巡視時にはまだ降っていませんでした。女の姿はありませんでした」
「二の巡視時にもまだでした。俺もこの女の姿を見ておりません」
「三の巡視時には降り始めておりました。俺もこの女には気付きませんでした」
ふむ、とケヴィンは考え事をするときの癖で顎を二本の指で叩きながら呟いた。
「すると三の巡視以降だな。発見時、彼女にはうっすらと雪が被っていたんだ。三の巡視時の降り方だと一刻にせいぜい2センチ程度。という事は、彼女がそこに倒れたのは四の巡視の半刻程前ということか。しかし、それにしてはおかしいな。彼女が倒れていた場所に来るまでの足跡がなかったんだ。どうやって彼女はそこに来たのか」
「すぐには倒れなかったんじゃないですか?」
栗色の髪の男が隊長の独り言に答えた。。
「どういうことだ?」
「ええと、つまり女はしばらくそこに立っていて、足跡が消えた頃合いに倒れた、とか」
「それはないな。こいつが倒れていた場所は城内や城を出入りする人間の様子を窺えるような場所ではないし、人目にも立つ。そもそも俺が巡視した時にはまだ三の巡視をしたブライアンたちの足跡が雪交じりの地面に残っていたし、雪が降り始める前からいたとしたらブライアンたちが気づくはずだ」
「彼女はそこで何をしていたんですかね。この城の関係者なんでしょうか」
警備兵と言っても城を出入りする全ての人間の名前と顔を把握しているわけではない。夜勤勤務だったグレーの顎髭の男が通信機を切って隊長の前に立った。
「昨夜は王子様のお誕生日パーティーがありましたからね。城勤めの女官、招待された貴族女性、その他性別が女なものは馬や猫に至るまで関係各所に問い合わせて所在を確認しましたが全てシロでした」
「モーガン、ご苦労だったな」
「ということはやはり! 何らかの目的をもって城に潜入し何らかの理由で行き倒れたスパイってことですか?」
「落ち着けマリーン。その可能性はシロではないが、それならまぬけすぎるだろう。現時点ではシロともクロと決めてかかるわけにもいかない」
とりあえず、とケヴィンは机を取り囲んでいる部下を見まわした。
「出勤してきた者はいつものように半数ずつ訓練と巡視を始めてくれ。昨夜当直だった者は報告書を提出して帰ってよし」
「隊長、この娘はどうするんですか」
モーガンの質問にみんなの目が再び女に注がれた。女はいまだ起きそうにない。身元不明の人物なだけに高貴な人なのか政治犯なのかも判別がつかない。監視が必要ではあるが、男ばかりが勤務している警備詰所に年頃の女性を一人で置いていくのも色んな意味で不安がある。
それに、とケヴィンは自分の胸にモヤモヤとした妙な感情があるのに気づいていた。彼女を拾ってからというもの、どこかに忘れ物をしてきたような、そしてそれをどこに忘れてきたのか、そもそも何を失くしたのか思い出せないような焦燥を感じている。
もしかして自分は彼女を知っているのだろうか。ケヴィンはまた顎を指で叩いた。
「気が付けば昨夜の事を話すだろう。俺が責任を持って監視するから心配ない」
部下たちが困惑したようにケヴィンを見た。
「この女は昨夜死にかけていた。今は体温が戻っているが、まだ意識は戻っていない。そんな状態の者を冷たい牢屋に入れておくのは気が引ける。死んでしまったら話も聞けんからな」
「ですが」
ケヴィンは女の毛布を剥ぐと手足を縄で縛った。それからまた毛布で包むと抱き上げた。
「これなら気がついても咄嗟に逃げられまい。さ、解散だ。さっさと配置につけ」
「隊長、その娘どうするんです?」
髭面男のモーガンが、毛布で簀巻きにした女を抱えて、さっさと詰所を出ていこうとするケヴィンに同じ質問を繰り返した。
「連れて帰って監視すると言っただろう」
ケヴィンはそう答えると詰所の扉を足で開けて出て行った。
後に残された部下たちは顔を見合わせる。
「そういうつもりで聞いたんじゃないんだけどなぁ」
「つまり俺たちは下半身的に信用されてないってことだよな」
「そういう隊長は結婚してたっけ」
「いや、下宿先で独り暮らしって聞いたはず」
「俺たちと変わらんじゃないか。あれでいいのか」
