恋愛小説戦士、古村さん
私が通う女子短大は、このアパートから目と鼻の先。徒歩でおよそ三分。
最強の立地に聳え立つ、このアパートは叔父が管理している。なんという幸運だと皆様は思うだろう。しかし奇跡などではない。私はただ、このアパートから超近いという理由で、今の女子短大に通っているだけなのだから。
冬から春へと変わりそうな頃。もうそろそろ窓全開でも過ごせるんじゃないか? と思って開けて寝たら、凍死寸前の朝を迎える季節。私はシャワーを浴びて台所に直行。そのまま冷蔵庫から炭酸水を取り、一気飲み。この瞬間のために生きてる。
「はー、さーって、溜めてたアニメ一気見し……」
「遅かったな」
台所からリビングの方へと振り向いた瞬間、そこに有り得ない人物が仁王立ちしていた。光って見える程の綺麗な黒のロングストレートが印象的な、同じ短大に通う同い年の女の子。
「古村さん……? な、なんでここに?」
「ふっ……何故ここに、と言いたいようだな」
いや、言ったわ。うちのお爺ちゃん並みに耳遠いんか。
「その質問に答えるには……申し訳ないが質問を返さねばならない」
「なんすか」
つーか本当になんでここに? ここ、私のプライベート空間なんですが。普通に不法侵入だ。
「君は恋愛小説マスター、それを目指す者で間違いないな?」
「違います。変な称号を勝手に付けないで。恋愛小説は好きだけど……」
「やはり私の目に狂いはなかったようだ。そんな君に……相談したい事があってな」
ガンガン話進めていくやん。
「知っての通り……私は恋愛小説が好きだ。テンプレ物も、奇を当てらった新しい物も、多少の残虐描写があるものも、恋愛小説と銘打っている物は全て私の領域だ」
知っての通りって……いや、貴方、短大でミステリアスなお嬢様扱いされて、誰一人として家族構成すら知らない……早い話がボッチじゃん。いつも窓際で小説を読んでる物静かなお嬢様。
まさかそんな子が、こんな変人だったなんて……なんかショックだ。ちょっと面白いけど。
「でも……ある日を境に私のテリトリーは崩れた。君も知っているだろう、あの新藤マルチーズ先生の新作を」
「あ、あぁ……『異世界転生したら悪役令嬢の飼い犬でした。でも不憫すぎるので私が正ヒロインにします』ってライトノベル?」
「そう。私は小説家になろうの連載時から、ずっと追っていたファンだ。書籍化した時は風呂で水浴びの儀式を小一時間するくらいテンションぶち上がった」
妙なテンションの上げ方するなぁ。気持ちは分からんでもないけど。
「その小説が……なろうで完結したんだ。つい先日」
「よかったじゃん」
「しかしだ!!!!!!!!!」
うお、びっくりした。
っていうか、なんでこの子……パジャマなん? 髪の毛もなんか半渇きっぽいし、なんか風呂上り……
「新藤マルチーズ先生は、あとがきで自身も学生だとカミングアウトし、私は数少ない情報から……私達と同じ短大に通っている事実を突き止めた! 競争率の高いこのアパートを借りる事が出来たのは、まさに奇跡と言っていいだろう」
「古村さん、同じアパートだったの!? だからパジャマ? 風呂上り? 髪乾かしなさい! っていうかどっから入ってきたと思ったら……まさかベランダ伝って……?」
「うん」
「ここ三階! 危ないでしょ!」
古村さんをソファーに座らせ、ドライヤーをかける。何してんだ私。
「新藤マルチーズ先生は……一年上の先輩だったんだ。職員室に忍びこんで論文を読み漁り、文章のクセで割り出したから間違いない」
「うん、普通に犯罪だからもうやめなさい。黙っててあげるから」
「ふっ……私達は共犯というわけだ」
違うわボケ。警察に突き出すぞ。
「で、問題は新藤マルチーズ先生の現状だ。新藤マルチーズ先生は今、スランプ気味なんだ」
「いや、作品完結させたんなら……全然スランプなんかじゃないと思うけど……」
この子髪サラッサラだな。手から髪が零れていく。ちょっと編み込んでもいいかしら……えーっと、櫛……
「新藤マルチーズ先生はずっと毎日投稿が当たり前だったんだ。以前も十万文字超えの連載を完結させた次の日には、もう新作を書き始めていた……」
「へー、凄いねぇ……でも書籍化するくらいの作品書き上げたんだし、ちょっと燃え尽きてるだけだって。少し休めばまた……」
おお、非常に綺麗に編めた!
