18:クリームあわわ
マリカとベアトリスが入店した時、ウィルフレッドはホールケーキを片手に持っていた。
ほぼ無言で接客を行うという神業をやってのけていた彼だったが、マリカと目が合い、固まる。
更に彼女が、いつも以上にめかしこんでいることに。
加えてドレスの生地が、かつて自分が選んだものであることに気付き、鋭く吊り上がった目がにわかに丸くなる。
目を見開いて固まった彼は、次の瞬間、何故かホールケーキに顔を突っ込んだ。
女性客が悲鳴を上げる。
オーナー!と、周囲の店員が思わず叫ぶ。
「あなたはどうしてそうなるの」
呆れた様子で、ベアトリスが腰に手を添える。
マリカは謎に満ち溢れた照れ隠しに、ただただ唖然としていた。
やはり彼との婚約は、早まったかもしれない。
かすかに、そう思ってしまう。
一方のウィルフレッドはしばらく後に顔を上げ、クリームだらけのまま、
「何故ここに」
いつもの調子でマリカに問いかけた。
度肝を抜かれていたマリカは、しどろもどろに応じる。
「あの、えっと、ベアトリス様に、いいところへ連れ出していただき、そちらが、ここでして……あのう、お邪魔でしたか?」
ふるふる、とウィルフレッドは首を振った。
ほっとして、マリカも小さくはにかむ。
錯乱したウィルフレッドに代わって接客を行っていた男性店員が、二人のやりとりを耳ざとく聞きつける。
彼はお客をさばきつつ、マリカににじりよった。
「ひょっとしてお姉さん……オーナーの恋人ですか?」
そして年若い店員は、鋭かった。
音を立てて、マリカの顔が赤くなる。
「お姉さん可愛い! 初心ですねー」
さすが女性客を相手にしているだけあり、店員の態度も口調も、軽やかで調子の良いものだった。
慣れた様子でマリカを持ち上げつつ、からかう。
「なれそめは何ですか?」
「そ、それは……お、お見合い?」
「さすが伝統のジェントリは、古風ですねぇ。ところでオーナー、怖くないですか?」
「えっと、あの……」
都会ならではの軽いノリに、マリカは目を回す。目に反して、舌は全くと言って良いほど回らなかったが。
困惑するマリカに、今度はウィルフレッドが肉薄する。顔や手にクリームがべっとり付いたままなので、傍に来ると甘い香りが漂った。
「恋人ではない」
きょとん、と目をまたたいたマリカと店員へ、ウィルフレッドは続けて
「婚約者だ」
爆弾を投下した。
「ひえっ」
マリカの喉から、妙な音がこぼれ出る。
どうして煽るんですか、と彼女は真っ赤な顔で訴える。
これに他の店員も、どっと押し寄せてきた。
「オーナー、婚約していらっしゃったんですか?」
「え、この方魔女さんなんですか? どこで捕まえたんです! うらやましい!」
「清楚な姉さん女房なんて、伝説上の生き物だと思ってました! いいなぁ、オーナーいいなぁ」
「オーナー、案外ちゃっかりしてますねー」
店員たちは思い思いの言葉をぶつけてくる。
しかしそれは概ね、二人に対して好意的なものだった。
またその口調から、ウィルフレッドが慕われているのだということも伝わって来た。
それらを察し、マリカもぎこちなくではあるが微笑みを浮かべる。
同じく気を良くしているかと思いきや、ウィルフレッドは今までにない程顔をしかめていた。
ちらりと彼を盗み見、マリカは少し口をすぼめる。次いで苦笑をこぼした。
どうやら絶賛されると、それはそれで面白くないらしい。
それにしても怖い顔である、とマリカはしみじみ思う。
怯え半分、呆れ半分の心情でいる彼女を、ウィルフレッドは実にさり気なく手繰り寄せようとした。
だがその手を、ベアトリスの日傘がぴしゃりと叩いた。
ぎくり、と顔を跳ね上げたウィルフレッドの耳を引っ張り、ベアトリスは耳打ちする。
「自分の部下に嫉妬して、クリームだらけの手でマリカさんに触るんじゃありません」
しゅん、とウィルフレッドはうなだれた。