第21話 配置された沈黙
家は、変わっていません。
変わったのは、見る側の位置だけです。
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その夜、わたしは1人で居間に残った。
父は先に休み、家の中は静まり返っている。
昼間に感じた違和感が、どうしても頭から離れなかった。
祖父は、外に出ていなかった。
けれど、確かに半日、姿を消していた。
町の中ではない。
町の外でもない。
誰かの家でもない。
それなら、残る場所はひとつしかない。
わたしは、立ち上がり、廊下に出た。
長年暮らしてきた家だ。
柱の位置も、部屋の配置も、目を閉じても思い出せる。
それなのに、廊下を歩くと、いつもより長く感じた。
歩数を数える。
次に、部屋の数を思い浮かべる。
合わない。
大きな差ではない。
けれど、確実に、余っている。
翌朝、父に頼んで、実家の間取り図を見せてもらった。
建てた当時の、古い図面だった。
居間、台所、客間、寝室、納戸。
配置は、ごく普通に見える。
廊下も、図面上では、不自然なほどではない。
わたしは、図面を何度も見返した。
上下を逆にし、角度を変え、指でなぞる。
そこで、気づいた。
廊下は、直線ではない。
図面上では直線に描かれているが、
実際の家では、わずかに折れている。
柱の位置も、数センチずつずれている。
意図的なズレだ。
壁の厚みも、同じではない。
場所によって、微妙に違う。
もし、このズレと厚みを利用して、
部屋ではなく「空白」を作ったとしたら。
わたしは、廊下の壁を叩いた。
ほとんどは、詰まった音がする。
けれど、そこだけ、響きが違った。
納戸の奥だ。
棚を動かすと、壁紙の色が、わずかに異なる部分が現れた。
指をかけると、思ったより軽く、壁が内側に押し込めた。
中に、小さな空間があった。
机と椅子。
本棚。
積み重ねられた原稿。
ここが、祖父の書斎だった。
外に出ていたのではない。
家の中で、姿を消していたのだ。
廊下を折り、壁を厚くし、柱をずらす。
それだけで、半日こもれる静かな場所が生まれる。
外から見ても、家は変わらない。
中にいても、気づかない。
祖父は、家そのものを使って、書斎を隠していた。
机の引き出しに、原稿の束が残っていた。
あの小説の、初期の稿だ。
赤字の修正。
余白の走り書き。
わたしは、それを1枚ずつ、ゆっくりと読んだ。
祖父は、地下や構造の話を書きながら、
ずっと同じことを考えていたのだと思う。
見えないものは、隠されているのではない。
配置されている。
地下も、墓も、家も。
そして、物語も。
名をつけなければ、人は確信できない。
形を与えなければ、疑い続ける。
祖父は、それを知っていた。
だから、答えをすべて書かなかった。
だから、書斎も、完全には隠さなかった。
いつか、誰かが気づくことを、
きっと、楽しみにしていたのだと思う。
わたしは、書斎の椅子に腰を下ろした。
狭いが、不思議と落ち着く。
ここで祖父は、外の世界を見ず、
家の中で、世界を書いていた。
わたしは、壁を元に戻し、棚を戻した。
この秘密は、今はまだ、この家に残しておこう。
廊下を歩くと、もう長さは気にならなかった。
けれど、見え方は、確かに変わっている。
祖父は、もういない。
けれど、その思考は、配置として、今もここにある。
わたしは、静かに居間へ戻った。
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見つけたのは、隠し部屋ではありません。
ずっと、そこにあった沈黙でした。