「職権乱用だな。美味しいところ持って帰りやがった」
「隊長が連れて帰ったのなら安心ですね。なんていっても隊長は剣も格闘術も抜群で魔法も使える方なんですから。疑わしい女だったら隊長が上に報告してくれますよ」
「クリス、お前天使か」
「モーガンさん、僕生きてますよ?」
警備隊に入ったばかりの新人クリスはさらさらの栗色の髪を揺らして愛らしいリスのように首を傾げた。その様子に厭らしい想像をしていた先輩警備隊員の脳内が浄化される。
「――さあ、仕事するか」
***
連れ帰った黒髪の女の目蓋が震えた。皆の前で縛った手首の縄はとうに切ってある。皆の手前縛り上げたが、そんなものは無くとも細い枝のような女の腕に力で負ける気はしなかった。女からは魔力が微塵も感じられない。攻撃魔法をいきなりぶちかませられるといったこともないだろう。もっとも結界を施したこの部屋では、部屋の主以外は魔力を行使することは不可能とケヴィンは自負していた。
むずかるように身をよじり、女はゆっくりと目蓋を開いた。
黒曜石のような黒々とした瞳が現れ、キョロリと部屋を見回したのが分かった。そしてようやくケヴィンの姿を捉えると、その目は見開かれ紅い唇が戦慄いた。
「きゃああああ!」
ケヴィンは身構えたが、女の口から出たのは大音響の悲鳴のみ。女はガバリと身を起こし、ケヴィンから距離を取るようにベッドから逃げ出した。だが万が一のことを考えてベッドの柵に繋いでおいた足首の縄が女を逃さない。
体勢を崩され、女は頭からベッドを転がり落ちかけた。
「おっと!」
ケヴィンは女を片腕だけで支えてベッドに引き戻した。女はベッドの端ぎりぎりまで逃げ、そして両手を胸の前で交差させて身を縮めて防御のポーズをとった。
「だ、だ、誰? ガイジン? どうしてあたし裸ぁ?」
女は相当混乱しているようだ。
ケヴィンは女を連れて城下町にある自分の下宿へと帰っていた。隊長職に就いて以来、仕事が忙しく、夜勤明けの休暇も寝て過ごすケヴィンは、この下宿にはほぼ寝に帰っているようなものだった。だから部屋には生活感というものが余りない。簡素なテーブルとイスが一組だけ窓際に置かれ、手入れを怠らない自慢の剣がベッド脇に立て掛けてある。他にある家具といえばベッドと小さなチェストだけだ。ベッドだけは大きく、枕はこだわって柔らかいものを選んでいるが、チェストにはたいして私服は入っていない。食事は大家のマリーにご馳走になるか外の定食屋で食べる。掃除と洗濯は部屋代と共にマリーに支払い世話になっていた。
そんな彼であるが、容姿は人並み以上に良かった。金髪の髪に澄んだ湖を連想させる碧眼、鍛えられた体躯。歳よりも若く見られることが多いのが難点だと思っているが、女受けはすこぶる良い。
ケヴィンはかろうじて聞き取れた単語に首をかしげる。聞き取れたからといって単語の意味が理解できたわけではなかった。
「ガイジン? なんだ、それは」
「はうあー、ゆう? ほわっと、ほわっと!」
「落ち着け、俺の言ってることが分かるか?」
「ひぃ~! 近づかないでぇ!」
濡れた服は脱がせたものの、代わりに着せる女性ものの服は手持ちにない。さらに暖房器具がなく、ベッドもひとつしかないため、一緒のベッドで寝ていたことが混乱の原因らしいと気付いて、ケヴィンは苦笑しながらベッドを下りた。女は毛布を身体に巻き付けて男を睨む。
混乱しつつも騒いでいる内容がかろうじて聞き取れたので会話には支障がないだろう。ケヴィンはチェストから洗濯済のシャツを女に投げ、椅子を引き寄せて野生の動物に接するように一定の距離を保った。
そしてしばらく様子を窺っていると、警戒しつつも女が冷静になってきたのが分かった。
「ここはどこ? まさかあたし寝てるうちに誘拐されて外国に売られたの?」
「ここはガイコクって国じゃない。お前が売られてきたのかどうかは俺には分からないが、少なくとも俺はお前を買ったわけではない。お前、名前はなんというんだ」
「名前?」
眉間に皺を寄せて女が考え込む。いまさら嘘の名前を考えているのだろうか。このタイミングで考えているとすればマリーンの言った通りスパイとしてはまぬけ過ぎる。
