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短編

空に君を想う

作者: ナツ

 昨夜は遅くまで、新しく導入する戦闘機についての資料を作っていた。若い頃は、ほんのわずかな睡眠で体力も気力も回復できたというのに、40を過ぎてからは全然だめ。

 すっかり日が昇るまで寝入ってしまっていた。

 

 何時だろう。


 枕元の時計を確認して、跳ね起きる。

 あわててベッドから降りて、洗面台に向かった。鏡を覗くと、くたびれた中年女がこちらをうつろに見返してくる。溜息をついてしゃがみ込んでしまいたい。

 だけど、そんな自己嫌悪に陥ってる時間すら惜しかった。


 手早く簡単な化粧をして、気休めに野菜ジュースを飲む。朝食を食べてる暇はないから、サプリメントを数粒水で流し込んだ。

 幾つかの勲章がついたミリタリーコートを羽織り、唯一自信のある艶々の黒髪を一つに束ねて軍帽を被る。ロングブーツに足をつっこみ、急ぎ足で宿舎を飛び出した。



 「ホザワ中佐。どうした、そんなに慌てて」


 本部の会議室に滑り込むと、そこにはまだ一人しかいなかった。

 タカザワ大佐は、軽く息を切らしている私を見て目を丸くする。


 「はぁ、間に合いました」

 「まさか、寝坊か? 中佐にしては珍しい」

 「資料作りに思ったより時間がかかって……って、言い訳ですね。失礼しました」


 苦笑いを浮かべると、気にするな、というように鷹揚な微笑みを返してくれる。

 私よりも10も年下のシン・タカザワだが、階級は一つ上の大佐だ。

 そもそも育ちが違う。

 一兵卒から武勲を立ててここまで駆け上ってきた私とは違い、士官学校卒の彼は根っからのエリートだ。首都にある士官学校は、名家の子女しか入学できない。だがカリキュラムは過酷で、実戦に出ることも日常茶飯事だったという。

 タカザワも、平時は育ちの良さをにじませたおっとりとした物腰だが、いざ戦闘となって指揮をふるい出せば、誰よりも頼りになる男だった。



 「で、どんな感じだった? 新型は」

 「ロールアウトを見てきましたが、上層部の意向は全て反映されていたか、と。ただ操縦にはかなりの腕がいると思います」


 しかも2人乗り、ですからね。

 気づかないうちに渋い口調になっていたらしい。

 私の返答に、タカザワも端正な顔を曇らせた。


 「操縦者とシステム補助者の2人ともがエース級でなければ難しい、ということか」

 「ええ。システム補助の方も、管制塔から送信されてくる情報を瞬時に判断してワープ位置を定めないといけないわけですから。万が一、敵機の至近距離にワープなんてしたら、目もあてられない」


 特攻に使えるような安い機ではない。

 私の言外の意をくみ取り、タカザワは重い溜息をついた。


 「実戦配備には早いのではないだろうか」

 「……聞かなかったことにしておきます」


 30年の歳月と膨大な開発費。

 すでに後戻りできないほどの数の人間がこの「ヲロチ」プロジェクトには関わっている。

 しかも、北との境界のきな臭さといったら、いつ開戦してもおかしくない程だ。




 ◇◇◇◇◇◇




 新型戦闘機――ヲロチ。

 神話で『龍』を指す言葉らしい。

 首都・トウキョーの科学プロジェクトチームが開発した『ワープシステム』を初めて搭載した飛行機だ。飛行機、という名前で呼んでもいいものか憚られる。

 翼のない流形のフォルム。

 新開発された金属を用いて組み上げられたそれは、銀色の太短い蛇のようだった。科学畑ではない私にはその原理はよく分からないが、光速を超えるスピードをもって、計器に入力した別地点へと瞬時に跳べる、らしい。

 ワープシステムを解除したのと同時に、両翼が広がり、まるで獲物を狩る龍のように敵に襲い掛かる。


 実験飛行を何度もこの目で見たが、何が起こったのか分からないうちに模擬戦闘は終わっていた。

 そのくらい圧倒的な攻撃能力を誇るヲロチなのだが、大きな問題点がある。


 光速を超えるワープに耐えられるよう専用スーツも合わせて開発されてはいるものの、それでも脳に加わる負荷は激烈なものらしい。十分に経験を積んだ熟練パイロットであっても、ワープシステムを使えるのは一度のフライトに3度まで。しかも、いったん機をおりれば丸一日の静養を要する、とのことだった。

 軍の医師団の一人は、私にこう耳打ちした。


 「廃人製造機、ですよ」


 私はその言葉を聞き流すことしか出来なかった。本来ならば、厳罰ものの不穏な上層部批判なのだろうが、同じことを思ってしまったからだ。


 

