乗る
引っ張られ続けていた私は、ここで初めて逆に引っ張り返した。
あれに乗ろう、誰に告げたのか解らないけれど、口を開こうとした。
すると、右手の感触がするりと抜け落ちる。
拒むように、拒んだ。
私は慌てて手を探すが、闇に溶けてしまった右手はもうどこにも見えない。
プューと音がして、バスが発車してしまうと焦った私は慌てて乗り込む。
間一髪で、私が乗り込んだ瞬間バスは発車した。
前席の開いている一人席に座る。
バスに乗るなんて何年ぶりだろう。
昔はよく乗っていた。高校がバス通学だったのだ。
あの頃、一緒の時間帯に乗る一人の男子学生に私は恋心を抱いていた。
ちょうどこの隣の席、そこで彼はよく小説を読んでいた。
横を見るとちょうどその男子学生が乗っていた。
やはり同じ時間、いつも決まった指定席。
彼の線が細い横顔を見ると、柄にもなく頬が熱くなった。
話しかけるべきだろうか、でも突然見も知らぬ人に話しかけられるのはどうだろうか。
そんなことをいつも悩み、そして実行できぬままバスは目的地についてしまう。
今日こそは、今度こそ、何度思っただろう。
今日もバスは車体を揺らしながら走る。
私は過ぎていく街並みと学生の姿を見ながら、彼の横顔を見続けていた。
(エンド:届かさない想い)