面倒くさくてひねくれた彼女の話
「アタシは面倒くさいのさ。」
その人は、ただこの言葉を口癖としていた。
開き直ったかのような態度で、どこまでも堂々と宣言するその瞳には、しかし諦観が揺れていて。そんな己を誇るように生きた彼女のことを、僕は一生忘れないだろう。
ーある青年の日記より
一度目
それは、ある夏のことだった。その年の春に王都へ引っ越してきたばかりの僕にとって、初めての社交シーズン。招待された夜会へと出席した日。田舎の男爵家で育った僕は、その雰囲気に圧倒されてばかりいた。
王国の端の端、しかし辺境にはギリギリ届かないほどのところにある痩せた土地。そこが、僕の故郷だ。それゆえに、皆で助け合って生きていくことは当たり前。人は一人じゃ生きられない、という言葉は、幼い頃から何度も言い聞かされてきた我が領の美徳だ。
そんな場所で育った僕の、驚きと言ったら!煌びやかな装飾と、麗しいご令嬢方。タキシードを着こなす紳士の面々も、皆が上品だ。なんて美しい世界だ、と感動した。
しかしその間に流れる空気は、どこか歪で。キラキラとした眩い光の裏では陰謀策略が渦巻き、心からの友情は限られた者同士においてだけ。嘘と嘘が積み重なり、本当なんてわからなくなり。自由が美徳とされるこの国では、余計に顕著だ。皆が語る自由を得ぬ者たち、そしてそれを遠ざける者たちは、白い眼で見られひっそりと姿を消していく。
扇の角度、グラスの傾け方、歩き方。全てに意味が含まれる世界は矛盾に満ちていて、まさに人間らしい。
こんな様子を見てしまえば、『仲良くしましょう!』で育ってきた僕はこう思わざるを得ない。我が故郷、よくもまあこれまで生き残れたものだ、と。
まさに通りかかった令嬢の扇を眺め、その意味するところを予想しながら、さらなる物思いに耽ろうと、壁の草をまっとうしようとした、そのとき。
「あの、そこのあなた。いま、暇かしら?」
鈴のように凛とした、しかし酒焼けたようにも思える声がした。一瞬で現実に引き戻される。ゆっくりと伏せていた顔をあげれば、そこに立っていたのはいかにもなご令嬢。
美しい黒髪に、透き通る白肌と青の碧眼。瞳と同色のふわふわとしたドレスは、その純粋さを示すかのようである。年の頃は14,5といったところか。
「ええ、麗しいお嬢さん。失礼ながら、お名前を伺っても?」
どうにか貴族を気取りながら、胸に手を当て挨拶する。すると相手もハッとしたかのような色をその顔に乗せた。そして、ゆっくりと美しいカーテシーを披露する。
「こちらこそ失礼を。わたくし、ティルティア・フォン・ドメスティアと申します。そちらは?」
少し持ち上げられた顔から覗く瞳は、心なしか青さを増したように見えた。父親を述べなかったのは、わざとなのだろうか。その家名から侯爵令嬢であることが確定しているので、僕の心は悲鳴を上げ始めているが。
不思議な変化に内心首を傾げながらも、自己紹介は必要だ。望むだけ望んで無視など、よほどの権力がなければできない芸当なのだから。
「私は・・・」
彼女、ティルティアは、不思議な令嬢だった。侯爵令嬢である彼女は、当たり前に礼儀作法が完璧だ。まとう雰囲気は柔らかで上品。しかし、好きなことの話となると少し興奮して、早口気味になった。そういうときは決まって、その瞳の青が強く光る。
ただただ興奮しているのではない、どこか妖しい雰囲気を、その瞳は醸し出していた。上品な仕草の中にもどこか妖艶な魅力が見え隠れしていて、無邪気なようにみえる瞳の奥底には吸い込まれてしまいそうになるような何かがある。
そんな様子から、彼女がただの箱入りではないことは明白だった。何やら訳ありらしい、と考えてあたりを見回せば、どうやら彼女は周りから避けられているらしく、隣にいる僕も視線を感じる。
