17:ときめき?
曇り空に、少し気落ちしている日のことだった。
湿った空気を吹き飛ばすように、大量のドレスを携え、ベアトリスが本邸を訪れたのだ。
それらのドレスはいずれも、マリカのものだ。
自室で読書にふけっていたマリカは、差し入れはもちろん、元気満点の淑女の登場を喜んだ。
「お久しぶりです、ベアトリス様。お会いできてうれしいです」
「もっと遊びに来てくれてもいいのに、水臭いんだから」
優雅に微笑み、ベアトリスは従者に持たせていた箱を一つ取り上げる。そしてぐい、とマリカに押し付けた。
「私を放ったらかしにしたお詫びに、今日はお付き合いしてちょうだいね」
「はい、喜んで……あの、こちらは?」
押しつけられた箱を両手で抱きしめ、マリカが首を傾げる。
ベアトリスは艶やかにウィンクをした。とても、成人した息子がいるとは思えない。
「うふふ、いいものよ。とてもいいものよ」
「……はぁ」
きょとん、とするマリカにベアトリスは再び微笑む。
そして絹の手袋越しに手を打ち鳴らし、慣れた調子でルアナを呼び寄せる。
部屋の隅に控えていたルアナが、さっとマリカの傍らに歩み出た。
「お呼びでしょうか、ベアトリス様」
「マリカさんを、とびきり着飾って頂戴。ドレスはこれね」
マリカが抱きかかえる箱を指さし、ベアトリスが指示を出した。
ここまで言われては箱の中身が気になり、マリカはそっと蓋を持ち上げる。
続いて、歓声を上げた。
ドレスは、いつぞやウィルフレッドが選んだ、鳥柄の生地で作られたものだった。
鳥柄のドレスは、清楚なデザインに姿を変えていた。
それでいてあちこちにリボンがあしらわれ、愛らしさも備えている。
あどけなさを残すマリカに、よく似合っていた。
化粧もそれに似合うよう、あっさりと仕上げられる。
装飾品も清楚に、珊瑚のイヤリングのみ。
丸みを帯びた白い帽子をかぶり、マリカは自動車へと乗り込んだ。
隣にはベアトリス。
お供を付けずの、二人きりの外出だ。
淑女らしからぬ行動、とも思えたが、ベアトリスが行うとむしろ颯爽としている。
一方、人見知りのきらいがあるマリカは、わずかに緊張していた。
しかしそれを拭うように、マリカの腕を取ってベアトリスが微笑む。
「たまには二人でデートもいいでしょう?」
うふふ、と彼女は少女のように笑う。
屈託のなさに、マリカもつられてはにかんだ。
「はい。行き先は、どちらですか?」
「内緒」
口元に指を当て、ベアトリスは言った。
「でも、とてもいいところだから安心して」
「いいところ……ですか」
「そう、いいところよ」
艶やかな表情で煙に巻かれたまま、自動車が発進する。
屋敷を抜け、自動車はしばらく砂利道を進んだ。
メルヴィル邸の周辺には、延々と田園風景が広がっていた。今まで気にしていなかったが、屋敷は郊外にあるようだ。
窓ガラス越しに、マリカはその光景を堪能する。
縁談のためやって来た時には、緊張と高揚感から景色まで楽しむ余裕がなかった。
牧歌的なその風景に、改めて頬を緩ませる。
「ここも、いいところですね」
素直にそう、口にした。
田園風景など見慣れたベアトリスに感激の色は見えないが、この場所を疎んでいる様子もない。泰然と、穏やかにうなずいた。
「そうでしょう? 少しお買い物には不便だけどね」
そして、小さな不満をひっそり、眉を寄せてこぼす。
マリカはふるりと首を振る。
「私の実家も緑に囲まれているので、ホッとする場所だと思います」
「そう? マリカさんが気に入ってくれるなら、良かったわ」
道中で交わした会話はそれきりだったが、室内の空気ものんびりとしたものだった。
そして砂利道を越え、自動車は石畳が敷き詰められた市街地へと入る。
車は迷うことなく舗道を進み、そして一軒の色鮮やかな店の前で停車した。
店の名前は「メルヴィル菓子店」。
現在ウィルフレッドがオーナーを務める、メルヴィル家所有の店舗だ。
中には女性客が大勢おり、にぎわっていることが伺えた。
自動車の窓越しにその様子を観察し、マリカは感嘆の息を吐く。
「大繁盛ですね……それに、とても可愛いお店」
後半の呟きに、ベアトリスの表情が華やぐ。
「そう思う? 実はあれ、ウィルの設計なの」
「えっ……」
目が点になった。
仰天するマリカを可笑しそうに見つめ、ベアトリスは畳み掛ける。
「それにあなたが住んでいる部屋の内装も、ウィルが考えたのよ。『マリカさんの実家が森に囲まれているから、緑を感じさせる部屋が良いだろう』って」
次々現れる真実に、マリカはただただ目をまたたく。細い顔を、無意識に撫でた。
「知らなかったです……だって、ウィル様、何も仰らなくて」
「あの子、口下手ですからね。あら、噂をすれば」
ふ、と微笑んだと思ったら、ベアトリスは身を乗り出して窓に額をくっつける。
マリカも彼女越しに、メルヴィル菓子店の中へ視線を移した。
いた。ウィルフレッドだ。
眼光鋭い悪魔めいた顔のまま、彼は黙々と接客を行っていた。
相変わらず、働くことを厭わないジェントリだ。
あんな無口で大丈夫なのだろうか、とマリカは心配になったが、幸いにして客は順序良く流れている。
時折、ウィルフレッドと目が合い、びくついた様子の女性客もいたが。
その姿に自分を重ね、マリカは思わず苦笑いをこぼした。
そして、落ち込みながらも無表情を装うウィルフレッドを見つめた。彼は一瞬うなだれたものの、すぐに前を向いて接客を続ける。
どきり。
マリカの鼓動が跳ねた。頬も赤くなる。
ベアトリスに気付かれぬよう、彼女はそっと下を向く。
挫けないウィルフレッドの姿に、どぎまぎしている自分がいた。
違う、違う。断じて違う。
これはときめきなどではない。
そう、ウィルフレッドの眼力にびっくりしただけなのだ。
自分にそう言い聞かせて、手で顔を扇ぐ。