20:肩枕
料理人たちは、怪我が絶えない。
切り傷、刺し傷、火傷、腱鞘炎……どこかしら、皆傷を負っている。
「あの、もし、私の魔法でよろしければ……」
マリカは一人の火傷に気付き、おずおずと、その治療を買って出た。
もちろん料理人たちに、否やはない。
むしろ魔法に対する好奇心もあり、進んで治療を受けたぐらいであった。
彼らに群がられて若干怯んだものの、マリカは両手に宿った魔力を使い、その傷を癒していく。
温かい光に、厨房は束の間包まれた。
そしてたちまち、傷は癒えていく。
料理人たちから歓声が上がった。
「ちっとも痛くないんですね。むしろ光がぽかぽかして、気持ちいいぐらいですよ」
「奥方様、すっげぇ格好良いです」
料理人たちは砕けた口調で、彼女の魔法を喜んだ。
マリカは魔力を行使した脱力感に包まれつつ、笑顔を浮かべる彼らに、はにかみを返した。
そして店員たちから盛大な見送りを受け、店を後にする。
もちろん土産も、どっさりと持たされた。
「帰ったら、ルアナたちにも分けなくちゃ」
お菓子がギュウギュウに詰め込まれたカゴを手に、マリカはひとりごちる。
が、不意に両手が軽くなった。
横へ視線を向けて、マリカはわずかにギョッとした。
半ば強引に、ウィルフレッドがカゴを引き取ったのだ。
目を丸くしつつ、両手をこねくり回しつつ、マリカはへどもどとお辞儀をする。
「あの、その……ありがとうござい、ます」
それにこくり、とウィルフレッドがうなずき返した。
こんな二人のやりとりを、ベアトリスは興味津々と見つめていたが。
「ところでウィル。どうしてあなたが付いて来るのかしら?」
日傘をかざし、少女のように口を尖らせる。
女同士の空間に、割って入るなと目が語っている。
「視察を終えました」
ウィルフレッドはしかし、冷やかな眼差しにもいつもの調子で返す。
「あら、ご苦労様。それなら自分の馬車で帰りなさいな」
ベアトリスはもっともな主張をした。
一方のウィルフレッドも折れず、ふるふると首を振る。
どうやら馬車を、先に帰してしまったらしい。
ふぅ、とベアトリスが息を吐く。
「そういうところだけは手が早いんだから。嫌な子ね。まぁいいわ、乗りなさい」
運転手が恭しく開けたドアへ、顎をしゃくる。
よくよく考えれば、メルヴィル家の当主はウィルフレッドである。よってこの車も彼の所有物なのだが、ベアトリスは誰よりも高貴に振る舞った。
ウィルフレッドも、母のそんな態度には慣れているのか、一礼をして車に乗る。
マリカはまだまだ慣れていないため、ぎくしゃくとしながら乗車する。
ウィルフレッドの隣、というのも緊張の種だった。
ちろり、とすぐ横の彼を見つめるが、爬虫類めいた無表情は真正面を向いたままだった。それでもお菓子が詰め込まれたカゴをしっかりと抱きしめているため、少しばかり滑稽でもあった。
うつむき、マリカは密かに微笑む。可愛らしい、とこっそり考える。
最後にベアトリスも乗り込む。
「さあ、出して頂戴」
彼女の号令の下、自動車はメルヴィル邸を目指して発進した。
発進してしばらく経つと、マリカの脳からは隣にウィルフレッドがいることすら、吹き飛んで行った。
彼女の脳内を占めているのは、ただただ睡魔。
自動車から伝わる単調な振動が、眠気を誘うのだ。
魔法をたんと使ったことによる疲労も、原因の一つであろう。加えて、見知らぬ場所で見知らぬ人々に囲まれ、緊張感も絶えなかった。
おまけにマリカは、身体が強くない。
そろそろ、限界であった。
マリカのまぶたは段々と、その距離を近づけていった。うつらうつら、と前後に船も漕ぐ。
「マリカ」
ウィルフレッドが呼んだ時にはもう遅く。
彼女はこてん、と夢の中へ落ちてしまった。同時に彼女の頭も、ウィルフレッドの肩へと落ちる。
ぎくん。ウィルフレッドは身を強張らせた。
しかし傍らから、スースー軽い寝息が聞こえてくる。
幸せそうな呼吸音だ。
柔らかい重みと、ほのかな花の香りも伝わる。
それらは意外にも、心地の良いものだった。
ウィルフレッドはじっと、彼女の枕に徹した。
「やだ、あなた。怖い」
マリカに肩を貸す息子を覗き込み、ベアトリスは眉をひそめる。
そして大仰に、のけぞった。
「その薄気味悪い喜び方、一体誰に似たの?」
ベアトリスの指摘通り、ウィルフレッドは真っ赤な顔で小刻みに震えていた。
相変わらず表情が見当たらないため、確かに不気味そのものと言えた。
そんなことにも気づかず、マリカは静かに眠りを甘受しているのであった。