新しい飲み物を取りに行く隙に周りの声を聞いてみれば、どうやら彼女は「令嬢らしからぬ学問愛好家」としてか、「好色の令嬢」として噂されているようだった。どうにも二つの印象が繋がらないが、彼女のどこか歪んだ雰囲気を思えば、それも間違いではないのかもしれない。
「ドメスティア嬢が来られるなんて、珍しいこと。普段であれば、机にかじりついているか、男漁りに出かけているころでしょう?」
「わたくし、あの方のこと、少し好きよ。自由ですもの。ご自分がおありだわ。」
「まあ、わたくしもそう思っておりましたの。」
しかしどうやら、好色という言葉も、愛好家という言葉も、皮肉半分好意半分で使われているようだ。そして避けられているのも、ただ嫌われているというよりは憧憬によるものなのだろう。自由を愛する、この国らしいことだ。
思案しながら歩いていたら、いつの間にか先ほどいた壁に辿り着いていた。顔をあげ、やはり明後日の方向を眺めて思案する彼女へ声をかける。
「ドメスティア嬢。飲み物を持ってきましたよ。」
「ああ、ありがとうございます。ごめんなさい、気づかなくて。」
「いえいえ、僕も先ほどまで気付いておりませんでしたので。お気になさらず。」
「ふふ。ああそう、先ほど言ったではありませんか、名前でお呼び下さいと。口調も崩して下さいな。貴方がそうしたら、わたくしもそういたしますから。」
そういって彼女は、蠱惑的に笑った。うふふ、と。
その瞳に吸い込まれそうになりながらも、僕はなんとかそれを理性で押しとどめる。そんな様子が伝わったのか、彼女はまた小さく笑った。どうやら、僕で遊んでいるようだ。
「ん、んッ!だからいっているではありませんか。このような公式の場で、私のようなものが、貴女とそのように接することはできないと。」
前半は少々顔が赤かったかもしれないが、手を振りながら、少しばかり気取って残念そうに答えてみせる。僕だって、負けず嫌いなのだ。
すると彼女は、また笑って、小さな声で何かを囁いたあと、僕に返答をよこす。
「あら、残念。随分と真面目だわ。でもわたくし、どうしても素の貴方とお話がしたいの。ねえ、今度の土の日、あいていらっしゃる?」
「随分と直接的なお誘いだ。しかし、紳士としては乗らぬわけにはいかない魅力的なお誘いでもある。ぜひ、御一緒させていただいても?」
「ええ、ぜひ。詳しいことについては、あとで手紙を送らせます。」
そういったあと、彼女はまた少しクスクスと笑って。それから小さく手を振って、僕をまっすぐ見てきた。
「では、わたくしはそろそろ帰らなければなりません。楽しい時間をありがとうございました。また、お逢いしましょうね。」
「はい、また。よい夢を。」
僕がそう返した途端、彼女はコツコツと姿勢良く歩いて、まっすぐに出口へ向かった。その堂々とした途中退場に、しかし誰も何も言わない。それが彼女の普通なのか、そして周りはそれに慣れているのか。
そんなことを考えながら、僕はしばらく突っ立っていた。あの、長くも短い時間を思い返しながら、突っ立っていた。
自らの口調を思い出してみれば、途中から随分とキザになった気がする。彼女の不思議な空気に飲まれて、僕だけ少々痛いヤツになっていたようだ。そう思うと、僕に向けられた視線の理由は、何も彼女の存在だけではなかったかもしれない。もしそうだったらどうしよう。これから社交界で生きていけるだろうか。
そのことを心の中で反省しながら、自らの言葉、彼女の言葉を反芻する。反芻する?
そして気付いた。僕はたった今、人生で初めて女性との約束を取り付けたのだ!いや違う、それも確かに重要だが、しかしそれ以上に着目すべきことは…?
