8:流される魔女
マリカは流されやすい性分である、と自覚していた。
現に今日も、午前中はされるがままであった。
部屋まで運ばれた朝食──体調に考慮したのか、それは優しい味付けのパン粥だった──をルアナに言われるまま食べ、ルアナに本を渡されるまま読んでいた。
そして時計を眺め、午後のお茶会の時間が近づいていることに気付く。
ここでようやく危機感を持ったマリカは、本を置いて立ち上がった。
同時にルアナが、ドレスを片手ににじり寄って来る。
マリカは流されやすい。自己主張が非常に不得手だ。
だからこそ、今この時だけでも、流されずにいなくては、と意思を固めたのだが。
「待って下さい、ルアナ! 私はとても、婚約者の器では……!」
「何を仰います。ウィルフレッド様もベアトリス様も、マリカ様を気に入られております。また兄上であるジェイル様も、マリカ様のご婚約を喜んでおられるようでした。届いた電信を、ご覧になられますか?」
「うう、でも、私は……」
ルアナを説得しようとするも、慣れた手つきで寝巻を奪われてしまう。
一糸まとわぬ姿のまま、何となく両手で体を隠してもじもじしていると、続いてドロワーズとコルセットをあっという間に装着させられる。
ちらりとルアナを見ると、誇らしげかつ涼しげな微笑で見返された。
「下着は昨日の内に、新しいものを調達いたしましたので。ご安心ください」
「そう、なの……ありがとう……」
きゅうっとコルセットに腰を締められ、息を止めたマリカは条件反射に感謝を口にする。
違う! これではまた流されている!
我に返り、ブンブンと首を振った。
しかし今度は、その首──もとい髪を押さえられる。
「髪をまとめますので、少しじっとなさって下さい」
「え、は、はい」
慣れた手つきで、髪を梳かれる。
エプロンドレスから大量のピンを取り出したルアナが、器用に長い赤毛をまとめ、留めていく。そして最後は、生花で彩りを加える。完璧な仕上がりだった。
鮮やかな黄色い花をマリカがつついていると、ルアナはまた得意げに微笑んだ。
「こちらは朝、庭園にて調達して参りました。さあ、次はお化粧です。こちらへおかけください」
マリカは口を開いた。
しかし言葉を発する前に、ルアナに目で制され、全てを飲み込むこととなった。
「……はい……」
結局主張を聞き入れてもらえぬまま、マリカは化粧も施され、瞳と同じ水色のドレスを着せられる。
そして、ドレスの鮮やかさに見とれていると、そのままルアナに屋敷の外まで引きずり出される。
呆けている内に、馬車にまで乗せられた。
そのまま彼女は、敷地内にあるベアトリスの別邸にまで連れて行かれた。
本邸と変わらず、別邸も趣味の良い造りをしていた。
主が女性であるためか、本邸よりも多く、花が活けられていた。
まるで秘密の花園、といった趣である。
マリカはまた見とれ、次いで出迎えてくれたベアトリスの笑みにも惚けてしまう。
それでは駄目だ、と何度目かの決意をする。
そして、これはチャンスなのだと言い聞かせる。
おそらく縁談を主導しているであろう、ベアトリスに直談判できる機会なのだ。
いかに自分が不適格な婚約者であるかを、彼女に語るのだ。
弱い心を奮い立たせ、マリカは小さくうなずいた。
先導するベアトリスへ、声をかける。
「本日はお招きいただき……また、素敵なお召し物を貸していただき、ありがとうございます」
まずは失礼のないよう、謝意を述べる。
ベアトリスはころころと笑った。息子と違い、非常に社交的な人物なのだろう。
「お古でごめんなさいね。でも、似合っていて何よりだわ」
お世辞に、お辞儀で返す。
さあ、言うなら今だ。
「ベアトリス様。実は今日は、お話がございまして……」
「まあ、何かしら。でもまずは、こちらの用事を済ませてからでも構わないかしら?」
くるりと振り返り、ベアトリスが微笑む。
麗しいが、有無を言わさぬ圧力があった。
命令することに慣れている者の笑み、である。
マリカは嫌な予感に襲われつつも、表情だけは凛々しさを保つ。
「用事とは、何でしょうか?」
「こちらですわ」
ベアトリスに連れられたのは、大きな窓がある明るい客間だった。
そして部屋の真ん中には、一人の女性がいた。
彼女の傍らには、何十枚もの布が折り重ねられている。
また女性は、メジャーと思しきものを握り締めていた。
嫌な予感が、ますます膨らんでいく。
「ベアトリス様。あちらの女性は……」
「懇意にしている仕立て屋です。あなたのドレスを作ってもらおうと思って」
年齢を感じさせない、茶目っ気たっぷりのウィンクでベアトリスが答えた。
嫌な予感は的中していた。
マリカは部屋の入口で仁王立ちとなり、必死に入室を拒む。
そして髪が崩れるのも構わずに、大きく首を振った。
「いけません、ベアトリス様! 私は本当に、婚約者にはふさわしくないんです! ウィルフレッド様より八歳も年上ですし、魔法も地味ですし。それに、魔力を宿す器として──」
必死の主張の途中で、ベアトリスに腕をからめ取られる。
「大丈夫よ、私もウィルも、細かいことは気にしませんから。だってあなた、とても可愛らしいもの。わたくし、マリカさんのような控え目な娘が欲しかったのよ」
「……うぐっ」
痛い、というよりもくすぐったいところを突かれる。ここまで手放しに褒められ、尚も彼らを拒むことは難しかった。
また、マリカの背後に控えていたルアナがぐいぐいと、室内へ彼女を押し入れようと背中を押すのだ。
「マリカ様。さあ採寸を受けて下さい。これはベアトリス様の夢でもあったのですから」
後半は、耳打ちで明かされる。
小さく、え、とマリカは声をもらした。
そしてベアトリスを、改めて見る。
耳打ちに気付いていない様子で、彼女は両手を胸の前に重ね、うっとりと語った。
「それにね、ずっと夢だったの。ウィルが可愛いお嫁さんを幸運にも迎え入れられた時に、彼女を目一杯に着飾って、社交界の注目の的にするのが」
壮大なようでいて、小さいようでもある夢だが、言葉の端々に彼女の必死さが見え隠れしている。それは、続く言葉にも表れていた。
「そうすれば、誰もウィルを馬鹿にだなんてしないわ。きっと、一角の紳士として認めてもらえるはずですもの」
マリカはルアナから教えられていた、トカゲ紳士という蔑称のことを思い出した。
母として、ベアトリスにも思うところがあるのだろう。
だからこそ魔女の嫁を、それこそ田舎くんだりまで探しに出たのだろう。
彼女の努力はマリカにとって、迷惑千万でもあった。
だが、拒むことも出来なかった。
いつまで自分が、ふさわしい婚約者として見てもらえるかは分からない。
それでもしばらくは、彼らの努力に付き添おう、と決めた。