33:赤い髪、白いバラ
ウィルフレッドだけでなく、メルヴィル邸全体にやる気がみなぎっていた。
全てはマリカの社交界デビューを、笑顔で終わらせるために。
庭で生花を選んでいる時も、女中たちが次々に顔をのぞかせては、「こちらのお花はいかがでしょうか」、「いえいえ、こちらこそマリカ様によくお似合いで」などと、お節介を働く。
何だかんだと世話を焼かれつつも、無事に花を選び終える。結局はウィルフレッドが無言でにらんでいた、白いバラを数本切り取ることにした。
「白バラでしたら、マリカ様の赤い髪にもよく映えます。それにバラは、メルヴィル家の名物ですから」
これには元ウィル様見守り隊・現マリカ様見守り隊隊員たちも、にこにこと納得の様子だった。
そうして屋敷に戻っても、また一騒動があった。
従僕たちが我先にと、舞踏会への同行を買って出たのだ。
表情から見え隠れするのは、マリカ達への好奇心と、そして親切心。
「フローレンスがいる」
ウィルフレッドのこの一言にすごすごと引き下がったものの、彼らの厚意にマリカは微笑んだ。
「お土産話、沢山持って帰ってきますね」
そう年若い使用人たちを慰めれば、激励混じりの笑顔が返って来た。
こんな調子で屋敷中が浮ついているのだから、マリカ付きの侍女であるルアナももちろん、意気込んでいた。
二週間も前から、のんびり気質のマリカをせっついてドレス選びを行わせ、装飾品も吟味に吟味を重ねた。
女中たちも巻き込んでの衣装選びの結果、淡い黄色のドレスに、一粒のエメラルドがぶら下がったネックレスが選ばれた。耳には、涙型の真珠のピアスを飾る。
そして焼きごてで巻いた、長い赤毛に白バラを添えれば、全てが完璧になる予定だ。
チュンチュンに熱された焼きごてが、リズミカルにマリカの髪を巻いて行く。
「ありがとう、ルアナ。髪が多いから大変でしょう?」
「ベアトリス様の、全く癖の付かない剛毛に比べればなんてことはございません」
ルアナは時々、さらりと毒を吐く。
それだけ今は、髪のセットに集中しているのだろう。
マリカは話しかけないようにしよう、と心中で己を諌める。
しかし。
鼻を突く匂いが、狭くない室内に漂った。
「ルアナ……ねえ、ルアナ……何だかその、匂うんですが……」
匂いの元をくんくんと辿り、マリカは視界に煙を見た。
それはどうも、焼きごてから漂っているようだ。
「ルアナ! 焼きごてから煙が出てる!」
「え? あ、あ、あああー!」
マリカの悲鳴に、怖い顔で毛先ばかりを見つめていたルアナも絶叫する。続いて、焼きごてを引き抜いた。
同時にぱさり、と軽い音が絨毯の上を跳ねる。
音のした方向を見るのが恐ろしく、マリカとルアナは強張った顔で見つめ合っていた。
だが、いつまでもそうしているわけにもいかず、マリカは視線を落とす。そして異臭が漂っている己の側頭部を撫でた。
一束の髪が、焼きごてで焼き切られていた。それが絨毯上に散らばっている。
まあ鮮やか、などとマリカは呆けた頭で考える。
「申し訳ありません! 申し訳ありません!」
屋敷中に響き渡りそうな大音声で、ルアナは床にひれ伏した。
その手が震えている。
無理もないだろう。自分の主人の髪を、誤って切ってしまったのだ。
それも、舞踏会の直前に。
普通の貴婦人ならば、身分を忘れて泣きわめくか、あるいは激怒していただろう。
しかし幸運にも、マリカは普通の女性ではなかった。また厳密には、まだ貴婦人にも至っていない。
「大丈夫よ、ルアナ。これぐらいなら、ほら」
焼き切られ、ちりちりに焦げた毛先を両手で包み込み、マリカは微笑む。
そして魔力を、己が髪へ注ぎ込んだ。
治癒の魔法が流し込まれた赤毛は、瞬く間に数分前の姿に戻った。
しゅるり、と生え揃った髪を見つめて、涙ぐんでいたルアナの肩から力が抜ける。
ほぉ、とため息も漏れ出た。
「本当に申し訳ありません……」
「大丈夫だってば。そんなに落ち込まないで、ね?」
しゃがみこみ、ルアナの震える手を取る。
髪を振って見せて、にこりとはにかんだ。
ルアナもおずおずとその手を握り返し、泣き笑いの面を浮かべた。