明らかなやっかいごとに、足を突っ込んでしまったということだ!
彼女はただのご令嬢ではない、なぜか学問愛好家と好色の噂が両立する、謎の人物だ。そんな人物と、会う?それも二人で?
どう考えても、何かが起こる予感しかしない。それも、かなり個性的な何かが。
さて、僕はやっかいごとが好きではない。なぜか。面倒くさいからだ。僕の行動原理は基本、これである。しかしまれに、それを踏まえてもやっかいごとに足を突っ込むときがある。それこそがもう一つの僕の行動原理、好奇心を刺激されたときである。とはいえ、好奇心の魔法が解けて冷静になったときに、面倒くさがり屋の僕が悲鳴を上げるのだが。そして、今の僕がまさにその状況に陥っているのだが。
しかし、一つ確かにいえることは、「彼女は魅力的」ってことだ。そしてなにより、いつだって魅力とめんどくささは同時に表れる、ってことだ。
「お久しぶりです、ドメスティア嬢。」
「ええ、お久しぶりですわね。」
「しかし、まさか…」
あの夜会の日から数日がたち、僕は彼女から送られてきた手紙の通り、待ち合わせ場所に向かっていた。しかし、その足取りは重い。一応商人風の服装でやってきたが、それで良かったのか。
というのも、彼女に指定された待ち合わせ場所が、待ち合わせ場所なのである。
ーカジノ。
それも、かなり裏に近い場所だ。デート、いやそうといってよいのかわからないが、とにかくそれに準ずるような外出であるというのに、待ち合わせ場所がカジノ!恋愛経験など文字の上でしかしたことがない僕の知識が正しいのかはわからないが、こういうときは普通広場なんかで待ち合わせるのではなかろうか。さらに、時間は夕方。ディナーの少し前くらいの時間にも、カジノは空いているのか?夜のイメージしかない。
したがって、彼女の意図が全く読めない。そして当然カジノになどいったことがない田舎者の僕は、恐る恐る足を進めるしかないのである。早くついて欲しいような、怖いような。しかし足は進み続けているし、段々看板も見えてきた。
がっくりと肩を落としていると、むわんとした暖かい風に前髪が揺らされる。慰めてくれているのか、なんて心の中でふざけながら、カジノの入口の柱に寄りかかった。
そうしていること5分ほど。待ち合わせのちょうど5分前くらいに、彼女はやってきた。先日の夜会のときにはハーフアップにしていた黒髪は、ポニーテールにまとめられている。服もパンツスタイルで、どことなくタキシードのような雰囲気を感じた。年頃の乙女らしくはない。かといって男らしいか、といわれれば、それはそれで違和感があるが。
彼女らしい、個として成立した服装だった。遠くから手を振る様は、いまだ上品だ。ここで、冒頭の会話に戻るのだが、、。
「まさか、カジノを待ち合わせ場所に指定されるとは思いませんでしたよ。」
「あら、スリルがあっていいではないですか。ああ、そうだ。口調を崩して下さいな。」
「本当にいいのですね?」
「ええ、もちろん。わたくしも、この口調は疲れるのです。」
ふわり、と微笑む姿からは、疲れは感じられない。言葉の綾なのか、隠すのが上手いのか。
「じゃあ、僕はこういう風に話すよ。これが僕の素だ。」
いつも通りの口調に戻すと、途端に彼女との距離が縮まったように思えた。苦笑して促すように手を振ってみせれば、彼女は目をとじ表情をがらりと変え、言葉を紡ぐ。
「ああ、じゃあアタシはこのように。よろしく。」
先ほどまでより少し低くなった声と、少しいびつな、知的な町人然とした口調。これが素ならば、よく町におりるのだろうか。いや、遊んでいるという噂があるのだから、当然と言えば当然ではある。
アタシ、という一人称は、どこか不思議な響きをしていた。わーし、とも聞こえるような、わとあの間を行くかのような中間の発音だ。どこか学者然とした態度、服装にも、なぜかよくあった。
