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29:めまい

 グーパンチが直撃したウィルフレッドの顔は、事の張本人であるマリカですら、見られたものではなかった。

 左の頬がぱんぱんに腫れ、痛々しいことこの上ない。

 ごめんなさい、ごめんなさい、とマリカは涙声で繰り返した。

 その都度ウィルフレッドは、こく、こくとうなずいていた。


 当人が許しているとはいえ、こんな顔で写真に撮られるわけにもいかない。

 壁に飾るどころか、お蔵入りの恥ずかしい過去が出来上がるだけだ。

 また、見守り隊からもお叱りを受けてしまうことだろう。

 そこでマリカは再三の無礼を詫びつつ、手袋を外して彼の頬に手を当てた。

 触れた瞬間、痛みを押し殺してウィルフレッドが嬉しそうに目をきらめかせたのは、見なかった振りをする。

 そして傷を癒し、二人は無事にポートレイトの撮影を終えた。


 写真館を出る時も、マリカは謝りっぱなしであった。

 両手を胸の前で重ね、苦しそうに眉を寄せている。

「本当にごめんなさい……つい、なんです。びっくりしちゃって、つい……でも、手を出すなんていけませんよね。淑女としてあるまじき行為ですよね」

 泣き出しそうなマリカへ、ウィルフレッドは首をふるふる振った。

「先に手を出したのは、私」

 通りの良い声で、あまり悪びれもせず呟き、次いで自分の顔を指さす。

 表情も、全く悪びれていなかった。

「貴女の気遣いが、嬉しかった」

 音を立てる勢いで、マリカの両頬が朱に染まる。

 帽子を目深に被りなおし、彼女は大慌てでうつむいた。

「わたっ、私も……その、嬉しかった、です……ぎゅっとして頂いて、その……本当は、驚きましたけれど、嬉しくて……」

 へどもどと、途切れ途切れに気持ちを伝える彼女を、ウィルフレッドはまばたきすらせずに凝視する。

 ちろりと彼をうかがい、その真顔と目が合い、マリカはかすかに口元を緩めた。

「そんなに見ないで下さい。照れくさいです」

 そういうものか、とウィルフレッドは腕を組んで視線をそらした。

「それから、せめてまばたきぐらいなさって下さい。目が乾きますよ?」

「忘れていた」

 思い出したように、潤み始めた双眸をゆっくり開閉する。

 その仕草が小さなトカゲに思えて、マリカはくすくすと笑った。


 しかし、不意に、地面が揺れた。

 いや、揺れたのはマリカ自身だった。

 眩暈に襲われた彼女は、その場で数歩、たたらを踏む。

 傾いだ身体を、咄嗟にウィルフレッドが支えた。

「マリカ、大丈夫か?」

 いつもの平坦な口調に、焦りの色が上塗りされていた。

 緊張で顔を強張らせ、いつも以上の強面になってしまっている婚約者へ、マリカは怯える前に照れ笑いを浮かべた。

「ごめんなさい。街中に来たから、きっと人酔いしちゃったんだと思います」

「大丈夫か?」

 もう一度、念押しのようにウィルフレッドが問う。

 彼を真似するように、マリカはこくこくうなずいた。

「大丈夫です。もう眩暈も治まりました」

 そして、自分の身体を支える腕を見下ろし、わずかに頬を染めてはにかんだ。

「……ありがとうございます」

 彼女を解放しつつ、ウィルフレッドも生真面目に大きく一つ、うなずいた。


 本当はマリカの脳内は、今もふらふらと揺れていた。

 慣れない場所で、魔法を行使したためだろう、と彼女は考える。

 次いで胸中にて、自問自答をする。

 こんな身体でウィルフレッドの妻に、本当になれるのだろうか、と。

 弱い、あまりにも弱々しい身体で、ジェントリの奥方が務まるのだろうか、と。

 冷静に考えれば、答えは否だった。

 今すぐ実家に帰り、隠者の暮らしに戻るべきだ、と理性はささやく。

 それでもマリカは、帰れずに──また、ウィルフレッドに自分たちのことを、未だ告げられずにいた。

 芽生えつつある想いが、それを頑なに拒んでいた。

 だから彼女はもう少しだけ、彼と過ごす時間を楽しもうと心に決める。

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