女はおずおずと口を開いた。
「わかりません」
自分で発した言葉にショックを受けたように女は答えた。
嘘を言っているようには見えないが、これが演技だったらたいしたものだ。ケヴィンはもう少し揺さぶりをかけてみることにした。
「馬鹿にするのも大概にしろ。名前が分からないなんて信じられるか」
「だって思い出せないんです。名前を言おうとするとそこだけぽっかり穴が開いたみたいに出てこないんです」
頭を打ったのだろうか。女はポロポロと涙をこぼした。しかしいちいち同情していては判断を見誤る。ケヴィンは女の様子を注意深く窺いながら質問を続けた。
「生国は何処だ。どうしてあそこにいた」
今度も女は深く考えるような表情をした。それから自信がなさそうにポツリポツリと答える。
「生まれはニホンで、仕事から帰ってコタツでこんびにで買ったオベントウを食べて、食後のでざーとにあいすを食べようとして、寝ちゃったんだっけ……」
ケヴィンは眉間に皺を寄せた。とにかく女の言葉には聞き取れるものの意味が分からない言葉が多すぎる。ニホンという国は存在しないし、コタツ、コンビニ、ベントウ、デザートとはなんだ。下手な芝居で煙に巻こうとしているのではないかとケヴィンは苛立ち、素直に話せるように女の立場を身体に教え込ませようかとさえ思えてきた。お誂えに女はベッドの上から逃げられない。そう、これは尋問だ。ケヴィンは薄い笑みを浮かべた。女がビクッと震えあがったのが分かったが、その様子はかえってケヴィンの興奮を誘う。
ゆらりと椅子から立ち上がったところで、突然部屋のドアがガチャリと開いた。魔法で施錠してあったはずの鍵が、だ。ケヴィンも女も動きを止める。ゆっくり開かれていく扉の様子から二人は目を逸らすことができなかった。
やがてそれはペタリと魚がヒレで歩いているかのような足音で侵入してきた。黒くて縦長のゴムマリのような体に、目を引くオレンジの飾り羽。一見可愛らしく見えるが意外に獰猛そうな黄色い嘴と黒い足の爪。まるで人間のように赤いマフラーを巻いている。
「ようやく見付けましたよ、リサさん。この世界で黒目黒髪って珍しいはずなのになかなか見つからないんだもの。ボクちょっと焦りましたよ。ラクトア様の魔法の軌跡を辿ってお城までは行ったんですけどね。そこからぷっつり途切れてるんだもの。色んな人から記憶を覗かせて貰ったりしてね、ようやくここに辿り着いたんですよ。さあ、お母様がお待ちですよ。参りましょう。あれれ、この人は誰ですか? もしかしてボク、お邪魔でしたか? う~ん、でも、ごめんなさいね~。こちらにも都合があるものですから、リサさんを連れて行かせて貰いますね」
黄色い嘴をパクパクと動かし、鳥のような生き物は流暢に人間の言葉を操った。しかも表情など作れそうもない顔をしているのにシニカルに笑ったように見えた。
鳥のような生き物は翼を片方持ち上げると、魔法陣を発動させた。緑色にぼんやり発光する魔法陣が女の座るベッドの下でくるくると回る。回転が速まるそれを見て、ケヴィンは転移魔法陣だと勘づく。
「ひぃ! ぺんぎんが喋ってる!」
女はベッドの上で引き攣った表情で分からない単語を叫んでいた。そういうケヴィンもまた鳥のような生き物が発した言葉に理解が追い付かない。
「こいつの母親が氷の魔女、ラクトア、だと」
ケヴィンは状況を理解するよりも早く、立て掛けてあった剣を掴んで今にもどこかへ転移されそうなベッドに飛び乗った。
間髪入れずベッドは下宿の部屋から掻き消える。
大きなベッドが消えた部屋は、前よりもっと生活感のない、がらんとした空間となった。
***
「ルー、これはどういう事なのか、そこに座って説明なさい」
転移してきたケヴィン一行を見た美貌の女は、ルーという名前だそうな鳥のような姿の魔物をいきなり叱りつけた。
強引に連れてこられたわりに、現在、娘とケヴィンは完全に蚊帳の外。
この隙に逃げようとケヴィンは考えたが、恐怖のためか不覚にも身体が動かない。伝え聞きでは妖艶かつ極悪な氷の魔女ラクトアは気に入った若い男を惑わし、かどわかし、精気を吸い取って最後は殺してしまうという。この黒いロングドレスを纏い、どことなく冷たい雰囲気をもつ女がそのラクトアなのだろう。もはやこれまでか、とケヴィンは覚悟を決めた。