「ああ、よろしく。で、どこにいくんだい?まさか、そのままカジノに…」
「ははッ!もちろん…といいたいところだが、さすがのアタシもデートの行き先にカジノを選んだりはしないさ。付いてきてくれるかい?」
「で、でえと…」
さらりと告げられた強烈発言に、僕はつい固まってしまった。そんな僕を見て、彼女は少し皮肉気に、しかし心底面白そうに笑う。
「随分と初々しいことだ。で、付いてきてくれるのか?」
「あ、ああ。」
からかうようにカラカラとした彼女の笑いに、何故か夜会のときのふわふわとしたそれが重なる。雰囲気は違うが、それらはどことなく似ているように思えた。それは長く大きく笑いすぎないその合理性ゆえか、もしくは双方僕を弄んだあとの笑いであるからか。
とりあえず確かなのは、彼女は僕で遊んでいるってことだ。
「ようこそ、アタシの聖域へ!歓迎しよう。」
手を左右に広げ、わざとらしく抑揚をつけて言葉を紡ぐ彼女。その周りに広がるのは、薄暗い地下室だ。所狭しと本棚が敷き詰められ、僕の狭い自室の倍ほどはあるその空間を、彼女は聖域と呼んだ。
「さあ、そこに座ってくれ。」
薄暗いこの部屋の灯りは、もわんと光る橙ただ一つ。彼女に案内された一人がけのソファーのデザインも相まって、なんだか物語の中に舞い込んでしまったかのような心地だった。
「なんだか、御伽噺の中にいるみたいだ。」
なんだかんだ言って、これがこの部屋に入ってから初めてこぼした言葉である。なぜなら、僕がここに連れてこられるまでの間、あまりの驚きで思考停止し、されるがままになっていたからだ。
ついてこい、と言った彼女は、そのままズカズカとカジノの中へ入っていき。ああやっぱりカジノじゃないか、と内心ひよっていたら、賭け事の場を華麗にスルーしてお偉いさんの部屋を訪ねた。なんだなんだと僕が動揺しているうちに、なにやら彼女が話をして、鍵を渡され。その後何故か掃除用具入れに入り、その奥の隠し扉からこの地下室に降りてきた。
だから、隠し扉にウッハウハだった少年な僕は、ソファに座った今やっと、青年に戻ってきたのである。
御伽噺みたい、なんて子供じみた感想が出るのにも頷ける話、なはずだ。
「そうだろう?アタシはこういう雰囲気の部屋に憧れていてね。隠し扉も、ワクワクするだろう?」
「うん!」
自慢げにしている彼女に、僕は完全同意した。それも、つい口調が子供っぽくなってしまうくらいには。
しかし同類としては、気になることがまだある。
「なんでわざわざ、カジノの中に?」
「ロマンだ。」
「じゃあ、隠し扉も?」
「ロマンだ。」
「機密文書があるとかそんなんじゃなく?」
「ああ、ロマンだ。」
「地下なのも?」
「ロマンに決まっているだろう。」
ここで僕は、確信した。僕と彼女は、確実に、、、
「気が合うな。ティルティア。」
つい呼び捨てになってしまうくらいには、彼女と僕の嗜好は一緒だった。
至極真剣に大興奮な僕を見て、彼女はにやりと笑う。
「おお、君も仲間だったのか。いいだろう、この雰囲気。秘密の書庫感がたまらない。」
「待て、ということは君、『シークレット・ライブラリー』を読んだことが?」
「もちろん。アタシはジルベスターが好きだな。彼とは本の趣味が合いそうでな。」
「ああ、僕もだ!明るそうで闇がある性格がいい。外面仮面作りの巧みさには思わず唸らされたよ。」
「君とは本当に、話が合いそうだな。」
「ああ。よろしく頼むよ。」
「さて、君をここに呼んだのは、他でもない、、」
「本談義をするため?」
「いや、違う。確かにそれも一つの目的ではあるのだがな。」
「うーん、では僕にはわからないな。」
「別に予想しろと言っているわけでないのだから、構わないさ。アタシが君をここに呼んだのは、ズバリ議論するためだ。」
