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とりあえず売上を計上してみたい。


  簿記―


 それは特定の経済主体の経済活動を主として貨幣金額によって捉え、その主体が所有・管理する財産変動を帳簿に記録・計算する技法(広辞苑より)。

 日本ではその知識の証明のため、各種簿記検定が実施されている。

 そして、それら資格取得を目的とし、また他者と競い合う簿記大会なるものに出場するため、日夜簿記の勉強に励む者たちの姿があった。


 その名も―



 「今日こそは…」


 「代表」こと「私」はつぶやいた。スカートの裾を握り締め、「BKC」と殴り書きされたぼろい木製の表札に目をやる。その荒々しい筆跡と脈打つような木目は、まるで今の私の鼓動を表しているように思えて仕方がない。


 入りたくないな…。


 だがこうしていつまでもここに突っ立っているわけには行かない。私は引き戸に掛けると、大きな掛け声と共に思い切り開け放った。


 「部活始めましょう!」


 一生懸命発した声が無駄に広い教室にこだまする。


 って、今日も誰もいないよな…。


 その代わり映えのしない事実に自然とため息が漏れそうになったとき、


 「おう。始めるぞ代表」「遅いではありませぬか。代表」

 

 予想外にも2人の人間の声が返ってきた。


 「部長!先輩!」

 

 とりあえず、ここでこの部のメンバーを紹介しておこう。

 

 一人は童顔に似つかわしくないくせっ毛ロングの金髪に、みだらな制服の着崩し。そして強調される無駄にでかい胸。彼女は見た目どおりヤンキーである。だが見た目とは裏腹に最上級に頭のいいいわゆる天才。そしてこの部の「部長」。3年生。

 

 もう一人、「めがね」こと黒縁めがねをかけた、こちらも3年生の「先輩」。まるで昭和初期のようなおさげを引っさげ、部長とは対照的にカッターシャツを第一ボタンまできっちりと締めている。ただし、通常のめがねキャラと異なり学業成績はさしてよくない。


 「私も……いる…の…」

 

 おっと、もう一人忘れるところだった。

 

 か細い声を上げたのは、教室の隅に亡霊のような死臭を漂わせ着席している「音無」だ。つぶらな瞳に細い絹の様なさらさらのショートヘア。唯一の一年生にしていろんな意味で異才を放つルーキーである。なぜなら彼女はまるで真冬のロシアを外出しているような厚着というか、防寒をしているからだ。何重にも羽織ったセーターが彼女の細い体を異常なまでに膨れ上がらせており、何か隠さなければならない実態が彼女の中にはあるのでは、というのがここ最近の私の見解である。


 「創設者が遅刻とは嘆かわしいな」


 「あるまじき失態でありまする」


 「すいません…」

 

 ここは「BKC」の部室。そして創部者は私、「代表」である。ちなみに2年生。上司と部下に板ばさみにされるかわいそうな課長といった立ち居地である。そしてこの部のエース、というか唯一の有識者。それから最初にいっておくと、この部のつっこみ担当である。

 

 残念ながら私は部長のような派手さも、先輩のようなミステリアスさも音無のような負のオーラも持ち合わせていない。唯一の特徴といえば、右目下にある不幸の象徴、泣きぼくろだろうか。


 「で、何してたんですか」

 

 私は喜んだのもつかの間、冷たい視線を3人に送った。部長は明らかに爪のお手入れ中。赤いマニキュアの強烈な匂いが部屋中に充満している。


 一方の先輩は―なんと超高速で電卓を叩いている。


 「先輩、簿記の勉強してくれていたんですね!」


 「いや、違う。今月赤字でピンチなのだ」


 「学校に家計簿持ち込むなよ!」


  私の突っ込みは本日もここから始まった。

 

 先輩の家は貧乏なのか常に家計簿を持ち歩き、眺めている。ただしその家計簿が家計簿に似つかわしくない禍々しいまでの黒色なのがいささか気になるが、黒字になるようにとの願いでも込めているのだろうか。


 「部長も先輩を見習って電卓の早打ちくらい出来るようになってくださいよ」


 「何だ?電卓ってのは早撃ち機能なんていう戦闘能力も備えてんのか。でも私はどっちかというと肉弾戦の方が好きだからな」


 電卓にそんな物騒な機能ついてねーよ!


