缶詰生活
狭い、息苦しい。
例えるなら此処は缶詰の中だ。
密閉された空間に、高層ビルが立ち並ぶ。
私はその中に入っている小さなおまけ。
ほら、缶詰のラベルの隅っこに「増量中」って書いてある。
私はきっとその増量中の部分なのだろう。一体どれくらいの割合の増量だかは知らないが。
でもきっと、ちっぽけな存在だ。
それでも私は此処から脱出する術を知らない。
だって缶切り持ってないし。内側から缶開けるなんて聞いたことないし。
「……くん、鈴木君、人の話を聞いてるのかね!?」
あ、やばい。「はい、聞いてませんでした。遠い世界に行ってました。」なんて言えない。
こんな生活、とっとと抜け出したいよ。
「だいたい、何だね。この君の成績は――」
何てベタな部下の怒り方をしてるんだ、この上司は。
自分は椅子に座ったきりで動かないくせに。
だからメタボリックになるんだよ。
「何か言いたい事でもあるのかね?」
「いえ、別に。」
心の中ではこんなに文句を言ってても、実際口には出せないんだから嫌になってしまう。
ストレスは溜まる一方。抑圧、抑圧、抑圧……の毎日。
会社を辞めたいけれど、お金の問題とかあるからやたらに動けない。
文句はあっても自分ではどうすることも出来ない、やっぱりここは缶詰の中だ。
「社会」という缶詰の中に「会社」という缶詰がある。その中に「社員」という缶詰があって…こんなのを繰り返して最終的に残る缶詰の分類が「私」なのだろう。
流石に私を細かく分けたらグロテスクな展開になりそうなので辞めておくけど。
もし、だれかがこの缶詰を開けてくれたらどうなるのだろう?
パンドラの箱を開けたような展開になってしまうのかな?
それとも開けても開けてもマトリョーシカのように缶詰だらけだったりして。
下らない妄想で一日が終わる。
私が待っているのは白馬の王子様なんかじゃなくて、缶を開けてくれる人。
まぁ、缶切りでもいいけど。
12時の鐘が鳴りました。
シンデレラの魔法が解ける時間です。
シンデレラは慌てて階段を駆け下りていきました。
シンデレラは余りにも慌てていたので、階段の途中に缶切りを――
――って、こんな童話無いから!!
「このリンゴをお食べ。」
「まぁ、ありがとうお婆さん!」
物売りの老婆に化けた意地悪な継母はリンゴの缶詰を――
――ってそれもなし!!
「桃太郎さん、腰につけたおでん缶を一つ私に下さいな。」
「あげましょう。その代わり私にお供してくださいな。」
――なんだこの展開は!!
私の頭の中を覗かれたら、きっと皆馬鹿にするでしょうね。
でもね、缶詰の中での生活にはこれだって、この妄想…いや、想像だって必要な事なんだよ、私にとって。
空想の世界で不満な思いを泳がせて、楽しい展開にして、自分の中に戻すの。
そうすれば辛い気持ちも楽しい気持ちに変わるじゃない?
どうせ現実逃避するなら楽しい方が良いし。
密閉された缶詰生活をしていたある日のこと、私は道端で一人の女性を見た。
雨の降る中、捨て猫の入ったダンボールの前にしゃがんでいる一人の女性。
捨て猫を優しく撫でている女性は、その表情も優しそうなものだったけど目は虚ろだった。
結局彼女は捨て猫を置き去りにしてその場を去っていった。
結局彼女も私と同じなんだ。
分かっていてもどうする事も出来ない。
私の描いた缶詰の「増量中」の部分に彼女も加わった気がした。
で、結局彼女が置き去りにしていった猫は私の目の前に居る。
気まぐれで私が拾ってしまった。
「部屋」という缶詰の中に仔猫が加わった。
それだけでも、私の心の中は少しだけ満たされたような気分になった。
あの女性の瞳のように虚ろな私の心がほんの少しだけ満たされた。
「宜しくね、ミーちゃん。」
私の挨拶に返事をするかのようにミーちゃんは「にゃあ」と鳴いた。
しかし…ミーちゃんとは私も安易な名前を付けたものだ。
ほんの少しの変化が私には嬉しい事だった。
缶詰の中も案外捨てたものではないのかもしれない。
翌日の会社帰り。
ミーちゃんが捨ててあった場所にあの女性は立っていた。
きょろきょろとして落ち着かない様子。
