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36:元通り

 周囲の住人は皆知り合いの、森に囲まれた小さなコミュニティ。

 マリカの生まれ育った村だ。

 彼女はそこに戻っていた。


 憔悴しきった様子で出戻りした妹を、兄ジェイルは黙って迎え入れてくれた。

 ただ力強く、彼女を抱きしめたきり、何も訊こうとしなかった。

 ジェイルの妻であるアナベルも、涙をこらえた笑みでお茶を用意してくれた。


 二人の静かな優しさに、マリカも涙腺を緩める。

 どこにいても、結局自分は誰かに甘えているのだ、とも痛感した。

「ごめんなさい。今回も駄目だったの」

 そうして彼女のこの言葉で、華やかな生活は終わりを迎えた。

 代わって慎ましい暮らしが、再びよみがえる。


 ジェイルは何度か電信のやりとりをしていたようだが、詳細をマリカに語ることはなかった。

 ただ彼の様子から、どうやらメルヴィル家とも話し合いが決着したのだと悟る。

 ちくり、とマリカの胸は身勝手に痛んだ。

 自分から逃げ出して来たというのに、いざ婚約者失格の烙印を押されると、落ち込むものがあった。

 何よりも、ウィルフレッドに見限られたのだ、という事実が辛かった。


 にもかかわらずマリカは、何かにつけて彼を思い出していた。

 たとえばバーサ手作りのスープを前にして、初めて声を聞いた夜を思い出し。

 たとえば窓の外を舞う小鳥を見つけ、彼が布地を選んでくれたドレスを思い出し。

 アナベルと焼き菓子を作っていると、菓子店できびきびと働く姿を思い出し。

 ふとした記憶の蘇りに、マリカはいつも涙ぐんでいた。


 めっきり不安定になってしまった義妹を、アナベルも心配する。

「マリカちゃん。少しお庭に出て来たら? 気分転換になるわよ」

「でも、スコーンがまだ……」

「こっちは大丈夫だから。さ、お外で日光浴でもしていらっしゃいな」

 兄とよく似た人懐っこい笑顔で、少しばかり強引にマリカへ本を握らせ、庭へと誘導する。

 どうやら心配させてしまったみたいだぞ、とマリカも察し、苦笑を浮かべて一つうなずいた。


 そして、やや小走りで庭の池へと向かう。

 小魚が泳ぎ、水草の揺らめく小池は、マリカが見合いに出た日から全く変わっていないように見えた。

 いや。

 池そのものは変わっていないが、マリカ自身に変化があった。

 彼女は池の前に立ちつくし、そして再び涙ぐむ。

 分厚い涙の膜は、すぐに粒となって頬を流れ落ちた。


 池の深い緑の色が、ウィルフレッドの瞳を想起させた。

 おんぼろ屋敷の池を見て思い出すなんて、失礼だとは思ったが。

 水草と小魚がたゆたう穏やかな水面は、物静か過ぎるぐらい物静かなウィルフレッドによく似ていた。

 すん、とマリカは鼻をすする。


 会いたい。

 声高に、マリカは叫びたかった。

 ウィルフレッドに、もう一度だけでもいいから会いたかった。


 しかし、それは叶わない。

 何故なら自分の抱える欠陥を、彼らに知られてしまったのだから。

 きっとウィルフレッドも、彼女を過去の存在として割り切っていることだろう。

 そこまで考え、愛用の古びた本を抱きしめ、マリカはその場に崩れ落ちた。

「そんなの、嫌ぁ……」

 悲しいぐらいに弱々しい、本音の吐露だった。


 その時、足音が背後からした。

 アナベルが心配して様子を見に来てくれたようだ。

 庭の落ち葉を踏みしめる足音は、さめざめと泣くマリカに躊躇したようだ。

 しばらく、彼女は立ちすくむ。

 そしてためらいがちにマリカへ近づき、白いハンカチを無言で差し出した。


 背後からにょっきと伸びたハンカチに驚きつつ、マリカは涙を拭ってちろりと振り返る。

「ごめんなさい、お義姉さ……」

 そこで、彼女は固まった。


 ハンカチの差出人は、ウィルフレッドだった。

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