 「早撃ちじゃなくて早打ちです!」


 「打つ?あーこんなのつまんねーじゃん」

 

 そういうと、部長は手元にあったmy電卓をガチャガチャと乱暴に弾き始めた。


 「部長。確か利き手は右手ですよね。なら電卓は左手で打つように心がけてください。そのほうがいちいちペンを置いて打つ、という手間が省けて効率的なんです」


 「左手?それは駄目だ。なぜなら私の左手薬指は永遠の愛を誓うであろう奴のために常に空けておかなければならないからな!」


 「なんですかその現時点ではどうでもいい理由」


 「どうでもいいとはなんだ。どうでもいいとは。もしかしたら代表が私と指輪を交換することになるかも知れないんだぞ」


 「ありえません」


 なぜなら私は女だからな!


 「ま、今のは冗談だ。私の趣味は美少女だけだからな」


 悪かったな美少女じゃなくて!っていうか、なんで対象が女なんだよ!


 「大体電卓なんて必要か?脳の機能低下を助長する負の産物にすぎんだろ」

 

 文明の進化を全否定。CASIOも真っ青ですね。


 「じゃあ部長はとんでもない桁数の計算も暗算でできちゃうっていうんですか?」


 けだるそうに文句を言い続ける部長に、私は挑戦状をたたきつけた。だが、一方の部長は相変わらず余裕の笑みを浮かべている。


 「出来るぞ。っていうか誰だって出来るだろ暗算ぐらい」


 「じゃ、じゃあ204,873,944+2,405,803+395,083は!」


 「207,674,830」

 

 ……答えわからん。というか自分が出した問題すらもう覚えていない。


 「ってかなんで足し算なんだよ。もうちょっとひねった問題出せよな。そんなレベルの問題じゃ、私の優秀さが証明できないだろ」


 「すいません…」

 

 なんで私が謝るはめになってるんだ。


 「ったく仕方が無い奴だな。だがまあ、代表がそこまで言うなら薬指以外を使って打ってやってもいいぞ」


 「…ご自由にどうぞ。指つっても知りませんけどね」

 

 と、言っているそばから部長の指はピキリと音をたて、痙攣を始めた。

 痛みに全身を使って悶絶する部長に、私は冷酷にもさらに追い討ちをかける。


 「とにかく、部長の趣味志向は置いておいたとしても、恋愛はご法度です。最初に決めましたよね。簿記は全国大会も開かれるくらい広がっているんです。私たちもその領域にたどり着くためにはあの戒律を守らなければならないんです!」

 

 私は部室前方に、でかでかと掲げられたガラスケースを指差し、心に響くというか、心に到達する前に鼓膜が破れるのではないかと思うほど大きな声で部訓を読み上げた。


 『一.電卓が恋人。二.恋人は電卓。三.電卓が友達。四.友達は電卓』


 「この部訓をちゃんと守ってください」

 

 うんうん、とうなずきながら、私はやりきった感をにじませた。だがそんな私の様子を見ていた部長が、


 「代表…無理しなくていいんだぞ」


 「な、なんですか急に」

 

 私に向けられているのは、どこからどう見ても哀れみの視線だ。


 「わかってる。わかってる。お前は友達が欲しかったんだろ?だがもう大丈夫だ。我々は出会ったその日から友だ!仲間だ!戦友だ!さあ、とりあえず冒険にでよう!敵はそのうちつくる!」

 

 部長は私の肩を組むと、高らかに笑い始めた。

 

 冒険もバトルもしなくていいから、とりあえず現実的に椅子に座ってテキストを開いてくれ!


