22:幼心の笑み
マリカが熱を出し、倒れた。
若草色の部屋に置かれたベッドに、現在マリカは伏せていた。
彼女の傍らに立って見つめるのは、ルアナとフローレンス。
何故か二人とも、やや呆れた表情を湛えている。
赤い顔でマリカも、眉を下げて彼らを見上げる。
「ごめんなさい……」
ふう、とルアナが息を吐く。次いで首を振る。
「お礼状の書き過ぎで熱が出てしまうなんて、前代未聞でございます」
フローレンスも苦笑いだ。
もう一度、マリカはごめんなさい、と口癖を呟いた。
前述の通り、メルヴィル家には多数の贈り物が届いている。
それらへのお礼を、一通一通書くのは女主人の務めでもあった。
ベアトリスに任せる、という選択肢がないわけではなかったが、マリカは己で書き上げることを選んだ。
結婚するのは自分なのだ。
それに、贈り物は自分たちの婚約および結婚を祝賀したもの。
己が書かずしてどうする、とマリカは義務感すら持ってお礼状の執筆に勤しんだ。
そして根を詰め過ぎた結果、熱を出してしまったのだ。
外せない仕事があり、心底口惜しそうな表情で屋敷を出たウィルフレッドに代わり、フローレンスは見舞いに来ていた。彼の手には、果物がてんこ盛りになったカゴがある。
「旦那様がこれを、お見舞いだと言って残して行きましたよ。果物なら食べられますよね?」
カゴをかざして笑うフローレンスに、マリカは小さくうなずき返した。
「はい……ありがとう、フローレンス」
「お礼は旦那様に言ってやって下さい。きっと、真っ赤な怖い顔で喜ぶと思いますから」
ウィンクと共に言われた軽口に、マリカもその様を想像してかすかに笑う。
しかし頭痛がしたのか、すぐに額を押さえて顔をしかめた。
脇腹を小突いてフローレンスを牽制しつつ、ルアナがずずいと身を乗り出す。
そして傍らの洗面器に浸していたタオルを絞り、マリカの額に乗せた。
「マリカ様。あまりご無理をなさりませぬよう、お気をつけ下さい。奥様とお呼びできるその日まで、死ぬことは許しませんよ」
本気なのか冗談なのか分からないことを、ルアナは生真面目な顔ですらすらと語る。
マリカはそれを冗談交じりの励ましと捉え、力なく笑った。
だが、すぐにその、水色の瞳が潤む。
使用人二人はわずかに身じろぎした。
「どうしました、マリカ様?」
「どこか痛まれますか?」
矢継ぎ早の質問に、ふるふるとマリカは首を振る。
しばらくの沈黙の末、彼女は鼻声で自嘲した。
「自分が、情けなくて」
「と、仰いますと?」
「だって……お手紙も、満足に、書けない、んだもの」
大きな瞳から零れ落ちた涙が、目じりを伝って枕に吸い込まれる。
マリカは両手で顔を覆い、さめざめと泣いた。
「もう、自分が情けなくて、ふがいなくて、悔しくて……皆にも、沢山迷惑をかけてしまって……」
弱った顔で、フローレンスとルアナが顔を見合わせる。
そして身を屈め、ことさら優しい声音で彼女を慰めた。
「お書きになられたお手紙は、完璧すぎるぐらいのものでした。お送りした方々から、感激の電信も届いております」
「そうっすよ。メルヴィル菓子店の菓子折りを送る位でも十分なのに、あんな丁寧な手紙を書かれているんですから。しかも、お礼状へのお礼返しも届いてるぐらいっすよ。気に病んじゃいけませんよ」
二人は再び顔を見合わせ、そうとも、とうなずき合った。
息の合ったコンビである。
しかし身体も心も弱り切っているマリカは、なかなかにして頑固であった。
いや、卑屈になっていると評するべきか。
ふるふる、と彼女は頭を振る。結っていない赤毛が、ベッドの上を舞った。
「でもベアトリス様だったらきっと、お体を壊すことなんてないわ。私、やっぱり出来損ないの駄目な魔女なのよ……この結婚にも、向いていないんだわ……やっぱり、お断りするべきだったのよ」
最後は独白に近かった。
自虐的過ぎる言葉に、使用人二人は慌てる。
「何をおっしゃいますか! あの旦那様が、マリカ様を好いてるんですよ、分かり辛いでしょうけれど! 自信持ちましょうよ!」
拳を振り、フローレンスが熱弁を振るう。
うんうん、とルアナも大仰にうなずく。
「私ども見守り──いえ、女中一同もマリカ様を応援しております。貴女様をもっと信じて差し上げて下さい」
両手で顔を覆ったまま、マリカがくぐもった声を出す。
「……本当? 私、ここにいてもいいの?」
『もちろんです』
二人が声を揃える。
「むしろいなくなられたら、俺らが困ります……旦那様の荒れようを考えると、胃が痛くなるぐらいっすよ」
本当に胃痛を感じたのか、フローレンスはやや青ざめた顔で腹部を押さえている。
それを呆れ顔で見つめつつ、ルアナも背筋を伸ばして答える。
「マリカ様はもはや、メルヴィル家の大切な住人でございます」
「……メルヴィル家の……」
わずかに手が持ち上げられる。赤くなった目で、マリカは二人を見上げた。
そして、照れくさそうにはにかむ。
「ごめんなさい。変なことを言って……ありがとう」
裏なんて全くない、幼く、あどけない笑みだった。
正直言って、可愛らしい。
フローレンスとルアナは、ウィルフレッドが彼女を慕う気持ちを今、実感した。