「実は……スランプの原因は、すでにある程度目星ついてるんだ。新藤マルチーズ先生は今……恋をしている!」
「へー」
「その相手は、新藤マルチーズ先生をストーキングして、表情の変化から割り出したから間違いない」
「うん、いい加減にしろよ。本当に警察に突き出すわよ」
「私はそんな新藤マルチーズ先生の恋を本気で応援したい、でも新作を読めないのも嫌だ! 新藤マルチーズ先生の新作を読めないと、私は他の恋愛小説を読んでも何も感じない体になってしまったんだ……!」
あぁ……それが『テリトリーが崩れた』に繋がるのか。分かりにくいなぁ。
「そんなわけで、君にも協力を仰ぎたいと思ってな」
「なんで私に……」
「君は恋愛小説マスター……というのもあるが、新藤マルチーズ先生が恋してる相手というのが……」
「いや、恋愛小説は好きだけど、そんな意味分からん物を目指したつもりは無いから。で、相手って?」
むう、一度編み込んだ髪をほどいて、今度は普通に三つ編みに……。おお、これも可愛いのでは?
「新藤マルチーズ先生の恋の相手は……このアパートの管理人。つまり、君の叔父だ」
※
翌朝、叔父の元へと朝飯をせがみに行くついでに、新藤マルチーズ先生の事を探ってみようと思ってしまった。叔父はこのアパートの一階に住んでいる。私は当たり前のように合鍵を持っており、当たり前のようにズカズカと入室。
「おう、姫子、おはよう」
「おはようございます、叔父さん。朝飯おくれ」
黒髪ポニテ眼鏡の叔父は、元舞台俳優だったりする。顔が整ってるのは認めるが、なんせだらしない。無精ひげに傷だらけの眼鏡。叔父の部屋は洗濯物とビールの缶が散らばり、脱いだ靴下が何故か脱衣場の前で力尽きている。
「叔父さん、最近、うちの短大生と……その、変な事してない?」
ゴミ袋にビールの缶を入れつつ、洗濯物をカゴへと放り込んでいく。
「なんだ、変な事って……。お前まさか、俺がガキに手出してると思ってんのか?」
「いや、別に……昨日、なんか楽し気に話してたじゃない」
無論、目撃したのは私ではなく、古村さんというストーカーだ。新藤マルチーズ先生の。
「あー……あの子か。最近なんか挨拶してくれる。もしかしたらここに住みたいのかもな。お前の所の短大生だったのか」
ジュー、という小気味いい目玉焼きとフライパンのハーモニーが聞こえてくる。
私は私で手際よく叔父の部屋を片付け……むむっ、これは……
「叔父さん、これ何? キャバクラの名刺?」
「あっ、コラっ、叔父さんのプライベートを覗くんじゃありませんっ」
マジか、新藤マルチーズ先生が知ったらショックだろうな。いや、元々から叔父はこういう人だ。フラフラとだらしない生活を続けるかいがあって、独身を貫いている。
「叔父さん、結婚しないの?」
「俺が結婚したら、このアパート売り払うからな。お前もめでたく居候から卒業だ。おめでとう」
「叔父さん少なくとも私が卒業するまでは独身でいて」
そう、私は今……家賃を払っていない! それどころか、光熱費もネット料金も食費の一部すら、叔父に頼っている! 今叔父が結婚したら……私のスズメの涙程のバイト代が消し飛ぶ羽目になる。我ながらクズい思考だと分かっているが、致し方ない。
「短大生といえば……この前、空きが出た瞬間に滑り込んできた子、滅茶苦茶綺麗だな。叔父さん、ドキドキしちゃった」
「古村さんの事?」
古村さん、マジで奇跡的に部屋取れたんだな。あの子の事だから、前の住居者にも何かしたんだろうかと疑ってしまうけど……まあ、流石にそこまでは……。
「叔父さん、古村さん綺麗だからって……」
「バーカ、誰が姪っ子と同い年のガキに手出すか。お前もあの子みたいに礼儀正しく、おしとやかにだな……」
礼儀正しくおしとやかな女の子は、風呂上りのパジャマ姿で隣人の部屋に侵入したりはしないのよ。昨夜普通に隣の部屋に帰っていったからな、ビックリしたわ。