「あの、昨日の猫なら私が…」
私はたまらなくなって声をかけた。
彼女はビクッと肩を震わせ、此方を向いた。
「あの仔を貴女が?」
「ええ、雨に濡れていて可哀想だったもので…」
完璧な出任せだ。
あの時拾ってしまったのは一種の衝動に駆られたようなものだったのに。
「あの……」
「はい?」
「仔猫の様子、見に行っても良いですか?」
私は快く頷き、彼女を家に案内した。
人が来ると分かっていればもっと綺麗に掃除しておいたものを。
缶詰の中何事も上手くいかないものね。
彼女は私の家に入るなり、出迎えてくれたミーちゃんを抱き上げた。
「本当は、私も拾おうと思ったんですけどね。ほら、私の住んでるアパートはペット禁止だしね。どうも拾う勇気が無くて――」
「そうだったんですか。あ、お茶でも飲んでいきません?」
私は何気なく彼女にお茶を勧めた。
彼女は微笑を浮かべて頷いた。
私たちはお茶を飲みながら色々な事を話した。
猫の話題から始まって、会社への不満とか、普段考えてる事とか。
初対面の相手とこんなに親しくなれるのは小学校以来かも。
「何か今の状況って缶詰の中みたいじゃないですか?」
彼女がポツリと漏らしたその言葉に私は驚いた。
私もまったく同じことを考えていたからだ。
「どうにもならない事は山ほどあって、理不尽な事とか不条理な事とか色々有るけど自分でどうにかできる事って僅かなんですよね。それでも時間はどんどん先に進んでしまう。」
驚く私を横目に、彼女は独奏するかのように更に続けた。
「どんなに足掻いても、開けられないのが今の状況なんですよね。」
彼女は……
「でも本当に足掻いてるのか時々不安になります。足掻いてどうにも出来なかったらもっと脱力して無気力になってもいいはずなのに、文句を言える位余裕が残ってる。」
彼女は…何…?
「もしかしたら、自分で蓋を開けるだけの努力を本当はしてないんじゃないかなって思うんです。自分で辛いと思って線を引いてしまった所にもっと努力しろっていうのは酷ですけどね。」
彼女は…誰…?
「時間任せで開けてくれる人を待ってるのも一つの手かもしれないけど、それじゃあ何時その人が来るか分からないし、もしかしたら来ないかもしれない。結局自分でどうにかするしかないんです。」
彼女は……
「だからね、そこで待ってるだけより、もう一歩だけ踏み出してみようよ。ほら、貴女が自分で缶を開ければ、それは私が缶をあけたことでもあるの。だから頑張って、自分で缶を開けてみよう?」
彼女は……私…?
ふと、我に返るとそこには誰もいなかった。
飲みかけの紅茶の入ったカップが目の前に置かれ、其れを飲んでいた本人は居ない。
自分の手を見ると猫缶と缶切りを握っていた。
『貴女が欲しがっていた缶切り、それとミーちゃん用の缶詰です。ミーちゃんにご馳走してあげてください。』
私が欲しがっていたのは実際の目に見える缶切りじゃないんだけどなー。
でも、今ならこの缶切りで自分が詰まっている缶詰を開けられる気がした。
ミーちゃんが足元でもの欲しそうに「にゃあ」と鳴く。
私は手にしていた猫缶を缶切りで開け始めた。
ギィ、ギィ――
缶を切るごとに何かが少しずつ変わっていくような感じがする。
退屈だとか、辛いだとか思っていた現状も考えてみれば楽しいものなのかもしれない。
自分を缶詰の中から出すチャンスはきっといくらだってあるんだ!
どうして気付かなかったんだろう?
今よりもっと良い未来へ!!
今よりもっと充実した毎日へ!!!
翌日――
「まったく、君は何度言っても懲りないみたいだね。この成績は何だと――」
私は大きく深呼吸して、一気に思いをぶちまけた。
「自分は椅子に座ってるだけで何もしないくせに、よく怒れますね?ひとの売り上げ成績やら何やら気にしている暇があったら自分の体型でも気にしたらどうです?」
いかがでしたか?
この作品は「様々な色が交わる病院で」の合間に書いたものです。
どうも一つの小説を集中して書くことが出来なくて、違うジャンルの小説をいつも同時進行で書いてしまうんです(笑)
これからも私の作品達を宜しくお願いします。