 ◇◇◇◇◇



 ヲロチプロジェクトの存在を知ったのは、まだ私が20そこそこの新米飛行士だった頃。

 当時の上官が、こっそり教えてくれた。

 『お前が現役で飛べなくなる頃には、空戦の常識が変わる化け物が生まれてるだろう』と。


 そして、私ののちの夫である同期のライリ・ホザワもその時、隣にいた。


 「どんな機なんだろうな。くう~、戦闘機乗りの血が騒ぐぜ!」


 弱冠20の若造だったライリだけど、その時にはすでに『撃墜王エース』の名を欲しいままにしていた。そのくらい、天才的な戦闘機乗りだった。

 視界が3Dなんじゃないか、と疑ったことも一度や二度じゃない。

 シミュレーションライドでも、実戦でも、ライリはまるで自分の手足のように戦闘機を扱いながら軽やかに空を舞い、相手を翻弄し、最低限の弾数で敵機を沈めた。


 そんなライリに、最初は反発心を覚えていた。

 勝ちたい、負けたくない。

 

 競い合うように、私もコックピットに乗り込み、ブレーキペダルを強く踏んだ状態からアクセルを全開にする。振動する機体の音が心地いい。風防の端に浮かび上がる電子マップを確認しながら、操縦桿を握る。

 国家整備士を父に持つ私の夢は、一流の戦闘機乗りだった。

 幼い頃から家の整備場にあった古い小型飛行機を弄り回し、初めてのフライトは7歳の時。

 地元で天才パイロットと誉めそやされていた私は、意気揚々と首都に上り、そして第一航空隊に配備され、ライリに出会ったのだ。

 彼のフライトを見たその日に、私は激しく打ちのめされることになった。


 ライバル心が恋心に変わったのは、いつだったんだろう。


 2人で教練場に居残り、愛機の整備を見守りながら、他愛もない軽口を叩いていた時だろうか。

 それとも、連日連夜の出撃に足元をふらつかせた私を、ライリが抱きとめてくれた時だろうか。


 

 戦闘機乗りは、みんな身軽だ。

 多くの銃弾を機体に積む為に、パイロットは自分の体重を絞らなければならない。その点、私は有利だった。154センチしかない小柄な女だったのだから。

 ライリは178センチとパイロットの中では高身長な方だったので、出撃前の測定の為にいつも節制していた気がする。


 「ああ、腹いっぱい食いてえな」


 それが現役の頃のライリの口癖だった。


 「くそまずい戦闘糧食レーションでいいからさ」


 機を降りた後のライリは、年相応のやんちゃな青年だった。

 私は笑って、もっといいもの食べたいよ、と答えた。


 「昔は、砂糖を無制限に使ったお菓子があったらしいよ? 甘いもの、死ぬまでに一度でいいから嫌ってほど食べてみたい」

 「戦争が終わったら、食えんだろ」

 「いつ、終わんのよ」


 大きな会戦はここ10年では起こっていないが、もう100年近く平和とは程遠い暮らしが国民を脅かし続けている。学校で過去の輝かしい時代を習った時の衝撃が、今でも忘れられない。


 「自由貿易、かあ。本当にそんな時代が来るのかな」

 「そりゃ、来るだろ。要は北を潰せば終わりなんだから」


 そんな簡単な問題ではない、と私たちは知らなかった。

 徹底した情報統制の元、真実を知っているのは軍のお偉いさん数名くらいなものだったのだから、それも仕方のない話だ。

 世界中の国々から孤立してるとも知らず、私達はただ『国土を守れ! 国民を守れ! 我らの自由を守れ!』のスローガンに踊らされていた。

 踊りながら、幾千の同胞がその命を空に散らしていった。


 初めて敵機をほふり、敵とはいえ同じ人間を殺した日から、私も同じ末路を辿ると覚悟していたはずなのに――。



 第15次会戦、と呼ばれている境界線での激闘は、10年前だ。

 第一航空隊も、もちろん前線に配備された。

 軍用艦『タケミナカタ』の艦上にずらりと並んだ戦闘機の一つに、私は乗り込むことになっていた。

 コックピットに乗り込もうと主翼フィレットに右足をかけたところで、ライリに呼び止められ、こう言われた。


 「死ぬなよ、ユカ」


 それまで苗字でしか呼ばなかった癖に、今になってなんでそんなこと言う。

 怒りで私の全身の毛は逆立った。


 「それ、懲罰もんよ。一機でも多く沈めろ、の間違いでしょ」

 「俺がやる」

 「……は?」

 「お前の分も俺がやるから。だから、死ぬな」


 ふざけるな。

 機から飛び降り、思い切り殴り飛ばしてやろうとした。

 

