第12話 逆さの街の音
大学生活の途中で、
わたしは日本を離れることになりました。
それは逃げでも、挑戦でもなく、
ただ「別の場所を見てみたかった」
それだけの理由だった気がします。
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オーストラリアへの短期留学が決まったあと、わたしは南へ向かいました.
目的地はアデレードという街です。
砂漠の果てにある内陸の町から、さらに南へ進んだ場所にあり、距離にすればおよそ850キロ —
飛行機で向かうこともできますが、車であれば1日から2日ほどかかる道のりです.
アデレードは、南オーストラリア州の州都で、治安が良く、留学生の多い街でした。医学や環境学、教育分野が盛んで、英語コースも充実している.
乾いた大地の先に —
穏やかな海と学術都市が広がっている.
その対比が、とても印象的でした.
わたしは、アデレードにある大学へ通い、ホームステイをすることになりました。
ホストファミリーのおじさんは陽気で、冗談が好きな人でした.
おばさんはお茶目で、失敗談を楽しそうに話します.
食卓では、言葉が足りなくても笑いが先にあり、気がつくと、緊張は自然にほどけていました。
ある週末のこと —
おじさんが、少し変わった町がある、と教えてくれました。
地上よりも地下のほうが広い場所で、逆さの街と呼ばれているのだそうです。
その町の名前は、クーバーペディ —
強い日差しを避けるため、人々は地下に住居を作り、通路を広げ、生活を築いた。地上は静かなのに、地下には別の世界が広がっている.
そんな話を聞くうちに —
わたしの好奇心は抑えきれなくなり、連れて行ってもらうことになりました.
実際に地下へ入ると、空気はひんやりとしていて、音の響き方がとても独特でした。
歩いていると、同じ場所にいるはずなのに、足音が違って聞こえる.
硬く返ってくる音もあれば、柔らかく吸い込まれるような音もある。その違いが、不思議でなりませんでした
不思議がるわたしに、ガイドさんが声をかけてくれました。
ここでは、壁の形状や角度によって、音の返り方が変わるのだと教えてくれたのです.
昔の人たちは、その違いを耳で覚え、地下を歩いていたのだそうです。
ガイドさんは、簡単な地下の地図を指でなぞりながら、
どの通路で音が響き —
どの場所で音が吸い込まれるか —
詳しく説明してくれました。
その話を聞いているうちに、わたしの頭の中でも、音の違いが線のようにつながっていきました。
すると —
通路の配置と音の変化を重ねたとき —
ひとつの形が浮かび上がることに気づきました。
文字のようにも見える —
その形を指差して、ガイドさんは静かに言いました。
この音の配置を地図にすると、ある言葉になるのだと。
それが —
オパールという言葉でした。
わたしは思わず、宝石の名前だと思いました。
この町は、オパールの採掘で知られている.
だから、この音の仕掛けも、財宝や鉱脈を示すものなのだろうと、自然に考えてしまったのです.
けれど、ガイドさんは笑って首を振りました。
これは宝石を示す印ではない。
人が地上に戻るべき出口を示すためのサインなのだと、教えてくれました。
地下で迷わないため —
危険な場所へ近づかないため —
そして、必ず戻るため —
音の違いは、方向を知らせるための合図だったのです。
その話を聞いたとき、わたしの胸の奥は、不思議と静かになりました。
謎は、驚かせるためだけにあるのではない。
生き延びるため、戻るために作られるものもある。
世界には、まだわたしが知らないミステリーが、数え切れないほどあるのだと、そのとき強く感じました。
逆さの街で聞いた足音 —
わたしにとってそれは、世界のミステリーへと続く入り口だったのです.
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