「座っていますよ」
ルーはくちばしをパクパクさせて反論した。
「立っているじゃない」
「座っていますってば。これでも膝の関節は曲がってるんです。そんなことより、ケヴィンさんが付いて来てしまったものは仕方がないじゃないですか。リサさんの足首をベッドに縛り付けたりなんかしちゃって、ただならぬ関係のようですし、この機会に親に紹介っていうか、挨拶済ましちゃったらどうかな~なんて思ったりなんかしちゃったりして。まあ結果オーライじゃありません?」
ルーはまたシニカルな笑みを浮かべて二人を見た。ラクトアは射るような目つきでケヴィンを睨む。ケヴィンのアソコがキュッと縮こまった。しかし次の瞬間、ラクトアはにぃと笑って、愛しいものを見るような目つきで娘に駆け寄った。
「リサ、本当なのかい。やるじゃないか、さすがは私の娘だよ」
ラクトアは恍惚の表情で娘の頬に触れた。ぞっとするような冷たい指に娘は震える。ラクトアの表情もまた怪訝なものに変わる。
「――温かい。リサ、あんた、まさか人間に転生したのかい? ルー、これはどういう事なの!」
ラクトアは叫んだ。
ケヴィンはベッドから飛び降り剣を構えた。
それを見てラクトアは不快そうに柳のような眉を顰めた。
ケヴィンは恐怖ですくむ脚を踏ん張り、叫んだ。
「氷の魔女ラクトア、俺たちをどうするつもりだ」
「どうもこうもないさね。勝手に付いてきたのはお前じゃないか。これは家族の問題だよ。ちょっと大人しくしといで」
ラクトアは鼻で笑うと、めんどうくさそうにケヴィンへ指を向けた。すると、ケヴィンの足元が瞬時に凍りつく。ケヴィンの脚は床に縫い止められたようにビクともしない。
「くっ、なんてことだ。しかもこの氷、俺の氷解魔法では溶けん!」
「おーっほほほほっ。そこで見ているといいわ。私はこの子に話があるのよ。異世界の日本は新潟県に留学に出させた我が娘リサが人間に転生した訳をとくと聞かせてもらうわよ!」
「ラクトア様、説明臭い台詞ですね」
「ルー、おだまり!」
ラクトアは、娘の魂を持っているという女の額に手をかざした。
娘の額に白い魔法陣が浮かぶ。魂の記憶を読みとる魔法をラクトアがかけると、娘は気を失い、ベッドの上に倒れた。
そして、娘は気を失ったまま魂の記憶を読み上げはじめた。
その口から出た声は、ケヴィンの知っている娘のそれではなかった。娘は市原●子そっくりの声で滔々と語り始めた。
むかしむかし、あるところに異界から留学に来た氷属性の魔女っ娘がいたそうな。
娘は雪のように白く、大変美しかったので、村の若衆にモテモテじゃった。
ある日、娘が村の若衆らとしっぽり楽しんでいると、あまりの高揚ゆえに氷魔法を暴走させてしまった。それからも娘は、魔術の未熟さゆえにたびたび魔法を暴走させ、何人もの村の若衆を氷漬けにして死なせてしまったんじゃと。
村の人達は娘を雪女だと恐れ、村から追い出してしもうた。
娘は人里を離れ住むようになったそうな。
「なぁんですって!!」
「最後まで聞きましょうよ、ラクトア様」
ところが娘は時々とても寂しくなり、夜になると道に迷ったフリをして、一人暮らしの若い男の家を訪ねたそうな。
『すみませんが、道に迷ったので一晩泊めていただけませんか』
しおらしく娘が頼むと百発百中、男は家の中に招き入れてくれたんじゃと。
その頃には娘は氷魔法を自分でコントロールできるようにはなっておったんじゃが、娘は致した男をみな氷漬けにしていった。
ところがある時、超好みのイケメンに行き当たった。
娘はこの男だけは氷漬けにしないでおこうと思った。
若者はとても親切で、貧乏だと恥ずかしそうに言いながらも温かい麦ご飯と具の入ってない汁でもてなし、娘を一晩泊めてくれた。
しかしその晩、若者は野獣には変身せんかった。とても残念に思った娘は、さらに困ったフリをした。
『この吹雪では外に出られません。飯炊きや掃除をしますので、もう少しここへ置いてもらえませんでしょうか』
大変人のよい若者は娘が可哀相になって、快く願いをきいてくれた。