「何について?」
「もちろん、自由とロマンと正義について。」
「自由と、ロマンと、正義、、、?」
「ああ、しかし議論するのは私とではない。いや、ある意味そうと言えるのだが。」
「君とではないが、ある意味そう?」
「そう、君には、私が書いたものと議論して欲しいんだ。議論というより、批評かな。」
「なるほど、、?しかし、僕でいいのかい?ただ本好きなだけの、田舎者だが。」
「君がいいのさ。」
「あ、ありがとう?」
褒められたのか何なのか、よくわからないが、とりあえずお礼を言っておくことにした。
読んだ感想は。
何と言えば良いのか、文章は上手いしテーマも良い、推論も良いのだが。
とにかく、めんどくさい書き方だった。
考えられる全ての可能性を上げ連ね、それぞれに同意を示し反論する。一つの問題に関する考察が異様に長かった。
そして結局、結論は作者の好みで決まるようだ。
例えば、ロマンについて。その希望的観測の傲慢、そこに夢を託す不安定さを述べ、同意した。かと思えば、ロマンのない人生のつまらなさに言及し、前言を撤回。結局、作者の中ではロマンがある人生の方が愉しいからと、ロマンを肯定する。
やけに自信満々になったり、急に自己否定を始めたり、極端になったり中庸を目指したり。
誰の承認もいらないなどと述べながら僕に見せているし、文体だって読まれることを意識したものだ。
いうなれば、現実主義なロマンチストだった。そして、皮肉げな箱入りってとこか。
「どうだ?」
期待に満ちた、というよりは諦念に満ちたその瞳は、やはり青く美しい。しかし、吸い込まれてしまいそうな、今にも壊れてしまいそうな、歪な深みをも宿していた。
「正直な感想を、とのことだったっけ。」
「ああ、アタシには傷つくプライドがあるが、かといってそのままでいるのも癪だ。正直な他人の意見が、それも己と同じかそれ以上に有能な人間のそれが欲しくてな。」
「僕は僕自身をそういう人間だとは思わないけど。まあいい、とにかく感想だね。一言でいえば、興味深い。」
初手でやってきた褒め言葉に、しかし彼女は喜色を浮かべない。それどころか、早く早くと続きを促し、やや不満そうですらあった。だからか、彼女は反論のために口を開こうとする。
「しかし、」
それを押し留めるように次の言葉を紡げば、彼女は渋々と言った様子で黙った。
「しかし、歪んでいる。なんだかめんどくさいなあと思ったよ。」
「ほう。いったい何故だ?君のいうとおり、アタシは面倒くさい人間だが。」
そう問う彼女の顔に、憤りの色はない。純粋に、僕の次の言葉を待っていた。
「まず、文体。文語的な硬い言い回しが馴染んでいるし、自然に使えている。だが、論じている内容が青くて、どこか未熟に思える。かと思えばところどころ達観していたりして、この世界に期待しているのか、諦めているのかわからない。だから、歪んで見える。」
「ほう。」
彼女の口角が、にやりと上がった。
「つぎに。君は、これらを実際に経験したわけではないだろう?限りなく日常的に書かれているが、それは庶民の日常だ。君のような良家の令嬢は、早朝の井戸の水の冷たさを知らない。それはそれで驚くべきことだ。君の想像力は素晴らしい。だが、君はそんな自分を嫌悪しているだろう?どうにかして実感を得たいと、良家の箱入りでいたくないと。その様子が滲み出るから、描写が必死になる。」
「さらに、こんなふうに堅苦しいことを述べながらも、君は今僕といる。それも、こんな場所に。」
「こんな場所、とは?」
「そりゃ、この、、」
かっと赤面した僕を、つまりはとなりにはだけた彼女がいながら何も行動を起こせぬ僕を、面白がるかのように彼女は笑った。
近くにはベッドがあり、同じようにしてここで行われてきたことは容易に想像できる。好色な学問愛好家、というのは、どうやら本当だったようだ。
