寄らない
無理矢理ドアノブを掴もうと思ったけれど、それもなんだか導いてくれる手に悪いと思い伸ばしきれない。
機を逸してしまい、そのまま喫茶店は遠ざかっていく。
今までの景色を見て、まるで走馬灯のようだなと思った。
懐かしい中学時代の疎遠になった友人。
懐かしい高校時代の初恋の人。
懐かしい大学時代の楽しかった時代。
私が歩んできた道のりを、人生を思い返しているようだった。
感慨に耽っていると、突然手が立ち止る。
正面を見れば、荘厳とした、どこか冷たく怖い印象を持つドアが見えた。
開けろ、と言うのだろうか。
でも私は、開けたくなかった。
このドアの先は辛いことが、痛いことが待ち受けていると理解させられる。
それでも、手は離してくれない。
進めと、歩き続けろと言っているようだった。
ここまで私を導いてくれた手。
ここまで来たら、後戻りなんてできない、というより、するなんて思いついてはいけないのかもしれない。
私は意を決し、ドアを開けた。
眩しい。
視界が白く覆われ、視力が機能を果たしていない。
誰かが体を揺すっている。
何か声をかけているように感じた。
おぼろげな視界が段々と輪郭を取戻し、それに比例して五感が戻ってくる。
「……!!」
男の人が必至な形相で私に叫んでいた。
記憶が混乱しているのか最初誰か解らなかったが、それが誰だか思い出してくる。
「……君?」
私の恋人の名前を口に出す。
彼は安心したように顔を綻ばせ、泣き顔なのか笑顔なのか解らない表情を浮かべた。
それでも解ることが一つだけある。
薬品の匂いがし、清潔なベッドに寝ている私を心配している彼の感情が、私の右手を掴む彼の手から伝わってきた。
「良かった……っ」
涙を零しながら、彼は言った。
私はそれを見て思い出す。今朝の光景を。
仕事に向かう途中巻き込まれた交通事故。
体の節々が痛むが、私は帰ってきたようだ。
この辛く痛いことと、儚くも後悔と未来がある現実へ。
良かったと痛いくらい私の手を握り、泣く彼に、私は精一杯の笑みを浮かべる。
「……ただいま」
(エンド:おかえりなさい)
 