「ほら、叔父様特性朝得定食」
「あざす。いただきます」
目玉焼きにウインナー、納豆にレタスだけのサラダに白米。シンプルだがご機嫌な朝食だ。
私の前に朝食を出すだけ出して、そのまま叔父さんは一人、換気扇の前で煙草を。
「叔父さん、煙草やめたら? モテないよ」
「いいんだよ、俺は姪っ子の面倒見るって名目で、姉貴の責め苦から逃れてるんだから」
姉貴……つまり私の母親は、叔父に対して結婚しろ結婚しろと催促し続けているらしい。叔父は末っ子長男だから、はやく親を安心させろという事だろう。しかし叔父にその気は一切ない。アパート経営しながら女子大生を目の保養にして、夜はキャバクラか。見事な人生だ。
「もう舞台俳優はやらないの?」
「お前、知らねーだろ、地獄だぞあそこは」
いや、知らんが。
どうやら叔父は地獄のようなシゴキに根を上げて逃げて来たらしい。なんとも情けないと言うのは簡単だが、その地獄っぷりを体験してない私には、まさに対岸の火事と言う奴だ。
「勿体ない、叔父さん顔はカッコいいのに」
「……そうか?」
うわ、ちょっとご機嫌になってるのがウザい。
その時、叔父さんの部屋のインターホンが鳴り響いた。
「姫子、頼む。カッコイイ叔父さんの頼みだ」
「はぁ……アパートの住民だったらどうすんのよ」
文句を言いつつ玄関に行き、覗き穴から相手を確認。
三つ編みに眼鏡の女性……? なんだ、随分大荷物で……
「どちら様ですかー?」
玄関のドア越しに呼びかけると、女性は焦ったような声を出した。
え、女? みたいな反応。なんだ、まさか……
「叔父さん、女の人が大荷物抱えて来てるんだけど……まさか……」
「あん? なんだよ入居者希望か? 今一杯だから無理って言っといて」
「それアンタの仕事でしょっ! ほら、早く早く、煙草消して……」
叔父さんを無理やり玄関先まで押し込んで対応させる私。
無警戒に玄関を開ける叔父さん。その先に居るのは、私より少し年上くらいの女性だろうか。眼鏡に三つ編み、黒のセーターに黒のロングスカート……地味な子だな。
「あ、あの、私……新藤敦美と申します……! け、結婚を前提にお付き合いしてください!」
バタン、と叔父さんは無言で玄関を閉めた。
そのまま私へと助けを求めるように涙目で何かを訴えてくる。三十代の男が怯えるな! 混乱してるのはコッチも同じだ!
「えっと……申し訳ない、俺はもう心に決めた人が居るので……」
ドア越しに大嘘を言い放つ叔父さん。その言葉を私の母親にも聞かせてやってくれ。嘘だとバレたら、たぶん叔父さんは死なない程度に殺されると思うけど。
「だ、誰ですか!? その子ですか!? 私と……私じゃダメですか!?」
いや、あんた誰やねん……。
「……ねえ、叔父さん、知り合い?」
「いや、その……さっき言った……最近挨拶してくれる子……」
ん? それって……あれ? さっき新藤って言った?
『私は新藤マルチーズ先生の新作が無いと……!』
古村さんの奇天烈行動が脳内に再生される。まさかとは思うがまさか。
「ちょ、待って叔父さん……えっとどうしよう確認……いやいや、あのストーカーを会わせて大丈夫? いや、でも……そもそもあのストーカー、叔父さんとマルチーズ先生をくっつけるために……」
「おいおい、何言ってんだ。俺は犬を飼うつもりは無いぞ。姉貴に殺される」
「ああ、もう、分からん! とりあえず連絡……!」
昨日、当たり前のようにメッセージアプリのIDを交換した。私がメッセ―ジを飛ばすと一瞬で既読が付く。そのまま何やら巨大なドタドタと足音が……
「新藤マルチーズ先生ぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
ストーカーが奇声をあげながら、またもやパジャマ姿でベランダから侵入してきた。




