25:気まずいままの二人
不躾すぎる発言および行動であった、とマリカは思い返して猛省する。
ここに見守り隊がいたならば、すぐさま裏庭へ連行されていたことだろう。
しかし現実には二人きりであるため、叱ってくれる相手もいない。
またフローレンスのように、豪快な笑いで陰気さを吹き飛ばしてくれる存在もない。
ただおろおろと、無表情を険しい顔に変えてぶんむくれる、ウィルフレッドを見上げるしか出来なかった。
暇乞いをするべきだろうか。
でもここで退出すると、逃げ出したようになるのではないか。
マリカの胸中に、そんな考えが去来してぐるぐると渦を作る。
ウィルフレッドから逃げるのは、何だか嫌だった。
きちんと向き合いたかった。
ポプリ片手に動かなくなった彼を見つめたまま、マリカもソファから立ち上がる。
「あの、ウィル様……」
ウィルフレッドの視線が、こちらを向いた。
相変わらず目が合った人間を射殺しそうな、強く凶悪な眼力をしている。
たじろぎつつも、マリカは再び唇を動かす。
「先ほどは本当に、おかしくて笑ったわけでは──」
「マリカ様」
時間切れだ。
ルアナの声が扉越しに、ノック音と共にやって来た。
気勢を削がれ、マリカはがくりと肩を落とす。
扉向こうのルアナがそれに気付けるわけもなく、いつもの事務的な口調で続けた。
「見学者の方がいらっしゃっています。ぜひとも奥方様にお会いしたい、と申しているのですが、いかがいたしますか?」
妙な客だ、とマリカは頬に手を添える。
ちらりとウィルフレッドを見れば、彼も薄い眉を寄せていた。
国内のカントリーハウスの大半は、旅行客に対して門戸を開いている。
無論このメルヴィル邸も、庭園と一部の部屋を、一般向けに公開している。
だから、見学者が来ることは特段妙でもない。
ただこの屋敷の「奥方」を指名して、会いたいと告げる人物は稀だった。
そもそも、屋敷の「主人」に会いたがる観光客からして、珍しいのに。
ウィルフレッドはうかがうように、マリカを見返した。
その視線にはまだ、躊躇いのようなものが残っている。先ほどまで険悪、とまでは行かずとも、気まずい空気が流れていたのだ。当然だろう。
マリカは小さく首を振って、微笑んだ。
彼の不機嫌をほぐせなかったのは残念だが、彼女にも未来の奥方になる覚悟は芽生えつつある。
本当になれるのかは、彼女にも分からなかったが。
「分かりました、ルアナ。すぐに行きます」
扉を隔てたルアナへ声をかけ、ウィルフレッドへ一礼する。
ウィルフレッドも無表情に戻り、扉を開く。
「それでは、失礼いたします」
マリカの言葉にこくりとうなずき、ウィルフレッドは彼女を見送った。
少し寂しげで、まるで捨てられたトカゲ──いや、犬のような顔になっているのが、なんだか愛しかった。
「ずいぶんと長い間、書斎にいらっしゃいましたね」
ウィルフレッドのそんな様子を目ざとく捉え、ルアナはマリカを先導しながら、少しからかうように言った。
ここで頬を赤くできれば良かったのだが、先ほどまでの出来事を思い返して浮かんだのは苦笑、それきりだった。
「あなたの期待するようなことがあれば良かったんだろうけど……ちょっと気まずくなっていたところなんです」
「また突き飛ばされたのですか?」
「ルアナったら、結構執念深いのね」
呆れるより感心して、マリカは階段を下りる。
そして見学者が待っている、外の庭園へと出た。
いつぞやウィルフレッドが突っ込んだバラの木も修繕され、庭園は隙一つない見事な姿を誇示している。
色とりどりに咲き乱れる花々を物珍しげに見渡している、小太りの中年男性がいた。身なりはなかなか上等であった。
彼が件の見学者であろう。
男はマリカに気付くと、被っていた帽子を脱いで一礼した。
「これは、これは、奥方様。このようなむさ苦しい見学者の願いを叶えて下さり、恐縮でございます」
ずいぶんと芝居がかった言葉づかいだ、とマリカは感じた。
どうやらこの男性は、なかなかのお調子者であるらしい。
彼の芝居に乗るべきか、と一瞬考えたが、気の小さいマリカにやり通せる自信もなく、いつも通りの堅苦しい礼に留める。
「こちらこそ、お会いできて光栄です。ただ、妻ではなく、まだ婚約者の身分なのですが」
この勘違いは解いておくべきだろう、と告げたのだが、男は大仰に手を振って遮った。
「一緒でございますよ、一緒! なにせあの、トカゲ紳士と婚約なさっているんでしょう?」
揶揄の混じったその言い方に、マリカはわずかに表情をこわばらせる。
それに気付かず、あるいは気にせず、男は続けた。
「他に嫁が貰える見込みもないでしょうし、奥方様が逃げられるとも思えませぬ。いやはや、奥方様はお綺麗なのに、とんだ貧乏くじでございましたね」
こんなくだらないことを言うために、自分を呼びだしたのだろうか。
わなわなと、マリカの引き締められた唇が震える。
ルアナも、今にも飛びかからんばかりの形相で、男をねめつけていた。
だが、そんな汚れ仕事を使用人にさせるわけにはいかない。
マリカは背筋を伸ばし、出来るだけ尊大に見えるよう、顎も突き出し、言った。
「あの方は、純粋で素敵な方です。あなたが心配なさるようなことは、何一つとしてございません」
木で鼻をくくったようなその言い様に、男も顔をしかめる。
しかし、負けじとにやけ顔を浮かべる。
「……金が目当てということですか、奥方様?」
普段のマリカであれば、ここで顔と頭が真っ赤に染まり、何も言い返せなかっただろう。
だが、今のマリカは違った。
重ねられたウィルフレッドへの侮蔑の言葉で、脳はかえって冴え冴えとしていた。
自分が彼にしでかしてしまった行動への懺悔も、そこには含まれていたかもしれない。
ために彼女は、怯むことなく言葉を返す。
「貴方こそ、お金で目が真っ暗になっていらっしゃいますね」
男が固まった。
ずばり、金満家と見える彼の弱みを突いたらしい。
たちまち男の顔が、朱に染まる。そして全身も震え出す。
「この、行き遅れの分際で……!」
震える拳を、男が持ち上げた。
ようやく己の発言の重さに気付き、マリカはぎくりと身を強張らせる。
今日は失言ばかりだ、と薄らぼんやりと考えた。現実逃避であろう。
「マリカ様!」
ルアナがぼんやりするマリカを庇おうと、一歩踏み出そうとする。
バンッ。
しかしそれよりも一拍早く、上空から物音がした。
全員の視線が上へと向く。
二階にある一対の窓が、全開にされていた。
そこからは、黒ずくめの男が身を乗り出している。
眼光鋭い人物は、ウィルフレッドであった。
「げっ」
彼の婚約者をぶん殴ろうとしていた男が、顔を引くつかせて固まる。
しかし硬直した男には用がない、とばかりにウィルフレッドは窓枠に足をかける。
そして、飛び降りた。
マリカとルアナが、思わず悲鳴を上げる。