 ライバルだと思っていた。戦友だと。

 それなのに、今更「女扱い」するなんて、許せない。


 私はずっと好きだった。

 だからこそ、空で共に散ろうと決意してたのだ。


 私の拳を難なく受け止め、ライリは見たこともないような苦しげな表情でこちらを見下ろした。


 「今度の戦闘は、捨石かもしれない」


 囁くような声でライリは言った。


 「俺の乗る機と、それ以外の隊員の乗る機では仕様が違うんだ」


 言っている意味が分からず、間抜けな顔を晒してしまった。


 「ここまでやるとは思っていない北への示威行為だよ。分かるか、ユカ。第一航空隊は、死ぬ為に飛べと命令されたんだ」

 

 それがどうした。

 今まで散々、敵国のパイロットを殺してきた私に、命を惜しめというのか。


 ライリを振り切って、コックピットに乗り込んだ。

 他にも数百の隊員がいたというのに、何故私にだけそんな忠告をしてくる。


 そこまで考えて、ああ、と腑に落ちた。


 配属された当時200名を超えていた同期は、私とライリを除けば、全員海に沈んでいた。


 そして、戦闘に突入する。

 一機、二機、……十機目を撃墜したところまでは覚えている。

 私たちは管制塔から下る命令のまま、いつもは超えない境界線まで越えて、敵に喰らいついた。

 それに慌てた北は、洋上の軍艦を進め、そこから激しく迎撃してきた。

 多くの仲間たちが、爆炎をあげ花火のように散っていくのが視界の端に入る。


 一緒に訓練を受け、同じまずい飯を食べ、時には笑いあった仲間達が。


 私は血をたぎらせ、目を血走らせ、私を戦闘に駆り立てる全てのものを憎んだ。

 操縦桿をきつく握り、雨のように浴びせられる銃弾をかいくぐり、自軍以外の色を目にすれば反射的に攻撃ボタンを連打する。

 そうこうしているうちにアラームが鳴り響き、弾が尽きたことを知らせてきた。


 こうなったら、機ごと艦に突っ込んでやる。


 右翼は被弾していたが、まだエンジンも生きている。

 私が覚悟を固めたその時。

 「全機、帰還せよ」

 目の前の搭載電子機器から、帰還命令が流れてきた。



 「なんで……なんでよっ!!」


 咆哮するように叫びながら、私は敵艦めがけてダイブを開始しようとし、そこでライリからの無線を傍受した。


 「戻れっ! 俺が援護するっ!!」


 後方で次々と爆撃音が響いていく。

 私が引き返さない限り、ライリも戻らないつもりなのだ、と分かってしまった。

 命令違反は、裁判なしの銃殺刑と決まっている。


 「第一飛行隊、ユカ・サイトウ。帰還します」


 アナウンスに応え、機首を後方に向ける。

 高速で上下左右に機体を揺らし、敵艦のロックから逃れながら私は『タケミナカタ』へと戻った。そんな私を護るように、傷一つない機体を操るライリが少し離れたところを飛んでいた。

 

