32:飾り花
メルヴィル邸の庭は広い。
見学者のみならず、使用人たちからも「まるで、というか迷路そのものである」と評されるぐらいだ。
そして迷宮めいた庭には、色とりどりの花が咲いている。
マリカはその中を、きょろきょろと視線を躍らせながら歩いていた。
傍らには、ウィルフレッドもいる。
とはいえ二人の間に、緊張した空気は漂っていない。
穏やかな沈黙が流れていた。
ややあって、マリカがウィルフレッドを見下ろす。自宅内を散策しているだけであるため、いつもの日傘は部屋で留守番だ。
「どのお花がいいのか、目移りしてしまいますね」
ウィルフレッドも周囲を見渡し、こっくん、と首肯した。
二人はただぼんやりと、庭園を散歩しているわけではない。
今夜の舞踏会で、マリカの赤毛を彩る生花を、自ら探し求めているのだ。
ルアナが代わりに探しに行こうと提案したが、マリカはそれを丁寧に断った。
遅咲きではあるが、己の社交界デビューである。そしてルアナには、化粧からドレス選びまで頼っているのだ。
少しぐらい、自分のことを自分でしたかった。
ただでさえ、ここに滞在してからというもの、使用人たち頼みの生活を送っているのだ。
まだまだ全てを彼らに委ねるほど、マリカはジェントリ生活に慣れていなかった。
そんなわけでハサミを片手に、マリカは花の物色をしていた。
どういうわけか、ウィルフレッドも同伴で。どうやら本日は、夜の舞踏会に備えて仕事を休んでいるらしい。
手持無沙汰であることは何となく理解したのだが、分からないのは彼の足取りだった。
マリカの周りを巡る衛星のように、ちょこまかと動き回っているのだ。
正直、落ち着かない。
マリカも眉を八の字に寄せて、困った顔で彼を見つめる。
「あのう……どうしたんですか?」
彼女の問いに、ウィルフレッドの動きが止まった。
首を傾げる彼へ、マリカも困り顔でうっすら笑う。
「先ほどから私の周りを回っているような、気がするのですが。気のせいでしたら、ごめんなさい」
「日除け」
控え目なマリカの指摘に、ウィルフレッドは無表情に即答した。
ぱちくり、とマリカは水色の目をまたたく。
それをじぃっと見つめながら、ウィルフレッドは空中を指さした。
いや、正しくは少し傾きかけた太陽を示していた。
つまり、マリカが日に当たらぬよう、陰を作ってくれていたらしい。
色白の女性が美徳とされているが、なんという甘やかしだろう。これも全ては、今夜の舞踏会のため、だろうか。
マリカの方が背も高いため、あまり意味があるとも思えないのだが。
その細やかな優しさに、マリカは微笑む。
「ありがとうございます」
こくん、とウィルフレッドはうなずいた。
「でもお花も、一緒に選んでくださいね?」
日除けに専念していたウィルフレッドはハッとしたように目を見開き、続いてやや慌てた様子で再びうなずいた。