娘は吹雪が止みそうになると、魔法で再び吹雪を起こし続けた。幾日も、幾日も二人はひとつ屋根の下におったが、まだ手を出してこない。
どうしたものかと娘は困ってしまった。やがて若者の誠実さに娘は本当に彼のことが好きになったそうな。
ある日、娘は若者に、
『私をお嫁に貰ってくれませんか』と言った。
若者もよく働く娘を憎からず思っていたので、二人はすぐに夫婦になった。
そして初夜の晩、娘はハリキリ過ぎてうっかり氷魔法を暴走させてしまったんじゃと。若者は永遠に溶けない氷の中で眠りについてしまった。
娘は百年の間、彼の氷を抱いて泣き暮らした。凍らすのは得意でも、彼女にはまだ溶かす魔法は使えなかったんじゃなぁ。修行をほっぽって男遊びをしていたツケが回ってきたんじゃ。
そして娘は、彼の氷を抱いたまま帰らぬ人となった。
「んな、アホな」
思わず呟いたケヴィンは、とっさに己の口を手で覆い、ラクトアを窺った。幸いラクトアには聞かれていなかったようで、ルーに鼻をチンされている。
「バカだねぇ、うちの娘は……」
「ほら、ラクトア様、鼻水擦らないでティッシュで鼻ちーんしてくださいよ」
「そんな女にひっかかる男もバカだろ」
ケヴィンがまたまた口を滑らす。今度は聞かれていたようで、ラクトアとルーが悪い笑みを浮かべてケヴィンを見た。
「よく言えたもんだねぇ」
「ですよね。アナタ、そのバカな男の生まれ変わりですよ」
「はぁ? 俺はそんなバカじゃない!」
「前世も夫婦だったみたいですし、今も仲良くイケナイ事楽しむ仲になったみたいですし、ね、ラクトア様」
「そうだねぇ、永久凍土に覆われるここに居ても、今のこの子には寒さが堪えるだろうし、二人のお付き合いを許してあげようかね」
ラクトアとルーは頷き合った。それを見たケヴィンはいきり立った。
「なに勝手なことばっかり言うな、俺はコイツなんぞ……」
ケヴィンの勢いが急速鎮火する。ラクトアとルーが真顔でケヴィンを睨みつけていたからだ。ケヴィンは黙った。なにしろ足元を凍りつかされているこの状況は不利でしかない。
「誰に向かって言ってるんだい。うちの娘を弄ぶだけ弄んで捨てるつもりってんなら、今ここで心臓を抉り出して氷像にしてやろうかね」
「ちょっと待て。弄ぶも何も、俺はまだ何もしていない。なぁ、この娘は一体何者なんだ」
「何者って、さっきの話を聞いていなかったのかい? まったくオツムの緩い男だねぇ。アタシの娘の魂を持って転生した、ただの人間さね。これっぽっちの魔力もない、地球原産のただの娘っ子さ」
「なん、だと……」
「留学したまんま、ちっとも帰って来ないもんで、魂で娘を判別してこちらに召喚したんだがね。途中で事故があってねぇ……」
「アイスクリームに気を取られて失敗したんでしょ、四大魔女の一人に数えられる大魔女ラクトア様とあろうお方が全く情けない。それであなたの職場の近くに落っことしちゃったようですね。その節はご迷惑お掛け致しました。まぁ、でもなんですか。あなたのところで良かったというか、やっぱり前世の因縁で引かれ合うものがあったんでしょうかね」
ルーはクニュっと身体を前に曲げた。どうやらお辞儀をしたらしい。ケヴィンは呆気に取られ、剣を杖のように床に突き立て体を支えた。
「ま、まあ、これで女の足跡が無かったことに一応の説明がつくか。しかし彼女は墜落のショックで自分の名前の記憶を失くしているようなんだが」
ラクトアはせせら笑うように顎をツンと上げて、ケヴィンを見た。
「そりゃ好都合じゃないか。アンタの呼びたいように呼べばいいだろう。アタシはこの子が幸せなら文句はないよ。あっちの世界に返すのもいまさら面倒だし、こっちの世界にいればあたしもこの子に会える。外見は変わってもうちの子の魂だ。私の娘同然さね」
「面倒って、向こうの親も心配しているだろう。なんとかならないのか」
「なんともならないね。向こうから召喚するときに存在自体を白紙にしてしまったからねぇ。アンタ、ぐずぐず文句ばっかり並べ立ててるが、とどのつまり、この子じゃ勃たないってのかい? この子になんの不満があるんだい」