 結局私は運に恵まれ、ライリに情けをかけられたお蔭で死ななかった。

 死に損ねたばかりか救国の女神と祀り上げられ、安全な後方で守られながら、林檎のような頬をした若いパイロット達を死地へと追いやっている。


 そして、今。

 ヲロチ、という化け物に、新たな生贄を捧げようとしているのだ。




 ◇◇◇◇◇◇



 すでに決まっていたことを改めてなぞるだけの会議を終え、私はヲロチについての資料一式を参謀長に提出し、本部を出た。


 第十六次会戦は、三カ月後と決まった。


 「ヲロチは、第一航空隊に配備する」


 空軍司令官の言葉が耳に蘇る。

 かつての古巣に、また犠牲を強いるのか。

 拳をきつく握りしめ、私は頭を空っぽにしようと大きく深呼吸を繰り返した。


 宿舎まで戻ってきたところで、私と同じくくたびれた様子の夫を発見する。


 「今、帰りか」

 「うん、そう。……顔を合わすの、久しぶりだね」


 第十五次会戦の後、ライリは上層部に作戦について抗議したらしい。

 戦闘バカのやりそうなことだ。

 それまでの彼の華々しい実績を訴えた当時の上官のおかげで、何とか処刑は免れたけど、航空隊は除名となり今では新兵訓練所の教官をやっている。


 私が少佐まで昇進できたのは、ライリと結婚したからじゃないかな、と今では思っている。

 危険思想の持ち主と断じられたライリには、常に監視がついている。

 私も、その監視役の一人ということなのだろう。


 「お前のスケジュールが厳しすぎんだろ。今日は、一緒に晩飯食えそうだな」


 にっと悪戯っぽい笑みを浮かべ、私の制帽を取ってしまう。


 悔しいことに、ライリは年をとってもあの頃のやんちゃさを失っていない。同じ速度で年を重ねた私は、日々すり減っていっているというのに。


 「ちょっと、何すんのよ」

 「髪、下ろしとけよ。仕事は終わったんだろ」


 手慣れた仕草でゴムを取り、そのまま私の髪に指を通した。

 ふわり、と窮屈だった地肌が解放されて、思わず表情をゆるめてしまう。

 ライリはそんな私を眩しそうに眺めた。


 「女はずるいな」

 「……なにが?」

 「化粧ひとつで、全然印象が変わるから」


 素顔を知ってるライリにしか吐けない台詞に、私は心のどこかが浮き立つのを感じた。

 たった一言で私の感情を動かしてしまうのは、後にも先にも目の前の男だけだ。


 「すっぴんが酷くて、悪かったわね」


 いたたまれなくて憎まれ口を叩くと、ライリは「バカ言うな」と真顔になった。


 「お前は、昔のまんまだよ」


 俺はずいぶんくたびれたけどなあ、と続けて笑う。

 

 引き締まった体に、アンバランスな目元の皺。

 私にとってもライリは昔のままだった。

 絶対に口に出してはいえないけど、ずっとカッコいいと思ってきた。

 


 一緒に宿舎に戻り、「今日は俺に任せろ」というライリの言葉に甘え、先にシャワーを浴びた。色気も何もない部屋着に着替え台所に戻ると、すでにライリはテーブルについている。

 

 もう現役パイロットではないというのに、ライリは何故かトレーニングを欠かしていない。

 教練で手本を示す為に飛ぶこともあるからな、と本人は言っていたけど、それにしてはストイックだ。脂身の肉などは絶対に口にしようとしない。

 夫だけが若い頃の体型を維持している、というのも悔しいので、私もカロリー計算とトレーニングが癖になっている。おかげでスリーサイズは20の頃と殆ど変っていない。

 

 さっぱりした魚料理にサラダ。そしてとっておきの酒。


 食卓に並んだ、いつもより豪勢なメニューに目を見開く。


 私が少佐という地位にあることで、若い頃のような粗食を強いられる日々ではない。

 それでも、物資不足に変わりはないはずだ。

 20年前より、国を取り巻く状況は間違いなく悪化している。


 「どうしたの、コレ」

 「まあ、たまにはいいだろう」


 ライリが明るい声で「ほら、乾杯しようぜ」と促すので、私もつられて笑みを浮かべてしまった。


 「何に乾杯するの?」

 「うーん。じゃあ、ユカに会えたことに」

 「なに、それ。気障すぎる!」


 かゆいよ、と私が身もだえするのを見て、ライリも笑った。


 久しぶりに楽しい夕食を終え、2人で何をするわけでもなくソファーでくつろいでいたその時。

 ライリは、突然切り出した。


 「明日付けで、俺の配属先が変わる」


 まるで、あの日の再現のようだった。

 言っている意味が分からず、またしても私は間抜けな顔を晒してしまった。 


 「なに言ってんの? 軍事教練の教官から他の部署に変わるなんて話、聞いたこともないよ」


 本当にそうなのだ。

 だから、私は必死にこみ上げる不安を押しつぶそうとした。


 ヲロチのロールアウト。

 今日の会議。

 配備先は、第一航空隊――。


 まさか。

 まさか、と心の中で繰り返す。


 「ユカ、ごめんな」

 「……なんでっ。なんで謝んの!」


 気づけば、涙がしたたり落ちていた。


 「こうなる為に、俺は今の俺を選んだ。一人だけ、特別機に乗せられたあの日みたいな思いをするのは、もう二度とごめんだと思ったんだ。――ずっと好きだった女の屍を踏んで先に進まないといけないくらいなら、俺がいしずえになりたいんだよ」

 「嫌だ。……うそでしょ? 違うよね?」


 ライリはひどく優しい手つきで私を抱き寄せ、そして耳元で囁いた。


 「明日、宿舎を出る。配属先は、第一航空隊だ。……お前を最後まで守らせてくれ、ユカ」


 どうして、分からないのだろう。

 

 ただ守られるのが苦しいから、パイロットを目指したのだ。

 