 「それにこういう目標みたいなものにはな、友情と、努力と、勝利、って言葉がはいってないとだめなんだよ」

 

 いやもうそれ、それだけですでに完成してますけど。もろパクってますけど。


 「そんなの古いでやんす。今時は友情を裏切り、無駄な努力をせずに権力を得て、汚れた未来という名の勝利を掴む。というのが正しいでありんす」

 

 ああそうだろうな!だけどそれじゃあ少年に夢と希望は与えられないんだよ!


 「……友情…仮想現実の中にある…努力…したくない…勝利………働いたら負け…」

 

 どこのニートだよ!


 「まあ、でも確かにあんまりにも部活らしいことやらないと廃部にされかねないよな。そしたらだらだら出来るところなくなるし」

 

 本音口にだしちゃってますけど!


 「じゃあとりあえず今日は売上について考えようぜ!よし。今日の部活のテーマは売上だ」


 「売上は考えるものじゃなくて、計上するものです!そんなくだらないことやってないで、勉強してください」


 「なにいってんだよこれも勉強だろ。何事も実践あるのみだ」

 

 実践って…運動部じゃないんだから。


 「よし!そうと決まれば、実際に売上の具体例をあげてみよう」


 「具体例って、売上は商品やサービスを販売した際に計上される収益ですよ」


 「だからその具体例を探すんだよ。ほら、例えばあれとか」

 

 部長が部室の窓から望める校庭の部室棟を指差した。そこには様々な運動系の部活の部室がある。そしてその影に隠れるようにして、数人がなにやら話し込んでいる。


 いや、だがあれは…


 「あれってお金巻き上げられてません?」


 「ああそうだな。あれも立派な売上だ」


 「あれは「うりあげ」じゃなくて「かつあげ」です!」


 「でもちゃんと現金の授受が行われてるぞ?」


 「犯罪行為によって得たお金で売上はたちません!」


 「…1万7千542円…」


 「え?」

 

 今まで存在をすっかり忘れていた音無がなにやら謎の数値をつぶやいた。

 ちなみに音無というのもあだ名であり本名ではない。彼女の声があまりにも小さいことからこの名がつけられた。


 「…あの人が脅されて渡そうとしてるお金…」


 「細か!」

 

 にしても音無は相変わらず想像を絶する視力だ。


 「500円はきっと500円玉貯金に回すんだな」

 

 なにそれ。なんて経済的なかつあげ犯なの。貯金あるなら人にたかるなよ!


 「40円はきっとうまい棒×4に使ってみんなでいろんな味を楽しむでありんすな」

 

 お菓子好きな女子かよ!


 「だが確か今日はうまい棒が特売日で9円であるから、1万7千542円あれば、1949袋買えるでござる。0.1111…がもったいないでございまするが」


 こっちも暗算すごいな…。

 マジで電卓イラねー。


 「…2円はきっと…お賽銭に使う…」

 

 誰が2円で願い事かなえるか!大体盗んだ金で神頼みって、神様も憤慨だよ!


 「だがそうだな。確かに犯罪行為は見逃せない!」

 

 そういうと部長がうれしそうに窓を飛び越えた。

 

 って、ここ2階なんですけど!

 

 だが部長の方は私のそんな心配などお構い無しで、華麗に地上に着地するや否や、一目散に男子学生の集団へと向かっていった。

 

 駄目だ!危ない!


 男子学生の命が!

 

 私はすぐに部長の後を追った。もちろん廊下から。そしてその後ろを家計簿を抱えた先輩が、規則正しい軍隊のような走り方で追いかけてくる。さらにそれに続くように音無がゆらゆらと、まるで地に足がついていない幽霊のような足取りで、だが確実についてきていた。


 「待った!駄目です部長暴力は!」

 

 私は必死の形相で止めに入った。何とか間に合ったのか血痕は飛び散っていない。

 だが男子学生の方は挙動不審全快で、私たちを睨みつけてきた。


 「な、なんだよお前ら!なんか文句でもあるのか。部外者は引っ込んでろよ!」

 

 ここ一応進学校なんだけどなぁ。こんな陳腐な言葉しか並べることが出来ない人間もいたんだ。

 ああ、だからこんなことやってんのか。


 「あん?そうだな関係ないな。でもてめーら見てたら腹が立ったから、ひとまず一発殴らせろや」

 

 部長がニヤニヤしながら恐喝犯のうちのリーダーと思われる人物に歩み寄った。じりじりとにじり来る姿に、男子学生の恐怖があらわになる。


 「ふ、ふざけるな!」

 

 駄目だ!手なんか出したら死ぬぞ!

