第5話 祖父のいた場所
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わたしが物心ついたときには、父方の祖父はすでにこの世にいませんでした。
だから、祖父のことを直接知る記憶はありません。
わたしが知っている祖父は —
すべて父の言葉の中にいます.
父は、祖父の話をあまり多くはしませんでした。
聞けば、静かに、事実だけを淡々と語る。
感情を込めることも、誇らしげに語ることもなく、まるで遠い出来事を整理するような口調でした。
—
祖父は、第2次世界大戦のさなか、満州へ赴いたそうです。
若いころの祖父が、どんな思いでその地に立っていたのか、父も詳しくは知らないと言っていました。
ただ、戦争が終わり、日本へはすぐに帰れなかった。
それだけは、何度も聞かされました。
—
敗戦後、祖父はロシアの収容所で働かされていたそうです。
厳しい環境の中で、毎日をどうやって過ごしていたのか。
寒さや空腹よりも、
自分がどこにいて、これからどうなるのかがわからないことが、
1番つらかったのではないかと、父は言っていました。
—
日本に帰国できたのは、かなり後のことだったそうです
帰ってきた祖父は、口数が少なく、
それまでの出来事をほとんど語らなかったといいます。
家族にも、戦地や収容所の話は、ほとんどしなかったそうです.
その後 —
祖父は新聞社に勤め、記者として働きました。
事実を集め、言葉にして —
世の中へ伝える仕事.
父は、祖父がなぜその道を選んだのか —
なんとなくわかる気がすると言っていました.
自分の体験を語らなかったかわりに —
他人の出来事を、正確に残そうとしたのかもしれないと.
祖父が年を重ねてから — ひとつだけ大きなことをしたと、父は話してくれました.
自費出版ではあったけれど —
満州国を題材にした小説を書き上げたのだそうです。
架空の物語の形で —
祖父自身が見たものや、感じた違和感を、
ようやく外に出したのかもしれません。
父は、その小説を大切に保管していました。
読み返すことはあまりなかったようですが、
捨てることもしませんでした。
そこには —
祖父が語らなかった時間が 、
別の形で残されている気がしたからだそうです。
わたしがミステリーを好きになったことや、
父が謎解きに惹かれていたこと。
その源をたどっていくと、
もしかしたら祖父の生き方に行き着くのかもしれません。
語らなかった人。
けれど、書いた人。
事実と虚構のあいだに、
自分の居場所を探し続けた人 —
父とわたしの中にある何かは、
あの遠い土地と、
祖父の静かな選択から、
始まっているのかもしれないと、
最近、そう思うようになりました.
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事実かどうかは、わかりません。