 これで私も誰かを守れる、と期待に胸を膨らませた青い日々は遠ざかり、この国と心中するしかないのだと諦めてからは、淡々と職務をこなしてきた。

 あの日仲間と死ねばよかった、と何度も悪夢にうなされた。


 自分の心を絞め殺す日々の中、それでも微笑むことが出来たのは、ライリ。あなたがいてくれたからなのに。

 

 「――絶対に、一人で行かせない」

 「そんなこと言うなよ」


 ライリは肩を落とし、私に全体重を乗せてきた。

 軽い、と思った。

 この日の為に10年もの間、体を絞ってきたのか、とようやく気がつき、涙が止まらなくなる。

 最初から期限付きの夫婦だったんだ。私だけが、それを知らなかった。

 

 『俺と結婚してくれないか?』


 はにかんだ表情でライリが申し込んできた時、戦時中だというのに私は歓喜してしまった。大勢の敵を殺し、大勢の仲間を守れなかったというのに、幸せさえ感じた。


 とくん、とくん、と打つライリの心臓の音にじっと耳を澄ます。


 どんな理由で始まった戦争なんだろう。


 初めて私は、疑問を抱いた。


 ――大切な人を何人差し出せば、私達は「自由と安全」を手に入れられるの?



 

 ◇◇◇◇◇



 その日は、雲一つないいい天気だった。

 軍用艦は『アマテラス』。

 ヲロチの邪魔にならないように他の戦闘機は、遅れて出撃する手はずになっている。


 軍関係者だけでなく、多くの科学者たちが艦上にひしめいているのは、ヲロチの実戦データを取る為だろう。すでに100機近く生産されているはずなのに、発進準備を終えているのは一機だけ。

 ライリの乗るヲロチだけだ。

 新型の戦闘機は驚異的な能力を有しているのだと、北に見せつけられればそれでいい。

 だから『墜とすな』という命令だけが、ヲロチの人工知能にはプログラミングされている。

 操縦者の生死は問わない、と。

 

 いつもだったら境界線付近をうろつく北の偵察機を追い払う程度の軽い戦闘で終わるはず。だが、今日はそうはならない、と私は知っていた。


 「ホザワ中佐は、馬鹿だな」


 専用スーツに身を包み、ヘルメットを小脇に抱えた私にタカザワが近づいてきた。

 敬礼の姿勢を取り、踵を揃える。


 「国の威光を示すべく、全機滅して参ります」

 「……よろしく頼む」


 タカザワは張りのある声で応え、その後小声で付け足した。


 「生きて戻れ」

 

 私は何も言わずにただ、微笑んでみせた。


 

 ヲロチには、すでにライリが乗り込んでいた。

 全身を包む特殊スーツ姿で、操縦席に収まっている。ヘルメットに大きなグラス。レーダーと電子マップを呼び出すことの出来る特殊なグラスが、よく似合っていた。


 「よろしくお願いします」


 後ろを見ずに軽く頭を下げたライリの声は硬かった。

 自分の死は覚悟していても、同乗者に対しては情を捨てきれないのだろう。後部座席を振りむこうとしない頑なさに、愛しさがこみ上げた。


 「全力でサポートします」


 答えると、弾かれたようにグラスを上にあげ、こちらに体ごと向き直った。


 「――っざけんな」

 「そっちこそ。私を置いていくなんて、絶対に許さない」

 「降りろ!」

 「今更、無理だよ」


 今日までの3カ月というもの、ライリは「廃人製造機」という異名を持つヲロチに乗り続けた。

 私も、同じ。

 出撃を取りやめたとしても、残された時間はそう多くない。


 私の言い方で全てを悟ったのか、ライリは両手を膝に叩きつけた。


 「なんの! 何の為に俺はっ!!」


 私は狭い隙間から、ライリに手を伸ばした。

 それに気づいたライリが、縋りつくように私の手を握った。

 

 「一緒にいこう、ライリ。みんな待ってるよ」

 「……ばあか。甘いもん、腹いっぱい食うんだろ?」

 「ふふ。そういえば、そうだったね」


 電子音が鳴り響き、コックピットが閉じられていく。私は手をひっこめ、ショルダーハーネス、そしてガーターで座席に体を固定した。

 グラスをおろし、イヤホンマイクでライリとの連動を確認する。

 通常の戦闘機と違い、メカニックやマーシャラーは必要ない。人口知能が全ての発進手順をこなしてくれるからだ。


 「準備はいいか?」

 「こっちはいつでも」


 耳の傍で囁かれているみたい。かつてない程、ライリを近く感じる。

 幸せだ。

 10年の結婚生活の中で、今が一番幸せだ。

 ライリもそうだといいのに、と思った。



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