 …少年!

 

 だが遅かった。私が見ている目の前で一人の少年がご臨終なさった。

 部長の鮮やかな体裁きで、ひ弱な男のパンチは意図も簡単にかわされ、代わりに見事なボディーブローをその骨と皮しかなさそうなみぞおちに食らった。


 『一匹戦闘不能。部長の攻撃力が一上がった。ついに遊び人部長の熟練度が99になった』

 

 って、もう3年生なんだからいい加減ジョブチェンジしろよ!


 「げっ、マニキュアはがれちまったじゃねーかよ!どうしてくれるんだ、ああん?」


 部長はどこぞのごろつきの様に意識を失って倒れる少年を責め立てた。

 一方、残りのかつあげ犯2人は、既にそれぞれ別の敵相手に戦闘体制に入っていた。


 「な、なんだよ。なんか用か、めがね!」

 

 一人の男が先輩に挑戦状をたたきつけた!

 すると彼女はおもむろに持っていた家計簿ノートを開けた。


 「3年2組藤堂雅斗。両親健在。ただし最近父親に謎の出費あり。頻繁にコンビニのATMに出没。会社は夜9時に退社しているにもかかわらず帰宅は深夜2時過ぎ。3日前近所の某デパートで女性者の香水、カッコ2万9千400円税込みカッコ閉じる、を購入。ちなみに婦人は香水が苦手。そしてその後―」


 「や、やめろー!やめてくれー!」


 『少年は精神に取り返しのつかないダメージを受けた』


 頭を抱えてうずくまり、現実逃避を始める。

 

 っていうかそれただの家計簿じゃないのかよ!とんだデスノートだな!


 「………」


 「……何見てんだよ…」

 

 音無の方はというと、少年の背後あたりをじっと見つめている。ただ純粋に、じっと…。


 「………」


 「な、なんだよ!」


 「…………」


 「なんなんだよ!」


 「………………」


 「ぎゃー!!」

 

 『少年は末代まで祟られる危険を感じ逃げ出した』


 こちらは随分と長期戦だったが、少年の方が戦線離脱して不戦勝となった。


 「……蚊…がいる…」


 「……そう…なんだ」

 

 音無はせわしく飛び回る蚊に熱い視線を送っていただけなのだが、どうやら男の方は自分の背後に幽霊でもいるのかと勘違いしたらしい。まあ、音無が見ているとそう思えても仕方がないところがあるが。


 「ちっ。こいつちっとも起きねー!そうだ。おい、お前」

 

 部長はターゲットを、のびているかつあげ犯から、かつあげされていた被害者へと移した。手にはあの1万7千542円が握られている。


 「うちらが助けてやらなきゃどうなってた?」


 「は、はい」


 「そうだよなぁ。じゃあ助けてやったサービス料。わかってるよな」


 「はい!」

 

 被害者の少年は部長に有り金すべてを差し出すと、そのままダッシュで逃亡していった。


 「あ!ちょっと!」


 「よし。サービスを提供してその対価を得た。これでうちらも売上を計上できるな」


 「今のはただの恐喝です!」


 「うん?これも駄目なのか。意外と売上ってのは難しいな」

 

 あんたがややこしくしてるだけだろ!


 「じゃ、あれだな。もう売上について考えるのはやめよう」


 「それは「たなあげ」!」


 「いや、本当にやめようと思っただけだけど。飽きたし」


 「………」

 

 私の渾身のつっこみは、闘いを挑む前に棄却された……









次は仕入れあたりで…

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