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7:事後承諾

 鶏肉がほろほろになるまで煮込まれたスープと、素朴な甘さのクッキーが、優しく胃と心を癒してくれたのか。

 翌日の朝にはすっかり、痛みも吹き飛んでいた。

 空が青白く光り出した頃、マリカはぱちりと目を覚ました。

 痛みも、ついでに疲れも拭い取られた身体で、大きく伸びをする。

 そして裸足のままベッドから抜け出し、分厚いバラ柄のカーテンを引き開けた。

「まあ、素敵」

 窓ガラスに額をつけ、眼前に広がる光景に感嘆する。

 思わず表情も、ほころんだ。


 部屋の窓は、前庭に面していた。

 マリカが落っこちた噴水と、あの迷路のような庭を眺めることが出来たのだ。

 どちらも朝霧に包まれ、姿はぼやけていたが。

 それでも青く輝く空を背負った庭園の姿は、とても神秘的であった。

 マリカはここで一夜を明かせたことを、無意識の内に喜ぶ。


 窓辺に頬杖を付き、のんびりと朝の風景を眺めていたマリカだったが、だしぬけに後ろを振り返る。

 部屋の入り口付近に、人の気配を感じたのだ。田舎暮らしであるため、目と耳は良い自信がある。

 その気配は扉前にしゃがみ込み、何かをしているようだった。

 使用人だろうか。それとも、ウィルフレッドだろうか。

 しばらく考えた末、マリカは扉を開けてみることにした。

 ウィルフレッドの顔面は恐ろしいが、態度は紳士的である。就寝中の女性を訪問することなどないだろう。

 ならば使用人が、何かの事情を抱え、扉を開けるべきか考えあぐねいているのかもしれない。

 向こう側の相手を驚かせないよう、そうっと薄めに戸を開く。


 しゃがみ込んでいるのは、ルアナであった。

 彼女は片手にリボンが巻かれた箱を、もう片手にカードを持っていた。どうやらそのカードを、扉の下から滑り込ませようとしていたらしい。

 突然開いた扉にのけぞりつつも、ルアナはすぐに立ち上がり、すっと背筋を伸ばした。

 相変わらず、出来た女中である。だからこそ、マリカ付きの即席侍女に選ばれたのだろうが。

「おはようございます、マリカ様。お早いのですね」

「おはようございます、ルアナ。田舎の朝は早いですから」

 はにかんで答えれば、おや、と言いたげにルアナは目を見開く。

「ですがマリカ様。貴女のご実家は地主であると伺っておりますが」

「猫の額ほどの、小さな土地です。暮らしぶりは、普通の方々と一緒ですよ」

 そう。マリカの実家は、決して裕福ではない。

 日々の食事には困らない程度の、少々恵まれただけの家庭なのだ。

 カードを箱の上に乗せ、ルアナは質問を重ねる。

「マリカ様の魔法でもって、もっと裕福な生活を目指されることも可能では?」

 彼女の言う通り、魔女の中には貴族や王族の相談役となり、贅沢三昧をしている者もいる。

 冷静にしているが、年頃の女性だ。ルアナにも、人並みの好奇心は宿っているらしい。

 加えて魔女が珍しいのだろう。問いかけには、どこか熱もこもっていた。

 こんなにも興味津々の態度を取られることは久しいので、マリカはわずかに苦笑した。

「確かに魔法で臨時収入は得ていましたが、あまり魔法に頼ってはならない、というのが家訓でしたので。それに私の魔力は、安定感に欠けているんですよ」

「複雑なのですね」

「ええ」

 本当はもう一つ、魔法で食べていけない理由はあった。

 しかしそれを、メルヴィル家の人々に語るつもりはなかった。

 また、言う機会もないだろうと高を括る。


 マリカは話題を、ルアナの手荷物へと逸らす。

「ところでこのお部屋に、何か御用があったんですか?」

 ハッと我に返り、ルアナは荷物を両手で抱え直す。

「はい、ベアトリス様からの贈り物でございます。まずはこちらを」

 そう言って彼女が差し出したのは、室内に入れ込もうとしていたカードだった。

 受け取って中身を改めると、招待状であることが分かった。

 マリカの体調を気遣いつつ、もし可能であれば、お茶会に招待したいという旨が、流暢な文字でつづられている。


 身分が上であるベアトリスの誘いを、マリカが断れるわけもない。

 しかし

「素敵な招待状ですね。でも私──」

「ご安心ください」

もじもじとするマリカの言葉を制し、ルアナが箱を差し出した。

「こちらもベアトリス様からお預かりいたしました、ドレスでございます。もちろん急なことでしたので、ベアトリス様のお古ではございますが、デザインの素晴らしさは、このルアナが保障いたします」

「そう、ですか」

 まさに至れり尽くせりである。

 メルヴィル家の、この縁談にかける熱意をひしひしと感じ、マリカは遅ればせながら寒気を覚えた。


 どうやら遊び半分でこの話に挑んでいるのは、己だけらしい。

 唾を一つ飲み込んで、マリカはそっとドレスの入った箱を押し返す。そして、伏し目がちに告げた。

「ここまでして下さって、本当に感謝しているのですが……まずは兄たちに、連絡を入れてもよろしいですか? 一晩留守にしたので、きっと心配をしているはずです」

「ご安心ください」

 だが返って来たのは、再びの安全宣言だった。

 顔を跳ね上げ、マリカは目をまたたく。

「それは、どういうこと、でしょうか?」

「昨夜の内に、フォンテーン家へ電信をお送りしております。また、マリカ様の兄上様であるジェイル・フォンテーン様から、『妹をお願いいたします』という旨の返信を受けております」

「そう、でしたか」

 兄まですでに、抱きこまれていたのか。

 マリカは笑おうとして、ぎこちなく失敗する。

 その強張った表情を見ても吹き出すことなく、ルアナは淡々と頭を一つ下げた。

「つきましてはマリカ様はお客人から、ウィルフレッド様の婚約者となりました。当館を新しい我が家と思い、ごゆっくりお過ごしくださいませ」

「婚約者……」

 口に出しても、実感が湧かなかった。

 まだまともに目を合わせていない人物と、たった一晩のうちに婚約していたとは。それも、自分の知らない内に。

 言葉だって、数えるほどしか交わしていないというのに。

 まるで、まだ夢の中にいるようだった。

 それも心地よい夢ではなく、悪夢の中に囚われている気分だ。

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