表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/38

22:幼心の笑み

 マリカが熱を出し、倒れた。

 若草色の部屋に置かれたベッドに、現在マリカは伏せていた。

 彼女の傍らに立って見つめるのは、ルアナとフローレンス。

 何故か二人とも、やや呆れた表情を湛えている。

 赤い顔でマリカも、眉を下げて彼らを見上げる。

「ごめんなさい……」

 ふう、とルアナが息を吐く。次いで首を振る。

「お礼状の書き過ぎで熱が出てしまうなんて、前代未聞でございます」

 フローレンスも苦笑いだ。

 もう一度、マリカはごめんなさい、と口癖を呟いた。


 前述の通り、メルヴィル家には多数の贈り物が届いている。

 それらへのお礼を、一通一通書くのは女主人の務めでもあった。

 ベアトリスに任せる、という選択肢がないわけではなかったが、マリカは己で書き上げることを選んだ。

 結婚するのは自分なのだ。

 それに、贈り物は自分たちの婚約および結婚を祝賀したもの。

 己が書かずしてどうする、とマリカは義務感すら持ってお礼状の執筆に勤しんだ。


 そして根を詰め過ぎた結果、熱を出してしまったのだ。

 外せない仕事があり、心底口惜しそうな表情で屋敷を出たウィルフレッドに代わり、フローレンスは見舞いに来ていた。彼の手には、果物がてんこ盛りになったカゴがある。

「旦那様がこれを、お見舞いだと言って残して行きましたよ。果物なら食べられますよね?」

 カゴをかざして笑うフローレンスに、マリカは小さくうなずき返した。

「はい……ありがとう、フローレンス」

「お礼は旦那様に言ってやって下さい。きっと、真っ赤な怖い顔で喜ぶと思いますから」

 ウィンクと共に言われた軽口に、マリカもその様を想像してかすかに笑う。

 しかし頭痛がしたのか、すぐに額を押さえて顔をしかめた。

 脇腹を小突いてフローレンスを牽制しつつ、ルアナがずずいと身を乗り出す。

 そして傍らの洗面器に浸していたタオルを絞り、マリカの額に乗せた。

「マリカ様。あまりご無理をなさりませぬよう、お気をつけ下さい。奥様とお呼びできるその日まで、死ぬことは許しませんよ」

 本気なのか冗談なのか分からないことを、ルアナは生真面目な顔ですらすらと語る。

 マリカはそれを冗談交じりの励ましと捉え、力なく笑った。


 だが、すぐにその、水色の瞳が潤む。

 使用人二人はわずかに身じろぎした。

「どうしました、マリカ様?」

「どこか痛まれますか?」

 矢継ぎ早の質問に、ふるふるとマリカは首を振る。

 しばらくの沈黙の末、彼女は鼻声で自嘲した。

「自分が、情けなくて」

「と、仰いますと?」

「だって……お手紙も、満足に、書けない、んだもの」

 大きな瞳から零れ落ちた涙が、目じりを伝って枕に吸い込まれる。

 マリカは両手で顔を覆い、さめざめと泣いた。

「もう、自分が情けなくて、ふがいなくて、悔しくて……皆にも、沢山迷惑をかけてしまって……」

 弱った顔で、フローレンスとルアナが顔を見合わせる。

 そして身を屈め、ことさら優しい声音で彼女を慰めた。

「お書きになられたお手紙は、完璧すぎるぐらいのものでした。お送りした方々から、感激の電信も届いております」

「そうっすよ。メルヴィル菓子店の菓子折りを送る位でも十分なのに、あんな丁寧な手紙を書かれているんですから。しかも、お礼状へのお礼返しも届いてるぐらいっすよ。気に病んじゃいけませんよ」

 二人は再び顔を見合わせ、そうとも、とうなずき合った。

 息の合ったコンビである。


 しかし身体も心も弱り切っているマリカは、なかなかにして頑固であった。

 いや、卑屈になっていると評するべきか。

 ふるふる、と彼女は頭を振る。結っていない赤毛が、ベッドの上を舞った。

「でもベアトリス様だったらきっと、お体を壊すことなんてないわ。私、やっぱり出来損ないの駄目な魔女なのよ……この結婚にも、向いていないんだわ……やっぱり、お断りするべきだったのよ」

 最後は独白に近かった。

 自虐的過ぎる言葉に、使用人二人は慌てる。

「何をおっしゃいますか! あの旦那様が、マリカ様を好いてるんですよ、分かり辛いでしょうけれど! 自信持ちましょうよ!」

 拳を振り、フローレンスが熱弁を振るう。

 うんうん、とルアナも大仰にうなずく。

「私ども見守り──いえ、女中一同もマリカ様を応援しております。貴女様をもっと信じて差し上げて下さい」

 両手で顔を覆ったまま、マリカがくぐもった声を出す。

「……本当? 私、ここにいてもいいの?」

『もちろんです』

 二人が声を揃える。

「むしろいなくなられたら、俺らが困ります……旦那様の荒れようを考えると、胃が痛くなるぐらいっすよ」

 本当に胃痛を感じたのか、フローレンスはやや青ざめた顔で腹部を押さえている。

 それを呆れ顔で見つめつつ、ルアナも背筋を伸ばして答える。

「マリカ様はもはや、メルヴィル家の大切な住人でございます」

「……メルヴィル家の……」

 わずかに手が持ち上げられる。赤くなった目で、マリカは二人を見上げた。

 そして、照れくさそうにはにかむ。

「ごめんなさい。変なことを言って……ありがとう」

 裏なんて全くない、幼く、あどけない笑みだった。

 正直言って、可愛らしい。


 フローレンスとルアナは、ウィルフレッドが彼女を慕う気持ちを今、実感した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