24:書斎での一幕
一部──というかルアナ個人──からは、刺繍に関して不満の声が上がったものの、ポプリは概ね好評であった。
柔らかい香りが、寝付きを良くすると評判になったのだ。
「やっぱり魔女様が作ったから、かしら」
「中流階級の出なのに、えらく器用な方よね」
「働き者のウィル様には、やっぱりぴったりの方かも」
女中もとい、ウィル様見守り隊は、こんな会話を交わしていた。
そんなことは露知らず、マリカは書斎へと足を運ぶ。
大きく、深呼吸をする。続いて軽く手首を振り、手の震えをごまかす。
そして控え目に、ノックをした。
しばらく沈黙が流れる。
在室ではなかったのだろうか、とマリカが首を傾げた時だった。
唐突に、重厚な黒塗りの扉が開かれる。
無言で扉を開けたウィルフレッドは、ノックの主がマリカと見とめ、目を丸くした。
が、すぐに脇に身を寄せた。
入っても良い、ということらしいが
「お邪魔しても、よろしいでしょうか?」
念のため言葉でも確認すれば、素早いうなずきが何度も返って来た。
ホッとして口元を和らげ、マリカは書斎へ入る。
他の部屋と比べ、そこは少しばかり雑然としていた。
フローレンスによれば、ウィルフレッドは女中が書斎に入ることをあまり好まないらしい。それも原因だろう。
それでも最低限の掃除はなされており、床もある程度は磨かれている。埃の心配はなさそうだ。
挙動でソファを勧められ、マリカは一礼してそこに腰掛ける。
ウィルフレッドが隣に座ったらどうしようか、と一瞬困惑したものの、幸か不幸か彼は傍らに立ったままだった。
思えば、自ら二人きりの状況へ飛び込んだのは、初めてかもしれない。
にわかに緊張が高まったが、マリカは背筋を伸ばして声を出す。
「ウィル様に、お渡ししたいものがあって参りました」
何だろうか、とウィルフレッドは首を傾げる。
マリカはドレスのポケットをまさぐり、小さな布袋を取り出した。表にはトカゲの刺繍が施された、ポプリの小袋だ。
ウィルフレッドのような紳士に渡すには、いささか幼稚な代物にも思えたが、これを勧めたのはフローレンスであった。
曰く、ウィルフレッドがポプリを欲しがっている、と。
「俺がポプリを持ってたら、柱の陰から物欲しそうにじーっと睨んで……いや、見つめて来るんですよ。おっかないったらないっすね」
わざとらしく大きな体を震わせ、フローレンスはそうぼやいていた。
欲しがっているのなら、彼にもプレゼントしよう。
生花はまだまだ余っているのだから。
そう思って彼の籠もっている書斎を訪れたものの、いざ顔を合わせると、胸の奥が落ち着かない。
要らないと言われたら、どうしよう──そんな思いがよぎってしまう。
しかし、迷っている内に、ウィルフレッドがめざとくポプリに目を落とす。
「これは」
見つけられて半ば慌てつつ、マリカはそれを差し出した。
「あの、これ、その、ポプリ……なんですが……皆さんにもお配り、したもので……」
目をつむってポプリを掲げていると、ウィルフレッドがそれをつまむ気配がした。
ちろり、と視線を上げれば、彼はポプリに小さな鼻を寄せている。
すん、と香りを吸い込み、ウィルフレッドは小さくうなずく。
「ありがとう」
強張っていた、マリカの身体から力が抜ける。
心底ほっとした。
ほっとしたマリカは、顔を上げて微笑んだ。
そして、つい、口を滑らせた。
「フローレンスから、ポプリを渡さないと噛みつかれそうだ、と聞いたもので」
それは本当に、うっかりであった。
少しずつウィルフレッドとの距離が近づいていたが故の、失言であった。
たちまち、ウィルフレッドの顔がしかめっ面に変わる。
ぶんぶんと、彼は首を振る。
噛みついてたまるか、ということだろう。
顔はとてつもなく恐ろしいが、その仕草は可愛らしくもあった。
マリカは申し訳ないと思いつつも、ふ、と吹き出してしまった。
再びの失態だった。
そんな彼女を、ウィルフレッドが直立不動のままじぃっと見つめている。
視線はどこか、怒っているようでもあった。
「私はおかしいか」
不機嫌さの混じった声音に、クスクス笑っていたマリカがハッとなる。
「いえ、そんな、そういうつもりじゃ……あの、ごめんなさいっ」
がばりと頭を下げれば、ウィルフレッドはかすかにうなずいてくれたが、顔はいつも以上に怖いままであった。
どうやら本格的に、彼の機嫌を損ねてしまったらしい。
マリカは頬に手を添え、どうしようかと困り果てた。