ちらりとラクトアはケヴィンの下半身に視線をやった。ケヴィンはその部分が凍傷になってもげてしまうような冷気を感じて、身体の一部が竦んだ。
違う、不満などないのだ。あの時、雪の上に横たわる彼女を見て、黒髪を、白い肌を美しいと思った。
僅かに呼吸がある事に安堵して、彼女を助けたいと願った。
温めている間に頬が薔薇色に輝くのを見て、どれだけ安堵したことか。
彼女がなぜ城内にいたのか、どうやって来たのか疑いはあったけれど、冷たい牢屋に入れておく気にはならなかった。ましてや狼共のいる職場には置いておけなかった。
ケヴィンは自分のベッドに横たわる娘を切なげに見つめた。
「リサ……」
「リサ、ね。めんどくさいことになるから地球での記憶はすべて消去しといてやるよ。目が覚めたら上手くやるんだね」
ラクトアは迫力ある微笑みを浮かべると、その手の中にカップアイスを出現させた。抹茶味のようだ。片手には銀色に輝くアイスクリーム専用スプーンが握られている。
「さあさ、これからあたしは忙しい。ルー、そいつらを元の場所に送ってやっておくれ」
「仕方がありませんね。では元の場所にお送り致しますので、ベッドに乗って下さい。あ、ラクトア様、こちらの方の氷を溶かしてあげて……ああ、もう。聞いちゃいませんねぇ。まったく困った御主人さまだ。ノミとトンカチで割るのと熱湯かけるのとどちらがお好みです?」
ようやく足元の氷を溶かされて自由になったケヴィンは、大人しくベッドに登り、リサの隣に座った。
来る時と同じように、ベッドの下の床に現れた魔法陣が緑色に発光し、ぐるぐると回り出す。
「リサを泣かせるんじゃないよ。啼かせるのもほどほどにしな。この子にアンタを凍らせる力は無くとも、あたしにゃあるんだからね」
五
「隊長、うまくやったよな」
「ああ、嫁さんはあの時の娘だとさ」
「あの子のスパイの容疑は晴れたんだってな」
「なんでも、氷の魔女が転送を失敗して落っことしたらしい」
「なんだそりゃ、四大魔女が聞いて呆れるな」
「かどわかされる途中だったってのか」
「しかもショックで記憶喪失になった娘を隊長が甲斐甲斐しく世話したらしいぞ。なにせ自分の事だけじゃなく物の名前も生活習慣もすっかり忘れてなんも覚えてなかったらしいからな」
「そんな状態であの隊長に優しくされたらコロッといっちまうさ」
「そりゃ好きになるよな」
「刷り込みだよな」
「隊長も下心がスケスケだよなぁ」
「違いない」
青天の下、城下町にある白亜の教会で執り行われた結婚式に非番の部下数名が出席していた。
部下たちは少し離れたところで固まって無駄話に花を咲かせていた。
「お、出てきたぞ」
花嫁衣装に身を包んで幸せそうに笑っているのは、この国には珍しい黒髪黒目の女、リサ。
隣にいるのは金髪碧眼の一見優男風だが、剣技も優れ魔法も使える警備隊隊長ケヴィン。
教会から腕を組んで出てきた二人は、参列者が投げる五色に染められたライスシャワーとフラワーペタルの中を馬車に向かってゆっくりと歩いている。
「あのやに下がった顔っていったら無いよな」
「嫁さんの方も隊長にベタ惚れらしいぜ」
「今夜の宴会は隊長を使い物にならなくなるまで酔い潰すか」
「もちろんだ」
「あーあ、どっかに嫁さん落っこちてないかなぁ……」
絶賛お一人様中の部下たちは、人の悪い笑みを浮かべて今夜の宴会場となる新婚二人の新居へと徒歩で向かった。
***
「ラクトア様、これで一件落着ですね」
ラクトアとルーは、リサの結婚式を魔力が秘められた水晶玉を通して一部始終を見ていた。
ルーが黄色い嘴をパクパクさせて嬉しそうに言う。
「まっさか、あいつがあんな性癖だったとはねぇ」
「まあ、いいじゃありませんか。相性は良かったようですし。終わりよければすべて良し、ですよ。ああっ! 大福アイス一人で食べるなんて、ラクトア様ずるいですよ!」
「ひとつっきりだったんだから仕方がないじゃないの」
「うそつき! この二つのくぼみはなんですっ!」
「ニコイチなんだから、これで一個なの」
「そんなぁ……」
ラクトアはがっくりと項垂れるルーを横目に、ずずっと湯呑に入った日本茶を満足そうに啜った。