「この?」
「いや、、、いい。とにかく、真面目そうでいて、しかしどこまでも不真面目だ。というかそもそも、君は何故こんなことをする?」
「下賎な愛を知らぬまま死ぬなんて、面白くないじゃないか。文字の上でしか恋愛をしたことがない、なんてつまらない人間にはなりたくないのさ。」
「それだよ。その気取った返事。いや、それが君の素か?でも、どんなものにも理論をつけたがるだろう?」
「確かに、そうだな。」
「至極くだらないと切り捨てられそうなことにも、真っ当な理由を用意しようとする。思うに、君が真面目そうでいて不真面目なように見えるのは、ここからきているんだろうな。」
「というと?」
「世間の価値なんか関係なく、君が真っ当だと思ったことを実行に移すってことさ。だから、世間のそれと合う時もあれば合わぬ時もある。」
「なるほどなぁ。やはり君は面白い。」
「いや、面白いのは僕じゃないだろう、君だ。」
「アタシはめんどくさいだけだ。面白くはない。」
「めんどくさいのは魅力だと思うけど、ね。君はロマンに身を浸したい。とにかく汚く爪弾きにされるものになりたい。君は何も考えない無知な人間になりたい、ただ欲に溺れたい。」
「ほう。」
彼女は、愉悦を浮かべた。瞳にどろりとした色が灯る。
「君は理性的でいたい。神様になりたい。ヒーローになりたい。悪魔になりたい、ヴィランになりたい。」
「矛盾の塊だな。」
「つまり君は、理性的なロマンチストを目指している。」
「間違ってはいない。」
「僕は、そういう人間が好きだ。君は面倒くさくて、それゆえに歪んでいて、複雑だ。面白くて、興味深くて、驚きを与えてくれる。君なら僕を、理解できる。」
「それは、告白ととっても?」
「あ、ああ。」
そして彼女は蠱惑的に、嗜虐的に笑って、僕を闇へと誘った。
「今日はありがとう。すごく有意義な時間になった。できれば、また会いたいのだがいいだろうか?」
「もちろん。つぎは、、、、」
そこで、僕の記憶は途切れた。ただ、この話をした時の彼女の顔が、やけに寂しそうだったことを覚えている。
二度目
それは、ある夏のことだった。その年の春に都会へ引っ越してきたばかりの僕にとって、初めての夏休み。わざわざ休みに遊びにいくほどの親しい友達もろくにいないから、予定はほとんどなかった。
ずっと家にいるのも何なので、所属する美術部に度々顔を出しては、適当に絵を描いて部員と話し、夏休みをほどほどに満喫する。そんな僕の悠々自適な計画は、脆くも儚く、美術室に顔を出したその日に崩れ去ってしまった。
初めて美術室を訪ねたその日に、彼女もそこにいた。何故か美術室で文章を書いていて、しかしその姿は不思議と馴染む。
万年筆を握ったり、パソコンに打ち込んだりと、さまざまな方法で書いているようだ。僕にはよくわからないが、媒体によって出来上がりが変わるのだろうか。
そんな姿は少しばかり不思議ではあったものの、黒髪黒目のポニーテールという風貌は、一般的な日本人という印象でしかなかった。
「あの、こんにちは。いや、おはようございます?転校生です。よろしくお願いします。」
田舎なので、転校生といえば大体の人が僕であるとわかる。十一時五十分という微妙な時間に、どちらの挨拶をするか迷いながら話しかければ、その背越しに言葉が返ってきた。
「ああ、噂の転校生くんか。よろしく。アタシは宵。宵月の宵だ。美術部だが、絵よりも文を書く。」
アタシ。その発音に、どこか聞き覚えがあった。前にどこかで、、?なんて聞けるほどロマンチストではないので、その違和感には蓋をするしかないのだが。
記憶の扉が、開きそうで開かない。
「君は、何を書くの?」
