「悪名は無名に勝る」……という言葉の未来はどっちだ!
昔から「悪名は無名に勝る」という言葉(表現)がある。
まあ読んで字のごとくの意味を持っていて、それに『賛成する人間』と『否定する人間』の差が激しい概念だろうなと思うものである。
最近だとSNSなどでよく話題になっている消しづらい、もしくはなかなか(察してください)なデザインの広告もそれに当たるだろう。
消しづらいものはスマホで見ていると本当に邪魔だ。少し触れただけで別のページに飛ばされるし『×』とか『とじる』ボタンも非常に見つけづらい。何やあれ。
なかなか(察してください)なデザインのものも同様。商品やサービスを分かりやすく紹介したい気持ちは理解するが、それを遥かに上回るレベルのネガティブな感情を与えても……という気持ちにはいつもなっている。
まあ私も一般成人独身丸坊主男性だし会社員経験も(一応)あるので「とにかく自社・自社製品をどうにかして人の目に届かせたい!」という情熱は理解する。そりゃあ誰かから見られないと売れるものも売れないので。現代みたいな消費社会だと仕方がない。
それにサイト側からしても、広告収入というのは助かるものなので規制や制限しづらいのも重々承知している。おじさんなので。
だがそうは言っても、もう少しどうにかならないものだろうか?と感じる日々だ。
そもそも見る側にストレスがかかる広告に「これはどういう会社だろう?」とか「これはどういうサービスなんだろうか?」とかあまり気にしない。
実際のところ費用対効果はどれくらいあるのだろう?
◇◇◇
こういった広告に不満の声を上げているSNSでも『バズったから宣伝』というカルチャーがあるが、あれに関しても思うところがある。
ポジティブな話題、もしくは宣伝したいものが好意的な評価をされてあれをするのは全然いいと考えている。まあ、基本的にはよほど反道徳的じゃなければ何を言っても自由な場ではあろう。
私も言論や表現はできるだけ自由であるべきだと思っているし、これらをきっかけにビジネスにしろ活動にしろ物事が良い方向に進むのであればむしろ賛成できるアクションだ。
だけど……その。ほら。たまに見かける『自分の言動とかのせいで炎上的な感じ』になっているのに呑気に「バズったら宣伝します♪」っていうのはさ。
もう少しこう……自分が他者からどう見られているかを気にすることだって必要で……。そういう状況で自分自身のことにしろ、何かしらの商品(もしくは創作物)にしろ、喜々としながら宣伝してもあまり意味がないのでは……?
そりゃこれによって確かにある程度のリーチ数は稼げるかもしれない。もしくは本気ではなくちょっとした悪ノリ的な気持ちでしている人間だってそれなりにいることだって分かっている。
だがあまりにも悪名が勝ってしまうと色々と差し引きマイナス。
それにこれはなかなか長続きしない(orできない)宣伝方法ではないだろうか。
◇◇◇
ここまで偉そうに文句を垂れてきたが、しかし無名を脱却するということは非常に難しいのは確かだと思う。
以前働いていた会社でも「いかに顧客に自社をアピールするか」という点では大いに悩んできたところ。今でも自分の書いた小説作品をどのように宣伝すればいいのかを考えると頭が痛い。そう言えば学生の頃は就活の自己アピールがうまくいかなくて吐いた記憶もある。(マジ)
そもそも私はネットの海に小説などを流している分際なくせしてSNSで何かを発信することが苦手で、実は「バズったから宣伝します♪」ができる人のメンタリティには密かにあこがれて……なくもない。良い悪いは別にしてね。
そして今の時代は動画にしろ、写真にしろ、実体のある物にしろ、テキストにしろ。誰しもが発信する側になれる、というかならなければ生き残れない時代。一番弱いのは『無名』であることは悲しいかな事実だ。何事も無名のままだとどうにもならない。
考えてみれば「悪名は無名に勝る」という言葉にはその通りの意味だけでなく、背景にはこれへの皮肉なども含まれていると思う。
だがこのエッセイのように名の売り方に疑問を呈するのなんてもう古い意見。これから「悪名は無名に勝る」はもっともっと正攻法、むしろどんな手を使ってでも『悪名』になることが正しいという価値観が今以上に浸透していく可能性は高い。
そうすると今回のタイトルは少し間違っていた。
「悪名は無名に勝る」の未来はもう決まってきている気がする。どちらかというとどうなるか不透明なのはこんな考えを抱いているこっちの方じゃねえか。
さあ、私のようなおじさんの未来はどっちだ!




