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37/38

37:好きだ

 ぱくぱくと、酸素に飢えた魚のように、マリカは口を開閉させる。

「うぃ、る、さま……」

 喘ぎ喘ぎ名を呼べば、いつものこくん、とした返事が返ってくる。

「どう、して」

 数々の疑問を内包した言葉だった。


 どうしてここにいるの?

 どうして一人きりなの?

 どうしてハンカチを差し出してくれたの?

 どうして来てくれたの?


「マリカに会うため」

 その疑問たちに、ウィルフレッドはたった一言答えた。

 それは、マリカが聞きたくて聞きたくてたまらなかった言葉だった。

 だが、首を縦に振るわけにはいかない。

 マリカは立ち上がり、距離を取る。

「お帰り、下さい……」

「何故」

 ウィルフレッドが再び歩を詰める。

「私は、あなたの婚約者にふさわしくありません」

 うつむき、声を振り絞る。

「……私の家系は、魔法を使えるために代々短命です。子を成せば、その忌まわしい魔力をあなたの一族に引きこんでしまいます」

 なお足を動かしていたウィルフレッドの歩みが、止まる。

 そして目を見開いた。どうやら、ベアトリスから何も聞かされていないらしい。


 マリカとウィルフレッドは、じっと見つめ合ったまま固まった。


 やはり綺麗な瞳だ、とマリカはぼんやり思う。


 再びぽろり、とマリカの頬に涙が流れ落ちた。

「何故」

 ウィルフレッドの、薄い唇が動いた。

「え?」

「ならば、何故泣く。納得ずくではないのか」

「……」

 答えられなかった。

 口元に手を添え、マリカは沈黙する。

 その彼女の腕を、ウィルフレッドが強引に取った。引っ張った。

 そしてぎゅう、と彼女の華奢な身体を抱きしめる。

 陽光の香りがする温かさに包まれ、マリカはなお涙がこみ上げた。

 しかし、彼の小柄な身体を押し返そうともがく。

「離して下さい」

「嫌だ」

 なおも、マリカはもがいた。

「お願いします、離してくだ──」

「好きだ」

 耳元で、ぽつりとささやかれる。マリカはびっくりして、動きを止めた。


「好きだ。愛している。誰よりも愛している」

 淡々と、しかし熱病に浮かされたような調子で、ウィルフレッドはささやき続けた。

「私を捨てないでくれ」

「違います。捨てられるのは、私……」

 もがくのをやめたものの、マリカの身体は強張ったままだった。そして、傷ついた笑みを浮かべた。

「きっとウィル様も、こんな弱い女を嫌になるはずです。だからお願いします、私を捨てて下さい」

「ならば、止めてくれ」

 穴が開くほど彼女を見つめ、ウィルフレッドがマリカの頬に触れた。

 絶え間なく流れ落ちる涙をそっと、拭い取る。

「……ごめんなさい、私にも止められなくて」

「何故」

 彼女の頬に手を添えて、じぃっとその顔をのぞきこむ。


 嘘を許してくれる瞳ではない。相変わらず、強い眼光をたたえていた。

「……だって、ウィル様の目がとてもきれいだから」

 こくん、とウィルフレッドはうなずいた。

「……それにウィル様のことを、どうしても忘れられなくて」

 再びこくり、とうなずきが返ってくる。

「……だから、辛いの……辛くて……嬉しくて、会えて」

 ほろり、とまた涙がこぼれる。それを丁寧に、ウィルフレッドが拭った。


「好き、です」

 涙と一緒に、本当の気持ちも転げ落ちた。

「ウィル様が大好きです……きっと、ずっと前から」

「初めて聞けた」

「え?」

「貴女の気持ちを」

 思わずまじまじと、マリカは彼の顔を見つめる。

 淡白な口調だが、頬は真っ赤に染まっていた。

 そして、とろけそうなぐらいに微笑んでいる。


 幼いその笑顔に、マリカはつい吹き出した。

「何故笑う」

 途端に、いつもの無表情が戻って来た。

「ごめんなさい。だって、可愛らしくて」

 涙も引っ込んで、マリカはくすくすと笑う。

「それは、褒め言葉ではない」

 鼻息荒く、不機嫌にウィルフレッドがぼやく。

「では、なんと申せばよろしいでしょうか?」

 しばし、ウィルフレッドは黙りこくった。怒っているようにしか見えない思案顔で、うんうんとうなる。

 その顔も、すっかり見慣れていた。愛しさすら感じる。


 ややあって、ウィルフレッドが言った。

「マリカになら」

「はい」

「マリカになら、なんと言われても、良い」

 今度はマリカが赤面する番だった。


 その赤くなった顔を両手で包み込み、ウィルフレッドが額を摺り寄せる。

 マリカも目を閉じた。

「好きだ」

 もう一度、ウィルフレッドがささやく。

 そして二人の唇が触れ合った。

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