彼女の視線は相変わらず机に向けられていた。絶え間なくその手は動いているから、創作をしながら僕と話そうということだろうか。
「何を、というと。僕はあまり、こういうの得意じゃなくて。」
「こういうのっていうのは、創作とか絵描くのとか?」
「うん。」
「ふうーん。」
会話が止まった。彼女は特に気にした様子もなく、机に向かい続けている。あまり、興味を持たれていないのだろうか。
「じゃあ、お隣失礼します。」
「ああ、どうぞ。」
少し気まずいが、わざわざ遠くに座る必要もないだろう。何より、このそっけない態度を向けられることが少し悔しい。
リュックをガサゴソと漁っていると、先ほどまで読んでいた本を見つけた。
そこで、パッと思い浮かんだ。
「あ、あの。」
「何?」
「さっきは得意じゃないっていったけど、僕、読むのは好きだよ。」
「へー。」
かなり勇気を振り絞ったのだが、反応は芳しくない。このまま会話は終わりそうだ。
自らの陰キャ度に辟易しながら、本を開いた、そのとき。
「それ、何?」
「な、何、とは?」
「だから、その本何?」
タイトルを言えばいいのか?
「えーっと、饗宴っていうんだけど。わかる?」
「プラトンか。」
「え、わかるの?」
「ああ。」
「え、すご。初めて会った、同世代でわかる人。」
「というか君、プラトンを読むなら私のも読んでくれないか?」
渡された文章には、既視感があった。どこかで読んだことのある、面倒くさくて面白い文体。狂おしいほど欲しかった、もう一度読みたかったそれは。
僕が息を呑んでいると、彼女は顔を上げて言った。
「ところで、君。前に会ったことがあると思うんだけど。」
こちらをじっと見つめてくる瞳は、確かに黒色なはずなのに、青の印象が浮かぶ。
ぐっとその色が深くなったときに、僕は彼女のことを思い出した。
「ティルティア?」
「ああ。」
あの日、あの後決めた、待ち合わせの日。決めた場所に彼女はいなくて、彼女の家の使用人が、手紙を持って立っていた。
『遺書』
なんて書いてあるそれに、僕は心底驚いて。どうやら前から病を患っていたらしいことを知って、驚愕したのだ。
言いたいことはたくさんあった。だが、今一番聞かなきゃならないのは、話さなきゃならないのは。あの日話せなかった、論じられなかった、、、
「さあ、議論しよう。存分に。悪と正義とロマンについて。」
「もちろん。望むところだ。」
僕は彼女がいなくなってから、あの世界で精一杯の学んだ。彼女くらい面倒くさい人間になれるように、彼女を理解できるように。
不思議と、僕は彼女との再会を疑わなかった。ただ漠然と、僕と彼女の問答があんなところで終わるわけがないと、そう思っていた。
僕に終わりが訪れたのは、彼女のそれから五年ほど後。学舎を卒業し、王宮図書館とカジノを掛け持ちするという、不思議な仕事形態で生きている時のことだ。死因は普通に、事故である。どちらかといえば過労死に近いような気もするが。
昼は司書、夜はカジノの支配人。いったりきたりの生活は、辛かったが充実もしていた。とにかく生きている実感が欲しかったのだろう。
そしてその結果、体を酷使するあまり大通りでふらつき、馬車の前で転んでしまった。ふらついたときには意識が飛び始めていたので、どのようにして轢かれたかは定かではないが、死体はさぞ酷かったことだろう。
あっけなく終わりを告げた一度目。双方若くして死んだ。
たった数日、数時間ずつ会い、話しただけの彼女に憧れ、魅了され、命を捧げて。僕は、死んだ。
その次に目が覚めたのが、この世界だ。といっても、前世?に区分されるであろう一度目のことを思い出したのはたった今なのだが。
思えば、僕はこの僕になってからも、とにかく本を読んでいたように思う。読まなければならない、という漠然とした思いが昔からあって、そのおかげか今の僕は物知りの部類に入る。
