第22話 色として残された書物
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飛行機の窓の外には、果てしなく続くドバイの砂漠が広がっていた。
陽に焼かれた砂は、風に削られた波紋を描きながら、静かに流れていく。
わたしはシートに身を預け、エンジンの低い唸りを子守歌のように聞きながら、ガラス越しの光景をぼんやりと眺めていた。
その単調で壮大な風景の中で、ふと、ある奇妙な書物のことが頭をよぎった。
ヴォイニッチ手稿。
羊皮紙に描かれた植物、奇妙な管や浴槽、星座のような円環図。
文字らしきものはあるが、どの言語にも属さず、解読もされていない。
医学書なのか、錬金術書なのか、暦なのか。
長いあいだ、正体不明の書として扱われてきた。
わたしが最初に強く惹かれたのは、
そこに「数字がほとんど書かれていない」ことだった。
植物の葉の数。
円環に並ぶ人物の数。
浴槽の中にいる女性の人数。
反復される模様や区切り。
数えれば、確かに数がある。
けれど、どこにも「数字」としては書かれていない。
その代わり、配置だけが、やけに正確だ。
等間隔。
同じ反復。
微妙なズレを許さない構図。
まるで、
「数は、書かなくても分かるだろう」
とでも言うように。
とくに印象的なのは、黄道十二宮のページだ。
円環の中に人物が並び、星座名らしき文字が添えられている。
だが、星座名は読めなくても、周期だけは、はっきりと伝わってくる。
始まりと終わり。
繰り返し。
変調。
暦として読むには、あまりに不親切だ。
医学書として見るには、説明がなさすぎる。
では、この本は、誰のために書かれたのか。
ページを見ているうちに、
わたしは、ある仮説に行き当たった。
この書物は、
「数字」ではなく、「色」で書かれているのではないか。
数字そのものは、書かれていない。
けれど、配置を数として認識した瞬間、
別の何かが立ち上がる。
それは、意味ではない。
言葉でもない。
色だ。
もし、この本が、
数を色として感じる人間を前提に作られているとしたら。
そう考えたとき、
これまで意味不明だった図像が、
まったく違う顔を見せ始めた。
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