哲学書だって読めるし、外国語も読める。文豪も読んだし、とにかく何でも読んだ。読みまくった。
それがこれからの議論にいきるといいのだが。
「さて、悪とは、善とは何だろうか?」
僕と彼女以外には誰もいない、静かな美術室。蝉の声だけが響く夏の静寂が支配する空間に、僕の声がこだまする。電気はついていなかった。夏の蒸し暑い日差しだけが、この部屋の灯りである。それはどこか、いつかの地下室を彷彿とさせた。
違うのは、蒸し暑くはないこと。輪廻の間に作られたクーラーという便利な装置の風が、彼女の前髪を揺らす。
二人は立っていて、狭い美術室の中をゆっくりと歩いていた。
「僕は知っている。善は悪に勝てないということを。」
本で読み、そして目の前でそれを目撃した僕は、知っているのだから。無知な善は、賢き悪に簡単に突き崩されてしまう、ということを。
「アタシは知っている。自らを善と思う者はもはや善ではなく、ただの驕り高ぶった愚者であることを。」
彼女は、その偽善を幾度も目にしてきたのだから。
「僕は知っている。自らの行いに何の自覚もなき無知な善は、賢き悪に負けてしまうことを。策を弄せず、直線的な思考をし、自らが正しいと信ずるもの。そんな者が、策を弄し複雑な思考回路をする者達に、勝てるわけがないことを。」
僕は、そうであった僕自身のことを、よくよく知っているのだから。
「アタシは知っている。そんな存在は、ときに驕り高ぶった愚者にさえ負けてしまうことを。」
「「つまり。」」
「「善が悪に打ち勝つことなど、不可能。」」
「では、どうすればいい?僕はここから先を知らない。」
「そうか、しかしアタシはそれを知っている。」
「どうすればいい?」
「簡単だろう?悪になればいいのだよ。人は善であろうとする。なぜか。平穏を望むからである。正しくありたいから、正しくなければ精神の平穏を保てないからである。」
「なるほどね。じゃあ、続きはこうか。
悪を望む人間がいる。なぜか。平穏を拒むからである。正しくあることを嫌い、安定を嫌い、常にスリルを求める者が、悪となるのである。」
「ああ、流石だな。なら、最後もわかるだろう?」
「もちろん。」
「「純粋なる悪となれば、人は愉しく生きられる!」」
「そのために必要なのは、なんだ?」
「君は何だと思う?僕は、」
「アタシもきっと同じ意見だろうよ。もちろん、」
「「ロマンだ!」」
そういって、二人は愉しげに笑った。
ある夏の日、二つの魂が出会い、別れ、再会したその日。その日は、もしかしたら世界を少しだけ、変えたのかもしれない。
なぜなら、二人の悪党が誕生した日だからだ。
一息ついて。
「な、アタシはめんどくさいだろう?」
「ああ。だが、別に悪くない。君もそう思ってるだろう?」
「そうだな。」
「だとすれば、本当にめんどくさい人間だな、君は。」
「望むところだ。それに、そんな私のことを好く君も、めんどくさい男であることに変わりはない。」
「なっ!好く、、。」
「相変わらず初々しいことで。」
「うるさいな。」
「そういうところが可愛いんだが。」
「かわっ!」
「ははっ!」
「その様子、あの日の続きをお望みで?」
「随分と面倒くさい世の中になってしまったものだから、それは無理だ。」
「なんと。君こそ、随分真面目じゃあないか。」
「アタシは優等生なのさ!」
「僕にはそう見えないけどなぁ。」
「失礼な。」
「ふふっ、君こそ、可愛くなったね?」
「ははん、やっと気づいたか?」
「いや、やっぱり可愛くないかも。」
「なっ!」
「ははは!」
「ふっ、ふははは!」
こだまする笑い声は、晴れやかだった。
黒歴史になるかもしれないことを自覚しながら。
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